誰もがかかわっていることなのに、あまりにも個人差が大きいもの。一般的な基準がわからず、自分だけがおかしいのではないかと考えてしまいがちなもの。そして、それをなかなか人に聞くことも話すこともできないもの。それが「性」ではないだろうか。
とらえ方、意味合い、倫理観、行動、受け止め方、重要度など、その人にとっての性のありようは、ときとして、生き方にも関係してくる。
わたし自身にとって、性は非常に重要であり、自ら求めるものでもある。重視するいちばんの理由は、愛をより深く知る手段になりうるからだ。心が好きだと思える相手とのセックスでは、快感を越えた、まるで魂が触れあえるような歓びがある。
だが一方で、性がまた、コミュニケーションの枠を離れて、単に快楽を得る手段としてのみ存在することもあるし、人によっては寂しさを埋める手段となっていることもある。善悪の問題ではなく、それが実情だ。
現代の女性は自由になった。とはいえ、性に関しては、まだ従来の価値観にとらわれていることが多い、しかし、性をもっと手中におさめて、欲望を自分のものとしてとらえ、なおかつ自らの対処の方法を考え、実践している人たちもいる。いくつになって、女性は性に携わっているほうがキレイでいられる、という認識も徐々に浸透しつつある。
そこに縛られすぎて、セックスやオーガズムに関して強迫観念すら抱く女性が増えているのは、性の情報が行き渡った功罪のうちの罪の部分であろう。
女性たちは本音のところで、どうやって性と向き合い、考えているのか。
また、パートナーがいる人、いない人によって、その考え方や実践に違いがあるのか。正直に話してくれる女性たちを求めて、私は外へと飛び出した。