性の快楽は、愛情とは別に存在することもあり得ると知ってしまった「性を追求する女たち」は、「セックスは愛情確認、コミュニケーションだが、最大のそして最高に深い快感を得られるもの」と答えるかも知れない。トップ画像

第四章 女性たちが求めるものとは

本表紙亀山早苗著
女性たちが最終的に、セックスに求めているものとは何なのだろう。
愛する人しかセックスはしないもの、できないものと考えている人たちは、「セックスは愛情確認、コミュニケーション」と答えるだろう。

性の快楽は、愛情とは別に存在することもあり得ると知ってしまった「性を追求する女たち」は、「セックスは愛情確認、コミュニケーションだが、最大のそして最高に深い快感を得られるもの」と答えるかも知れない。

 また一部の女性たちではあるが、自分の性的欲求を真正面から見据え、それを満たすために、恋愛や結婚と、「セックス」を分けて考えている人たちは確実に増えている。

 たとえば、SMやアナルセックス、さらにはスカトロ(排泄物を愛好すること)などの同志は、生活上のパートナーと、プレイ上のパートナーを別々にもっているケースが珍しくない。

生活していく上では、ごく普通の社会人として生き、配偶者もその人の性的嗜好を知らない。つまり趣味でバスケットボールをやっているから、バスケットボールを愛好する人とグループを組んでいるようなものだ。生活と趣味は別、という考え方だ。

 そこまで極端でなくとも、生活上のパートナーや恋人に、「私、輪姦されたい」などとはなかなか言い出せないものだろう。輪姦されたいなら、そうしてくれる趣味の仲間を作るしかないともいえる。

 それが「いけないこと」なのかどうか、誰が判断できるのだろうか。自分が求めるものに気づいたら、とりあえずやってみるしかないと個人的には思う。

たとえばSMに興味があったら、実際にそういう世界に触れてみることしか、自分が本当にSMが好きなのかどうなのかは理解できないはずだ。

 ヨガやボクササイズを始めるのと違って、勇気は百倍必要かもしれない。その世界での暗黙のルールなどもあるだろう。だがそれも、実際に飛び込んでみてもいいのではないか。撤退する勇気も、飛び込む勇気も人間には必要だ。そこから何か、自分の心の奥底にあるものが見えてくる可能性もある。

性と心は一致する

本気で好きな男と素晴らしいセックスができたら、それは理想と現実になったといっていいだろう。私自身も経験があるが、錯覚であれ誤解であれ、「この人こそ運命の人だ」と思った相手とのセックスは、単なる性行為を越えて感動的なものとなる。
ふたりの間の空気が震え、お互い知りえないバックボーンさえ越えて、魂が触れ合う瞬間がわかるのだから。

私は運命だの前世だのということを全く信じない。占いさえ見てもらったことがない。それなのに、ふと運命の人だと感じ、その人と身体を重ねることで、単なる快感以上のものを交換した気になったことがある。

 性と心は、確かに一致することがあり、そこからもたらされるエネルギーや豊かな情愛き、生きる上での「何か確かなもの」となる。だが一方で、セックスには、やはりプレイとしての側面もあると思うし、そのプレイを通じて得られることは、「魂の震えるセックス」とはまた違うものであることも確かなのだ。どちらがいいとか悪いとかいうつもりはない。ただ、両方を知った方が、生きていく上では楽しいかもしれない。

 男は、セックスにどちらの面もあるということは、かなり若い時から体験して織り込み済みなのではないかと思う。だが、女性たちは、「セックスは男に求められて初めてするもの」だとか、「好きな人だけとするもの」と思い込んでいるから、セックスのもつ二面性になかなか気づけない。そのあたりから男女の齟齬(そご)も起こってくるのかもしれない。

 それでいて、「男だったら、浮気のひとつやふたつ、しようがない」と訳知り顔で言う若い女性たちがいる。私は、そう言う発言には、とてもがっかりしてしまう。

 ひとつには、「男だから浮気はしようがない」というステレオタイプの考え方を、今どきの若い女性がするということに。浮気する人はする、しない人はしないというだけのことだ。女性だって、浮気するし、できるものだ。

 そしてもうひとつには、「男の生態を知っている私は、寛容に彼を許す」という傲慢(ごうまん)な匂いに、欺瞞(ぎまん)を感じてしまう。本当にいやだったら、彼とケンカをしてでも、「浮気されるのが耐えられない」とぶつかっていけばいい。

ぶつかって闘って、それでも彼が好きで離れられないとき初めて、「今回は目をつぶる」と言えばいいのではないだろうか。そもそも、浮気を隠し通せない男に、大きな問題があるのだが。

 決して浮気がいいとは言わないが、人間だから、つい他の異性に目が行くこともあるかも知れない。一晩だけの恋なんてことも起こるかも知れない。あるいは継続してしまうこともあるだろう。

 だが、それを妻や恋人に隠し通せない男は、精神的に軟弱だ。たとえ一緒にいる所を見られても、セックスしている所に踏み込まれたとしても、「何もしていない」と言うのが男の世界の鉄則ではなかったか。最近は、ちょっと女性に責められると、すぐ「泣いて土下座」する男が多い。自分の胸の内にしまっておけないのなら、浮気などする資格はない。

「泣いて土下座するような男に限って、もっと追いつめられると、急に開き直って暴力をふるったりするものなんですよね」

 暴力男と五年もつきあっていた、藤田杏子さん(三四歳)は、うつむきながらそう話してくれた。
「彼とは最初の一年くらいはすごくうまくいっていたんです。二年目くらいからほとんど同棲という状態でした。そうなってから、彼は豹変しました。浮気をしていることがわかったので、ちょっと問い詰めたら土下座して号泣したんです。

だけどそのあとも、浮気はやまなかった。文句を言ったら、今度は逆ギレして、いきなり頬を何度も殴られました。びっくりして口もきけなかった。真っ赤に腫れ上がった私の顔を見て、彼は泣きながら謝る。

さらにこの上なく優しいセックスをする。そんなことの繰り返しでした。歯を折ったり肋骨にヒビが入ったりしたことは、何度もありました。でもその都度、おいしいものを作ってくれたり、気を遣ってアクセサリーを買ってきてくれたりする。

数ヶ月すると、また何か些細なことで暴力を振るい、号泣して優しくなる。暴力を振るった後、彼は非常に興奮しているので、セックスも激しいのです。激しいけど優しくなる。私もすごく感じました、最初のうちは。

ただ、それが続くと、だんだん虚しくなっていった。いくらセックスがよくても、彼にとって私は何なんだろう、私にとって彼はどういう存在なんだろう、と考えたら、これはお互いのためになる関係ではない、と思うようになって。
それでも、そう思ってから別れるまでに二年もかかったんですけどね」

 ある意味での共依存関係から、杏子さんはなかなか抜け出すことができなかった。そこから脱出したら、自分自身も生きていけるかどうかわからなかったからだという。それだけ彼とのジェットコースターのような波乱に満ちた生活に、心身ともに縛られていたのだろ。
自分だけが彼を分かってあげられるのかもしれない、という思いが彼女を、そこに押しとどめる原因となった。

「でも、不思議なんです。最後には、彼を想う気持ちはあるのに、身体が受け付けなくなってしまった。彼に押し倒されると反射的に身体が突っ張っていく。最後には、濡れてもいないのに無理やりセックスされて、あそが裂けたんです。血が出ているのを見て、彼は私を蹴りつけた。そのときです、ようやく出ていく決心が出来たのは」

 殴られても蹴られても、彼とのセックスで感じていた杏子さんなのに、気持ちより先に身体が彼を拒否した。心と身体の関係は、とても密接で、ときには自分の気持ちと裏腹のことが身体に出たりする。

 ある女ともだちは、友人の紹介で、ある男性とつきあい始めた。条件的には何の申し分もないエリートサラリーマン。外見もかっこいいし、性格も悪くはない。ベッドを共にしてみたが、特に嫌いだとは思わなかった。

ところが、数ヶ月後、彼女の性器周辺に湿疹ができてしまう。性病か、と彼を疑ったが、どうも単純な湿疹のよう。医者へ行ってみると、やはり単純湿疹で、「何かストレスがあるのでは?」と言われた、自分にとってのストレスを考えてみたら、実は彼の存在だった。

「私、彼のことを本気で好きになったわけじゃなかった。好きになりたかったけど、どうしてもなれなかった。ただ、条件的には非常に魅力的だったから、自分に嘘をついて、彼と付きあい続けいたし、セックスもしていたの。セックスだって決していいわけじゃなかったけど。そんなストレスが身体に出てしまったんでしょうね。
自分の深層心理は見ないふりができても、身体は正直なんだなあ、と本当にびっくりしたわね」

 この話はとても興味深い。自分には嘘をつけないとよく言われるが、人は自分の気持ちをごまかそうとするものだと思う。だか、最終的には身体に出る。たとえば、今、彼に追いすがればまだ関係は続く、と確信していても、気持ちは追いかけたいのに身体が動かないときあるのと同じようなものだろう。身体はいつも正直だ。

女たちを縛るオーガズム信仰

男性たちに常に勃起不安があるように、女性たちにはオーガズム信仰にとらわれている。
 二〇代でも五〇代でも、オーガズムを得たことない自分は、女として劣っていると思いこむ。それが行き過ぎるとコンプレックスになる場合もある。

 坂下めぐみさん(三九歳)は、結婚して一四年、一二歳と一〇歳の男の子もつ母親だ。下の子が生まれすら、ずっとセックスレスが続いている。

「夫とは見合い結婚なんです。穏やかでいい人なんですけど、エネルギーがないんですよね。もともとセックスは好きじゃないみたい。若いときから、エッチな会話は嫌がるほうでした。常識的だけど、一緒にいておもしろいタイプではありません。生活上のパートナーとしてはいいんですけどね」

 三五歳を過ぎてから、めぐみさんは急に不安に陥ることが多くなったという。四〇歳という年齢を前にして、セックスレスでいることが、果たして女として幸せといえるのか。そう考えると居ても立っても居られなくなってしまった。

「いいとか悪いとか考える前に、出合い系にアクセスしてしまいました。メールのやりとりをして会った男性とセックスしたけど、あんまりよくなかった。というか‥‥」

 めぐみさんは言葉を切った。突然、黙り込む。目からは大粒の涙が転がるように落ちていく。私は驚きを隠して、彼女の次の言葉を発するのを待った。めぐみさんは、バッグからあわててハンカチを出して、顔を背けて、しばらく目を押さえていた。しばらくして、ようやく彼女は顔を上げる。

「ごめんなさい。実は私‥‥。セックスで感じたことはないんです。人にこんなことを言うのは、みじめでたまらない。まして、あなたは同性だから、よけいに自分が情けない。いい年をして感じたことがないなんて、自分が女として成熟していないと言っているのと同じでしょう」

 感じたい。オーガズムを味わってみたい。めぐみさんは、そのためにさまざまな行動をとってきた。それはあたかも「求道者」のようだ。出会い系サイトで複数の男性と知り合って、次々とセックスした。次は性感マッサージ、出張ホスト、昔の恋人に連絡をとって会ったりもした。そしてついには、風俗で働くということまでしてみるのだ。

「性感マッサージは、いろいろなことを試しましたけど、みんな自分がしたい男ばっかり。ろくに愛撫もしないで入れてくる。それでいて『感じないの?』と露骨にバカにするような男もいました。出張ホストも似たようなものです。そのたびに『私は感じたことない』と訴えると、みんな『感じさせてやる』と言いながら、結局『感じないのはきみが悪い』と言わんばかり。何度も何度も傷ついた。出張ホストから病気をうつされたこともある。自分で自分を呪いました」

 それでも彼女はめげなかった。傷ついて倒れそうになりながらも、また立ち上がってオーガズムを求める旅をする。

「自分でも、なぜそうまでしているのか、と、ときどき考えました。だけど、答えはひとつなんです。感じたいから。それだけです。だから、また違う方法を探して・・‥。風俗に勤めたのも本当です。昼間だけ、パート感覚で仕事をしていました。半年くらいでやめましたけど。その店は本番はなくて、手と口で愛撫して射精させるヘルスでした。

ただ、終始、男性と接していれば、誘われたり、私から誘ったりして、店の外でセックスする機会は増えました。この人は優しそうだから、きっと私が感じるかどうかを第一に考えてくれるはず、と思う人もいましたけど、結局、誰も感じさせてくれなかった」

 恐るべき執念と思う人もいるかも知れない。だが、私はむしろ、めぐみさんの正直さとその行動力に圧倒されていた。

「感じたい」という一心で、彼女はありとあらゆることを試している。専業主婦で、経済的に苦労していないにもかかわらず、「そんなお金を夫の給料から出すのは申し訳ない」と、パートで働いてもいる。性感マッサージや出張ホストの代金は、すべて自分のパート代でまかなった。風俗で働きながら、そのお金を出張ホストに貢いだこともある。

 もちろん、マスターベーションも日々している。クリトリスは多少感じるが、バイブを挿入すると、とたんに感じなくなるという。感じよう、感じなければと焦れば焦るほど、感覚は遠くなる。

「それでも、一度だけ、この感覚が近いかもしれないと思ったことはあるんです。私のことを都合よく扱っていた、出会い系で知り合った男。自分がしたいときだけ呼び出すような人だったけど、彼とのセックスだけは、挿入が嫌じゃなかった。

もう少ししたら、大きな波が来るかもしれないというところまでいったことがあるんです。最終的には、いつの間にか連絡が来なくなって、今はどこにいるかもよくわからないけど」

 この四年ほど、彼女はそうやって性を追い求める旅を続けてきた。だが、それもほとほと疲れ果ててきているのだという。

「もうつまらない夢を追うのはやめて、女として現役を引退しようかとも考えています。四〇歳まであと半年なんです。この半年間にオーガズムを得られなかったら、きっぱりと諦めるしかないのかもしれない」

 そう言いながら、諦めきれない執念が感じられる。なぜそれほどまでに感じたいのか。オーガズムを得られないことが、どうしてそれほどのコンプレックスになるのか。「みじめ」だと彼女は言った。女が女であることの証はオーガズムにしかないんだろうか。

 彼女の結婚生活には問題はないのだろうか。夫とのセックスレスを完全に諦めているが、夫と心通うような会話はあるのか。これらの数々の疑問が、私の頭の中を駆け巡る。少しずつ、そのあたりを彼女に尋ねていった。だが、めぐみさんは、突然、ふっと心を閉ざす。

「感じたことのある人には、私の気持ちは解らない」
 と。だが、オーガズムを得たことないすべての人が、めぐみさんのように行動するわけではない。オーガズムを得たことは大事かもしれないが、それだけのためにセックスを繰り返すことが解決になるとは思えない。

 ひょっとしたら、彼女自身が、それほどセックスが好きなわけではないのではないか、と私は考えていた。だが、彼女の心の中では、若い頃からの経験則的な価値観として、なぜか「オーガズムを得られない女は、女として価値がない」と思い込むようになってしまった。だから自分が女であることを確認したくて、ひたすらオーガズムを求める。

 オーガズムさえ得られれば、夫とのセックスレスについても「自分が女として魅力がないわけではなく、夫の方がおかしいのだ」と納得できるのかもしれない。あるいは、オーガズムというのは、彼女自身が「愛されている証拠」になりうるのかもしれない。とてもきれいな女性なのに、どこか表情がはかなげなのは、「愛されたい」寂しさからくるものなのだろうか。

 いろいろなことを考えたが、結局わかったのは彼女のオーガズムへの執着心だけだった。その裏には、愛情やら女としての自尊心やら、彼女の育ってきた経緯も含めて、いろいろな葛藤があるのだろう。

 彼女ほどにないにしても、「オーガズムが得られない」「イクということがわからない」というのは、セックスにおける女性の大きな悩みになっている。もちろん、オーガズムを得ると、心も身体も満たされる。それを否定はしない。

ただし、それは相手に対して、大きな愛情と信頼感があるからこそ、得られる可能性も高くなるのではないだろうか。心を労(いた)わるように身体を慈(いつく)しみ、身体を愛撫するように心を触れ合わせることができるからこそ満足に思う。もちろん、肉体の相性だけが突出して合う相手もいるだろう。

そういう相手と理性を飛ばしてセックスしたら、肉体は「ぶっ飛ぶような快感」を味わえる。だが、心が触れ合わなかったら、その関係は長続きしない。あるいは「セフレ(セックスフレンド)」の域を超えないだろう。

 オーガズムを得たい。いつでもイキたい。これは男たちが、「女をいつもイカせたい」と強く思うことの裏返しなのかもしれない。だから女はイッふりをすることも多い。女の演技は男は見抜けない、と女たちは思っている。ところが、ある男性は、見抜けると言い張った。

「本当はイッていないのに、フリをしているのはわかりますよ。それに男だって演技することもある」

 四〇代前半、自ら「女好き」だという菊池祐太郎さんはそういった。目から鱗、私は絶句するしかなかった。本当なのだろうか。

「どこがどううまく説明できないんですが、本当にオーガズムに達しているかどうかは、女性慣れしている男なら、実は皆がわかっていると思う。ある程度は感じているけれどオーガズムには達していないな、と思う瞬間はありますよ。だけど、相手のことを好きなら、相手が『達していない』というまで、こちらからは言えない。相手のプライドを傷つけるような気がするから。

男が演技するというのは、たとえば目の前の彼女のことを見ていると射精できないとき、他の女性を想像したりして終わるということもある。彼女のセックスに飽きているときなんかは、そういうことをしていると思いますよ、男は」

 女性たちが聞いたらショックを受けるに違いない。私自身も、正直言って、衝撃だった。それは祐太郎さんだけの特殊な例かと思い、いろいろな男性に聞いてみたが、いずれも「あるよね、そういうこと」という反応だった。

 目の前の女性を見ずに、頭の中で別の女性を想像しながら射精することもあるという事実に、私たち女性はなす術もない。早く射精しそうなときに、別の事を考えて長持ちさせる、という話は聞いたことがある。そこには相手の思いやりがある。だが、飽きた女では射精できなくて、という話には、やはり言葉をなくす。新鮮さを失ったセックスは、いずれもそういう道をたどるのだろうか。

「閉経後のセックス」と老いへの恐怖

 男に飽きられるとう恐怖は、そのまま女性の年齢への恐怖とつながっていくかもしれない。
 バツイチ独身の身の上としては、「いくつまで恋愛できるのだろう」という思いもある。それは露骨な言い方をすれば、「いくつまで男が触れてくれるのだろう」「いくつまで、男がセックスしたいと思ってくれるのだろう」という気持ちでもある。
もはや手遅れなのかもしれないが。
 
 前出のめぐみさんが、「四〇歳で現役引退」を考えるように、人によっては差があるだろうが、私自身も「セックスできなくなる日」が来るのはとても怖い。それは、「男に、女として見られなく日」でもあるからだ。そういう意味では、オーガズム信仰に惑わされる女性たちと同じように、年齢恐怖症に陥っているわけだ。

 女性は若い頃から、善し悪しは別として、「性の対象」として見られることに慣れている。だから、性を楽しめば楽しむほど、その楽しみから置いていかれたり、見放されたりする日が怖くなるのかもしれない。

五〇代でも六〇代でも、性を楽しんでいる女性たちはたくさんいる。友人の紹介で知り合った高木秋子さん(六二歳)は、五八歳のときに、五歳年下の男性と恋に落ちた。どちらにも家庭がある。

「あのね、恋するときにはいくつなっても同じなのよ」
 秋子さんは、「私はいくつまで恋ができるのか、と思うときがある」と言った私に、笑いながらそう告げた。

「私だって、五〇代後半で恋をするとは思わなかった。結婚生活だって、そこそこうまくいっていたんですから。まあ、夫との夫婦生活は、私に更年期障害が出始めたころから、すでにほとんどなかったけど。実は私、結婚後に好きになったことはあるの。

だけど、そのときは子どもが小さかったし、理性で押さえつけて、相手とはプラトニックのまま別れた。今つき合っている人を好きになったときは、『この人と寝たい』と思ってしまったんですよ。

子ども達も独立しているし、自分も既に閉経していて、行動にブレーキを掛ける必要もなかったからかしら。ただ、向こうもそう思っているかどうかはわからなかったから、それが苦しかったわね」

 明快で軽やかな口調、栗色に染めたショートカットが色白の顔によく似合う。決して美人というわけではないのだが、誰も拒ないような懐の深さが感じられ、とにかく「感じのいい女性」だ。

 彼と知り合ったのは、秋子さんが通っていた陶芸教室だった。秋子さんはすでにベテラン生徒だが、相手は五〇歳を過ぎて、何か趣味を持ちたいとやってきたのだ。何度か顔を合わせているうちに、相手が、「秋子さんの作風、僕はとても好きです」と言ってくれた。

その言葉は、「秋子さんの事が好きです」と彼女は聞こえたという。
「私も憎からず思っていたから、急に彼に対して親切になったりして、自分でも少し舞い上がっていたと思います。知り合ってから半年くらいかな、ちょうど帰りの時間が同じになって、駅まで歩いていきながら、『お茶でも』ということになったんですよ」

 意気投合した。だが、そこから肉体関係になるまでまた半年くらいかかっている。若くはないからためらいもあったのかと思いきや、そうではなく、むしろプラトニックを楽しんでいたのだという。

「セックスするのは簡単なんです、ある意味では。してしまったら先が見えてしまう。だからプラトニックを楽しみたかったの。相手もそうだったみたいですよ。だけど半年くらい経ったときに、なんだか耐えられなくなった。久しぶりに、内から性欲の力というのを感じたの」

 秋子さんの表現は文学的で、非常に面白い。いくつになっても性欲自体はなくならないのだから、当然、好きな相手が出てくれば性欲も自覚せざるを得なくなるはずだ。

 ある産婦人科医に聞いたのだが、「女性は、閉経以降、なるべくセックスをした方がいい」そうだ。ただでさえ女性ホルモンが減るから、セックスしていないと、ホルモンを分泌する指令が、ますます脳から出にくくなってしまう。

女性が生き生きと過ごしていくためには、生理がある年齢の期間より、むしろ閉経後にセックスする方が大事なのだ、と。

 自分が二〇代のころは、四〇代になっても恋愛したり、結婚以外の形でセックスの関係を持ったりすること自体がピンとこなかった。四〇代の今は、六〇代になってセックスする相手がいるのだろうか、という具体的な問題が見え隠れするようになっている。

秋子さんのように、好きな相手が現れるのか、あるいはそもそも、男が自分を女として見てくれるのか。先を考えると気持ちが暗くなる。
  ともあれ、久々に男性と関係を持った秋子さんは、どう思ったのだろうか。

「ラブホテルに行ったんです」
 その一言を口にしながら、秋子さんは真っ赤になっている。失礼ながら、あまりにもかわいくて微笑んでしまう。

「ラブホテルなんて、私、初めてですもん。入り口でためらったけど、彼がそっと背中を押してくれたので、覚悟を決めました。部屋に入ってからも、私はもじもじするばかり、彼が後ろからそっと抱きしめて、うなじにキスしてくれた。それでなんだかスイッチが入っちゃったんです。

それまではこんな老いた身体を見せたくないとも思ったし、閉経して八年も経っているから濡れるんだろうか、いろいろ不安が山積みでした。だけど、うなじにキスされてぼうっとするくらい気持ちよくなって、余計な羞恥心とか心配が飛んで行ってしまったみたい」

 誰かに抱きしめられたい。誰かと触れていたい。いくつになっても、女にはそんな欲求がある。それはもしかしたら、女だけではないのかもしれないが。

「正直に言いました。『こんな身体で恥ずかしい』『濡れなかったらどうしよう』と。彼は『僕は秋子さんが好きだから、どんな秋子さんでもいいんだよ』って。泣けました。

そんなふうに私を丸ごと受け止めてくれる人が今までいたんだろうか、って。夫を悪く思っているわけじゃないけど、夫婦って相手を変えようとする気持ちや力がどうしても働くんですよね。私自身、夫に変わってもらいたくて、あれこれと言ったこともある。

日常生活をスムーズに過ごすためには、それも必要なんでしょう。だけど恋愛は、たとえ些細なことでも、相手に変わってもらおうと思う必要がない。それに気づいたんです。

丸ごと受け止められるか、受け止められないのか。受け止められないのなら簡単に別れることもできる。そのあたりが恋愛のいいとろでもあるし、怖いところでもあるんですが」

 日常生活を共にする相手でないからこそ、丸ごと受け止める余裕があるのかもしれない。そこから秋子さんの言うように、恋愛の強みでもあるし、はかなさもあるのだろう。日常から切り離された時間と場所だからこそ、気持ちは燃え上がる。

「シャワーも浴びずに、彼は私をベッドに押し倒して全身を愛撫してきました。どうしたらいいかわからないほど恥ずかしいし、だけど現実的に気持ちもいいし。結局、気持ちよさが勝った。閉経しても、丁寧に愛撫されれば、女は濡れるものなんですね。『痛かったらローションを使うからね』と彼が言ってくれたんですが、結局、ローションを使う必要はありませんでした、

すんなり彼を受け入れることができた。こういう言い方をしたら、今どきの女性には笑われるかもしれないけど、心も身体も彼をそのまま受け入れる喜びというのを感じましたね」

 わかります、と私は深くうなずいた。もちろん、生きていく上で男と女の上下関係があるとは思わないが、セックスに関してだけは、男が入ってきた瞬間、「受け入れる喜び」を私も感じる。さらに、「包み込み、受け止める」性であることも。入っていく性と、受け入れる性。やはり男女は本来、補完し合う関係なのだろう。その原点がセックスにあるような気がしてしまう。

「すごく感じました。私自身も喜びを感じていたけど、私の身体も喜んでいる、と素直に思えた。正直言うと、あそこの毛だって白髪があります。彼にもあるけど、女としては恥ずかしいわけですよ。

もしも彼とそういうことになったら、どうしようと考えていた時期もあります。だけど、最終的にそんなことは些細なことなんだと思いました。

しかもね、閉経しているから妊娠の心配がない。全てを受け入れられる。それは嬉しかったですね。彼は私が感じるか、すごく配慮してくれていたと思います」

 二度目のセックスのときには、秋子さんは生まれて初めてフェラチオをした。夫は、妻がそういうことをするのを嫌がるタイプなのだという。

「その時点で、夫とは一〇年くらいセックスしていませんでした。私が更年期障害で苦しんでいたとき、夫は心配してくれたけど触れては来なくなった。本当はそんなときこそ、抱きしめてほしかったけど、私もそれは言えなかったし。そのままセックスからは遠ざかっていきましたね。

私自身も、年齢的にはもう卒業でもいいかなと思っていたんです。だけど彼とそういう関係になってからは、自分でも不思議なんだけど、したくたまらないの。そんな状態が三年も続いているんです。一生のうちで、今がいちばん「したい時期」かもしれません。私、今、とても幸せだなあとよく思いますよ」

 明るく穏やかな秋子さんの笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気持ちになってくる。
「いくつになっても恋愛はできる」と一般的にはいわれている。言葉として納得はしていたものの、本当にそういう関係を続けて行ことが可能なのだろうかと、中年期のど真ん中いる私は不安に感じていた。

 だが、秋子さんの話を聞いていると、「いくつになっても好きな人に出会える可能性はある」ということ、「そこで自分を制御しなければ、恋に落ちる可能性は大きい」ということを知った。

 肉体は、どう頑張っても老いていく。老いへの恐怖感は私にはある。シワもシミも白髪も、共存していくしかないと思い始めて久しい。この先、更年期を経てなを誰かと恋愛したりセックスしたりできるものなのか。

「恋は降りてくるものだなと思いますよ。彼とはずっと安定した関係が続いています。もちろん、お互いの配偶者に知られたらいけない仲だけど、私たちはわりと堂々と外で食事をしたり映画を観に行ったりしています。

誰かに見られても、友だちと言い張れる年齢だから、図々しくなっているのかもしれません。陶芸仲間だって、私たちがセックスまでとている仲だなんて、考えてもいないでしょうね」

 話は生々しいのに、秋子さんからは、妙な嫌らしさは感じられない、どこか淡々としていられるのも、年の功なのだろうか。

「彼はまだ五〇代だし、男の五〇代なら女性を妊娠させる可能性ですよね。だけど女性の五〇代以降はほとんど妊娠する可能性はない。それでも、産めなくなっても女は女だし、男は男。自分が女として、とても楽しんでいると今は感じています。それに、この年になると、いつまでセックスできるのかと言うよりは、いつまで元気でいられるのかと言う方が重要問題になってくるんですよ。

私は『恋愛するのに年齢は関係ないんだな』と今は思っていますけど、それも否応なく、死へと近づいている日々であるとことは認識しています。だからこそ、もう好きなように生きたいという気持ちが強いんですよ。

年取ってこんなことで開き直るわけじゃないけど、亭主にばれさえしなければ、このくらいの楽しみは許してほしい。正直言って、そんな気持ちもありますね」

 何十年も、家族のために生きてきた。子ども達も独立し、夫も定年になった。社会的には自分の役割を終えたと秋子さんは言う。あとは夫婦が、それぞれ好きなように自分の人生を全うすればいい、と。ふたりで楽しめることもあるかもしれないが、それぞれに自分の時間を悔いのないように使ってもいいのではないか、と。

「非難を覚悟で言いますけど、この歳になってセックスの楽しさを知ったのは、私にとって本当にうれしいことなのです。知らなければ知らないですんだことかもしれないけど、知ってしまった今は、とてもよかったと思う。

私はあるとこから、母として妻として生きて来て、自分が女であるという意識が少なかった。自分の中に色気みたいなものがあることにも気づかなかった。でも、今は女として生きていることが楽しいんです。

新しい下着を買ったり、いつもは使わないような色の口紅に目がいったり。新たな楽しみを見つけた。後は互いの家族にもめ事を起こさず、続けられるところまで続けばいい。そんな気持ちです」

 閉経以後の恋愛とセックス。これから自分にも遠からず起こる可能性があるだけに、秋子さんの生き方には、ある意味で私自身の目指すところでもある。世間的に認められなくても、自分が悔いのないように生きる覚悟を決めなく時が、誰にもやってくるのかもしれない。

性の先に見えてくるもの

おうが若い男の子とセックスして小遣いをあげようが、誰に何を言われるわけでもない。

 セックスを楽しむ、という行為が、恋人や配偶者だけを対象としなくなっているのは確かな現象だ。恋人と配偶者と楽しめればそれ越したことはないが、それ以外の対象であっても、本人がどう割り切るか、どう覚悟を決めかによって、その影響力は違ってくると思う。

 東京近郊に住む吉田美穂さん(三五歳)は、一〇年前に五歳年下の男性と友人の紹介で知り合い、結婚した。八歳と六歳の女の子に恵まれたが、下の子が生まれてから、夫との間に溝ができ、二年ほど前から家庭内別居状態だった。そしてついに半年前からは、夫と別居している。

「お互いに、相手の顔を見るといらだってしまう。特に大きなきっかけあったわけではないんですか、ずっとセックスの関係もないし、夫婦としての機能していない感じですね。ただ、ふたりとも子どものことは本当に大事に思っている。

だから今は2LDKのマンションには私と娘たちが住み続け、夫は歩いて三分ほどのところにアパートを借りています。経済的は大変ですが、私も働いているので、なんとかやっていけています」

 美穂さんは、広告関係の仕事をしている。会社での仕事は定時に切り上げ、家に仕事を持ち帰ることが多い。会社もその方式で仕事を続け行くことを了承してくれた。

「下の子が今年、学校に上がりました。放課後は近所の家に預かってもらったり、居職の夫に時間があれば見てもらったり。夫はなるべく午後から夕方にかけては、仕事を入れず、娘たちの面倒を見るようにしているようです。そのまま夫のところで食事をすることもあるけど、週の大半は私と娘たちの三人で食事をしますね」

 パパとママどうして別々に住んでいるのか、と娘たちに問われたこともある。パパの仕事が忙しいから、家ではお仕事ができなくなったと答えたが、上の娘は薄々何かに勘づいているようだという。

「午後は夫が預かって、夕方以降は私、となると、それぞれ連絡することも増えますよね。だから以前より、夫と話をするようになりました。以前は、夫が居職なのに家事をしてくれないとか、いるのに子ども面倒を見てくれないとか、私にも不満が多かったんですが、最近はいないんだから頼るのはやめようと思えるようになりました。

夫とは、まだ戸籍は一緒だけど、基本的にお互い、恋愛は自由にしていいということになっています。ただ、実際には子どもの事もあるから、なかなかデートする時間がとれませんけどね」

 だが美穂さんは、どこかすっきりした印象がある。籍を抜いていない状態で別居していると聞くと。もう少し悶々としているかと思ったのだが。そのあたりを聞くと、美穂さんはぷっと噴き出した。

「いや、ようやくすっきりしたんですよ。同居しているときは、男女でもなく夫婦の会話さえできなかった人と、どうして一緒に住んでいるのだろうと葛藤していました。

別居してみたら、父親としてはいい人だし、友だちとしても悪くないことに気づいて。今の状態は、友だちに言ってもなかなか分かってもらえないし、私の母なども『離婚しないで別居だけってどういう意味があるの?』と言っているくらいだけど、私の精神状態としては非常にいいんです。

恋愛はしないけど、実はこの間に、昔の恋人と再会してエッチしちゃったんです。社会人であること、母であることの意識はきちんと持っていなければいけないけど、たまには『ただの女』に戻りたくなることもある。

夫と同居しているときにはそんなふうに思った事はなかったし、思ったとしても『行けないこと』と自制していましたけど、その自制心を取り去って見たら、とても心が軽くなれた。昔の恋人とのエッチはけっこう楽しかった。まだ女として大丈夫なんだ、とほっとしました」

 自分を抑えつけていた「家庭」という重しは、別居することによって捨て去ることができた。他の男性と性的関係を持ち、それがある意味で「生きるエネルギー」になったとも美穂さんは言う。セックス自体がエネルギーになったわけではなく、彼女が言った「女としてまだ大丈夫なんだ」という気持ちが、生きる力を沸き立たせているのだろう。

 長い間、セックスから遠ざかり、再度してみたとき、多くの女性が「女として、まだ大丈夫なんだ、と安心した」という言葉を口にする。何度も何度も、いろいろな女性から同じ言葉を耳にした。セックスから遠ざかることで女として焦っていて、ようやくできたので、そういう心境になったという女性もいる。

 一方で、そんなことは意識せずに生きてきたのに、ひょんなことから性的関係をもち、それによって初めて、「女として大丈夫なんだ」という認識をもつ女性もいる。いずれにしても、女性は「女として大丈夫かどうか」に、こだわりながら生きているのだろう。

 ただ、これは逆に考えれば、男性にも言えること。妻にセックスを拒否され続け、風俗などに行く気がせず、ようやく外に好きな女性ができたとき、男たちは自分の中の「男」を改めて意識する。

 女性はどうしても、男からのアプローチを待つ立場にいることが多いので、女として大丈夫というのは、「まだ男と女として見てもらえ、なおかつセックスしたいと思ってもらえる立場」に自分がいるという安堵感なのかもしれない。

 男は自分の中の「男」を意識するだろうが、だから「大丈夫」という発想にはならない。そのあたりが「女として性の対象として見てもらえるかどうか」を、ある程度の年齢以上になると心配せざるを得ない女性の哀しさともいえる。

「子どもたちの様子を見ながらですけど、私もたまにはデートしたり、エッチしたりする関係の人を作ってもいいのかもしれないと、今は思っています。恋愛にのめり込むつもりはないけど、恋愛を拒否するつもりもない。以前は、恋愛に対して過剰に反応していたので、

むしろ『結婚しているのに恋愛をするなんて、絶対に行けない』と思い込んでいた。でも今は、もっと自然に生きていきたいと思っています。好きな人ができれば恋愛したいし、エッチしたいとき相手もしたいと思ってくれれば、恋愛という関係でなくてもエッチしていいんじゃないかと。

母親としては、それでいいのかと自問することもあるんですが、あんまり自分を縛り付けると、かえってイライラしてしまうような気もするんです」

 女が生きていくには、いろいろな選択肢がある時代となった。離婚を前提にした別居婚もあれば、双方とも家庭をもちながらの恋愛もある。自身に経済力があれば、夫だけに頼らずに生きていけるわけだ。

セックスを追求していこうとする女性たちには、何かしらの方法で収入を得ているケースが多い。出張ホストを買うために、夫の給料を使うわけにはいかないと律儀に考える。たとえ夫がセックスを拒否していても、だ。

 単純にセックスの快楽を得たくて、彼女たちがそこまで行動しているとは思えない。オーガズムを得られないと女ではない、という焦燥感にさいなまれて、いろいろな方法で性交渉をもっている女性も、その裏には「愛された」「女として求められたい」という強い欲求があるように思う。

セックスそのものの延長線上には、やはり「生きる意味」や「女であること」など、大きな問題が見え隠れしているのではないだろうか。本人がそれに気づいているかどうかは別にしても。

 単なる快楽なら、バイブレーターでもいいと思う。だが、人はそれで納まりきれない欲求をもっているのだ。それは性欲の範疇(はんちゅう)を超えた、心の叫びのように思われる。

「寂しいから」と単純な言葉で片づけるわけにはいかない。女がここまでセックスを求めているのは、もっと男と触れ合いたい、理解し合いたいという前向きな気持ちがあるのだし、それはきちんと正面から向き合ってくれない恋人や夫に対する抗議の意思表示にさえ思えることもある。

 男女の脳の違いが話題になったことがあった。性が違い、脳の違い、さらに個人差が大きな相手と、どうしたらうまくやっていけるか、どうしたらきちんと心を触れ合わせることができるのか。セックスの快楽が得られれば、相手を好きになれるというわけではない。相手が好きだからといって、必ずしもセックスの快楽が得られるわけでもない。

心と快楽と身体のすれ違いを、どうやって埋めていくのか。たかがセックス、されどセックス、といつも思う。そして、寿命が延び、女性がいつまでも女でいたいと願う現代において、これからはバツイチ再独身や、ずっと未婚の女性たちが増えていくだろう。

 私を含め、彼女たちはどうやってセックスパートナーを見つけていくのか、あるいは恋人とどういうセックスライフを送っていくのか。おそらく今までとは違う形態が出てくるはずだ。

女性の性のパワーに男性がついていけないという事象はすでに現れ始めている。男女の叡智(えいち)は、そう言った問題を乗り越えていけるだろうか。

 セックスと、それを含めた女性の生き方は、たぶん今、過度期なのではと思う。しばらくこの状況をリサーチしていきたい。

差し込み文書=

赤バラセクシャルヌレヌレフィンガーテク

中高年の性 「するセックス」から「楽しむセックス」

中高年の性 「するセックス」から「楽しむセックス」
差し込み文書=
老後の性 「するセックス」から楽しむセックス・セクシャルヌレヌレフィンガーテク。
心と快楽と身体のすれ違いを、どうやって埋めていくのか。たかがセックス、されどセックス、といつも思う。そして、寿命が延び、女性がいつまでも「女」男性もいつまでも「男」でいたいと願っても叶えられない現実を切り開く努力を欲するならば必ず叶えられるでしょう。

今まで男の独りよがりの貧しいセックスのせいで女として成熟しきれていなかった人々が中高年の八〇パーセント前後に達するという、女として成熟するためには夫に手伝って貰ったことで素晴らしいオーガズムを得られたという夫婦を紹介します。

当サイト編集者およびマージャン仲間から細密に情報を収集した。
大阪府在住、斎藤紀夫さん(七二歳)はソフトノーブル(避妊具)、ノーブルウッシングB型・C型使用歴八年=妻に使い。 「するセックス」から「楽しむセックス」へ大変身したという。当サイト編集者自ら事実関係を体験・現認したことをここに記したい。

昨年春までは挿入時にペニスの硬度が弱く、勃起維持力もなくなっているから、自らでは騎乗位で殆んど彼女をイカことも、射精することもできなくなった、という。

今までのセックスは家庭平和を維持ための「するセックス」、義理的に月一回程度する「するセックス」、夫の欲情を処理する「するセックス」、このように「するセックス」に終始していた紀夫さんの妻・和子さん(六七歳)。

だけど、ほぼ全ての女性たちに隠された貪欲なまでの性欲が成熟すると、栓をひねれば水が出る如くためらいもなく六七歳にしても、優しく触ってあげればヌレヌレになり週二、三回でも「したくなる」「して」と懇願する「楽しむセックス」に変わったという。

「セクシャルヌレヌレフィンガーテク」の誕生

紀夫さんがいうには、セクシャルコミュニケーションが取れた現在では今日はたっぷり楽しもうと言い、妻の外性器を傷つけないように片手に五本指サックを着けてオリーブオイルを塗り外性器にフィンガーテクニックシチュエーション愛撫。一方の利き片手にオイルを塗ったノーブルウッシングB型(膣温水洗浄器)を用い膣挿入し性感マッサージし一回程度イカせる。さらにC型を取り換えて自らのペニスと同じ動作を再現させ二回イカせた、と語った。 
外性器図

勃起不全・中折れ・早漏

以前から中折れペニス気味の紀夫さんはソフトノーブルD型(膣挿入避妊具)を挿入、そしてペニス挿入後はできる限り早く射精しないとペニス勃起を維持できないので妻に騎乗位になって貰うと、一分前後で射精できると二〇一七年正月に話していたが。

それから四ヶ月はペニス勃起が三分程持つようになったから妻も凄く感じると言い一緒にフニッシュし初めて妻は三回もイッてしまったと満足気に嬉々とした表情で語っていたという。で、翌日も妻・和子さんの下着の上からそっと撫でていたらぐっと股を拡げ愛撫を促す姿勢に入り。紀夫さんを覗き込み、するんー、と挑発したそうだ。

おれも男だ、挑戦されて引き下がっては男の沽券にかかわる、と笑いながら言って挑戦を引き受けた、と。そう語った。

「前日と違って今回は今までのシチュエーションと趣向をかえて、指すべてサックを着けて市販のオリーブオイルを塗り、下記外性器図全体を優しく五本の指で丁寧にローリングし、中指、薬指を膣入口に当て、親指をクリトリスに当て日和のいい海辺の砂浜に大波、小波が押しては返す波のように優しく変化をつけて繰り返し時間をたっぷりとかけて微睡(まどろ)むような愛撫してあげると驚くほどヌレヌレしてきて、凄く感じてきたという」。
当該事象を『セクシャルヌレヌレフィンガーテク』と命名する。
注意 ノーブルウッシングB・C型(膣温水洗浄器)は本来性感マッサージ用として、設計されてはおりません。激しい動作においては先端部突起が破損し易く、破損した場合には、その突起部分だけハサミで全て切り取ることで再使用することもできます。

使用上の操作として膣挿入後に小さな容器(タレ入れ)に入れたオリーブオイル、或いは、ゴマ油・アロマオイルをTソケット上部から流しいれることで、ケガ防止と性感覚
がよりよくなります。勃起不全・中折れ・早漏の男性は女性に性感マッサージを無限に施してあげることができます。

心と身体の融合

六七歳にしてこれほどまで濡れるとは想像していなかった、妻も自分も驚いたそうだ。
妻は、しばく恍惚の世界にとけこんだようによがり声を発しながら、あなたのが、欲しいと身体をくねらせ懇願したそうだ。

わかい頃のように彼も一時間も挿入し逡巡するほどのペニス勃起維持力はもう失ったという、もう回復することもないだろうとも。指で前戯を丁寧懇切におこない、途中からウッシングB型・C型を用い一時間ほどイクまで楽しませてあげて、最後には女騎乗位でお互いに強烈なフニッシュというパターンができ上ってしまっているという。

初めて三回イッた翌日のセックス。妻はイキきそうでなかなかイカないけれど微睡(まどろ)むような恍惚のセックスを一時間程度楽しんでいると、もう許してと絶唱させたと語った。そして(膣にソフトノーブル・ペニス挿入)妻騎乗位でフニッシュ、今日は一回だったけど、あなたと一緒にイケてよかったと嬉しそうに妻はニンマリ笑ったそうだ。この話は二〇一七年の春の話だった。

三日連続で性行為を行って五回も妻をイカせたという結婚生活四〇年あまりで初めてのことだと語った。その後も「楽しむセックス」をふたりで週一程度は行っているという。妻曰く紀夫さんは毎日が楽しそうで今まで手伝ってくれなかった積極的に家事手伝いや、風呂洗い。ふたりでリックを背負い買い物の出かけるようになったと和子さんが私にそっと嬉しそうに話してくれた。

勃起不全

男が勃起不全に陥り男を止めたくないと。必死に妻を歓ばす愛情を示しつつ男を取り戻そうとした努力の結果だろう。それが『セクシャルヌレヌレフィンガーテク』という究極の前戯の発見だったのだ。

性行為に用いるノーブルウッシング(膣温水洗浄器)は、バイブレーターと違い無音であり、優しいタッチ感で丁寧に心ゆくまで何度も何度もオーガズムを味わえる、今までのように多くの男たちが膣挿入してからパートナーを満足させなくては、イカせなくてはという強迫観念にも似た肉体的そして精神的負担が軽減することでセックスレス化を防ぐ効果を発揮し、なおかつセックス回数が激増したことがわかってもらえたでしょうか。

「一昨年四月サイト改変作業しGoogle有料サイトに再度アップしたら、アダルトだと散々文句をつけられ、書き直しても、なかなか再承認されずサイト強制停止処分を一年あまり下されていた。
 余分なことだが、強制停止の理由となった箇所は絶対教えないのがグーグルアドワーズ審査員たちだ。表現の自由と知る自由を保障した憲法二一条の法律さえ知らないのに、当該サイトは日本の法律に違反していると言うのだ」

当該サイト編成は市町村図書館の所有する著書、文献から引用された文言集から編集されており、青少年保護育成条例などに法令に違反する種類のものでないと弁護士を通じGoogleサイト側と闘った。

 しかし、当該の差し込み文書キワード『セクシャルヌレヌレフィンガーテク』は昨年二〇一七年八月サイト再承認アップでは掲載しなかった、生々しい事実であるから不承認の矛先となりかねないからだ。

 多くの著書に閉経後のセックスの悩み、セックスレス・性の不一致・性拒否というキーワード文献『亀山早苗氏=著』のように多数あるがこれら当事者の事象は性的機能回復させ夫婦円満に導ける方法などみあたらないからあえて人に非難されようが記した。

本来は日本特許取得名「膣挿入避妊具」「膣挿入温水洗浄器」として用いる健康用具・発明品ではあるが。夫婦生活・性生活に疲労困憊している多くの男女に転用できる。そして恋愛サーキュレーション図書でいろいろな感情を語ってくれた女性たちの助けになればと記した。

 つい昨年斎藤紀夫さんは「男」を降りるのかと意気消沈していたが、性欲回復に異常なまでの意欲を見せたという。まず朝昼夜と十分程度、睾丸、陰茎、海綿体、精管、精巣上体、精巣、陰嚢、など丁寧にマッサージを施した、するとみるみるまに回復の兆しがあらわれペニスが朝立ちするようになり見事に性欲も勃起力多少蘇った、と語ったのだ。もちろん妻・和子さんの協力も欠かせません。

男性生殖器解剖図
生殖器断面図
1.膀胱 2.恥骨 3.陰茎 4.陰茎海綿体 5.亀頭 6.包皮 7.尿道口 8.S状結腸 9.直腸 10.精嚢 11.射精管 12.前立腺 13.尿道球腺 14.肛門 15.精管 16.精巣上体 17.精巣 18.陰嚢

 そもそも夫婦間において現在セックスレス状態の人達の多くが結婚条件としヒューマンセクシュアリティー(人間の身体の一部としての性器や性行動だけでなく、他人との人間的なつながりや愛情、友情、思いやり、包容力など人格と人格との触れ合いのすべてを含む幅広い概念)は、少なからず一致していたから結婚したのだ。

しかしながら性的熟成「性器発達」が、なされないまま子ども産まれて、妻は子育てに没頭し、ときには、あるいは夫に触られるのをやんわりと拒絶したこともあろう、そのとき夫はいろんな意味でプライドいたく傷つけられ失意したかもしれない。しかし夫は家族を護るため仕事に没頭しセックスそのものが面倒くさい、無関心となったことからセックスレスという症状が現れたんかもしれない。

気がついたら、子どもに独立心が芽生え母親の手から離れつつあるとき、妻は「女の寂しさを痛切に感じる」。この本の取材回答者の殆んどこのケースに近いようなきがする。
はっきり言ったら、性的器能の相性が合わない可能性が高いのかもしれない。

例えばセックスの中心膣腔奥「子宮噴門『うずら卵より少し小さい』へ届かないペニス」であったり、前戯テクニック、シチュエーションもいまひとつという夫。セックスが遠ざかるほど「セックス時に悪臭がする妻の性器」「膣腔の締め付けが弱い」濡れ具合も感度ももうひとつという妻の場合もある。

 一般的にはこの世の中の中高年夫婦の七〇〜八〇パーセントの性的相性がもうひとつとであろうと判断できる。
なぜなら結婚したあと年を重ねるごとに、妻がセックスに応じようとしないという不満を募らせるようになる。結婚一年目には、妻がセックスに応じないという不満を持つ男性は一四パーセントにすぎないが、四年後にはその三倍の四三パーセントが不満を抱いくようになる。
閉経後のセックスでは女性ホルモン分泌(濡れ具合)は減少する、場合よっては膣を傷つけることもあって女として終わったと勘違いしている女性がいるから中高年夫婦の七〇〜八〇パーセントがセックスレス状態であると日本性科学協会発表によっても明らかである。

先述の和子さん六七歳にしても、優しく触ってあげれば週二、三回でも「したくなる」「して」と懇願するようになると記したが、その道のりは容易くはなかったという。
当サイト発明品、ソフトノーブル(避妊用具)の使用は約一〇年前から社内臨床試験で使って多くの人に提供した「お客様の声」

ソフトノーブル用いると特大ペニスと交わる感覚であり、とっても気持ちよいとほぼすべての女性が絶賛して、サイト販売五年間において性的不満足とか、懐妊被害、ケガしたなどの報告ひとつない信頼できる商品である。


「セックスによって出血する人が次々と産婦人科医院に若い女の子たちが来ます。もちろん、はじめての性交でもなく、膣の奥や入り口に傷がついて出血して来る人たちが多いのです。「はて、セックスでどうしてこんな傷がつくのだろう?」私は、不思議でした。そのうち、ふと思いついて、尋ねました。

『彼氏が指を入れた?』
 みんなみんなうなずきます。それでわかりました。それも、単にそっと入れてみるというのではなく、膣の中でずいぶんと乱暴に指を動かしているのです。膣のように柔らかいところでそんなことをされては、爪で傷ついてしまいます。とても危険です。

『指を入れて動かして、それであなたは心地よいか?』と尋ねました。これには、みんなが首を振ります。当たり前です。そんなことで気持ちがいいはずがない。それどころか、痛かったり、気持ち悪かったり、いいことなんていいはずがありません。
子宮断面図
日本女性の『膣』は長さ約11cm前後。子宮へつながる襞(ひだ)でできた大腸に似た器官である。伸縮自在で、通常は狭くなっているが、セックスや出産の時はとても広がる。

『子宮』膣の奥の筋肉の袋。受精卵が着床し、妊娠すると、徐々に大きくなる。最大で子宮の容量は百倍にもなる。
クリニックにはさまざまな年代の方がこられます。特に最近は、更年期の医療が盛んになっていて、それを求めてこられる方がとても多いのです。
 更年期や熟年の方たちの訴えは、単に体の不調を何とかして欲しいことだけではありません。『夫とのセックスが苦痛』『したくない』『セックスさえなければいいんだけど』『逃げだしたい』等など、彼女たちの訴えは悲痛です。ホルモンによる体の変化のためだけではありません。

 このような、夫との性が苦痛な人たちは、若い時からセックスそのものが楽しくないのです。夫の独(ひと)りよがりなセックスを続けてきた結果がこうなのです。『妻を喜ばせてやろう』という意識を持っていますか? 回数ではありません。妻にとって、心も体も解放される素敵なセックスが展開されれば好きになるでしょう。苦痛でしかないセックスであれば、したくないのは当たり前ですよね。産婦人科医の河野美代子著、引用」。

イッことがない、オーガズムがどんなも経験したことがない人も少なからずいるという酒井あゆみノンフィクション著、挿入されるイッキに冷める「性の不一致」
 その他の文献でも挿入されるイッキに冷めるということが散見される。イッたことがないオーガズムを知らないという理由としてふたつ上げられる。心の問題と性器機能が複雑に絡み合って嫌悪感とか悪感情を引き起こしている可能性がある。

ここでは、性器機能についてだけを説明したい。
セクシャルシチュエーションのなかでのキスとか乳房、クリトリス愛撫などでは凄く感じるのになぜか、挿入されるとイッキに冷めてくるという事象を考えたとき、産婦人科医の河野美代子医師は興味深いことを著書に記してあった。

膣そのものは快感をかんじる機能はなく、膣の外側にあるという、つまりペニス亀頭縁がかりが膣の外側にある部分に刺激を与え快感をかんじさせなければ快感は得られない。
あるいは、小さなペニスでもピストン動作だけでは快感は得られないが、ローリング動作を加え膣の外側にある部分に刺激を与えれば快感をかんじるだろう。

 膣そのものからは快感は得られないのだという。
つまり、膣の外側にある部分に快感をかんじさせることができないということは、当然、セックスの中心膣腔奥にある外子宮口・噴門(うずら卵より少し小さいペニスが当たったらコリコリした感触が男女双方に伝わる「上記子宮図」)へ届かないペニスであるならは挿入されるとイッキ冷めてくるという気持ちがわかるような気がする。

私は感じないのに一生懸命彼が、あるいは、夫が汗を垂らしながやっている行為を目前にしていると虚無感を覚えて虚しくなるのではないだろうか。
感じたいと思っても心と身体がひとつになれず濡れない、感じない。しまいには膣内は温さも失われてきて、パサパサに乾き女性ホルモンであったり、すべり易く使用のゼリーの残滓が酒粕のようにペニスに付着してくる事象もある。

二、三回同じことが繰り返されれば、多くの夫婦は「男」「女」であることを諦め永遠のセックスレス状態となっているのだろう七〇〜八〇パーセントの中高年セックスレス群がいる理由はここだろうか。

11p前後の膣へ12p前後のペニスによって性行為したら、まず男女双方ともセックスの中心膣腔奥にある外子宮口・噴門での快感はまずかんじ取られないでしょう、ただ、女性騎乗位の場合は少しふれて少し快感というものに触れたという人たちもいる。また、閉経を迎えて加齢を重ねるとより鮮明になるともいう。

それは、各臓器を支えつなぎ合っている神経節取り巻く筋や腹膜筋肉(インナーマッスル)が衰えることで各臓器の重さ「地球の引力」によって子宮を押し下げるので性行為のとき女性騎乗位の場合はより感じるだと理論的に証明できる。

 だったら、日本の女性はどれ位太長いペニスであればオーガズムをより感じるのか、適しているのか、収納できるのか。
若い女性は膣及び子宮など性器官がまだ充分に成熟していないから、女性の手で勃起したペニスを両手で掴(つか)んでひとつまみ半(17p前後)、出る位が昔から最良とされてきたが私は少し大きすぎる気がする。成熟した女性ならヌレヌレフィンガーテクで充分膣が拡がったら20p前後の太く長いペニスでもさほど苦も無く膣内に収容される。

小さなペニスでも強力な負荷を「ペニス」や「膣」にかけたセックスが心地よいと感じるなら自然と性器が大きくなる(ペニスが二、三センチ長くなる。太さも海綿体が負荷により海綿体細胞が広がることで血液量が増えてペニスの体積が50パーセント程度太くなったという事象もある。ただ、勃起力(固さが多少失われる)特大外国人ペニスと同様である。

セックスにおける子宮への負荷であったり、ソフトノーブル膣挿入し性行為後に着脱するため膣奥から手でつかめる膣入口へ絞だす負荷によって自在に膣筋力アップして強力に締め付けられるようになった事象も証明されている。
あるいはソフトノーブルを膣筋力だけで出せるようなら素晴らしい名器と評価されるでしょう。
『性機能アップ効果は、あくまでも個人差があります』。

心と身体を癒すシチュエーションの雰囲気にあって、ペニスが勃起し膣腔内で勃起が永続すればセックスの中心・外子宮口(噴門)を刺激してオーガズムに達しさせてあげられる。しかし、ペニス勃起が永続しない場合は、何の役にも立たない、サイト編集者友達、斎藤紀夫さんは哀しいが男の終焉を迎えたと思った。

 八年前にノーブルウッシングC・B型を使って妻へ膣腔性感マッサージをしたら、痛みを感じたと言うのでそれ以来、性的目的ではしていなかった。

それもそのはず、今から遡ること三〇年前バイブレーター、性感グッズなど妻・和子さんが喜んでくれるだろうと試したら「痛い」の一言、日を開けて二、三回試しましたが同じ、だからすべて捨てたと語った。八年前社内臨床で貰ったソフトノーブルC型は好評で使いつづけていたという。

その効果もあって、妻の膣腔に変化が現れはじめ、締まりがだんだんよくなって来たという。行為時に紀夫さんのペニス亀頭縁がかりが鮮明に膣腔に挟まれているのがわかるようになったと語った。もちろん和子さんもわかっているし、自分でも自在に締め付けることができるようになってきたという。
そしてより感じるようになったことも話してくれた。同時に自分のペニスの体積が増えたつまり太長くなっているという。

「小さなペニスであってもペニス亀頭縁がかりが鮮明にお互いに感じ合える方法もある、勃起時に上記図3.陰茎包皮を亀頭縁がかりが方向に引っ張った場合ペニスに被るようであったら、勃起時に陰茎包皮をペニス根元に引っ張ってテラックス製輪ゴム二重にして三本程で固定すると亀頭縁がかりが鮮明に膣腔に挟まれているのがわかるようになる可能性がある」。

セックスの回数が増すごとにお互い知らない間に鍛錬した結果として現れたのであると思う。斎藤紀夫さん夫婦、マージャン仲間たち夫婦、及び当編集者夫婦ともに同じく凄い事象を経験している。性的シチュエーションの雰囲気さえあればまず女性パートナーから性拒否することなくなったし、よく感じ合えるようになったのは言うまでもないことだ。

だから、経験則から妻がイッたふりをしても誤魔化せないとも語った。イク前には膣の締まり具合が半端ない締め付けの波が何回も押し寄せてくる、妻がイク寸前は最も強くペニスの動きが簡単ではない、が、凄く気持ちいい。

動きがよくなったと思ったら瞬間、膣奥から温い女性ホルモンが噴出してくる、その温さも伝わる、そしてオーガズムに達したことがペニスから鮮明に伝わってくるという。
ノーブルウッシングでも同じで膣腔内の様子が鮮明に手に伝わってくるとも語った。私達もその通りだと彼に言った。

ノーブルウッシングは性感マッサージ用として想定していなかったため、激しく使用をすると消耗品という側面もある詳しい使用法。サイト、オーガズム定義をご覧ください。
=ソフトノーブル通販=

あとがき

 ここ数年のことだと思うが、ごく普通の主婦たちが「出会い系サイト」に特に抵抗もなくアクセスしているという話を聞くようになった。男女間で「ハプニング」が起こる可能性のあるハプニングバーに、恋人や夫のいる女性が出入りしているという現実もある。出張ホストや性感マッサージにお金を払って利用している女性を見つけ出すのも、それほど大変なことではない。

 そういった現象を見つけ、女性たちが「何か」を求めている、求め始めているのだと直感した。性を追っているのは事実だが、それは「何かの象徴」ではないか。「セックスしていないと女じゃない」という共通認識に基づいた強迫観念さえある現代、女性は自由になったように見えるが、逆に自分を不自由にしている側面もあるのではないのか。

そんなことを考えながら、取材を続けた。
どの女性の話も「全く理解できない」とは思えなかった。セックスに対して、あるいはオーガズムに対して、多少、過剰な反応をする女性もいるが、それでも共感するところは大きかった。

感じたい、感じなければ女じゃない、男に求められたい、いつまでも女でいたい。私の中にもある、そういった、ある意味「女の業」のようなものが、現代女性たちの中にふつふつと沸き上がってきているような気がしてならない。

 若い女性向けの雑誌では、つい最近まで「愛され」がテーマで、今は「ちょいモテ」がキーワードだ。もう少し大人の女性の雑誌では、「きれいでいたい」「いつまでも美しくありたい」が読者共通の願いとなっている。

 いずれにして、女が女であることへの自覚を促している。促すならいいのだが、ときとして、あるいは読むほうの気持ちによって、それが「煽(あお)り」になることや「強迫観念」を生みだすこともある。

その一方で、「自分らしく生きる」のも女性たちのテーマだ。女であることを忘れずに、なおかつ自分らしく生きる。言葉としてはきれいだが、これほど難しいことはないだろう。

 そんな背景の中で、女性たちが自分の性や性行動について語り始めた。焦りも怒りも、みじめさもつらさも、いろいろな感情を語ってくれた女性たちに、心から感謝したい。彼女たちの社会的立場を考えて、名前は仮名にさせていただいたが、語られている内容は、まさしく「ナマ」の言葉だ。これらの「ナマ」の言葉がなければ、この本は成立しなかった。

 この本を書くきっかけになった講談社の小野裕二さん、編集担当の細谷勉さんにも心からの感謝を。
 そして読んでくれたあなたにも感謝。あなたが男であれば、恋人や妻の気持ちを少しでも斟酌(しんしゃく)するきっかけになれば幸いです。あなたが女性なら、セックスをどうとらえていくか。そこを考えるヒントになるかも知れないと思います。セックスを考えることは、生き方を考えることにもなるはず。より充実した生き方を見いだしていくために、お互いにがんばりましょう!
二〇〇六年六月   亀山早苗 

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

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