居場所のなかった家庭
若者たちは酔いつぶれるほど飲まなくなったと言われるが、四十代の男性の中には、今も壊れるような飲み方をする人が、たまにいる。
会計士として事務所を持っている飯田孝則さん(四十九歳)に話を聞いたとき、一回目は彼がべろべろに酔ってしまい、話は中断された。とてつもなく深い何かを抱えているように見え、後日、改めて昼間、話を聞くことにした。
孝則さんは、二十五歳のとき最初の結婚をしている。「好きで好きでたまらなくて」一緒になった五歳年上の相手だったが、結婚二年目にして妻はほかの男に走った。
「今の妻も三つ年上なんですが、結婚したのは三十一歳のとき、子供に恵まれました。今、長男が十六歳、長女が十四歳です。結婚してから独立したので、仕事も大変だったけど、妻がしっかりしていたから何とか乗り切って来られたと思っています」
彼の年上好きにはわけがある。十歳のとき、実母に死なれたのだという。まだまだ甘えたいと盛りだった。優しくて、いつも一緒にいてくれる母の面影を慕って、毎にと泣き暮らした。母はまだ三十四歳だった。父親とふたりの生活は長く続かず、父は二年後には再婚した。今思えば、母の存命中から付き合っていた女性なのではないか、と孝則さんは言った。
「継母としては悪い人じゃなかったけど、父と彼女との間に子どもが生まれると、やはり僕の居場所はないような気がしました。実家は東北なんですが、高校から東京に出してもらって、それから大学を出て最初の結婚するまでずっとひとり暮らし。
母親には今でも会いたいと思う。ずっと寂しかったから、どことなく母性を感じさせる年上の女性に弱いのかもしれませんね」
今の妻とは下の子が小学校に入るくらいまでは、うまくいっていた。だが、孝則さんの浮気を妻が疑ったところから、関係は悪化していく。
「ちょうど十年くらい前ですね。確かに僕は浮気していた。自分でもどうしようもないんだけど、素敵な女性がいると話したいという気持ちが止められない。浮気しまくっているわけじゃないんですよ。
だけど、落ち着いた結婚生活が手に入ったら、なんとなく『男としてこれでいいのか』みたいな気持ちになってしまったんです。僕は家事もするし料理も作る。家庭は家庭で大事にしている。だけど外では、やっぱり男として見られたい。たまたま波長が合ってしまった女性がいると、どうしょうもないんですよね」
だからといって、恋愛にはまって家庭を顧みなくなったことはないと、彼は断言する。決して「遊び」ではないが、家庭を捨てようと思ったことは、ただの一度もない。
「だけど女の勘は鋭いんですよね。僕に好きな女性ができて、まだ関係を持っていない段階なのに、妻がある日『あなたは私を侮辱している』と言い出して。結局、嫉妬と疑心暗鬼になっていた。
ただ、何もないのに疑われるのは、本当に嫌な気分なんですよ。それなら関係をもってしまおうと本気で考える。そんなとき、あるきっかけがあって、彼女と本当に関係を持ってしまったんです」
妻はそれを嗅ぎつけたらしい。孝則さんは、無断で手帳や財布をチェックした妻を責めた。
「実は僕はそういうことをされるのが、いちばん嫌なんです。疑っているなら、ストレートに聞けばいい。仕事の関係の書類を漁ったり手帳を見たり。妻は、そう言うことをする人ではないと思っていたから、
夜叉のように僕の鞄を探る妻を想像したら、尊敬の念も何もなくなってしまったんです。もちろん、疑われるようなことをしたのは僕がいけないし、その後、本当に浮気してしまったのもいけないけど、それでも僕は妻が許せなかったんです」
夫への疑心暗鬼で妻は病気に
その時点で、家庭は上手くいっていたと孝則さんは言うが、さらにしつこく聞くと、妻とのセックスはほとんどなくなっていたと認めた。数ヶ月に一度、あるかないか。確かに妻は、それを不満に思っていたようだ。それとなくレースの下着で誘いをかけてくることもあったが、
孝則さんは寝た振りを決め込んでいたという。妻に対して、母をシタウな気持ちや敬愛の感情はあったが、セックスの対象としては見られなくなっていた。妻の立場になってみれば、そんな夫の真意を知りたいと思うようになるのだろう。
本にはスレートに尋ねればいいと言うが、聞かれればおそらくはぐらかす。浮気を認めることなどありえない。妻としては、ずっと悶々とした気持ちを抱えていくしかない。それなら証拠を見つけてみようという気になっても不思議はない。夫婦それぞれ、どちらの気持ちも理解できる。
その後、ほどなくして妻は鬱病になってしまう。
「僕は開き直ったりはしていないんですよ。浮気なんてしていないと言い張りました。だけど、妻が僕の持ち物を無断で見たことに対しては、多少きつく言ったかもしれない。それから妻は、頭痛や不眠などしきりに訴えるようになったんです。
一ヶ月ほどしても、まったく治らないというから病院に連れて行きました。診断は『鬱病』でした。薬を飲めば早く治るという話ではあったんですが」
孝則さんの妻の場合は、だんだん症状が重くなっていった。家事がまったくできない時期もあり、彼は仕事をしながら子供たちの弁当を作り、夕食を作った。
「妻と、妻の両親には責められました。僕が家庭を顧みないからだと。だけど、それは違うんですよね。ただ、妻の立場になってみたら、家事をしたり子供と接していればいいというわけではないということかもしれない。
妻に対してどうだったかと言われると、僕自身は普通に接していたつもりだった。ただ、あるとき、妻がぽつりと『大事にされていなかった』と言ったんです。ああ、妻はそう思っていたのかと、初めて知って、愕然としたことを覚えています」
妻の病状は一進一退を繰り返し、ひどいときは一週間ほど寝込む、起きられる時期でも、最低限の家事をこなすと、あとはぼんやりとしていることが多い。結婚当初、妻は生き生きとした女性だった。
「五十二歳の女性って、今はすごく若いでしょう? 妻は長年、ろくに外にも出ないし化粧もしていないから、顔色が悪いし生気がない。うつむいているばかりいるために、口角が下がっていてた、かなり老けて見えます。
顔を見るたび、僕がこんなふうにしてしまったのか、いや、そんなことはないと、いろいろな思いが頭の中を交錯します。オレだってつらい。そう言いたいですよ。だけど、それを言ったら僕と子どもの関係まで崩れてしまいそうで。母親がずっとあんな調子のわりには、子供たちはけっこうまっすぐに育ってくれた。それだけが救いですね」
妻は、ときどき夫への悪口雑言をまくしたてることがある。それなら離婚しようと、孝則さんも本気で言った。だが、妻は離婚だけはしないと拒否した。
「オレのことが嫌いなら、別れて住もう。そのほうがきみの病気も良くなるんじゃないのかって言ったんです。でも彼女は拒否する。子供といつでも会える環境なら。あるいは子供をオレが引き取っていいなら、オレはいつでも別れますよ。妻の生活はめんどう見る。そのほうが彼女も気持ちがラクになるんじゃないかと思うんですけど」
心許せる女性との出会い
二年ほど前、孝則さんは離婚経験のある美也子さん(四十二歳)と知り合った。彼にしては珍しく年下の女性だ。彼女はすでに二十歳になる娘がいる。女手ひとつで娘を育てあげた美也子さんに、彼は惹かれた。
「それまでも、たまには風俗に行ったり、飲み屋で知り合った女性と短期間、付き合ったりしましたが、妻のことがあるせいか、どの女性にも本気にはなれなかった。肉体の欲求だけ満たしては、虚しくてなることの繰り返しでした。
美也子とも、それほど続くとは思っていなかったんです。ところが、自分でもわからないうちに、彼女の存在がどんどん大きくなっていった。変な言い方なんだけど、彼女は僕のあやし方がうまいんですよ。
僕は自分の都合のいいときに女性に甘えたくて、意見されるのは好きじゃない。彼女はすぐそういう性格を見抜いて、家庭の事は一切尋ねようとしなかった。一年ほど経ったとき、妻の病気の事を打ち明けました。
そのときも彼女は静かに聞いて『何かあると思っていた。話してくれてうれしいわ』と。根掘り葉掘り尋ねてくるようなことはしない代わりに、こちらが言ったことに対しては下からぐいって支えてくれる感じがする。
表面的な励ましの言葉は誰でも言えるけど、彼女はそういうことは言わない。打ち明け話をしたときも、『何を聞いても、あなたへの気持ちは変わらない。それだけ覚えておいてね』と言ってくれました」
美也子さんの娘は、現在、地方の大学に在学中。自分でアルバイトをし、奨学金をもらいながら勉強しているしっかり者なのだという。だから、美也子さんもひとり暮らし。孝則さんも、もっと彼女と一緒にいたい、行けば行ったで帰りたくなくなることがしょっちゅうだ。だが、美也子さんは決して泊めてはくれない。
「何があっても、朝までには帰りなさいと。朝はまだ暗いうちに帰れば『飲み過ぎだ』という言い訳もきく。だけど、あまりたびたび遅くなったり外泊したりしたら、奥さんの病状に差し支えるからと。
女は強いなと思ったけど、一度、彼女の部屋を出たあとに忘れ物をしたので、戻ったことがあるんです。彼女、そのときひとりで泣いていた。彼女は僕が戻ってくるとは思っていなかったから、恥ずかしそうに照れ笑いをしていましたが、あとから聞いたら、やはり、ひとり取り残されるのは寂しいと。すべて振り捨てて、彼女と一緒に暮らそうかと思いました」
だが、美也子さんに諌められた。少なくとも、妻が離婚したいと思うまで待つべきだし、離婚したくないというならやっぱり病気の妻を捨てるような事はしない方がいい、と。
「それは僕も分るんです。ただ、一方で、オレはそれほど縛られなくてはいけないのかという思いもある。オレはオレの幸せを追求する権利も自由もないのか、と。
たとえ妻の病気が良くなったところで、僕はすでに妻を女としては愛せない。それなのに、別れるわけにいかないのか‥‥。そう思うと、苦しいんですよ。家にいるのも辛いし、彼女と一緒にいるのも心が痛い」
最後は消え入るような、だが苦しそうな声で、孝則さんは言った。美也子さんと一緒にいるとすべてが忘れられる。セックス自体も、これほどいいものだったかと初めて思ったと言った。
男の快楽は射精の瞬間だけだと巷では言われているが、孝則さんによれば、それはあくまでも肉体の快楽に限ったことだという。
「自分が今までいかに貧しいセックスをしてきたかがよくわかりました。大学時代、初体験して以来、一晩限りの女性や風俗を入れたら、何人と寝たか分からない。たけど、僕はいつでも自分勝手な肉欲を相手に押し付けただけなのかもしれないと、今になって思います。
美也子とだと、自分が射精しなくてもいい、彼女が昇りつめていくのを見ているのが楽しいし、肌の触れ合いそのものが気持ちいい。お互いを愛しいと思いながら、大事な存在だと思いながらするセックスは、本当に全身が満たされるものなんですよね、ときどき、あまりうれしくて泣けてきそうになるんです」
現状を保つという選択
話を聞きながら、ふと、孝則さんの心の奥にぽっかり空いた穴を見たような気がした。この人は、とてつもなく寂しいのではないだろうか。四十年近くも前になる、母の死んだ日から、この人の心の中には、誰も埋めようがない黒い穴があいてしまっているのではないだろうか。
それを埋めてくれる存在が、美也子さんなのだろう。ちょっと世話好きで、
それを埋めてくれる存在が、美也子さんなのだろう。ちょっと世話好きで、でも大人の孝則さんが持っている身勝手な面も許してくれて‥‥。母性的でありながら、女としてストレートに自分をぶつけてくる。
年下だからときにはどっぷり甘えてくることもある。そんな美也子さんに、孝則さんは「全人格的に女性と関わり合う楽しさ」を初めて教えられたという。
「今まで、自分でも気づかないうちにバリアを張っていたんだと思いますね。地区に女性に対して。オレ、母親が好きだったけど、あまりに早く逝ってしまった母親をどこで恨んでいたかもしれない。継母に対しては、母親という感覚より、親父の女と言う風にしか思えなかったし。
今思えば、妙に色っぽい女性でしたよ、継母は。親父が惚れてたのもわからないではない。今のオレより親父は若かったわけでし、そりゃあ独り寝は寂しすぎるよなって心の中で親父を許している自分がいますね」
美也子さんとつきあうようになってから、それまで年賀状程度のつきあいだった両親に会いに行ったことがある。父も継母も年をとったが、久々の息子の訪問に、これ以上ないくらい歓待してくれた。
「あのとき、自分の中で確かに何かが変わった。いや、むしろ美也子と付き合うようになって変わったから、親に会いに行けたんでしょうね。少しずつ、自分が変わってきているという気持ちはあります。
妻も、もしかしたら僕に対して、何か言えないような恨みつらみを抱えているのかもしれないなあと最近、思うんですよ。それを取り除いてやれたら、お互い新しい人生を歩けるようになるかもしれない」
難しい問題だ。病気の妻を見捨てるようなマネは、確かに夫としてはできないだろう。子供たちも快く思わないはずだ、たとえ、経済的に面倒を見たとしても。だが、一方で、孝則さんが言うように、彼にも幸せになる権利はある。今のところは、なんとか現状を保つしかないのかもしれない。美也子さんの存在を完璧に隠しつつ‥‥。
「妻を恨んではいないんですよ。むしろ、かわいそうだと思う。何とかしてやりたいとも思う。本人に、どれだけ治そうという気力があるかが問題だとも感じているんですが」
責任と情と恋愛感情。いろいろな感情の板挟みなっている孝則さん。ときに痛飲するのは、しかたがないことかもしれない。
家族を捨てる重みと代償
理解し合っている夫婦のはずだった
多くの男性は、恋と結婚生活を分けて考えている。それは男のずるさとも言えるが、「結婚生活はこのままつつがなく続けて、恋愛は外でする」というのが一般的であることは事実だと思う。
ところが最近は、離婚に抵抗がなくなっているのか、はたまた思いつめたら白黒つけなければ気が済まなくなっているのか、離婚しても、好きな人と人生ややり直したいと願う男性の話も、周りでよく聞くようになった。
実感として、十年前には「離婚して恋愛相手と再婚する」という男性は、本当にごく少数だったと思う。ところが、今はそんな話が珍しくない。それたぃけ数が増えているのではないだろうか。
三宅浩一さん(四十九歳)は、現在ひとり暮らし。二十年近く連れ添った妻と離婚して二年になる。
「周りの人を傷つけて、いったい自分は何をやっていたんだろうと、今でも時々、身体の奥が痛むことがあります」
浩一さんは、二十八歳のとき、学生時代からつきあっていたひとつ年下の香織さんと結婚した。
「長い春でした。私は貿易関係の仕事に就いたので、大学を出てからは長期出張で外国に行くことも多かったんです。それでも妻は‥・‥あ、元妻ですが、ずっと待っていてくれた。
結婚するなら彼女しかいなかった。だから仕事が一段落して、ようやく結婚できたときは、心から香織を幸せにしようと誓いました」
結婚してからも、香織さんは幼稚園の先生という仕事を続けた。一男一女をもうけ、円満な生活は続いた。もちろん、子供の教育ことで揉めたこともあるし、つまらないことで言い争いになったこともある。だが、いつもふたりで話し合って解決してきたし、基本的には理解し合っている夫婦だと信じてきた。
「だからといてべたべた仲のいい夫婦というわけでもなかったけど、私にとっていちばん大事なのは家族だというのは一貫して感じていました」
ところが、四年ほど前の事、浩一さんが四十五歳になったころ、ある日突然、会社が外資系企業に買収された。それに伴ってリストラも行われた。アットホームだった社内の空気は一変してしまう。
「会社が急にぎすぎすし始めて、誰も彼も疑心暗鬼になっているような雰囲気が漂っていました。私は営業ですが、部下の何人かがリストラされていった。つらかったですね。
私の上司にも外国から人が派遣されてきて、ノルマもきつくなりましたし。妙な派閥もできてしまって‥‥。私は仕事の話も比較的、妻にする方だったのですが、さすがに社内の雰囲気が嫌だなんていうことは話せなかった。そんなとき、私の部下である女性と急接近したんです」
彼女は沙也さんといい、浩一さんより三歳年下の当時四十二歳。既婚で、高校二年生と中学生三年生になる娘がいた。帰国女子だった沙也さんは、他の会社から転職してきて十年経っており、浩一さんの片腕になっていた。
「それまでは、個人的に親しかったわけではないんです。たまにみんなで食事にいってはいたけど、彼女のプライベートなことはほとんど知らなかった。ただ、会社がそういう状況になったとき、いちばん信頼できるのは彼女だったので、お互いについ会社の愚痴を言いやすくて、飲みに行くことも多くなりました」
沙也さんの夫は、公務員でほとんど残業がない。しかも姑とどうきょしているため、多少帰りが遅くなっても夕飯の支度など家事は大丈夫だった。そんな沙也さんの私生活も、そのころ初めて知った。
「会社の愚痴がいつしか家庭の話になり、お互いの人生観になり‥‥。人生四十年以上生きてきて、後ろを振り向きたくなる年齢だったのかもしれません。気づいたら、本当に気づいたら、彼女は、私にとってなくてはならない存在になっていたんです」
恋は理性の外
一年後には、お互いにどっぷり恋愛感情に浸かっていた。それでも一線は超えない自信があったと浩一さんは言う。
「それなのに、これまた気づいたら、彼女が欲しくてたまらなくなっていた。あのころの自分がどういう気持ちでいたのか、よく覚えていないんです。ただ、気づいたら恋に落ちていた。
そういうしか言いようのない状態でした。彼女の方もそうだったと思う。ある日、居酒屋で飲んで食べて、帰ろうと外に出たんです。妙に湿っぽくししと雨が降っていて、その瞬間、彼女とばちっと目が合った。私の口から出たのは、『もう自分を偽ることはできない』というひと言でした。
彼女は静かに『私も』と。そのまま近くのホテルに行ってしまった。無我夢中でした。そのときは、妻の事も会社の事も頭から飛んでいた。ただひたすら、彼女の中に埋もれていきたい。それしか考えていなかった」
浩一さんは、積もり積もったものを一気に吐き出すように、早口でそう言った。堪えていた感情と欲望が、お互い堰を切ってしまったんだろう。コップから水があふれだす瞬間のように、それは理性では、もう止められないようなところまで来ていたに違いない。
「気持ちがいいとか快楽というよりは、『なるべくしてこうなった』という思いが強かったですね。妻と沙也を比べたことがないから、女性としてどう違うのかはわからない。ただ、わたしはひたすら、沙也の虜になってしまいました」
最初はお互い家庭を気遣い、秘密を守って付き合って行こうと誓い合った。ふたりで安いアパートを借り、週に数回は密会した。簡単なシャワールームがあったから、ホテル代より安かった。沙也さんが、小さなコンロで料理を作ってくれたこともある。
「だんだん、ままごとみたいなことになっている自分たちが惨めになって。かえって不誠実なのではないか、いっそ離婚して一緒になった方がいいしゃないか。そんなふうに思えてきたんです」
お互い、家庭にはとりたてて不満はなかった。それでも落ちるときは恋に落ちるものなのかもしれない。大きな不満がないとはいえ、探せば小さな不満が積み重なっているのもまた、ごく普通の結婚生活だろう。
「沙也はよく、夫が頼りないと言っていましたね。特にセックスの面で不満があったようです。最初、彼女は非常に控えめでした。子供がいるのに、性の喜びを知らなかったようです。家族としては上手くいっているけど、夫を男として見られないと言ったこともあります。
私の方も、やはり妻との間に、もうあんまり男女の関係はありませんでした。ちょうど会社がごたごたしているころ、酔って帰って妻を襲ったことがあるんですよ。寂しくてつらくて、人肌が恋しかった。でも妻は、私をはねのけて、『酔っぱらってしないでよ』ときつい言い方をしたんです。
当時の私の状況は、多少分かっていたはずなのに。もちろん、深夜、酔って帰って急に襲った私がいけない。だけどあのときの妻の苛立った口調が、妙に耳に残ってしまって‥‥。
些細なことだけど、オレのことを本当にわかってはくれないんだなと、いじけた気分になったんです。恥ずかしい話ですが」
そして、それをきっかけに浩一さんは、妻の短所が気になり始めた。原いていることを理由に、あまり近所づきあいをしないこと、姑である浩一さんの母親と交流を持ちたがらないこと、細かいことにこだわらないが他人の気持ちにも敏感でないこと、などなど。今まではまったく気にならなかったことが、いちいち目につき始めた。
「それは自分が沙也のほうへ傾いていくための言い訳だったかもしれません。表立って妻には何も言わなかったけど、家ではどことなく不機嫌な顔をするようになっていたようです。
家にいると沙也のことを考え、嫉妬しているせいもあると思います。よく妻に指摘されました。『最近機嫌が悪いわね』と。そう言われると、よけい仏頂面になったりして。男って厄介だなと思いましたよ、自分でも。
妻は変わっていない。自分が変わっただけなのに、それを認めたくない。何とか妻のせいにしたかったんでしょうね。卑怯だと思います」
ともに家を出て同棲するが‥‥
関係を持って一年経たないかで、浩一さんは妻に離婚を切り出した。当然、妻は了解するはずもなかった。浮気をしているのだろうと詰め寄られたりもしましたが、それだけはシラを切り通す。
「どうしてもっとひとりになりたい、と言い切りました。すると妻は別居という形を提案してきたんです。生活費は減らしてもいい、何処か好きな所に住んでひとりになればいいと。
離婚はそれから考えましょうと言われて、私は沙也と一緒に借りたアパートに住むことにした。
沙也はときどき、そこに通ってきましたが、私としてはそれが不満だった。彼女は、どうしても子供の事があって、思いきれなかったようです。
そんな沙也を私は責めました。せめて別居でもいいから、と説得もしました。すると半年後、彼女はいきなり離婚して、アパートに飛び込んできたのです」
沙也さんは部屋に入ってくるなり、号泣したという。子供を捨ててしまった自分の無責任さに対して。「私は死ぬ思いでやってきたの」と沙也さんは言った。浩一さんは、正直、驚いた。女性が子供を捨てることが出来るのか、と。
それだけ自分を想ってくれていると分かっていたものの、子供を振り切って離婚してきた女性の気持ちが、急に重くなってしまったのも事実だった。だが、沙也さんだけつらい思いをさせるわけにはいかない。浩一さんも妻に離婚を迫った。家も貯金も家族に渡す。それを条件に、無理やり離婚を成立させた。最後は、妻も子ども達も呆れ果てている様子だったという。
そして関係を持って二年後、ふたりはそれぞれ独身になった。会社には離婚したことを届け出たが、二人の関係にはついてはまだひた隠しにしていた。
アパートから、少し広めの中古賃貸マンションに引っ越した。新しい生活のスタートだと浩一さんは張り切ったが、その頃から、沙也さんの様子がおかしくなっていく。
「一緒にいても、泣くことが多くなって。家族の事を思い出すのだろうと、そっとしておいたんです、そうすると『あなたは私の気持ちが全然わかっていない』と怒り出す。せっかく一緒になれたのだから、仲良くやっていきたいのに、彼女はゆれてばかりいる。
私としては早く再婚したかったけど、彼女は『結婚という形をとる必要があるのかしら』と言い出して。
そのうち、心療内科に通うようになりました。会社にいる時は落ち着いているんだけど、家ではめそめそしている。それもこれも私のせいだと思うけど、一緒にいる人間の身にもなって欲しいとも感じたりもしましたね」
妻には憎まれたほうが楽
半年後、沙也さんの姿が消えた。浩一さんが、取引先の接待で遅く帰宅してみると、テーブルの上に置手紙があった。「私はやっぱりこの生活は無理。ごめんなさい。本気であなたを愛したのは嘘ではありません」と書いてあった。
翌日から、会社にも来なくなった。携帯電話も繋がらない。まさか、元の夫へ帰ったのだろうか、あるいはどこかで人知れず命を絶っているのかもしれない。浩一さんは居ても立っても居られなかった。迷惑を顧みず、学生時代の友人を装って、沙也さんの元夫のところへ電話をしてみた。
「元のご主人は、『離婚して、もう連絡はとってないんですよ。どこにいるかもわかりません』と冷たい返事でした。彼女の両親は健在だと聞いていましたが、実家の詳しい住所は知らない。
どうしょう、どうしようと思っているうちに、日にちが過ぎていきました。警察に家出人捜索願を出したら、私たちが同棲していることがかいしゃにばれてしまう。それでもいいと思いながらも、なかなか警察に行く勇気が出なかった。一ヶ月ほど経った頃でしょうか。
沙也の娘と名乗る女の子が、マンションを訪ねてきたんです。大学生だと言っていましたから、上の子ですね。沙也からの手紙を持ってきていました。『私は母から、三宅さんの事を聞きました。最初は反対したけど、母がそこまで愛しているなら、反対はできないと、泣く泣く母を見送ったんです。
でも、おばあちゃんが倒れたとき、やはり母は帰ってきました。父は激怒しながらも、母を受け入れました。母はこの手紙を郵送しようとしたんですが、私がポストに入れてあげ、と言って持ってきてしまったんです。
母が好きになった人を見たかったから』と、
そんなようなことを彼女は一気に言いました。やはり沙也が家族を捨てることのできない女だったことに、私はどこかほっとしていました。悲しかったけど、これでよかったんだろうと思ったんです」
沙也さんからの手紙の内容は、教えてもらうことが出来なかった。だが、浩一さんにとっては、心の中に苦いものを抱えながらも、納得せざるを得ない内容だったようだ。
浩一さんは、今、また安いアパートに引っ越しての「やもめ暮らし」だ。自分がしたことは、結局、何だったのか。沙也さんは家庭に戻ったが、ひょっとしたら針のむしろのような状態かもしれない。そして、何の罪もない香織さんには、どうやって償っていったらいいのか。
「この前、香織に電話したんです。そうしたら『再婚はしないの?』と。妻は全部知っていたんですね。別に調べたわけではないけれど。彼女と別れたとは言えなかったのは、私のせめてものプライドでしょうか。妻に同情してもらいたくなかった。むしろ憎んでもらったほうが気が楽ですから」
浩一さんの子ども達も、二十歳と十八歳になった。どちらも大学生だ。上の二十歳の娘は今年、成人式だった。振り袖用の費用を娘宛てに送った。娘は振袖を着なかったと妻から聞かされた。
「子供たちには一生、恨まれるでしょうね。つらいけど、それが私が選んだ人生なのだから仕方がない・‥」
恋に惑ったあげく、男が不用意に落ちた、一生、繕うことのできない穴を見せつけられたような気がした。終始、落ち着いた口調で、感じよく話してくれた浩一さんの背中が小さく見えた。
妻と恋人への思いの違い
転勤族の寂しさ
男が婚外恋愛に走るきっかけは、いろいろある。必ずしも、「妻との不仲」が原因ではない。
むしろ、そういう理由は少ないかもしれないと実感している。
「たまたま素敵な女性と出会ってしまって、自分が抑えきれなかった」
「自分が、まだ男であることを実感したいという気持ちがあった」
などというのは、女性が恋に走るときとほとんど変わらない。
ただ、いかにも男ならではという理由がある。それが「寂しかったから」だ。もちろん、女性も寂しいという理由で恋に走ることはある。それでも、「好きな人ができてみて、初めて自分が寂しかったんだと感じた」という声が大多数だ。
その裏には、人とつながっていないと寂しいと感じる女性の気持ちがある。男の「寂しい」は、少し違う。生きていく上での根本的な孤独に対する弱さというか、絶対的な見方を作りたいという習性というか、そんなものを感じてしまうのだ。
女性個人と、理解し合って関わりたいという欲求よりは、ひとりでいることに耐えられない、あるいは誰かに強烈に愛されたい、尊敬されたがるような気持とでもいうのか。
男は「オレ様」でいたい生き物だし、誰かに持ち上げられないと頑張れない存在なのだなと思うこともある。
それは女性にとって、そのまま、男への愛しさへとつながる場合も多いだろう。
「私は転勤族なので、日本中、あちこち行きましたね。単身赴任も多かった。今も単身赴任中です」
佐野弘司さん(五十一歳)は、現在、東京にひとりで住んでいる。結婚して二十年を超え、長女は大学生、長男は高校生。三歳年下の妻と子供達は、関西在住だ。
「私は元々、東京出身なんです。本社が関西にある金融関係の会社に就職して、そこから転勤人生が始まりました。結婚当初は関西本社に居たので、新居もそこに構えたんです。子供たちが幼稚園に入ってからは、ほとんど単身赴任ですね。
昔はまだ、メールもテレビ電話もなかったから、電話もままならなくて、子供たちには寂しい思いをさせたと思います」
一ヵ所に二、三年いると、また転勤。転勤先に女性もいたこともあった。
「やっぱり寂しいんですよ。ひとりでいる夜が耐えられないというか。だいたい、水商売の女性が多かったですね。単身赴任で来ているということを知っているから、その期間だけの後腐れのない関係‥‥。
女性たちには、本当に良くしてもらったと思っています。恋愛というのとも違う、でも深いかかわりがあった。妻は、ほとんど疑っていないと思います。引きずるような関係でもなかったし」
家庭の事は、どんなときで頭にあった。父親があまりいない家庭で、どうやって子ども達と関係を築いて行くか。それは、弘司さんのテーマであった。
「私は子供のころから、ずっと野球をやっていたんです。野球の中で培った友情とか礼儀とか、そういうものは非常によかったと思っていますから、子供たちにも、何かスポーツをやってほしかった。
上の娘はテニスに夢中で、今も大学のクラブに入ってやっているようです。下の子は私の影響か、野球をやっています。中学のとき、一時期、クラブを辞めるかどうかで悩んでいたことがあったようで、そのときは私も家に戻って、息子と朝まで語り合いましたよ。
何かあったときは、仕事を放りだしても家庭に戻る。それを頭に置いておかないと、どうしても仕事に振り回される人生になってしまいますね、転勤族は」
もちろん、妻とも一緒にいる時間が少ないぶん、手紙や電話でなるべく会話を心がけてきた。特に子どもの事では、共同戦線を張った。その結果、同志的な感覚が強くなったが、「男女」としての側面は薄れたかもしれないと苦笑する。
男はいつでも味方がほしい
そんな弘司さんが、四十代後半に入って、初めて真剣な恋をしてしまう。女性に引きずられることはなかったはずなのに、その人への思いは、過去の女性たちとは違っていた。
その女性、早智子さん(四十七歳)とは六年前に出会った。弘司さんが、とある県に単身赴任しているとき、よく出かけた小料理屋の女性だ。当時、数年前に夫に死なれて、女手ひとつで子供ふたりを育てていると話していた。
店は早智子さんの両親が作ったもので、夫が生きているときは早智子さんは店にかかわらず、専業主婦をしていた。夫の死後、両親に代わって店を仕切るようになった。
「当時は、その店で帰りに一杯やるのだけが楽しみでね。いつの間にか、彼女に惹かれるようになっていた。ただ、店にはいつも彼女のお母さんがいたし、板前さんもいたから、そう深い話もできない。ときどき見せの外でデートするようになったのは、赴任して一年ほど経ったころです」
あと一年ほどで関西に帰ることが決まっていたから、自分から深い関係になろうとは言い出せずにいた。彼女の背負っているものが大きい。大人の男と女だ、束の間、語り合えればそれでいいと、弘司さんは自分に言い聞かせていた。それでも一緒にいると楽しかった。
「店は日曜日が休みだったから、月に二回くらいはデートしていましたね。お互いに『好き』なんて言わない。だけど気持ちはわかり合っている。その店は、うちの会社の他の社員たちもよく行っていましたから、彼女はいろいろ聞いていたようで、よく私のことを褒めてくれました。
男って、褒められると弱いんですよね、彼女は私の仕事の現場は知らないけれど、『佐野さんって信頼されているんですね』『佐野さんが来てから業績が上がったって、○○さんが言ってましたよ』なんて、うまいこと言うんですよ。
話半分と思いながらも、悪い気はしない。なんていうのかな、これはきっと家族と一緒に住んでいても同じだと思うけど、男って、どんなときでも応援してくれる存在を欲しているもんなんですよね。会社に長年いると、自分の存在価値みたいなものがどこか揺らいでくる。
そんなときに『あなたは仕事ができる』『あなたなら大丈夫』というエールを、心の奥底で知らず織らずのうちに求めている。私自身は、彼女に褒められて初めて、大袈裟に言えば、こういう賞賛を言葉にほしいと思っていたんだなと気づきました」
言葉にすると確かに大袈裟だが、男はいつでも「あなたはエライ」と言われたがっているような気がする。それは、男自身を鼓舞する言葉でもあり、それがないとがんばりきれない男の弱さでもあるのではないだろうか。
実際、自殺者に男が多いことでも分かるように、男はもともとストレスに弱い。特に単身赴任で働いているケースでは、無条件に誰かに認めてもらいたいという気持ちも働くのだろう。
弘司さんは、早智子さんと深い関係になるつもりはなかった。彼女の人生に責任が取れないと思ったからだ。遊びと割り切るには、彼女への思いは深くなりすぎていたのかもしれない。
「それなのに、二年の任期が終わる半年ほど前、ふいに彼女が私のアパートにやってきたんです。真剣な顔をして。『一度だけ、帰る前に抱いてほしいの』と彼女は言いました。
そこまで言わせてしまったことが、男として不甲斐なく情けなかった。『本当にいいの? 後悔しない?』と問うのが精一杯でした」
それからも、彼女とは何度か関係を持った。別れる日が近づいているのに、お互いにそのことは口に出せなかった。何も言わないままに抱き合って、お互いの心と心で話しているような日々が続いたという。
ふたりの関係は切れずに
関西に帰る日、彼は彼女に空港から電話した。元気で、と囁くように言った彼女の涙にくぐもった声が忘れられなかった。それでも帰るしかない。
「単身赴任から帰ると、いろいろな意味でまた一からやり直しという部分があるんですよ。家族との雰囲気作りもそうだし、仕事もそうだし。二ヶ月ほど経って、ようやく落ち着いたころ、ふと彼女を想いだしたんです。会いたいと思いました。
妻との夫婦生活もあったけど、彼女とのセックスを思い出すと、身体が反応しましたね。どこがどう違うというわけじゃないけど、彼女が私を愛撫してくれる手の動きとか、感じたときの反応とか、ありとあらゆる場面で、私を愛しいと思っていることが伝わって来た。
言葉ではなく、身体でコミュニケーションがとれるということを教えてくれるようなセックスだったんです」
電話してみようか、いや、かえって迷惑かも知れない。そんな葛藤があった。だが、声を聴きたいという気持ちを抑えることはできなかった。ふだんなら、そんな気持ちは自分で見て見ぬふりをして、時間が経つにつれて相手への思いが薄れていくのを待つタイプだった弘司さんが、早智子さんにだけはそうはできなかった。
「声を聴いたときは、うれしかったですね、電話の向こうで彼女が泣きながら話をしているのが分かって、私も泣きそうになりました。このまま離れることはできないと感じた。なんとか続けていくことはできないかと考えるようになりました。
私は家庭を壊す気はなかったし、彼女も店や子供のこともある。いろいろ問題はあるけれど、それでも続けていくことはできないだろうか。たまにでもいい、会いたいと私は訴えました。彼女は『私もそう思っていた』と」
三ヶ月か四ヶ月に一回の逢瀬が始まった。早智子さんが、関西方面に来ることがあれば、中間点で会うこともあった。お互いに時間とお金をやりくりしながら、それでも会うチャンスを作り続けた。細々と、だが着実にふたりは関係を育んでいく。携帯のメールも頻繁にやりとりした。
関西には三年半いた、その間、会ったのは十数回。おそらく十五回はいっていないと弘司さんは言う。会えるまでのどきどきと、別れるときの悲痛な思いは、今も忘れられないそうだ。
そして半年ほど前から、彼は東京に転勤になった。東京は慣れた街だけに、友だちもいるし、彼にとっては暮らしやすい。
早智子さんの長男は、すでに就職して家を離れている。次男も、前年の春から大学生になり、自宅を離れて東京にいる。
「四月の初めに、彼女、週末を利用して上京しました。息子さんのアパートに行って、いろいろ日用品などを取りそろえてきたようです。息子さんには友達に会ってからホテルに泊まると言って、私のアパートに来ました。これからは、息子の様子を見てくるという言い訳ができたと笑いながら言っていましたね、たぶん、月に一度くらいは泊まりがけでくるんじゃないかな」
弘司さんはうれしさを隠し切れない様子で話す。こういうとき、一見、男に「やましさ」はないようにさえ見える。
「いや、こんな二重生活みたいなことをしていることに後ろめたさはありますよ。会社に知られたら、やはり問題になると思うし、子供や妻のことを考えても、どこか罪悪感はあります。
ただ、実際に彼女と別れるつもりで離れていた時期、私は本当につらかった。既婚の分際で恋愛を語るなと言われればそれまでだけど、結婚しても、好きな人ができてしまうことはある。やめようと思ったけど、止められなかった。
彼女と一緒にいたかった。それならけじめをつけて離婚した方がいいんじゃないかと思ったりもしたけど、何の罪もない家族を苦しませることもできない。
東京のアパートには、家族はほとんど来ませんけれど、それでも彼女と部屋に入れるたびに、少しは心がぴりぴりする。彼女も、私に会えてうれしい言いながらも『ご家族は来ないの?』と言ったりします」
恋人の存在意義
日常生活を共にしないからこそ、ときめきを保ったまま恋愛は続いていく。だが、好きになればもっと一緒にいたいという気持ちが強まる。恋愛そのものが抱える矛盾は、弘司さんの葛藤とぴったり重なっている。さらに、弘司さんには家庭があり、早智子さんには放り出せない仕事があることが、「つらい」気持ちに拍車をかけているようだ。
「だけど、つらいつらいと嘆くより、一緒にいられる時間を授実させたい。今はそんな気持ちになっています。出会って六年、現実として一緒にいる時間は短いけど、私と彼女には何でも話せるんですよ。ときには仕事の愚痴も言ってしまうし、子供たちとの関係に悩んだときも、気づいたら話していた。
仕事上、あったほうが有利な新しい資格を取ろうかなと思ったことがあったんです。ただ、難しい資格なので、かなり勉強しなければいけない。彼女にはなしたら、間髪を入れず『あなたならできるわよ、がんばって』と言われたんです。
同じことを妻に言ったときは『その資格があると、給料が上がるの?』とまず聞かれた。そこが妻という立場と、恋人という立場の違いかなと思いましたね」
いつでも、 どんなときでも味方でいてくれる。その存在が、弘司さんを力づけているのだろう。妻という立場は、ある意味で運命共同体だから、何でも手放しで応援するわけにはいかない側面がある。確かに弘司さんが実感しているように、妻と恋人の存在意義は違う。
いいと思っているわけではないが、この生活を変えることはできない。出会って六年経った今も、頻繁に会うことはないけど、彼女を大切に思う気持ちは薄れていない。
「家庭と彼女の事を、同じ次元で考えると辛くなる。だから、会えて考えないようにしています。単身赴任が多かった生活の中で、妻はいろいろと、ひとりで苦労をしてきたと思う。それには心から感謝しているんです。この先、私の環境はまた変わると思います。
そのとき、彼女とどうやって付き合うって行くかはわからない。いずれ、関係を解消しなければならない時期が来るかもしれない。だけど、それを考えても仕方がないんです。そう思いつつ、ついつい考えてしまうこともありますけど」
何があっても、妻には知られないよう、隠し通す覚悟はあると、弘司さんは言う。ばれなければそれでいいのかとはあえて問うまい。彼は全てを分かっていながら、彼女との関係を続けて行こうとしているわけだから‥‥。
つづく
第四章 転落した男の事情