社表

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「大人になりきれない心」が欲しがるのも「恋愛不安」

本表紙 香山リカ =著=

ピンバラ始めに――この世に恋ほど大事なものはない(?)

純愛小説『世界の中心で、愛を叫ぶ』(片山恭一、小学館、2001)が300万部を超える大ベストセラーとなりました。さらには、本だけでなく映画でも大ヒット、平井堅が歌うその主題歌やコミックも売れに売れ、ついにはテレビドラマ化までされたのです。

 コミックにかかわっている編集者の知人は、「これまでの作品は、原作の小説を読む派とコミック派にはっきり分かれていたけど、この作品に関しては、小説を読んだ人が映画を観てコミックも買う」と分析していました。
つまり、何度でも繰り返してその世界に浸りたい、と思っている人達が多いのです。

わたしが講義している大学でアンケートなど使って女子学生たちに聞いてみると、確かに「映画だけ」「本だけ」とい人は、「映画と本」「本とテレビドラマ」「本とコミック」など複数のメディアで味わい、それぞれで「感動した」という人のほうが多ことがわかりました。

その調査をしたときにわかったのですが、彼女たちは非常に素直です。
私が若いときにも不治の病に侵された女性との純愛を描いた『ある愛の詩(うた)』という映画が大ヒットしましたが、私のまわりではたとえ観に行って涙を流したとしても、テレくささのあまりか、それを素直に語らない人が多かった気がします。
「あんなの、よくある話だよね」「まぁ、あれはあれでいいんじゃないの」。

そう言いながら劇場ではそっと涙を拭いた当時の若い女性たちは、「恋愛ごときで大騒ぎするのは恥ずかしい」と思っていたのかもしれません。
少なくとも私はそうだった記憶があります。

 ところが、当時とは入ってくる情報の量も格段に違い、よりスレているはずの今の若い人たちのほうが、恋愛小説や恋愛映画に対してストレートに感動を表明するようになっているのです。
『世界の中心で、夢を叫ぶ』の映画を観て本も読んだ、という学生たちに、直接感想を尋ねてみました。
「すごく泣けた…・自分だったら、と考えたらかなし過ぎておしくなりそうだった」
「もし私が病気になったら今の彼氏はあんなふうにやさしくしてくれるかな、ってしんぱいになった」
「恋人が死んだ後に結局、婚約しちゃう男は許せない。ずっと一人でいて欲しかった」
「この作品がなぜヒットしたか」とちょっと引いた立場から分析する人や、ほかの作品と比較して意見を言う人は、誰もいません。
 
 私の若い時代のように、感動したくせに「なにも感じなかった」と強がりを言ったり、自分の恋愛のことに話を振られて「私のことはどうでもいいんじゃない」とごまかしたりする人も、もちろんいません。

 だれもがフィクションだということすら忘れたかのように作品の中のふたりに心から同情を寄せ、それから自分の恋愛について振り返り、心を揺さぶられているのです。そして、そのことを実に正直に口にします
 この傾向をひとことで言えば、恋愛に関しては、みな驚くほど真剣で素直、ということになります。

 しかし、この若者たちが、他の問題に対しても真剣で素直かと言えば、それは少し違うのです。
『世界の中心で‥‥』の感想について熱く語ってくれた学生たち――20人近くいました――、そのとき間近に迫っていた参議院選挙について尋ねると、全員が投票権を持っていたにもかかわらず、「選挙には必ず行くつもり」という学生はたったひとりだけでした。

「関心がない」「選挙のことは分からない」「誰に入れていいか決られない」と、投票に行かないことに後ろめたささえ持っていないのです。

 最初から「そのことは私にはまったく関係ない」と決め込んでいるようでした。
 ここで私は、恋愛についてはあれほど熱心なのに、政治に無関心なのは許せない、と若者たちの態度を批判するつもりはありません。ただ、このあまりの温度差、熱意のギャップはいったいどこからきているのか、と、気になるのです。

 ところが、恋愛問題に関してはことさらに真剣で素直、という傾向は、若者だけとはかぎったことではないのです。

 2003年から04年にかけて、日本を「ヨン様ブーム」が襲いました。ヨン様とは言うまでもなく、韓国の人気ドラマ『冬のソナタ』の主人公を演じた俳優のペ・ヨンジュンです。

 ヨン様のファンには、40代以上の女性が多いと言われます。確かに私の周りにも、五〇代から70代までの女性で『ヨン様はステキ』と言ってはばからない人が目につきます。
 ある50代の女性は、専門職を持っていて勤務先でも要職についているのですが、ヨン様のこととなると我を忘れたかのようになってしまい。「今日はヨン様の写真展に行くから」「ラジオで特集があるから帰って聴かなきゃ」と早退することさえあるそうです。
 
 彼女は言います。
「私も今じゃ、女性だということも忘れて仕事に打ち込んでいるけれど、『冬のソナタ』を見ていて、恋愛に胸をときめかしていた少女時代があった、ということを思い出したの。
 ヨン様は、私にもそんな純粋な部分があったことを気づかせてくれた救世主」

 そして離婚歴のある彼女は、「チャンスがあれば私もまた恋をしたい」とふだんは絶対に口にしないような言葉を、真面目な顔でつぶやくのでした。これまではそうではなかったかもしれないけど、恋愛の大切さがやっとわかった、今度は真剣に恋愛をしたい、と思っているのは、若者たちだけではなさそうです。

 こうやって多くの人が、恋愛に、とくに自分の恋愛を大切にするようになり、テレや対面から「恋愛なんて関係ない」といったポーズをとることがなくなったのは、悪い事とは思いません。ポップスやロックの歌詞のほとんどが恋愛をテーマにし続けていることを見ても分るように、恋愛はいつの時代も多くの人にとって最大の関心事です。

 晩婚化や少子化をなげく政治家たちも、「若い人たちが恋愛に夢中になることはけっこう」とひそかにこの恋愛ブームを喜んでいるかもしれません。
 ただ。気になることがあります。

 それはクリニックでいろいろな人を診察したり、大学で学生たちの相談に乗ったりしている中で、恋愛問題が深刻な悩みから病に発展する人、また恋愛トラブルをきっかけに心身の調子を崩す人があまりにも多いような気がするのです。
しかも、そういう人たちはなかなか立ち直ることができず、問題がこじれがちです。
 
 恋愛に悩んだり恋愛がきっかけで不調に陥ったりする人はどちらかと言えば女性が多く、もちろん既婚者の場合もありますが独身者であることが多いので、ここは一応、「独身10代、20代の女性」を念頭に話を進めましょう。

 その彼女たちには、「恋愛なんてたいしたことじゃないよ」「恋愛も大切だけれど、今は勉強や仕事もあるじゃない」といった“ごまかし”は通用しません。
「恋愛ほど世の中で大切なものはない」と思い込んでいる彼女たちにとって、恋愛の悩みはほかのことでは代替えはきかないのです。

「確かに若いときの恋の悩みは深刻だけれど、次の恋をするとまたきれいさっぱり消えてしまうものだよ」と考える人もいるでしょう。しかし、彼女たちの場合、最初は単純に目の前の恋人とのあいだの悩みだったはずなのに、考えていくうちに家族との問題、自分自身の過去の問題など、イモズル式にほかの深刻な悩みが次々と出て来て、そのうちなんのことで悩んだのか、分からなくなってしまう場合も少なくありません。

 そうなると簡単に、「次の恋をすれば忘れるさ」というわけにいかないのです。

 おそらく若い彼女たちにはそれまで自分の事や家族の事、友達の事などそう深く考えたことがなかったのでしょう。
 そこにもいろいろな問題はあったけれど、あまり考えないようにして、なんとかここまで生きてきた。それが恋愛になると、とたんに真剣で深い人付き合いをしなければなららなくなり、これまでフタをしてきたそのほかの問題も一気に吹き出てきてしまうのです。

 昔と違って男女の出会いの機会も増え、気軽に交際することもできるようになった現在、逆に恋愛の悩みで苦しんむのでしょう。
 また、とくに現代の若い女性たちが恋愛に真剣でいたい、と願いながら、なかなか自分に自信を持ってよい恋愛を楽しむことができないのは、どうしてでしょう。
 恋愛時代の今、恋愛についてもう一度、考えてみたいと思います。

赤バラ第一章 「出会いがない」
恋愛バンザイ

――これまで恋愛らしい恋愛をしたことがありません。この先、いい出会いもなく、結婚もしないまま一生終わってしまうのか。そう考えると不安です。
――職場にも男性が多く、「出会いはいくらでもあるでしょ」と友だちになどに言われますが、同僚とは仕事の話しかしないし、個人的なつきあいまで発展する機会はまずないのが現実なのです。
――恋人がいない毎日がさびしく、友だちに誘われて合コンに顔を出したりしてもしているのですが、気になる男性がいてもどうやって話しかければいいかわからず、結局、自信を失って帰ってくるという繰り返しなのです。

 これはいずれも、女性週刊誌の恋愛特集に寄せられた読者からの相談です。
 自己申告を信じれば20代後半から30代前半、メーカー勤務などしっかりした職業を持った女性たちです。

 こういう特集を企画して相談を募集すると、いつもいちばん多いのが「出会いがない」という悩みだ、と話してくれた編集者がいました。

 女性誌を見ていると全ての女性には恋人がおり、ドライブやレストランでのデートのために「なにを着よう」「メークはどうしょう」と、日々考えているように思えてしまうのですが、実は恋人のいる女性は、独身の20代、30代の半分以下にしかすぎない。
そういうアンケート結果を見せてくれた編集者もいました。

 それなのに、恋愛をしていない時、恋人がいないとき、人は何故か「孤独なのは私だけ」と思ってしまうのです。
 友達と話をしていても、「カレとけんかしちゃってさぁ」といった言葉が「あなたには恋人がいないんでしょ」といった皮肉に聞こえたり、気分転換にと、街に出かけてもやたらに仲の良いカップルばかり目が入ったり。
「あーあ、どうして私には出会いがないんだろう」とますます落ち込んでしまう。そういう経験をした人も少なくないでしょう。

ピンバラ出会いがない。

 単純なフレーズですが、ここにはいろいろな問題が含まれているのではないでしょうか、と私は考えています。

 まず、少し大げさな話になりますが社会の問題です。「出会いがない」となげく、ということの裏には「やはり出会いはあったほうがいい、恋人がいた方がいい」という価値観があるはずですが、日本にはそういう考えが定着したのはそれほど昔の話ではありません。


 私が大学生だった頃、つまり今から20年前にはまだ「若者は恋愛よりまず勉強」「仕事が優先で恋愛なんて二の次」といった風潮がほんの少し残っており、同級生の中にも恋人がいるのに「恋愛? 私には関係ないよ」と隠す人もいました。
 ウソのような話ですが、「恋愛は恥ずかしい」「恋愛は勉強や仕事の邪魔(じゃま)」と言う考え方がまだ生きていたのです。

 社会が一気に「恋愛バンザイ!」に傾いたのは、バブル経済が花開く1980年代後半から90年代はじめにかけてだったと記憶しています。
 世の中が浮かれムードの中、サラ―リマンは接待ゴルフや飲み会に出かけ、若者は‥‥となった時に「恋愛」というキーワードが浮かんだのです。若者がいちばんお金を使えるのは、やはり「恋人と過ごすひととき」だったからでしょう。


「恋人とたまにはぜいたくなディナーを」「クリスマスにはシティホテルにお泊り」などの広告や記事が若者雑誌を飾るようになったのも、この頃です。

 こう言うと、経済が恋愛を解禁したの? とがっかりする人もいるかもしれませんが、もちろんそれだけではありません。バブル経済は日本をすっかり「名実ともに世界一の豊かな国」といった自信を得て、そこで気持ちが解放されたのも大きいと思います。


 それまでは「恋愛などにうつつを抜かしていると、勉強や仕事がおろそかになるのではないか」と恐れていた大人たちも、「まぁ、これだけ豊かになったんだし、少しくらいは楽しんでもいいんじゃないの」と娘や息子の恋愛を笑って見守る余裕を持つようになったのです。

ピンバラ恋人はいた方がいいに決まっている?

 それから、とくにこの恋愛問題に関しては、やはり欧米とりわけアメリカの影響も無視できません。
 ニューヨークで長いあいだ臨床心理士として働き、帰国した友だちが、カップル社会のアメリカで恋人のいな人たちのあせり、不安について話してくれたことがあります。
 しかも、本人がそれほど焦っていない場合すら、まわりが勝手に焦って出会いをセッティングしてくれようとしたりするそうなのです。

「まったく迷惑な話でしょう。私がだれかを紹介して、つて頼んでいるわけでもないのに、ホームパーティに呼ばれて行くと、それが“お見合い”だったりするんだから。

今、論文で忙しいし、当分、恋人はいらないって言ったら、へんな顔されちゃった。キャリアと恋愛は両立しないという考えはあまりないみたい。

 むしろ、大変な仕事をしているからこそ、恋人は必要と考えるかも、そんなエネルギーは私にはないし、仕事の癒しに恋愛だけじゃないよね。
 ひとりで音楽を聴いたりお風呂入ったりしてリラックスしています、と説明したんだけど、やっぱり禅の国から来た人だ、ですって」

 これがアメリカ人すべての価値観だとは思いませんが、「恋愛は仕事の妨げになる」といた発想は彼らにはもともとなく、「パートナーはいた方がいいに決まっている」「いないならすぐに探すべき」というはっきりした考えがあることは確かなようです。


 もちろん、1980年代以前もアメリカの映画や小説はたくさん日本に入ってきていましたが、日本の生活水準がアメリカと肩を並べるようになった(と私は思い込んでいた)80年代以降は、衣食住だけでなくいよいよ恋愛についても“アメリカ式”が生活の中に入り込んできたのではないでしょうか。
 グローバリゼーションの波がこんなところにも、という感じですが、「恋人ほしーい!」と若い人たちが人前で堂々と口にするようになったのは、たかだかここ10数年のことなのです。

 このように、80年代以降、日本社会は急激に若い人たちの恋愛に対して寛大な社会となりました。
 しかし他の変化と同様、この「恋愛バンザイ!」への変化もまた、あまりに急激すぎた感じがあります。

それまで長いあいだ、ほとんどの人たちが「恋愛は勉強や仕事の邪魔」「恋愛、恋愛と口に出すのはしたくない」と真面目に信じていたのに、突然「やっぱりクリスマスはカレとふたりでロマンティックに過ごしたい」などと言われ、だれもが「本当にそんなな恋愛って大切なのか」と考える間もなく、「そうそう、早く恋人をさがさなきゃ。

彼氏もいないのは恥ずかしいよね」ととりあえずは口にするようになりました。

 でも本当に、“アメリカ式”が正しいのでしょうか。先ほど紹介した臨床心理士の友だちは、アメリカでの経験を振り返りながら「なにがなんでも恋人を、と言う考え方、どうしてもなじめなかった」と話していました。


「そりゃ、恋愛していると、していないのとどちらがいいの、と言われたら、しているほうがいいわ、って答えざるを得ないじゃない。とくにアメリカでは、どんなことでもボジティブなほうを選ぶのが評価されるんだから。


 でも実際には仕事が忙しいときには、恋愛は何か面倒くさいって思うこともあるでしょ。ウイークディはがむしゃらに働いて週末はひとりでゆっくりしたい体を休めたい、って思う時期もあるじゃない。その上に恋愛まで、なんて体力も気力もないよ。
 それなのに、恋人ができた? 紹介するよ? ってずっと言われ続けてくると、“もう放っておいて!”と言いたくなった」

 この「恋人はいた方がいいに決まっている」「いないならいないで見つけるべき」という価値観が、アメリカにいつどうやって定着したのか。そのあたりは、社会学者の研究書などを読まなければわかりませんが、おそらくキリスト教的な価値観も大きくかかわっているのでしょう。
つづく だれとも出会えない理由

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