ロハスとはLifestyles Of Head Sustainability(健康的で持続可能な、もしくはこれを重視するライフスタイル)の略で、要は、「エコロジーなんだけど、もう、生活全般をガチガチにそれ系にするんじゃなくて、たとえばサラリーマンしながらも、続けられるようなエコ行動意識」を示す言葉である。

5章ロハス、エコ女

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 ロハスという言葉を私が初めて聞いたのは、世間よりも早かった。
 IT関連の出版社を立ち上げた友人と食事をしたとき、彼が「今、アメリカでLOHAS(ロハス)と呼ばれる新しいマーケットが注目されていて、それを日本で積極的に仕掛けたいんだ」などと熱弁を振るっていたのだった(多分2004年ぐらいのことだったか。この会話からほどなくして、雑誌『ソトコト』がロハスを大々的に特集したことを覚えている)。

【広告】人間のすることで、持続し続けるものを挙げることは難しい。苦しみは必ず終わる時が来るが、喜びもやがてはかき消える。だから、人は希望を持っても単純に喜ばないことだ。
 夫婦になれたことを単純に喜ぶのではなく、夫婦は苦難を背負うことだと意識し、ふたりはもともと違う種の人種であり、夫婦の有り様が親子関係に近い親密性が深まった場合、いずれ崩壊する場合が少くなくない。夫婦とは愛情とセックスという動体表現により結ばれたのであり、その動体表現は少しづつ変容していくが特にセックスそのものに飽きがこないよう新たな工夫を創造することで刺激と興奮の連鎖によって別物のに近いと感じられるようなオーガズムが得られるのが望ましい。
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ロハスとはLifestyles Of Head Sustainability(健康的で持続可能な、もしくはこれを重視するライフスタイル)の略で、要は、「エコロジーなんだけど、もう、生活全般をガチガチにそれ系にするんじゃなくて、たとえばサラリーマンしながらも、続けられるようなエコ行動意識」を示す言葉である。

「そりゃ、ハイヒールを履きつつ可能なエコっていうことか」とその時私が思ったのは、当時Jポップ界で活躍していた巫女的な自然&女性性礼賛のエコ歌姫のことを思い出したからであった。彼女たちのステージでは靴を履かず、裸足になって歌を歌う。もちろん、裸足は文明批判のメタファーだろうが、リアリティーあるエコというならば、ハイヒールという分化を捨てずにそれを実践することにほかならない。

思った通りロハスはほんの数年で、世の中をそれ一色に染め上げてしまった。ハイヒールを履きながら自分が出来ることをすればいい、なら、ワタシにもできます、ということだ。

 ロハスという言葉自体は、現在はエコ(エコロジー)と同義になりつつある。しかし、環境問題よりも、身体や健康、そして生活など身近なライフスタイル方面に使われることが多く、ぐっとスタイリッシュなイメージがある。

 日本におけるエコロジー運動は全共闘運動家からの転身組が大きい働きをしており70年代からというそれなりの歴史がある。一方で、ロハスは元来がアメリカにおける、90年代以降の新たな消費ビジネス用語だ。つまりは、ロハスという概念がでてきたからこそ、企業も大手を振って元左翼のエコ・フィールドにおじゃますることができたのだ。

 面白いことは、有機、自然農法素材を使う、いわゆるエコ飯のレストランでは、左翼系流れの店はメニューに能書きがやたらと多く、レジ横でハードなエコロジー関連書籍を販売していたりする。一方、ロハス以降の店は声高にそれを語ることはしない。雑誌が店内にさりげなく置かれていたりもするが、インテリア雑誌から抜け出たような空間デザインの居心地の良さの方がずっと饒舌なのである。「能書きはいいから、とにかく気持ちよさを感じて欲しい」というのは、これぞ、ロハス、定番の物言いである。

 もともと、エコロジーやロハスというものは、女性にフィットしやすい性質を持っている。エコの基本概念は科学万能主義と近代化による自然破壊にもの申す! というところにある。地球環境をメチャメチャにしたのは、男性がイニシアチブを取って進めてきた近代化、工業化の結果であり、その見直しや方向転換については今まで主流には成り得なかった、女性的な特質がそのキーになるという考え方だ。

古くは万里の長城を造った秦の始皇帝や、砂漠の真ん中にラスベガスをぶっ立てたベンジャミン・シーゲルのような、男のロマンのフロンティア思想はもはやアウトで、闘争より協調、支配より共感、ヒューマンかつ自然と融和して生きる思想の方が本来的だ、というわけだ。生理や妊娠はあるわ、で男性よりも、意思とは関係ない自然な身体を体感することが多いことからも、エコやロハスは女性名詞的な扱いをされることが多いのだ。

ロハスという名付けで、気軽になったエコ

「大上段にエコを語るのではなく、身近なところから考え、実践しましょう」というのが、ロハスやエコに深い関心がある女性の大多数の考え方である。

 ライフスタイルは様々あれど昨今の地球温暖化や海洋汚染、添加物による健康不安を考えるに、出来る事から生活をエコにシフトしていきたい、といった取り組み方だ。

 電車やタクシーに乗り、しゃぶしゃぶを食べるたびに罪悪感を感じていたら日常生活は営めないわけで、そんな中でも個人が思うところの持続可能なエコロジー行動に出ればそれでよし、という考え方は、雑誌『ソトコト』『エココロ』などにも通底する現在、主流のアプローチである。

 食品、化粧品、石鹼も含む洗剤をエコにシフトする、エアコンのかけすぎ禁止などなど、まずは自分の身体に関わるような消費行動に変化が現れ、その影響はメーカー側にも届き、あるトレンドを形成している。科学的な家庭用洗剤の替わりに、安全、安心な重曹がマーケットの棚に気の利いたパッケージで並び、名もないメーカーの良質な自然化粧品が、インターネットなどの口コミと通販で高セールスを記録するようになった。

 オウム真理教や70年代ヒッピー的なイメージがあったヨガも、ロハスの名の下にマドンナをはじめとしたハリウッドセレブのエクササイズ、と再定義がされ、女性の間で継続的な人気を保っている。ファッション化したと言っても、チャクラやマントラのようなスピリチュアルな伝統はそのままダイレクトに伝わっており、フラダンスやベリーダンスのような精神世界とも相通じる身体術は大変に身近なものになった。ちょっと前まで、変わり者や趣味人しかやらなかったこれらのアイテムはロハス以降一般化したと言える。

食ジャンルの意識革命

 食の世界は、最も大きくロハス、エコ意識が反映されたジャンルだ。
 都市部では塩素が入った水道をそのまま飲むということは少なくなり、浄水器かペットボトルの水ということが普通となった。かつては「腐らないおにぎり」というような風評だったコンビニ食も、保存料、着色料無添加などを意識したものになり、実際に、消費の動向が変化した。中でも大いに変わったのが、外食に対する考え方である。

身体にいい有機野菜や素材を使っている、というのが、少なからず店を選び、メニューを選ぶときの基準となっているのだ。

 きっかけは、実はダイエットだったりもする。ダイエットをきっかけに身体にいいロハス的な食事に行き着いたというのはよくある話で、玄米、菜食のマクロビオティック、断食、薬膳料理などを含むホリスティックな食事療法の知識は、雑誌や口コミを通じて驚くべき深さと広がりをもって女性の間に浸透している。

 また、自然食系のレストランは女ひとりメシの最も居心地の良い場所でもある。都心のそれ系のカフェやレストランに夜入ってみると、テーブルのほとんどが文庫本や雑誌を読んで、夕飯を食べている女性ばかり。古くからやっている元左翼系のエコ飯屋は、名物店主を中心に一種の疑似家族的な常連をつくることが多いので、そこは容易に自分の行きつけのキッチンとなる。

 もし、自分がひとり暮らしを始めるとして、そのエリアを決めるとしたら、帰宅後や休みの日に美味しい自然食が食べられるカフェや店がある、などというのはかなり高い条件だったりするのではないか。中目黒、自由が丘をはじめとした人気の東横線沿線、吉祥寺や下北沢はそんな条件が揃っている街でもある。

 手作りのお弁当も人気だ。面倒だし、貧乏くさいということで、働く女性には評判が悪かったが、ダイエットにエコ意識が加わり、かつ、お金の節約にもなるというので、今や実践者は増えている。女性は自炊する率が高いが、自分で作るご飯だけは、マクロビオティックや有機、自然素材にこだわりエコ飯を実践する人は大変に多い。

女友達の家に食事に呼ばれたりすると、素材にこだわった一品に彼女がベランダで育てているミントやローズマリーがあしらいにちょっと乗っかったりもしている。

ロシアのダーチャに続けの住環境革命

 自分にとって気持ちがいい環境を整えるということも、ロハス思想の中では重視されてくる。もともと、サーファー的なライフスタイルの土壌があり、湘南新宿ラインの整備で通勤圏としてずっと身近になった逗子、葉山、鎌倉などは今や憧れるだけではなく、マンションの契約更新や購入を女性が考えるとき、一度は心を動かされる土地柄だ。

「夜、うだうだ残業したり、つきあい酒をして毎日深夜帰宅するぐらいだったら、こういう所に引っ越して、逆に朝一に海に出てサーフィンもしくは犬の散歩。早出出勤してさっさと帰った方が精神にも仕事にもいい」

 というロハスの優等生のようにライフスタイルは、男女問わず周囲にひとりでも実践者がいると、恐ろしい勢いでそれが伝播していくものだ。センスある訳あり物件などを紹介して人気の不動産セレクトサイト「東京R不動産」には、RELAXという郊外物件のサイトがあるが、「鎌倉で築40年の一軒家なら、いいかも」とか、「200平米、800万で沖縄の土地が買えるんだ‥‥」とパソコンの前で思いをはせる女性は決して少なくないだろう。

 ロハスなライフスタイルを提唱する雑誌のひとつ『クウネル』にロシアのダーチャが特集されたことがある。ダーチャとはロシアの都市郊外にある農村付きの別荘のことだ。モスクワでは政策上、都市部の住宅は大変に狭い。その代わり郊外にダーチャを持っていて、週末や休暇はそこで生活するという理想の別荘生活があるといのだ。この特集を周囲の女性の多くは読んでおり、今でもたまに話題になるほどである。

 そんな会話の中で、複数の知り合いが頭割りしてリゾート物件を借りるというよな「レンタル・ダーチャ構想」のようなものも出現した。都市部に住むサーファーの中には、海岸のワンルームをボード置き場として共同で借りている人たちもいるわけで、この分野はほんの少し背中を押してやるだけで、大いに女性が飛びつきそうな大型消費ではある。80年代にトレンディードラマの『抱きしめたい!』が、主人公の女性たちが住むフローリング+天井高、コンクリート打ちっ放しのデザイナーズ物件を一気に一般化したようにロハス環境物件を巡るひとつの物語が流行ればこのマーケットは劇的に動く気がする。

 男よりもシビアに老後について考えることが多い女性は、気が合う女友達同士で物価も安く、空気のいい田舎でもって安らかな共同生活、などという自主助け合い老人ホーム構想さえも持っているかもしれない。沖縄? いやいっそ海外か。インターネットと大旅行時代に生きる女性にとっては、全くリアルな未来だ。

所有せずレンタルがカッコ良い

 ロハス、エコ意識は、慢性的買い物依存症に陥りやすい女性にひとつのトレンディーな歯止めをかけたとも言える。

 ゴミに関して意識的にならざるを得ないロハスは、当然、「ムダなモノは買わない。本当に必要ないいモノだけを買う」ひいては、「所有しない」という結論にも至る。
ファッションで言うと、ユニクロとディオールだけでいいという考え方だ。ただし、節約や清貧の思想とちょっと違う所は、支出の総額は変わっていない、ということ。

たとえばボーナスで自由になる15万円があったとしたら、アレキサンダー・ワイのジャケットに12万円払って、後はユニクロで3万円、といった具合の消費だ。モノが増えると住居空間が狭くなる。土地が狭く、家賃が高い日本でその床面積をモノが占領している状態はゴミに家賃を払っているようなもの、という考え方は今、多くの人に浸透している。

 インターネットオークションでも興味深い現象が出てきている。知り合いの30代前半の女の子は、ジル・サンダーの大ファンなのだが、買った服をシーズン中に着到した後はさっさとオークションで売ってしまい、次のアイテムを買うのだという。彼女のような消費スタイルを持てば、常に流行の先端を着続けることが出来る。そして、ひとつの服がタンスで死蔵されることもなく、いろんな人の手に渡ってハッピー、というわけだ。

「アンチ所有」すなわちレンタルというアイテムもロハス以降、新たに再認識されている。所有のパワーバランスや所有欲というものが地球の貧困格差や環境諸問題を引き起こしているのは事実だからだ。レンタル業者だけでなく、インターネットを通じて、ウェディングドレスを貸す、などなどのお小遣い稼ぎの個人のレンタル業者もこれからは増えていきそうだ。

専業主婦の欲求を満たす、強力アイデンティティ

 ロハスにハマる女性のもうひとつの在り方として、これをアイデンティティもしくは生活思想の根幹ととらえる真剣&ハードコアな方向がある。

 働いている女性とは異なり、専業主婦の場合、エコの実践にのめり込む時間も機会も多いのでこの方向の潜在入り口は多い。彼女たちの最大の関心事は子供。ロハスとエコに関心を持つ最大動機のひとつは「子供たちの世代になったとき、果たして地球環境や彼らの身体は大丈夫なのか」ということだ。毎日子供と長い時間を過ごす専業主婦が、その想いにかられるのは当然で、ましてや子供がアトピーなどのアレルギー体質ならなおさら、水、食べ物を安全安心なものに替え、自分たちの家庭内だけではなく、ゴミの分別を徹底したり、エコ的な集まりや運動に関わっていくことは自然な流れだ。

 それを極めれば化繊の下着や洋服は絶対拒否、化粧品も手作り、化学的な薬は飲まない、というエコ原理主義的なライフスタイルに行き着く。信じるに足りる大きな物語が失われてしまった今、エコだけが遣り甲斐のある強力な外部アイデンティティとして光を放ち続けているゆえに、活動にはおいおい拍車がかかる。

 しかし、これも致し方あるまい。今は女の時代などと言われているが、その歴史はあまりにも短い。先日、深夜テレビで、団塊の世代のメディアプロデュサー、残間里江子が「団塊女性は学生まで男女同権感覚でいたのに、いざ、就職になるとお茶くみ以外全く受け手が無く、専業主婦の道以外残されていなかった」と話しているのを聞いて改めて感じ入ってしまった。

働いていたら出世しそうな能力とエネルギーがあり、かつまた学生時代は優等生であった女性が専業主婦の中にはごまんといるのである。その一方で、家事労働や地域の主婦的おつきあいなどというものはどんどん軽減の方向に向かっているので、そのパワーは発散する場が無く溜まる一方だ。とすればお受験やスポイル子育てはいいとして、後は不倫しか残されていないそのガス抜きに、エコというジャンルがぴったりとハマたとも言える。

 今時代は「働きながら子供を産み育て、なおかつ一生モノの誇りある仕事を続けて裕福」という女性象が理想である。しかし、ロハス、エコアイデンティティは、「こんなだったら、仕事を辞めなきゃよかった」、「あの時分の世間の空気に負けて、今は有職女性に対して鬱々としたものを抱えている」という専業主婦のコンプレックスを一気に吹き飛ばすパワーがある。ロハス、エコ分野は、時代の追い風もあり、専業主婦が優位にさえ立てる。誰から後ろ指されない最強の居場所なのだ。

新興宗教に成り代わり、心のスキマを埋める

 こういった女性の心の空洞と行き場のないエネルギーの外部の受け皿のひとには、戦後、新興宗教というものも大きな役割を果たしていたが、それがここに来てエコ分野に取って代わられたような感じもある。ハードなエコはむろん、生活全体を禁欲的に律していくことに他ならないし、共存や共感を旨とし、伝統的療法や身体術やスピリチュアルといったオルタナティブな方向、生きとし生けるものへの愛と共感など、エコには宗教と重なる部分が多い。

 エコロジーの中でも特にそこのところの欲求に応えてくれるのが、イルカ、クジラなどの大型海洋哺乳の愛護を主眼としたムービメントである。

 もともとこれは、70年代のヒッピーカルチャーの渦中に発生した思想運動であった。脳科学者で自身のLSD体験をともにしたアイソレーション・タンク(感覚遮断タンク)による人体と精神の隔離実験やイルカの脳の研究などで知られる、ジョン・C・リリー博士の言説などから、イルカやクジラなどの海洋哺乳類を「進化の途中で平和的な道を選んだ種」として尊び、彼らと親しむことで人間が大いに癒されることができるという思想が、当時の先進国の若者たちに大いに支持されたのである。

 この思想が人々に広まったきっかけは、実在のフリーダイバー、ジャック・マイヨールをモデルとした映画『グラン・ブルー』の大ヒットであり、その影響が90年代後半に様々な形になって私たちの前に現れた。イルカと一緒に泳ぐドルフィンスイムやホエールウォッチングなどの新機軸のツーリズムは90年以降、日本でも伊豆七島や沖縄周辺などで活発に行われることになった。

そこに大挙して集まったのは女性たちであり、いわゆるイルカ女、クジラ女(といささか批判めいた言い方を『SPA!』などでされていた記憶アリ)というひとつの種族〈トライブ〉を形成している。

 当時の、仕事で話をする機会があったNPOの主宰女性たちのすべてがドルフィンスイムの最中に「イルカと心が通い合った」という自己体験を熱く語り、その没入度の強さに驚かされたことがある。無垢で可愛い動物たちが人間の環境破壊でひどい目に遭っているというビジュアルは、人の心に最大級の情動を起こされる。イルカは何と言っても「人と一緒に遊んでくれる」わけだから、そのパワーはマックス級。

イルカのガラス細工と写真が飾ってある彼女たちの部屋のワンコーナーは、まるで祭壇のようであり、イルカ、クジラを神格化した一種のアミニズムのようでもあった。とすれば、NPOの主宰女性たちはその教祖様か? 彼女たちは、仕事のやり過ぎで身体がボロボロ→精神状態も悪くなる→イルカ、クジラに出会って生き方転換→これを人々に広めたいと思い活動開始、というストーリーをもれなく踏んでおり、このあたりも、新興宗教やスピリチュアリズムが持つ“入門ストーリー”と激似、なのだった。

女性起業家にとってのフロンティア

 久々に旧友たちの集まりに出たら、ある印象的な再会があった。
 主婦のK子である。活発でチャーミングな彼女は大学を卒業してからある有名メーカーの秘書課に配属になった後、社内の企画コンペに勝って、念願の宣伝部に異動した。

女性としてはやりがいのある仕事に就いていのだが、結婚相手がオーストラリアに転勤するということになって仕事を辞めて専業主婦になった。三人の子供のお母さんになった彼女とは10年前の同窓会でも会ったことがあるのだが、当時、仕事を辞めてただの主婦なってしまったことの不満をちらりちらりと口にしていた記憶がある。

 ときどき、意地悪光線も発したりして(例の子供がいなくて気楽でいいわね!発言の類です)、K子お前もか、とがっかりしていたら、つい最近の同窓会で会った時には、髪もばっさりショートにして往年の輝きを取り戻しているではないか。聞けば彼女、環境保護のためのNOPとフェアトレードの商品サイトを立ち上げてのだという。

中堅会社の経理をずっと担当し、地味で堅実な負け犬さんをやっているもうひとりの同級生S子が、「頼れるモノはお金だよね。FX投資ってどうなの?」などと話を振ったら、大真面目な顔して「お金は本当の生きがいにはならないからね」と反論する。

そりゃそうだ、とうなずいたが、実際の所は、「金を目的にしない」K子の方が、中小企業で別に取締役になるでもなく定年退職を迎える負け犬S子よりも実質年収が高くなるような感じもある。

 そうロハス、エコ分野はもともと女性にフィットしているだけに、女性であることがハンディにならない。それどころか、むしろ追い風になって、優位に活動できる希望のフロンティアだったのだ。インターネットも女性のエコ起業に大きく貢献した。初期投資はそれほどいらないし、家事や子育てとの両立は断然しやすい。

 また、女性の本来的に生き方やライフスタイルに直結するような仕事が好きである。もともと男も女もそういう仕事を持つことが望ましいのだが、男性の場合、仕事を自分の本質と切り離して、距離を置きつつクールに随行することにプライドと喜びを感じるところがあって、不承不承の仕事もいつしか慣れ、そのまま続けて定年定職、という方が圧倒的に多いだろう。

 そういったロハス、エコ仕事の中で、大流行したのが、カフェやレストラン、総菜屋など飲食関係だ。有機野菜などの安全安心素材にこだわることはもちろん、マクロビオティックや素材をなるべく加熱しないローフードなどなど、ありとあらゆるエコ飯のジャンルの店が女性によって企画され、運営されてきている。それらの特徴はというとさすがにインターネット時代ならではのホームページによる情報発信の充実、関連レシピ本出版展開などに備えていて実にメディアミックス的だ。

 ただし、それゆえにこういった店の場合、発信側の店の女性店主はハードコアなロハス、エコ思想家の方がずっと成功率は高くなる。消費者側の態度はユルエコでも発信側に揺るぎないものがあった方がキャラとしてはわかりやすいからだ。雑穀を中心とした数々のレシピを創作、体と地球に平和を取り戻す「ピースフード」として提唱している、「つぶつぶカフェ」の大谷ゆみこ、

アジア旅行をきっかけに食の世界へ入り、逗子でカフェ「coya」を夫と営む根本きこ、48゜C以下で調理し食物の持つ酵素を生かすリビングフードを提唱する「ベジパラダイス」のいとうゆきこなど、この道のパイオニアである彼女たちの姿勢は生半可なエコではなくかなり徹底している。みごとなほどに、思想と生き方、そして職業として完全一致しているのだ。

彼女たちのレシピ本にはもれなく、この道に入ったきっかけやライフスタイルが掲載されており、ひとつのロハス的な生き方の手本として読むことが出来る。こうなると、もはや女優やタレントの域。逆に芸能界側もこのフィールドを見逃すはずもなく、高木美保が田舎暮らしの兼農女優としてブレイクしたのを皮切りに、工藤夕貴やエコふんどし着用が話題となった高樹沙耶(ホームページによると、現在、本名の益戸育江として活動中)が加わり、気が付いて見ると浜美枝が農政ジャーナリストを掲げたりの百花繚乱ぶりなのだ。それぞれにキャラも立つハードコア、エコ飯カフェやレストランオーナーたちは、新しい文化枠、としても活動のエリアは今後ますます広がっていきそうだ。

農家の嫁、ではない女性の職業農家の可能性

農家の嫁、ではない女性の職業農家の可能性
 エコ意識に目覚め、食素材の出目にこだわり、ベランダでハーブを育てはじめる行為のその先には、農業、というライフスタイルが見え隠れする。

 前述した、湘南や千葉の郊外に移住して、ロシアのダーチャ的な兼農生活を実行するような人たちが増えていくだろうことは想像に難くない。テレビ番組では毎週のように、実践者たちを紹介しているし、「年取ってから農業はムリ」といったような固定概念は、「案外やれちゃいましたよォ」という登場人物の笑顔の前では力を失ってしまう。

 しかし、職業としての農業を女性が選ぶ、という場合、ここに大きな現実の壁が立ちはだかる。
「農家の嫁」問題だ。
 果たして、女性が結婚すること無しに、農業という職業を選ぶことは可能なのかというと、そういう実例はあまり聞いたことがない。おばあちゃんひとりで細々と畑を作っている例はあっても、その土地は婚家から受け継いだものであり、たんに彼女は生き残っただけである。家業である農業は、伝統的に嫁をただの働き手とみなしてきたわけで、その不自由さ、社会的な地位の低さが明らかだったからこそ、農家は深刻な嫁不足になり、フィリピンから嫁を“輸入”する事態に陥ったのである。

 高畑薫監督のジブリ映画『おもひでぼろぼろ』には、山形の義兄の実家へと一人旅し、興味を抱いた農業に出会い、熱中するものの、がっつりと農業と向き合う覚悟なんて全くない27歳のOLタエ子が出てくるが、その“覚悟”のハードルの高さがまさに問題なのだ。そこに農業の長男との恋愛があったからこそ、農家の嫁になって農業と生きる、という決断が出来たのだが、現実的にそれがものすごく確率の低い夢物語であることは明らかだ。

 もともと、若者の仕事の動機なんぞは、興味本位でいいはずだ。海外で活躍したいから商社マンになり、酒が好きだからビール会社に入る。土にさわるのが好きで、植物を育てるのが好き、という純粋な動機をかなえる現実的な方法が、女性の場合、農家の嫁になるしかないのは、あまりにも理不尽だ。これは女性だけでなく、男性にも言えることで、農家に繋がる近親が全くない男性が農業を志すのはやはりたやすいことではない。

 ただし、これだけ地方が衰退し、旧来的な農業のシステムが行き詰まった状態の現在、新たな試みやチャンスも増えてきた。何せ、ロハス、エコの大潮流が来ている今、農業をやりたい率、はかつてないほど高まっているのだから。

 一つの回答として農業を企業法人化する、というアイディアが現実的に実行されている。北海道にノースプレインファームという、日本酪農の創始者、黒沢酉蔵(とりぞう)が提唱している環境農業をコンセプトに活動を続ける会社がある。同社は全国から社員を募集して、酪農、農業関連に従事してもらうというやり方を取っている。要するにサラリーマン感覚で農業を一生の仕事にできるわけで、たとえば、ずっと都会で働き、しかし農業に関する情熱が沸々と湧いてきていてもたってもいられなくなった30代以上、いい年をした独身女性の再就職先としては、実に魅力的だ。そういえば、本業は別にありながら農業に参入する大手企業も増えている。

 この話を、農業物流コンサルタントであり、『日本の「食」は安すぎる』の著者でもあるやまけんこと山本謙治にしたら、企業の農業参入は、上手くいっているところはほとんど無いのではないか、とのこと、その理由は『儲からないから』なのだという。

この問題に関しては氏の著書を読んでもらうこととして、他にそういった受け皿はないのか、と尋ねたら、農業法人の存在を教えてもらった。企業的な農業経営を行っている法人形態の農家であり、近年、力を付けてきているという。

「女性の職員はホントに今、多いですよ。今、農業はそれを加工して商品化し、販売するところまで考えないといけないんですけれど、こういうところに女性の能力は生かせる。だって、消費者のセンスに近いわけですから」とのこと。

 しかし、この法人でスキルを取得していざ独立、となったときには、またもやパートナーや共同体の問題が出て来そうにも思える。たとえば、こういう例もありそう。志を一緒にする男性同士、女性同士、また、婚姻関係にない男女がいたとして、それがともに農業起業して一緒に働きたいと言った場合、日本の農村カルチャーの中でどこまでそれが容認されるのか、といった問題である。
 
武者小路実篤が理想の農業共同体として開いた「新しき村」は、実は財団法人として現在も埼玉県入間郡に存続しているが、かつては思想や運動だったこの形式を、カルト化やセクト化することなく発展させたニューバージョンが欲しいところだ。

ユースカルチャーの中では、自然の中でDJプレイをし、大いに踊りまくるレイヴが存在しているが、かつてのヒッピー文化水脈とも繋がるその支持者たちは、非常に農業コンシャスでもあり、そういった集団が未来の新しい農業の担い手になっていく可能性もあるのだ。

 都市部にあるエコ飯屋、カフェやレストランは、安心安全素材にこだわる産地と直接取引をしているところも多い。とすれば、次なる展開は、その産地そのものである農業にも彼女たちの想いや才能が生かされるべきだろう。多くのエコ飯屋にはすでに客とのネットワークが出来ている。そこと農業の現実を結ぶことはごく自然な流れだ。エコ飯オーナー周辺と地方の農業の現場が出会う、一種の“お見合い”をやってみたらどうだろう。

食品開発やリクルーティングなど、そこから生まれる“何か”があるような気がする。その様子はしっかりとテレビがバラエティー報道して、視聴者という大衆に応援態勢をとってもらってもいい(東国原宮崎県知事の露出による、経済効果はバカにはできない)。中目黒の「カフェエイト」(デザイナーの女性がふたりで始めた、センスと実力を兼ね備えたベジタリアン・カフェ)が農園を始めたとしたら、この私とて就職してみたいものだ、と妄想するくらいだからだ。

つづく 6章デイリーエクササイズな女