女が強くなったのか、男が弱くなったのか、それは分からない。その一方で、妻たちの三人に一人は夫からのDVを受けているという報告もある。逆に、妻からのDVを受けている夫たちも、以前に比べれば急増している。

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第2 専業主婦でも家事は分担?

本表紙 亀山早苗 著

専業主婦でも家事は分担?

 一年ほど前に結婚したばかりの克彦さん(三十五歳)に会うと、まだ新婚といってもいい時期なのに、なんとなくやつれている。結婚したばかりの男女には、それとなく変化が表れるものだ。結婚して少しふっくらとした男性には、必ずからかい半分に「幸せ太りじゃないの」という声が飛ぶし、笑顔の多くなった女性には「幸せ。わけてよ」などと言う。

ただ、やつれた「新婚男」に、どう声を掛けたらいいものか、私は少し迷っていた。
「結婚がこれほど大変なものだと思わなかった」

 私の表情に気づいたのか、克彦さんのほうから話し始めた。妻は二歳年下で、かつての同僚。社内恋愛ご法度という社風だったから、ひそかにつきあって二年、彼女が仕事に行き詰っているのを見かねて、「会社辞めちゃえ。オレと結婚しよう」とたきつけた。

「彼女、専業主婦になりたかったんでしょう。とんとん拍子に結婚話が進んで。彼女の親が頭金を出してくけて、マンションを買っちゃった、というか買わされちゃった。ところが、新婚旅行から帰ってくると、彼女がひと言、『ここはあなたと私の家よね』と。『もちろん』と答えると、『じゃあ、あなたも家事やってね』って。

そりゃ共働きなら分担もわかりますよ。『オレは外で働いて、家でも働くわけ?』と聞いたら、『だってふたりの家だもの。ふたりで生活を築いて行くべきでしょう?』と。なんとなく反論できなくて、結局、僕は洗濯や掃除、片付けなどをやらされているんです」

 克彦さんが早めに帰って、一緒に夕食がとれる場合には、片付けから、次の日の朝食の下準備まで彼の担当になる。遅く帰ったとしても、自分が食べたものの食器は自分で洗う。下着や靴下などはお風呂に入ったとき、自分で洗濯。週末のどちらかは、家の掃除や買い出しもする。

「学生時代からひとり暮らしだから、やろうと思えばできるけど、うちの会社は、ご多分に漏れず、今、大変なんです。リストラも断行されたし、辞めるも地獄、残るのも地獄という状態。

僕も今までよりも仕事量が増えて、だけど残業代は減ってる。ただでさえ、肉体的にも精神的にも疲れているところに、帰ったら家事をやらなくちゃいけないと考えると、もう帰りたくなることもあります」

 専業主婦なら、家庭のことは何もかも一人でやるべきだとまでは言うまい。夫も家事をやるに越したことがない。言い換えれば、家事ができたほうがいいに決まっている。もっと言うなら、本来、子供がいない間くらいは、お互いに自分の食い扶持くらい自分で稼ぎつつ、家事を分担していくというのが理想だと思う。

 だが、男は外で働き、女は家の中のことをするという従来の価値観もわからなくはない。役割分担をしてしまった方が、お互いラクな場合もある。その場合、男は当然、自分は外で働いて生計を担うのだから、妻には家の中ことを滞りなくしてほしいと思うだろう。

私が男なら、そう願う。家事の分担は、「自分の気が向けば」という程度にしてもらいたいはずだ。妻が病気になったり、子供ができたりすれば、また話は別だが。

 私は克彦さんに、家事については、妻と交渉したほうがいいのではないだろうか、と言った。彼はどちらかというと細い眼をさらに細めて、憂鬱そうに、「言ってはみたんだけど」と、口ごもった。

「どうしても、彼女の『家はふたりのものよね』という論理を崩せないんです。僕だって、本当は『じゃあ、ふたりの生活にかかる費用は分担しようね』と言いたい。だけど、それを言ったら男が廃るでしょう? 彼女は僕がそんなことを言わないと分かっているんですよ」

 克彦さんは家事をやりたくないわけではない。出かけにはゴミ出しをするとか、力仕事と必ず積極的にやるつもりだ。だが、洗濯機ですむはずの下着や靴下を、なぜ自分で毎晩、風呂場で洗わなければいけないのか。それが分からない。

「一週間分、ためて週末に洗濯機で洗えばいいんじゃないですか」
 そう言うと、妻は洗濯物をためるのを極端に嫌がると言う。
「結婚生活って不自由なものだったんですね。まだ独身でいる友だちがうらやましいです」

気遣いする男たち

 いつのころからか、男たちが、必要以上に女たちに気を遣うようになったような気がしてならない。九十年代に入ったころだろうか、男がデート中の女性のバッグを持ってあげることが話題になった。

自分のバッグくらい自分で持てばいいじゃないかと私などは思ったが、あの頃十代後半から二十代前半だった男女は、すでに三十代後半から四十代に差し掛かっているのだろう。このあたりの男女関係の変化は、当然「今どきの夫婦のありよう」に関係してくるはずだ。

 結婚五年目の大輔さん(三十九歳)もまた、ほとんど家事万端を担っている男性だ。彼の場合は、妻はパートで働いているから、完全な専業主婦ではないのだが、妻は気が向かないと家事をしないのだとか。

「結婚した当初、妻はまだ正社員で働いていたんです。忙しそうだから、と残業の少ない僕の方が食事の支度や洗濯などをしていました。掃除だけはしてほしかったんですが、しないんですねえ、これが。

やったほうが負けだなあと思ったから、僕も掃除には手を出さなかった。そうしたら二ヶ月、彼女は平気な顔で生活している。僕が動くたびに舞い上がる埃(ほこり)が気になって、とうとう掃除機をかけてモップと雑巾を使って、家中を掃除しました。それ以来、掃除も僕の役割になってしまった」

 友達主催の飲み会で、彼は妻になる女性と知り合った。三歳年下の彼女は明るくてかわいく、彼は一目惚れ。翌日からメールと電話で口説き続けた。当時、彼女には恋人がいたのだが、恋人の浮気が発覚して、彼女は大輔さんになびいた。

「彼女、動物園が好きなんですよ。何度か動物園に一緒に行ったけど、そのたびにうまい弁当を作ってきてくれる。料理上手の女性にはやっぱり惹かれますからね。あとからその弁当、全部、彼女のお兄さんが作ってくれていたことが分かったんですが。お兄さん、板前さんなんです」

 笑うに笑えないような話だ。彼女は、実際はほとんど料理ができない。それは結婚してからわかった。実家住まいだったため、洗濯も掃除も母親任せ。

「結婚して半年もたたないうちに、彼女は会社を辞めて、一日数時間だけパートで働くようになりました。それでも僕の家事負担は減らなかったんです。今ではうちは家電の宝庫です。食洗機、洗濯乾燥機、布団乾燥機。最近、自動の掃除機まで買いました。これで、家事は楽になりましたけどね」

 家事は夫任せの妻だが、夫の残業のときには、たまに夕食を用意してくれることもある。終電で遅く帰り、妻は先に寝ているものの、テーブルに夕食でもあれば、気持ちはほっと和むだろう。

「だけどこれはこれで、また大変なんです。感想を手紙にしなければならない。『おいしかった、ありがとう』と書いただけで、『どうしてあんな短い言葉しか書いてくれないの』と妻から文句が出る。

残業して帰ってきて、妻が作った、というか、もしかしたらスーパーで買ってきたかもしれないような総菜にお礼の手紙を書かされる僕の心境、分かってくださいよ」

 大輔さん、最後は泣きが入ってしまう。だが、そういう妻を容認しているのは他ならぬ彼自身。分かってくださいよと言いながら、ひょっとしたらのろけているのかとさえ思えてくる。だが、時間をかけて聞いてみると、実際には離婚を考えたこともあるという。

「結婚して三年目くらいかな、これだったらひとりで暮らしている方がずっと精神的にラクだと思ったことがあるんです。実はうちの妻、セックスもあんまり好きじゃなくて、結婚一年経った頃からほとんど拒否している。

僕は子供が欲しいんだけど、彼女は欲しくないみたいだし。そういう意味では、将来のビジョンも合わないんですよね。夫婦でいる意味があるのだろうかと悩みました」

 それでも彼が離婚に踏み切れなかったのは、真剣に離婚を考え始めた直後に、彼女の母親が亡くなったためだ。

「気づいたときには手遅れだ、末期の癌でした。入院して一ヶ月で逝ってしまった。お義母さんは、あるとき僕の手を握り締めて、『あんな娘でごめんなさい。親として申し訳ないと思っている。でも、あの子はあなたしかいないの。最後まで一緒に居てやってね』と泣いたんです。

僕は小さいときに母親を亡くしているから、妻のお母さんとは結構親しくしていた。いい義母さんでねえ。そのお義母さんの約束だから、離婚することはできないような気がするんです」

 大輔さんの「男気」がかいまみえる。この優しい夫に、妻は限りなく甘えているのかもしれない。

 妻は、家事もやらず、セックスには応じないけれど、悪い女ではないと大輔さんは言う。公園で拾ってきた犬をこの上なく可愛がっているし、ときには「これからはいい奥さんになる」と言ったりもする。行動が伴っていないのが問題なのだが、大輔さんはある種の諦めの境地に達しつつもあるらしい。

「甘やかされて育った女の子のままなんですよ。三十代後半になっても、それじゃ困るんだけど、本人に、これじゃいけないという意識があまりない。あっても続かない。だけど、僕の友達には親切だし、自分の友達も大事にするから、悪いヤツじゃないんですよね」

 大輔さんが作った料理に文句を言ったことは一度もない。ただ、自分が「料理まがい」のことをしたときだけ、やたらと感謝を要求してくるのだ。それも、彼女の幼稚な面が出ているだけかもしれないが。

 夫婦の組み合わせは、はたで文句を言うようなことではない。当事者たちが、それでよしとするなら、それでいいのだ。もし大輔さんが、もうこれ以上、我慢できないとなったら、お義母さんとの約束を反故にしても、別離の道を選択するかもしれない。

 今の三十代、四十代は幼いとよく言われる。私自身も、自分を含めてそう思うし、昔の人は大人だなあとしみじみ感じることもある。ただ、大輔さんの妻の場合、「お嬢さんがそのまま大人になってしまった」ようなタイプではあるが、社会的に迷惑をかけていない。近所づきあいも、大輔さんの友人関係もうまくこなしているし、パート先でも楽しそうだという。

無理して成熟しなくても、やっていける社会になっているのか、あるいは「主婦としての技術」が下手なだけで、一歩外に出れば無難にやっていける知恵はもっているのか。「大人」とは何だろうとも思えてくる。

 ただ、夫が、昔ながらの「一家の長」である時代は完全に終わっている。妻が専業主婦であっても家事をやらなければいけない場合もある。文句を言いながらも、それをまた受け入れてしまうのが、現代の男たちなのかもしれない。今の三十代、四十代の夫婦には、そういう素地がある。

夫たちの言い分

 女が強くなったのか、男が弱くなったのか、それは分からない。その一方で、妻たちの三人に一人は夫からのDVを受けているという報告もある。逆に、妻からのDVを受けている夫たちも、以前に比べれば急増している。

 内閣府が二〇〇五年に実施した「男女間における暴力に関する調査」によると、配偶者から殴ったり、蹴ったりといった「身体に対する暴力を受けた」女性は二六パーセント、うち五・八パーセントは何度も被害を受けている。他にも心理的暴行。性的強要を含めると、三人に一人の割合で夫からの暴力を受けた人が一七・四パーセントにのぼっている。

もちろん、身体的にも精神的にも、暴力行為は許されるものではない。「キレる」という言葉は、すっかり市民権を得てしまったが、いつ誰がキレてもおかしくない時代。「結婚生活は忍耐そのもの」などという価値観は通用しないのかもしれない。

 事件性があるようなDVはともかくとして、前述したように、最近では、男が女の顔色をうかがうケースが多い。結婚後も、それは続いていく。

 知人の芳雄さん(三十七歳)が、半年ほど前、東京から関西に転勤になった。結婚して七年になる専業主婦の妻との間には、四歳になるひとり息子がいる。妻はもともと東京の人で、芳雄さんは関西の出身。転勤直前に彼に会うと、転勤を言い渡されたとき、単身赴任にすべきなのかと、真剣に悩んだと言っていた。

「僕の仕事の都合で、彼女の今までの生活を一変させることになる。それが申し訳なくてね。かといって、仕事を辞めたら生活が立ち行かなくなる。今さら新しい職場を探す気にはなれないし」

 関西の本社に勤めているのだから、彼としては本社に呼び戻された形だし、地位的にもステップアップしての転勤だ。会社は国内にいくつか支社があるが、おそらく、彼はずっと本社にいることになる。妻は幸い、専業主婦だ。

子供もまだ学校に上がっていない。 この状態なら、当然、家族で引っ越すことに何も躊躇もないはずだか、彼は、「妻の一生を変えてしまうかもしれない」ことに対して、尋常ではない配慮をする。私は何か不自然な気がしてならなかった。

「どうしてそこまで気を遣うの?」
 そう聞かざるを得なかった。
「たまたま僕と結婚したために、彼女はまったく知らない土地で暮らさなくてはいけなくなる。東京生まれ育った人だから、親や友達とも離れなくてはいけない。それが心苦しいんだよね」

 彼は憂鬱そうに、ぼそぼそと話した。最終的には家族で引っ越しとなったのだが、彼は妻に逃げ道を用意したそうだ。

「嫌になったら、いつでも東京に戻ってもいいからね」
と。
 がんばって一緒にやっていこうとは言えないのだろうか。
「僕自身の仕事だからねえ。妻とはいえ、しょせん他人でしょ。いや、決して冷たい気持ちで言っているわけではないんだけど。元は他人なんだから、自分の人生に人を巻き込んでいいのか、という思いが消えないんだ」

 親しき中にも礼儀ありと言う。彼が言うように夫婦はしょせん、他人ではあるけれど、ある意味で、自分の人生を巻き込んでしまうのはやむを得ないはずだ。そんなこと言っていたら、結婚したことは間違いだったということになってしまう。

 私が芳雄さんの妻の立場だったとしたら、少し寂しいかもしれないと思う。女性は専業主婦となった時点で、ある意味で、人生を夫に託したという覚悟はあるのではないだろうか。

そうでなければ、どんな犠牲を払っても(たとえば給料がベビーシッター代で飛んで行ってしまったとしても)、自分の仕事は辞めないという選択肢だってあったのだから、もちろん、どっちがいいとか悪いかいう問題ではないが。

 極端な男女平等が行き渡ってしまったためなのか、優しい男が増えたのか、妻の立場や気持ちを考えすぎて悩んでしまった男たちの話は、周りでもよく耳にする。一見、仲はいい。大きなケンカもトラブルもない。だが、心のうちを話せないでいるのかと尋ねると、「妻はいちばん身近な、だけど完璧な他人」と答える男性は多い。優しいフリをして冷たいのか、どこかで「夫婦という現実」をさめた目で見ているのか。

「オレなんか、カミさんの言いなりだよ」

 そう言うのは、秀一さん(四十五歳)だ。結婚して十八年。一人息子は高校生になった。彼ら夫婦の攻防は、子供の小学校受験から始まったという。受験などしなくていいと思っていた秀一さんだが、「子供のため」という妻に押し切られた。ところが受験は失敗。妻は、中学こそはと子供の尻を叩いた。

「そうなると、カミさんと話し合うより、自分が子供の防波堤になってやるしかなかった。『子供のため』というのは母親としての最高の正義だから。オレはカミさん本人には逆らえなかったんだよね」

 彼とは二十年来の知り合いだが、家庭に関しては初めて詳細に聞くことができた。彼も観念したのか、何でも話し合ってくれた。

 無事に中学受験に成功すると、妻はパートに習い事にスポーツジムにと、自分の生活に夢中になっていく。息子はエスカレーター式に大学まで行けるから、部活動のサッカーに全精力を傾けている。

「本当はオレは野球をやってほしかったんだけど、押しつけるわけにもいかないしね。残業して終電で帰ると、家の中は真っ暗。炊飯ジャーからご飯をよそって、お茶漬けなんかすすっている。カミさんも息子も、自分の世界をもっているんだよなあ。

息子が生まれてからの一五年間で、いちばん変わっていないのはオレなんだなあなんて思ったりしてね。カミさんにも息子にも、オレのほうを見ろなんて言えないしさ。かっこわるいもんね。

息子に対しては、オレがオマエを母さんから守ってやったんだよと言いたいけれど、親が子供に恩を着せてもしょうがないし」

 秀一さんと私は、居酒屋で話をしていた。彼は手酌で日本酒をぐいぐい開けながら、愚痴るように話し続ける。

「浮気というか、本気の恋愛をしたことがあるよ。出張で行ったとき知り合った京都の女性に惚れてちゃってさ、月に二度は金曜日の夜、新幹線に乗って会いに行っていた。だけど一年くらい経ったころ、彼女に、『このままじゃ嫌』って言われて…‥。カミさんと別れようかと本気で思った。

だってうち、息子が中学受験でドタバタしているころから、全然、セックスなんてないしさ。夜中に酔っぱらってカミさんにのしかかったら、突き飛ばされたことがあるんだよね。それっきり自分からは誘わないと決めたんだ」

 京都の女性はどうなったの、と控えめに聞いてみる。
「これがいい女でさ‥‥。家庭も会社も放りだして、京都に住んでしまうかと思ったこともある。でも、それは現実的じゃないよね。彼女は彼女で、一緒になれないなら別れるしかないって言うだよ。もうちょっと待ってほしいと頼み込んで、ズルズル付き合っていたんだ。

息子が中学に受かったしばらく経った頃だかなあ、カミさんに『別れないか』と言ったの。そうしたらカミさん、何を思ったのかいきなり包丁を取り出して、『死んでやる』って騒ぎだして。『他に女が居ることくらい知っているわよ』とも言ってたなあ。

うちのカミさん、エキセントリックなところがあるから、本気で怒ったら何をするか分からない。それが怖くて、『別れるはずはないだろ』と言うしかなかった。もちろん、京都の女にはフラれたよ」

 酔いが回って来たのか、秀一さんの口調が怪しい。少し呂律が回らなくなっている。酔いのせいか、当時を思い出したのか分からないが、心なしか目が潤んでいた。

「今も、とりあえず形だけは円満な家庭生活ということになるんだと思う。オレにとって、家庭は心安らぐ場とは言えないけど。いつから、どうしてこうなっちゃったのか分からないんだ。カミさんの受験熱を制していたら、こうはならなかったのか。

でもあの状態で受験を断念させるのは無理だったと思うし。いったん結婚したら、カミさんの機嫌を損ねるのは、男にとって恐怖だと思う。カミさんが怒らないよう。機嫌を損ねないように生活していたら、こんなふうになっちゃったんだよねえ」

 平日は、彼の仕事が忙しいため、妻とは朝しか顔を合わせないことが多い。妻は、最低限の家事はきちんとこなしてくれている。彼は趣味がないため、週末は家でごろごろしていることが多いが、妻が買い出しに行くといえば車を出す。掃除をするから手伝ってと言われれば、いわれたことだけはきちんとやる。妻がパートでためたお金で、女友だちと温泉に行くといえば、はいはいと送り出す。

「旅行は、たいてい土日に行ってくれるから、こっちはのびのびできるからいいんだよね。そんなときは息子とふたりでファミレスや回転すしに行ったり、映画を見に行ったりしている。まあ、最近は息子もあんまり付き合ってくれないけど」

 高校になった息子が何を考えているか、よくわからない。が、それにも増して、妻が何を考えているのか、この結婚生活をどう思っているのかわからないと彼は言う。

「もっとも、それを知ったからと言って、どうなる物でもないけどね」
 熱燗をもう一本、注文しながら彼は回らない舌でそう言った。あなた自身は、この結婚生活をどう思っているの、と私はやるせない気持ちになりながら尋ねる。

「うーん、結局、誰と一緒になっても変わらないんじゃないかなあ。京都の女を選びきれなかったのも、慰謝料を取られて子供もと別れて、それでまた結婚生活を一からやり直すというのが面倒になった。とも言えるしね。男って、本当に惨めなものだと思うよ。

社内的な立場だって、上へ行けるのは一握り。今は会社に居られるだけでもありがたいようなものだもん。カミさんは日々、楽しそうだけど」

 一五年後、彼が定年になったとき、夫婦関係はどうなっているのだろう。そんな将来の青写真は見えているのだろうか。

「オレさ、ときどき、カミさんを見ながら、こいつ、今何を考えているんだろうって思うことがあるの。だけど、聞けないんだよね。なんていうかなあ、心の深いところでの交流というやり取りというか、そういうのがないんだよ。

それが寂しいんだけどさ。でも聞いたらきっと、『なんでそんなことを聞くの? 何かやましいことでもあるの?』と言われるのが目に見えてる。だからたまにはしみじみ話したいと思っても、そんなことはしない方がいいと自制する。ただ、夫婦ってそんなものかもしれないなあと最近は、思ったりもするんだよね」

 ひとりで過ごす夜の寂しさについては、私はよくわかっている。だが、家族が居ながら、彼の満たされない心は、どれほど淋しいのか。それは私の寂しさとは異質なものだろうか。

「結婚しなければよかったと思ったりする?」
 そんな問いに、彼はしばらくお猪口をもったまま、空を睨んでいた。

「もし、結婚していなかったら、したいと思ったんだろうね。でもしちゃったら、しなければよかったかどうかは、何とも言えないよねえ」

 とりあえず、妻の機嫌が悪なければ、ああ、今日もよかったなと思うだけだよ、と彼はひとりで、おぼつかない足取りで去っていった。

 妻の機嫌を損ねたくない。それは、今を生きる男性たちの共通した思いではないだろうか。子供が小さい場合、自分が原因で妻の機嫌を損ねると、子供まで被害が及ぶつ真面目な顔で訴えた男性もいる。

「あんたの顔なんて見たくない」

 と言われて、一ヶ月以上、車で寝泊まりしていた男性もいる。
 顔を合わせると文句を言われ、そうなると自分も言い返してしまって家の中の雰囲気が悪くなるので、妻子が寝静まってから家に帰ることにしているという男性もいた。

 妻の機嫌を損ねないために、妻とうまく距離をとりながら、自分がいろいろな犠牲を払っているという男性のいかに多いことか。もちろん、妻たちに事情を聞けば別の言い分があるだろう。彼女たちが一方的に悪いわけでもないはずだ。

新婚時代、恋人のころからの延長で、妻の機嫌をとりすぎたという夫たちもいるかもしれない。だが、当初は「機嫌を損ねるのが怖いから、当たり障りのないようにしておこう」というふうには思わなかったはずだ。年月を重ねるうちに、関係がそういう方向に固まっていったのだろう。

 ひょっとしたら、これは現代の男女のコミュニケーションの取り方に違いが生じているからではないのか。妻側は、何かあれば話し合って解決したいと思っている。だが、夫側はそれを「面倒だ」と位置付けて、触れないようにして時間が過ぎるのを待っている。そういう状況が多いのではないだろうか。

 身も蓋もない言い方をすれば、何でも正面切って「話し合い」を求める女性と、「些細なことは勝手にしてくれ」と思っている男性との、日常生活に対する温度差があるのかもしれない。女にとって、日常生活は現実の全てだが、男にとってはそうではない。

昔の女たちは、子供のことも含めて、家庭で起こる多くのことは自分で判断して自分で解決してきた。だが、今は「家庭はふたりで作っていくもの」だ。

以前だったら、夫に知らせずに済ませていたことまで、いちいち知らせ、話し合いを、あるいは決断を求める。それに男たちがうんざりしているという実態があるのではないだろうか。

 だが、うんざりした顔を見せれば、妻は機嫌を損ねる。今どきの女性たちは、よくも悪くも我慢しない。ときには若いときと同様、すねたりふてくされたりする。夫である「自分の男」は言いなりになってくれて当然と、心の隅で思っているのかもしれない。

独身時代、女たちのご機嫌取りをして過ごしてきた男たち、あるいは男女平等をしっかり植え付けられた男たちは、女性たちの「反乱」を極端に恐れる。それはまた、少子化の時代、大事に育てられた男たちの「母なるものへの恐怖」に近いのかもしれない。

現代の男のプライド

 自分がいてやらないと、この女性は世の中を渡っていけないのではないのか。そんな責任感から、一緒にいるという夫も存在する。

 昔から「きみはひとりでも生きていけるけど、彼女はひとりで生きていないんだよ」と男に言われ、他の女に走られたというのは、女たちの間でよく聞く話。だが、現代では、弱い女性を守ってやりたいという気持ちではなく、「このわがままな女に対処できるのは自分だけ」という男性が多いのが、以前との大きな違いだろう。

 男のプライドのありようが変わって来たのか、あるいは男女関係の変化のひとつととらえればいいのか。男たちが自ら、女の母親的存在になるケースもまた、増えているような気がしてならない。

 仕事で知り合った友哉さん(三十八歳)が三年前に結婚した二歳年下の妻は、「かなりのわがまま」だという。

「わがままというか気まぐれというか。自分の思い通りにならないと、ひとりで車に乗ってどこかへ行っちゃう。つきあっているときからそうでした。エキセントリックというかなんというか。

高速道路を飛ばしながら携帯で電話をかけてきて、『死んでやる』なんて言ったこともありますよ。何が原因だか覚えていないくらい、些細なことでしたけど」

 二年付き合っている間には、別れようと思ったことがあるらしい。
「だけどなんていうのかな、彼女に振り回されることが快感になってきた面もありますね。快感という大げさだけど。僕だからこそ、この彼女と付き合っていけるんじゃないかとも思ったし。見た目はけっこうきれいなんですよ」

 彼は携帯電話を取り出し、妻の写真を見せてくれた。たしかに、三十代後半にさしかかったとは思えないくらい若く見えるし、かわいい。彼女はIT関連の企業に勤めていて、企画開発ではリーダー的存在なのだという。

「社内的には我慢強く仕事をすると評価されているようです。その分、ストレスがたまるんでしょうね。僕に対しては、今でもわがまま三昧です。僕だって普通の会社員なんですが、夜中に『どうしてもケーキが食べたいからつきあって』と深夜までやっているカフェに連れて行かれたりする。

断ると不機嫌になって何日も口を利かなくなるんです。あるいは何が原因かよくわからないんだけど、ケンカをふっかけてきて、パソコンを投げてきたり、僕に殴りかかったりすることもありますね」

 こういう話を聞くと、私はその女性の精神状態を心配してしまう。自分の思い通りにならないからといって、物を投げたり、夫を罵ったり殴りかかったり。いくらわがままを聞いてくれるからといって、そこまで自制心の利かない女性が、本当に「職場ではデキる女性」なのだろうかと思ってしまう。

「友だちには、ままごと夫婦と言われてるんです。なんだか生活のリアルティがないって。まあ、でも僕は彼女を妻と決めたわけだし、いつでもキレているわけじゃないですから。僕が言うことを聞けば、彼女もだんだんと落ち着いてくるんです」

 これを愛情と言っていいのかどうか、私にはわからない。共依存に近いような気もする。そう言うと友哉さんも頷いた。

「その可能性はあると思います。ただ、彼女といると、ジェットコースターに乗っているみたいで、おもしろいんですよ。疲れているときは腹が立つこともあるけれど、思い切りぶつかり合っているという実感がある。ちょっと大げさだけど、自分自身が生きている実感というか。オレじゃなければダメなんだという気持ち。彼女と結婚する前、付き合っていた女性とは、それなりにうまくいっていたんだけど、今思えば、何か物足りなかったような気がするんです」

 自分が見捨てたら、彼女はきっと誰とも一緒には暮らせない。彼女を守ってやれるのは、この人と一緒にいられるのは自分だけ。そういう思いが強いのだろう。

 女性はあらん限りのわがままを彼にぶつけ、それを受け入れてくれるかどうかで愛情を確認する。彼は受け入れ、わがままを叶えてやることで、自分の存在価値を自覚する。そんな組み合わせが最近増えているような気がしてならない。

 一昔前までは、自分勝手な男性に女性が耐え、「彼のことをよくわかっているのは私だけ」と半分、恋に酔っている女性たちをよく見かけた。だが今は、立場が逆転しているようだ。

「僕の友達にもいますよ、そういう夫婦」
 と言うのは、独身会社員の宏隆さん(三十二歳)。新婚の友達の家に行ったら、奥さんのわがままぶりに驚かされたという。

「大学時代からの友人が結婚したというので、男三人で新婚のヤツの家に行ったんです。奥さんが料理を振る舞ってくれると言っていたんだけど、いちいち彼を台所から呼ぶ。しまいに料理を失敗したらしく、僕たちの前で泣き出す始末、『あなたがちゃんとやってくれないからこんなことになっちゃったのよ』と叫び出して。

ヤツは奥さんの機嫌をとるのに精一杯。結局、みんなでとりなしてお寿司をとったんですが、お寿司だけじゃ嫌だと奥さんが言い出して、彼がサラダを作ったり肉を焼いたりしてくれました。奥さんはしばらく、別の部屋に閉じこもって出てきませんでしたね」

 帰りがけ、駅まで送ってくれた友達に、宏隆さんたちは口々に言った。大丈夫か、あんなでやっていけるのか、と。

「そうしたら彼が言ったんですよ。『オマエたちをもてなそうと必死だったんだけど、うまくいかなかったから、自分自身に腹を立てているだけ。かわいいヤツなんだよ』と。当時はのろけかよ。とみんなで笑ったんですが、結婚して二年たった今、彼はかなり疲れてきているようです。

先日、会ったときは『あんまり家に帰りたくない』と言ってました。つきあって三ヶ月くらいで結婚しちゃったから、最初は彼女のわがままを聞いてやるのも楽しかったんでしょうけど。まあ、彼は責任感の強い男だから、別れようとしはしないと思うけど、いつまで彼の忍耐が続くんだろうと僕ら友達の間では話題になっています」

 こういう関係では、男性側の忍耐がきかなくなると、関係じたいが危うくなるのだが、なぜかこういった男性は非常に我慢強い。もともと我慢強いから、こういう女性を妻にするのか、あるいはこういう女性を妻にしたから我慢強さに拍車がかかるのかはよく分からない。

 理不尽なわがままをまき散らす女性が、なぜ夫に捨てられずにいるのか。私自身、そういう夫婦を見ると、「私の方がずっと忍耐強いのに。ずっと物分かりがいいのに」と思うことがある。

それなのに私は再婚できず、なぜあんなわがままな女が、夫という存在に守られて甘えていられるのだろう、と。まあ、物分かりのいい女が必ずしもモテるわけではないのは、以前からあることではあるけれど。

「自分の女房くらい、しっかり制御しろよ」
 昔なら、男性が周りの男たち、あるいは親などに言われていたかもしれない。だが、今は誰もそうは言わないし、夫は妻の尻に敷かれていたほうが夫婦はうまくいくという考えも一般的になっている・尻に敷かれるにしても、質と程度の問題だと思うが、半端に敷かれるより、「言いなり」のほうがラクなのかもしれない。

 はたから見ると、そんなある種のいらだちを感じさせる夫婦関係が、ここ数年、目立つようになっている。

つづく 第3 二章 女性たちの「離婚しない理由」