これだけ社会的にも価値ある仕事をしていて、十分な評価も得られているのだから、もう少し余裕ある態度で恋愛してもいいじゃないか」とうまくいかない恋に身をよじり、涙する彼らに声を掛けたくなります。トップ写真

第二章 恋は人生の万能薬?

本表紙 香山 リカ=著=

ピンクバラ仕事と恋は別、のはずが…

『アリー・マイ・ラブ』や『ER』などのアメリカ人気テレビドラマを見ていると、弁護士や看護婦といった専門職を持っている女性たちが、あまりにも恋愛に熱心なことに驚かされます。
『THE RULES――理想の男性と結婚するための35の法則』(ワニ文庫2000)「ハーバード式、夫探し必勝法」といった恋愛や結婚のためのマニュアル本や記事も繰り返し出版されたり、雑誌の特集になったりし、知的な女性たちによく読まれているとか。

『ER』に出てくる救急救命病棟のスタッフはみな忙しいので、どうしても同じ職場の男女がカップルになることが多いようです。
 家族持ちはそう多くなく、男女の比率も適当なので、“出会い”の機会はいくらでもあるわけです。だからすぐにカップルもできるのですが、私が見ていて不思議なのは、これほどハードな仕事をしているにもかかわらず、いったん職場を離れれば彼らが“愛の奴隷”のようになってしまう点です。

 私の経験から言えば、ついさっき幼い子どもが天に召される現場に立ち合った人が、病院を出た瞬間におしゃれな音楽を聴きながら恋に酔いしれる・・‥などと言うことは、まずありえません。
 傷ついた心を誰かに慰(なぐさ)めてもらいたいと思うのはもっともですが、それでも仕事のことは完全には頭から消えず、たとえ家族や恋人に会っていても口数が少なくなる。
それが自然だと思います。

 ところがシカゴ・カウンティ総合病院のER(救急救命室)で働く彼らは、仕事熱心なのと同じくらい、仕事以外の時間は恋愛に情熱を傾けているのです。

 もちろん医師や弁護士は恋をするな、と言いたいわけではありませんが、いい大人が何もここまで一喜一憂しなくても、とつい思ってしまう。

「これだけ社会的にも価値ある仕事をしていて、十分な評価も得られているのだから、もう少し余裕ある態度で恋愛してもいいじゃないか」とうまくいかない恋に身をよじり、涙する彼らに声を掛けたくなります。

 しかし、今はアメリカだけじゃなくてこの日本でも、「仕事と恋愛は別」と考え、優先順位もつけられないほど両方が大切、と考えるのが常識なのでしょう。
「私は政治に生きる」とエネルギーのすべてを仕事に傾ける土井たか子さんのようなタイプや、「仕事に打ち込みたいので、親が勧めた人との結婚を写真も見ず断ってしまう」といった仕事人間タイプは、今はほとんどいないか、いたとしても決して褒められはしないのだと思います。

 たとえば以前は、一般の人よりは感情が激しくても許されるはずの女優や歌手などのアーティストでさえ、仕事よりも恋愛や結婚を優先するのは許せない、という雰囲気がありました。
 1979年、女優の高橋(旧姓・関根)慶子さんが恋に落ち、映画主演をキャンセルして失踪(しっそう)し、バンコクで見つかった時も、世間は彼女をスキャンダル女優などと呼び大変な騒ぎだったのです。

 安室奈美恵さんや広末涼子さんなどの人気スターが「結婚して出産するので仕事は休みま―す!」などと明るく宣言し、人々も「まぁ、個人的なことだから仕方ないか」とすんなり受け入れてくれる時代からは想像もつかない厳しさ、というよりはつい十数年ほど前までは、「個人的なことが許される」とはまったく逆の「個人的なことは許されない」という考え方をする人の方がずっと多かったわけです。

 人間の役割や評価は、個人的な生活にあるのではなくて、あくまでも仕事や公的な場面での行動こそある。だから、恋愛や結婚というもっとも個人的な事情のほうにより重きを置くのは、意味がないし認められることではない。
 そう考えられていた時代があった。などと言っても、今の若い人には信じられないかもしれません。

 おそらく個人主義のアメリカには、「仕事と恋愛は別」と言う考えずっと昔からあり、日本よりもより深く社会に定着しているのだと思います。それは別に悪いことではないのですが、『ER』や『アリー・マイ・ラブ』を見ていると、「個人の生活にも社会生活と同じだけの価値がある」と言う考えがさらに進み、「社会的な地位や役割になんて意味がない。
個人の生活の充実こそ大切なのだ」と思っている人も増えているのではないか、という感じがするのです。

 もっと言えば、「私は救命センターで今日も三人の命を救った」という仕事の場面での成果が、「だから私の人生には意味がある」といった人生全体の自信へとつながって行かない。
 そんなことよりも、お目当ての彼女が今日こそはデートに応じてくれるかどうか、それが重要だ。
 もしそれが失敗すれば、職場でのちょっとした手柄なんていっぺんにふいになってしまう・・・・。

 カウンティ総合病院には、そう信じて疑っていない人さえいるように見えますもちろん、だからといって彼らは自分の職業にも誇りと義務感をもっていますから、決して仕事において手抜きをすることはないのですが。

ピンクバラ「彼氏もいないダメ女」

 このような人生の価値は「恋愛してこそ」だと信じている人にとっては、恋人がいない期間、恋愛をしていない時期は、たまらなく不安で、なんだか自分が無価値な人間になったように思えてしまいます。

 仕事や趣味のことがだれかと話していても、ひと通り話題が出尽くしたあとで、「・‥‥で、恋人は?」と答えた瞬間に、それまでの話が全てムダになり相手は自分を見下すのではないか、という恐怖におびえている人に会ったことがありました。


 恋人がいないことがバレるのが嫌だから、なるべく人と話さないようにしている、というのです。どうして恋人がいないのが「バレては困ること」なのかと言うと、そのことで自分の評価がいっぺんにひどく下がるようなきがするから、と言うのです。

 その人に、「じゃ、あなたも恋人がいない人を見たら、たとえどんなに仕事ができてもダメな女、って思うわけ?」と聞くと、こういう答えが返ってきました。


「今つきあっている相手がいない、という友だちもいるけれど、彼女は人柄もセンスもすごくいいんですよ。要は、男が彼女を見る眼がないだけなんです。
だから、恋人がいないことで彼女の価値が下がるとは思っていません」

 それと同じで、「ほかの人だってたとえ恋人がいないと知っても、それで貴方の見方を変えたりするはず」と言うと、一応は「そうですよね」と頷くも、「う―ん、でも私は彼女と状況が違うと思うし」とまだ納得のいかないような顔をしていました。

彼女のような女性は、いつも恋人が途絶えないようにしたいと思うので、ときとして“恋愛体質”と見られがちです。

「このあいだ前の男と別れたって聞いたのに、もう新しい彼ができたんだって? 本当に恋多き女だよね」という具合に言われるのです。

しかし、これまでの説明でわかるように、こういう女性は決して次々に目移りがしたり、いつも新しい恋を求めていたりするわけではありません。
恋愛が好きと言うのではなくて、「恋愛をしていない、恋人がいない状態がこわい」だけなのです。

そして、そういう人たちは「どうして恋愛しないと恐いのか」と聞くと、たいていは「世間が恋人もいない女なんて、といった冷ややかな目で見るから」と周りのせいにするのですが、先ほども話したように、今の日本の社会は、ある人に恋人がいるかいないか、結婚しているかいないか、でそれほど極端には評価を変わることはありません。


その人たちは、世間の評価が怖いからいつも恋をしていたのではなく、あくまでも恋人のいない自分には評価がないと自分で思い込んでいるから、恋がしたい。そう考えるほうが正確でしょう。

ここまでわかれば、「恋人のいない自分には、たとえどんなに仕事や趣味などができても、まったく価値がない」という思い込みそのものに問題があることは明らかですが、とくに女性の頭からこの考えを消し去るのはとても難しいことだと思います。


実際に、私自身もよく、忙しければ忙しいほど、仕事がひと段落して深夜に家路につくときに、よく思ったものです。
「何のためにこんなに働いているんだろう…‥。こんなに仕事をしても、恋人ひとりいないんじゃ、なんの意味もない。

これなら、仕事は適当にやって夕方からゆっくり恋人とディナーを楽しんでいる女性のほうが、よっぽど充実した人生だと言えるよなあ」


しかし、いざ仕事がヒマになり、だれかに誘われて念願の「夕方からディナー」に出かければ、楽しいのは確かでも「これでいいのだろうか。今ごろがんばって働いている人もいるのに」とやっぱり落ち着かないのです。
恋愛が自分の価値を魔法のように高めてくれるわけではないのに、とくに恋愛をしていないときは、「あれさえあれば」と思ってしまう。

 しかも、恋愛をして「なんだ、恋愛が全部を解決してくれるわけじゃないのか」と何度気づいても、また恋愛をしていない時期には「恋人さえいれば」という考えに取りつかれてしまうのです。

恋をしていないと不安。恋さえすれば悩みは解決。この思い込みに関しては、“学習効果”はほとんど働かず、何度も同じ繰り返しに陥ってしまいがちです。


 これは私の個人的な考えなのですが、恋愛は現代人にとってちょっと特殊なレジャーだと思います。

レジャー=どうでもいい、という意味ではなく、レジャーも大切だけれどそれだけでは人生すべては賄いきれない、レジャーでその人の価値は決まらない、ということです。

私と同世代、つまり40代半ばの女性たち数人で食事をしていた時に、この“恋愛の必要性”という話題になったことがありました。メンバーの中には独身者も既婚者もいたのですが、「恋愛はやっぱり生活に不可欠」と主張して譲らない二人に「どうして?」と聞くと、答えはこうでした。


「だって、好きになった人と初めて旅行に行く時のあのドキドキとか…。他ではまず、手に入らないものだよ」。
 私は、この恋愛観はとても健全だと思います。

確かに恋愛でしか味わえない気分、恋人としかできないことも沢山ある。そのためには恋愛をするしかない、という主張はもっともです。


 しかし、彼女たちは、その恋愛を通じて自分の価値を確認したり、恋愛をしていない自分を無価値と思ったりはしていません。
 恋愛と「自分の価値」は、あくまでも別物、と考えた上で恋愛を楽しみたい、と言っているのです。

ああ、これこそがおとなの恋愛観だ、でもこれが手にいるのは40代を過ぎてからなのかもしれないなあ、と思ったのでした。
つづく 「ランクの高い男」か「だれでもいい」か

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