女ひとり養っていけないようじゃ、男失格。というこのドグマのもとで安定をみていた恋愛、結婚、男女関係もガラガラと崩れ、男性の高所得者から低所得者にまで、稼ぎのある女は今や人気が高い。
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セックス・アンド・ザ・シティに向かう男女関係

「細雪」と「セックス・アンド・ザ・シティに向かう男女関係

 男女関係でも変化が現れてきている。
「女ひとり養っていけないようじゃ、男失格」というこのドグマのもとで安定をみていた恋愛、結婚、男女関係もガラガラと崩れ、男性の高所得者から低所得者にまで、「稼ぎのある女」は今や人気が高い。林真理子の小説にもよく出て来るように長らく女性にとっては、「若い時分に自分の見知らぬ世界に連れていってくれる教師であり、かつまたスポンサーでもある中年男性とつきあう」系の男女関係がひとつの理想であったが、今まさにそれは逆転傾向。女性が男性よりも10歳以上歳上のカップルは、私の周囲でも近頃見事に増加傾向にある。

「仕事の仕方とか、つい、先輩の立場からマジ説教しちゃうんだけど、これ、ホント相手が傷ついて去って行っちゃうんで、止めた方が良いよ」

 昨日もこんなアドバスが、10歳以上の歳下男とつきあっている40代ふたりの女性の間で交わされていたっけ。キョンキョンと人気グループKT-TUNの亀梨和也のおつきあい報道はまさにその現実例で、「それって、有りだよな」と思った人は多いはず。女に食わせてもらっている男はヒモのような奴、として、男の沽券ヒエラルキーでは最低のレベルだったが、その意識は大きく変わりつつある。

 男性のクラブチームがあって、そのメンバーは不動なのに、その彼女の顔ぶれが時と共に替わっていくという女性にとってはもの悲しいシチュエーションを歌ったJポップがあった。このように男性中心の集団があり、女性はその”彼女さん”(さんの語尾を上げて言う)という位置で取り換えがきくサブキャラとしての存在価値しかない、という状況は、女性たちの間で現在、正反対の様相を示している。

 たとえて言えば、谷崎潤一郎の『細雪』的または、映画『セックス・アンド・ザ・シティ』的男女関係といいますか、四姉妹や女友達は永遠で、そこに男たちが出入りするという図式だ。実際のところ、会社や集団と共に人間関係が切れがちな男性と違って、気の合った集団が職業とは関係なく長く続く女性の場合、入れ替わっていくのは、男の”彼氏さん”の方なのである。

これ、興味深いのが、60歳以上の親の世代にもあらわれていて、母親が女友達と年中企画している行事や食事会にその夫たちが嬉々として参加しているのをよく目にする。そこには、女の集団に男がいることの異物感は全くない。

 そのバイオレンス趣味からマッチョと見なされやすい、クェンティン・タランティーノも実は、その辺の女性的な感覚が充分にある監督である。『デス・プルーフ in グラインドハウス』の中で女友達たちが延々とくだらないおしゃべりに興じる描写がその長さといい展開といい、あまりにもリアリティーがあったので不思議に思っていたら、雑誌のインタビューで、「僕は女性の集団が大好きで、彼女たちのおしゃべりを横で聞いているのが趣味なんだよ」というようなことを言っていて、なるほどと思ったことがある。

世界で一番男の美学に淫している監督の心根は実は女である! このパラドックスがあるからこそ、時すでに時代遅れな、「男の美学」をエンターテインメントとして成立し得ているのかもしれない(とはいえ、『キル・ビル』や『ジャッキー・ブラウン』をはじめとする彼の近作にて「男の美学」を体現するのはすべて女性だったっけ!)。

 女の腐ったような、という形容詞があるように、男が女化することは最大の屈辱だった。しかし、今、世の中で価値があるのは、女性文化にどっぷりつかることができ、それに心底共感できるセンスの方である。『オネMANS』のゲイの方々はこれからも特権的であり続けるだろうし、女性向けという商品カテゴライズは、もしかして、男性向けへと転換することは多いにあり得ると思う。

女装の観点から、腐女子とやおいを見てみると

 男性だけの世界は次々と消滅している。男性の特権と思われていたオタク界ですら、女性にとうに浸食されてもいる。日本で最大のオタクの祭典、コミケ(コミックマーケット)も実のところ。数の上では女性の方が圧倒的に多いのが現状で、夏コミの初日と二日目は女性が70パーセントほどの割合というから驚きだ。

 その中心となる創作物が、「やおい」と「ボーイズラプ」という男性同士の性愛を置き換えたパロディーマンガや小説のことをさし、また、原作アリのやおいに対しオリジナルの「男同士の恋愛、性愛」を描くボーイズラブ(BL)は、今や、マンガ業界で、販売部数が急増している注目株なのである。

 ボーイズラブマンガに熱中する女性というと、男性のオタクのパブリックイメージとの連動で、男とつきあったことがない、外見が不自由なブス、デブ女という印象を軽々しく持ってしまうが現実はそうではない。この手のマンガ書店やグッズ店が集結している池袋乙女ロードでもコミケでも、渋谷を休日歩いているような普通の女の子たちがこの手のマンガを買っていく。

何よりも、ブームとも言える数字の伸びはもはや一般的な女性を大いに巻き込んでいることを示している。普通に男性とつきあい、結婚もしている女性がボーイズラブの新刊発売日に書店を訪れ関連コミックを大人買いをしていく。その年代も10代から、果ては50代までと幅広いのだという。

 この男同士の性愛に女が萌るという構図の作品群は、森茉莉の小説『恋人たちの森』に始まり、萩尾望都のマンガ『ポーの一族』、竹宮恵子の『風と木の詩』、80年代に少女たちを魅了した少年愛の耽美の雑誌『JUNE』など、日本の女性文化に綿々と続いているものもあり、それは女性たちのポルノグラフィティーとして密かに熱く流通して続けている流れなのだ。

 かつては、その類にハマっているのは圧倒的に10代の思春期の少女で、彼女たちが身体の成長とともに否が応でも社会からそう見られてしまう「女らしさ」に対し自己嫌悪を抱き、男となって男を愛したいと思うことがそのモードの背景にある、と言われていた。

10代の女性は本来的に言えば、男性と同じく性的には最も活発な時期である。しかしながら、男性と違って、疼く自分の身体を自覚し性的にアグレッシブになることは大の御法度だったのだ。作品に性的な女性が出てきて、その女性がめくるめく快感を味わうことに萌え、

マスターベーションに耽ってしまう”私”といものは、本来的には至極フツーなのにもかかわらず、常に女性はそれを罪悪感+羞恥として感じることを強いられてしまい、自身の性欲を自認し肯定することはなかなか難しかったのである。

そんな中で男同士の性愛という自分とは関係ない回路で表現される性の快感は、”自分の欲望を自覚する”ことの苦さ、重さからは決定的に自由だ。それゆえに少女たちはうんと淫らに妄想をふくらませることが出来たのである。

 しかしながら、少女をとっくに卒業した既婚者、モテ系も含めた女性たちも、ボーイズラブ系にハマっているのはなぜか? このことは未だ、女性もまたエロ本を読んでオナる生き物だ、ということが一般には認知されていないことを示してもいる。

80年代、AV勃興期に黒木香という高学歴インテリ女優が痴態を見せつけるのに、世間は、”痴女”という烙印を押したが、あれくらいは今やシロウトの娘さんレベル、という程度には世の中は追いついている。それでも、女性の「エロ本オナニー」はまだまだ、タブー感が強い。

「松山ケンイチで三発はヌケる」などというギャグを、男性の前で普通に言えるようになったのは、この私でさえつい最近、それも、このメンツならば大丈夫だろうという計算含みで、なのだ。

 ボーイズラブ系を読み耽ってみて、もうひとつ気が付いたことがある。それは、明らかに自分自身が、ヤられる方の受け身の男性の嬉し恥ずかしの困惑やら快感やらの、表情、表現に欲情しているという事実だ。そう、自分も可能ならば、ガンガン美しい男を責め立ててヒイヒイ言わしたいんですよね! 

男女の攻守の逆転は、「それならば、騎乗位で」と実行している方も多いと思うが、何分、男女の肉体の構造上、男のペニスが立ってくれなけりゃ結合できないので、純粋な攻めというのはなかなか無理矢理な感がある。相方の体の中に異物を入れ、

その挿入により禁断の快感を引き出つれてしまう様子を女性が楽しむには、ペニスバンドを装着すればいいのだろうが、こういった状況は一般的ではなくかなり性の求道者じゃなけりゃ実現不可能な境地(このあたりの攻守逆転の男女の性愛物語は内田春菊のいくつかの名作に見られる)。しかし、ボーイズラブのファンタジーの中では、女性は自由に攻めの快感を堪能できるのだ。

「広告」スレンダーかつ鈴木京香似の白肌美人がハイヒールを履き颯爽と去る後ろ姿は思わず後ろを振り向き二度見する男たちは多いだろう。恋多き京香さん50歳の雰囲気はしませんよね、美肌と躰の手入れには怠らないエクササイズ(骨盤底筋強化等)に励み、尚ハイヒールを履きつづける女装は立派。ハイヒールは美しい姿勢作り他にも「中国、秦の始皇帝時代高官や豪族たちの妻や側女は纏足(てんそく「爪先立」の木靴)を四六時中履かせられることで膣の締まりの強化のために履いた」)膣の締まり効果がある。

鈴木京香さんと随分前に恋人関係を一時絶っていたイケメン俳優長谷川博己さんといつの間にか復縁し同棲(2020年)しているという。モテモテの長谷川さん何で復縁したの! 近頃多くの40、50代の独身女性たちがずっと年下の男をゲットしている事例が多い、男の心と躰を充分に満足させる秘は、日々辛い修練の賜物による女力があるからだと思う。
官公庁や大企業や有名企業に就職している大卒新入社員で将来高給取り有望な若い男たちは、既に大学のサークルや学内で女に粉をかけられ恋人あり・婚約中。残り物には福があるというが、グローバル化した現在ではそれは完全に無い。日々辛い修練をせず、30歳前後の負け犬の女は男性新入社員を横目で見て指をくわえて悔しがることしきり。ならば、外国に語学留学して国際結婚の道しか残されていないのかと焦る。

湯山玲子前述湯山玲子さん記述ペニスバンドを装着すれば禁断の快感をえられるという。ということは日々辛い修練しない女性でも楽しめるということか! 膣にソフトノーブル避妊具を挿入しておけば禁断の快感を男も女も得られ楽しむことが出来る。ということは30歳前後の負け犬の女でももしかしたらソフトノーブル避妊具を秘して使うことで男をゲット出来るかも! 」
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 さて、この男同士の性愛ポルノ、読み手の女性が誰に感情移入をするかというと、攻めの男にも、また、受け身の男にも、そして、そのふたりを覗くようにしてみている第三者にもそれが可能なのだ。そこには、女である私という確固とした自我は限りなく存在せず、それだからこそ、物語の関係性の中に楽々と入っていくことができるともいえる。

「私の物語だから好き」から、「私が登場しないから好き(だし、おもしろがることができる)へ。女とか男とかはあんまり関係ない私が、「女を装う」ことを楽しむという女の女装と、ボーイズラブの物語で自由に萌えの立ち位置を変える読み手の女性の感覚は、自我の温度は低い、という点で大変似ている。

 セクシャリティーを自分自身の性癖に従って、オーダーメイドすることに長けたゲイやバイセクシュアルな人々は、「男として男を愛したい」や「女の身体で男を愛したい」や「女の身体で女を愛したい(男性)」、「男の身体で男を愛したい(女性)」などなど、その組み合わせを自由自在に愉しんでもいる。

 だとすれば、ボーイズラブは「男の身体で男を愛したい(女性)の欲望が最もストレートに表現されたものともいえる。ヤマシタトモコの名作マンガ『くいもの処明楽』で「俺、アンタが好きです」と口数少なくド直球で告白し、静かで燃えたぎる情熱でもって、ノンケの店長をオトスことに成功するバイト島原の心意気を、もし私自身が実行すると想像した場合、自らの女性の肉体と文化コードは全くセンスに合わず、相当邪魔くさいことは確かなである。

ロスアンゼルスに住み、現代美術の仕事をし欧米の難物ギャラリーと丁々発止の交渉をこなす真に知的な友人のNも40代後半でボーイズラブファンなのだが、さらに過激な事を言う。

「たとえば、私のように小難しく、いうなれば知性的な主人公はたいてその恋愛を真にリアルに描くとしたら、女の肉体は重いし、鈍感すぎる。フエミニズムの人には怒られちゃうけど、知性の乗り物としての女の肉体はあまりにも歴史が浅く、文化的な合意も少ないからなんだけどね」

 女が女装するのと同様、もし、女が男の肉体に”着替える”ことができるのならば可能な恋愛の物語が、ボーイズラブにはてんこ盛りなのだ。
 つづく 2章スピリチュアルな女