50歳前後に見えるショートカットの母と20代後半の娘。ニューヨークへのふたり旅だろうか。母はブルーサテンの背中の開いたドレスを新調したらしく、「似合うかしら?」と娘に聞いている。ふたりはジャズクラブに行って音楽に身を委ねる。娘に彼氏のことをさりげなく聞く母。終演後、高揚したまま店の外に出たふたり。ストリートに出て来るとスカートを翻し、踊る母――
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マスターカード、プライスレスのCMは、自分探しと癒しのインド旅女性などを描き、女性の中にある欲望を抽出するのが大変に上手いが、2006年の冬から放映された母と娘編は、いわゆる現在のニッポンの母娘の『あり得る』姿を映し出していて非常に興味深いものがあった。
このシーンをよく成立させるストーリーあるとすれば「社会人になった娘が、ボーナスで母親をニューヨークに連れて行く」という物語だろうか。一見、ゴージャスな親孝行話だが、ニューヨーク行きオフを狙えばバカ高いわけではないし、クレジットカードでためたマイレージを賢く使ったのかもしれない。現地のホテル、レストラン代は親持ちの可能性が高く、親孝行と言っても、娘からの新手の“おねだり”にも近い。
もうちょっと、想像力を働かせてみよう。ジャズクラブという行き先を決めたのは多分、母親の方だろう。なぜなら、40代後半から50代の彼女の思春期の音楽事情といえば、ボズ・スキャッグスなどのAORや、フュージョンやジャズがおしゃれなデートミュージックとして幅を利かせていた時代である。
斑尾ジャズフェスがトレンディーだった時代であり、彼女のレコード棚にはボーイフレンドから当時借りたままになっている、ジョー・サンプルのアルバム「カーメル」がまだあるかもしれない(ニューヨークで本場のジャズを聴いてみたい、ってかつての彼氏が言ったっけ)。娘ももちろんジャズは好き。しかし、親しんでいるのはジャイルス・ピーターソン系のクラブジャズやペン・ウェストピーチ、そして、カフェで聞くボサノヴァといった方向だろう。
ニューヨークの本場のジャズを聴くという体験は、ふたりにとってとてもエキサイティングな体験で、子が親に付き合ったり、その逆だったりの親孝行にありがちな“我慢”は少しも感じられない。団体旅行ではなく、もちろん手配旅行であり、チケットの手配から、ホテル、レストランやジャズクラブの予約をインターネットで行ったのは娘の方だ。
英語のヒアリングが不得手の日本人にとって、これまで、実のところ面倒だった海外のレストランやホテルの予約はインターネットによって本当に楽になった。
見事なまでのバーター親孝行だ。娘の親孝行の気持ちと現地に関しての様々な情報収集の見返りバーターとして、親はそのコストの方を受け持つという両方にお得な関係がそこにある。
いつまでも遊びたい親と子の関係
このようなバーター親孝行が近頃氾濫している理由はいくつか考えられる。
まずは、親の方が団塊世代の年功序列滑り込みなどで、まだまだ資金に余裕がある事に対して、子供の方の経済状況はというと、活動期真っ盛りでいくらお金があっても足りないという事情がある。昨今の事情から、バイトや派遣生活で余裕が全くないか、正社員でも低賃金に泣いているかも知れない。
加えて、母親世代が大変に元気なのだ。20代前半に海外旅行ブームやパルコ、丸井が乱立し、現在につながる快楽消費を経験し、「母親でなくいつまでも女」という歳のとり方に憧れと共感を持った世代は、子供というチャンネルによってもたらされる新しい消費や快楽に興味津々なのである。
たとえば、娘が行きつけのエステに母親をさそったとしたら、その昔は「こんなオバサンが、今さら、肌にそんなにお金をかけるなんて」ということになりそうだったのに、今ならば「ちょっと、私も行ってみようかしら」というウキウキした返事が返ってきそう。
プライスレスの娘が母をホテルに残して別行動をとるとしたら、大音響がとどろくニューヨークのハウス・クラブでの夜遊びだろうか?いや、それをひょっとしたら、「面白そう!」とノリでついてきちゃうような母も少なからずないのでは? なぜなら、母親の思春期はディスコまっさかりだったのだから。
そういえば、プライスレスCMの方には、母娘の回想シーンに日本に残してきたお父さんが同僚と居酒屋でガハハハと酒を飲むシーンが登場する。ならば、父と娘、父と息子の場合、こういったニューヨーク行きのような親孝行が成立するのだろうか。「家族に滅私奉公し苦労した母親」へのご褒美としてもたらされるものなので、そこに父親の存在はうまく当てはまらないような気がするのだが。
しかし、団塊世代以下の父親は仕事人間ではなくて、趣味人も多く、サーフィン、バンドを含む音楽など、もし子供と趣味があった場合には、こういったバーター親孝行は充分考えられる。マイク真木と息子の真木蔵人、Charと息子のJESSEなど、業界に存在するカッコ良いイメージモデルの影響も大いにありそうだ。
俳優の長塚京三とその息子で演出家の長塚圭史の場合、父のひとり芝居を息子が作、演出して、その舞台は双方の名を上げたが、これなんぞは、才能の交換という最高のバーター親孝行とも言える。
父は、反発し否定して乗り越えていくものではなく、同志や仲間に近い共犯関係の相手となることが、父子ともに理想の姿なのである。
再開発ビルおしゃれディナーのお得意様
子供の方から親を誘う場合もあるが、親の方が子供に声をかける逆パターンも多い。六本木ヒルズやミッドナイトタウンのような新しい東京名所のレストランなんぞを見渡すと、意外に年配の客が多い。両親とその子供のカップル四人組や母と娘、孫まで入れた三世代の姿も休日には目立つ。これは、典型的なバーター親孝行で、子供たちはそういった最先端の場所のツアコン、親たちはスポンサーになってともに時代の風に当たりに来ているとみてよい。
たとえば、「誕生会、祝ってよ!」という母親の為に、子供はランチしか行ったことのないミッドタウンのメキシカン・キュイジーヌ「ラ・コリア」のテラス席を予約して、バースでソングをマリアッチのバンドが歌いに来てくれるようなオーダーをしておくのだ。
あるいは、新丸ビルにある「バルバッコアクラシコ」でストップと言うまで肉がまわってくるブラジル風バーベキューを思う存分楽しんでもよい。プライスレスな情報コーディネイトは子供側、お金は当然、親側という適正取引である。それを親が喜ぶかどうかだが、このあたり、母親側はそうとう年配であってもついていけそうな気配がある。東京の新開発インテリジェントビルのレストランのターゲットは、30代、40代の大人の男女ということだろうが、フタを開けてみると、かなり年齢の高い層が見受けられるのだ。
この間も新丸ビルにあるセレクトショップ「アッシュペーフランス」に立ち寄ったとき、いくつかのデザイナーズ・アクセサリーをあれこれと試していたら、歳の頃なら65歳ぐらいの派手なオバサンが近づいてきた。私と店員のやり取りを近くで興味深そうに聞いていて、「アラ、ステキ」と私の手にしたアクセサリーを次々と自分も試していき、大はしゃぎだ。
私は買うのを諦め、その代わりに店員と一緒にリングを彼女にお勧めしちゃいました。セルジュ・トラヴァルのリングは確かにオバサンのデコラ趣味とも重なるが、よもや、こういうマーケットが存在したとは店側も思っていなかっただろう。
お互いのネットワークに食い込んでいく母娘の輪
友達のような母娘の姿は、この10年間でごく自然な風景になった。ブティックでファッションの見立てをし、洋服を共有する、話題のレストランのランチにふたりで出かけるなどの行動は当たり前。一歩も二歩も進んで、娘のボーイフレンドと娘が一緒によく飲みに出かけたり、娘が尊敬する仲の良い先輩に母親を合わせる食事会を開いたりなど、ほとんど、ライフスタイルの共有のような現象すら起こっている。
知り合いの30代前半の男性には、20歳になったばかりのガールフレンドがいるが、彼は40代後半のその母親とも仲が良く、よく単独で呼び出されて一緒にお酒を飲むのだという。ちょっと危険な感じがしないでもないが、もし、一線を越える間違いが起こったとしても、かつてほどの大ごとにはならない雰囲気がある。
母親が娘をダシに使って、すぐに自分のものではなくなってしまったトレンディーで都会的な環境にデビューする、といったパターンは不動になりつつある。それだけではなく、最近では母娘それぞれのつきあいの輪が等価にシンクロするような状況も生まれているようだ。母親が働いていたり、サークル活動やら何やら活動的な場合、逆に親の社交のテリトリーに娘の方が参加する、などということも最近よく目にする。
この実例として、私が真っ先に思い出すのが、50代のふたりの女性とその娘たちの関係である。ひとりはコメンテーターとして活躍し、有名俳優の妻でもあるタレントのAさん。私が彼女と出会ったのは、あるグラフィックデザイナーを中心とした飲み会の席だった。
何でもデザイナー氏とAさんが仕事で知り合って呑み仲間になり、その後に娘さんを紹介され、彼はそちらとも交流があるという関係なのだという。彼女のスタイルとファッションセンスは抜群で、美しい50代女性の代表格とも言える存在だ。過去にAさんとうんと年下の思われるイケメンがふたりでレストランに入るところを目撃したこともある。
世間的には「すわ不倫?」となるのだろうが、現実にその姿を目にすると、そういう紋切り型が実にナンセンスだということがわかる。「世代は違えども、凄く面白い人なので、近況報告を兼ねて食事をしました」というような雰囲気が瞬時にイメージされたからだ。夫とも娘とも良い関係でありつつ、そういった男友達とオープンに交流できるというライフスタイルは、実のところ多くの女性が憧れる姿ではないだろうか。
もうひとりは浅野忠信監督作品などのプロデューサーでもあるKさん。彼女は仕事がら、20歳以上は歳下の現代美術作家と公私ともに交流があるが、娘さんはそういった場の空気を吸ううちに映像に興味を持ち、VJ(ビジュアルジョッキー)として10代の頃から活躍している。母と娘は大変に仲が良いが、かといって共存型ではなく、「娘の遣りたいことは最大限尊重する」関係である。彼女と娘とその共通の知り合いである男性写真家との三人に、野外の音楽フェスで遭遇したことがあるが、まるで小学生の仲良し三人組が遊びに来ているような雰囲気があった。
このふたりは両方とも業界人なので、「そういうこともあるでしょう」とも思うのだが、専業主婦の中にもこういった例がいくつもある。以前私が働いていた会社の上司の奥さんは、映画を愛し、ロックが好きでバンドの追っかけをやっているような50代の主婦だが、男女問わず彼女を軸とした独自の交流ネットワークが存在する。
彼女とその夫が主催する忘年会などは、大学生の娘が参加していて、マスコミ志望の彼女と今度は私が仲良くなって、仕事を発注したりの間柄になった。この場合、娘はそのあと留学してロンドンに住んでいるが、母親はこの間彼女の所に遊びに行って、彼の地でライブハウス巡りをしたというから、バーター親孝行は見事に成立していると言える。
母娘で萌える、アイドルエンターティンメント
親孝行として考えられる古典ネタは、温泉にグルメ、旅行などであろう。つまりは、親が喜ぶことを子供が与えてあげるという、文字通り「親のための孝行」が求められてきたわけだ。しかし、バーター親孝行の実践者たちは、親も子も共通に楽しめることが大切で、結果、どちらも我慢しない、というネタを選ぶことになる。
そこに浮上してくるのが、ジャニーズ、ヨン様を中心にした韓流、宝塚歌劇団などのエンターティメントだ。歌舞伎座、劇団四季、バレエなどもその中に入るかもしれない。母親と娘の二代、ひょっとすると、三代にわたるファンも珍しくないのが宝塚。
これらは、もともと観客席に女性が圧倒的に多い種類のものだが、90年代以降の中心的存在はジャニーズだろう。上は50代から下は小学生まで。それぞれの世代にアイドルのグループや個人を持ち、年齢を経ながら未だに活動を続けている彼らに、ファンの方も離れずについて行く図式だ。
行きつけの寿司屋の亭主とともに歳を取っていくことを喜びとする、または、贔屓の歌舞伎役者の芸の行く末を同じ歳のとり方を見守る、という日本古来の芸事とのつきあい方と同様の心情がそこにはある。その風潮に呼応してか、少年隊のミュージカルでは、メンバーの植草克秀の長男がジャニーズJr.に入って、父子で同じ舞台に立ったことが話題となった。彼がこの先ブレイクするなら、堂々、二代目の誕生である。これが今後300年間続けば、ひょっとすると未来の“歌舞伎”の誕生に繋がっていく流れかもしれない。
『冬のソナタ』主演男優。ヨン様ことペ・ヨンジュンの存在も忘れてはいけない。韓国ツアーや韓流イケメンブームは、思いの外拡がりを見せた現象だったが、これもヨン様を軸として、おばさま同士の新しい交流が生まれたり、グッズを集めたりの、“遊びネタ”満載だったからこそのブレイクだった。ヨン様にあんまり興味がない娘が、母親の「冬のソナタの現場や韓国をもっと知りたい」という欲求に便乗して一緒に韓国旅行に行ったり、韓国料理屋に出向いたりして、ともに楽しむというようなことは、巷でよく起こっていたものだ。
知り合いのひとりは、田舎から母親とその友達が東京に遊びに来た時、彼女たちの要望で新大久保のディープな韓国料理街を案内したという。彼女の話によると、母親はコアなヨン様ファンということではなく、ブームに便乗して遊び場を見つけただけという事らしい。「普段、実家とは連絡とってないんだけど、ヨン様以降一変した。ヨン様は口実で、娘の私とコンタクトを取りたがっている気がする」とは彼女の弁だ。
遺産相続を見据えた、プレゼンテーションの匂い
20代前半の女性にライフスタイルのアンケートを取ると、「家族や家庭を大事にしたい」というような答が意外に多く寄せられる。4章でも触れたように、そのまま、保守、反動ととらえてしまうのは性急すぎる。日本では離婚率が年々上昇しており、家庭という存在が盤石ではない。現在、30代の女性のひとりは「ウチは離婚まで行かなかったけれど、小学生のときに別居騒ぎがあって、子供心に凄く不安だった。だからこそ、きちんとした家庭を作りたい」と常々語っている。
毎日のように報道される、親殺し、子殺し、そして、引き籠りや老人の孤独死が伝えられてくるように、家族がお互いを信頼しながら、平穏無事に平和に暮らしていけるということは素晴らしい価値なのだ。
「孝行のしたい時分には親は無し」という古川柳があるが、この言葉が流通していたのは、盆暮れだけに形式的に両親に会っていればそれで事が足りたような放牧歌な時代だ。現在は努めて子から親に親孝行というコミュニケーションやプレゼンテーションをしなければ、つながりを確認できないという不安がある。
お笑い芸人、麒麟の田村裕の手になる『ホームレス中学生』には困窮した父から、「家族解散」を言い渡される彼自身と兄姉の姿が描かれているが、それが在り得ないことではない、ということを皆、無意識に感じているからこそ、熱のある親孝行モードが立ち上がるというわけだ。
法律ですら、テレビのバラエティーのテーマになることからもわかるように、様々な権利意識は人々の中で大きく育っている。とすると、親孝行の中に、将来の遺産相続問題がうっすらと見え隠れしてくる。桐野夏生の小説『魂萌え!』では、急死した父の財産をめぐって、同居を条件にすれば、母が相続した分を自分たち夫婦の店の開店資金に当ててくれるはずだ、と当然のことのように考えていた息子がしっぺ返しを喰らう。
「何にもしなくても、親だから子供の為にすべてをなげうってくれるはず」という常識は今や通用しない。親孝行モードの立ち上がりは、目に見えているコストがあるからこそ、親は自分たちのことを考えてくれるはず、という欲目も無きにしも非ずなのかも。
二〇〇八年初秋 湯山玲子
おわりに
市川崑監督に『黒い十人の女』という名作があるが、そこに活写された、調子のいいプレイボーイを一致団結して破滅させる十人の女は、また、「ひとりの女の中の十通りの個性」ともいうことができる。身近なモノやコトへの欲望が強い上に、それを絡み合わせて面倒くさくしてしまうのが女。外見がその人間の内面をそのまんま表す男性に比べると、世間の趣味趣向、生き方の複数をいいとこ取りしてハシゴしている女性は相当に複雑だ。
そして、ほとんどの女性が「ごく普通の女性」という外見や言動のウラにかなり過激で本格的な欲望を潜ませている。それを表に出さないのは、さんざん世間や男性の価値判断に翻弄され、傷つき、絶望してきたゆえの周到な「防御」であり、それがいつの間にか表向きは都合の良い態度となって出てきているにすぎない。
政治家、小池百合子の座右の銘は、彼女が少女時代にガールスカウトで叩き込まれた「そなえよつねに」という言葉だというが、これはまさに言い得て妙。表向きは優等生だが陰で悪の軍団を操る“裏バン”というキャラは学園モノの定番だが、女性にはおしなべてそういった傾向があるとみてよい。
現在、女性が男性化している、と、よく言われるが、私自身はあまりその実感はない。高度消費情報社会の状況下では、女性を女性たらしめていたい色んな幻想の鎧がひとつひとつ外されていくわけで、外された後にむき出しになった本体そのものは実は思ったよりも逞しく、自由で、とんでもない個性と欲望が普通に存在したというだけだ。
しかし、そこのところが肥大しすぎると今度は社会の方が怖気づいてしまう。そうなると、コミュニケーションであるとか、生きていくこと自体に問題が生じてしまうので、女性たちは“意思”として、改めて、鎧を付け直す、というような面倒くさい行為にも手を染めている。
「それ」をし続けることは苦痛でもある、と自覚しながらも、「自由」であることの快楽と意味を知ってしまった女性はもう、後戻りはしないだろう。アダムが食べたリンゴをイブは食べてしまったが、それどころか、今やそれをアップルパイやリンゴゼリーにまでテイスティーに料理をしまくっている状態、なのだ。あとは、その事実を厳粛に受け止め、女性ひとりひとりがそこにフィットした未来と社会を作っていくしかないのである。
本書は女性が持っている潜在的・本能的なインサイト欲求を明らかにし、女性に向けた新しいマーケットのデザインを行うべきであり、そこから開発されたマーケットやビジネスは、男性も含めた日本の消費構造を大きく変えるはずであると主張する、博報堂アーキテクト代表の大谷研一氏に大いにインスパイアされ、執筆を始めるきっかけを作っていただいた。博報堂クリエイティブセンターの早川裕見氏、以下携わる多くの人に鋭い指摘をして頂いて書き上げた。
二〇〇八年初秋 湯山玲子
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