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第七章 疑う権利、嫉妬する権利

本表紙亀山早苗著

「しばらくあっちで暮らす」

 男性に求められたい。自分を愛し、必要としてくれる男性から。切実に求められたい。そう願っている女性は多いだろう。それが夫ならいちばんいいのかもしれない。

「私たち夫婦は二転三転して、今、また状況がおかしくなっているんです。夫が本当に私を必要としているのか、私自身も夫にいてほしいのか、よくわからなくなっています」

 苦悩の渦中にいるという、柏木安奈さん(四十四歳)は、泣き笑いのような複雑な表情で話し始めた。

 安奈さんが、三歳年上の夫と結婚したのは二十九歳のとき。社内結婚だった。出産を機に安奈さんは退職、現在、中学一年生になったひとり娘がいる。どこにでもあるような「普通の家庭、普通の家族」だった。だが、いつしか夫婦関係はおかしくなっていく。

 四年前くらい前に、夫が浮気していることがわったんです。会社の部下である、十五歳も年下の女性と関係を持っていた。なんだか様子がおかしいと思って、携帯電話を見たら、彼女からのメールが消さずに残してあったんです。

『昨夜はすごかった』『あんなに気持ちいいのは初めて』と。破廉恥な言葉が書き並べてあって。そのまま夫に、携帯電話を突き付けてやりました。夫はしどろもどろながら、『知らない』と言い張りました。

私も悶々としましたけど、夫が家庭を壊す気がないようだと判断したので、見て見ぬふりをしていたんですよ。そうしたら、夫はそれにつけ込んで、どんどん厚かましなって‥‥。

それからだんだん帰りが遅くなったり外泊したりして、発覚して三カ月後には、ついに家を出て、彼女のひとり暮らしのマンションに転がり込んだんです」

 いきなりの別居話に、私が目を白黒させていると、安奈さんはふっと笑った。
「そうでしょう? 他人が聞いても驚く話なんだから、私だってびっくりしましたよ。ある日会社から帰ってきて、いきなり荷物をまとめて『しばらくあっちで暮らすから』って出て行っちゃったんですから。

そんな無責任な人じゃないんですよ、もともとは。娘の事はとても可愛がっていたし、ときどき家族で外食したり、本当にごく普通の家庭だったはずなんです。強いて言えば、私があんまりセックスが好きじゃなかったから、夫は多少、不満を抱いていたかもしれない。

ストレートに言われたことはないし、夫もわりと淡泊な人だったんですけどね。そのときは私、相手の女を怨みましたよ。色仕掛けで夫を誘惑したに違いないって。会社に乗り込んで行って、相手の女をひっぱたいてやろうかと思ったこともあります」

 そうまで思いながらも、安奈さんはどこか一点、冷静さを失わなかった。夫と彼女も自分も人間も裏切ったり裏切られたりすることはあり得るし、魔が差すこともある。夫が「しばらくあっちで暮らす」と言ったのもひっかかった。

「あっちが飽きたら戻ってくるのかな、と。当時は、私という人間を完全に否定されたような気になって落ち込みました。だけど、人間の気持ちが絡むことは、私にはどうにもできない。しかも娘には、父親が母と自分を捨てたなんていう風には思って欲しくない。

だから、夫の女性関係のことは知らせませんでした。ただ『お父さんは急にひとりで暮らしたくなったんだって。人生の中で、大人はそういうことがあるのよ』と言いました。それでも娘は少し荒れましたね。

それを見ていて、とにかく私がしっかりしないとよくないと思い、半年後にパートに出るようになったんです。『ま、これも人生だから、ふたりで楽しく暮らそう』と娘に言ったら、娘も『うん』って。

夫は生活費だけは送って来てくれたので、私のパート代と合わせると何とか生活はできました。娘と外食したり、映画を観に行ったり、夫の事は忘れて、今の生活を楽しもうと必死でした。そのうち慣れてきて、女ふたり、けっこう楽しく暮らしていたんです」

 欲情した目で私を見た

 夫が出て行って一年後、共通の知人が亡くなり、通夜でばったり夫に会った。夫はときどき娘に電話をかけていたが、安奈さんが再会するのは一年ぶり。
「どうしているの? 不自由していない?」

 そう話し掛けると、すこしやつれた表情の夫は、ただ茫然と安奈さんを見た。
「一週間後、私の携帯に夫から電話があって、『今日、昼間でもいいから会えないか』と言うんです。仕事場の近くまで来てくれたので一緒にランチをとりました。すると夫は『オマエがキレイになっていたから驚いた』って。

欲情したような目で私を見るんですよ。男性にそんな目で見られるのは久しぶりだったから、私もちょっとセクシーな気分になりましたね。それから夫は月に一、二回家に帰ってくるようになったんです」

 パートとはいえ社会に再びでるようになって身だしなみにも気を配っている妻、自分が他の女に走ったのに、健気に明るく、娘とともに生きている妻を見て、夫は明らかに「女」を感じたのだろう。一緒に住んでいるときはわからなかったが、別居して初めて、妻の「女としての側面」に気づいたともいえる。

「それでも、私に迫って来ることはありませんでした。あっちの彼女に遠慮していのかもしれませんし、迫りにくかったかもしれない。そのへんはわかりませんが。娘も最初はぎこちなかったんですが、私が気楽に振る舞っていたせいか、『お父さん、ひとり暮らしが寂しくなったんでしょ』なんて、言いたい放題でした。

あのとき、娘が父親を憎むようにならなくて本当に良かったと、今も思っています。私の接し方だけではなくて、娘の持って生まれた性格もあるんでしょうけどね」

 お気楽に振る舞っていたのは、もちろん?せ我慢もある。ひとりでいるときは、いろいろ考えてしまったという。この先どうなるのだろう、離婚すべきなんだろうか、お互いにとって何が幸せなのか等々。

だが、安奈さんは娘の前では、「お父さんの反乱」「人には、自分でも説明できないことをすることもある」と言い続けた。夫にも、他に女性がいることだけは娘には知らせないでほしいと頼み込んだ。とにかく思春期の娘を傷つけたくない。その一心だったという。

 さらに一年ほどたつうち、つまり夫が出て行って二年くらい経った頃には、夫は金曜日の夜に戻って来て、週末を自宅で過ごすようになっていた。

「もうしばらくすれば、きっと全面的に戻ってくる。そんな気がしました。週末だけ自宅で過ごすようになって、夫との夜の生活も復活したんです。変な言い方だけど、家を出ていく前より、夫は丁寧に愛してくれるようになった。若い女性には奉仕する習慣ができたせいかもしれないけれど。

私、セックス自体はあまり好きではなかったけど、夫が戻ってくれるならと応じていました。そうしたら身体も少しずつ感じるようになって‥‥。心では許していないのに、身体は感じてしまう。そのギャップに戸惑ったこともあります。

正直言って、相変わらず相手の女を憎んでもいました。だから夫とのセックスを断らなかったのかもしれない。平日に彼女とできないくらい、エネルギーを吸い取ってしまいたい。そんな気持ちもありましたね」

 身体中が溶けていくよう

 だか、そのころ、安奈さんには、さらに大きな転機が訪れていた、仕事で知り合った男性から、熱烈な気持ちを打ち明けられたのだ。

「その男性は私より五歳年下で、バツイツ子供なし。気楽な友達と思っていたので、夫の事もときどき相談していたんです。男の気持ちを知りたかったから。ところが、夫が週末、帰ってくるようになったと言った途端、彼が熱烈なアプローチをしてきて‥‥。夫にしろ彼にしろ、自分から離れて行こうとする女に対しては、急に手放すのが惜しいと思うようになるんでしょうかねえ」

 安奈さんは淡々とそう言って、苦笑した。ところが事態は笑ってすむ話ではなくなって行く。

「実は私、半年ほど前から、彼と関係を持っているんです。最初は彼が妙な雰囲気に持って行こうとして笑ってかわしていたんですけど、ある日。娘が私の母の家に泊まりに行ったとき、彼が『このまま帰したら、ぼくは一生後悔する。あなたを恨むかもしれない。頼むから今日だけは帰らないで』と涙目になりながらすがりついてきたのです。それを見たら、帰るに帰れなくて‥‥。

彼との行為はそれまで感じたことがないほど興奮しました。私、年上だし、身体に自信がない。なのに彼は『きれいだよ』『本当に好きだよ』と言い続けてくれたんです。そんな言葉に身体が反応して。背中が激しく反ったまま、痙攣がとまらなくなりました。

獣みたいな唸り声が自分の口ら飛び出して‥‥。一度きりにするつもりだったに、あまりの快感に今度は執着するようになりました。彼の身体にも心にも。こんなことならしなければよかった、と何度思ったことか・・・・」

 当時、安奈さん四十三歳、彼は三十八歳。彼はスポーツマンらしく引き締まった体で、セックスも非常に強かったという。安奈さんもショートカットが似合う、若くて可愛らしいタイプなのだが、本人曰く、「どうがんばっても四十代は四十代」だとか。確かに四十代になれば、肉体や肌の衰えは隠しようがない。

「でも彼は、『ぼくは今あなたか好きなんだ』と。私はドンドン、彼のセックスの虜になっていきました。夫とは、気持ちがいいという程度なんですけど、彼とだと身も心もおかしくなりそうになるんです。

実は彼のあそこ、とても大きくて、入ってくると、何もかもどうにでもなれ、という快感に支配されてしまう。口では説明できません。身体中が溶けていくんです。月曜日に彼と会うと、彼は『週末、旦那さんとしたんだろ』って言葉で責めて焦らす。

私は彼のアレが欲しくてたまらなくなって、『お願いだから入れて』と騒ぎまくる。それで入れてもらうと、ほっとするんです。自分の足りないところが埋まって、完璧になったような気がする。

そのうち恐ろしいほどの快感がやって来る。したいから好きなのか、好きだからしたいのかもよくわからないんです、今でも」

 週に一度は、そんな「身体中が溶けるような」セックスをしていたら、夫も何となく気づくものなのかもしれない。夫は安奈さんに誰か他の男性がいるのではないかと疑うようになっていく。

「そもそも、夫に私を疑う権利なんてないのに。『いるわけないでしょ。あなたのほうはどうなっているのよ』と、私は自分の事を棚に上げて夫を責めてしまう。夫は平日は相変わらず帰ってきませんから。そのときは、彼女との仲がどうなっているのかもわかりませんでした」

 こぼれた苦悩の涙

 自分自身も、若い女性と別れられないのに、妻の浮気を疑って、嫉妬する夫。そんな夫を受け入れながら、実は他に執着する男ができてしまった妻。ある意味、似たもの夫婦というべきか。

失礼ながらそう言ってみると、安奈さんは目に涙をためなが笑い転げた。だが、笑ったから涙をためたわけではないだろ。彼への断ちがたい、狂おしいほどの気持ちと、夫への情愛、そして夫を完全に信用できない曖昧な気持ちなど、さまざまな感情をどう整理したらいいか解らない、苦悩の涙ではなかろうか。

 疑いを深めた夫は、ついに二ヶ月ほど前、とうとう戻ってきた。彼女とはきっぱりと別れたらしい。

「娘には、『ひとり暮らしが飽きたといよりは、家族の大切さを再確認したんだ。これからは三人で仲良くやっていこうな』と話していました。私にもふたりきりになったとは、『今まで本当にすまなかった。オレにはやっぱりオマエしかいない』って。夫が戻ってきて、女として若い女に勝った、という気持ちはありました。

嫌らしい言い方ですけどね。だから確かにうれしかった。その反面、複雑な気分でもありました。夫は自分の恋にきちんと決着をつけて戻ってきた。だけど私の恋は始まったばかりで、たぶん、今が絶頂期なんですよ。

今は別れられない。ただ、夫がそれをはっきり知ってしまったら、やはり不愉快なはずですよね、娘に対しても示しがつきません」

 夫が帰ってきたことは、まだ彼には言えずにいる。彼の方は、娘に合わせてほしい、と言い出した。もっと深く付き合うことを望むようになっているのだ。

「娘は父親が戻って来てから、精神的に安定しています。前はやはり少し無理していたのかもしれない。週末には必ず三人で行動したがるんです。しっかりしているようで、まだ子供なんですよね。

そんな様子を見ていると、家族を大事にしたいと思います。だけど今の私には、年下の彼とのセックスを手放すこともできない。彼は独身だから、『あなたのことを考えると、自分が何をしでかすか分からない』と不穏当なことを言いだしています。

夫は夫で、まだ疑っているから、『パートは辞めて、少しゆっくりしたらどうだ?』と言っているし。夫は私を家族として、妻として必要だと思ったから帰ってきた。だけど、彼は私を女として必要としているんですよね」

 安奈さんは、男ふたりに求められてのろけているわけでもない。実は、夫が戻って来てから、安奈さんを二度しか抱いていないのだという。

「週末だけ戻ってくるようになったときには、一生懸命なくらい求めてきたのに。全面的に戻って来た日、夫は私を抱きました。それからしばらくなくて、つい先日、やっと二度目をしたところ。もしかしたら。まだ彼女のことを考えているのかもしれない。

彼女とどうやって別れてきたのか私は知りませんし、聞きたいとも思わないけど、自分のしていることと、夫への気持ちがまったく一致していないんですよね、私。もしかしたら夫もそうなのかなと想像はするんですが」

 家庭は今のところ、波風立たずうまくいっている。だが、夫も内心、悶々としているのかもしれない。自分の恋と、妻への疑惑で。安奈さんもまた、自分の恋と夫の彼女への思いとの間で揺れ動いている。いつかどちらかが「真実を知ろう」と動き出すのか、あるいはこのまま家庭へとおさまっていくのか。苦悩に満ちた綱渡りの日々はしばらくは続きそうだ。

 新しい生活に踏み出す

 二時間のおしゃべり

 この一年間、多くの四十代の女性たちに話を聞きながら、「女が男から性の対象と見られなくなったことに対して、いかに焦燥感を覚えるか」を、自分自身の年齢や現状と絡めて痛切に感じてきた。女はいくつになっても女でいたい。いや、女であらねばならない。多くの女たちはそう思い込んでいる。

 一方で、女を降りたい、はやく枯れてしまいたいと願っている人も少なくない。そのほうがラクだからだ。

「私はそう思いました、四十歳目前にして、夫とのセックスは完全に途絶えたけど、それならそれでいいと思っていた。このまま歳を重ねて、子供達も巣立ち、夫とは枯れた夫婦になっていけばいい。友達がいて趣味があれば、寂しくない、ずっとそう思っていたんです」

 桜井真沙子さん(四十八歳)は、ほっそりした顔に薄い微笑みを湛えてそう話し始めた。親戚の紹介で気軽な見合いをし、結婚したのは、二十五歳のとき、相手は、四歳年上のごく普通のサラリーマンだった。大学三年生の息子と、高校三年生の娘がいる。そんな真沙子さんが、今、娘が大学受験に合格したら離婚を切り出すつもりだという。

「三年前のことでした。彼に出会ってしまったのは。その時点で、うちはすでに五年のセックスレス。だんだん間遠になって、いつの間にかしなくなった状態でした。一度だけ、私から求めたことがあるんです。だけど夫は私をじっと見て、『もういいんじゃないか、しなくても』と呆れたように言いました。

ショックと言うよりは、思わず『そうね』と言葉を返していた。夫はもともと仕事人間で、セックスも好きではなかったようです。私もそれを聞いて、卒業したような気楽な気持ちになりました。だから、本当に、私はそれでもいいと思っていたんです」

 なのに、恋に落ちた。相手は偶然、美術館で会った男性。映画のような恋だ。
「私、四十の手習いで、好きだった油絵を習い始めたんです。それ以来、美術展に行くのが以前よりずっと楽しくなって、よくひとりで見に行くようになりました。

彼と出会ったのは、都内のある美術館。気に入った絵をためすがめつ眺めていたら。出口で『熱心ですね』って声をかけられて。彼、高校の美術の教師だったんです。年齢は私より二歳年下でした。その場で少し話したんですが、美術の話をもっとしたいという思いが互いに募ったんでしょうね。美術館の中にあるカフェに移動しておしゃべりして。気づいたら二時間もたっていたんです」

 知らない男性と二時間も語り合ったことはなかった。別れがたかったが、日も暮れてきて、夕食の支度が気にかかり、その日は連絡先を教え合って別れた。

「その日は家に帰っても、飛び跳ねたいような気持でした。大好きな絵について語り合える貴重な、新しい友達ひとりできたから。しかも相手は専門家ですし、また会いたいという気持ちが募りました。その時点では、恋愛感情なんて全くなかったと思う」

 私は黙るしかなかった

 その気持ちがいから変化したのか、真沙子さんには分からないという。いつ恋に取り憑かれたのか、人は自分では判断がつかない。それほど恋は、魔法のようなものなのだろう。あるいは魔物といってもいいのかもしれない。

「それから、ときどき彼と会って美術談義を交わしたり、実際、一緒に美術展に行ったりしました。彼のおかげで、あちこちの画廊にも行くようになり、私自身も自分がどういう絵を描きたいか、たくさんヒントをもらって。彼に出会って半年ほど経ったところでしょうか。

春休みで、彼も時間があるということで、ふたりで横浜の美術館に行ったんです。彼が車を出してくれて、初めて一緒にドライブしました。その帰り道、彼がいきなり車をラブホテルにいれたんです」

 事態が飲み込めずに、ぽかんとしている彼女に向かって、彼は前を見たまま、静かに、しかし一言一言に熱を込めて口説き始めた。

「自分がいかに私を好きか。もうこのまま友達でではいられない、とずっと思っていた、ということを熱っぽく話すんです。あなたはどういう気持ちで僕と一緒にいるのか、と言われて、私は黙るしかなかった。

だけど、私の心の底にもあったんですよね、彼を好きだという気持ちが。ただ、それを認めると何かが始まってしまう。何かが始まったら、私が今まで築いてきたものが壊れてしまう恐れもある。だから、ずっと見て見ぬふりをしてきた。

彼にも家庭がありますから、同じように自分の気持ちに蓋をすることが出来る人だと思っていた。いえ、それ以前に、私は彼から女として見られているなんて、信じられなかったんです。だって、夫にも女として見てもらえなかったわけだし、私もそれをよしとしたんですから‥‥」

 彼に促されて、「ここで騒ぎ立てるのも、おとなげない」と思い、ラブホテルの部屋に入った。それでもまだ、彼と肉体関係をもつことが実感としては感じられなかった。

「私は女を卒業した、という思いが強かったからでしょうね。彼に抱きしめられたとき、初めて胸板の厚さに、彼は男なんだとふと思った。そして、同時に私は女なんだ、こんなふうに抱きしめられたかったんだと、ようやく自分の本心に気づいたんです」

 むしゃぶりつくように、真沙子さんも彼を抱きしめた。そのままベッドになだれ込み、一国も早くつながらないと、お互いが消えてしまうのではないかという恐怖感であるかのように求め合った。

「彼が私の胸にキスして、乳首を転がすように愛撫してきたとき、下半身が熱く濡れていくのがわかりました。彼はすぐに挿入してきたんですが、私の中にぴったり収まって、たとえようもない充足感がありましたね。

足りないところが埋まってほっとしたような気持。求めていたのはこれだったのか、とようやく安堵して‥‥。入れたまま動かずに、ふたりでずっと目を見つめ合いながら、『ずっとこうしたかった』『私も』って話してました。セックスしながら、そんなふうに話して、たまに動いて、また話して。あんなセックスは初めてだった。

私、夫と結婚する前に、ひとりしか経験していなかったし、夫はワンパターンの愛撫をして挿入して、黙って動かして終わりという人だったから、あんなふうにずっとくっついたまま話したり見つめ合ったりするのが楽しくて、気持ち良くて、嬉しくてたまらなかった」

 真沙子さんの目が色っぽく潤んでいく。彼と初めて結ばれた日のことは、今も忘れてはいない。

 彼の妻からの電話

 一度、ハードルを越えてしまうと、次のハードルは、すでに高くはない。ふたりのデートで、セックスは習慣になっていく。求めても求めても、欲望が尽きなかった。

「その頃初めて知ったんです。彼は、奥さんに拒絶されてセックスレスだったということを。同じような立場だったんですね。お互いに、まだ子供たちが学生だから、とにかく配偶者にばれないようにしながらつきあっていこう、どこまで行けるかわからないけれど、行けるところまでふたりで頑張ろうと気持ちを確認しあいました」

 彼が授業のない日、週に三回パートに出ていた真沙子さんの仕事がない日、お互いに都合をつけて会った。それでも週に一度がせいぜい。もっと会いたいという気持ちが、ふたりの恋愛感情をさらに燃え上がらせた。

「幸せでした。あんなに充実した日々はなかった。いつか別れが来るかもしれない、このまま幸せな日々が続くはずはないという恐れにも似た気持ちはいつももっていましたけど、それも上回る充実感と幸福感がありました」

 絵の話とセックスだけが充実していたわけではなかった。彼から聞かされる教育現場の話、彼の故郷である北陸地方の話、何もかも興味深かった。彼もまた、真沙子さんのこれまでの人生と、今の彼女のあらゆることに対する考え方に興味を持ってくれた。

恋愛の基本は「知りたい」ということだろう。お互いに、会えていなかった四十数年を埋めようとするかのように話し、身体を重ね合った。

だが、真沙子さんの恐れは的中する。関係を持って一年ほどたったころ、真沙子さんの携帯に一本の電話がかかってくる。彼の妻からだった。

「奥さんは自宅からかけてきたようです。非通知だったんですか、出てみるといきなりすごい金切り声で、『うちの夫を誘惑するのはもうやめてちょうだい。夫もあんたには会いたくないって言っているんだから』って。驚いて何も言えずにいると、ごちゃごちゃした雰囲気があって、彼が出て『もう二度と連絡してこないでくれ』って、ぶっきらぼうに。あんな言い方は絶対しない人なのに」

 その日の夕方、彼から電話がかかって来た。公衆電話からだった。妻にばれてしまったこと、携帯を取り上げられてしまったこと、連絡して来るなと言ったのは本心でないことを彼は必死で訴えてきた。

「妻には内緒でなるべく早く携帯を買う。それまでは公衆電話で連絡するから。ほとぼりが冷めるまでは会えないかもしれないけど、少しだけ待っていてほしい、と彼は言いました。もちろん、私は待つから、今は慎重に行動しましょうと言うしかなかった。

それから二ヶ月くらいたって、ようやくまた会えるようになりましたけど、あの二ヶ月は本当に辛かった。彼も辛かったようで、再会したときはお互いげっそり痩せていました。彼は、奥さんには私と別れたと言い切ったようです」

 ところが妻は執拗だった。妻の立場になってみれば、そう簡単に「別れた」という夫の言葉を信じられなかったに違いない。再会してから三ヶ月後には、妻が彼を尾行し、真沙子さんと会っている小料理屋に乗り込んできた。

「奥さん、そこで私たちを見て暴れまくったんです。ビール瓶で私に殴りかかって来て。まだビールが入っていたから、私は頭から濡れ鼠になった。そのとき、彼が奥さんを抱きかかえて店を出ていったんですよね。それを見て、彼はやはり私より奥さんをとるんだ、というふうに思えてならなかった。

惨めでした。髪も服もビールでべたべただし、周りの人には奇異な目で見られるし。お金を払って、店には平身低頭で謝って外へ出ました。そうしたら、人だかりができているんです。私、そのときは人だかりを避けて帰ったんですが、実は、なんと彼の奥さん、故意か偶然かわからないけれど、彼を振り切って道路に飛び出して交通事故に遭ってしまったそうなんです」

 不運は続く。その日は、息子は家に泊まり、娘は部活動の合宿でいなかったので、珍しく夜のデートをしていたのだ。夫はいつも遅いから、問題はないはずだった。ところが、その日に限って、夫はすでに帰って来ていた。

「一見して私の様子がおかしいから、夫は当然、『どうしたんだ』と聞きました。『パート先の飲み会で、ケンカに巻き込まれた』と言い訳したんですが、夫はふうんと納得したように言った後、いきなり彼の名前を出したんです。『その人の奥さんから、今日の昼間、オレの会社に来た』と。夫はそれ以上、何も言いませんでした。嫉妬さえしない。そして翌日、彼からの連絡で、奥さんが事故に遭ったのを知ったんです」

 やり直してみたい

 恋の魔法が溶けた瞬間だったのかもしれない。彼からは、一ヵ月ほどたってから、一度だけ連絡が来た。妻は腰の骨を骨折しており、相当なリハビリが必要という。お互いそれ以上、言葉を交わすことはできなかった。お大事に、と真沙子さん言った。ありがとう、と彼は答えた。彼とはそれっきりだ。真沙子さんから連絡を取る気力も失せていった。

「彼とは友達の期間を入れると、約二年ほどのつきあいだったけど、最後の半年くらい、つまり奥さんにばれてからは、もう何が起こっているのかわからないくらい怒涛の日々でした。

どうやって日常生活をおくっていたのかも、ろくに思い出せないくらい。それから私は虚脱状態になりながらも、なんとか日常生活を送っていました、別れて一年たちますが、ただ、ここ数ヶ月、ようやく彼の事、自分の人生を少しだけ振り返るようになった。

それで、娘が大学を受かったら、夫と離婚を申し出ようと思っているんです。夫とはあれからも淡々と暮らしています。事務的な話はするけど、腹を割って話すことはありません。ただ、思い返すと、夫との関係はずっとそうだったような気がするんです。

子供が小さいころは、子供を中心にしての会話はありましたけど、ここ数年はずっとろくに話していない。あのいっけんだって、何があったのか、夫は結局、聞こうとしない。たぶん、私に関心がないんでしょうね。

いつもと同じように日常生活を送ればいいと思っているんだと思う。仕事さえできれば、あとの面倒なことには関わりたくないと感じているのかもしれません」

 そこまで、妻に対して無関心になれるものだろうか。夫には別の気持ちがあるのではないか。だが、真沙子さんは夫の気持ちは、一緒に暮らしてきた自分がわかっているという。

「彼との恋愛は、あんな形になってしまったけど、後悔はしていません。恋愛にしてみて、私は子供が大きくなってからの自分の人生をいかに充実していなかったかを思い知った。だから、人生をやり直してみたいんです。

結婚して子供を持てたことは良かったと思うけど、夫との関係は希薄すぎて、やはりもう一緒にはいられない。見合いで安易に結婚したツケが、今やって来ているのかもしれません。来年でも再来年でもいい、娘が羽ばたくとき、私もこの家庭生活から巣立つつもりです」

 パートも週五日に増やした。近い将来、正社員としての道も開けそうだという。
 夫がスムーズに離婚を承諾するかどうかはわからない。ただ、偶然、恋に落ちたことによって、彼女は今までの人生の不全感に気づいてしまった。五十歳を目前にして、新たな人生を歩もうと決意している彼女には、どこか危うさがつきまとう。だが、今からでも「自分の人生」を生き直そうと真摯な姿勢には、ひょっとしたら明るいエールを送ることが必要なのかもしれない。 

四十代女性たちの「今」――まとめにかえて

 女として見られなくなることへの不安

 連載の話をいただき、四十代女性たちの「今」の生の声を聴きたい。すぐにそう思った。それは、私自身が四十代ど真ん中にいて、それでも決して「惑わず」という人生は送れないままにいたからだ。

 同世代の大半は結婚して、そのまま結婚生活を維持しているが、内情を聞けばいいことばかりではない。特に、夫との関係で悩んでいる女性たちは非常に多い。セックスレスだったり、あるいは性を無理強いさせられて道具のように扱われたり・・・。

子供たちはある程度、成長して大きくなり、夫と身も心の通い合う時間が持てず、常に孤独と向き合っている女性たちの多いこと。それと同時に、失われていく若さの陰で、秘かに忍び寄ってくる老いを如実に感じ始める年代でもある。女として、あとどのくらい現役でいられるのか。

もちろん、更年期が来ようと閉経しようと女は女だ。だが、私を含めて大半の女性たちは、自分が女として、男から性の対象と見られなくなることを恐れている。

 既婚女性たちは、「夫に女として見られない」悩みを口に出せないまま、重く暗い石のように心に抱えている。私のような離婚組も、容姿の衰えは如実に自覚し、この先、女として見てくれる男性が現れるのかどうかが、常に気になってたまらない。

まだ更年期を実感してはいない、だが確実に自分の「女としての部分」に不安を抱いている女性たち。彼女たちの不安の元はどこにあるのか、そしてそんな彼女たちに「女」を感じて男が寄ってきたとき、彼女たちはどうやって恋に落ちるのか、それを知りたいと強烈に思った。

 たくさんの女性たちに会った。夫とはセックスレスで、自分でも「もうセックスは卒業しよう」と半ば諦めていた女性たちは多い。それなのに仕事先で、あるいは別の場所で、好きな人に出会ってしまった。好きになれば、さらに関係を深めたくなる。だが、深めた結果、どうなるのか。迷い戸惑う女性たちの姿を見、そして生の声を聴いた。

 女は結婚したら、誰かの「妻」であり『母』であるべきで、「女」は捨て去るべきだという意見は、今の時代、もはや通用しないのかもしれない。好意を寄せてくれる男性に対して、自分自身も好きだという感情が芽生えたとき、女は「女」を取り戻す。

 数年ぶりにセックスした女性たちの多くが、「まだ大丈夫、私は女だったんだ」と安心する。セックスをすることによってしか、女を実感できないのかという非難もあるだろう。だが、セックスによって、もっとも強烈に自分の中の女を意識する彼女たちに、私は共感せざるを得なかった。

 つい先日、結婚して七年たつが、そのうち五年はセックスレスだという三十代の女性に会った。夫とは仲が良く、旅行に行ったり一緒に映画を観に行ったりしている。だが、旅先でもレスのままだ。

「私、最近、つくづく思うんです。結婚しているとか子供がいるとか、夫の収入が高いとか、そんなことは何の自慢にもならない。女として男に求められないなんて、女の価値がいちばん低いんじゃないか、と」

 美人でキャリアもあり、子供もいる。夫の死会的地位も高い。それなのに、彼女の表情は苦痛に歪んでいる。だからいって、自分の倫理観が強いから、浮気をする気にもなれないという。

夫への最悪感からではなく、「浮気なかする女に価値はない」からしないのだそうだ。しかし、求めてもらえないことに対しては、いつも悶々とした思いを抱えている。

 彼女が頻繁に口にする「女としての価値」という言葉に、私はずっと違和感を覚え続けていた。

 そこまで焦燥感に苛まれなくても

 男(夫)から求められないと価値がない、セックスしていない女は価値がない。オーガズムを感じたことのない女に価値がない。確かにそういう言葉を吐く女性は、彼女に限らず、取材を通して本当に数多くいた。焦燥感はわかるけど、それほど自分を貶めなくてもいいのではないか、

と何度も彼女たちに言ったが、それで彼女たちの固く閉ざした心を溶かすことはできなかったような気がする。

 女性たちが欲張りになったとよく言われる。仕事を持ち。結婚して子供いて、趣味もあって、男女問わず友達もいて、さらに願わくば夫に愛されて、恋人に愛される。それが女性たちの理想かも知れないとさえ感じるほど、「何もかも手に入れたい」という欲求を捨てきれないでいる。

 私の世代だと、二十代後半でバブルを経験しているか。個人的にはバブルの恩恵には浴していないが、同世代で会社員だった女性たちは驚くような金額のボーナスをもらい。年上の男性たちに奢(おご)ってもらい、羽振りのいい生活を送っていた。折しも「女の時代」と言われたころだ。

その後、結婚したとして、男にちやほやされ、楽しく遊んだ独身時代をそう簡単に忘れられるものではないのかもしれない。同時に結婚や(当時は職場結婚だと、たいてい女性が退職するのが暗黙のルールになっていた)出産で退職したことを、あとから忸怩(じくじ)たる思いで振り返ることも多いようだ。

「もっと恋愛すればよかった、もっと仕事をしていればよかった。今になるとそんな思いが抜けない。だから家庭を持っても、どこか不全感が付きまとうのかもしれないわね。せっかく総合職で会社に入ったのに、やり尽くす前に結婚でやめちゃったから。自分がどこまで頑張れるのか、とことん試したかったことがないような気がするのよ」

 そう言っている女友達もいる。彼女は三十代後半から、ずっと悶々と過ごしている。パートでもいいから働けばいいと言うと、今さらスーパーのパートなんて嫌などと贅沢なことを言う。プライドだけは、一流企業にいるときのままらしい。

そして、夫に対しても、心の底から信頼しているのだろうという発言が、まま見受けられる。自分の人生は、こんなはずではなかった、という気持ちがくすぶっているのではないだろうか。そこへもってきて、身近な男である夫とは、セックスレスになっている場合が多い。
 
 夫婦は日常生活を共にするから、どうしても男女としての刺激に欠ける。逆に言えば、刺激が強すぎると日常生活を平穏に送れないから、結婚した男女には刺激は不要なのかもしれない。つまり、夫婦間のセックスレスは、やむを得ないともいえる。あるとき、こままでいいのかと気づいた夫婦なら、工夫したり知恵を絞ったりして刺激を生み出し、セックスを取り戻せる。だが、多くの夫婦は「こんなもの」と諦めていくしかない。

 しかし、実は男も女も、自分の「性」をそう簡単には諦めきれていないのだ。それは眠っているだけで、刺激があれば簡単に目を覚ます。刺激がなくても、「このまま終わりたくない」と強烈な渇望がわいてくる。それが四十代女性の特徴ではないかと思う。まだ女としてイケるかどうかのぎりぎりの線で、女は最後の勝負に出るともいえるのだろう。

 そんな女性たちの声を聴きながら、ときには「そこまで焦燥感に苛(さいな)まれなくても」と思いながら、それでも私はひとりひとりに感情移入した。同性だからだろうか、どうしても理解不能という人はいなかった。話を聞かせてくれた彼女たちに改めて心から感謝したい。科の字夜たちの立場上、名前はすべて仮名であることをお断りしておく。
 二〇〇七年三月  亀山早苗
恋愛サーキュレーション図書室

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。