三十九歳の被害者女性は一流企業に管理職として勤務していましたが、遺体で発見された場所が渋谷区のホテル街の木造アパートであったことから調べを進めると、三十三歳頃から退社後にそのあたりで売春をしていたことがわかったのです。
しかも、それは「OLのお小遣い稼ぎ」というものではなく、一日何人と自分で課したノルマをこなすためには一万円以下という安値で通行人に交渉していたこともあったようです。
なぜ、収入にも地位にも仕事のやりがいがにも恵まれていたはずの彼女が、そんなことをしていたのか。作家の中にも被害者女性の人生に関心を持った人はすくなくなく、この事件をモチーフに久間十義さんの『ダブルフェイス』(幻冬舎、2000)、桐野夏生さんの『グロテスク』(文芸春秋、2003)などの作品もうまれました。
もちろん、その本当の心の内は誰にも解りませんが、彼女が“お金”以外のなにかを得ようとホテル街に通い詰めていたことは確かです。
しかもそこで得ようとしていたものは、キャリアウーマンとしての日中の生活からは手に入らなかったものです。
おそらくそれは、「私にもできるんだ」「私だってこんなに人気あるんだ」と自分の価値や意義の確認につながる自信だったのではないでしょうか。
そう聞くと多くの人が「何を言っているんだろう、学歴もあり一流企業の管理職をしていれば、それ以上、自信を持たせてくれるものはないじゃない」と思うかもしれませんが、それでは十分ではなかったのです。
それどころか、いくら仕事でなにかを成し遂げても、そこから安定した収入を得られても、それは少しも自分の内面的な自信や肯定感を高めてはくれなかったのかもしれません。
それよりも。ホテル街で男性に声を掛けられ、それがうわべだけの言葉や態度であったとしても女性としての魅力を直接、誉められたり求められたりするほうが、ずっと「ほら、私はだいじよぶじゃない」という自己信頼感につながりやすい、ということを彼女は知ってしまったのでしょう。
だからこそ、客の人数が減るのは、一度手に入れた自信が目減りすることにつながる、という恐怖から、値段を下げてでも、とにかく人数を確保したいと思ったのです。
「確保したいのは金額ではなくて人数」というところも、彼女にとっては夜の仕事がお金やひまつぶしのためではなく、もっと自分自身の問題とダイレクトにつながっていたことを示唆しています。
もちろん、この事件は恋愛とは直接の関係はありませんが、仕事や趣味といった自分でできることを通してではなくて、異性に認められて求められることで自己信頼感を得ようとしている、という点では、“彼次第”になっている女性の問題と共通要素があるように思います。
そして、恋人や異性といった他者を通して得た自己信頼感には“賞味期限”があり、絶えず更新し続けなければならない、という点も同じです。
さらには、そうやって他者との関係で自信をキープしようとすればするほど、自分の人格や生活を犠牲にしなければならなくなり、高まるはずの自己信頼感が逆に減ってしまい、そうなるとよけいに他者に執着する、という構造も同じ。
テルちゃんやミカさんがこの事件の被害者と同じ道をたどる、などと言うつもりはありません。しかし、この事件から私たちは次の二つの点を学ぶことができるはずです。
それは、恋愛や男性との関係の悩みを通してでは決して本当の自信や自己信頼感は手に入らない、ということ。
それなのに無理やりそこに執着して自信を手に入れようとすると、泥沼に入り込んでしまい、思わぬ悲劇的な結末を迎えてしまうこともある、ということ。
煮え切らない彼をあきらめきれず、彼の都合に全て合わせ“彼次第”の生活を送っている人、恋人からのメールや電話を一日中、待ちながら暮らしている人は、もう一度も「私はそれほど彼を愛しているのだろうか、彼は、私が自分の人生を棒に振ってまで執着するほどの価値がある人だろうか」と、自分が執着しているのは彼ではなくて、彼を通して得られるはずの自信や自己信頼感を手に入れたいからではないか、と考えてみて下さい。
そして、その自信は恋愛の成功によって少し強められることはあっても、決してそれだけではまだゼロから満タンにはならない、ということを知るべきです。
恋愛で自信を獲得しようとするのではなく、まず自分に基本的な自信をつけてから恋愛する。テルちゃんやミカさんの場合は、順番が少し違っていたのです。
=差し込み文書=
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つづく 恋と病は紙一重理想と現実 t