内線や外線電話には出ないくせに、携帯電話には飛びついて出る、ときに長電話をする、(マモちゃんと会うのに時間を潰すため)仕事がなくとも会社に残っている、デートの約束が入れば忙しくても勝手に退社する」という状況になり今では、私と喋ってくれる女の子なんかいやしないとまでなってもトップ写真赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

仕事も友だちもほっぽらかし

本表紙 香山リカ 著

ピンクバラ仕事も友だちもほっぽらかし

2003年に刊行された角田光代さんの『愛がなんだ』(メディアファクトリーは、“待つ女・追う女”と化している人たちに静かな衝撃を与えました。
 主人公は、会社でコンピュータ入力の仕事をする28歳のテルちゃん。
 それなりに同僚とも仲良くやっていたテルちゃんの生活は、友人宅の飲み会でマモちゃんという男性に出会ってから一変。テルちゃんは言います。

「マモちゃんと出会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。『好きである』と『どうでもいい』とに。

 そうしてみると、仕事も、女の子たちも、私自身の評価というものも、どうでもいいほうに分類された。(中略)気まぐれに電話をかけてくるマモちゃんの急な約束を全部断らずにいる、ということは、女友達との約束を全部ドタキャンする、ということと、かなしいくらいイコールだった」

 そして、「内線や外線電話には出ないくせに、携帯電話には飛びついて出る、ときに長電話をする、(マモちゃんと会うのに時間を潰すため)仕事がなくとも会社に残っている、デートの約束が入れば忙しくても勝手に退社する」という状況になり、「今では、私と喋ってくれる女の子なんかいやしない」とまでなっても、テルちゃんは「それでいいのだ。

 ぜんぜんかまわない。マモちゃんにくらべたら、ほかのことはすべて、やっぱりどうしたって『どうでもいい』に分類されてしまうのだ」と言い張り、会社を辞めることになります。

 客観的に見れば、この状況が「どうでもいい」はずがないことは、明らかです。
 マモちゃんへの恋によりテルちゃんが失うものは余りにも大きく、代わりに手に入れるといったら、気まぐれに誘ってくるマモちゃんとの深夜の食事や他愛ないおしゃべり程度。
 将来の約束どころか「ぼくと付き合ってください」「好きだよ」といった意思表示さえない。「私はいったい友だちなのか、恋人なのか」と悩みながらもそれをマモちゃんに尋ねることはできないテルちゃんは、彼の些細な言動を深読みしては一喜一憂し、毎日を送るのです。

 この本が刊行されたあと、雑誌で作者の角田光代さんの著者インタビューを読みました。
 角田さん自身は決してこのテルちゃんのような女性が現代のトレンドだと思っているわけではないらしく、若い女性たちに「マモちゃんのようにいい加減な男もいるから、引っかからないように」というメッセージを込めて書いた、といった話をしていました。

 また、別のインタビューでは、この主人公は「ばか女ですね((笑))」と言い、自分でもテルちゃんのような“犬型人間”は減り、男を自分の言いなりにする“猫型人間”が増加していると思っていたけど、この小説を書いてみてそうではないのがわかった、とも言っています。

 とはいえ、作者がそう自覚しているかどうかは別にして、私は、このテルちゃん的な“待つ女・追う女”は今、現代女性の典型的なタイプの一人になりつつあるくらい、実は増加していると思います。

 私自身の周りにも、実際にテルちゃんに似た状態になっている女性はたくさんいます。その人たちに共通しているのは、だれかに恋をするまではむしろ「恋愛より仕事、友情が優先」な真面目な人間で、フェロモンとかセクシーさとかとはあまり関係ないタイプだ、ということです。

 その彼女たちが恋をして、「私にも恋ができるんだ!」と有頂天になって仕事のペースも上がるのも束の間、そのうち彼からの連絡が少しでも減ると不安になり、ひたすら電話やメールを待つだけの生活になっていきます。
 また、そういう女性たちの恋の相手は、マイペースでなにを考えているかよくわからない男性が多くのも特徴です。

 おそらく、元来はまじめな彼女たちはいわゆる遊び人タイプは苦手で、自分の世界を持っていて世俗的なところのないテルちゃんタイプが、「自分に似た人」に見えて惹かれるのかもしれません。

 これはクリニックでの経験ではないのですが、私の若い友人のひとり、33歳になるミハさんは『愛がなんだ』を読んでも「これって私のこと!?」と驚いたと話してくれました。

 美容師をしている彼女の夢は、独立してサロンを開くことです。そのために閉店後の同僚たちとの勉強会にも欠かさず参加、シャンプー台で寝ながら店に泊まる日も少なくなかったそうです。

 そのミカさんが恋をした相手は、英会話教師でした。
カットの国際大会に出場するために少しでも英語ができたほうが、という目的で、週一回の休みの日に通いだした英語学校で彼に出会ったのです。
 彼は日本人なのですが生まれてからずっとカナダで暮らしていたため、日本語より英語が得意。
「早くサロンを開きたい」と話すと「独立心を持った女性は大好き!」と力強く言ってくれ、「生徒との私的な交際は禁止されているんだけど、一度、食事に行きませんか」と誘われました。
 もちろんミカさんはOKし、彼のエスコートで夢のようなひとときを過ごしました。

 しかし、問題はそのあと。彼との初デートの直後は「結婚したら私が一階で美容院を開いて、彼がその上で英語教室を開くのいいかも」とまで空想したミカさんですが、彼がなんだか、それ以上いっこうに盛り上がらないのです。
「デートのとき、なにかまずいことでもしたのかな」しも考えたのですが、嫌われたというわけでもなさそうで、三日に一度くらい「今日は教室でこんなことあって」とメールが来る。

学校へ行けばいつものようににこやかにレッスンしてくれ、気まずそうな顔もしない。

 初デートから三週間が経ったころ、待望の食事のお誘いがありました。「明日の仕事は八時だよね? じゃ、八時半にあのスタバで」というメールが前日に来たのですが、その日は同僚との勉強会の日だったのです。
「誘ってくれるのならもっと前に言ってよ。私だって予定があるんだから」と言いたいところでしたが、そうするともう二度と誘われないかも、と不安になり、結局、ミカさんは翌日、出勤してから同僚に「ごめん。今日は体調が悪いから勉強会には出られない」と言いました。

 そして五時ごろになって、「朝からめくらみがひどいので」と店長に話して早退までしました。前日の突然の誘いで、ミカさんはデートで着ていく服を準備する時間がなかったのです。

 忙しい店を走り出て駅前のビルで女性らしいブラウスやスカートを買ってトイレで着替え、そのビルに入っている美容室に飛び込んで髪をセットしてもらいました。
 途中、ふと「みんながお客様の髪を一生懸命きれいにしている時間に、ほかの美容室に来ている私って‥‥」と後ろめたさが頭をよぎりましたが、それも彼との約束の時間が迫っているという焦りにかき消されました。

ピンクバラ恋や愛とは違う

結局、こんな生活がもう半年近く、続いています。
この生活をひとことで表すと、「彼次第」だとミカさんは言います。
「彼の気持ちは分からない。でも怖くて聞けない。たまには私それとなく誘ってみるけど、決めるのはいつも彼。そして、彼が決めたことには私は逆らえない。

 私は、次はいつ彼から連絡が来るか、と待つだけ。
デートしていても“この次はあるんだろうか”と心配が先に立って、楽しめない。とにかく、すべてが“彼次第”という感じ」

 自分ではなにも決められず「彼次第」になってしまう女性たちは昔からいたはずですが、その人たちとテルちゃんやミカさんとの違いは、彼女たちは決して意思決定できない依存的な女性ではない、ということです。
 それからもうひとつ言えるのは、そうやって「彼次第」の生活をして失うものがあまりにも大きい、ということです。

 ミカさんは、店長から「ロスで開かれるカットの国際大会に参加してみないか」と声を掛けられたのですが、一週間も日本を離れて彼からの連絡を受けられなくなるのが嫌だ、という理由で断ってしまいました。

「これじゃいけない、ってわかっている。私はテルちゃんのように、彼に比べればすべては『どうでいい』とまでは思えない。
 おそらく彼は私の事を恋人としてどうこう、というのではなくて、都合のいいときに付き合ってくれるちょっと面白い日本の女、としか思っていない、というのも最近、何となくわかってきた。
…でも、“彼を待つのはもうやめよう、自分の生活をとり戻そう”と思った瞬間に、不思議なことに彼から“明日どう?”ってメールが入るの。超能力かなんかがあるんじゃないか、という気になって、そうなるとやっぱり、
“明日? ヒマでヒマでどうしょうか、って思ってたんだ―”なんてレスしちゃう」

 では、テルちゃんやミカさんのような同性から見れば十分、魅力的な女性が恋をしたとたんに「彼次第」になってしまい、仕事も友情も家族も眼中になくなってひたすら彼からの連絡を待つだけになるのは、どうしてなのでしょう。ミカさんは言っていました。

「最初はふつうの日本人とは違う彼の振る舞いや考え方がステキ、と思ったんだけど、さすがに半年も経つのに意思表示も将来の話もないということは、向こうにその気がまったくないんだな、というのはわかってくるんだよね。

 それでも待ち続けるということは、それくらい彼のことが好きなのかな、彼以上の人に巡り会えないと思ってるからかな、と自分に聞いてみると、それがどうも『そう』とは言い切れない。
 もはや自分にとって最高の男じゃないどころかマイナス男なんだというのは、よく知っている。これは、愛情と言うより執念、いや習慣に近いかな」

「どんな目に遭っても、私は彼を愛しているの」と言うならまだいい。逃げる男に「ほかの人は考えられないの」とすがりつく女、という構造なら、昔から演歌の世界などによくあったと思います。
 ところが、ミカさんは「愛とは違う」と言うのです。『愛がなんだ』のテルちゃんも同様のことを言っていました。

「私を捉えて離さないものは、たぶん恋ではない。きっと愛でもないのだろう。私の抱えている執着の正体が、いったいなんなのかわからない。けれどそんなことは、もうとっくにどうでもよくなっている」

 では、この現代版“待つ女・追う女”たちの抱えている「愛以外のなにか」の感情の正体とは、なんなのでしょう。これからそれを考えて見たいと思います。
 つづく ノーと言われるくらいなら