夫とは、セックスレスの関係になって久しい。六歳年上の夫は、四十歳を過ぎて仕事上の重圧が高まるとともに、性的欲求をなくしていた。おそらく浮気はしていないと真希さんは見ている。「今年に入ってから、主人とは一度もありません本表

第六章すべてを失ったけれども…

本表亀山早苗著

 目の前の喜びをとりたい

家庭を壊したくない。だが、女としての生き方も捨てたくはない。夫はいい同居人であるが、恋ができる対象ではない。子供も大きくなり、心のどこか一点にうつろでどんよりした部分がある。

 そんなとき、気になる人ができる。向こうも自分を好きでいてくれるとわかった。お互いに家庭がある。そこを理解し合ったうえで、「恋」をしてもいいものかどうか。誰もが悩む瞬間だろう。

だが、恋の魔力は大きすぎる。加えて、自分自身が女として再び輝きを増す喜びも大きすぎる。もし恋に落ちたら、現実に行動し始めてしまったら、この先、どうなるか。最悪の事態が頭をかすめても、心のどこかで、「それより今、目の前にある喜びをとりたい」という願望が働く。

人は誰でも、「自分が乗った飛行機が落ちない」と思っている。ほとんどの場合。それは正しい。だが、万に一つ、いや、もっと低い確率であっても、「最悪の事態」は起こりうる。

「よく、それでも必死で恋をしたんだから、それはそれでよかったんだと言う人がいますよね。でも私はやはり、そうは思えないんです」

 目を伏せたまま、竹下弥生さん(四十五歳)は、消え入りそうな声で話し始めた。
 仕事をしながら、ごく普通の家庭生活を営んでいた弥生さんの前に、三年前、ある男性が現れた。それは、弥生さんと同い年の夫と、同じ大学で過ごした仲間の幸宏さんだった。

「ドラマみたいな話ですけど、学生時代、私たち、男女六人で仲良しだったんです。私は幸宏がすきだった。だけど私の友人の咲子も、幸宏を好きで。それでも卒業までは、グループで仲良くしていた。誰も友情に亀裂を入れたくなかったんでしょうね。

ところが卒業してから、咲子は急速に幸宏に接近して、私が今の夫となる人と付き合っていると幸宏に吹き込んだんです。咲子は幸宏と二十五歳のとき結婚しました。彼らが結婚する前に、私は幸宏が好きだったと告げたくて、彼の家に行きました。

でも、ちょうど彼の家にいた咲子に追い返されたんです。彼女も必死だったんでしょう。結局、私は自分の気持ちを押し殺して、その三年後、今の夫と結婚しました。夫はいい人で、結婚生活は上手くいっていたんですが・・・・・」

 ひとり娘に恵まれ、弥生さんは、フルタイムで働きながら、夫と協力して家庭を築いてきた。咲子さんと幸宏さん夫婦とは、いっさい連絡を取らなかったし、他の仲間とは年賀状のやり取り程度だった。幸宏さんを好きだった熱い気持ちも、幸せながら忙しい生活の中で、いつしかすっかり薄れていた。

 やり直したかった

「三年前、その仲良しグループのひとりだった男性が、突然死んだんです。夫が出張でいなかったので、私がお通夜に出かけました。そこで幸宏に再会してしまったんです。彼の顔を見たとたん、あの頃のことが蘇ってきて、それは彼も同じだったようです」

仲間数人と、精進落としに小料理屋へ入った。仲間を失ったことで、当時の仲間が集う。中年期にさしかかると、よくある現象だ。

それぞれ仕事や家庭があるから、長居はせず、また会うと言いながら散っていった。弥生さんは、幸宏さんが偶然、都内の同じ私鉄沿線に住んでいることを初めて知った。しかも、弥生さんの夫とは、たまに幸宏さんに会っていたという。

「夫が幸宏さんに会ったことを言わなかったのは、当時の私の恋心を漠然と知っていたからでしょうね。『私はうちの人があなたに会っているなんて、聞いたこともなかった』と言ったとき、幸宏は少しおどけた調子で、『オレ、本当は弥生のことが好きだったんだぜ。オマエがあいつになびいたというから、咲子と結婚しただけどさ』と言い出した。

それなら、と私も、彼らの結婚前の顛末(てんまつ)を話しました、と。その瞬間、ふたりの間の空気ががらりと変わってしまったんです。
彼がぽつりと言いました。『オレたち、人生を間違えたんじゃないか』って」

 惹かれ合っていたふたりが、誤解から別れ別れになり、十五年以上の時を経て再会。「あのとき」の熱い気持ちが戻るのに、時間はかからない。

「さすがに、その日はそのまま別れました。ただ、別れ際に携帯電話の番号とメルアドレスを交換したんです。何かが始まってしまうかもしれない。それがどういう運命をたどって行くかはわからなかった。

だけど、失われた日々を取り戻せるんじゃないか、私は幸せだと思い込んでいたけど実は、やはり幸宏を失った辛さから目を背けていたんじゃないか、そんなふうに思いました」

 どこまでが本当の気持ちで、どこまでがある種の思い込みなのか、本人にもわからないのに違いない。とにかく、ふたりは恋に落ちてしまった。

「何度かメールのやり取りをしたり、電話で話したりしましたけど、それではやはりすまないんです、気持ちが。会ったらどうなるのか、先の事など考えられなかった。ただただ、彼に会って話したかった。顔を見たかった」

 弥生さんは、大粒の涙を流しながらそう言った。顔色があまり良くない。三年前に比べて、体重は一〇キロも落ちたのだという。

 ふたりきりで会って。食事もそこそこに、暗黙の了解があったかのようにホテルへ行った。話すより先に、身体をつなげたかった。

「確実なものがほしいという気持ちが大きかったんですよね。当時、私と幸宏の間は何もなかった。思いだけが行き交っていたはずなのに、それが成熟しなかった。だから、今は言葉であれこれ言うよりも、とにかく確かなものが欲しい。

それが身体をつなげることだった。切羽詰まった気持ちでした。彼とひとつになれたとき、『どうして今なの、どうしてあの時じゃなかったの』と私は泣きじゃくってしまいました。私の中にぴったりと収まって、これは私のものだったはずだという思いが強くなった。

彼は、『オレ、咲子とあまりうまく行っていないんだ』と。ふたりとも、相手が違っていた、私たちが一緒になるべきだったんだと思ったんです。その日、私たちは二度結ばれた。彼のあそこが愛おしくてたまらなかった。夫に対しては感じたことない感覚でした」

 こうなったら、男と女は簡単には離れられない。幸宏さんには、高校生と中学生、ふたりの息子が、弥生さんにも娘がいる。だが、ふたりはいつしかそれぞれ、離婚を考えるようになっていた。咲子さんは専業主婦だから、離婚すれば幸宏さんの経済的な苦労が増える。

それでも、弥生さんは、自分が働いているから構わないと言い切った。子供たちが大きくなるまで待つという選択もあったはずだか、ふたりはそれができなかった。

「離婚して、ふたりで一刻も早く、人生をやり直したかったんです。幸宏が、『オレは絶対、離婚する。弥生も早くしてほしい』と言うので、ある日、夫に切り出しました。夫は激怒して、すぐに幸宏に連絡をとったようです。

幸宏は逃げずに対処してくれ、夫に『弥生の残りの人生をオレにくれ』と言ったって‥‥。夫は幸宏を殴ったそうです。ふたりで何度も話したけど、幸宏の決意は変わらない。いざとなったら私と死ぬとまで言ったと。

半年ほどかかって、夫もげっそりと痩せましたが、ついに、そこまで言うならわかったと離婚を決意してくれたんです。娘にはすべてを話しました。思春期の娘には、受け止められない話だったと思う。それでも強行にするしかなかったんです」

ところが、事態は一変する。問題は幸宏さんの妻である咲子さんだった。最初は今までと同じ生活をさせてくれるのなら、と離婚を承諾していた。もともと夫婦仲はうまくいっていない。

だから、咲子さんも離婚に異存はなかった。だが、なぜ今なのだろう、と不思議に思ったらしい。弥生さんのことを妻には告げていなかった。

 自殺を図る

 あるとき彼は咲子さんに写真を突き付けられる。彼女は興信所を使って、夫を調べ上げたのだ。そこには、弥生さんとホテルに入る姿が写っていた。咲子さんは豹変、絶対に弥生さんとは一緒にさせないと言い張るようになる。

「咲子は夜叉になり、家中のものを投げて暴れて、大変だったようです。絶対に離婚しない、と。それでも幸宏は家を出ようとしたんです。『これから行く』と私の携帯に電話があったその日、咲子は手首を切って、自殺を図りました。息子たちも父親に反発して、彼の家庭はめちゃめちゃ。

咲子の自殺未遂は当てつけですけど、その後、下の息子さんがマンションから飛び降りたんです。幸い、一命はとりとめましたが、さすがにこれには彼も参ってしまったみたいですね。

どれほど強い恋愛感情があっても、恋愛と息子の命を引き換えにはできないと思ったんじゃないでしょうか。私もそれを聞いてショックでしたから。やはり私と幸宏は一緒になれない運命なのか、と思ったら、私がおかしくなってしまって・・・・」

 今度は弥生さんが、医師からもらった睡眠導入剤を大量に飲んだ。だが、そう簡単には死ねない。苦しくて目覚め、幸宏さんに連絡をとって、救急車を呼んでもらった。

「私はすっかり疲弊して、身も心もぼろぼろでした。そのまま会社を休職して、三ヶ月ほど入院したんです。幸宏は、『その間に何とか片を付ける。絶対に一緒になるんだ。気持ちだけはしっかり持ってくれ』と言っていました。

見舞いに来てくれ、私は少しずつ落ち着いていったんです。だけど退院しても、実は幸宏のほうは、ほとんど事態が変わっていませんでした」

 それだけでなく、幸宏さんのお母さんが、脳梗塞で倒れてしまった、命は助かったが、長いリハビリが必要となる。

「咲子は、それまで別居でひとり暮らしをしていた姑を自宅に引き取ったんです。さすがに病気の母親の面倒を妻に見させて、自分は離婚するというわけにはいかないでしょう? しかも幸宏は、年取った母親にはもめ事は聞かせたくないと言って、離婚が成立するまでお母さんには何も言わないでおこうと決めたんです。

私は、自分が幸宏のお母さんの面倒を見ると言い張りました。だけど、咲子はさっさとお母さんを迎えに行って退院させ、自宅に連れて帰ってしまった。それで、とうとう幸宏は離婚できなくなったんです。アパートに来たとき、幸宏は泣いていました。私も泣きました。本当にふたりで死ぬしかないと思った」

 とにかくしばらく様子を見ようと、幸宏さんは言った。弥生さんは仕事に復帰、とにかく自分が働かなければ食べていけないのだから、希望がある限り、頑張るしかなかった。

 幸宏さんも頑張った。時間を見つけては、弥生さんと過ごす時間を作った。家庭内も徐々におさまっていったらしい。だが、下の息子は不登校になり、その対処にも追われていた。

 なぜ、私だけ独りぼっちに

「一年以上、そんな状態が続きましたが、ある日、彼が土気色の顔でやってきて、『もう疲れた』と。限界だったんでしょうね、誰も彼が。私も彼が来るたびに責めてしまっていたし。それっきり、彼は来なくなりました。

連絡をとろうとしてもとれない。だけど私もあきらめきれなかった。彼の自宅を探し当てて行き、咲子を殴りつけ、暴れてしまった。気づいたときは警察に捕まっていました」

 咲子さんが世間体を恐れて訴えなかったため、注意を受けただけで帰ることができたが、弥生さんの気持ちは収まらない。幸宏さんの会社近くで待ち伏せしたり、自宅の最寄り駅見張ったりした。

「あるとき、幸宏を捕まえて、『どうして、私だけ独りボッチにするのよ』と怒鳴りつけて、殴りかかったんです。彼、防衛もせず道端でひたすら殴られていました。私は、殴り疲れて座り込んでしまって。幸宏は鼻血を流しながらも、『オレが悪かった』と言い続けていました。私はそのまま、アパートに帰るしかなかった」

 その後、弥生さんは再度入院した。ひとりでいたら、きっとなにかとんでもないことをしでかすと、自分が自分で怖くなったからだ。

「自殺するなら、それでよかった。だけど自分で制御できずに、幸宏を殺してしまうかもしれない。娘を殺人犯の子供にするのはあまりにも不憫だと思ったんです。今、理性のあるうちに入院してしまおうと・・・・」

 退院してから、半年たつ。前の会社では、いろいろな噂が囁かれていづらくなり、退職した。広報担当者としてばりばり働いていたのに、恋に落ちてからは仕事も疎(おろそ)かになっていた。弥生さんの仕事ぶりを知っている友人が、すべて飲み込んだ上で、自分の経営している小さな会社に入れてくれた。

「まだカウンセリングは受けています。幸宏のことは風のうわさで聞きました。家庭は、どうにか落ち着いているようです。下の息子さんがどうなったかはわかりませんけど」

 弥生さんは今も、当然のことながら、すっきり気持ちの整理ができているわけではないという。幸宏さんへの思いは、厳然と残っている。もし会えるなら、今すぐにどこにでも飛んでいく、ときっぱり言った。そのときの弥生さんの目に宿った光の強さを私は忘れることはできない。

一方で、自らの家庭を壊し、娘を傷つけたことを、母としてはやはり悔いている。

「娘は私への憎悪がエネルギーになっているようです。それも彼女にはとっては、決していいことではないとわかっている。だけど、私はまだいろいろなことを考えられないでいます。これからどうしたらいいのかさえもわからない」

 全速力で突っ走ってしまった時間を振り返っても、おそらく止める術はなかっただろう。彼女がどうしたらよかったのかは、おそらく誰にもわからない。

 夫婦のセックスを取り戻す

 夫の隠し物

 夫の浮気が発覚した、自分の心が夫以外の男性にいってしまったなど、結婚生活が長くなると、予期せぬことが起こる時がある。それと同時に、過去から現在に至るまでの夫婦のありようを見つめ直す試金石ともなる。

「あの日の驚きは、一生忘れないと思います」
そう話すのは、北関東に住む松尾秋恵さん(四十六歳)。小柄でむちっとした身体が色っぽい。笑うと切れ長の目が垂れて、人懐っこい顔になる。

「あの日」とは、二年前の春の午前中のこと。出社した夫から、慌てた様子で電話が入る。仕事上の大事なフロッピーが自宅の机の引き出しに入っているかどうか確認して欲しいという。
会社にあると思っていたがなかったので、焦ったらしい。夫の言う通り引き出しを開けてみると、フロッピーがあった。

「夫は本当にほっとしたように『良かった』と。その日に使うわけではなかったのだけど、なくしたと思って気もそぞろだったようです。次の瞬間、夫は急に小声になって、『引き出しは手を付けないで』と電話を切ったんです。私は、その様子のほうが気になって、思わずもう一度引き出しを開けて、中を見てしまった。それまで一度も気にしたこともなかったのに、夫がそんなことを言うからかえって見ずにはいられなかったんです」

 引き出しの奥深くに、秋恵さんが見つけたものは――。
「夫がふたりの女性と絡んでいるホロライド写真でしたひとりの上に乗って、もうひとりの胸に手が伸びていた。一枚じゃありません。何枚もあった。女性が夫の上に乗っていて、夫が恍惚としている写真がありました。ショックを受けたとか怒りがわき起こったというよりは、呆然としていました」

 秋恵さんは、短大を出て就職した金融機関の会社で六歳年上の夫に見初められ、強引なまでのプポーズを受けた。結婚したのは、秋恵さんが二十二歳のとき。ほとんど世間を知らないまま専業主婦となり、夫は営業職の猛烈社員として働いた。バブル期に、夫はヘッドハンティングで転職、それからも会社では有能な人材として一目置かれている。夫婦の間には、大学生の二十二歳と十九歳、ふたりの息子たちがいる。

「夫は仕事一途でした。子供が小さい頃は、週末、他の家族と揃って買い物をしている光景を見たくて、スーパーにも時間をずらしていったくらい。でも、私は一方で、仕事をしている夫が好きだった。

夏休みだけは家族で旅行する時間を取ってくれたし、たまに突然に、『今日は二人でデートしよう』なんていう優しいところもある。結婚生活は、寂しい時もあったけど、子供たちが大きくなってからは、私も趣味の学校に行ったりボランティアをしたりして自分の時間を充実させるようになりました。
夫の事は信頼していた。浮気なんてする人ではないと思っていました」

 だからこそ、写真を見て呆然としてしまったのだろう。秋恵さんは、十数枚あったその写真をリビングのテーブルの上に置いて、夫を待った。

「夫も何か気になったんでしょうか。その日は何故か、早めに帰ってきたんです。テーブルの上に置かれた写真を見て、ふうっと、ため息をつきました。私は何も言わずに、夫の顔を見つめていた。

夫は、『オマエは嫌がると思うけど、これは遊びなんだ』と。つまりお金で買った女性だということだそうです。気持ちが入っているわけじゃない、と。夫があまり静かに、まるで観念したかのように言うので、私も冷静に、『どうしてこんなことをするの?』と尋ねました。

『刺激が欲しかった』そうです。その時点で、夫とは年に数回、夜の生活があるかどうかという感じでした。私自身、性的欲求はなくはなかったけど、自分から求めることはできなかった」

 初めてのスワッピング

 刺激がほしかった。夫にそんなふうに言われたら、妻としては何も言い返せないに違いない。これまでの夫婦生活は何だったのか、この結婚は何だったのか。秋恵さんも、その日からずっとそう考え続けた。

「夫は私のことが大事だという。だけど、刺激が欲しかった、と。恋愛したわけじゃない、お金で割り切った一度だけの関係だから気にするなと言われても、私としては釈然としない。夫がお金で女性を買うような人だったことにも、ショックを受けたけど、

女性二人とするようなアブノーマルなことが、夫にとっては単なる『刺激』だったというのも衝撃でしたね、だんだん夫と口をきくのも嫌になって、不信感が募っていきました」

 ぎくしゃくする日々が続いた。夫は会えて何もなかったように振る舞う。そんな夫に、嫌悪感は拭えなかった。ある日、とうとう、秋恵さんは爆発し、夜中に帰ってきた夫に殴りかかってしまう。夫は秋恵さんをなだめてくれたが、気持ちが収まらなかった。

 次の週末、夫は秋恵さんを車で連れ出した。連れていかれたのは、都内のあるマンションの一室だった。

「部屋に入ると、数組の男女がみんなバスローブ姿でくつろいでいました。私はわけがわからないまま、夫と一緒にシャワーを浴びてバスローブを着せられて。部屋に戻ったら、人数が減っているんです。

『隣の部屋を覗いてみるか』と夫に言われ、ついていったら、そこで数組の男女が絡み合っていたんです。とっさに写真を思い出し、私は泣き出していまいました。『帰る』と夫に言ったんですが、『まあ、見るだけならいいじゃないか』って、そうしているうちに、

あるカップルが近づいてきたんですよね。夫がその女性の胸を触りはじめた。私、思わずその女性を突き飛ばして、夫に殴りかかってしまいました。その日は、そのまま帰ったんです」

 写真で見たような「汚らわしい世界」に、自分も入ってしまった。秋恵さんはそう感じていた。だが、夫の方は違ったようだ。

「帰りの車の中でも、私は泣いているのに、夫は妙に上機嫌なんです。『オマエがあんなに激しく嫉妬するとは思わなかった』って。私はまだ頭が混乱して泣いていましたけど、そのとき、自分でも『あれ?』と思ったんですよね。

確かに私は嫉妬で頭に血が上った。夫は私の女としての感情を見たことがうれしかった、と素直に白状しました。その晩、家に帰ってから夫と久しぶりにしたんですが、夫はとても興奮していたんです。

私の耳元で、『オレが他の女性の胸に触ったとき、どう思った?』と囁いて、私の嫉妬心を煽る。そうなると、また悔しくて泣けてくる。だけど、嫉妬しながらセックスしていると、確かに興奮が倍増するんですよね。夫は『ほら、オレのが入っている。ここは何て言うの?』と、卑猥なことを言わせたがったりする。

そんなことは初めてだったんです。しまいには私も、夫にいわれるがままにいやらしい言葉を口走って、それにまた興奮して・・・・・」

 夫以外の男に抱かれる

 初めて感じた、異様なまでの興奮だった。それから、「夫の猛烈な説得が始まった」と秋恵さんは苦笑する。夫の説得とは、他の夫婦との交換だ。

「私は自信がなかった。自分が他の男性に抱かれるのも嫌だったし、夫が他の女性とするのを見るのも怖かった。だけど夫は言うんです。『夫婦だからできるんだよ。もうじき子供達も巣立っていく。残るのはオレたちふたりだけ。

このまま枯れて年取っていきたいか? もっと刺激的に男と女として、生きたと思わないか』って。
夫婦の間に刺激を持ち込みたかったんでしょうね。半年くらい説得されました。夫は実は、若いときから複数でするとか、スワッピングなどに興味があったそうです。

だけど私は夫が初めての男性だし、とても言い出せなかった、と。四十代になって、やはり自分の欲求を抑えたまま人生を終わりたくなくて、あの写真のとき以外にも、たまに女性を買ったりしていたようです。

SMまがいのこともしていたらしい。だけど、実は私とそういうことをしたかった、と真面目な顔で言うわけです。私も夫がそこほどまで言うなら、実際にするかどうかは別にして、もう一度、ああいう場所に行って見てもいいと言いました」

 このまま枯れたくない、夫婦だけど、これからはむしろ男と女として生きていきたい、という夫の言葉が、当時の秋恵さんにはピンとはこなかった。だが、その言葉はなぜか心に残ったという。

 再度、半年前と同じ場所に行った。同世代の夫婦が話しかけてきた。とても感じのいい夫婦だったから、秋恵さんも心を開いた。

「私が初めてだと言うと、彼女は真面目な顔で、『この世界は奥が深いの。本当に愛し合っている夫婦じゃないと、関係が破綻してしまう。ただね。他の異性とセックスするとことで、夫婦関係も変わっていくと思う。でも嫌なら嫌とはっきり言った方がいいわよ』って。いろいろアドバイスしてくれました」

 夫が秋恵さんを愛撫し始める。他の人がいるところで、と秋恵さんは一瞬、戸惑ったが、夫が「ここでしよう」と囁く。夫に身を任せた。隣では、先ほどの夫婦が絡み始める。秋恵さんが、かなり快感に支配され始めたとき、男同士が入り替わった。暗黙の了解のもと、二組の夫婦が、パートナーを交換した瞬間だった。秋恵さんにも事の次第は飲み込めていたが、逆らう気にはなれなかったという。

「どうしたら、あの場の雰囲気なのか、夫の願いを叶えてあげたいという気持ちだったのか。よく覚えていないんだけど、相手の男性を拒めなかった。彼はとってもソフトな愛撫を続けてくれました。『気持ち良くなろうね』と、その男性が言ったんです。夫に愛撫されているらしい女性の声も耳に入ってきて、私はすごくつらい気持ちになっているんだけど、同時に興奮もしていく。

だんだん周りに人がいることとか、すべてがどうでもよくなって、目をつぶって、自分の快楽だけに集中していきました。夫に言わせると、私は”獣のような”声をだしていたそうです」

 すべてが終わって気づいてみると、夫が手を握ってくれていた。相手方の夫婦もにこにこしながら見つめている。秋恵さんは、夫に抱きついた。

「不思議でした。夫以外の男性としたのは生まれて初めてだったのに、気を失うほど気持ちが良かった。セックスって、愛情のある者同士がするはずと、私は頑なに思ってきたけど、そうでなくてもできるんだと初めて知りました。

セックスしたからといって、私がその男性を好きになってしまうわけでもない。今までの私の価値観が、がらがらと崩れていくような気がしました」

 帰り道、夫が車を停めて襲いかかっきた。自分でない男に抱かれて、快感の波に漂っていた妻に、夫は嫉妬していた。同時に興奮して、家まで待てなかったそうだ。

「お金で買った女性たちが、誰と何をしようが夫にとっては関係ないわけですよね、私だから、夫も嫉妬で苦しい思いをする。だけど、その嫉妬が興奮を誘う。それは私も同じでした」

 その一度の経験は、秋恵さんに、いろいろなことを考えさせた。自分にとって、夫の存在とはいったいなんなのか。セックスとは何なのか。そして、ふたりはこれからどうしたらいいのか。

 なまじ他の男性で快感を得てしまったがために、秋恵さんの悩みは深くなった。身体が気持ちいいことと、夫への愛情を切り離せず、自分で自分が信じられなくなってしまったという。

「よく知らない人とあんなことをして、感じてしまう自分が怖かった。夫は、『女性の快楽は深いから、いろいろな人と楽しめばいい。男の快楽はもっと単純だから、刺激だけを楽しむしかないけどね』って。

それから、夫と快感について、セックスについてよく話をするようになりました。夫とのセックスも、週に一度はするようになった。夫は必ず、あの日のことを持ち出すんです。そうすると、私もなぜか興奮してきちゃって」

 それでも。またすぐにああいう場に行こうとは思えなかった。自分変わっていくのが怖かったし、そういう「アブノーマルな世界」に踏み込むのが後ろめたくもあった。

 だが、またも夫に説得されてた。アブノーマルの基準とは何なのか。あそこで会った夫婦は、ごくまともな夫婦だったんだろうと論破された。確かに、他の夫婦やカップルも、ごく普通の人たちだったし、普通以上に礼儀正しい人たちだった、と秋恵さんは認めた。

 夫に恋するように

 それから三ヶ月後、秋恵さんは夫ともにまた、あの場所を訪れた。
「前の夫婦とは違うご夫婦に出会って、また交換しました。途中で夫を見ると、相手の女性の胸にむしゃぶりついているのが見えて、やっぱりカッとしちゃって。でもああいう世界に慣れている男性って、みんな女性の身体のことを熟知していて、丁寧に扱ってくれるんですよ。

すごく感じてしまいました。あとから夫の聞くと、私の声が大きく響いていて、心がざわざわしたって。それからですね、月に一度くらい定期的にそういう場に出入りするようになったのは。

夫が他の女性と絡んでいるのを見ると、何とも言えない気持ちになる。ときどき割って入っていこうかと思う。他の人とする夫なんて、やっぱり見たくないですよ。夫も同じ気持ちなんだと思う」

 そういう場所に出入りするようになってから、一年ほどたつ、いまだに慣れない。夫の他の女性に対する態度に嫉妬して、大喧嘩になったこともある。

「ただ、明らかに夫婦の関係は変わりました。夫は私を気遣って、ふだんから優しくなりました。私も夫に、何でも言えるようになった。『年取ってから、妙にべたべたしてるね』と、長男に笑われたこともあります。私、夫に今、改めて恋をしているような気がします」

 四十代になってから夫に恋をしている、といえる夫婦関係には、多くの人が羨ましさを感じるだろう。夫婦というしっかりした基盤があるからこそ、ある種の「アブノーマル」な刺激も、受け止めていける。ときどき恥ずかしそうな表情をしながらも、素直に自分の気持ちの経過を話してくれた秋恵さんは、穏やかな笑み話浮かべながら去って行った。

 一線を越える勇気とためらい

 二十一歳の歳の差

 恋愛感情を抱いたとき、自分の欲求に忠実に突き進む人もいれば、欲求を抑え込む人も、もちろんいる。家庭があり、子供もいれば、現実としては、行動に移せない女性の方が多いかもしれない。

 四十代後半は、女性の性欲が増す時期だ。「このまま枯れたくない」という気持ちが、閉経を前にして、もっとも高まるようだ。もちろん、女性は閉経後も女性であることに変わりはない。

むしろ、その後のほうが心おきなく性を楽しめるという女性の声もたくさんある。だが、実際に閉経する直前の女性の心理としては、「このまま終わりたくない、なんとかしても、もうひと花咲かせたい。それもすぐに」という切羽詰まった心境になるものだ。

「今まで、若い男の子に興味なかったのに、本気で好きになってしまったんです。今、苦しくてたまりません」
 眉間につらそうに皺(しわ)をよせながら、西村真希さん(四十七歳)は、そう話してくれた。

真希さんが恋しているのは、パート先の飲食店で知り合った男性。彼はアルバイトで、二十六歳になったばかり。小さな劇団で芝居をしていて、メジャーな役者さんになるのが夢なのだという。
真希さんは、結婚して二十年になるが、高校生の娘いるだけなので、若い男の子とは初めてかかわった。

「彼とは同じ職場になって、一年くらいたちます。最初はどう接していいかわからなかったけど、向こうから平然と親しげに話しかけてきたんです。今どきの若い男の子って、私みたいなおばさんにも平気でメールを送って来るし、ランチに行こうかと冗談で言ったら、本気で一緒に行ってくれるんですよね。

ふたりきりでランチするのもまったく平気みたい。私は職場結婚だったんですが、主人の前に付き合ったのはひとりだけ。当時は、そう簡単に男女がふたりきりで食事になんて行きませんでしたから、最初は彼の感覚がよくわからなかった」

 彼は職場仲間として、オープンに接してくれているだけ。中でも、真希さんがたまたま話しやすかったのだろう。真希さん自身も、今はそのことを分かっている。わかっていながら、彼に恋してしまった。

「彼には、同世代の彼女がいるんです。彼は成功したら結婚しようと約束しているけど、そろそろ彼女が焦れてきているとか。あんまりうまく行っていないと聞かされたこともあります。

そういう相談もされるんです。彼にとって、私は母親のような存在なんでしょうね。でも、朝、『おはよう』とか、深夜に『おやすみ』なんてメールをくれたりもすると、私は彼にとってちょっと特別な存在なのかなと思ってしまう。

女として意識していなかったら、そこまではしないのではないかと期待する。だけど、それを彼に確認するわけにはいかないし、ましてや肉体関係などもてるわけもない。それでも、彼と付き合えたら、と妄想する自分がいる。苦しくてたまらないんです。こんな気持ち、初めて」

 職場の飲み会の帰りに、ふたりで歩いたことがある。彼が真希さんの腰に手をまわしかけた。酔って甘えたくなったのだろうか。

「だけどそのとき、私は思わず腰を引いてしまったんです。若い彼女とは肉のつき方が違う。
たるんだ身体を触られたくなかった。私が気を緩めたら、あるいは私から誘えば、若くて性欲満々の彼は、断らないかもしれない。

何度もそう思いました。だけどやはり無理。もっと若いうちに知り合えなかったのか、なぜ今なのか、なぜこれほど歳の差があるのか。考えれば考えるほど、切なくなって虚しい・・・・」

 こまま枯れていくのか

 夫とは、セックスレスの関係になって久しい。六歳年上の夫は、四十歳を過ぎて仕事上の重圧が高まるとともに、性的欲求をなくしていた。おそらく浮気はしていないと真希さんは見ている。

「今年に入ってから、主人とは一度もありません。冷たい関係になっているわけではなく、たまに一緒に映画にも行ったりもするんですが、セックスだけが生活から抜け落ちている。以前は感じなかったんですが、ここ二年くらい、私も焦っていますね。

このまま枯れていくのか。それでいいのか、と。夫と今さら、豊かな性生活があるとは思えないから、私が自分で行動を起こさない限り、変化は望めない。ただ、やはり実際に他の男性と肉体関係をもつのは勇気がいりますよね。相手が年下の男性だと特に」

 恋愛から遠ざかっていると、恋愛力は落ちる。相手の反応、自分の欲求、そしてそれにともなうさまざまな感情の処理など、恋愛には案外面倒なことが多い。それをすべて自分で処理し、恋愛を恋愛として、あるいは単なる遊びとして割り切らなければ、今まで、築いた生活は砂の城となってしまう。

真希さんは、まず自分に芽生えた恋愛感情に戸惑っている。そして、彼が醸し出す親密さを、恋愛感情だと思いたがっている。それならそれで、いっそ押してしまえばいいのだが、そのタイミングもつかめないし、そもそも彼女の道徳観がそれを許さない。

かといって、彼は職場仲間としてさっぱり付き合って行くこともできずにいる。彼女自身が感じているように、確かに八方塞がりだ。

「今は家でも、とにかく携帯を手放せないんです。夜は携帯を握りしめている。彼から『おやすみ』というメールが来るとほっとするし、来ないと、彼女と会って寝ているんじゃないか、と翌日まで悶々としてしまうんです」

 男女が逆転して、男がかなり年上の場合、男はそんなふうには考えないだろう。男は若さを武器にする必要はないからだ。若い女を落とすには、むしろ年齢を重ねたうえで勝ち得た、自分の社会的地位や収入がモノを言う。

女が年上で、なおかつ結婚していて、それほど社会的キャリアがないと、それらすべてが彼に対するコンプレックスとなる。さらに、容姿だってとても若い女性にはかなわないという自身のなさが、彼女の葛藤を生んでいるともいえる。

「ただ、どんなにがんばっても彼を好きだという気持ちは消せない。これほど人を好きになったことがないんです。こままだと、いつか彼に告白してフラれて、ひどく傷つきそうな気がする。

いえ、告白する勇気を持てずに、ずっと苦しみ続けるかも知れない。たまに息ができなくなるくらい胸がいたくなるんです。恋すると胸が痛むって本当なんだと、実感しているとこです」

 四十代女性が、そうやって二十歳年下の男性に片思いをして苦しむのは、今の時代、珍しいことではないようだ。多くは、結婚前の恋愛経験もあまり多くなく、結婚してからは、妻として母として、まじめに家庭を守ってきた、ごく普通の女性たちだ。

子供が成長して少し手が離れたとき、その心の隙間に突然、恋が入り込んできて、身動きが取れなくなるケースが多い。

 セックスになだれ込めない

 もちろん、相手が年下とは限らない。同世代や年上のケースでも、結局、自ら抑え込み、荒波を立てずに踏みとどまる人は少なくない>

「一度だけ、という気持ちと、一度そういうことになったら自分が崩れてしまう、という気持ちの間で、永いこと悩み続けました。だけど、結局は何もできなかった。私には意気地がなかったからだけだけど、それでよかったのかなと思っています」

 三年前、真剣な恋に落ちて迷い苦しんだものの、結局は自分から身を引いたのが、杉浦佐智代さん(四十六歳)だ。相手は高校時代に片思いをしていた先輩で、二十年ぶりに偶然、再会したところから迷いが始まった。当時、十五年連れ添っていた夫とは、すでに「同志」の関係で、男女という雰囲気は失われていた。

だが、それは、ある意味ではどこにでもある家庭そのものの光景だろう。佐智代さんも、ふたりの子供を中心にした家庭を守っていくつもりだった。

「なのに、彼に出会ってしまった。何度かお茶を飲んだり食事をしたりしました。お互いに、家庭を守りたいという気持ちは強いけど、相手への想いも募っていくばかりだった。

再会して半年くらい経ったとき、彼が、『もう我慢できない、きみのすべてが欲しい』と言い出したんです。私も同じ気持ちだった。だけど、どうしてもその日に決心がつかなくて、そのまま帰ったんです」

 翌日から、彼のメール攻撃が激しくなった。「きみとひとつになりたい」「このままだと一生後悔する」という彼の言葉に、佐智代さんは揺れた。彼に会うと気持ちが乱れる。だが、会わずにいられない。彼に抱かれて恍惚となる夢も、何度か見た。目覚めては、夢だと分かって泣いた晩が、何度かあったことか。

「それから半年近くは、会って口説かれては拒むということを繰り返していました。本当は私だって、彼の胸に飛び込みたかった。夫とは年に数回、あるかないかの生活でしたし、私自身、彼の顔をみると欲求が強まることを自覚していた。

だから、本音を言うと『したかった』んです。ある日、とうとう私も決意を固めて、彼とホテルに行きました。部屋に入って彼と思いきり舌を絡めて吸い合って、生涯でいちばん情熱的なキスを長い時間したんです。それからシャワーを浴びたんですが、水の音を聞いているうちに、これから起こることが、果たして本当にいいことなのか、

私はそのあと、どんな気持ちになるのか、と考えたら、急に怖くなってしまって…。バスルームから出ると、彼がまた抱きしめてきたんですけど、どうしてもそのままセックスになだれ込めなかった。何故だかわからなかったけど、やはり私にはできないと思いました」

 彼は優しかった。決心が固まるまで待つとも言ってくれたし、もし佐智代さいが望むなら一度だけでもいい、と苦しそうに言った。とにかくこのままでは死んでも死にきれないのだ、という彼の言葉に、佐智代さんは再度、心を動かされた。

「このまま死にたくない、という気持ちは、私も良く解ったから。家庭を持って、子供を育てて、確かにそれなりに充実していたけど、私自身の人生は、女としてこれでいいのか、このままでいいのかという思いがあったんです。夫は今さら、甘い言葉なんて囁いてくれない。夫に恋愛感情も抱けない。

せっかく好きだと思える人、大事にしたいと思える人と会えたのだから、何かを確認したいという気持ちもあった。それは自分自身が女であることかもしれないし、自分が今現在、誰かに強烈に必要とされていることかもしれない。

そうやって理屈をつけたのは、あとからですけど。あの時点では、とにかく彼が好きだった。好きなら欲しくなるのが当然だと思うし、私自身も強烈に彼とひとつになりたかった」

 一か月後、ふたりは再度、ホテルへと赴く、だが今度は、ホテルの前で、佐智代さんは二の足を踏んだ。

「やはり私の道徳観が許さなかったんです。妻として、母として、ここで一度でも彼と寝てしまったら、日の当たる道を大手を振って歩けない、と心から沸き起こる声があった。かれと関係を持ったら、私はもう夫と暮らせなくなってしまうかもしれない。

そんなのして見なければわからない、案外、割り切って恋愛を恋愛として楽しめたのかもしれない、という声もあるのでしょう。だけど私には無理だと直感したんです。彼にのめり込んで、彼を独占したくなって、両方の家庭をめちゃくちゃにしてしまうほうの可能性が高いような気がしました。

言い換えれば、私、本気で彼のこと好きだったんです。理性では処理しきれない。そのうえ、身体の関係を持ってしまったら、自分がどうなるかわからないという危機感がありました」

 ホテルの前で、佐智代さんは踵(きびす)を返した。彼が追ってきたが、その手を振りほどいた。本当はすがりつきたかったのに、自分の本心に目をつぶって、ふりほどいた。そして、泣きながら、ひとりで駅まで走り続けた。

「駅のトイレの個室にこもって、しばらく泣いていました。ようやく涙を拭いて、外に出て化粧を直しているうちにまた泣けてきて。周りのことなど、まったく意識に亡かった。

ただただ泣けて泣けてしかたがなかった。その日は結局、どうやって自宅に帰ったのかさえ、よく覚えていないくらいなんです」

 悶々として眠れない夜も

 翌日、彼からメールが来た。「いつまでも待っている。身体の関係を持たなくてもいい。また会いたい」と。佐智代さんは、その日のうちに携帯電話買い換え、メールアドレスも変えた。彼の電話番号も削除した。

「削除するというボタンを押すとき、本当に気持ちが乱れました。これで一生、会えないかもしれない。それでもいいのかと自分の心に尋ねて。いいとは思えなかったんです、本当は。だけど気持ちとは裏腹に、指に力を込めて削除しました」

 あれから二年近くたつが、彼とは一度も会っていない。今もあの決断はよかったのかどうか自信はないが、よかったと思うしかないとも感じている。

「今年の夏休み、高校生の息子と、中学生の娘、夫と四人で海外旅行をしたんです。息子が絵画に興味を持っているので、イタリアとフランスに絵を見に行ってきました。四人で心穏やかに旅行できるのも、家庭が平穏だからこそ。私、そのとき初めて、心から夫にお礼を言いました。

『あなたのおかげで、家族が幸せだ』と。夫は照れていましたが、私が家庭をしっかり守ってくれているからだとも言ってくれた。私利決断は、あれでよかったんだと、ちょっとだけ思えたんです」

 もちろん、今も彼への思いは消えていない。ときに、意外なほど生々しく、あの舌を絡め合った夜を思い出し、悶々として眠れなくなることもある。彼の会社に電話してみようと受話器を取り上げたことも、一度や二度ではない。それでも、佐智代さんは鉄の意志で自分を抑えこんだ。
現在、自分が手にしているものを大事に思うからこその決断だった。

 恋に突き進む既婚女性たちを責める気は、まったくない。恋はまさに急流に投げ込まれるようなもの。自分の意志に利がなくなることも多々ある。そしてまた、急流に飲み込まれる寸前に、そこから脱した人を、必ずしも正しかったと褒めそやすつもりもない。
 行くも帰るも、恋には、それぞれに苦悩と決断が付きまとう。
 つづく 第七章
 疑う権利、嫉妬する権利

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