湯山玲子
「今日はバリバリ女装とていくよ」男勝りな仕事着を女らしさ満開のドレスで”女”を装う――アタマもカラダも、女たちはすでに男がイメージする”女”ではない。エコに身を捧げる。
勝負服は着物で決め打ち、目標はホノルル完走、ブログはスターダムへの近道、財布と情報をバーターする親孝行‥‥現代女性を消費の面から10のキーワードで痛快に読み解く。リアルな女の実体を知るための必読の書。
はじめに
「女の顔はひとつじゃないよ」
これは昔から、テレビのサスペンス劇場や小説の中でさんざん言われてきた言葉だ。
少年時の単純明快な個性がそのまんま、大人になったような男性というのは世の中、少なくはないが、女性の場合はそう簡単ではない。「こんな娘がこんなコトを!」という男性が
奮い立つような言葉のとおりに、女性はその外見や普段の言行からは想像できない、さまざまな内面と欲望を持っている。
例えば、男子からも女子からも人気のある面白くて魅力的な個性の女の子が、そのモテの王座を、それまでは目立たなかったのに突如として色っぽさと美しさを増してきた女の子にあっさりと奪取されてしまう、という類の経験は女性にとっての手厳しい通過儀礼だ。
男性と違って、女性には、「人生のどんでん返し」や「試合中のルール変更」が無数にふりかかる。これら、アイデンティティの在り方にも大いに関係するような過酷な現実が、まるで、ロールプレイングゲームの敵キャラのように、次々と若い女性を襲ってくるのだから、おのずと知恵や対応スキルも身に付くというものである。
それゆえに、現在に生きる女性たちは、過酷な現実を生き抜くために、ありとあらゆる文化コードを自分の中にビルトインし、有効利用している。それによって、ストレスを発散させたり、生きがいを見つけたり、自らのモデルを作り上げてきている。
この本は、今に生きる女性たちは、すべて著者自身が実際に交流しており、話のネタとして話題に上がったりした、リアルな存在である。これは私が日々行っている毎週末の活発な飲酒活動や、お誘いがあるとつい出向いてしまうという大変な尻軽な行動の数々から得られた実感の集大成といってもよい。
いわば、自らで飲み代とタクシー代を払って、膨大かつ広範囲のマーケティングを行って来たとも言えるわけで、女性たちが盛り上がる話題をフリ続けきた努力のかいあったものだ。
章の扉のイラストはしりあがり寿さんにお願いした。象徴的なその章の女性像をまとめてくださっているので、合わせて楽しんで頂きたい。
女装する女――目次
1章、 女装する女、
気がついたら隣にあった、女文化という遊びネタ、社会環境と女らしいファッション、扇千景と勝間和代の、武器としての女装、銀座のクラブママと叶姉妹のプロテクを盗め、男不在でも先鋭化する女装、“エビちゃん女装”に込められた人類の存続、女性モードで生き残る男たち、オネエ言葉というストレスリダクション、スーパーマッチョは、新たなトレンドになるか、
「細雪」と「セックス・アンド・ザ・シティ」に向かう男女関係
、女装の観点から、腐女子とやおいを見てみると
2、 スピリチュアルな女
スピリチュアルは女性にとっての生活指針、神社は人気タレントのコンサート状態、スピリチュアル観光の盛り上がり、お金払って悩みを「外部化」する、他人に自分を語られることの快感
3、 和服の女
、お稽古事とヒエラルキーの頂点は、和モノ、インターネットありきの着物ブーム、着物のモテ作用は日本のDNAか、京都という和モノ総本山ブランド、和の根底にあるセクシー、外来の和モノセンスで多くのブスが救われた
4、 ノスタルジー・ニッポンに遊ぶ女
、居酒屋共同体のムスメという居場所、全共闘オヤジと歳下女性の結託、イタ飯屋は女性のスナックだった、非マーケティング飲食店こそがおもしろい、ガイジンを好む、魅力のニッポン空間
5、 ロハス、エコ女
、ロハスという名付けで、気軽になったエコ、食ジャンルの意識革命、ロシアのダーチャに続けの住環境革命、所有せずレンタルがカッコ良い、専業主婦の欲求を満たす、強力アイデンティティ、新興宗教に成り代わり、心のスキマを埋める、女性起業家にとってのフロンティア、農家の嫁、ではない女性の職業農家の可能性
6、 デイリーエクササイズな女
、会社帰りをすべてウォーキングにした女、ランナーという生き方、一生モノのエクササイズの最終兵器ヨガ、サーフィンが醸し出す夢
7、 大人の女になりたい女、白州正子という究極の存在、海外人気ドラマに見る、ハードな大人っぷり、自分磨きマニアである女の永遠のお稽古ごと
8、 表現する女
、ブログ日記が開けた表現の扉、ブログスターダムへの近道、女という表現はアイドルに帰結する、ダンスにヒートアップする女たち、そして、みな表現人生を選んでいく
9、 章子供化する女
、クリエイティブな遊びで埋まる、ある主婦の日常、子供の遊びを、実はずーっと続けたい、イビサという、大人の“子供返り”プロジェクト
10、バーター親孝行な女、いつまでも遊びたい親と子の関係、
10 再開発ビルおしゃれディナーのお得意様、お互いのネットワークに食い込んでいく母娘の輪、母娘で萌える、アイドルエンターティンメント、遺産相続を見 据えた、プレゼンテーションの匂い
おわりに
市川崑監督に『黒い十人の女』という名作があるが、そこに活写された、調子のいいプレイボーイを一致団結して破滅させる十人の女は、また、「ひとりの女の中の十通りの個性」ともいうことができる。身近なモノやコトへの欲望が強い上に、それを絡み合わせて面倒くさくしてしまうのが女。外見がその人間の内面をそのまんま表す男性に比べると、世間の趣味趣向、生き方の複数をいいとこ取りしてハシゴしている女性は相当に複雑だ。
そして、ほとんどの女性が「ごく普通の女性」という外見や言動のウラにかなり過激で本格的な欲望を潜ませている。それを表に出さないのは、さんざん世間や男性の価値判断に翻弄され、傷つき、絶望してきたゆえの周到な「防御」であり、それがいつの間にか表向きは都合の良い態度となって出てきているにすぎない。
政治家、小池百合子の座右の銘は、彼女が少女時代にガールスカウトで叩き込まれた「そなえよつねに」という言葉だというが、これはまさに言い得て妙。表向きは優等生だが陰で悪の軍団を操る“裏バン”というキャラは学園モノの定番だが、女性にはおしなべてそういった傾向があるとみてよい。
現在、女性が男性化している、と、よく言われるが、私自身はあまりその実感はない。高度消費情報社会の状況下では、女性を女性たらしめていたい色んな幻想の鎧がひとつひとつ外されていくわけで、外された後にむき出しになった本体そのものは実は思ったよりも逞しく、自由で、とんでもない個性と欲望が普通に存在したというだけだ。
しかし、そこのところが肥大しすぎると今度は社会の方が怖気づいてしまう。そうなると、コミュニケーションであるとか、生きていくこと自体に問題が生じてしまうので、女性たちは“意思”として、改めて、鎧を付け直す、というような面倒くさい行為にも手を染めている。
「それ」をし続けることは苦痛でもある、と自覚しながらも、「自由」であることの快楽と意味を知ってしまった女性はもう、後戻りはしないだろう。アダムが食べたリンゴをイブは食べてしまったが、それどころか、今やそれをアップルパイやリンゴゼリーにまでテイスティーに料理をしまくっている状態、なのだ。あとは、その事実を厳粛に受け止め、女性ひとりひとりがそこにフィットした未来と社会を作っていくしかないのである。
本書は女性が持っている潜在的・本能的なインサイト欲求を明らかにし、女性に向けた新しいマーケットのデザインを行うべきであり、そこから開発されたマーケットやビジネスは、男性も含めた日本の消費構造を大きく変えるはずであると主張する、博報堂アーキテクト代表の大谷研一氏に大いにインスパイアされ、執筆を始めるきっかけを作っていただいた。博報堂クリエイティブセンターの早川裕見氏、以下携わる多くの人に鋭い指摘をして頂いて書き上げた。
二〇〇八年初秋 湯山玲