ボディコンという身体のラインがぴったり出るセクシーなドレスが流行ったが、この語源はボディコンシャス。身体を意識する、という意味でファッション界では空気のように当たり前に存在するコンセプトだった がそれはもう一般化した。ちまたには身体にぴったりしたジーンズやストレッチ素材で身体にフィットするファッションがあふれ、タイツに包まれたスリムな足など必ずコンシャスな部分を残している

6章デイリーエクササイズな女

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 有史以来、人間がこれほどまでに自分の身体に意識を払っている時代は無かったのではないか。
 80年代、ボディコンという身体のラインがぴったり出るセクシーなドレスが流行ったが、この語源はボディコンシャス。身体を意識する、という意味でファッション界では空気のように当たり前に存在するコンセプトだったがそれはもう一般化した。ちまたには身体にぴったりしたジーンズやストレッチ素材で身体にフィットするファッションがあふれ、だぼだぼの服を着るビッグシルエットはモードとして存在するが、タイツに包まれたスリムな足など必ずコンシャスな部分を残している。

 健康である事はもちろん、身体をスリムに美的に保つこと、つまり年齢を感じさせないわかい肉体を保つこというのは、ほとんど我々にとって強迫観念に近いものがある。若さへの渇望、肥満が敵視され出世にも響くというアメリカの風潮がいつのまにかグローバル化し、それはすでに人々の中で支配的な常識へと変わってしまっているのだ。

 赤瀬川原平が『老人力』を書き、若さということにこだわる世間の風潮に水を差したのは、1998年のことだった。当時それは至極まっとうな考えだと思ったが、老人力=ぼけ、ヨイヨイを楽しめるのはケアをしてくれる家族や社会、そしてそこそこの年金生活が前提だったのだと、今になってみると、はっきりとわかる。老人力などは余裕があるからこその考えであり、いつまでも若くしていたいという願いは、現在、生存をかけた切実なものになっているのだ。

 デブ=人間的に何か問題があるのではないか? というイメージはますます定着している。オタクのひとつの視覚イメージでもあるデブをキャラとして確信犯的にまとっていたはずのオタキングこと岡田斗司夫すらも、一年で50キロの減量を成功させた。ベストセラー『いつまでもデブと思うなよ』の中には、ダイエットの社会的効果について的確な指摘がされている。曰く、日本は「見た目主義社会」であると! 瘦せてみてはじめて、自分の仕事である著作や発言が再評価され、仕事の幅が現実的に良い方に広がった、という彼自身のリアルな想いがそこには切々に綴られている。

 メタリックシンドロームの弊害がお上から申し渡される今、身体管理はもはや納税や義務教育ぐらいの重さで人々にのしかかってきている。ただ細いだけでもダメ。今度は自分の理想に近づけたボディをデザインしたくなるといのが人情というものらしく、エクササイズは、ビリーズブートキャンプから加圧トレーニングまで、プロスポーツ選手の最先端のノウハウが下々の方まで下りてくるスピードはマックスといっていい。

会社帰りをすべてウォーキングにした女

 たとえば、こういう知り合いがいる。40歳の彼女はバブル時に就職し、現在テレビ局でプロデュサーやディレクターを歴任している実力派だ。男女雇用機会均等法前後に就職した女性が東電OL事件の被害者女性に見られるような総合職受難世代ならば、その8,9歳年下の彼女たちは、実際の戦力としてそれまで男性の領域だったところに大量に採用され、日本の女性労働史上、初めてまともに企業内でキャリアを積むことができた世代といってもいい。

 海外ロケで飛び回り、徹夜なんぞは当たり前、という彼女がハマっているのはウォーキングだ。「赤坂のオフィスから、下北沢の自宅まで歩いて帰るんですよ。だから、バッグにはいつもジョッキングシューズが入っている。飲みに行っても、相当酔っぱらわない限り歩いて帰りますね」
 最初の一ヶ月間はほんとうに毎日それをやり、それ以降も週に二日は実行して、もう半年になるという。

「もちろん、美容と健康のために身体を動かさなきゃ、というのはずっとあって、ジムとかも通ったことがあるんだけど、仕事があまりにも忙しいし、途中で中断するとテンションが下がるタイプなんで、結局続かないんですよ。土日は逆に家でゆっくりしたいから、そのために出かけるのも億劫だし。男性なんだけど出入りのディレクターさんで、最近瘦せてとっても調子良さそうな人がいて、ひょんな事から彼がこの帰宅ウォーキングにハマっている、と聞いて、試しにやってみたら凄くよかった」

 徒歩で約二時間弱。電車で帰ってだらだら過ごす時間や飲みに行く時間を考えればムダもないし、結局ジムに通ったりしても一時間以上は時間を取られるわけで、帰宅という日常行動にエクササイズを乗っけてしまうこのアイディアは大変効率がいいそうだ。
そして、何よりも、五キロ瘦せ、ほとんど職業病となっている眼精疲労や肩こりが解消されたという。
「でもね、何よりも効果があったのが、気持ちのリセットができるところ。私たちの仕事って凄く神経を使うし、ストレスが多いじゃないですか。それがこの帰宅ウォーキングで一気に解消されることがわかった。お酒で発散していたこともあったけど、次の日が使い物にならなくなるし、確実に太るし」

 夜の街を歩いているとしゃれた隠れ家レストランを発見したり、建築中のビルがあったり、いろんな発見があってそれも大変面白いらしい。これには、私も感じ入った。長く生きていると行動範囲が固定化されてしまう。この帰宅ウォーキングならば、いろんな道を通ったり、外出先次第でルートを変えたりすれば毎日小旅行気分である。お金もかからない、時間に縛られない、ストレス発散とリセット効果も大きい、と、いうこと無しの方法だ。

 彼女の姿を見て、やはり何人かの知り合いがこの帰宅ウォーキングの実践者になっているのだという。そのうちのひとりは学生の時から、一切スポーツをやってこなかった女性。それでも、ひしひしと忍び寄る老化実感から、「確実につづけられる運動」として一駅下車ウォーキングを始めているのだそうだ。タクシー代の値上げから、終電後帰宅が渋谷あたりならば、平気で祐天寺の自宅まで徒歩で帰宅するという。

 35歳の別の女性もこの一年間、日常生活に組み込んだエクササイズを行っている。彼女の方式は自転車通勤だ。東中野の自宅から、渋谷のオフィスまでを毎日、自転車で通っている。デザイン関係の仕事をしている彼女は飲み会のお誘いが非常に多い人なのだが、飲み屋にも自転車で現れ、二次会へとタクシー移動ともなれば、ひとり自転車で目的地までたどり着く。ダイエットや美容などにはあまり興味がなさそうな彼女のこの目的はストレス発散だという。

いい意味で物事を深く考えるタイプではない彼女にしてみても、現在の仕事は人間関係でややこしいことが多いらしい。続けて一ヶ月もするうちに体調がみるみる良くなり、明らかに体力がついてきて、休日には会社の同僚たちとフットサルを始めたのだという、「人生で、今がもしかして一番身体を動かしているかもしれない」というスポーツホリックな生活を送っている。

 それにしても、彼女たちの体力には驚かされる。帰宅ウォーキングの彼女の場合、テレビの編集作業は徹夜になることも多く、六時頃にやっと仕事が終わってから、やおらジョッキングシューズを履いて、歩いて帰宅するというのだから恐れ入る。自転車の彼女の方も、30代半ばの女性が行うエクササイズとしては質量ともにけっこう過激だ。

 しかし、これもわからないでもない。もともと、長時間で情報過多かつ効率優先の仕事(パソコン時代になってから顕著である)は人間をひとつの方向に偏らせる。もの凄い速度のメール返答、よりスピーディーな状況判断などという、偏重した頭の使い方を続けていればどこかおかしくなっても不思議ではない。その振り切った針を戻すには、同じ様な圧力を今度は逆の方向にかけなければいけない。帰宅に徒歩で二時間もかけ、自転車を移動の手段とするこの非効率、なおかつ、それが肉体で行われるという生身感覚は充分その強力な反作用に成り得る。

ランナーという生き方

 デイリーエクササイズの王道であるジョギングは、このところやけに、ちまたで熱がある。それも久々のファッション的側面からだ。テニスやスキー、サーフィンなど、今まで多くのスポーツがその道具=ギアのファッション性からブームになったが、現在のそれはNike+iPodというランニングサポートシステムありきで、ダントツにジョギングということになる。

 もともと、iPodはそのCMからして、軽くて小さくて運動時に最適という特質を強力に打ち出していた。それはすぐに人々に伝播し、率先してそれを付け始めた街中のジョガーたちはそのリアルな広告塔になっていったのである。街を走っているジョガーの耳には必ずと言ってもいいほどイヤホンをかならず差し込まれており、決して楽でないランニングをチアーアップすることに一役買っていたのだ。

 それだけでも充分にファッショナブルだったところに、さすが、アップル社。靴メカ―Nikeと組んでジョッキングにおける画期的なシステムツールを開発したのだった。iPodを腕に装着し、センサーを専用シューズに付けて走れば、音楽だけでなく、時間や距離、速度ペース、消費カロリーなどを記録が送信され、音声フィードバック機能を使えば目標点到達を音声で知らせてくれたりもする。コンピューターで登録すれば、他のランナーとのバーチャルレースに挑戦できるというのも話題になった。

 広告関係で働くある女友達は、メディア関係者のトライアルに参加したことがきっかけで本当に休日ランナーになってしまった。その時のバーチャルレースはチームごとの団体競技で彼女は会ったこともない人たちと同じチームを組んだという。「あの人、昨日もこんなに走ってるし、私も頑張らなくちゃ」というまるで学生の部活のような一体感が生まれたらしい。

「いやー、○○社の△△さんっていう人、営業らしいんだけど、凄い走り込んでいるんだよね。どういう人なのか、一度会ってみたい」などと、すでに強力にオフ会渇望宣言をする始末だ。もしやこれって走るミクシィなのか? ネットが繋ぐまだ見ぬ相手との一体感。ネット恋愛があるなら、ネット体育会クラブ活動があってもいいのではないか。

 土曜日のみ近所を走ることにした、という40代の女性は、あるメーカーが地域のスポーツ店を中心に行っている試みがおもしろい、と話してくれた。なんでも、ジョガーたちが定刻にその店に集まると、専門家がジョギングのコツの指導をしてくれて、集まった人たちは決められたコースを一斉に走るのだという。スキー場でやっているオープンスキー教室のようだが、時間や都合に縛られない自由参加がものすごく今っぽい感じだ。

働きながらも積極的にジムなどに通っているタイプだった彼女も、やはり毎年、激務は増す一方でとても定時の教室などには通えないという。意志とシューズさえあればなんとかなるジョギング、ウォーキングはシンプルかつ長く続けることが出来て、なかつ経済的なエクササイズの王道だろう。

 ファッショといならば、そのイメージリーダーがいるはずだ。
 有森裕子にQちゃんこと高橋尚子という女子マラソンの二大オリンピックスターがいずれも、美形で性格的にも親しみやすく、おしゃれという点がど根性満点のジャンルイメージを強力に塗り替えたのは間違いがない。

 しかし、実のところ女性にとって説得力があったのは、何と言っても長谷川理恵の存在だろう。プロのランナーではないが、そのランニング有りのライフスタイルによって人気タレントとなった彼女は、もとは石田純一の不倫相手のモデルというお寒いイメージからメジャー芸能活動をスタートしている。「芸能界によくいがちな、モデルだかタレントだか良く分からない存在」が、

ひょんなきっかけでホノルルマラソンに挑戦(私の記憶ではここもテレビ番組が絡んでいたような気がする)した。ここで止めていれば普通の人。しかし、彼女の凄いところはそこから本格的に走り込みをはじめ、2007年までに八回の出場を成し遂げ、記録の足切りもある東京国際女子マラソンにも出場するぐらいのランナーに成長してしまったことである。
 
 その成長の過程について女性誌はこぞって特集を組み、ランニングで鍛えられたナイスバディな外見が多々露出されることになった。その間に、石田純一は彼女に捨てられ、「やっぱり、女が成長するとダメ男は用無しになるのよね」と女たちは飲み屋の話題にして溜飲を下げたものだ。

要するに、彼女は美人モデルというそこそこの地位にとどまらず、ランニングを通じて人生を切り開いて行った成功者であり、一種の努力系シンデレラなのだと言えよう。

 女性は常々「今の私じゃダメだ!」と反省している存在だ。実際に余暇はほとんどダラダラしてテレビ漬けでも、心の中では常に反省と向上の意欲がぐるぐるしているというしち面倒くさい性分がある。ランニングはそのモヤモヤをとりあえず何とかする最も手っ取り早く、体感として強度のある行為なのだ。

一生モノのエクササイズの最終兵器、ヨガ

 ありとあらゆるダイエット法や美しく歳をとるエイジング等に精通している女性が、身体健康法の基本にて究極のセオリー「適度な運動と食事が美容の原点」を心に刻み込んでいることは間違いない。

 ジム、スタジオ系の中の最大ヒットは、なんといってもヨガであろう。こういった民間のエクササイズサービスが日本で本格的に始まったのは80年代であり、映画『フラッシュダンス』などのヒットを追い風にエアロビックスは見た目よりもずっとハードで、腰やヒザを痛めるパターンも多く、振り付けについていくのが結構なストレスで、アドレナリンは出るもののリラックスからはほど遠いという実感を皆が持ってしまったからだ。

 一方、ヨガは昔から存在しているが、70年代のヒッピー由来のスピリチュアルなイメージが強く、また、オウム真理教のはじめはヨガサークルだったように、ちょっとアブナイ雰囲気もあるマイナーな存在だった。それが、女性の中でにわかに注目されるようになったのは、マドンナをはじめ、ハリウッドセレブたちがこぞってヨガに傾倒するようになった90年代中盤ぐらいからである。ヨガをベースにドイツ人のジョセフ・H・ピラティスが開発したピラティスもほどなくして女性誌などで紹介され、並走する形で人気に火が付き始めた。

 ランニングがエクササイズとしてハードコアならば、ヨガはその対極にある。実は私もすでにヨガ教室に通い三年目に入るのだが、ダイエットという当初の目的はそれほど達成されないにもかかわらず(それでも、瘦せたといってくれる人も少々いる)、続けているのは、その驚くべきメンタル面の効果だ。

それは、普通に煩雑な社会生活をおくっているとついついその心地よい状態さえも忘れてしまう、「リラックス」を日常に取り戻す訓練と言ってもいい。ヨガ独特の呼吸法があってそれを一時間のエクササイズ中やり続けることは、それだけでも脳に酸素が行き渡ることになる。きついポーズの後には必ず、一呼吸休息の時間がとられ、緊張と弛緩を繰り返すことによって、否が応でもリラックスを知り、心身ともにそれが叩き込まれていくのだ。

 必ずメニューに組み込まれている、シャバアーサナ体験も凄い。これはシャバ=死体という名付けのごとく、ただ四肢を広げて仰向け目をつぶり意識を先生の指導のもとに身体の各部分に飛ばすのだが、体調やタイミングによっては深い半覚醒状態に陥るときもあり、目覚めた時はまさに「一度死んで蘇った」状態になるわけで、藤原新也が著作に託した「メメント・モリ」(死を想え)を一週間に三回ほど経験している今日この頃なのだ。

 ヨガ教室の良し悪しで大いに差がつくのがリードの仕方だ。今までの中のベストのリードは「抱えている悩みや否定的な感情を風呂敷で包んで、今だけ横に置いておくイメージを持ってください」というものだった。無理矢理でもその通りにして、エクササイズに励むと、終わりには「レッスンが終わったのでもう一度、風呂敷をあけてよいしよと直す」はずの感情が霧散していることが多々ある。飲み屋で友達と二時間仕事の愚痴を言い合うよりもずっと効果的なのは言うまでもない。

「人と比べず、競い合わず、自分のペースでやってください」というヨガの定番メッセージは、まさに競争社会においては真逆のコンセプトである。放っておいたら身体をこわすか、鬱になる、というような厳しい現実に対処するには、ただ今のところ最強のエクササイズだろう。ポーズを習得してしまえば、ひとりで何時でもでき、しかも年老いて死ぬまでやり続けられるというシンプルさも力強い。

私はちょっとイライラしてきたな、などと自覚したときには、出先のトイレの個室やタクシーの中で呼吸法を試すことがある。考えてみれば、それもデイリーなエクササイズだ。

 七キロを毎日歩く、ジョギングをする、ビリーズブートキャンプにハマる。デイリーエクササイズとして挙げられるものが、意外にも簡単ストレッチや美容体操系の軽いものではなくハードなものが少なくないことに気がつく。身体と心が悲鳴を上げ一度死にそして生き返る、ソフトなヨガでさえ、そのシステムを内包している。

 しかし、何でまたこのような事が我々に必要なのだろうか。その回答はすでに体験的に我々は持っている。何の予定も入っていない週末、テレビをつけっぱなしでダラ見して冷凍ピザかなんかで腹を満たして、ソファーからトイレ以外動かないこと丸二日。脳の意識だけは限りなく拡大して、自分の身体を忘れ去ってしまうような事態にすぐに陥ってしまうのが私たちの日常だ。

そうなってしまうことへの根源的な恐怖が私たちをしてジョギングシューズを履かせ、また、ヨガに走らせる。身体を意識することは、生やその先の死を生々しく感じることである。デイリーエクササイズはその最も有効な処方箋なのだ。

サーフィンが醸し出す夢

 社会や人生に不満があった場合、かつて団塊世代や全共闘世代ならば政治や制度に働きかけた。しかし、その世代以降の人間は彼らの挫折を知っているだけに、不満の解消先はすべて自分が気持ちよくなりたかったら、他人や社会ではなく自分が変わればいい。この志向も突き詰めれば、自分の心身を中心に環境やライフスタイルを考え直すことにもつながる。

 たとえば、サーフィンというスポーツがある。このスポーツは競技的な側面もあるのだが、人々の心を動かしたのは、「波に乗らなくてもいいから、毎日、日課のように海に出る」という生活にこそあった。これこそ、デイリーエクササイズを軸とした究極のライフスタイル化である。朝、波乗りを一発キメてから仕事に行くIT関連の先端エンジニア、ノートパソコンひとつを携えて世界を渡り歩くデイトレーダー、そんな海外のニューエリートたちが雑誌で紹介されたことも大きい。実在する彼らはこの絶望的な世の中において、人生の満足度が飛び抜けて高そうではないか!

 女性たちもこのトレンドは来ていて、前述の長谷川理恵もサーフィンを趣味に挙げているし、日本一の男性アイドル木村拓哉の妻、工藤静香もサーファーでキムタクゲットのきっかけはサーフィンというのはよく知られた事実だ。

女性サーファーを描いた『ADOR』もヒット。『ADOR』の主演者の三人中ふたりは妊娠六ヶ月で映画に出、マタニティー姿でサーフィンを披露しており、各地の上映イベントはどこも女性がつめかけ満員御礼だったと聞く。

 サーフィンを日課にするようなことは、海の近くに越してきたり、早起きをしたり、まさに人生デザインしなおすことに近いわけで、デイリーエクササイズがもはや生き方を劇的に変えてしまうという好見本になっている。

 もちろん、これを実践出来ている人、特に女性は断然少数派だ。しかし、ここにごく普通の男女がいたとして、彼らに、億ションに住み買い物とグルメ三昧のセレブライフと毎朝海に出られるサーフライフを提示した場合、心騒ぐのは後者の方だろう。現実はどうあれ、美容院でこのふたつの特集の記事があったら、サーフライフのほうをうっとり眺める率のほうがずっと高そうだ。

 幸福な人生、クオリティーオブライフをシビアに考えに入れたとき、デイリーエクササイズは絶対に無視できない大きなファクターになっているのだ。

つづく 7章大人の女になりたい女