娘のような若い女性との出会い
結婚していても、ときとして、人は心惹かれる異性に出会ってしまう。いけないと思いながらも、関係を断てない。それを妻から非難されたとき、瀧本庸二さん(四十九歳)は反発した。
「好きになってしまったものは、しょうがないだろう」
この言葉が、妻の心を傷つけた。
「わかっていました。妻を傷つけたことは。だけどあの時の私は、相手の女性を本当に好きになっていて、もう引き返せない状態だったんです」
庸二さんが結婚したのは、二十九歳のとき。相手は二歳年下の幸子さん。職場で知り合い、明るい幸子さんに引っ張られるようにして結婚した。当時は、男は結婚して一人前という風潮も強かった。職場は堅い金融関係だったので、暗黙の了解で幸子さんは結婚退職。
子どもが欲しかったが、なぜかできない。原因も分らない。幸子さんはパートで働きながら、三十三歳のときから不妊治療を始めた。
「五年くらいがんばりましたが、やはり子供はできなかった。もういい、別の生き方をしようと言ったとき、
妻は身を捩(よじ)って泣いていました」
庸二さんの妹には、四人の子供がいる。幸子さんは、儀妹とも仲良くしていて、いつも「どうして私に子宝に恵まれないのかしら」と嘆いていた。
「妻が、不憫でね。原因が分からない以上、どうしようもない。妻は妹に『自分が悪い』と言っていたそうです」
妻の気持ちを和らげようと、生まれたばかりの仔犬を飼った。妻は「育児」に夢中になった。可愛くてもう一匹飼った。犬を中心にして、夫婦も穏やかに和やかに暮らしていけるはずだった。
だが、庸二さんが四十四歳のとき、思いがけない出会いがあった。小学生のころに近所に住んでいた由里子さんとの偶然の再会だ。
「三十年以上会っていなかったから、奇跡の再会です。私は実家が千葉県なんですが、あるとき、実家の両親の様子を見に行ったら、私の同い年くらいの女性と、若い女性が来ていた。
それが由里子さんと、娘の愛ちゃんだった。彼女の両親とうちの両親は、彼女の家の引っ越し後も交流があったらしいんですよ。電話や手紙が主で、会うのは数年に一度くらいのものだったらしいけど。私はそんなこと全然知りませんでした」
由里子さんのお父さんが亡くなり、彼女はその報告に、庸二さんの両親のもとを訪れていたのだという。
「それでも不思議なもので、由里子という名前を聞いたとき、すぐに分かりましたよ。子供の頃の顔も思い出せた。『変わっていないね』って同時に大笑いでした。しかも娘の愛ちゃんが、当時の由里子さんにそっくりでね」
由里子さんは二十歳で結婚、子供のひとりもうけたものの離婚。女手ひとりで子どもを育てたという。
「私はそのとき、車で行っていたから、帰りに由里子さんと愛ちゃんを乗せて東京に戻ったんです。車内で、そんな身の上話を聞きました。愛ちゃんは、すでに二十四歳。『うちの母は、できちゃった結婚だったんですよ。
若すぎる結婚はどうかなあと思いますね』と笑っていました。すばすば言うけど嫌味がなくて、利発な感じがしました。奨学金をもらいながら大学を出て、食品関係のかいしゃでばりばり働いていると聞きました」
愛さんの会社は、庸二さんの会社から歩いて十分ほど。これも偶然だった。
「『今度、ランチでご馳走してください』と愛ちゃんは明るく言っていました。『いつでもいいよ』と、私もうきうきしながら答えました。男である私の年齢からすると、少々、大きすぎるけど、娘がいたら、こんな感じなのかなんて楽しんでいました。
数日後、由里子さんから電話で『うちの娘は父親を知らないから心配で。何かあったら相談に乗ってやってください』と言われました」
捨て身の女が持つ迫力
愛さんは、一週間も経たないうちに会社に電話をかけてきた。その日のランチをともにする。
「二十四歳にもなるのに、まだ男性と付き合ったことがない。男はどこか信じられない、と。『母には言えませんけどね。母に責任があるわけじゃないから』って。いい子に育ったんだなあと思いました。『今度、大人が飲むようなところに連れて行ってください』と言われ、その日は別れました」
庸二さんは、実家で昔の知り合いに会ったことは妻の幸子さんに言った。だが、愛ちゃんと会ってランチをしたことは、一言も告げていない。
「若い女性とランチなんて、別にどうということはないんだけど、なんだか言えなかったんです。愛ちゃんに下心があったわけではない。ただ、うっかり妻に『娘がいたら、あんな感じかなあ』なんて言いそうで怖かったんです」
その後、愛ちゃんとはたまに夕食をともにしたり、お酒を飲み行ったりした。あるとき、カウンターバーでお酒を飲んでいると、愛さんが庸二さんの目を見据えて言った。
「私、瀧本さんに会っていることを、母には言っていないんです。ランチのときは言えたんだけど、それ以後は何も報告していません。なぜか言えないんです」
それは、愛さんの無意識の愛情表現だったのかもしれない。当然、庸二さんはそんなことに気づかない。
「大人なんだから、言わなくたっていいさ、と受け流しました。次に会ったとき、彼女の様子がおかしかったんですよ。いつもり快活さがなくて。仕事で何かあったのか、体調が悪いのか尋ねても上の空。帰ろうと言うと『お願いがあるんです』と言う。
その日はホテルのレストランで食事をしていたんですが、愛ちゃんがテーブルの上に、突然、部屋のカードキーを置いたんです。『先に行っています』と言うなり、彼女はレストランを出て行ってしまった。残された私はどうしたらいいのか、本当に悩みました」
身動きがとれなかった。だが、庸二さんはそのまま去ることもできなかった。
「彼女がどういう意図で部屋を取ったのか分かりません。いざとなっても、何もしない自信もあった。相手は娘のような女の子ですから。説得して帰そうと考え、部屋に行きました」
カードキーで勝手にドアーを開けるわけにはいかない。部屋のチャイムを鳴らすと、愛ちゃんがドアを開けた。
「大人っぽい黒のドレスを着ていました。『素敵だなあ。その格好で、バーへ行こうか』と言うと、彼女は『脱がせてください』と。どうやってかわすべきか。ここは嫌われても説教オヤジになるしかないと思った。『愛ちゃんは、これからの人だ。同い年代の男性と、素敵な恋をしなさい』と言いました。
すると彼女、正面から抱きついてきたんです。濃厚な香水の香りに一瞬、頭がクラっとしました。それに、思いがけなく弾力のある胸が私の身体に当たって、私は彼女を突き放すことができなかった」
愛さんが庸二さんの手を、自分の胸に誘った。いけないと思っているのに、その「捨て身の女が持つ迫力」に、庸二さんの意思とは関係なく、身体が反応してしまう。
「恥ずかしい話ですが、久々に痛いくらい勃起してしまって。彼女は素早く私の下半身に手を当て、『お願い。してください』と泣きそうな声で言うんです。『母には言いません。誰にも言わない。
どうしても最初は瀧本さんにして欲しいんです』と。最後はもう、どうにでもなれという気持ちでしたね。今はとにかく、彼女の願いを聞き届けなければいけないんじゃないかとさえ思った」
セックスに自信はなかったが、宝物を扱うように彼女の身体を丁寧に愛撫した。自分の快感は求めない。静かにゆっくりと、彼女が「男なんか嫌いだ、セックスなんて嫌い」と思わずにすむように、必死で頑張った。
すべてが終わっとき、愛ちゃんは静かに泣いていた。痛かったのか、怖かったのか。庸二さんは気を遣った。
「嬉しかった、と彼女は一言。ほっとしました。正直言って、私は彼女の肉体に執着してしまいそうな自分を感じていた。だけど、それだけはいけない。次に会う約束もせずに、その日は別れました」
次の日、気になって彼女の携帯に当たり障りないメールを送った。彼女も、「元気です。ありがとう」とさりげないメールを送ってきた。時間が経てば、また娘みたいに飲みに行ける日が来るだろうと、庸二さんは気持ちを切り替えた。
だが一週間後、また愛さんに誘われた。食事だけのつもりが、また関係をもってしまう。二回が三回になり、会うたびにセックスするのが当然のようになった。彼女の身体は、あっという間に庸二さんの身体に馴染み、さらにどんどん快感が開発されていく。庸二さんも、彼女を感じさせることに夢中になった。
三ヶ月もしないうちに、愛さんはひとり暮らしを始めた。母親の由里子さんに「恋人でもできたのかしら。娘は何も言わないんだけど聞いていない?」と電話で言われたときも、瀧本さんは答えようがなかった。「今度、聞いておくよ」としか言えなかった。だれもかれをも裏切っている。わかっていたが、愛さんと会うのを辞められなかった。
事実を知った妻、そして後悔だけが‥‥
愛さんのアパートに泊まってしまうことも、少なからずあった。妻が夫の異変に気付かないわけがない。
「あるとき、妻に『愛っていう若い女は誰なの』と突然、言われた。何も考えていなかったから、答えられなくて。『私を裏切ったのね。私の気持ちなんて、何にも考えていないんでしょ。自分さえよければいいんでしょう!』と妻にわめかれて、つい言ってしまったんです。『好きになってしまったものは、しょうがないだろう』と。
酷いことを言ったと思います。妻はいきり立って、あらゆるものを私に投げつけてきました。最後には包丁まで飛んできたんです。そのまま愛ちゃんのアパートに逃げました」
妻はとっくに住所を突き止めていた。夫を追って、愛さんのアパートへやってきた。
「愛ちゃんと妻を戦わせるわけにはいかない。『愛ちゃんを危険な目に遭わせたくないから、今日は帰る。でも、俺はきみを裏切らないから』と必死で言い聞かせました。そんな状態になっても、私は愛ちゃんに対しては、どこか父親みたいな気持ちでいたんです」
性的な関係を持ちながら父親的な気持ちというのは、どうも解せない。それは愛ちゃんを他の男には渡したくないという独占欲だったのではないだろうか。そのほうがずっと納得がいく。
「ああ、そうかもしれません。だけど、当時の私は、男としての気持ちと、父親的な気持ちの間で揺れていたかだと思う。由里子さんの手前もあるし、あちこちに嘘をついていたから。自分がいちばん追い詰められていくことがわかっていなかったんです」
妻と愛人の板挟みにあって、庸二さんは心身とも疲弊していった。残業と偽って愛さんの部屋に寄り、帰りに妻の好きなものを買って帰ってご機嫌を取るような日々が続いたという。
「一度、愛ちゃんが妊娠したかもしれないと言ったときは、どきっとしましたね。避妊はしていたけど、遅れたことのない生理が遅れているという。
『子供が出来たら、結婚しよう』と言いました。そのときはさすがに覚悟したんです。今までの預金は妻に渡して別れてもらおうと。結局、愛ちゃんは妊娠していなかったけど」
そんな生活が一年ほど続いたとき、妻が突然、倒れた。庸二さんが愛ちゃんのアパートに寄り、甘い時間を過ごして帰ると、妻が家の中で倒れていた。
「脳梗塞でした、すぐに救急車を呼んで病院に運びました。手術、リハビリなどで三ヶ月ほど入院したんですが、結局、麻痺が残ってしまった。私がもっと早く帰って発見していたら、妻は治ったかもしれない。ずっとそう思って責任を感じていました」
愛さんには正直話しました。自分がいかに妻を苦しめてきたか、そしていかに愛さんに辛い思いをさせてきたか。このままだともっとみんなが不幸になる。もう別れるしかない、と。
「愛ちゃんはずっと泣いていました。だけど最後には、『私が奥さんをそんな目に遭わせたんですね。分かりました』と。その後、妻はリハビリ専門病院に転院したんです。私は仕事があるから、どうしても病院に行くのが夜近くなる。
あるとき、看護婦さんから『親戚のお嬢さんが来ていらっしゃるからいいですね』と言われたんです。ぴんと来ました、愛ちゃんです。ある日、会社を休んで昼から病室にいると、愛ちゃんがやってきました。妻が愛ちゃんをみて、『洋子ちゃん』と笑っている。
妻は少し、脳の障害も残っていて、愛ちゃんを私の妹の子だと思い込んでいたようです。愛ちゃんは、会社を休職して、妻に尽くしてくれたんです。
だけどいつかは妻にそのことを認識したら、よけい傷つく結果になる。愛ちゃんの気持ちは有り難かったけれど、そういう形で表現するのは間違っていると言い聞かせました」
そして愛ちゃん去って行った。由里子さんからの連絡によれば、半年ほど前、同い年の男性と結婚したという。
幸子さんは、今も右半身が不自由だ。だが、行動には時間がかかるが、自分の事くらいは自分でできるようになった。幸か不幸か、愛さんのことはよく覚えていないらしい。
「妻は私の顔を見て、幼女のように笑みを浮かべる。あのことはもう、思い出さないほうがいいのかもしれない。妻が倒れたのは、彼女自身を守るための手段だったかもしれないという気さえするんです。そこまで心身ともに追い詰めたのは私ですから、一生、妻を守って生きていくしかないんですが」
追い詰められて若い女性に手を出し、恋にはまっていった庸二さん。引き時を見失ったことが原因か、はたまたひとりに決める覚悟がつかなかったのがいけないのか。いずれにしても、後悔先に立たずだ。
「妻があの事を思い出さないほうがいいのは確かだけど、妻は私との夫婦生活の記憶もほとんどないらしい。それが切ないです」
泥沼の深みに
不倫、そして再婚
ある日、私のホームページを経由して、「とになく惑っています」という男性からのメールをいただいた。
首都圏に住む小沢憲明さん(五十歳)がその人。メールのやりとりして会うことになった。
待ち合わせ場所に行くと。憲明さんはすでに来ていたが、その左手は包帯がぐるぐる巻きになっている。挨拶もそこそこに、「どうしたんですか、その手」と訊くと、「妻に刺されたんです」と物騒な答え。いろいろ訳ありな人生を送ってきた人のようだ。
憲明さんは、社員二十名ほどの機械関係の小さな会社の専務をしている。家族経営の会社に落ち着くまでに、実に十数回、転職を繰り返してたとか。
「自分が何に向いているか分からなくて。ひどいときには一日で会社を辞めたこともあります。二十八歳で結婚したときも、結婚式の翌日に辞表をだしちゃって。かみさんも、よく我慢してくれましたよね」
度重なる転職は、彼が気難しいというより、「とにかく自分に合った仕事をしたい」という意欲の表れだったのかもしれない。あるいは「自分を認めてくる人と出会いたかった」という欲求か。三十二歳で今の会社に入ると、めきめき頭角を現していく。五年も経ったときには、社長の右腕として信頼されるようになっていった。
「仕事が面白かったですね。同時に、いろんなエネルギーが高まっていて、女性とも‥‥。浮気といえば浮気なんだけど、本気といえば本気だ」
女性関係の話になると、少し口が重くなった。だが、私は構わず話を進めていくことにする。
「ええ、三十七歳のときですね、離婚したのは。八歳と六歳の子供がいたのに、どうしても一緒になりたいという女性ができてしまった。彼女は当時三十四歳で、仕事で知り合ったんです。彼女にも家庭がありました。
お互いの家庭を大事にしようと言いながら、秘密で三年ほどつき合っていたんですが、先に音を上げたのは私でした。かみさんが悪いわけじゃないから、ほとんど全てを渡して、私が身ひとつで家を出ました。社長に訳を言って、アパートを借りてもらったり、給料を前借りしたりしましたね」
彼女だった靖惠さんも離婚した。靖惠さんは子供がいなかったから、離婚もそれほど揉めなかったという。
「不倫期間が長かったから、靖惠は結婚したとき号泣していました。これで、正々堂々と大手を振って歩ける。と。私は単純に、彼女と一緒になりたいと思っていたから一緒になった。
だけど、彼女の方は『不倫』という呪縛から逃れられたことをいちばん喜んでいた。どこか温度差みたいなものは感じたんですよ。ただ、女性はそういう考え方をするものなのかなと思っていました」
二年後、双子が誕生。家庭はにぎやかになり、同時に彼は、靖惠さんを女性として見られなくなっていく。
「靖惠はとても色っぽい女だったんです、私から見ると。しっかりしたところもあるけど、とても弱いところあって、いつも素直に自分を表現してくれた。私にはそういう彼女が、本当に素敵に見えたんです。子供が出来て、彼女は変わりました。わかりますよ、私も前に結婚していて子供もいたのだから。
女性は子供が出来れば、母になる。ただ、前のかみさんにはそれが許せたのに、靖惠が母になるのは、どこか我慢ができなかった。より強く、彼女に『女性』を感じていたからでしょうね。『母性』一返倒になっていく彼女が、どこか疎ましく感じられたんです」
とはいえ、彼も父親になったわけだから、必死に「いい父親」になろうとした。双子は男の子。三歳になると、やんちゃ盛りとなる。
「本当にかわいかった。前の結婚では娘ふたりだったので、男の子はまた違った可愛さがあるんだなあと思いました。子供を通して、靖惠とも、本当の夫婦になれたような気がしたんです」
子供たちを保育園に預け、靖惠さんも働いていたら、ふたりで協力し合って子供を育てた。夫婦の連帯もどんどん強まっていく。
「靖惠を愛している。その気持ちは強かった。だけどセックスをする気にはなれないんです。人として愛していたけど、女ではなくなってしまったのかな。とにかく本能が刺激されないんです。靖惠はよく、私のベッドに潜り込んできました。私も彼女を抱きしめる。だけど、その先に行く気になれない。
靖惠が声も立てずに泣いたこともあります。母としては満たされていたでしょうけど、妻として女としては寂しかったんでしょうね。私も分っているのに、どうしてもその気になれない。自分が変わればいいんだと思って、靖惠に内緒でカウンセリングに通ったこともあります。それでも気持ちを変えることはできなかった」
憲明さん自身、本気で苦しんだという。妻が悶々としているのをわかっていながら、その気になれない自分を呪った。妻の顔を見ずに、もうそう逞しくして、何とか頑張ってみたこともある。だが、結局は妻の中に入ってはいけなかった。萎えてしまうのだそうだ。
「その気になれないとは言えないから、最近、仕事が忙しいからとか、体力がなくなったとか、調子が悪いとか、いろんな理由をつけました。妻は解っていたはずですが、だんだん諦めの境地に達していったのでしょうか、何も言わなくなりました。
欲求を見せることもなくなっていった。私はほっとすると同時に、靖惠のほうも、私を男として見なくなったのかもしれないと思ってショックでした。勝手だけど」
肌の合う相手に惚れこんで
今から三年前、彼は行きつけのバーで、理津子さん(二十七歳)に出会う。そして、娘ほども年が離れた理津子さんに、惚れこんでしまうのだ。
「半年間、口説きに口説きました。なぜか理津子には、初対面から妙な親しみを覚えていて。私は前世なんか信じていないけど、きっと前世では恋人同士だったに違いないと思うほど。デートを重ねていくうち、彼女の方も心を開いてくれたものの、なかなか男女の関係になれませんでした。
当然ですよね、年齢だけでなくて、私には家庭がある。彼女はしっかりした女性で『私は幸せになりたいの。あなたは私を幸せにできる立場にない』ときっぱり言いました。
それで、『今は無理だけど、三年後には必ず幸せにできる立場になる』と言いてしましたんです。理津子は、その晩、私を部屋に入れてくれました。本当は彼女も『運命』みたいなものを感じていたと言うんです。
だけど、遊ばれるのは嫌だから、関係は持たないようにしていたと。『でも今日はあなたの言葉には嘘がないと思った。信じているわ』と、彼女は私に抱きつきながら言ったんです」
なぜ三年なのかは、憲明さん自身もわからいという。ただ、気づいたら「三年後には結婚する」と確約してしまっていた。理津子さんは、ちょうど仕事が面白くなってきたところだし。結婚するなら三十歳くらいでいいと思っていたので、彼の言葉を受け入れたらしい。
「肌が合うというのは、ああいうことを言うんでしょう。最初から、お互い感じまくりました。私はその頃、いつも自分で処理していて、久しぶりに女性に触れたせいもあったのか、最初はすぐに終わってしまった。だけど、十分も経たないうちに回復して、二回目は時間をかけてゆっくりと堪能しました。
でも、二回目で解りましたよ。早く終わったのは、私が久しぶりのせいではなかっただけでなく彼女の中が素晴らしかったからだと。これは相性なんでしょうね。生々しい話ですが、入れると吸いつかれるような感じなんです。
後で聞いたら、彼女の方も自分が私のアレを吸いついているような、自然と締め付けているような感じがしたと言っていました。まれに見るすごい相性なんだと思います」
彼は、何か重要な問題を分析するかのように真面目な口調で言った。セックスの相性というのは、あるようでないようなものだが、やはりまれに常軌を逸してしまう相性があるらしい。昭和初期の、男のペニスを切り取った事件の有名な阿部定と相手の吉蔵がそうであったと事件調書に書かれている。
「あまりに相性が合うこと怖くなるんです。いつかは飽きると思うけど、一年経っても飽きない。それどころかますます良くなる」
そのころ、妻の靖惠さんは、当然、夫の変化に気づいていた。週末になると、子供たちと一緒に遊ばせようと仕向けている。「ほら、今日はお父さんとキャッチボールするんでしょ」「今日はお父さんに動物園に連れて行ってもらうんでしょ」といった具合だ。
妻に疑われているのはわかっていた。子供を出しに使って、家に夫をとどめようとする妻の哀しいも実感していた。それなのに、憲明さんは、土曜日の夜、理津子さんの部屋にむかったりした。
「とにかく。理津子とつながっていたかった。あんなに切羽詰まった気持ちは初めてです。私はもともとセックスは好きじゃなかったけど、セックスしなければ自分が立っていられないような気分になったのは初めてですね」
壊れていく妻
二年目に入ったくらいから落ち着いてきたが、それでも時間があれば理津子さんの部屋に向かった。
ある日、とうとう靖惠さんが口火を切った。
「穴のあくほど私を見つめて、『もともと不倫で始まった関係だもの。いつかあなたは誰かに取られるかもしれないと思っていた。だけど、私はすべてを捨ててあなたと一緒になったのよ。それも、もとはといえば、あなたがあれほど口説いたからじゃない』と静かに言ったんです。
目に涙が一杯たまっていて、でも必死にあふれるのをがまんしている。それを見たとき、胸を衝かれました。自分がどれほど靖惠を傷つけてきたか、そして今また傷付けているのか。それでも私は馬鹿なんでしょう。理津子の部屋に行くのを止められなかった」
靖惠さんは、憲明さんがどんなに遅く帰ろうと何も言わなかった。逆に、深夜に帰ると「お腹すいていない?」とお茶漬けを作ってくれたりもする。その優しさに、彼はますますつけ込んでいった。
「週末、理津子と温泉に行ったりもしていた。仕事が忙しくなると、より会社に近い理津子さんの部屋に泊まりこんだこともあった。それでも靖惠は何も言いませんでした。よほど強い意志で、私が帰ってくるのを待つと決めたんでしょう。不倫から始まった関係だからこそ、妻は妻の意地があったんだと思います」
理津子さんに、三年経ったら幸せにできる立場になっていると断言したことを。憲明さんは忘れていなかった。三年まであと半年と迫ったつい最近、憲明さんは靖惠さんに、土下座した。
「好きな女ができた。別れてほしい」
すると靖惠さんが、いきなり包丁を持ち出して切りつけたのだという。肘から手首のあたりまで、ざっくりと切れた。あふれる血を見ながら、靖惠さんは冷静に言った。
「誰にも渡さない」
その話をしたとき、憲明さんの唇が震えていた。よほど怖かったのだろう。
「救急車を呼んで病院に行ました。ひょっとしたら、神経をやられて元のように手を使えなくなるかもしれないと言われています。私は自分がやったと言いましたけど、妻の様子がおかしかったせいか、病院から警察に連絡が入ってしまったようなんです。結局、夫婦げんかで、手がすべって刺したということにしました。恥ずかしかったけれど」
だが、その後、靖惠さんは変わった。笑顔が消え、帰宅したら憲明さんにお茶漬けを作ることもなくなった。
「乱暴になりましたね。いきなり妻に頬を張られたこともあります。『子供たちがどうなってもいいのね』と言い出したりもする。『どうなるってどういう意味だ?』と尋ねたら『私、子供たちも連れてあの世に行くわ』って。無理にでも離婚するつもりでしたけど、それを聞いてから急に怖くなって。
靖惠なら、本当にやりかねませんから。子供を人質にとるつもりなら、私が子どもを連れて理津子と一緒になってもいいと思っていたんです。そうしたら、理津子が『私は自分の子を生みたいの。前の奥さんの子供がいて自分の子ができたら、きっと前の奥さんの子供たちを疎んじてしまう。それが怖い』って。どちらにも安心して子供置いておけない」
静かな日常の裏で
三人三様に妙に緊張感を持ち続けた状態で、今は不思議なバランスが保たれているという。
憲明さんは、週に三回は会社帰りに理津子さんの部屋に寄る。たまに泊まることもある。週末はなるべく自宅にいるようにしている。妻は淡々と過ごしているようだが、何かあると突然、ぎらりと目を光らせて、夫に手を挙げようとする。先日、帰ろうとした憲明さんに、理津子さんが言ったそうだ。「あと半年ね」と。
「日常生活がホラーみたいですね」
私は心の中で思わずそうつぶやく。
「靖惠の、静かな怒りは本当に怖いですね。今のところは怒りが私だけ向けられているからいいけど、それが子供たちにぶつけられたら、子供たちが危険にさらされます。あるいは理津子のところへむかうかもしれない。だから理津子には防犯ブザーと催涙スプレーを持たせているんです。
靖惠の状態についてはまったく言っていませんから、なぜそんなものを持てと言われたのかわからず、怪訝な顔をしていましたけど。『今の世の中、物騒だから』とごまかしました」
手のけがについて、理津子さんに対しては、家で転んでガラス窓に手を突っ込んでしまったと言った。
「不審そうでしたから、信じていないと思う。だけどまさか妻に切られたとも思っていないでしょう」
誰も一歩前に出ない。だが、誰も下がりもしない。今はそんな状況だ。その中で、憲明さんは惑っているという。惑いというより、私にはもがいているように見えた。父親として、男としてどうすべきか、どうしたいのか。そのために何をすればいいのか。それが見えてくる日はそう遠くないだろう。
夫婦関係がこじれていくとき
家族を養うのは男の義務?
ニュース番組の中で、夜の東京・新橋でサラリーマンに街頭インタビューをする光景がよく流される。酔ったサラリーマンたちは、どこか哀愁とユーモア、さらに、そこはかとない「庶民のけなげさと逞しさ」が溢れていて、私はつい見入ってしまう。酔ったからこそ本音が出るところが興味深い。
「ああいう街頭インタビューで、『こんなことを言うと、またウチの母ちゃんに怒られる』と笑っているサラリーマンがいるでしょう? ああ、この家は上手くいっているんだなあと思います。私がもしインタビューされても、家の事は絶対話しませんから」
知り合いに紹介してもらった川原知也さん(四十九歳)は、世間話の中でそう言った。知也さん夫婦関係が上手くいっておらず、長年、悩んでいるのだという。
四歳年下の妻と、友人の紹介で結婚して二十年が経つ。ふたりの子供は、高校生と中学生になった。
「子供たちが小さい頃は、それなりに楽しかったような気がします。子供たちは可愛かったしね、今でもかわいいですよ。だけど、私自身、家庭を負担に思った事もあります」
知也さんは、自他とも認める仕事人間だ。だからこそ、今は異業部長というポストにいる。
大手といえる会社ではないが、それでも営業部長になるまでには必死で仕事をしてきた経緯がある。派閥争いに巻き込まれた。リストラ対象になったこともある。それでも彼は頑張ってきたのは、もちろん第一には自分のためだが、妻子のためでもあった。
「誰に食べさせてもらっているんだ、と言ったことはありません。ただ、本音を言えば、意識下に、そういう気持ちがなくはない。男だったら、みんなそうじゃないかな。言ってはいけないことだけど、家族が感謝の片鱗さえ見せて知れないとなると、意識下の本音がちらりと顔を覗かせることもあると思うんですよね」
会社の営業不振、さらに派閥争いの結果、リストラの危機に直面していた八年前、知也さんは苛立っていた。ちょっとした夫婦げんかの際に、「オマエは俺の大変さが分かっていない」と妻に言ったことがある。
「そのとき、妻は『家族を養うのがあなたの義務でしょ』と言ったのです。義務なのかと愕然としました。少しは感謝してくれているんだと思っていた。感謝されたいわけじゃないけれど、そのへんは魚心あれば水心というか、お互いに感謝の念をもっていないとうまくいかないものなんじゃないでしょうか」
それまでも、妻とはしっくりいっていない感じることが多々あった。たとえば上の男の子の育て方。妻は過干渉というか、危険は全て排除して子供を遊ばせていた。知也さん自身は、子供は多少怪我をしても、自分で危険を察していくものだと思っていたから、妻とぶつかることも多かった。
「妻が息子を、こじんまりした『いい子』にしたがっているように、私は見えたんです。人に迷惑をかけなければ、子供はもっとやんちゃでいい。誰にとってのいい子なのか。親が管理しやすい子にしようとしているだけです。子供は元気で、挨拶ができて、友達を大事にできればそれだけでいい。それがいちばん難しいですから」
息子が小学校のとき、友だちをかばって自分が先生に対して悪者になったことがある。知也さんは息子を褒めた。だが、妻はそのことで夫を見限ったような目でみたという。
「私自身、会社で仲間だと思っていた同僚から裏切られ、派閥争いに巻き込まれた。彼は一時期、上から評価されましたが、最終的には別の管理職から目をつけられて、些細なことでも失脚しました。会社は怖い、男同士の争いも怖い。
その中で、出世に関係なく、地道に正しいことを正しくやっていくしかないと私は思ったんです。いつかは誰かが評価してくれる。嘘がばれるし、不正は暴かれる。たとえ自分が悪者になっても、正しいものはかばっていかなくてはいけない。それができ息子を、私は抱きしめて褒めました。『オマエは男としてかっこいいぞ』とね。妻から見たら、そういうことがいちいち気に入らなかったようですね」
妻とは何度も、きちんと話し合おうとしたし、関係を修復しようともした。だが、妻はそのたびに感情的になり、「あなたは子供の将来を考えていない」と言い張った。お互いの主張はすれ違い、知也さんは疲弊していく。
「それでも、子供の前では言い争いは住まいと言う協定は結びました。たまに気まずいこともあったけど、お互い、何とか大人の知恵で、家庭は維持してきた。ただ、夫婦としては半分、破綻していますね。ふたりきりだと、テレビを見ながらぽつりぽつりと話すくらいだし、夜の生活は、下の子が生まれてからはせいぜい年に数回。ここ数年は、一回もありません」
男女のすれ違い
子育てで疲れた妻が、知也さんの誘いを断ったのが発端で、彼はだんだん誘うことが少なくなっていった。
「断り方というものがありますよね。数年前、妻は『やめてよ、いい年していまだにそんなことをしたいわけ?』って、汚いもので見るような目をして言ったんですよ。それっきり誘っていません。
長年連れ添っている夫を、どうしてああいう目で見ることが出来るのか、私にはわかりません。妻は、汚らわしいとでも思っているんでしょう。まあ、実際に浮気をしなかったわけではないので、私も偉そうなことは言えませんが」
知也さんも男だ。欲望がないわけではない。だが、よその女性にのめり込むことはなかった。
「ひとりの女性とは、せいぜい数回程度。恋愛という深刻な状態になりかけると、いつも逃げてきました。自分が本当はのめり込みやすいとわかっているからこそ、避けてきたんだと思います。
それでしばらくたって、偶然再会したりすると、友だちとしてつきあえることもある。女友だちも必要だけど、恋人という関係で長く続ける気はないんです。女性関係がこじれて身を亡ぼしてきた先輩や同僚たちを見てきましたからね」
それでも数年前、妻に「汚いものを見るような目で言われた」あと、浮気がばれたことがある。彼の下着に口紅や長い髪の毛がついていたからだ。
「洗濯する時に妻が気づいたんでしょうね。まあ、下着に口紅がついていたり、下着の前開きのボタンのところに髪の毛が絡まっていたりすることは通常、あり得ないから弁解の余地がありませんでした。
仕事でちょっと怪しいクラブに行って、サービスで何かされたかもしれないけど、酔っていてあまり覚えていないと言い張りましたけど」
妻の気持ちもわからないではない。自分なりに一生懸命、子育てしてきた。夫の大変かもしれないが、日常的には自分だって苦労の連続だ。夫はストレス発散の場もあるが、主婦にはそんな息抜きはできない。
それでいて、子育てに持論を展開し、妻を非難する。日常的に子供と密に接していないのに、という怒りもあるだろう。
さらに女性の問題。「恋愛」にならなければいいというわけではない。一夜限りの関係であっても、裏切られたという思いは強いはずだ。こういう場合、妻は自分がひどい断り方をしたことを覚えていない。
だから、夫が一方的に自分を女として見なくなったと思い込んでしまう。セックスレスになりかけた、あるいはなっている段階での浮気発見は、妻の心を決定的に傷つける。
夫たちは、根底で「生活は自分が支えている」と思っている。経済的にはそうあっても、家庭生活は経済だけでは回っているわけではない。
父として娘に伝えたいこと
そして知也さんの家では、一年ほど前、中学生の娘が、いじめによるストレスから万引きをするという事件があった。
「娘がいじめられていることを、妻は把握していなかった。思わず、私はそのことを責めてしまった。万引きについては、これはもう、誰が何と言っても娘が悪い。いじめられたから万引きをするという精神が良くない。
これに関しては、徹底的に娘を叱りました。いじめのことは解決しなければいけない。だけど、それでストレスを感じて万引きしたというのは、オマの甘えでしかない、と。大きくなった娘を、力を込めて殴りました。鼻血がでるまで殴りましたね。
わかってほしかったんです。妻は、それも面白くなかったようですが、でも、それでは『むしゃくしゃしたから、人を殺してやろうと思った』という無差別殺人と変わらないじゃないですか。ここで甘やかしたら、娘は一生、自立できない人間になってしまうと思ったんです」
その後、妻は娘を転校させると言い張った。知也さんは、転校よりまず、学校や友達を巻き込んだイジメを公にすべきだと考えた。転校は最終手段でいい。それより親が闘う姿勢を娘に見せたい、と感じていた。
結局、いじめは改善された。知也さんは、イジメていた生徒たちとも真剣に話した。親を通さす、生徒たちと直接話し、彼らが抱える思春期の悩みにも耳を傾けた。
なかなか心を開いてくれなかったが、知也さんは、彼らが集まる場所に積極的に出かけて行った。そんな活動が買われて、地元のPTA関係者から、相談役として頼りにされるようにもなってきたところだ。
「私自身、これからは、こうやってもう少し、地元に関わって、何か役に立てる人間になっていきたいと思うようになりました。妻は、自分の娘より、周りのことを気に掛けたと言って私を非難しますが、
自分の娘さえいじめられなければそれでいいというわけじゃない。もっと大きな視野をもって、改善すべきところは、改善していかないと」
こういうところは、男女の違いなのかもしれない。私の知り合いで、障害をもった子供を育てている夫婦がいる。妻の方は、自分の子供だけで精一杯。自分の子がいかに成長していけるか、そのためにどんな学校に行けばいいのか、少しでもその子のためになることはないのか、それだけを考えて行動している。
だが夫は、地元で障害を持つ子の親の会を立ち上げ、自治体にいろいろなことを交渉したり、他の会とも連携をはかって国に働きかけたりしようとしている。妻から見ると、夫のその行動はまったく分からないらしい。
「目の前にいる障害を持つ我が子に手を差し伸べないで、どうして国と交渉しようとしているのかわからない。大事なのはこの子でしょ」
その妻は、憤慨やるかたないと、いった感じで話していた。だが夫は、我が子を通じて、同じような子供たちがもっと暮らしやすい社会にするために活動している。どちらが正しくてどちらが間違っているという問題できないが、活動の目的と手段が違うのだろう。
虐めへの対処も、知也さんと妻とでは、異なっていた。妻は夫を理解できない。だから責める。責められた夫は、妻の視野の狭さを非難するしかない。
「結婚して子供を持ったりすると、いろいろなことがあると思うんです。目の前にあることについては、やはりできることをひとつひとつ、やっていくしかない。もちろん、私だって、娘のことは気になりますよ。
今も注意深く見ているつもりです。それと、虐めについて幅広く活動していくこととは、少し違うんですが、妻には分かってもらえそうにはありません。
高校生になった上の息子は、私の活動を理解して、いろいろ情報提供してくれます。基本的には週末、時間がある時くらいしかできませんけど、地元の子供や親のために、何かできたらいいなあと思っているんです」
夫婦はどこまで行っても他人なのか
世のため人のためにやっていることでも、身近な人に分かってもらえないことがある。切ないような、やるせないような気分になるが、妻側に立てば、その気持ちもわからないではない。
「私もこの世に生を亨け、半世紀が経つ。最近、自分の人生を振り返る時間が増えたような気がします。子供たちの関係は、まだまだこれから変わっていくだろうし、縁が切れるようなものではありません。だけど、夫婦はどこまでも行っても他人なのかなあと感じるんです。
私は、いろいろなことを通して、妻という女性がますますわからなくなっている。向こうも同じように思っているでしょう。お互い外に出れば、一般的な社会人なんだろうけど、夫婦という関係においては理解不能というところまでいっているんじゃないか。
妻を他人として見てみれば、悪い人間じゃないと思います。だけど、妻だから許せないという面もある。相手に何も期待しないのもいいかもしれないけど、ひとつ屋根の下に暮らしているんだから、無関心にもなれない。私たちは、特に大恋愛というわけでもないし、何かを乗り越えて一緒になったわけでもないんです」
それでも、一生、一緒にやっていきたい、あるいはやっていけそうだと思ったからこそ結婚したはずだ。今からでも、その当時の事を思い出すことはできないのだろうか。
「長い年月の間に、相手がいるは当たり前になって、新鮮な気持ちが摩耗しているんでしょうね。
今から新婚当時のような気持になるのは無理。でも少なくとも、ふたりで家庭を二十年も守って維持してきたのだから、お互い敬意をはらえるような関係になりたい。
しかし、具体的に何をしたらいいのかわからないし、妻にその意思があるのかどうかもわからない。最終的には離婚という選択もあるのかなと、漠然と考えたことがあります。年齢がいってからの離婚は、精神的にきついと思いますが」
妻との関係を再構築する。それは、言うほど易くはない。すでに出来上がってしまった関係があるから、方向転換さえ至難の業だ。
結婚生活が二十年も過ぎれば、これから子供たちは自立していくだけ。あとは夫婦だけが残る。不信や不快感が行き交う関係では、第二の人生は満たされない。子供たちが大人に近づいたら、夫婦は次のステップへと移行していく自分たちの関係性を、じっくり見直さなければいけないかもしれない。
男と女がいる限り‥‥二十年愛
妻の妊娠中に浮気
世の中でいちばん不思議なもののひとつが男女の縁かもしれない、と私はいつも感じている。
どんなに一緒になろうとしてもなれないふたりがいる一方で、別れようとしても、どこかで再会してしまうふたりがいる。
「僕は、今の彼女とは断続的にですが、もう二十年のつき合いになるんですよ。縁があったんでしょうね」
寺尾孝久さん(五十一歳)は、少し苦笑いしながら話し始めた。孝久さんが、学生時代の後輩である希美子さん(四十八歳)と再会したのは、彼が三十歳のとき。
「仕事がらみのセミナーでばったり会ったんです。僕は流通関係、彼女は食品関係で一見、職種は違うんですが、彼女の仕事は流通部門だったので関連はあったようです。
彼女とは大学のサークルが同じでした。一年留年したので、僕が三年生のとき、彼女は新入生だった。当時は時々話をする程度の関係でした」
卒業後、六年ぶりの再会となったが、彼は希美子さんの女っぷりに、正直、驚いたという。
「学生時代もかわいい子だと思っていた記憶があるんですが、二十七歳になった彼女は、すごくいい女になっていました。仕事を始めて四年、いちばん輝く時期かもしれませんね。彼女も懐かしそうに話してくれるし、なんだか一気に盛り上がっちゃって」
そのとき、孝久さんは結婚して一年ほどで、妻は出産のために里帰りしているところだった。
「妻の妊娠中に浮気するなんて最低な男だけど、しちゃったんですよ。久々の恋愛感情に舞い上がったのか、彼女を自分のものにしたいという気持ちが強くなって。まあ、妻がいなかったから寂しかったのもあるし、逆に気楽だった面もあるし‥‥」
時間があったから、希美子さんとは週に三、四回は会っていた。当時は携帯電話がなかったので、深夜になってもなるべく家に帰った。朝、妻から電話がかかって来るためだ。
「週末は妻の実家に僕もよく行ってましたけど、泊まるのは何となく気が引けるので、日帰りにして希美子のところへ行ったり。彼女にはすべて話してありました。『それでもいい』と言ってくれたんですけど」
産後、妻が戻ってくると、孝久さんも子供かわいさに、会社からすぐに家に帰ることが多くなった。取り残された希美子さんは、当然、苛立っていく。
「彼女は精一杯、我慢していのでしょうけど、僕が連絡しないでいると、家に電話を掛けてくるようになった。妻も当然、怪しんでいますよね。子供が出来てからは、僕も家族を守りたい気持ちが強まっていたから、希美子には別れを告げました。ほんの数ヶ月の関係だった。
期間は短かったけど、関係は濃かったと思います。僕は彼女の性格も身体も大好きだったし。あのころ、携帯があって連絡が簡単に取れていたら、わかれなかったかもしれませんね」
彼女との再会
半年後、彼の会社に、彼女から「結婚した」というはがきが届いた。はがきに印刷されていた結婚式の写真を見て、彼は首を傾げた。新郎がどこかで見た覚えのある顔だったからだ。
学生時代の友人たちと飲み会で会ったとき、さりげなく話題にしてみた。希美子さんが結婚した相手は、サークルで孝久さんの一期下の後輩だった。
「けっこう大きなサークルだったので、卒業後も交流があるのは、やはり同期だけだったんですよ。だからうっかり顔も忘れかけていた。そのとき、なんとなく、希美子は僕のことを相談するために、その男と会うようになって、結婚に至ったじゃないかあと思ったんです。
自惚れていると言われればそれまでだけど、彼女がそう簡単にぼくを忘れるとは思えなかった。だいたい、僕自身が彼女と別れたことを後悔していたのだから」
それでも、二年後は二番目の子が生まれ、孝久さん自身も、仕事がどんどん多忙になって、いつしか希美子さんのことは遠くなり始めていた。
「下の子が生まれて一年経つか経たないかだったと思います。希美子から会社に電話がかかってきたのは。離婚したということでした。久々に会おうということになって、食事に行きました」
会って話をしてみると、孝久さんの思った通りだった。希美子さんは、孝久さんと別れたショックからなかなか立ち直れずに、それまでも、ごくたまに会っていたサークルの一つ年上の先輩に相談をもちかけた。相手は誰と言わず、不倫関係のあげく失恋したと言うと、相手は「それなら、俺が幸せにしてやる」と言ったそうだ。
「まあ、でも、そういうところから始まった関係だから、男の方にどこかわだかまりがあったようですね。彼女も、彼を本気で好きになって結婚したわけじゃないから、どこか後ろめたい。
『結局、お互い本音をさらけ出せないままに生活しているだけ。私が別れようと言ったら、彼もほっとしたような顔をしていた』と、希美子は言っていました。
そんなふうに追い込んだのには、僕にも責任がある。だけど、彼女は離婚して一皮むけたというか、『いろいろあって、強くなったわ』と笑っていました。以前より、さらにいい女になっていましたね、
そのときの彼女は、たぶん三十二、三歳だったと思うけど、これからもっといい女になる直前という感じの色気がありました」
彼女は以前とは別の場所に、ひとりで暮らしていた。送っていき、お互い当然のように関係をもった。
「やっぱりこういうことになっちゃったか、という思いがありました。希美子も『いつかまた会えると、心のどこかで思っていた』と言ったんです。僕も同じ気持ちだった。覚悟も何もいらない、自然と彼女を受け入れました。
普通だったら、再会した不倫相手ともう一度関係をもつには、いろいろ迷いが生じると思う。だけど、迷いがなかったんですね。それが自分でも不思議で‥‥」
希美子さんも仕事を続けていたし、「待つ女」ではなかった。仕事関係の資格を取る勉強もして、休日にはダイビングを楽しむ女性に変貌していた。
「以前よりアグレッシブに生きている彼女を見て、僕も触発されました。家庭がある分、時間は限られるけど、僕も何かしなくちゃと思うようになって、社内の資格にチャレンジしたり、
新しい企画を立ち上げたり。そうなると、今度は妻が触発されたのか、下の子が二歳になる直前、子供たちを保育園に預けて働くようになったんです。あのころは、仕事も家庭も、希美子とのことも必死で頑張っていましたね」
矛盾はあるけど別れられない
下の子が小学校に上がったとき、孝久さんは四十歳になっていた。
「そのころですよ。希美子とのことが妻にばれたのは。ちょうど携帯電話を使い始めて、希美子と連絡が取れやすくなった。だけど、その携帯からばれてしまったんですね。
僕は着信もリダイヤルの履歴も消さなかったから、様子がおかしいと思った妻に簡単に見破られた。携帯がない頃は、希美子と連絡が取りづらかったけど、逆にばれないように気を配っていたんです。ばれるきっかけもなかったし」
便利になれば、そこには必ず落とし穴がある。妻は、夫に黙って希美子さんと連絡を取ったらしい。
「ある日突然、希美子から別れ話を持ち出されて。僕は取り乱しましたね。そのとき、希美子は『私だって家庭が欲しい。子供を産みたい。もう時間がないの』と。当時は、彼女は三十七歳ですから、そう言われれば僕は何も言えない。だけど、実は裏で妻が、彼女に会って泣きながら頼んだそうです。
『私は夫を愛している。どうか夫を返してほしい』と。それにほだされた希美子が身を引いたというのが実情です」
当時の孝久さんは、そんなことは知らなかった。希美子さんの人生に邪魔なら、と潔く別れを受け入れた。
「つらかったですね。それからしばらくは落ち込んで、仕事もろくに手につかなかった。ひとりで飲み歩いて、公園に寝たこともあります。荒れていた。ちょうど景気も悪くて、仕事もうまくいかない時期でしたし」
しかし一年後、孝久さんと希美子さんは、また再会する。福岡への出張のために羽田空港に行くと、久々の休みを取って沖縄へダイビングに行こうとしていた希美子さんにばったり会ってしまったのだ。お互い、しばらく動けなかった。
「僕はたまたま、早く到着してしまったので、時間を潰そうと空港内の喫茶店に立ち寄ったんです。そして喫茶店を出たところで彼女にばったり。しばらくにらめっこみたいに互いに距離を保ったまま、見つめ合っていました、
ようやく我に返って僕の口から出てきた言葉は、『結婚したの?』でした。彼女は『するわけないでしょ』と。笑顔でしたね、そこからまた、始まってしまったわけです」
また会うようになって、彼は、希美子さんがなぜ別れ話を持ち出したかを知った。もちろん、妻を責める気持ちにはならなかった。妻とも関係が悪いわけではない。仕事をしながら、母としても精一杯頑張っている妻を、孝久さんは心から愛おしいと思っていた。
「だけど目の前にいる希美子も、やはり僕の人生には欠かせない女だ、と思うようになっていました。彼女とは一緒にいる時間は少ないけれど、彼女から受ける刺激やエネルギーはものすごく大きい。
羽田で会って。また付き合うようになったとき、彼女が一度だけ、僕の胸で大泣きしたことがあるんです。
『もう別れたくない。あなたのいない人生は考えられない』って。
やはり僕も同じように考えていた。いつも考えることが同じなんですよね。じゃあ、離婚して希美子と一緒になればいいのかというと、そう言う気持ちにはなれない。希美子自身も、『あなたが簡単に家庭を捨てるような男だったら、ここまで好きにはならなかった』と言うんです。
彼女の中にも矛盾がある。僕にもある。家庭に対する気持ちと、彼女への気持ちが違うような気もするんです。まあ、妻から見たら許せないと思うんでしょうけど、僕にとっては家庭も妻も大事です。
ただ、これだけは必死に別れようとしても出会ってしまう、また前と同じように関係してしまうというのはやはり縁があるんじゃないかと思うしかない」
じつと孝久さんを見ると、彼はぽつりと言った。
「妻側から見たら、縁なんていうのは簡なる言い訳ですよね。別れようと思えば、別れられないはずはない。再会したからって連絡を取り合わなければいいんですから。それも分っているんです。
だけど、本気で考え始めると、僕も辛くなってくる。自分ができる範囲で、両方を維持していくしかないんじゃないか、無理をしないで。その時そう思ったんです」
先のことは考えなかった。希美子さんも、「結婚も子供も、もういいわ」と言うようになった。
誰も入りこめない歳月
彼女が四十歳を超えたころ、早期の子宮がんが見つかり、手術をした。すでに両親がいない希美子さんのもとへ、孝久さんは毎日のように見舞いに行った。
「彼女は、誰かに見られたらまずいから来なくいいと言ったんですが、僕としてはそうはいかなかった。彼女は医者とのやりとりなども全部自分でやりましたから、僕が前面に出ることはなかったけど、いざとなったら医者にどう思われようと、
『結婚はしていませんが、パートナーです』と言うつもりではいました。『いつでも身内として医者に会うよ』と言ったら、彼女は泣いていましたね。彼女の涙を見たのは二度目だった」
「退院してしばらく経ったとき、彼女が『子宮はなくなったけど、私を女として見てくれる?』と。僕は、どんな状態になっても彼女を女として見ているし、ずっと抱きたいと思っている。そうはっきり伝えました」
セックスレスであっても。結婚生活は続けて行ける。なぜなら、法律で守られた関係であり、夫婦はひとつ屋根の下で暮らしているからだ。日常生活という固い関係には、セックスは必ずしも必要ではないのかもしれない。
「僕は妻を愛しいとおもっているけど、もう何年もセックスはしていません。妻の方も、それで不満はないみたいですし。だけど、希美子との関係でセックスがなくなったらどうなるんだろと思うことはありますね。
もちろん、気持ちの部分でつながっているとは思うけど、果たしてそれだけで続けていけるのかどうか。お互いにもっと年齢がいって、セックスなんて意識しないようになれば、関係も変わるのかもしれませんが、逆にいくつになっても男女は、セックスから離れられないような気もするし」
実際に「挿入」という行為をするかどうかは別にして、熟年以上の男女の間でも、色恋沙汰のトラブルはなくならない。孝久さんが言うように、男と女がいる限り、性の快感や人肌の恋しさから、どちらも逃れられないのかもしれない。
「それが目に見える絆になりうるのが、僕らみたいな関係かも知れません。セックスしたくて彼女に会うというわけでもないけれど、彼女に会ったら、やはりセックスは切り離されない。
二十年という年月の間に、彼女も変わったし僕も変わった。それでも、僕はずっと彼女を女として好きでいたいと思っています」
希美子さんに再会したばかりのころ生まれた子は、二十歳になった。下の子も来年は大学生だ。断続的で、日常生活をともにしないとはいえ、孝久さんと希美子さんの間には、誰にも入り込むことが出来ない、二十年と言う年月が横たわっている。
「この先、どうなるんだろうと、ときとき思うことがあります。以前はそんなこと考えもしなかったのに、やはり年を取ったということなんでしょう。誰もが不幸にならず最後まで行けたらいいと、相変わらず楽天的に思ってはいますが」
妻の知らないもう一つの顔を持ち続けて二十年.こういう人生を送る人もいるのが事実である。
あとがき
前年の「女の残り時間」に続いて、一年間、婦人公論で、今度は男の気持ちを取材した「男の惑い」を連載させていただいた。それをまとめたものがこの本だ。
同性なら何となく気持ちがわかる、男たちの声は、異性の私からみると非常に興味深い。
元々真面目で、家庭を大事な場所だと思っている男たちが、ある日「なぜか」恋に落ちていく。自分の気持ちに気づかないふりをしながら、それでもずるずると恋にはまってしまう。
女性に比べ、男たちは意志を固めないままに恋に踏み込んでしまい、踏み込んでから悩み、惑う。
「覚悟がないなら。こういう恋愛に踏み込むな」
と男を断罪した知人の女性がいるが、男に言わせれば。「覚悟より先に気持ちが動いてしまった」ということになるのだろう。
既婚の男性にとって「浮気は甲斐性」といわれた時代は、もはや昔のこと。今の時代、いくら恋愛は自由だとはいえ、やはり人に知られれば社会的なダメージは受ける。揉め事が起これば家庭内でのトラブルも避けられない。そんなことは解っているはずなのに、社会経験も人生経験も豊富な男性が、その落とし穴にはまっていく。
「恋は子供を大人にし、大人を子供にする」と言う言葉あるけれど、それは本当なんだなあと何度も感じさせられた。
第三者として聞いていると、相手の女性に悪意があったように思えるケースでも、男たちはあくまでも認めようとしない。彼女とは「本当の恋愛」だったけれど、やむを得ない事情で最期が訪れたのだと思い込もうとする。相手を悪く思いたくないのか、自分の恋をきれいに保存しておきたいと思うのか。
男心は、女とはまた違う意味で複雑で繊細だ。中には恋に慣れた男もいるが、多くのまじめな社会人たちは、不器用だ。不器用だから必死で恋をし、必死で家庭を守ろうとするのに、どこかザルで水を汲んでいるような感が否めない。そこが愛すべきところでもあるのだが。
文中に登場し頂いた方たちには、感謝しきれない。彼らが気持ちの丈を打ち明けてくれなければ、この連載は存在しなかった。なお、彼らの社会的立場を考慮して、氏名はすべて仮名であることをご容赦いただきたい。
私は婚外恋愛を推薦はしない。だが、批判もしない。恋に落ちたことのある人なら、誰もがその底なし沼のような魔力は知っているはずだから。ただ、あなたが男であれ女であれ。なるべく他者を巻き込まず、傷付けないような配慮をしてほしい。それが「大人の恋」だと思うから。
二〇〇八年四月 亀山早苗
恋愛サーキュレーション図書室
失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。