私は女として決して幸せではなかったと書かれていたそうです。確かに、夫婦は長年一緒にいると、男と女であることを忘れていく。僕もそうでした。だけど、家族の事はいつだっていちばんに考えていた。それだけじゃ不足だったのか、という思いでいっぱいでした

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第五章 新しい家族を作れるか

本表紙

妻からの三行半

 妻に離婚届を突き付けられ、しかたなく押印して別れた男性が、再婚相手にも逃げられてしまった。
「なぜ、こうもうまくいかないのか」と、彼は頭を抱える。

「浮気していたわけでもなく、家族に冷たくした記憶もない。だけど、結婚して二十年目の記念日に、妻から離婚を宣告されたんです」

 都内在住の矢沢敏浩さん(五十三歳)は元気なくつぶやいた。それは四年前の事だった。
「ひとり娘が関西の大学に入って、家を出ました。また夫婦ふたりに戻るんだなと思ったとき、しかも二十年目の結婚記念日の当日、妻が突然『離婚してください』と。サイン済の離婚届を目の前に突き付けてきたんです。

何を言われたのかよく解らなかった。どうして離婚なのか。これからどうするつもりなのか。しどろもどろになりながら尋ねました」

 妻は、特に生活に不満があるわけではないと言った。彼には、社員たち二十名と小さいながら、脱サラして自分で立ち上げた貿易関係の会社もある。一時期、経済的に苦労を掛けたこともあった。それ以外はおおむね、ごく普通の生活をさせてきたつもりだった。

 それでも、妻は言い張った。子供が独り立ちした今、自分も自由になりたい、好きなように生きたいと。
「自由になりたいって、どう言うことなんだろう。不思議でしたね、そんなに不自由な思いをさせたつもりはなかったから。妻は数年前からパートで仕事を始めたんですが、娘の進学を境に、正社員になりました。

そんなに一生懸命働かなくても、と僕は思っていたけど、そりは離婚のための準備だったんですよね。『身体に気を付けろよ』と気遣っていた自分がおめでたいと思いました」

 敏浩さんは、もちろん離婚を拒んだ。だが、妻は強硬だった。「娘同様、自分も、第二の人生を歩みたいだけ」という手紙を残して、さっさと荷物をまとめて家を出て行った。がらんとした一軒家に取り残されて、 敏浩さんは、何もかも終わったことを感じ取る。

「妻の置手紙の最後に、『私は女として決して幸せではなかった』と書かれていたそうです。確かに、夫婦は長年一緒にいると、男と女であることを忘れていく。僕もそうでした。だけど、家族の事はいつだっていちばんに考えていた。それだけじゃ不足だったのか、という思いでいっぱいでした」

 そう、男は皆そう思っている。家族の事は大事にしている。それだけでは不足なのか、と。妻は内心、思う。不足なのだ、と。子育てで一杯だった期間を終えると、妻の内面には「女である私」がまた出てくる。母として、妻として充実していても、女としてはどうなのか。それがじょせいたちすべての思いだろう。

「女として扱わなかったという非難も、意味が解らなかった。僕たち、ときどき一緒に映画に行ったり、友だち夫婦と飲みに行ったりもしていた。ふたりで出かける機会も多かったんですよ。それでも、彼女は何が不満だったのでしょう。

結局、妻の意志を翻すことはできず、半年後に離婚しました。家はまだローンが残っているので、僕が一人住んでいます。娘が帰ってきたときに、家もないのでは可愛そうですしね」

 敏浩さんの会社には、妻の義弟が勤めている。離婚しても、妻の親族と一緒に働いていかなければいけなかったのだ。
「離婚して一年ほど経ったところで、やはり気まずかったのか、義弟は辞めました。それで新たに貿易事務をできる人を募集して、女性の一人雇入れました。その彼女が、仕事はできるし、気配りも優れているし、本当に良く働いてくれる。

うちはしょっちゅう、みんなで飲みに行くような会社なんですが、彼女が入社して一年後、労をねぎらう意味で、僕が個人的に食事に誘ったんですよ」

 彼女も喜んでくれた。みんなで行くような居酒屋は避けて、スペイン料理を食べに行った。ふたりきりになったのは初めてだ。

 彼女への気持ちを抑えきれずに

 彼女は、春香さんといい、敏浩さんより三歳年下。夫とはあまり関係がよくなく、自分が必死に働きながら娘ふたりを育ててきたと話した。いつ離婚してもいい覚悟だと春香さんは言った。

「中年の離婚ということで、つい僕も妻とのいきさつを話しました。彼女はいたく同情してくれた。彼女の場合は、ご主人がろくに生活費も入れない。浮気はするという状態だったらしいから、

『社長の奥さんがどういうつもりで離婚を強行したのかわからないけど…。何を幸せと思うかは、人それぞれですよね』と、やんわりと慰めてくれました。そのときから、なんとなく彼女に心を許すようになったんです」

 社員に手を出すようでは、社長として失格だ。敏浩さんはそう思っていた。だが、日に日に、春香さんに惹かれる気持ちを自覚せざるを得なくなっていく。それでも、せいぜいふたりきりで食事に行く程度。手も握らず別れた。内心では、いっそ会社を誰かに渡しても、彼女と深い関係になりたいと思いつめた。

「現実はそうはいかないと自分がいちばんよくわかっている。経営者はつらいとつくづく思っていました」

 半年ほど悶々としながらも、春香さんとの精神的な関係は、徐々に深まっていった。春香さんが密かに離婚の準備を進めているもと、離婚後は娘ふたりと一緒に暮らそうと考えていることなどを聞かされていた。二年前の時点で、春香さんの娘たちは二十歳と十七歳だった。

「ものごというものは、不思議なもので、遅々として進まないときがあるかと思うと、何かのきっかけで一足飛びに進むときもある。今から一年ほど前に、僕が風邪をこじらせて寝込んだことあるんです。会社を休んで三日くらい経ったとき、春香が、自宅まで来てくれたんです。

昼休みにやってきて、さっと掃除して、おかゆを作ってくれて。さすが主婦ですね、やることが早い。次の日も来てくれて、その日は昼食と夕食、両方作っていってくれました。

三日目には僕もだいぶ良くなって、シャワーを浴び、午後から会社に出ようとかなと思っていたんです。そこへ彼女がやって来て‥‥」

 思いが一気に噴き出した。彼女を抱きしめると、最初は身体をよじって逃げようとしていた彼女も、徐々におとなしくなっていた。

「好きになっていた。ずっと前から。もう我慢できない。そう告白しました。社員に手を出すのはいけないと分かっているけど、好きな人がたまたま社員だっただけ。あとは野となれ山となれという気分でしたね。この機会を逃したら、もう二度とチャンスは訪れない。そんな気持ちで一杯でした」

 無我夢中でキスした。彼女の目尻から細く涙が流れていくのを、きれいだなと思いながら見た記憶があるという。そのままリビングのソファに押し倒した。「だめ」とつぶやく彼女の胸に顔を埋めた。彼女の「女」を感じて、自分の「男」がいきりたつのを感じる。

「『こんなオバサンなのに』と彼女が言った。お互い様だと僕も言いました。好きになるのに年齢なんて関係ない。いくつになっても、最初に女性と交わるときは緊張しますね。どうしたら感じてくれるのか、とにかく一生懸命だった。彼女は非常に感じやすかったと思います」

 そのままの勢いで、彼は彼女に結婚を申し込む。いつまでも待つ、だからいつか離婚してほしいと言った。彼女は、「本当に私なんかでいいの」と何度も尋ねながら、「うれしい」とほほえんだという。

 事はそれから一気に進んだ。もともと離婚を考えていただけあって、春香さんはもう迷わなかった。夫に離婚届けを突き付け、アパートを契約して、娘ふたりと三人で暮らし始めた。

 離婚は成立したものの、夫は春香さんと本当は別れたくなかったんだろう。敏浩さんの会社に乗り込んできたこともある。敏浩さんは、夫を春香さんに会わせなかった。体を張って彼女を守った。

 ようやく同居できるはずだったのに

 ところが、今度は事が停滞するようになった。敏浩さんと春香さんの気持ちは固く結ばれていたが、春香さんが離婚したために、娘たちとの関係がより緊密になり、なかなか会う時間が取れなくなっていったのだ。

「特に下のお嬢さんは、大学受験に失敗してしまって、少し情緒不安定になったんです。上のお嬢さんは大学生なんだけど、キャバクラでアルバイトをしていることがわかったりして、春香自身も気苦労が絶えなかったようです。

僕としては、結婚するのは彼女の状況が落ち着くまで待つつもりでしたが、ふたりでゆっくり会えないというのはつらかった。つい彼女を責めたりしていました。『残業だとか接待だとか、適当なことを言って時間を作ってくれてもいいはずだ』と言ったりして。

彼女はそのたびに『私だってつらいのよ』と言っていました。いっそ、再婚相手だと言って紹介してくれないかと頼んだこともありますが、彼女は頑として娘には会わせてくれなかった。僕は彼女の娘となら仲良くなれると思っていたし、

もう大人と言ってもいい年齢。もっと関係をオープンにしてしまった方がいいと思っていたんです。でも彼女らしてみたら、娘たちを守りたい一心だったんでしょうね」

 敏浩さんは、彼女と、そして望むなら娘たちも自分の家に来てもらってもいいと思っていた。早く再婚して、落ち着いた生活をし、社員たちにも知らせた方がいいと思っていたのだ。それでなくても、社長と春香さんが怪しいという噂が、社内にあるのを知っていたから。

「春香が会社を辞めて、あとで僕らが再婚することがわかれば、それほど問題にはならないはず。その期間は長い方がいいわけです、僕にとっては。春香が会社を辞めてから付き合い始めたことになるのが一番いい。だけど、春香は春香で、娘たちのことがあるから、

再婚はおろか、付き合って行くことさえ躊躇するようになった。いや、気持ちはあっても、実際に時間が取れなかったのかもしれないが」

 それでもこの一年間、ケンカをしたり仲直りしたりしながら、ふたりの関係は続いていった。そして春、春香の次女が大学受験に合格。上の娘は大学四年生になった。

「これをいい機会に、一緒に暮らそうと春香に言ったんです。お嬢さんたちにも会いました。ただ、お嬢さんたちは僕と暮らすことに対して抵抗を示したようです。近くにアパートを借りて、姉妹で暮らしたいと言っていました。それならそれでもいいと、僕がアパートを借りてあげたんです。

うちから歩いて五分くらいのところだから、いくらでも母親に会える。そしてゴールデンウィークには、春香が僕のところに越してくることになっていました」

 春香さんは三月いっぱいで会社を辞めた。年内には、ふたりの再婚を社員たちにも知らせる予定だった。

「ようやく僕にも春が来た。そんな気持ちでした。娘にメールで再婚の予定を知らせると、屈託なく『おめでとう』と。でもそこには『ママも再婚したよ』という一文があったんです。これはショックでしたね。

ひょっとしたら僕と結婚している時から付き合っていたんじゃないかと疑惑がわいて‥‥。娘に問いただしたけど、『私知らない』の一点張り。自分も幸せになろうという時なんだから、元妻の事など気にしなくていいと内心ではわかっているんです。だけど釈然としませんでした」

 もちろん、春香さんにはそんなことは言えない。春香さんが越してくる前の晩、敏浩さんは、遠足前の子供のように嬉しくて眠れなかった。

 翌日、昼には荷物とともに着くはずの春香さん来ない。電話もつながらない。手伝いに行くととう敏浩さんを「疲れているからいいわよ。引っ越し業者に全部頼んだから」と制していたくらいだし、彼女にて抜かりがあるはずはない。

最初は「道が混んでいるんだろう」と思っていたが、だんだん不安になって行く。夕方、不安は頂点に達した。そこへようやく、春香さんから電話がかかってきた。

「もしもしと言っても、何も言わないんです。携帯だから、春香からだということはわかっている。ただ、低い嗚咽だけが漏れてくるんです。『春香だろ、どうしたんだ』と言っても、泣いているだけ。ようやく彼女が発した言葉は『ごめんなさい、やっぱり行けない』でした。いったい何があったのか、どうして来られなくなったのか、いつならこれるのか、いろいろ矢継ぎ早に聞きました」

 だが、電話は唐突に切られた。翌日、春香さんが訪れて来て、ようやくゆっくり話すことができた。

「結局、娘たちが再婚に反対だったんですね。近くにアパートを借りるということでなんか最初は妥協したのだけれど、やはりいざとなると『お母さんと別れて暮らしたくない』と泣かれようで。かといって、今さら母親の恋人と一緒に暮らす気にもなれない。

娘たちは、これからどんどん自立していく。大学に行った次女だって、きっと恋人ができて、親より彼氏の方が良くなるときが来る。そのときはどうするんだと言ったけど、彼女の気持ちは翻らなかった。

おそらく横暴な父親を見てきて、娘たちは男への不信感があるんでしょう。女三人で肩を寄せ合って生きたいから、離れるのが怖いという気持ちもあるんだと思う」

 一緒に暮らさなくてもいい、付き合っていたいという敏浩さんの気持ちも、春香さんは断った。「このままだとあなたにもっと迷惑をかけそうだから」と。

 だが、私は別のことを考えていた、娘と恋人の板挟みになったとき、春香さんは敏浩さんから責められた。親身になってほしい、味方になって欲しいときに責められた。それがもしかしたら、春香さんの気持ちを変えたのではないか、と。

敏浩さんに引っ張られるように「再婚」まで考えてしまったが、本当にこの人でいいのかと立ち止まったとき、春香さんは迷ったのではないだろうか。

 それを敏浩さんに言っていいかどうか最後まで迷った。
「僕は、どうにも女性運がないんでしょうね。自分としては真摯なつもりなんだけど‥‥」
 肩を落とす彼に、やはり私は推測を伝えることはできなかった。

 妻の裏切りを知ったとき

 妻の恋を知らなかったのは自分だけ

 人生と言うのは何が起こるか分からない。自分では順調にいっているつもりでも、水面下で大変なことが起こっている可能性がある。

 島本正哉さん(四十七歳)は、半年ほど前、同じ会社に勤めている妻が、他の男性と付き合っているのを知った。しかも、その男も同じ会社。

「事実を知ったときは地獄でしたね。周りはもっと早くから気づいていて、知らないのは僕だけだった。話自体もショックを受けましたが、自分だけ知らないおめでたさも腹立たしくて。周りからは『妻を寝取られた男』に見えていたんでしょうね」

 言葉の端々に怒りを含めながら、だが何とか冷静さを保とうとしているのが伝わってくる苦しげな口調だった。

 結婚したのは二十八歳のとき。妻は二十六歳で部署は違うが、職場結婚だった。以来、共働きを続けながら、ふたりの子を育て、長女は十八歳、長男は十六歳になった。

「仕事をしながら子育てするのは大変でした。保育園だけではどうにもならず、親戚の大学生やその友達にベビーシッターをしてもらいながら、何とかやってきたという感じです。

それだけに妻との協力態勢は完璧だったし、いろいろなことを話し合いながらやってきた。ふたりの絆は他の夫婦より強いと、僕自身は思っていました」

 妻の美帆さんが恋に落ちたのは、一年と少し前らしい。つまり、正哉さんは半年以上、妻の恋を知らなかったことになる。その間も、妻とは会社の帰りに食事をしたり、クラブ活動に夢中になっている子供たちが合宿でないときはふたりで旅行したりしている。

「妻の恋を知ったのは、同僚からの情報です。同期で仲のいいヤツに飲みに誘われ『噂で聞いただけだから、言いにくいんだけど』と聞かされた。最初はまさかと思ったけど、そいつが単なる噂で僕に言うはずがない。案の定、彼が同僚と飲みに入ったとき、ホテルに入っていく妻と男の姿を見たんだそうです。それ以前から、噂は囁かれていたようです」

 愛の男性である大野さんは、美帆さんと同じ部署で、五歳年下。現在四十歳で、数年前から妻子とは別居中だという。彼が美帆さんのいる部署に異動してきて親しくなった。正哉さんは、大野さんとは同じ部署になったこともなく、顔を知っている程度だ。

「同期の彼からその話を聞いた日、家に帰ると妻は、いつもと同じように『お帰り。飲んできたの?』と明るく迎えてくれた。こいつが本当に浮気しているのか? 何かの間違いじゃないかと思えてならなかった。だけど、すでに相手を特定されている。妻とは、今まで何でも話し合ってきた。

ストレートに聴くのがいちばんと思いながら、その日は言いませんでした。結局、聞いたのは三日くらい経ってから、子供たちが部屋に引き揚げて、リビングでふたりになったとき『大野ことだけど』と切り出しました。

すると妻は虚を突かれて動転したんでしょう。急に表情が固まり、それからいきなり泣き出したんです。そのことが僕にはショックでした。名前を出しただけで泣きだすということは、それだけ妻にとっては本気なんだと思ったから」

 正哉さんは、自分が意地の悪い気持ちになるのを止められなかった。どうして大野さんとそういう関係になったのか、そのとき家庭に対して、自分に対してどんな気持ちを抱いたのか。大野さんのどこが好きなのか。感情を抑えて聞いたつもりだったが、実際には頭の中が沸騰するほど怒りをもっていた。

 「社会的」な言葉ばかり吐く男

美帆さんは、問われるままに、すべてを話した。
「大野は家族と別居中で、寂しかったんでしょうね。もとはといえば。大野の奥さんの浪費癖で家庭が上手く回らなくなってしまったらしい。大野は週末、会社とは別の仕事をしてまで借金を返したそうです。でも、夫婦仲はぎくしゃくしたままで、結局、別居することになってしまった。

奥さんの実家では、なぜか大野が悪者になっていて、子供にも会わせてくれようとしない。そう言う話を聞いた美帆が、同情したのが発端だったようです。だからといって、一線を越えるとはどういうことなんだと僕は怒りましたよ。

すると美帆が、泣きながら、少しだけ恨めしそうに僕を見て、『だって、あなたは私を女として見てくれた?』と言ったんです。もちろん見ていたと言い返しました。でも美帆は納得しなかった。二十年近く夫婦をやって来て、今さらラブラブなんてあり得ない。

だけど僕は僕なりに、妻に愛情表現をしていたつもりです。だから会社帰りにデートしたりしていた。でも、彼女にとって何が不満だったのでしょう。あるいはむしろ、彼女が僕を男として見ていなかったのかもしれない」

その日、ふたりは徹底的に反し合った。お互いの気持ちもさることながら、会社で噂になっている以上、社会人として許されることではないだろうと、正哉さんは指摘した。

「すると美帆は、『あなたはいつもそうよ。そうやって冷静に客観的に分析するのね』と皮肉な言い方をしたんです。僕は何とか冷静に話し合おうとしているだけ。そのオレの気持ちもわからずに、そんなことを言うのかと思ったら、腹が立って、思わず美帆の両肩に手をかけて、

『オマエこそ、オレの気持ちなんか、まったく分かっていないじゃないか。どんなに情けないか、どんなに惨めか解るのか』と乱暴に揺すってしまいました。美帆は僕の手を振り払って、『情けなくて惨めなのね。悲しくはないのね』と。言いがかりみたいなものですよね、それって。

『大野さんは、もっと素直に感情を出してくれるわ。私は愛されている感じがするの』とも言いましたね。何が愛だ、と僕は怒鳴りました。子供たちも大きくなって社会に出していかなくてはいけない責任、仕事を全うしなければいけない責任、日常の家事やいろいろな雑事をこなしていけなければならない責任。家庭は社会なんだ、夫婦は社会なんだ。だから大野みたいに愛だの恋だのなんて言っておられるんだよ、と」

悲しい男の性なのだろうか。妻が浮気したことに対しても、正哉さんの口から出てきたのは「社会的」な言葉ばかりだった。ひとりの男としての感情よりも、夫、父親、会社の人間としての思惑が優先した。

それを妻の美帆さんが寂しく思ったのは、仕方がないのかもしれない。女性はどうしても、社会と個人を分けて考えるものだから。

「僕だって当然、ひとりの男としての怒りはありました。だけど、それを出せば家庭が危うい。自分の感情を素直に出さなかったのは、僕なりの瞬時に計算したからかもしれません。あるいは、感情をストレートに表現することに慣れていないせいもあるでしょうね」

 妻と妻の愛人を目の前にして

 美帆さんは、家庭を大事にしたいという正哉さんの説得を受け入れ、大野さんとは別れると約束した。正哉さんは、そんな妻を信じた。もちろん、心から信じていた。一時の気の迷いだろう、だったら許そうと決意したのだ。

「ぎくしゃくしていましたけど、子供たちに知られてはならないから、ごく普通を装って生活していました。ところが一ヶ月も経たないうちに、土曜日の深夜、妻の携帯にメールが入ったんです。たまたま妻が入浴していて、携帯は充電中でした。テーブルに置かれていた携帯の受信音は鳴りませんでしたが、点滅するのが目に入ったんです。嫌な予感がして、つい携帯を見てしまいました。

案の定、大野からでした。『どうしても寂しいからメールしてしまいました。夜中は音を消しているから大丈夫だと言っていたよね。昨夜はありがとう。久々にきみを抱けて嬉しかった』と。携帯を叩き壊そうかと手を振り上げるところまでいきました」

正哉さんは、一気にスムーズに話しているわけではない。言葉を運び、ときには言葉を切り、ひとくだり終わるとまたしばらく考え込む。そうやって、自分の気持ちをようやく言葉にしている。

 風呂から上がってきた妻に、正哉さんは携帯を突きつけた。美帆さんの顔が蒼白になった。
「昨夜、抱かれたのか、大野に。大野はオマエをどうやって抱くんだ」
 そう言っているうちに、正哉さんは自分の中に、妙な劣情がわき起こって来るのを感じたという。

「他の男に抱かれた妻が、どういう反応をしていたのか。考えると、腹が立つのに下半身が硬くなっている。男って悲しいですよね。そのまま妻を押し倒してしまった。

妻は抵抗していましたけど、最後は黙って受け入れた。美穂の中に入って動きながら、頭の中で大野の顔が浮かぶんです。悔しい、あんな男のどこがいいんだ、と叫んでいたようです」

 切実なまでの、愛が憎しみに変わるギリギリのところでの交わりだったのではないだろうか。終わったとき、正哉さんは、自分が脱皮したかのような虚しさを感じたという。

「好きな女性とひとつになりたいという気持ちでしているセックスではない。かといって、欲望を処理するだけのセックスとも違う。あんな複雑な気持ちで、なおかつ必死でした、こんなセックスはなかった。自分はいったい妻にとって何なのか。そればかり考えるようになりました」

 美帆さんは泣いていた。泣きながら、小さな声で言った。「ごめんなさい。彼の事が本当に好きなの」と。正哉さんは、怒りを通り越して呆れた。夫にそんなことを言うなんて。それとも、夫をいくら傷つけてもいい存在なのか‥‥。オレは泣くわけにはいかないのに、と心で言った。

 妻も大人だ。携帯を取り上げるわけにもいかない。会社に行かせたくないが、それもできない。真実を知らせてくれた同期の友人に相談した。そして、彼が間に入ってくれて、四人で会おうと言うことになった。

 外で会うわけにもいかないので、同期の友人が大野さんを連れて、正哉さんの家に来ることになった。妻の浮気相手を家に入れるのには抵抗があったが、他に思いつく場所もない。

「友人と一緒に、大野はやってきました。妻とどういう打ち合わせをしていたのかは知りませんが、本当にやってきたことに対して、僕は少し驚いたんです。逃げるつもりはないと言うことは、こいつも妻に本気なのか、と。

僕は、心のどこかで恋に落ちるなんていうのは、一時的なものと思っていた。思い込もうとしていた。だから、僕が怒り、美帆が家庭の大切さに気づけば戻ってくると信じていたんです。でも、ことはそんなに簡単ではなかった」

 友人は終始、場を仕切ってくれた。大野さんは別居中とはいえ、お互い家庭がある身。美帆さんの子供たちは、まだ未成年。これから大学受験もあるし、家庭を壊すわけにはいかない。自分たちさえよければいいという考え方は、この際、捨てないか、と。口調は柔らかいが、説得力ある言葉だった。

「大野はずっと黙って聞いていました。そして友人に、言いたいことがあるなら言えといわれて、突然、僕に向かって土下座したんです。『申し訳ない。だけど美帆さんのことは諦めきれない。好きなんです』と。バカ正直なヤツですよね、社内で少し情報収集したところ、大野は出世街道からははずれている。

だけど意外と周りからの評判は悪くない。仕事ができるヤツではないけれど、決して裏切らない誠実なヤツだというイメージなんです。直接、会ってみてまさにそういう感じでした。

そんな場面なのに、部下としてはいいかもしれないなんて、僕は心の中で思っていた。それほど現実感がなかったんですよね。妻の浮気相手に会うということが」

 大野さんの言動に、あっけにとられたと言ってもいいのだろう。妻は正哉さんの隣で目にハンカチを当てたままだ。

「オマエも諦めきれないのか、と美帆に尋ねました。美帆は黙って泣いているだけで、まったく言葉を発しなかった。夫と恋人に挟まれて、妻が何を考えていたか、ちょっと不気味な気がしました」

 いたたまれない気持ちなのだろうが、夫の目の前で愛の宣告をされたことに関しては、ひょっとしたら嬉しかったかもしれない。ずる賢いふたりなら、隠れて関係を続けることもできたはずだ。

 このままでいいはずはないけれど
 結局、ふたりから別れるという言葉は聞けなかった。同期の友人は、「なんとか大野を説得する」と言ってくれたが、大人同士なのだから、誰が何を言っても無駄だろうという気がしたと正哉さんは言う。

「ふたりだけのとき、妻に、離婚して大野とやり直したいかと聞いたら、妻は首を横に振るんです。『家庭は壊したくない』と。だけど、大野とは会うのは辞められないのかと問うと、何も答えない。辞められないということでしょうね。妻に会社を辞めさせようと本気で思いました。

いっそ、洗いざらい全部、上司にぶちまけて、大野を辞めさせる手もある。ただ、それによって僕自身も会社に居づらくなります。全員が路頭に迷う危険性がある。どうしたらいいか解らない。そんな状態がつづいています」

 夫と恋人が面談してか、五ヶ月あまりが経った。同期の友人が労をとってくれたのか、社内での不倫の噂は消えたようだ。

「妻と僕は、表面的上はごく普通に暮らしています。妻は家で携帯を充電しなくなりました。ふたりでデートすることはなくなったけれど、会話がなくなったわけではない。大野と妻が会っているのかどうかはわかりません。

同期の友人にも、『今は何も知らせないでくれ』と言ってあるので、その後の動向はわからない。同じ家にいて、妻の行動が不透明だということは、とても苦しい。今になって、もっと介入して、完全に別れさせればよかったと思うこともある。

今日こそは「大野はどうなっているんだ」と聞いてみようかと思う日もある。だけど結局、何も聞けない。妻とは今も同じ寝室に寝ています。ただ、あれからまったくセックスはないけれど」

 怪訝そうに見つめる私に、一呼吸おいて正哉さんは、絞り出すように言った。

「このままでいいはずがない。わかっているんです。本当は僕も辛くてたまらない。だけど、何かが決定的に変わってしまうのが怖いんです・・・・・」

 揺れ動いて、振り回されて

 妻の妹は元彼女

 女から見ると、ひとりの女性を決められないのは、どこか歯がゆい。妻がいるのに、他の女の間を渡り歩いたり、彼女その一とその二の間で揺れたり…。腹の据わらない男たちが増えているような気がしてならない。

 小川雄介さん(五十歳)の話の大筋を筋を聞いたときも、軟弱で腹の据わらない男と想像した。
「僕は優柔不断なのがいちばんいけないということはわかっている。だけど、妻の妹は、本当に魔性の女なんです」

 二十五歳のとき、雄介さんは十九歳になったばかりの光美さんと知り合った。会社勤めの傍らやっていたバンド活動に興味を持って近づいてきたのが、彼女だった。

「付き合ってはみたものの、彼女は僕を振り回してばかり。彼女は学生だったから、仕事中にやたらと電話をかけて来り、真夜中に『今から来て』と大騒ぎしたり。一年ほど経って、僕が疲れてきたところ、『やっぱりあなたとは付き合えない』と。ぱっさり切られたんです。

厄介で手に負えないところもあったけど、そこが魅力でもあったから、僕はすっかり落ち込みました。そこへ手を差し伸べてくれたのが、彼女の姉の美雪。美雪は、もともと妹の性格を気にしていて、ときどき『秋美が迷惑をかけていませんか』と尋ねてくれるような常識的な女性。秋美にふられて傷ついた僕は、美雪にすがってしまったんです」

 雄介さんより二歳年下だったが、美雪さんはしっかりしていた。一緒にいると落ち着ける。
いつも励ましてくれる美雪さんが天女のように見えた。二十八歳のとき、彼は美雪さんと結婚した。結婚式にも披露宴にも。秋美さんは来なかった。当時、妻子ある男性と付き合っていて、親とも連絡を取らない状況だったらしい。

「あちらの家は、両親も、秋美の一つ違いの弟も、みんな常識的な人なんです。秋美だけが、ひどい言い方ですが、一家の鼻つまみ者という扱いだった。悪い娘じゃない。ただ、奔放すぎたんです」

 ふたりの子に恵まれ、雄介さんは家庭に支えられて、仕事に邁進した。金融関係の会社で順調に出世もしていた。
「自慢するわけじゃないけど、結婚して十九年間、一度も浮気をしたことはありませんでした。妻ともうまくいっていたし、浮気して嘘をついたりしたくなかった。いつも正々堂々と生きたいと思っていたんです」

 そんな順風満帆な生活に石を投げてきたのは、秋美さんだった。二十代の間、何度も行方不明だの駆け落ちだのと騒動を起こしていた秋美さんも、三十歳で結婚し、一女をもうけて穏やかな生活をしていた。ところが、四十歳を過ぎて離婚、八歳の子供を連れて実家に戻ってくる。

「妻の実家から相談を受けました。直接、秋美と話してくれと言われたんですよ。そのとき、妻がちょっと複雑な顔したんです。だから妻には『昔のことは忘れてほしい。

僕がどんなに家庭を大事に思っているかは、きみがいちばん知っているだろう』と言いました。美雪は『あなたの事は信じている。だけど妹なのに、私は秋美が怖いのよ、女として』と。その言葉は妙に印象に残っています」

 儀妹との濃密な関係

 それでも、雄介さんは義兄として、そして両親の名代として秋美さんとふたりで会うことにした。家族には話せない事情や心情を聞いてあげたかったからだ。その時点では、本当の昔の仲のことなどまったく意に介しなかったとう。むしろ、妻の美雪さんのためにも、秋美さんの将来の事などを具体的に話し合いたかっただけだった。

「居酒屋のようなところで会いました。彼女は相変わらず派手な美人で、とても四十歳を過ぎた子持ちのバツイチなんていうふうには見えない。実家に戻ってからは、朝から晩まで飲食店を二つ掛け持ちでして働いていました。根は働き者で、決して悪い子じゃないんですよ。

そのときも、娘のことを考えると、いつまでも掛け持ちで仕事をしているわけにもいかないけど、事務職なんて向いていないしと、あっけらかんと言っていました。何か資格を取ってみたらどうか、やってみたい仕事はないのか、いろいろ尋ねたんですが、『お金があれば、小さな小料理屋でもやりたいけどね』と笑っている。

本人があまり深刻でないから、ついこっちも気が緩んで、世間話に花を咲かせました。彼女は勧め上手で、気づいたときは僕もすっかり酔っていて。さらに気づいたら、ホテルに連れ込まれていたんです」

 話が飛躍しすぎだ。いくら何でも「気づいたらホテル」はないだろう。だが、彼はそこを強調した・

「僕が行こうと誘ったわけではないんです。絶対に、かなりいい気分になって、ふっと記憶が途切れていて、気づいたらホテルにいた。しかも彼女の愛撫されていた。焦りましたよ。思わず彼女を突き飛ばした。

そうしたら、彼女、僕をじっと見つめて、大粒の涙をぽろぽろとこぼしたんです。僕は、後にも先にも、あんなに大きな涙の粒を見たこともない。身をよじって、苦しげに涙をこぼす彼女を見て、なんだか不憫になってしまったんです」

 奔放で明るい儀妹、何があってもめげずに逞しく生きてきたように見えた儀妹が、元彼女として、雄介さんの心の中にくっきりと姿を現した瞬間だった。

「あの状況で、彼女をそのままにして帰れる男はいないんじゃないでしょうか。彼女だって、どこか頼れるところが欲しかったはずです。両親もきょうだいにも、どこか疎まれながら生きて来て、今は僕しか頼れないんだろうな。そう思ったら、やっぱり振り捨てることはできませんでした」

 振り捨てることが出来ないのとセックスしてしまうこととは、一致しないような気もするが、そのときの雄介さんの中にはイコールだった。そっと秋美を抱きしめると、彼女は震えていた。ますます不憫になる。

「怨みとは言わないけれど、ふたりきりでベッドにいると、昔の事を思い出されました。かつて振り回された、じゃじゃ馬娘を、今なら征服できる。そんな気がしたのも事実です。しかもセックスしてみたら、物凄く相性が良かったんです。

いろいろ複雑な思いもあったせいもあるかも知れないけれど、興奮もしたし、実際、相性もよかった。かつてはそう思わなかったから、彼女はいろいろな男と付き合うことで、開花していったのかもしれません。そう思うと、それはそれでまた腹立たしいような狂おしいような、妙な気持ちになりました」

 何とも言えないような複雑な感情を抱えながらも、快楽に酔っていく雄介さん対して、秋美さんは、ただひたすら自分の快楽に埋没しているように見えたという。

「それがまた、男から見ると可愛かったりするんです。自分を全部明け渡してくるということは、それだけ僕を信用しているんだろうと思えるから。それが彼女の罠だったのか、あるいは素なのかはわかりません。僕は、素だと思っています。だから魔性なんです」

 その日は、次の約束などは何もないまま帰った。秋美さんはにこにこしながら、手を振って別れていった。翌朝、雄介さんは大きな後悔に襲われる。

「なんてことをしてしまったのか。相手は妻の妹です。妻ともあまりにも顔も性格も違うし、それまでほとんど実家に寄り着かなかったから、どうも秋美が妻の妹だという実感がないんですよね。いや、それは言い過ぎかもしれませんけど。

とにかく、二日酔いでひどい頭痛と吐き気を抱えながら、やばいやばいと思っていました。秋美に口止めするべきか、いくらなんでも秋美だって、そう簡単に僕と関係したなどとは言わないだろう。いろいろ考えて、夕方にはぐったりとしていました」

 雄介さん一家は、妻の実家から二駅ほど離れた場所に住んでいた。いつ秋美さんがやってくるかもしれない。雄介さんは恐怖におののきながら暮らしていた。

「二週間ほど経ったころ、秋美から夕方、携帯に電話がかかってきて『ねえ、雄ちゃん、相談に乗って欲しいことがあるの』と。僕を雄ちゃんなんて呼ぶのは、彼女だけです。昔と同じ声で。同じ呼び方をする。それでまた、ふらふらと出かけてしまったんです」

 二度目は「気づいたらホテルではなかった。「彼女の催眠術のような瞳に誘惑されて」とは言うものの、確信犯だったことは確実だ。ふたりはまた、ホテルに行く。

「やっぱり相性がいいんですよね。美雪はあまりセックスが好きな方ではなかったから、濃厚なことはしなかったんですが、秋美はとにかく濃厚な行為が好き。オーラルセックスだって、相当長い時間やってくれる。それがまた、気が入っているというかうまいというか‥‥」

 そこまで言って、夕方の喫茶店に相応しくないと思ったのか、雄介さんは口をつぐんだ。真面目に生きてきた男が、濃厚なセックスに目覚めてしまうと、そう簡単に関係を断ち切れない。

「でも、もちろん妻には内緒にしましたよ。二度目に会ったとき、秋美にも念を押しました。美雪にばれたら、ふたりともおしまいだからと。でもそれからは、僕と秋美が共犯関係を結んだ瞬間なんですよね。これからもこの関係を続けて行こうと言ったも同然になったんです」

 連絡はいつも秋美さんから唐突にやってきた。雄介さんも、どんなに無理しても会った。本音は会いたかったからだ。それでも、自分からは連絡を取らなかったのは、心のどこかで「向こうが会いたいというから会っている」という言い訳が必要だからだ。常に妻の顔色をうかがっている自分がいる。

 断ち切りたい思い

 そうやって、二年半が過ぎた。秋美さんは、調理師の免許をとって、ランチの仕事がメインの飲食店に就職した。盛り付けや調理の手伝いなどもできる。骨身を惜しまず働くので、店からは絶大な信頼を得ている。

「ところが今年になってから、秋美が突然、連絡を寄越さなくなったんです。あれほど会いたい会いたいと言っていたのに、一ヶ月も連絡が来ない。これが潮時なんだと思いながらも、僕は悶々としていました。昔の奔放さを残しながらも、少しずつ落ち着いてきた彼女を、僕は昔よりずっと好きになっていたと、初めて気づいたんです。

一ヶ月半たったころで、ついに僕ら連絡しました。彼女は電話口であっけからんと、『あ、雄ちゃん。もうお姉ちゃんにも悪いから。雄ちゃんを家庭に帰そうと思ってさ』って。『オレたちの関係は、そんな浅いものだったのか』とつい言ってしまった。

『だって、しょせん、雄ちゃんはお姉ちゃんのダンナさんでしょう? 始まりがあれば終わりがあるんだし、泥沼にならないうちに終わった方がいいんじゃない?』と彼女は言いました。

確かにその通りなんです。だけど、あまりにあっさりしているから、おかしいと思いました。彼女は奔放だけど、自分が好きになった男には一途になるはず。これは別に好きな男ができたに違いないと思いました」

 雄介さんは、そこから異常行動に出る。夜になると、秋美さんの店の近くで彼女を張るようになったのだ。彼女は、夜は下ごしらえを手伝うだけで、八時に店を後にする。

 彼は仕事を終えてからの秋美さんの後を追った。秋美さんは、まっすぐに帰る日もあれば、女友達にあうこともあった。そして十日目に、ついに秋美さんが、男とレストランで食事をしている現場を目撃するのだ。

「現場を押さえようと思いました。でも、ただの男友だちと言われたらそれっきり。だから待ちました。ひたすら待っていたら、ふたりが出てきた。ほろ酔いで、秋美は男に腕をからませて。かっとしましたね。そのままふたりは少し離れたホテル街に法へ歩き始めたんで」

 少し間隔をあけて追った。秋美さんの性格上、まわりをきょろきょろ気にはしないだろうと雄介さんは思っていた。ふたりはいちゃつきながら、とあるラブホテルに入っていこうとする。

「そこでもう我慢ができなかった。走って行って、『何やってんだ』と秋美の腕をつかみました。彼女は私を見るなり『関係ないでしょう』と振りほどこうとする。そうこうしているうちに、トラブルに巻き込まれたくないと思った男が、逃げそうになったんです。『逃げるな』と彼は追っかけて殴りつけました。

止めに入った秋美のことも殴ってしまった。周りが騒ぎ出して、『警察を呼んだ方が』という声が聞こえたので、僕はあわてて逃げました。彼女たちも逃げたようです」

 翌日、妻が心配そうに言ったという。「秋美に恋人ができたらしいけど、どうやら彼に殴られたみたいなの」と。雄介さんは何も言えなかった。

「あれから数ヶ月経ちますが、彼女はそれっきり。どうやら、あのときの男とはわかれたみたいです。僕はそれでも、秋美を忘れられなくて、ずっとつらくてたまらなかった。つい先日、どうしても妻の実家に行かざるを得ない用があったんです。

秋美がいないことを願っていたけど、玄関を開けてくれたのは彼女だった。ますます色っぽくなって、元気そうで。『いらっしゃい。お義兄さん、ご無沙汰しています』と言われたときは、どきっとしました。彼女は入れ替わり出かけたんですが、出るとき、僕の顔を見て、誰にもわからないようにウインクしていくんです。どこまで人の気持ちを弄んだら気がすむのか‥‥」

 断ち切りがたい秋美さんへの思いが、言葉の端々からうかがえる。何も知らない妻の美雪さんが、とても不憫に思える。僕は自分の感情にばかり目が行って、この半年くらい、ほとんど妻の事を考えていなかった。

それでも、正直に言うと、やはり今も秋美のことばかり考えてしまう。万が一、秋美から何か言って来ても二度と会うまいという気持ちがある一方で、好きだという思いも湧きおこってくる。本当に、我ながらバカだと思います」
 苦しそうにつぶやいた最後の一言。恋とは「馬鹿になってしまうこと」なのかもしれない。
 つづく 第六章 恋に入り込むほど、無防備

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。