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第3 二章 女性たちの「離婚しない理由」

本表紙 亀山早苗 著

二章 女性たちの「離婚しない理由」

 今の六十代、七十代の人たちだって、「離婚したい」と思ったことはあるはずだ。かつての男性たちは、今よりもっと横暴な人が多かっただろうし、友人たちに聞いても、家で父親が妻や子供たちに向かって、「誰に食わせてもらっているんだ」と言っていたという記憶を多くの人たちがもっている。私も父親から、その言葉を頻?に聞かされながら育った。

 男たちがそんなふうに言うのが許された時代だったのかもしれない。女性たちは、もちろんそれをよしとしてはいなかった。惨めな思いに駆られることもあっただろう。だが昔は、女性たちに経済力がなかった。離婚する人たちが少なかったから、離婚そのもののハードルも高かった。

「子供を大学まで行かせてやりたい。そのためには離婚できない」
 というのが多くの女性たちの言い分だったろう。

 時代は流れ、離婚はそれほど珍しいことではなくなった。結婚前に仕事をしたことのある女性たちが多いため、専業主婦からもう一度、社会に戻ることにも抵抗はない。年収は減っても、夫と一緒にいるほうが精神衛生上、よろしくない。それはひいては、子供の精神にも影響を及ぼすと考える。借金、暴力、浮気。この三つがやまないようであれば、誰もが離婚を勧める時代になっている。

 ところが、みんながみんなそうやって割りきって離婚に踏み切れるかというと、そうではない。決して幸せとは言い切れないが、現状維持を選択する女性も、もちろんいる。離婚したって今より幸せになれる保証はないから、現状維持を選択するのも、もちろんひとつの方法である。

愛想をつかしてはいるけれど

 すり込みなのだろうが、「自分さえ我慢すればすべてうまくいく」と考える女性の心理は、今も残っている。特に自分に収入がない場合、夫の収入は生きる頼りでもある。子供が居れば、それは仕方のないことだともいえるのだが、現代では目立つのは、妻たちが我慢しているように見えながら、あるいはそう見せながら、「内心は夫のことをバカにしている」ことだ。

心の中では愛想を尽かし、夫を低く見ながら、それでもなお結婚生活を続けていくのは、本当はとてもつらいことなのではないだろうか。自分の人生に対して、失礼なことではないかとさえ思う。

 あるひとから、「ちょっと変わった女性がいる」ということで、美菜さん(三十五歳)を紹介してもらった。ランチでも、と美菜さんは都内の一流レストランを指定してきた、ランチコース「八千円から」という店である。

「ここ、おいしいのでお気に入りなんです。ひとりで来ちゃうの」
 その言葉は嘘ではないようで、ウエイターたちとも親しそうに言葉を交わす。
 美菜さんは、柔らかそうなカシミヤのアンサンブルに身を包んでいる。長い睫毛(まつげ)には念入りにマスカラが塗られていた。ワイドショーなどで出てくる「セレブ」っぽさを感じさせる奥様だ。

「夫は金融関係に勤めています。外資系をいくつも渡り歩いて。こんな世の中だから、今はけっこう厳しいと思いますけど、お金の不自由は感じたことがありません。だつて、それが結婚の条件だったんですから」

 婉然(えんぜん)と微笑む。二歳年上の夫とは、十年前に、友達の紹介で知り合った。当時、彼女はフライトアテンダント、昔でいうスチュワーデスだった。夫は彼女に惚れ込み、熱烈にプロポーズ。

「うち、祖父は教育者で、父は旧財閥系の会社の役員なんです。当時、ある官僚との見合い話が進んでいたんですけど、夫は家に乗り込んできて『とにかく美菜さんを幸せにする。不自由はさせない』と熱弁をふるって。それでなんとか親もなんとか許してくれたんです」

 美菜さんといえば、「熱烈に求めてくれる人と結婚するのが、女としていちばん幸せ」だと信じていた。二六歳で結婚、専業主婦となった。夫はしゃにむに働き、二十代にして数千万という収入を得るようになっていった。

「ほしいものは何でも買ってくれたし、本当に不自由のない生活をさせてくれた。それはありがたいと思うんですけど」

 美菜さんの表情が曇る。そこへ顔見知りのウエイターがやってきて、彼女はとびきり明るく、美しい笑顔をとっさに作った。人間の裏表が見える一瞬だ。人は見かけだけでは判断できない。

 ウエイターが行ってしまうと、彼女は再び、少し暗い顔つきになった。
「実は私、二八歳のとき子宮がんになったんです。子宮も卵巣も全摘しました。どうして私がこんな病気になったのか、当時は毎日、泣いて泣いて。死を待つよりは、自ら死んでしまいたいと思ったこともあります。子供を産めないわけですしね。夫には離婚を申し出ました。でも夫は『美菜が生きていさえいればいい』と言ってくれたんです」

 美菜さんは手術を乗り切り、何とか健康を取り戻していった。だが、ホルモンのバランスが崩れたせいもあるし、何より産婦人科系の重病になったことがショックで、精神的にはなかなか立ち直れなかった。治療が一段落しても、その後は再発の恐怖に怯える日々が続いた。ようやく落ち着いたのが、発病から五年たったとき。

「ちょうどそのころからだったと思います。番組は覚えていないけど、テレビにオネエの人が出ていたとき、夫が『美菜もこの人たちの仲間みたいなもんだよな』と言ったんです。乳癌とか子宮癌って、女性にとってはものすごくショックな病気でしょう? 私も若くしてもう自分は女ではないのかと思ったりして苦しんでいたんです。そんなとき、夫にいわれたひと言で、『この人は人間として、下の下』と思いました。

夫は完全に表情が固まった私の様子を見て、あわてて『本当に悪い冗談だった。なんとか美菜を笑わせたかったんだ』と謝りましたけど、私は許せなかった。それ以来、夫の欠点ばかり目に付くようになったんです」

「人間として下の下」とは、強烈な表現だ。たとえ嫌いであっても、夫をそう言う風に言うのは珍しい。言い換えれば、そこまで軽蔑する男と、ひとつ屋根の下に暮らしていることも不思議でたまらない。

 とはいえ、世の中には、言っていいことと悪いことがある。たとえどんな親しくても、ポロリと出たひと言が、決定的に信頼関係を崩してしまうものだ。美菜さんの夫は、悪気はなかったのだろう。妻の苦悩を笑い飛ばしてしまいたかったのかもしれない。それでも、言っていけないひと言だった。

 夫は何度も何度も、土下座して謝った。彼が美菜さんを愛する気持ちは、たぶん本当なのだろう。だか、彼女の心は、病気前とは異なっていた。

「この人は、人の痛みが分からない人だと思って彼を見るようになりました。そういう目で見ると、大きく金儲けをする人だから、他人を蹴落としても構わないと思っている節もあるし、『儲けられない男はバカだ』みたいな言い方もする。

私も子供の頃から生活に不自由はしたことはないけれど、病気をしてから『お金で買えないものもある』と思うようになったんです。心配して毎日見舞ってくれた両親や、元気づけようとして楽しい漫画など差し入れてくれた学生時代の親友には。改めて感謝しました。

 本人の言葉を借りれば、夫は夫なりに私を元気づけようとしくれたみたいだけど、その方向性が違うんですよね」

 夫の愛情を試すように、一時期、無茶なことも言った。都内に一億円くらいするマンションを買ってほしい、運転手つきの自分の専用車がほしい、など、夫はすべて望みをかなえてくれた。その分、夫は身を削るようにして働いた。

「あるとき、夫に『ふたりで二週間くらい、のんびりヨーロッパに旅したい』と言ったんです。それは断られました。夫は私のために時間を割いてはくれない。もちろん、二週間も仕事から離れられないから、そして仕事をするのは私のためだから。だけど、私は夫からお金以外の何をもらったんだろうと考えると、だんだん虚しくなっていったんです」

 億ションは一年も住まず売り払った。広いだけの寒々とした住まいは、美菜さんをますます虚しくさせるだけだった。このときも、夫は何も言わずに、彼女の希望に添うような物件を見つけて来た。運転手つきの車も要らなかった。都内では電車の方がずっと早く移動できる。

「三十二歳くらいから一年ほどは鬱々としていました。夫は早朝に家を出て、深夜に帰ってくる生活。週に一日あるかどうかの休日も、家でごろごろしていることが多い。

『オレは美菜がいないと生きていけない』と言うものの、私が病気をしてからは、セックスも間遠になっていました。私を壊しそうで、怖くてできないと言い出して。その一方で、ソープに行っていたことも、私は知っているんです」

 とうとう、美菜さんのきれいな大きな目が涙で潤んでいく。
 彼女自身の中にも、いろいろな矛盾や葛藤があるのだろう。お金に不自由しないのが当然と思って育った過去、スチュワーデスに憧れて、その願いがかなって生き生きと仕事をしていたころの楽しさ、ボーイフレンドはたくさんいたけど、夫となった彼の情熱に触れたときの感動。だが、病を得て、お金だけがすべてではないと思うようになった変化。

夫の愛情への疑惑、夫の生き方への疑問。だからといって、夫に仕事がなくなって、生活水準が今より劣るのは、本音を言えば我慢できないはずだ。八千円のランチを出す店で、あれだけ堂々と振る舞える普通の女性が多いとは思えない。あれこれ考え合わせると、彼女自身の人生観が今、揺らいでいるように見えてくる。

「何をしているときが、いちばん楽しいですか?」
 私は突然、彼女にそう尋ねてみる。
 彼女はとっさには答えられず、ローストビーフをナイフとフォークで、きれいに口元に運んだ。じっと待つしかない。

「楽しいとき? 実家で両親と一緒にいると安らぐんですけど、それは楽しいとは少し違いますよね。楽しいとき?」

 彼女は自分に問いただすように、何度も「楽しいとき?」と繰り返す。仕事をしているころは楽しかったですか、と質問を変えると。

「あのころは楽しかった。もちろん、辛いこともたくさんありましたけど、今思えば、楽しかったです。私、いつから楽しいと思うことがなくなってしまったのかしら。病気をしてからではあるんですが‥‥。でも、もしかしたら結婚したからかもしれません」

 私は彼女に説教するつもりなどなかった。若くして大病をしたショック、特に産婦人科系の病気をした衝撃は、私など何を言っても慰めにもならないとわかっている。だが、私は、何か違う、と彼女に対して感じていた。

自分の楽しみや充実感も、自分でつかみ取ってほしかった。夫への複雑な気持ちは分かるけど、だったら夫と別れても、自分の充実感を追求した方が幸せなのではないかと思えてならなかったから。

もちろん、何が幸せかは人による。だから私からは、そんなことは言えない。ただ、今の彼女の笑顔は、やはり「作られた」ものだ。「他人に見せるための笑顔」だ。人は楽しいときは自然に笑う。他からはどうみられるかなど考えもしない。

「夫と私、もともと趣味が合わないんです。私は小説を読んだりするのが好きだけど、夫が読むものといえば、日経新聞とお金の本だけ。夫にとって、お金がイコール心なんです。

だけど私は、最近、そういうのも違うなあと思うようになっていた。退院したばかりのころ、母と桜並木を散歩したことがあるんです。本気にきれいで、泣けてくるほどだった。

帰ってから夫に『今、桜がキレイなのよ』と言ったら、『そういう季節かあ』と。観に行かないかと誘ったんですが、『時間がない』と言われました。実利の世界だけで生きている人なんです。

情緒みたいなものがない。先日も、彼の友達が仕事で失敗して、金融の世界を追われたらしいんですが、『アイツのやり方は間違っている。頭が悪いんだ』と吐き捨てるように言っていました。私も会ったことのある人だから、その人がどうなったのか気になるんですけど、夫は『負け犬のことなんか気にしなくたっていいんだ』って、冷たいですよね。
そういう人に食べさせてもらっている私も私なんですけど」

 そこに自分の辛さあるのだと、美菜さんもわかっている。もしかしたら、一歩踏み出せない自分に、一番苛立っているのは彼女自身なのかもしれない。

 何かがうまくいかないとき、人はマイナス思考のスパイラルに入り込んでしまうことがある。そんなときは、そこから抜け出したくても抜け出せない。しばらく思考が中断させて、自然と浮かび上がってくるのを待つか、発想をがらりと転換して活路を見出すしかないと思う。

 だがどんなにあがいても、最初の一歩を踏み出せないこともある。真っ黒な瓶の底に、自分自身の足が貼り付いてしまったかのようで、どうしても動けない。美菜さんは、そんな中にいるのかもしれない。

「離婚を考えたこと、ありますか?」

 単刀直入に聞いてみる。
「自分が内心、人間として下の下だわ、と思っている人と暮らしているのって、おかしいと感じるでしょう?」

 質問には答えていないが、美菜さんは何かを訴えたそうに言った。

「ただね、私、自分の親にはまったく夫のことを話していないんです。今さら、親に心配を掛けられないし、離婚したら、私は結局、実家に戻るしかないわけです。それもいい年してみっともないし。それに、そもそも親が勧めていた見合いの話を蹴って結婚したわけだから、自分のプライドに賭けて離婚はできないんです」

 これが美菜さんの本音なのかもしれない。それでもこのままずっと友達やお母さんと、贅沢なホテルのランチをとっていても、どこかで本音を出しきれず、いつでも「明るく華やかな女性」を演じていくつもりなのだろうか。しかし、美菜さんはまだ若い。ずっとこのままでいいのだろうかと余計なことを考えてしまう。

「母は何か習うなりして資格を得て、また仕事をしたらと言います。だが、資格があれば働けるという状況でもないでしょう? 本当は私、女性たちがくつろげるようなカフェかバーみたいなものをやってみたいんです。

でも経営ノウハウもないしね。夫は『美菜に働かせるようなことはしたくない』と取り合ってくれません。いろいろ考えたんです、私も。養子をもらって育てようと思ったこともあります。でもどうしても、夫との関係がネックになって、私たちじゃいい親にはなれないという結論しか出てこない。夫は養子をもらうことには反対ですし」

 何かしたいという気持ちがあるとき、手あたり次第やってみるのも一つの方法ではある。だが、機が熟すのを待つのも手だ。彼女の中で、何かが変わるとき、何をしたいと思うようになる時がきっと来る。焦らず、でものんびりしすぎずに、何かを探していってもいいのではないだろうか。

 それが美菜さんとは、ときどきメールのやりとりをしていた。数か月後、彼女は長いメールを寄越した。

「結婚生活も、自分の人生も、偽物だったことを認める気持ちが強くなってきました。私はずっと見栄を張って生きて来たのかもしれません」

 偽物だったなどと思う必要はないのだ。ただ、彼女にとっては「金持ちの夫と結婚している」ことがステータスであったのだろう。その気持ちを、同じ女として理解できる人はたくさんいるはずだ。

女は、なぜか夫の収入や肩書きが、自分のステータスにもなるものなのだ。ファーストレディ、という言い方がいい例だろう。

 その後のメールで、彼女がバーテンダー養成の専門学校に通う始めたことを知った。カクテルを作る楽しさと書いてある。彼女が楽しいと思える時間を持てるようになったことが、私にはうれしかった。

 現実に店を開くかどうかは別問題だ。彼女が一歩踏み出した、自らの足で踏みだした。そのことが重要なのだと思う。

 妻に贅沢させてやりたい。それをモチベーションにしてがんばって働いている夫が、間違っているとは思わない。妻が「金さえあれば幸せ」と思える人なら、何の問題もなかったはずだ。だが、大病を患って、妻は少しずつ変わっていった。人の情とか、生きる意味とか、そういうものを考えざるを得なくなっていった。

 この先、夫もきっかけがあれば変わっていくかもしれない。彼女が、「夫はただの同居人」と内心、蔑みながら生きていくか、「パートナー」と実感できる日がくるか、どちらになるかは分からない。後者になる方が望ましいのだろうけれど、人生、先のことは分からないものだ。ただ、美菜さんが元気に、自分のやりたいことを一歩ずつ、実現していけることを願っている。

セックスなし、子どもなし

 結婚したらこうなるものと一般的には考えられることのひとつに「子どもをもつこと」があると思う。もちろん、欲しくてできない夫婦もいるが、中にはあえて持つ必要がないと考えている夫婦もいる。

 そして、世の中には「どうしても子供が欲しくない」と考えている女性もいる。彩花さん(四十五歳)もそのひとり。彼女のことは昔から知っているのだが、穏やかで明るい性格、誰も非難しない優しい人だというイメージしかもっていなかった。

いかにも「母親的な優しさ」を持っている彼女から、あるとき突然、「どうしても子どもが好きになれなかった。だからほしくなかった」という言葉を聞いたとき驚いた。

 私は彼女のどこを見てきたのだろう。人は表面的な付き合いではわからない。そして彼女と長時間、会って話したり、メールで頻?にやり取りをしたり、という関係が始まった。彼女は、三歳年上の美人の姉と、ずっと比べられて育ってきたという。

「両親はいつでも、姉の方を見ていました。姉は美人でちやほやされて、近所の人も私を見ながら、『お姉さんは美人なのにねえ』と言うくらい。小さい頃から音楽家にさせるために、著名な先生にピアノを習わせたりしていて、私は、ほとんど親にかまわれないで育ったような気がします」

 とはいえ、彩花さんは今でも、ものすごく「かわいい」女性だ。小柄でぽっちゃり、大きな目は少し垂れ加減で、「赤ちゃんのときから顔が変わっていないと言われる」くらい。少し甘めの優しい声と喋り方、表情の豊かさから考えても、おっとり優しい性格だということが分かる。

 だが現実は、姉と比較されて育ち、長じてからは、父親に「オマエは一生、嫁にいかずに家で親の面倒を見ろ」と言われ続けた。

「なんとか家を出たい。ずっとそう思っていたけど、私が高校生の頃、母が難病になってしまって。大学に入ったらアルバイトをしてお金をためて家を出ようと思っていたんです。でも、大学は理系だったので、実験ばかりで忙しくて、アルバイトができなかった。結局、大学と家との往復だした。家では家事と介護の日々で」

 大学卒業後、就職した会社では、ほとんど家に帰れないくらい働かされた。三年働いたが、とうとう身体を壊して退職。いくつか資格をもっていたので、その資格をいかしてアルバイトをしていた。

 そんなときに仕事の関係で知り合ったのが、画家の祐介さん(五十五歳)。彩花さんより十歳年上の彼は、彼女に一目惚れした。当時、彩花さんには同世代の恋人がいたのだが、家を出るなら経済力もある祐介さんにと、彼女の心はなびいていった。そして、身一つで家を出て、祐介さんのマンションに転がり込んだ。

「親も友達も誰もが私の居場所を知らないという状態でした。大恋愛の末の駆け落ち、と夫自身も、そうして周りもみんな思っているみたい。でも正直言うと、私は自分の逃げ場をいっとき、求めただけ。

姉に結婚話が出ていたので、早くしないと本当に家を出られなくなるという危機感があったんです。だから、一時、彼の所に身を寄せて、なるべく早く旅立とうと思っていました」

 ずっと「いい子」でがんばってきた彼女の、初めての反乱だった。あれほど頑張ってやってきた親の介護も振り捨てた。今、自分の人生を大事にしなければ、一生、親の犠牲になって過ごさなくていけないという強迫観念があったという。

 もちろん、彼のことは嫌いでなかったし、いい人であることは十分にわかっていた。だが「駆け落ち」するほど情熱を持っていたことがない」と。

 だが、彼の方は彼女の真意を知らない。結婚するしかないという話になった。そのとき、彼女は言った。自分はどうしても子どもがほしくない、と。彼は了解し、婚姻届を出した。

「だけど一年もたたないうちに、彼は子供が欲しいと言い出して‥‥。それなら私はここに居られない、別れてほしいと言いました。それで彼が妥協案を出してきたんです。『最後に一度だけセックスして、その結果を見よう』と。

その晩、してから私、ずっと泣き暮らしていました。子どもができてしまったらどうしよう、と。次の生理が来たときは心底、ほっとしましたけど、逆に夫の気持ちを考えると、申し訳なくて、いろいろ悩みましたね、あのときは」

 以来、寝室は別で、一度もセックスしていない。夫が無理に迫ってきたこともない。結婚して二十年近くたつが、「あの夜」以来、身体触れ合うことも、キスしたこともないという。

「私、セックスそのものは嫌いなわけじゃないと思う。だけど、子どもができたら、と考えると、その不安が快感を凌駕してしまうんです。結婚して一年目はそれなりにしたけど、私は心から自分を解放して楽しんだことはなかった。夫は薄々、それを感じ取っていたでしょうね。だからそれ以降は。迫ったりしなかったんだと思います」

 彩花さんがそこまで子どもを嫌悪するのは、やはり自分が「親に愛されなかった」という記憶があるからだろう。「子どもの理不尽さが許せない」と珍しく、激しい口調で言った。ただ、子どもは理不尽なものだ。

親は振り回される。だが、自分の子だからこそ手間暇かけて、育てる楽しさというものがあるはずだ。自分の子だから許せることもあるだろう。

 ひょっとしたら、彼女は自分で自分を許せない。認められない面があるのではないか。だから自分の遺伝子を残すことに対して、通常では考えられないような拒絶を示すのではないだろうか。周りの彼女に対する評価は非常に高いのに、いろいろ聞いてみると、こちらが驚くほど、彼女自身の自己評価は低い。

 実は私自身も、自己評価の低い人間だと思う。ただ、それは客観的に見て、本当にどうしようもない面が多いので、そう思わざるを得ないという結果論だ。自己評価が低いというよりは、自分のダメさ加減をきちんと認めているとも言える。

 私が彩花さんにそう言うと、彼女の方も驚いていた。私が自己評価の低い人間だと思っていなかったという。私たちは顔を見合わせて笑った。人は、他人にはあえて言わない、たくさんの面を持っているのだと改めて思う。

他人から見た自分のイメージと、自分が思っている自分のギャップは、想像以上に大きいのかもしれない。大人になったら、そのギャップを楽しみながら生きていく余裕が必要なのだろう。

「セックスしなくなってから、夫はどうしているんだろうと思うことはあります。ものすごく真面目な人だし、もともとそれほど性的にがつがつしたところはないけど、それでも男だから。風俗なんて行ったこともあるのかどうか。私の知る限り、女性の影はなかったから、ひょっとしたら、私は彼に対して悪いことをしたんじゃないか、と最近、振り返るようになったんですけどね。今さら振り返っても遅いんだけど」

 だが、離婚という選択はせず、彼女と共に生きていこうと決めたのは彼自身だ。子どもをもてなくても、彼女との生活を、彼自身が決断した。

夫とのほどよい距離感

 彼女はそれからも、資格をいかした仕事を続け、ようやく関係が復活した自分の親の介護のために、実家に週数回、通っている。周囲に求められてボランティアもしているし、夫の実家とのつきあいもかなり密で、義妹は彼女のことを本当に姉のように慕っている。

 夫の実家では、芸術家の気難しい息子と一緒になってくれた女性ということで、彼女のことを非常に可愛がってくれているという。

「ときどき、ふたりで夫の実家に行くんですが、あるとき、出かけになって彼が『やっぱり今日はいかない』と言い出したことあるんです。そうしたら、夫の実家では『じゃあ、彩花さんだけいらっしゃい』と。行くと、『あんな息子でごめんなさいね。気難しくて大変でしょう』と両親に頭を下げられてしまいました。

私が子供欲しくないと拒絶したことを、あちらの親御さんは知らないから、私もどこか心苦しいんですけど。だから早く四十歳になりたいと思っていました。四十歳になって、子どもがいなければ、もう誰にも「お子さんは?」とは言われなくなるだろうと思って。だから、四十代半ばなった今は、かなりラクになりました」

 夫婦仲が悪いわけではない。たまに海外旅行もする。が、旅先で朝食と夕食以外は別行動。お互い行きたいと思うところが違うから、と割り切っている。夕食時には、お互いに見たり体験したりした感動を報告し合う。だが、それを共有することはない。

 もちろん旅先ではツインベッドの部屋に泊まるが、ロマンティックな気分になって、ということもない。

「でも妻としては気を遣ってますから、夫が家に居るときは、私も仕事からなるべく早く帰って、ちゃんと食事を作って家事もします。彼が友達の家に呼ばれたときは、おつまみになりそうなものをたくさん作って持たせたり、彼の体面を壊さないようにすごく気を遣っているつもりです」

 芸術家の彼は、ときどきふっと自分の世界に入ってしまう。話しかけても「うん」としか返事が返ってこないときは、彼女は自分の部屋にこもって彼を刺激しないようにする。

 彼にしてみれば、案外、家庭は居心地のいい場所かもしれない。妻は彼の望むような距離をとってくれるのだから。もし私が彼女の立場だったら、夫を放ってはおけない。首根っこを捕まえて、「何考えているの? どうしたの? 言って」と迫るだろう。

彼女はそれをしない。それが愛情からかなのかと問うと、暫く考えてから、「私自身の性格だと思う」と言った。自分も相手がだれであっても、心の奥まで踏み込まれたくないという気持ちが強い、と。だから踏み込んでこない夫にも感謝している。そして、踏み込まれたくない夫の気持ちもわかる、と。

 彼女は「すべてため込む性格」だと自分を分析した。人前で怒ったことも泣いたこともない。瞬間的に感情が激するということがないらしい。いつも穏やかで、何でも受け入れてくれそうな雰囲気にあるから、相談されたり頼られたりする。

そうなると、自分でよければ、と親身になる。彼女の家族も、おそらく何かあったら彼女が何とかしてくると思っているのかもしれない。それで彼女自身が報われているかどうかが気になるところだが、自分の負担をあまり考えるタイプではないようだ。

「今まで三回くらい、ものすごく気持ちが落ちたことがあるんです。でもその度に、誰かが急に連絡をくれて外へ連れ出してくれたり、たまたま物凄くきれいな夕焼けを見て慰められたりしてきました。

私だって、誰かに助けられて生きているんだと思うようになったんです。ひとりで泣くことはあるけど、人前では泣けないし、泣きたくない。職場の人に言わせると、私、口癖のように『楽しんだ者勝ち』と言っているんですって。

単純な仕事でも、たとえ介護でも、ボランティアでも楽しまなきゃソンだと思っているのは確かですね」

 楽しまなきゃソン、楽しんだ者勝ち、ということは、結局、「楽しめない人生」を知っているから言えることなのだろうと推測できる。自分から楽しもうとしなければ、また気持ちがどんどん落ち込む方向に行くことが分かっている。だからあえて「楽しもう」と自分に言い聞かせているのかもしれない。

 彼女にとって夫の存在は何かと問いかけてみた。「ぎりぎり、まっとうな社会生活に自分をつなぎとめてくれる存在」だという答えが返ってきた。

「親の介護があるから、時間的には今はアルバイトしかできないけど、働くのは好きなんです。夫に養われて、自分が欲しいものも買えないような生活はしたくない。だからすごくせっせと働きます。

時給がそれほど高くなくても、いつでも楽しそうに働いているねと周りの人たちに言われるくらい。だけどもし、本当にひとり暮らしをしたら、生活が荒れると思う。今は夫が居るから食事を作るし、なんとか家の中も見られるように保っているけど、本当にひとりだったら、『生活』がなくなってしまうような気がするんです」

 何時間にもわたって話をし、何度もメールのやりとりを交わしたが、彼女は「恋」とか「男女の愛情」とか、そういう言葉を一切使わなかった。人を恋するとか、「どうしようもないほど好き」という感覚がよくわからないと言い切った。

もちろん、夫婦関係に恋だの愛だのという甘い感覚が不必要な場合もあることはよくわかっている。夫婦から「男女」を差し引いても、夫婦は立派に成立する。私自身は、そこにある種の違和感を覚え、その違和感が肥大していって離婚に至った。

だが、世間では、「夫婦」は「夫婦」というものであって。「男女」とは違うという感覚があることも知ってはいる。何がなんでも夫婦イコール男女であらねばならないというわけではない。

 セックスの関係はないというだけで、夫婦の親密度を測ることはできない。彼女の労働意欲や人脈の作り方、資格などを考えると、もちろんひとりになっても十分生活していけるはずだ。

彼女は心のどこかで強烈にそれを望みながらも、やはり「離婚はできない」と考えている。なぜなら、夫との生活がイコール社会生活だから。そしてその社会生活を失ったら、彼女は「自分がまっとうな人間ではなくなっていく」と思っているから。

 彼女のその気持ちはよくわかる。私などは日常生活破綻者であると自分のことを思っている。フリーランスの仕事は、自分で時間を組み立ていくしかないのだが、怠けようと思えばどこまでも怠けられる。

ひとり暮らしだから、生活時間がめちゃくちゃだ。ときには四日も五日も誰とも口を利かないこともあるし、家から出ないことも多い。特に単行本の原稿を書いているときなどは、口から言葉を出すよりも、内に言葉をためて温めておきたい気持ちが強くなり、とことん出不精になる。

人としてどうよ、と自分に突っ込むが、鬱々とした気持ちを抱えていたほうが仕事は進む。だから、彼女の不安感は正しい。少しでも社会生活をまっとうに営むほうが、人間として上等だと私は思う。

 積極的に「この人と一緒に居たい」と思わないまでも、消去法で考える「離婚はできない、しない」という結論に至ることもあるのだろう。それは夫婦で、つまりは人間同士で積み重ねきた時間の重みとも関係するに違いない。

つづく 第4 週末は不倫相手と‥‥