
亀山早苗 著
ひとりになるのが怖い
自宅住まいのまま結婚し、一人暮らしをしたことのない女性は少なくないだろう。
そうなると、たとえ熟年になってから離婚を望んでも、「ひとりになるのが怖い」という気持ちが生まれてくる可能性がある。
美代子さん(五十歳)は、節目の年を迎えて、離婚を真剣に考えている。彼女から手紙をもらい、私は関西に住む彼女に会いに行った。五年前に、たまたま運良く正社員として仕事を持つことができた。貯金もそれなりにある。ひとりで家を出て暮らすことに関しては、今は家を離れたふたりの娘たちも賛成してくれている。
「それなのに、決心がつかないんです。夫とは仲がいいとか悪いとかいう以前に、もうお互い空気みたいな存在になっています。あまり会話もありません。最近はそうでもないけれど、若いときはずいぶんひどいことを言われてきた。その言葉が時々フラッシュバックして、すごく苦しくなるんです。でも、ここで離婚することは、自分自身に負けるような気がして・・・・」
短大を卒業後就職、二十二歳のときに人の紹介で、五歳年上の男性に会った。ごく普通のサラリーマンだったが、真面目なところに惹かれた。美代子さんの父親は腕のいい大工だったが、仕事がない時は飲んだくれてばかりいて、家では夫婦げんかが絶えなかった。
そんな家庭は嫌いだから、穏やかで真面目な人と家庭を築きたいと考えてきた。夫はそんな彼女の家庭観に、ぴったりの男性と思ったという。
「ただ、今考えると、私の両親はいつもケンカしていたけど、結局、仲が良かったんですよ。まだ二人とも元気ですけど、お互い言いたいことを言い合って、それでもいつも一緒にいる。夫はとてもまじめだけど、どこか冷たいところがあるんです」
二十三歳で結婚、翌年、長女を産んだ。夫も夫の両親も男の子でなかったことに、がっかりした顔を露骨に見せた。夜泣きしている子を抱いてあやしていると、夫は「眠れないから外に連れていけ」と言う。冬の寒い中、子どもを抱いて外を一回りしてくることもあった。夫は自分が風邪をひくと、微熱でも大騒ぎし、子どもが熱を出しても知らん顔だったという。
二年後に次女が生まれてからも、夫は変わらなかった。ときには子供たちを連れて、遊園地や動物園に行ったこともある。だが、子どもたちが病気をすると、うんざりしたような顔をした。そして、美代子さんが寝込むような風邪をひくと、夫は「ホテルに泊まる」と言って帰ってこない。幼い子供たちを抱え、どんなに熱が高くても、彼女は食事の支度をきちんとして子どもたちに食べさせた。
「過去を振り返ると、夫が助けてくれたことって、ないんですよ。状況が深刻であればあるほど、夫は逃げる。下の子が学校でいじめられているとわかったときも、夫は『オマエに任せる』と。
それでいて何かあると、『子どもがおかしくなるのは、オマエの教育が悪いからだ』と怒鳴り散らす。子どもたちは結局、何とかまっすぐに育ってくれたからよかったけど、家庭のことはすべて私に任せて来た夫のことを、子どもたちの手が離れてから急に思い出すようになって」
妻が夫に対して不信感を覚えるようになるのは、子育ての時期からと言われている。育児に対して協力的でない、何もかも妻に押し付けるといったような態度を夫に見せられた妻は、心に「恨みつらみ」を蓄積させていく。そして美代子さんのように、子どもの手が離れてから、それらの不満が一気に蘇ってくるのだ。
「あと三十年生きるとしても、このままでは後悔する。そう思って、四十五歳のとき、仕事に就いたんです。上の子はもう大学生でしたし、下も大学に受かったばかりだったから、ちょうどいいなと思って、夫には何も言わず、仕事が決まってから事後報告をしました。
夫はすでにある程度丸くなっていましたから、私をちらっと見て、『若くないんだから、身体に気をつけろよ』とは言ってくれたけど、なぜ今ごろから仕事を始めるのか、それについては尋ねてはくれなかった。
いつもそうやって、私の思いや考えを聞こうとはしないんです。起こった事実を受け止めるだけ。それについて自分がどう思っているのかも、ほとんど話さない。だから、夫と一緒にいても気持ちが満たされないんです」
恋人関係にある男女は、お互いの気持ちを知りたがる。自分のことをどう思っているのか、あの時はああいったのはなぜか。好きでいてほしい、好きでいたいから、自分の気持ちを知ってほしい、相手の気持ちを知りたいといつも願っている。それが夫婦になると、夫婦という堅牢な枠の中で、お互い安心するのか、気持ちなど確かめなくても日常生活が回っていくと分かってしまうのか、お互いの心にだんだん無関心になっていく。
よく考えればとても寂しいことなのに、日常の煩雑さは、心の機敏を見失わせていく。ある意味では、恋人時代のように神経質に相手のことを考えていたら、やっていけないほど、日常というのは面倒なことなのかもしれない。
気持ちだけではない。美代子さんは、三十代後半から、すでに夫とは肉体的な接触がまったくない。そこにもまた、小さからぬ恨みがある。
「忘れもしません、私が三十八歳のとき、ある日、あそがかゆくて、なんだか様子がおかしいので医者に行ったんです。そうしたら、今でいう性感染症でした。夫を問い詰めると、はっきりしたことは言わなかったけど、どうやらどこかで女性に誘われて、そういう関係を持ったようです。
夫もあわてて病院に行っていました。『本当にちょっとした間違いというか‥‥。ごめん』と素直に謝ってはいました。一ヶ月ほどたったころ、夫が誘ってきたんですけど。もう私、そんな気はなくなっていましたね。
『自分が何をしたか考えて』と言ったら、無理やりのしかかってきたんです。必死で抵抗して、夫をじっと穴が開くほどみつめたら、向こうが引き下がりました。それっきりです。今は娘の部屋が空いていたので、寝室も別にしています」
夫に借金があるわけでもない。言葉で打撃を受けたことはあるが、手を上げられたこともない。性感染症の一件はあるものの、浮気がひどくて困らされたわけでもない。特別ひどいことをされたわけでもないのだが、やはり美代子さんは、結婚生活が決して「楽しい」ものではなかったと振り返る。
どこかで自分だけが、我慢を重ねてきたという実感があるのだろう。半世紀を生きてきて、人生の終盤が視野に入ってくるこの時期、「このままでいいのだろうか」と思い込む女性は多い。
「私、先日母に聞いたんですよ。『お父さんと一緒になってよかったと思っている?』と。
そうしたら母は笑って、『よかったわけないでしょ。若い頃は本当に飲んだくれだったし、ろくに仕事もしない時期もあったしね』と。それでも別れようと思わなかったのかと言ったら。だんだん態度が軟化してきて、『あれでいいところもあったんだよ、お父さんは。
職人としては腕もよかった。自分の思うようにならないと、つい酒に逃げるところはあったけど、暴力をふるうわけじゃないし。私が言いたいことを言っても、時には黙って素直に聞いていることもあったし。ケンカになると派手にやり合っていたから、オマエたちは怖がっていたけど、言いたことを言い合ったせいで、お互い腹には残らなかったのよ』って。
私も振り返ると、お父さんにはいつも可愛がってもらったなあと思うんです。『お母さんにとっては大変な人生だった?』と尋ねると、『そうかも知れないね。でも楽しかったね』って」
子供の目に映った夫婦げんかは、怒声が飛び交って恐ろしかったけど、大人同士は案外、すっきりしていたのかもしれない。言いたいことも言えずに、長年、ため込んできた自分の方が、ずっと不健全だったのではないかと美代子さんは感じたという。
このままでいいのかと迷う日々
このまま夫と一生を終わっていいのか。この数年、美代子さんずっとそれを自分自身に問い続けている。今の五十歳は若い。「もう一花咲かせたい」と思う人も多い。実際、私の知り合いでも、五十歳で離婚して、仕事をしながら恋愛を楽しみ、自分の人生を満喫している女性もいる。五十代とは思えないほど、若々しく生き生きとし、「まだまだ女を楽しみたいの」と言っていた。
吹っ切れてしまった人には、おそらく楽しい人生が待っている。だが、吹っ切りない人が多いのもまた世の常。美代子さん自身も、夫に負けず劣らず真面目な性格なのだろう。決断しかねているのだ。
「今から私が離婚と言ったら、まず年老いた両親が心配します。私、今まで夫の愚痴も親には言ったことがなかったから、あれこれ聞かれるかもしれません。周りから見たら、とりあえずまじめに働く夫がいて、子どもたちも大きくなってふたりとももう独立して働いている。
もう何も心配ないじゃない、と友だちに言われているんです。夫もあと五年で定年ですけれど、その後も働き続けると言っている。このままでいれば、何事もなく、私の人生は終わっていく。分かっているんです。それでいいんじゃないかとも思う。
今さらひとりぼっちになって、どこかに小さなアパートを借りて、自分だけのために食事の支度をする。そんな人生、むしろ虚しいかもしれない。だけど逆に、ひとりになれば、別の世界が開けるかもしれない」
芸能人などの熟年離婚という話を聞くたびに、勇気があるなあとうらやましくなる。と美代子さんはつぶやいた。
結婚は勢いとタイミングだとよく言われるが、離婚もまた、「もうこれ以上無理」という限界点の認識と、ある種の気魄が必要なのかもしれない。
美代子さんは、離婚すると決めて必死に仕事を探し、慣れない会社勤めも一生懸命こなしてきた。そこで自分の気持ちが満たされたのであれば、当初の目的である「離婚」は、しなくてもいいのかもしれない。私がそう言うと、彼女は首を傾げる。
「いや、離婚はしたいんです。会社勤めをしていても、どこか夫の庇護下にある感覚がうっとうしくて。もう誰にも縛られずに生きていきたい。そうは思っているんです」
誰にも縛られない生活は、誰にも必要とされなく生活かもしれない。自由の裏には、とんでもない孤独がある。うつとうしいと思いながらも、夫に必要とされる生活は、自分自身を生かす生活でもあるのだから。
ひとり暮らしをしたことのない美代子さんは、おそらくイメージがわかないのだろう。ひとりで暮らしていくことがどういうことか、実感がないのかもしれない。だったら、離婚云々以前に、別居してもいいし、ウィークリーマンションなどで暫く過ごしてみてもいいのではないだろうか。
「そうですよね。自分が動かないと何も始まりませんものね。わかっているんですが」
美代子さんそう言って、少し恥ずかしそうに笑った。
その後、彼女と暫く雑談を交わしながら、私はふと気づいた。美代子さんは、我慢慣れしているのではないか、と。彼女にとって、仕事に就くことは自分を解放するひとつの手段であった。それによって誰かに寂しい思いをさせたわけでもないし、家事は今まで通りやっているのだから、家族に不自由をさせているわけでもない。
だが、離婚となれば話は別だ。親や親戚にどう思われるか分からない。家庭を壊すきっかけを作ったのは自分だという罪悪感を覚えるだろう。誰にも縛られずに思うように暮らしたという願望はあるが、「我慢」に慣れてしまった彼女は、すべてから解放されることに対して、どこか臆するところがある。
「ラクなこと」への罪悪感、我慢しているからこそ感じることができる自分の存在感。そんなものが渦巻いているのではないだろうか。
人はずっと我慢していると、それが習い性になってしまう。我慢しているという認識さえなくなっていく。解き放たれる道が見えていたとしても、今までの習性を変えるのは難しい。
一気に開放されることに無上の喜びを得られる人もいるのだろうが、自分が我慢してきたことをきちんと実感しないままに来た人は、むしろ解放されることが怖くなるのかもしれない。
「自分自身を解き放つのが怖いという面も確かにありますね」
美代子さんは、ゆっくりと考えながらそう言った。そのことについて、もつといろいろ考えてみたいとも話していた。
後日、彼女から連絡があって、まずは外で友人関係を充実させていく決意を固めたということだった。今までは会社の飲み会などにも、積極的に参加しなかった。どうしても出席しなくてはいけないときには、乾杯して三十分ほどで帰っていた。それが夫への遠慮からだったが、つい先日、最後までつきあってみた、と。
「実はカラオケデビューもしちゃいました。今まで行く機会がなかったんです。けっこう楽しいものですね、それから、今後はやってみたかった陶芸にもチャレンジしてみるつもりです。離婚するかどうかは、それから考えようと思って。まずは自分の人生を楽しむところから始めるつもりです」
一緒に居ることが本当につらくなるまでは、あえて離婚に踏み切らなくてもいいのかもしれない。「離婚した私」というレッテルが傷になる人もいるのだから。ひとりになるが怖ければ、それを認めればいい。ひとりになる怖さより、一緒にいる苦痛が増したとき、答えは自然と見えてくる。一緒にいる苦痛が下回っている間は、まだ「離婚どき」ではないのかもしれない。
つづく
第六 三章 男性たちの「離婚しない理由」
煌きを失った夫婦はセックスレスになる人が非常に多い、新鮮な刺激・心地よさを与える特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致を改善しセックスレスになるのを防いでくれます。