「恋愛はしたけど、子供が小学校に入ったばかりだから、なかなか踏み出せません。子供を見てくれる母親の目もあるし。せいぜい、男友だちと食事に行く程度です。セックスなんて四年もしていませんけど、今はそれも面倒。

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第4章 離婚の後の、男探し、夢探し

本表紙亀山早苗著

男がいないと女はだめ?

 離婚した女性たちが、その後の人生で恋愛や再婚をどうとらえているのか。バツイチ子なしの私も、他人事ではないから興味がある。あるとき、私を含めて、離婚した女ばかり四人ほど集まったとき、そんな話をしてみた。うち、ふたりが女手ひとつで子どもを育てている。

 三十代半ばで、まだ子供が小さい女性は再婚には否定的で、恋愛さえおぼつかないとう。
「恋愛はしたけど、子供が小学校に入ったばかりだから、なかなか踏み出せません。子供を見てくれる母親の目もあるし。せいぜい、男友だちと食事に行く程度です。セックスなんて四年もしていませんけど、今はそれも面倒。娘二人でいる時間を大切にしたいというのが正直なところですね」

 もうひとりは四十代前半の遠藤美千子さん。離婚して五年、手塩にかけて育てたひとり息子は地方の大学に入学し、昨春からひとり暮らしになった。

「子供に依存するつもりはないけど、毎日が寂しい。仕事があって、友だちもいて趣味もある。これでいいんだ、と自分に言い聞かせているけど、このままずっとひとりで、もう恋愛もすることがないのかと思うと、ときどきいたたまれなくなる。離婚してから、生活だけで必死でしたから、今は突然、ひとり取り残されたような気分ですね。

周りを見ると、結婚している人はなんだかんだ愚痴を言いながらも幸せそうだし、独り身で恋愛している人たちも輝いてる。やっぱり男がいないと女は駄目なのかなあとも思いますよ。だけど、今からどうやって男性を見つければいいのか、わからない」

 ひっそり暮らしていければ

 確かにバツイチ四十代の女性が、恋愛相手を探すのは容易なことではない。バツイチ同士の見合いパーティなどもあるが、私自身は行ったことはないし、この彼女も「行く気にはなれない」という。

「ああいうパーティは、短い時間で相手を見抜かなければいけないでしょう? 私自身も男性からどう見られているのか、短時間だと見た目が勝負なのかしら、と気になるし。それにどうしても再婚したいというわけでもない。気楽に友だちから恋愛に発展させたいけど、なかなかそういう出会いはないんですよね」

 まさしくおっしゃるとおり。女性はいくつになっても、「突然の出会い、ときめき、運命の人との恋愛」を望んでいるのかもしれない。

 あとひとりは四十歳になったばかり。近々、同じしバッイチの男性と再婚する予定で、出産も考えているという。希望に満ちた彼女を、ひとり暮らしのバツイチ女性が、羨望の眼差しで見ているのが印象的だった。離婚がまったく珍しくなくなっているのだから、これからは再婚も増えていくだろう。

 もうひとりは四十代半ばの川原あゆみさん。離婚して十年、子供はいない。結婚当初から夫による家庭内暴力を受け続け、十年間耐えた。手を上げられたり、子供が出来ないことを言葉で責められたりした。一方的な暴力は彼女の生きる気力を削いだ。

ようやく逃れられたのは、学生時代の親友の協力があったからこそだ。それから十年たったが、今もまだ、男性不信から抜け出せずにいる。後日、改めてあゆみさんに個人的に会い。話を聞くことが出来た。

「三十代半ばでひとりになって、最初は戸惑いました。東北の実家に戻ることも考えたけど、実家もすでに兄と兄嫁の時代になっている。私が帰ったら、むしろ年老いた両親に迷惑をかけそうで、帰れなかったんです。

短大時代に保育士の資格を取っていたので、最初はパートで保育士として働き始めました。その後、働きながら夜間の大学に入って勉強をし直し、今は福祉関係の仕事に就いています。生活は楽じゃないけど、ひとりなら何とか食べていける。このままずっと、ひとりでひっそりと暮らしていければいいと思っていました」

 ところが今から二年ほど前、あゆみさんは「出会って」しまった。彼女が働いている施設に出入りしている業者のひとりが、「その人」だった。

「最初は別に何とも思っていなかったんです。私はその人と話さなくてはいけない立場だったので、仕方なく話すという感じでした。できれば男性と接点を持たずに暮らしていきたかったくらいなんですか。
ただ、どこか話しやすかったというのはあったかもしれません」

 週に数回、顔を合わせているうちに、たまには個人的な話も出る。彼の年齢があゆみさんより三歳年下であること、既婚で子供たちをとても可愛がっていること、などなど。あゆみさん自身は、まったく自分のことを話さなかったが、ある日、彼が「川原さん、お子さんは?」と、何気なく聞いてきた。その瞬間、あゆみさんは身体中が固まってしまう。

「態度がおかしかったんでしょうね。彼は『ごめんなさい、余計なことを言ってしまったようですね』と、すぐに去っていきました。だけど次に来たときは、なにごともなかったかのように、また明るく接してくれた。私、そのとき、なぜか彼にすべて話してしまいたくなったんです。なぜ彼だったのか、いまだにわからないんだけど」

 あるとき、あゆみさんから、時間があったらお茶でも飲んでいきませんかと誘った。ふたりは外のベンチに座り、暖かな陽ざしの中で、ふんわりとした時間を持つ。バツイチで独り身であること、夫の暴力に耐えられず逃げてきたことなどを、重くならないようにあっさりと話した。

誰にも話したことがなかったのに、話し終えたとき、あゆみさんは肩の荷を下ろしたようにほっとした。彼も真剣な面持ちで聞いていたが、聞き終えるとあゆみさんの手に自分の手をそっと添えた。

「『大変な思いをしてきたんですね。辛かったでしょうね』と言ってくれた。その言葉に、彼の全ての思いが詰まっているようでした。はっとして彼の顔を見ると、目が潤んでいて、優しい人なんだって改めて感じましたね」

 だが、あゆみさんは、一度、ゆっくり外で会いましょう、という彼の言葉を、そのまま受け止められなかった。機械があれば、とやんわりと逃げた。彼もなかなかストレートに誘っては来なかったが、しばらくしてから、担当が配置換えになって、この施設にはもう来ないとあゆみさんに告げた。

「『だからせめて、携帯電話の番号かメールアドレスを教えて』と言われたんです。もう会えなくなると思うと、私も急に寂しさがこみあげてきて、素直に番号とメルアドを教えました。それから二週間後くらいでしょうか、外で食事をしたんです」

十年ぶりのセックス

 彼に会えなかった日々の中で、あゆみさんはいかに彼に癒されていたかを身をもって感じるようになっていた。

 食事をする回数も増えていった。ふたりきりで会うようになって半年、あゆみさんは初めて、自分のアパートに彼を招き入れた。

「怖かったです。十年以上、誰ともキスひとつしていないのに、セックスなんてできるのか。彼を招き入れてからでさえ、そんなことが起こるかどうか信じられなかった。そもそも、彼が私に対して、同情心以外の別の感情があるのかどうかも分からなかったし」

 だが、彼はまるで高級で薄いガラス製品を扱うかのような丁寧さで、彼女を抱いた。快感より先に、大事にされていることが実感できて、あゆみさんは泣いた。熱い涙がいつまでも溢れつづけた。会うたびに身体を重ねる。彼の丁寧な愛撫のおかげで、あゆみさんの身体感覚が戻ってきた。

自分以上に、自分の身体を慈しんでくれる彼の気持ちに応えたくて、彼女は身体も心も開いていく。生まれて初めて、「イク」という感覚がわかったとき、あゆみさんはまた泣いた。彼も満足そうに目を細めて彼女を見つめていたという。

「それからは会うたびに、もっともっととせがむほど感じるようになってしまって。彼との逢瀬が待ち遠しくてたまらない。私の心の中では、実は地獄が始まってしまっていたんです。

会いたい、だけど彼には家庭があって、そう頻繁には会えない。五日も放っておかれると、身体が火照ってくるんです。彼に会えると、今度は帰したくない。彼の帰り際になると、笑って送り出そうと思っても、寂しくて寂しくて泣けてきてしまう」

 それでも、久々にかつての友人たちと会うと、「きれいになったんじゃない?」などと言われた。恋をしているうれしさ、セックスによる快楽がもたらす圧倒的な歓びは、確かにあった。だが、その一方で、自分の心の中にどす黒い闇を抱えてしまったことも、あゆみさんは気づいていた。

「彼には離婚するつもりはないことは、最初からわかっていました。一方的に妻子を捨てるようなひとではあり得ない。だからこそ、私は好きになったんだと思う。だけど、冷静に考えてみると、しょせん、私は彼にとっての唯一の女ではない。

切り捨てようと思えばいつでも切り捨てられる立場なわけですよね。これでいいのか、といいつも自問自答していた。それでも彼に会えると嬉しいし、他の男性に目がいかない。八方塞がりのような状態がつづきました」

 いっそ彼の家に電話してしまおうかと、何度も何度も受話器を握った。だが、それだけはできない。何の落ち度もない妻子を苦しめたりしてはいけない。その女としてのプライドだけが、あゆみさんを支え続けた。それほど彼女が苦しんでいることに、彼は気づかなかっただろう。

 半年前、彼女は自ら彼に別れを告げた。あまりに唐突な別れの宣告に、彼は絶句したままだったという。

「実は、私自身が、常にどろどろの真っ黒い闇を心に抱えていることに耐えられなくなってしまったんです。あるとき、ふと『彼の妻の死』をどこかでねがっていることに気づいて‥‥。

このままだと自分が駄目になる、と思いました。彼の家に乗り込んでいかないとも限らない。そんなことをしたら、大好きな彼を苦しめるだけ。私は彼から本当に大きな愛情をもらいました。

彼以外の男性を信用できるかどうかはというと、まだ疑問が残るけど、それでも今なら、彼から飛び立つことができる、と思ったんです。別れを告げた喫茶店で、彼に『好きな人ができたの?』と聞かれて、耐えきれずに店を飛び出しました。

彼はきっと、そうだと思っているでしょう。本当はそうじゃないと言いたい、別れたくないと言いたかったけど、そう言ったら、泥沼が待っている。喫茶店を飛び出して、?華街を号泣しながらうろつき回りました。情けないですよね、いい年した女がひとりで‥‥」

 言葉が途切れて、うつむいたあゆみさんの目から大粒の涙がぼたぼたと落ちた。あまりにその気持ちがわかるだけに、私も目頭を押さえた。

 あるときから女がひとりで生きてきて、出会ってしまったのが既婚の彼。自分自身が離婚しているだけに、相手を離婚させるわけにはいかない、とあゆみさんは思ったかもしれない。

こういう関係は、続けるも地獄、引くも地獄なのだろう。半年たっても、あゆみさんまだまだ彼に心を残している。人は思い出だけで生きていけるのだろうか。

「私、彼を愛したことも別れたことも後悔はしていない、と断言したいんです。今はまだ未練が強すぎて言えないけれど、きっといつか笑ってそう言える日がきっと来るはずだと思っています。

次の恋ができるかどうかは分かりません。私自身が年齢を気にしなくても、相手がどう受け取るか分かりませんし、恋なんてしたくてできるものでもないとわかったし」

 大きな目にいっぱい涙をためたまま、あゆみさんは決然と顔を上げて、そう言った。息を呑むほど、彼女はきれいだった。彼女のよさがわかる人が、きっと現れる、現れてほしいと願うしかない。

 蜜月は続かなかった

 こういう話は、私自身の胸にも響く。潔く身を引く勇気を、彼女はどこで培ったのだろう。
気持ちも身体も未練に引っ張られがちな女の性を、きっぱり断ち切った彼女の精神的な強靭さを思うと、やはり泣けてくる。重い気持ちのまま、数日間がすぎていった。

 ある日、見覚えのある名前のメールが入った。離婚女性が集まったとき、ひとり息子と離れてひとり暮らしになった美千子さんからだった。

 電話すると、彼女はあれから、十歳も年下の男性と「運命の出会い」をし、付き合い始めたのだという。

「三十代に入ったばかりの独身男性で、最初は『年の離れたお姉さんだと思いなさい』なんて言って、私も余裕だったんですよ。ところが、彼がどうしても付き合いたいと言い出して‥‥。

こんな関係、うまくいくはずがないと思っていたから、最初は気楽だったんです。でもだめですね、女って怖いと我ながら思った。どんどん若い彼に執着していく自分がいたんです。毎日のように、会いたい会いたいってせがんでしまう。

セックスも良かったけどやっぱり私、寂しかったから、精神的にべったり依存しちゃったんですよね。今まで自分で解消していた問題も、すべて彼に相談したり愚痴ったりするようになっていて」

 結局、蜜月は三カ月も続かなかった。彼が逃げ出したのだ。美千子さんは追った。彼が親と住む家の近くで張り込んだり、会社の前で待ち伏せもした。彼は逃げまくる。携帯電話は着信拒否され、会社に電話しても居留守を使われる。

「そんなとき、突然、息子が連休を利用して帰ってきたんです。私を見るなり、『お母さん、なんだかすごく疲れた顔しているよ』って、自分でしげしげと鏡を見て、驚きました。疲れているという顔じゃない、むしろ何かに取り憑かれたような般若みたいな顔になっていた。

息子は何か感じたんでしょうね。帰ってから、『お母さんが穏やかに楽しく暮らしてくれるといいなと思っている』とメールをくれました。それを見て、憑依(ひょうい)していたものが落ちたような気がしましたね」

 美千子さんは、笑いさえ交えながら、そんな話をしてくれた。大人の熟した女は、ひとりで生きていくのも恋愛するのもやはり難しいのか。そう思ったとき、美千子さんの明るい声が響いた。
「私だって、あんな年下の男性と恋愛できたんだもの。これからも諦めないつもりですよ」

 もう一度、夫を愛し直せた不思議

肉体関係か、心の絆か

 夫の浮気が発覚したとき、憤らない妻はいないだろう。よほど夫に無関心でない限り。憤りの原因は、さまざまだ。自分以外に好きな女性を作られた悲しみ、妻という立場を侮辱された怒り、あるいは「私の中だけ入れるはずのペニスを別の女性に入れた」ことへの屈恥辱感。

 夫が、「肉体関係は持っていない」というば、妻は「心の絆があるのね」と嘆き、「身体だけの関係だ」と言えば「それは女に対する侮辱だ」と怒る。一九八四年のアメリカ映画に、ともに家庭のある男女の恋愛を描いた『恋に落ちて』がある。ロバート・デ・ニーロ演じる男が彼女との関係を疑った妻への言い訳に、「肉体関係はなかった」というと、妻は夫に平手打ちして言うのだ。

一言。「その方が悪いわ」と。当時、このセリフは話題になった。「じゃあ、関係があったと言えば妻は納得するのか」という意見もあった。そんなはずはない。肉体関係があろうがなかろうが、妻の怒りがおさまるはずもない。浮気をした夫を、妻はそう簡単には許さないのだから。

「触られるのも汚らわしい。そんな気持ちでした。自分が女として否定され、私は育児と家事のためにだけに生きているのか、と日々、悶々としていました」

 関口敦子さん(四十二歳)は、夫の浮気が発覚したときのことを、そう話してくれた。それは今から五年前のことだった。

「当時、私は三十七歳、夫は三十九歳。結婚して十年経ったころで、七歳と五歳の娘たちがいました。夫は子供にはべたべただったし、私との仲もうまくいっていたんです。営業の仕事が忙しくて、午前様になることもしょっちゅうなのが唯一の不満でしたけど。休日も接待ゴルフだのなんだのと以前から出かけることが多かったので、浮気も最初は気づかなかったんです」

 敦子さんは、夫が遅くなるときは、子供達と一緒に寝てしまうことが多かった。子供の生活を考えたら当然だろう。ある晩、寝入りばなに電話が鳴った。慌てて出ると、すぐに切れた。無言電話だ。気にもしていなかったか、十日ほどたったとき、また深夜に無言電話があった。

「翌朝、なにげなく、夫に『最近、夜中に無言電話があるのよ』と言ったら、夫が一瞬、ぎくっと体を動かしたような気がしたんです。私の思い過ごしかなと思うくらい微妙に。『物騒だから、戸締りはちゃんとしろよ』と言い置いて出て行きましたが、どこか様子が変でした。

だけど、毎日が忙しいから、そのまま過ぎて行って。一週間後くらいかな、また電話がありました。三回続けば、いくら私が鈍くても、何かおかしい、と思いますよね」

 その後も月に数回、無言電話があった。いつも夫が遅い晩だ。気になって眠らずに待っていたとき、帰ってきた夫から、まったくお酒の匂いがしないのを訝(いぶか)しく思った事もある。遅くなるのは仕事の接待だと信じていたから、敦子さんの疑惑が強まった。だが、「知りたいけど知りたくない」状態が続く。

 夫にカマをかけてみようか、あるいは正面切って聞いてみようか。いや、それはできない。
真実なんて知りたくない。でも、もし自分を裏切って浮気していたとしたら…。敦子さんの心は揺れに揺れた。

 半年近くそんなことが続いたある晩、酔って帰ってきた夫がぐっすり眠りについたころ、敦子さんは夫のスケージュール帳を盗み見た。いけないと思いながらも、メモ魔の夫なら、何か手がかりがあるはずだという確信があった。これ以上、曖昧な状態は耐えられないという気持ちもあった。

「書いてありました。妙なイニシャルが。私、無言電話が来た日時をメモしておいたんですよ。見事にそのイニシャルが書いてある日と一致しました。おそらく、相手の女はひとり暮らしで、夫が彼女の家を出ると同時にうちに電話をかけてきたんじゃないでしょうか。そのとき、そう推測したんです」

 イニシャルはS・T。夫のスケージュール帳についている住所録を見たら、そのイニシャルに符合するフルネームはすぐ見つかった。夫の部下だった。

「お手軽な浮気だなあ、というのが素直な印象でした。ついでだから全部見てしまえ、と思って、スケージュール帳や財布をチェックしたら、高速道路の領収書があったんですよ。日付をみると、接待ゴルフだと言って出かけた週末のものでした。だけどいつも使うゴルフ場とは全然違う場所。

彼女と旅行にでも行ったんでしょうね。真実がわかったとき、いったい、いつから私を騙していたんだろう、という気持ちがふっとわいてきて、その次の瞬間、頭が爆発するような怒りがわいてきたんです」

 夫の寝顔を見に行った。無防備に軽い鼾をかいて眠る夫の顔を見ているうち、怒りは失望へと変わっていった。

「夫の母親はずっと働いていたので、夫は子どもの頃、寂しい思いをしたらしいんです。せめて子供が中学に入るまでは、家で子供たちを迎える母親になって欲しい、と言われて、私は泣く泣く仕事を辞めた。

そんな経緯があったから、私の人生を奪っておいて、自分は他の女にうつつを抜かしている、そんな男だったのかという失望が大きかったですね。怒りのエネルギーを持続させるには、ショックが大きすぎたんだと思います」

 それでも黙っているにはあまりに悔しい。眠れないまま朝を迎えた敦子さんは、テーブルに夫のスケージュール帳と高速道路の領収書を置いていた。それを見たとき、夫が一瞬、息を?むのがわかったが、敦子さんは言葉を発しない。

「どうしょうか、と夫は逡巡したでしょうね。でも間を開けずに、『あれ、オレ、手帳をこんなところに置きっぱなしにしたっけ』とさりげなく言ったんです。そのさりげなさが不自然で、『若い女と何をしているか知らないけど、みっともないことをしないでよ』と叫んでしまいました。

夫は『何か誤解しているんだ』と説得にかかってきたけど、私は『無言電話は彼女の仕業ね。そんな馬鹿な女ときあっているあなたがおかしいわよ』と罵りまくったんです。とにかく自分を止められなかった。朝になって夫の顔を見たら、前夜の失望感がまた怒りに変わって‥‥。

夫は私の剣幕に驚いたようでしたが、なんとか穏便にすませたかったんでしょう。『今日は、早く帰るから、ゆっくり話そう』って。時間を与えたら言い訳するに決まっているから、『今すぐ接明してよ。彼女とどのくらいつきあっているの? 何回セックスしているのよ!』と問い詰めました。

夫と私は上手くいたけど、そのころの夜の生活はあまりなかったんですよね、どうしても生活時間が合わなかったり、夫がその気になっていても、私が何だか疲れていたり。私はもともと、そういうことは嫌いじゃないけど好きでもないというタチだったし。

だけど、夫に女性がいると分かったとき、いちばんに頭に浮かんだ画は、夫と若い女がセックスしている場面だった。彼女がいるから、夫は私に積極的に迫ってはこなかったのか、と思ったし」

 信じたいけど信じられない

 敦子さんの意見に、多少の矛盾はある。夫婦生活は自分から断る方が多かった。それなのに夫に女がいるとわかったとき、「だから夫は迫ってこなかった」と納得してしまっている。「自分より若い女の方が魅力的だからでしょ」という気持ちは、そのまま自己評価の低下につながっていく。

「夫はその後、『部下の彼女には、恋愛相談をされただけ、他に彼女を車に乗せたことはあるが、それは彼女が失恋して、失意のどん底だったから、実家まで送っていっただけ』と作り上げたストリーをはなしてくれました。私は信じられなくて、『じゃあ、彼女に電話して聞く』と言ったんですが、夫は怖い目で『オレの社内の立場がどうなってもいいのか。

オマエも子供たちも路頭に迷うぞ』って。悔しかったですね。自分に経済力がないことが。夫を振り切って出ていくだけの勇気は持てなかった」

 それから無言電話はぴたっとやんだ。だからといって、夫が浮気してはいないという確証にはならない。敦子さんは悶々として暮らしていた。

「しばらくして、夫は『オレがもっと家庭を大事にしないといけないと思った。少し仕事を減らしてもらうようにするよ』と言い出して、週に二度くらいは本当に早く帰ってくるようになったんです。

それでも私は信じられなかった。信じたいけど信じられない。夜中によく夫を起こしては、『彼女とはどういうセックスをしたの?』『彼女はいつも感じていた? 一度のセックスで何回イッた?』としつこく聞いたりして。

夫は一切答えませんでした。あるとき、またしつこくそう言うことを聞く私に、夫が力ずくで押さえつけてセックスしたんです。惨めだった。全然感じなかった。施しを受けているような気がしました」

 翌朝、敦子さんの身体中に湿疹が出た。医者に行くと、急激に過剰なストレスを感じたのではないかということだった。夫とのセックスで湿疹が出るなんて、と敦子さんはまた惨めで泣けたという。

「夫にその話をしました。そして『私は、子供のためにこの家にいるし、主婦としての仕事もする。だけど、あなたを信じることは、もう二度とできないと思う』とも言いました」

 家庭内別居のような冷戦状態が続いた。必要最低限の事務的な会話しかない夫婦関係に子ども達を巻き込んでいるのはわかっていたが、敦子さんの心は氷のように冷たく固まったままだった。

自分でも「感情が止まっているのが分かっていた」という。それを打ち破ったのは、今から二年前、夫がくも膜下出血で倒れたときだ。

「家庭に居場所がなかったからでしょう、夫はまた猛烈社員に戻っていたんです。仕事に居場所を求めていたんだと思う。会社で倒れて、そのまま救急車で運ばれたんです。処置が早かったから、一命はとりとめました」

 集中治療室に入っている夫をガラス越しに見たとき、敦子さんは恋人時代をふと思い出した。
夫がスキーで足を骨折し、こうやって病院に駆け付けたことがあった、ということを。退院と同時に、夫はプロポーズしたのだった。敦子さんは泣きながら承諾の返事をした。それほど夫となったこの男性をすきだったのだ、ということも記憶の彼方から蘇ってきた。

「夫は一日で意識を取り戻しました。目を覚ましたとき、夫が私の顔を見て、ほっとしたようにニコッと笑ったんです。そのとき、私は何故か自分の感情を止めてしまっていたのかよくわかった。私は夫が好きだったんです。だから裏切られて辛かった。

真実をうやむやにして、自分の非を認めようとしなかった夫に対して恨みが募っていたのは、私が彼を愛していたから。じゃあ、夫の浮気を認めて謝ればよかったかと言われると、それはそれで、またショックだったとは思うんですけど」

 敦子さんは、一日も休むことなく病院に通って、献身的に看病した。そのかいもあったのか、夫は奇跡的に後遺症もなく、一ヶ月後には退院することができた。

「退院した晩、夫は子供たちが寝たあとに私に向かって両手を広げたんです。私もためらいなく。その腕の中に飛び込んでいった。夫は私をぎゅっと抱きしめて、『ごめんな、心配かけて。まだ一緒にいてくれるか』って不安げな声で言ったんです。

涙が止まらなかった。私、正直に言いました。『私は本当にあなたが好きだった。だからあのときも苦しかった。苦しさから逃げるために、あなたに冷たい態度を取ってしまった』と。ふと見ると、夫の目も潤んでいました」

 自分の体をもてあますくらい

その後、一ヶ月の自宅療養をしている間に、夫婦のセックスも四年ぶりくらいに復活した。

「夫の浮気以降、別々にしていた寝室も一緒にしました。シングルベッドをふたくっつけて、手をつないで寝るようになりました。ある晩、夫が私の手をぐいっと引っ張って。この上なく優しく、甘い時間が流れていたような気がします。

久しぶりに夫が私の中に入ってきたとき、『これは私のモノだ』と確信しました。もう誰にも渡さない。そのためにも、私は夫に対して、もっと女として接していこう、というふうにも思ったんです。夫にそう言ったら、『自分の奥さんがやたらと女っぽくなったら気持ちが悪いよ。オマエは今のままでいい。今まで悪かったのはオレなんだから』って言ってくれました。

自宅療養の一ヶ月間は、本当に新婚に戻ったみたいに楽しかった。毎日のように手をつないで散歩に行ったり、夜もしっかり抱き合って寝たり。子供達も、病気なったお父さんにびっくりしたみたいでしたけど、家に毎日父親がいて、両親の仲がよくていう状態はとてもよかったみたいです。ふたりとも驚くほど精神的に安定して、急に成績まで上がったんですよ」

 夫のその後、会社に復帰。営業の職から解かれなかったが、無理しない範囲で仕事をしてほしいと会社側にも言われたという。それまでの働きぶりが認められていたのだろう。

 そして今、夫はすっかり元気になり、ときどきかなり過剰な働きぶりを見せるようになった。元気な証拠と思いながらも、無理が続かないよう、敦子さんはたまに夫を諌めている。

「こんなことは恥ずかしいんですけど、実は私、四十歳を過ぎてから、急激に性欲が増してきちゃって。以前よりずっと濡れ方も激しいし、感じ方も半端じゃないんです。一週間もしないと身体が火照って眠れなくなる。夫は『オレはついてはいけない』と言って、バイブレーターを買ってきて使ってくれます。

バイブレーターだけでイッちゃうこともあるし、最後は夫と一緒にイクこともあるけど、とにかく自分で自分の身体をもてあますくらい。でも夫はそんな私を面白がっているみたい。私、今ようやく女としての幸せを味わい尽くしています」

 夫を許せなかったあの頃を、敦子さんは思いだすこともある。だが、あの苦しさは、夫の病気と直面した辛さによって払拭されてしまったという。

 夫婦というのは不思議なものだ。人と人との関係は生もの。旬や停滞期を繰り返しながら、夫婦という不思議な縁は続いて行くものかもしれない。
 つづく 第5章 
浮気を乗り越えた夫婦の性探訪

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。