風俗嬢、その後
酒井あゆみ著
詠子<身長・フリーサイズ>T165 B82 W58 H84
43歳、福岡県出身。兄2人、姉1人。高校中退後、会社の事務職に就く。22歳で上京。25歳で新宿の老舗ヘルスで風俗デビュー。3年間ナンバーワンを張る。29歳で引退。2度の離婚を経て、現在は20歳年下の男性と結婚。
風俗で得た経験っていうか、男を見定めるならエッチしろ。だね。
「セックス、嫌いなんだよー。あたし、変に育っちゃって潔癖症だし、男性不信だから、肌を触られるのもイヤ。彼とならできるよ。でも、苦手だね。ヘルスでやった時も、シックスナインとかはほとんどしなかった。フェラも嫌い。口でするときもちゃんとカプッてやらずに、先の方をチョロッと舐める感じでごまかしていた」
ちょっと口を尖らせながら、顎を突き出して言った。彼女の癖だ。詠子(四十三歳)は二十五歳の時から三年間、ファッションヘルスが林立する新宿の有名店でナンバーワンを張った女性だ。私は現役の時に同じ界隈のライバル店にいたので、その店のことはよく知っていた。詠子と時代は被ってはいないが、その店の厳しさは業界内で有名だった。
そこを辞めて性感マッサージ店にいた頃、私は彼女に会った。その店には、私が現役の時にボーイをしていた男の子が働いていたので、遊びに行ったのだった。その時に「〇店のナンバーワンだった子だよ」と紹介されたのが彼女だった。
初めて会ったときから、ざっくばらんな感じで、一を聞くと五や十は返ってくる。頭の回転の速さ、歯に衣を着せない物言いは、いつも彼女なりに超一流だ。毎度、私はやられてしまうが、心地よい。だから、友達を続けらる。
「お店の人は、私が決められた通りのサービスをしていないの知ってたけど、指名のお客さんがけっこう来ていたから何も言われなかった。面白半分でやって来ていて、いつ首になってもいいやって思っていたから、最初、話だけ聞きに行くつもりが、よく分からないうちにやり始めちゃってた。ノリで働き始めたのよ。
詠子は、身長一六五センチ、フリーサイズは八二(Bカップ)、五八、八四。スリム好きの男たちが、黙っていても寄ってくるスタイルだ。どこか愛嬌のある丸顔だ。どこにでも居そうなタイプだが、その童顔と体形の良さで、いつも十歳以上、若く見られる。
「一発やってみたいという人が寄ってくるタイプなのよー」
あっけらかんと言う。嫌味にならないのが不思議だ。自慢ではなく。事実か、あるいは自分を信じていることをそのまま話しているからだろう。
それにしても、なぜ「手抜きヘルス嬢」がナンバーワンになり、継続できたのだろうか。
「お客さんもいろいろいる。まず、それぞれの希望を聞くんだよ。攻めたいか責められたい? とか、優しく、激しく? とか。じゃあ、どんな風に? って。あたしが看護婦になったり、母親になったり…。衣装は着けないけど、今でいうイメクラだよね。そうやって時間稼ぎというか、相手の要望を聞いて『どうやったらできるだけ身体に触れないでサービスできるか』って、試行錯誤しながら手を抜いていた」
いくら今に比べて女の子も店も少ない時代だったとはいえ、それだけではナンバーワンに君臨できない。当時、風俗嬢は「職人」の子が多かったからだ。
「お店にいる限りは、お客さんのことだけを考えて仕事していたよ。夢と希望を壊さないように。自分ってもんはないんだ。だって、それが仕事じゃん、風俗の」
相手に合わせるのが風俗嬢なのか。
「ううん、相手を理解するのが仕事。相手に合わせてたらキリがないんじゃん。やりたようにやられるから。風俗は究極のお客様サービスだからさ。裸になってやるんだから本音の世界よね」
風俗嬢だった詠子の姿が、ぼんやり頭に浮かんできた。その続きを私が聞こうとする前に、彼女は喋り出した。想像以上のことをしていた。
「指名で来てくれた人には思いっきり嬉しそうな顔をして喜ぶし、帰るときに『今度いつ来てくれる?』って、次の予約入れちゃうの。ヘルスって基本は予約制じゃないんじゃん。風俗って男の人の欲望、気分に支配それるものだから。でも、あたし、店長からの信頼がこれ絶大だから。
なんでかつて、他の女の子についたお客さんのトラブルを、あたしが全部、処理していたんだよ。お金を払ったのに、その子に不満があったわけだから、まずはひれ伏して本気で謝る。『せっかく、来てくれたのにごめんね』って。で、たっぷりとサービスする。心の底から楽しんでねって気持ちで接すれば、相手は分かってくれるよ」
こういう日々の積み重ねで、詠子は有名店のトップであり続けた。店も彼女の顔写真を看板にした。出勤すれば一日平均十人、多い時は早朝からラスト(夜)まで働いて二十人の指名客を相手した。月収は百万から百五十万。昭和五十年代の終盤、バブル直前の頃とはいえ、堂々たる実績だ。
しかし…‥。手抜き、手抜きと言いながら、実際、詠子のやっていたことは命を削るような作業だったのではないか? 私は、思い始めていた。言葉では強がり、つっぱっていても、人のために動くだけ動いて寝込んでしまう。弱い部分は決して見せない。詠子はそんな女だった。
福岡で生まれ育った詠子は、高校中退後、ガス器具メーカーの事務職として働いた。父は、明太子や馬刺しなど九州の名産品を販売する問屋の経営者、母は小さな不動産屋の店長だった。
詠子の家族関係は少し複雑だ、実の父は三度、結婚している。初婚の時、兄が二人産まれだ。父にとっては二番目の妻が詠子の実母で、三つ上の姉もいる。しかし、彼女が母のお腹の中にいる時に、両親は離婚した。今度は父が家を出て、どこかの女性と結婚。その一か月後、実母は再婚し、新しい「父」が現れる。
さらに詠子が小学二年の時、実父がもどってきて、すったもんだの挙句、母親と縒りを戻した。
「母親は、あたしを『こんな子供はいらないけど、仕方ないから育てた』って感じ。あの人は、姉のことは大事にしていたけど、あたしは、しょっちゅうお使いに出された。でかけるたんびに『死ぬときは交通事故が一番いいんだよ。相手からお金がもらえるから』って言われた。母親はそんなことをずっと思いながら、私を育ててきたの。いろいろあったから自分のこととかで精一杯だったんじゃないの?」
詠子はどういう気持ちでその母親の言葉を受け止めていたのだろう。
「自分で分かったんだ。あたし、人の気持ちを見抜くのは得意だったからさ。親が信頼できなかったから、そうなったんだと思うけど。そういうところが異常に鋭いのかなって思うよ」
他人事のように淡々と話す詠子を、私はぼんやり見つめながら、自分の幼い頃を思い出していた。私も両親の愛情というものを知らずに育った。親なんていらないと自分に言い聞かせていたが、心の真ん中には、気がつくとポッカリ穴が開いていた。だから男、煙草、そしてロックバンドに走った。
「あたしは違うよ、小さい頃から、親の面倒を見るために生まれて来たって自覚があったの。母親の憎しみ? なかった。ただねえ。あの人への感情って、何もない。中学生の頃から、『不良』って周りから呼ばれていたよ。その頃から病弱でさあ。病院に行って、午後から登校するじゃん。それだけで不良だったんだ。で、高校へは一応入ったけど、あんまりいかなかった。遠かったし、行くのイヤだっただけよ。グレるって言ってもね、煙草吸って、ディスコ行ってたくらいだよ。それで中退して、働き始めたの」
商売をしていた両親と姉は、ズル賢かったという。姉は表向きには社長令嬢そのものの優等生だったが、裏では男の子たちを従えてバイクで暴走していた。人を傷つけることはせず、操ることに長けた知能犯だった。
「子供の頃から仲悪かったし、今もつき合いない。好きじゃないから、ああいう人。おまけにガメツいし。両親のそういうところをお姉ちゃんがもらったって感じかな。そんな家庭だったから、あたしは昔から人には厳しい面があるみたいで、人を信用しきれないところがある。でもね、家族を放っておことは思わなかったんだよ。あたしが、しっかりしなきゃって」
二十二歳のとき、詠子は福岡から単身、東京へ。東京は子どものころから憧れだった。そこで住むためにコツコツと貯金していた。住む部屋を探した後、昼間に洋服や装飾品のセールスをし、夜にはスナックでアルバイトをしていたが思うようにいかず、生活費が底をついてきた。東京に来て、三年が経っていた。
「いやー、適当にやっていたから厳しくてね。で、新宿の風俗街を偵察して回ったんだよ。水商売していたから情報がいっていたしね、一軒だけギラギラ派手じゃない構えの店があって、そこに飛び込みで面接に行って入ったの」
二十五歳のヘルス嬢デビュー。当時は「二十三歳になったらオバサンで引退」というのが通説だった時代。遅すぎる風俗入りだった。ヘルスを選んだ理由は、やっぱり…‥、
「セックスが嫌いだから!(笑)」
もちろん、初体験はとっくにすませていた。昔からモテるタイプだったので男には事欠かず、その時まで付き合った男性は十数人いた。それても、セックスはあまり好きじゃなかった。
「人間が野獣になる、あの感覚があまり好きじゃないの。本能むき出しになるというのがイヤなのかなぁ」
また口を尖らせながら、顎を突き出した。
入店した詠子は過酷な現実に直面する。
「ファッションヘルスって、一セット三十分でしょ? お客さんの数をこなさなくちゃいけない。肉体労働だし、聞いちゃあいたけど実際、大変だったよ。頑張って、景気もいい時代だったから一日五万以上は、いっていたかな」
しばらくして詠子は、そこの店長と付き合い、一緒に暮らし始める。やがて妊娠したことが分かった。二人は結婚することを決め、まず店長の青森の実家に挨拶に行った。そして詠子は一人で実家の福岡へ向かった。
家に着くと、その後の彼女の運命を変える出来事が待っていた。
「父親がね、『実は先月、会社が倒産して‥‥』って言いだして、母親の不動屋店も連鎖倒産したんだよ。両親は、あたしに泣きながら頭を下げて『お金の面でなんとか助けてほしい。子供は諦めてくれ』って。東京に戻って二人で考えてね、子供を堕ろして、結婚も諦めたの」
なんて自分勝手な親なのだろうと、私は思った。言うことを聞く詠子も詠子だ。その後、ふたりは気まずくなって別れてしまった。何度この話を聞いても、私は詠子の友達であっても親というものを知らないので余計に理解できず、怒りしか込み上げてこなかった。
他人からは理解しがたい「つながり」が親子というものかもしれないが、それにしても、なぜ彼女がここまで背負わなければならないのか。親というものはそんなに「重い」存在なのか。
「子供の頃、ちょろっと憎らしいと思ったことはあるけど、あの時は今更、どうも思わなかったね。やっぱ状況が変わっても我慢するのは、あたしなんだなーって思っただけだよ。それで、別のヘルスに入ったの。こうなったら男とガタガタやっている暇なんてない。とりあえず何年か風俗をやるしかない」
そこが、後に彼女がナンバーワンの座に居続けることになる店だった。
両親が抱えた負債は、計り知れなかった。金を借りていたのが複数の金融機関に加え、親戚、友人。詠子は、とにかく稼げるだけ稼いで、親にできるだけ送金しようと心に決めた。
「大体、月平均で四十万くらい送ったよ。多い時は六十五万かな。途中で父親が東京に来て、2DKの部屋を借りて一緒に住んで。父は東京で働き、金策に走り回って、あたしがヘルスで働いて、借金返済の他に家賃、光熱費、電話代なんてプラス三十万から四十万、払ったよ」
当時の詠子の月収は百万を切ることはなかったが、それでもギリギリの返済生活だった。
追い打ちをかけるように、その父親が事故と病気で度々、入院した。父は東京にいた二年間のうち、半分以上を病床で過ごした。となれば医療費も並みの額ではない。そのお金も一挙に詠子の体にのしかかってきた。収入だけでは賄えない分が増えて。詠子自身も借金せざるを得なくなり、その額は一時期、七百万円までいった。
「一回の入院費の請求書に『四十五万円』って書いてあって、血の気がザーッと引いたよ。あたしも、二回目の店でヘルスやって二年ちょっと経ってたから、相当あちこちにガタがきてたのね。腸を壊して、心臓に来て。それでも働いてたか、店で具合が悪くなって、ハイ、救急車。三十回以上、乗っているね(笑)。死にそうになりながら働いたよ」
潮時だと思った。ヘルスを辞めた。
身体に負担が少なく、残る借金を返すにはどうしようかと、彼女は考えた。思案して探し抜いた結果、性感マッサージと素人カメラマンの前で裸になるモデルの仕事を都内で始めた。その店の本業はSMクラブであり、詠子は一度しかしなったが、これも風俗であることに変わりはなかった。
その店で一年ほど経った頃、赤坂の高級クラブからスカウトされ、ホステスに転身する。これで「風俗」から足を洗った。詠子、二十九歳。
「そっちの方がお金がよかったから。最初、日給二万五千円だったんだけど、一番いい時で四万円かな。まだ体は辛かったけど、風俗よりはラクでしょ。昼間は、また洋服やアクセサリーのセールスを始めたの。元いたヘルスから頼まれて、週に二回、二ヶ月だけ働くっていうのをやったけど、三十歳以降はしていないよ」
その後、詠子は、セールスの仕事をメインに法律事務所などに勤めながら、夜は水商売を続けた。一方で、病弱な体質を変えようと、漢方、エステ、スポーツジムなど、さまざまな健康法を試していった。
借金は着実に減っていったが、現在でもまだ少し残っているという。私は、真面目に提案してみた。
「また、人妻系とか風俗をやって、さっさと返せばスッキリするんじゃん」
「五年前かな、人妻ヘルスの店に面白半分で面接に行ったんだ。そしたら、『人妻に見えない』って言われちゃったよ― (笑)。あたし、そん時まで二回も結婚してたんだよ。付き合ってる男もずっといたし。あたし、男が切れた時期ってないもん。絶対に風俗には戻らないとは思っていないけど、やったとして、あと一、二年できるか、でしょ?」
詠子は続ける。なぜか両手にから揚げを一つずつ持って交互に口に運んでいる。そして、食べ終わると煙草を何本も吹かす。
「借金はね、あたしの心の支えになっているの。自分のじゃなくて親が作った借金だから返せてこられた気がするんだよね。親もいなくなって、借金もなくなったら自分までどっかに消えちゃいそう」
二十代半ばから始まった「返済生活」は、もうすぐ二十年になる。働いて働いて借りた金を返すことは、詠子の一部になってしまったのだろう。
二年前、彼女は三度目の結婚をした。相手は二十歳下の飲食店の店員だ。詠子が店に通ううち、あることに気づいた。彼の体臭だった。
「男の匂いって、ダメだったのよ。あたし男性不信だし、セックス嫌いだし。で、まあ、その彼がたまたま、あたしの席の担当になることがあってね、クサイなーと思いながら、イヤな匂いじゃないなって。でも、これじゃあ、彼女もいないだろうなーと思ったわけ。何回目か、彼が席に来た時、『あたし今日、競馬で六万もスッたんだよ。カラダでも売ろうかな』って言ったんだ。そしたら彼が『ぼく買いますよ』って。かわいい顔して笑ったの」
その後、外でばったり会ったとき、彼の趣味がケーキ作りだと知った詠子は早速、彼の電話番号を聞き出し、数日後、彼の家まで行ってしまう。
「甘いもの好きだし、ケーキはおいしかったよ。それよりね、あたし、彼の腕とか触って、『あんたって、クサイよね。けど、治せるんだよ』って言ったんだ。いろんなセールスの経験から、体質改善のボディーシャンプーとかも知っていたから。ヤツ、言われた通りに使ってたら、だんだん治っていったよ」
彼は詠子に心底感謝したらしい。匂いは大きなコンプレックスだった。付き合い始めて三ヶ月、彼は詠子にプロポーズした。
「初体験は、先輩に連れられていかれたソープランドだったんだって。普通の女の子と付き合ったことのないヤツなんだよ。だから『素人童貞』だね。あたしが童貞破りしちゃったの」
二人とも大笑いした。彼には失礼だが、今時、そんな男がいるとは。
「でね、若いキャピキャピした女が大嫌いで、中学生の時からオナニーのオカズは人妻シリーズなんだよ―」
私は、また、のけぞりながら腹を抱えた。涙と笑いをこらえながら私は聞いた。
「で、詠子ちゃんは彼のどこがいいのよ?」
急に神妙になって、彼女は話し始めた。
「多分、両親の店が倒産して、あたしが堕ろした時の子供の魂が彼に入っていると思ったのね。体形も細くて、すごくあたしに似ていて、頑固なところも似ている。二十歳年下ということは計算が合うんだよ。あの頃と。あとね、異性が一発やりたくなるフェロモンを持っているところも同じだ (笑)」
頑固で、我が道を行くタイプの二人は、付き合いながらも喧嘩はしょっちゅうだった。婚姻届出を一度ずつ、それぞれが破き、三枚目をやっと役所に届けた。結婚三年目の今も喧嘩は絶えない。しかし、仲はよさそうだ。
「風俗で得た経験っていうかなあ。あたし、男を見定めるならエッチしろ、っていう人なのよ。知り合って五回目ぐらいのデートの時、セックスしたら、それまでと態度がガラリと変わったという男とか、『話していた時はよかったんだけど、エッチしたらなんか違うな!』ってヤツいるでしょ? それによって今後、付き合えるかどうか判断するの、さっさとね、ダメなら次!
って」
ヘルス嬢として有名店の頂点を極めた詠子に当時をどう持っているのか、私はあえて尋ねた。
「後悔しているか、していないかってことよりさ、あんまり覚えていないもん。お客さんたちのことは思い出すけど、自分のことは忘れている。すごくイヤな思いでも多いけどね。借金を返すっていう責任感に追われて、毎日、必死に過ごしていただ」
私は彼女に当時の話を聞くたびに感じることがある。彼女が話をはぐらかすのは、現役の時の自分に戻るのが怖いのではないだろうか。だから、まだ稼げると分かっていても戻らないのだ。彼女はおそらく現役中、「自然」に風俗嬢をやっていた。つくることなく自然に。そんな「女」である自分を、やり通した自分をなんとなく知っていて、頭の片隅で覚えている。自分の中の強烈な女の部分を知ってしまったから、戻るのが怖い。あの時の自分に戻りたくない。働いていた当時は本人の自覚なく、感覚神経が麻痺していたのではないだろうか。
なぜそう思うのか。私がそうだったから察しがつく。戻るのが怖い。昔の自分、女の娼婦性を自分が持っていることを再確認するのが怖いのだ。
風俗は女の全てを売る仕事だ。そして、同時に男の欲望の本質を知り、自分の中の本質を知る場所でもある。
詠子があの経験で得たものはなんだったのだろうか。
「もともと、我慢強く育ってきちゃったけど、あそこで苦労したおかげで、もっと人間的に幅が広がったかな。あんまり文句を言わずに黙々と働いてきたからね。今の自分にとっても、よかったんだろうね。あとは、今もやっているセールスの仕事に役立ってる。例えば、男が女を好きになると、女にわがままを言われたくなったりするじゃん? そんな心理を突いて、お客さんと次に会う前に『今度、あたしの好きなイチゴ買ってきて』って頼んじゃうんだよ」
相手を知る。客の一人一人と真剣に、集中して向き合う。何をすれば喜ぶのか。怒るのかを探る。詠子のヘルス嬢体験から得た教訓は、すべての接客業に通じるかもしれない。私も現役の風俗嬢時代、彼女と同じように努力しようとした時期が何度かあった。しかし、言うほど簡単ではない。なぜなら相手は予測不能な人間だからだ。こちらが良かれと思ってしたことが裏目に出る場合も、しばしばある。詠子はそれを承知の上で、徹底して身を削りながらやってきたのだろう。
こうした風俗での経験を、詠子は今の旦那には詳しくは言っていない。
「『風俗でバイトしたことがあるよ』ってくらいは言ったよ。でもね、昔あたし風俗にいたという意味が、今の人、特に彼には分からないみたい。パチンコもサウナも飲食店もスナックもみんな風俗営業だもんねって(笑)。彼が『で、どこの店にいたの?』とか聞いてこないから、それでおしまい。なとなくは分かっているんだろうけど、多分、触れちゃいけないのかなとか思っているんじゃないの? 聞いてきたら答えるよ。事実だもん」
体質改善の地道な努力で、詠子は昨年の夏までに健康な体を取り戻した。今もセールスの仕事を続けながら、将来の夢に向けて準備を進めている。
「自営業で身を立てたいの。風俗なんか。やっぱり若いうちの一、二年でしょ? あたしは六十とか七十になってもできる仕事を見つけたんだ。食餌療法とマッサージを組み合わせた健康法の事業展開だよ。そのために今、資格とる勉強をしてるんだ。あゆみちゃんもやってみない。い―よー」
確信に満ちた言葉だった。複雑な家庭環境で育ち、もともと、弱かった人間がその家庭という場所で強さを持たなければ生き抜くことはできなかった。さらに、風俗での修羅場で命を削りながらくぐり抜けて、強さに磨きをかけた。そして、これから若い旦那と、夢である自営業のために本当の強さを持って進んでいかなくてはならない。
詠子は風俗を踏み台にした。なかなかできない。そんな女がいることを、私は誇りに思う。
つづく 第二 彩子<身長・フリーサイズ>T178 B98 W63 H87 37歳
東京都出身。兄1人。14歳でキャバクラに勤め出し間もなくSMクラブへ。中学卒業後。アメリカに留学。帰国後。18歳でAVデビュー。史上初、母親(当時48歳)と親子でAV
出演し、話題となる。その後、SMクラブを経営、ソープ嬢を経験。2児の母。
旦那と別れた理由? 「お前だけ貯金できていいな」って言われたのよ。