酒井あゆみ著
第二 彩子<身長・フリーサイズ>T178 B98 W63 H87 37歳
東京都出身。兄1人。14歳でキャバクラに勤め出し間もなくSMクラブへ。中学卒業後。アメリカに留学。帰国後。18歳でAVデビュー。史上初、母親(当時48歳)と親子でAV
出演し、話題となる。その後、SMクラブを経営、ソープ嬢を経験。2児の母。
彼女は毎年、欠かさず年賀状をくれた。
業界を上がると、連絡先を変え、証拠隠滅をするかのように今までの付き合いを断ち切る女の子が多い中では、珍しいことだった。
私は業界を上がった子には、あえて自分から連絡を取らずにいた。私と知り合いだという時点で、過去の封印を解かれしまう危険性をはらんでいるからだ。
だからとは言わないが、私は彼女に年賀状の返事をだしたことがなかった。けれども私は彼女の結婚式に、のうのうと顔を出した。同じ風俗を卒業した知人の中で、彼女は私にとって少し別格だったのかもしれない。。私は引っ越しても彼女に転居先を伝えなかったが、彼女からの葉書は転送で新居に届いた。
彼女が東京を離れるときに取材させてもらったテープを探した。
七年の歳月が流れていた。
思い切って携帯に掛けてみた。不通だった。私は「連絡をとりたい」とだけの手紙を書いた。誰かに見られてもいいように、ペンネームではなく、本名を記した。
彩子(三十七歳)は現在、二番目の旦那とともに九州の地方都市で介護士をしている。六歳の子どもがいる。前の夫との間に生まれた子供は夫方に引き取られた。
「今ね、年賀状の住所とは別の所に住んでいるんだ」
連絡がついて久しぶりに会った彩子はそう言った。私はため息交じりで「またぁ?」という顔だけにした。地方での生活になじんだせいか、私の知っている彼女とはどこか違う印象を受けた。彼女は痩せていた。
「一時期、ストレスで八〇キロまで体重が増えちゃって。必死になって落としたんだ。ウォーキングとか、走ったり、食事制限したりとか。あ、でも、胸は幸いなことに落ちていないね」
そう言って彼女は、大きく突き出た胸を片手でポンと軽くたたいた。久しぶりだ。彼女が得意げな時によく見せた、その仕草。私は嬉しくなった。
東京都港区で貿易会社を経営していた父親と、宝石商を営んでいた母親との間に彩子は生まれた。母親は父より十歳年下の、後妻だった。腹違いの兄がいるとは聞いていたが、会ったことはなかった。小さい頃から何不自由なく育てられた。
恵まれていたのは環境だけではない。身長も一七八センチにバスト九十八センチ(Cカップ)、ウエスト六十三センチ、ヒップ八十七センチという日本人離れしたスタイル。そして、人よりも一回り小さい顔、少し吊り上がった大きな瞳。笑うと片方だけあるえくぼ。女が憧れる要素を兼ね備えていた。彼女は、小さい頃から通販販売のモデルをしていた。そして、母親の趣味であるクラシック・バレーやスケートを習っていた。
順風満帆に人生を歩んでいた彼女だったが、十四歳の時にキャバクラに勤め出し、間もなくSMクラブで働き始めた。初体験をすませた後のことだ。その頃から身長は一七〇センチを超えていて、大人びた雰囲気を持っていたので「十八歳」で十分、通用した。
特段、何かあった、というわけではない。ただ、学校ではみんなから無視されていた時期だった。原因は女独特の「言った、言わない」。例えば彩子が誰かの陰口を言ったと、根も葉もないうわさを流され続けた。彼女の恵まれた容姿も災いしたのだろう。登校拒否になり、彼女は自殺を考えていた時期もあったという。救いを求めて、たどり着いたのが夜の世界だった。
あれから二十年近い歳月が経ったから、そういう時期のことも表情変えずに話してくれた。こういう時、彼女の客観的な顔は恐ろしいぐらいに美しい。
「女王様の衣装が着たかっただけなの。しつけは厳しかったけど、お金ちょうだいって言ったら、何の理由も聞かずに十万くれる親だった。私、父親が四十九歳の時の子供なのね。だから、目に入れてもいたくないっていう言葉通りに可愛がられてた。だからかもしれないけど、私、お金に執着がなかったの。言い方をすれば天真爛漫。悪い言い方をすれば超我儘育ちだった。その当時、ヘビメタが好きでクラブに行っていたのね。実家と母親の店の間にそういう外人クラブがあって、学校が終わった後に行ってたのね。そこにいたお姉さんがSMの女王様をやっていて、すごくカッコよく見えたのね。ヘビメタの衣装ってSMの女王様の衣装に似ているじゃない? 」
小学五年の時から彼女は、周りからジャニーズ系の芸能人に夢中になっているときに、外国人ミュージシャンが好きだった。きっかけは「MTV」という深夜の音楽番組。八〇年代以降のアメリカやイギリスのミュージシャンたちのビデオクリップを流していた。それんらずっと外国に憧れを持っていた。洋楽への趣味が功を奏して、英語の成績は良かったという。
彩子と同年代の私も、その「MTV」を見ていた。最初に彼女と話が合ったのも、音楽の趣味が近かったからだ。私は外国に憧れを持たなかった方だが、彼女同様、英語の授業は好きだった。
思い立ったらきかない彼女は、そのクラブで知り合ったお姉さんの紹介でSMクラブに行った。しかし、最初はMをやらされた。鞭で打たれたり、縄で縛られたりするのを耐えきらず、Sをやらせてくれと頼んだ。だが、いざやってみると、全くできなかった。
「ただ単にひとをひっぱたけばいいっていうんじゃなかったのよ(笑)。すっごく人の心理を察していかなくちゃならない仕事だった。何を言われたいのか、どこをどうされたいのか。自分のことしか考えて生きてこなかった私にできるはずがないんだよね。だから、仕方なくMをやっていたんだ」
それから彼女は、高校に進まず、親のコネでアメリカに留学した。
「親は仕事があったし、一人で行ったの、いろいろあったけど、すっごい楽しかった。それで度胸が、据わっちゃったんだよね」
日本に帰ってきてディスコでスカウトされ、十八歳の時にAV女優デビューを果たした。
「抵抗? 一人で脱ぐ分には全くなかったけど、さすがに男優さんとのカラミにはすっごくあった。でも、最初はグラビアからだったから、だんだん慣れてきちゃって」
親も寛大だった。両親ともマスコミの仕事に昔から興味を持っていた。彼女がグラビアで雑誌に載ると喜んで買い物に行き、周りの知り合いに見せて回っては自慢していた。
「すごい恥ずかしかった。だって、自慢するものじゃないんじゃない?」
彼女がメインで出ていたのは、男性誌かエロ本で、無論、ヌードだ。
それだけではなく、彼女がドラマのエキストラの仕事で台本を貰って実家に持っていくと、母親はその台本に有名な俳優の名前があると現場についてきてしまい、「この子の母親です」と挨拶に回るほどだった。
そんな母親に、ある雑誌からオファーがきた。親子でグラビアに出ないか、と。
彩子の母親は当時四十八歳。スーパーの袋が似合う、体形も顔もどこにでもいる「オバサン」だった。しかし、なんとなく女性の色気を持っていたという。
「もう、有頂天でしたね。そしたら、話がどんどん進んじゃって、お父さんまで出る話になっちゃって。父親と母親、そして私の三人でお風呂に入っている写真を撮ったの。それがすっごい話題になっちゃって、もうあれよあれよという間に母親の単体ビデオ撮影することになって。さすがに一緒にカラんでいないですけどね(笑)」
当時は本当の親子がお風呂に入っている写真がグラビアに飾っただけで衝撃的だった。他の母娘が共演するのはAV史上初めてのこと。一躍話題の人になった。
「さすが私の母親だよね。ミーハーなのよ。注目されるのが大好きだし」
彩子は大口を開けて笑った。私はそれを見て少しだけほっとした。再開したときに覚えた違和感は、私の思い違いだと心に言い聞かせていた。
その企画が大当たりして、バカ売れした。親子で数本のAVを撮影し、彼女の単体物だけではなく、母親の単体物も撮影された。どれも売れ行きは好調だった。
今は慣れたが、最初にその話を聞いたときは信じられなかった。「親バカ」はAVや風俗の業界で女の子が一番恐れる。開き直って裸業界を徘徊して雑誌やAVに出まくっていた私でも、さすがに親バレは怖かった。だからこそ、こんな親子が実在することに驚きを覚えた。性の情報が氾濫して飽和状態の現在ではよくある話だが、彼女が出演したのはかれこれ二十年近く前である。
彼女が五十数本のビデオに出演し、母親が六本の出演を終えたとき、また共演の話が来た。撮影は順調に進んでいた。しかし、母親が電話を取るシーンで様子がおかしくなった。
「最初はふざけていると思ったの。深刻な演技をしなくちゃならない時なのに、セリフもろくに言わずに、あわあわ言っているんだわ。もう、本番中に何をやっているのよ! って。そうしたら、突然倒れて」
脳溢血だった。意識不明のまま病院に運ばれた。母親が元気に動いている姿を見たのは、そのAV現場が最後になった。
彼女が成人式を迎えた一週間後のことだった。
もう、人前で何度もこの話をしたのだろう。話をする彼女はセリフを読むように淡々として不幸は、ドラマのごとく続く。
「母親の意識が戻らいうちに、今度は父親が倒れて‥‥」
母親の病院通っていた父親が「お腹が痛い」と検診を受けた。すると、大腸にガンが見つかり、即入院となった。手術でお腹を開けたら、肝臓など他の臓器にも移転していた。末期のガン――。半年も経たないうちに父親は他界してしまった。遺族保険料が彼女の手元に入った。
「そこらあたりのことは、はっきり覚えてないなぁ。とにかく母親の入院とか父親の入院、AVの仕事もキャンセルできなかったから、病院に行きながら仕事をこなしてた。その頃は同時にストリップもやってて、地方はさすがに行けないから頼み込んで都内だけの巡業にしてもらってたのね。病院と撮影現場と劇場を行ったり来たりで。でも、今思うと親戚の人たちも助けてくれてたからあんまり大変じゃなかったかもね」
両親が危篤状態の時に、彼女は人前で裸になっていた。何度涙を飲んだことだろう。
父親の他介後、母親の意識が戻った。しかし、さすがにすぐに父親のことは言えなかった。容態が悪化するのを恐れたからだ。
トイレも一人でできない、障害者一級の母親が彼女の生活にのしかかるようになった。
「死んでくれればよかった、そう思ったことも何回もある。今は、生きていてくれてよかって思えるようになったかな」
彼女はそれまでの名声を全部捨て、素人として単身でSM物のAVメーカーに売り込みに行き、出演した。売り上げは好調で、その作品はシリーズ化した。SMビデオのカリスマ女王としてまた話題をさらい、ストリッパーをしながらSMクラブにも勤めた。
その時に私は、とある雑誌の企画で彼女と取材で会った。十年くらい前のことだ。
スタイルが滅茶苦茶いい、そして、恐ろしく頭がいい子。なんでこんな子がこの業界に入るのだろうと不思議でならなかった。
ライターになりたてで、ろくに質問の言葉が出てこない私に、取材慣れしていた彼女が根気強く、そして優しく接してくれたのだった。最後に最近買ったというマンションの連絡先を教えてくれた。この人柄に、私はますます彼女が風俗で働いているのが理解できなかった。
それから半年もしないうちに、彩子は新宿に自分のSMクラブを開店させた。
「また取材してください」
店の案内が書かれている下に、彼女の直筆の文字が入った葉書が届いた。
数人の女王様を雇い、オーナー兼女王様として働いていた。そして、さらにその一年後、彼女は一回目の結婚をした。できちゃった結婚だった。旦那は五歳年上の、以前彼女が勤めていたSMクラブの従業員、夫婦二人三脚でSMクラブを運営していた。再開した時の彼女は、新宿の街で乳母車を引いていた。
「新宿で子供を産むといろいろな補助が出るんですよね。例えば、この乳母車も‥‥」
彼女はすっかり母親の顔になっていた。なんとなく、私は彼女がもうすぐ業界から上がるのではないかと感じた。
何度目かに会った時、彼女は一人で引っ越しの準備をしていた。私は都内のどこかに転居するのかと思っていた。彼女の立てた店は好調で、在籍する女の子も増え、事業を拡大していた時だったからだ。
「お店を閉めた。田舎に行くことにしたんだ」
思いがけない言葉に、私はびっくりして声を短く上げた。そんな私をよそに、彼女は段ボールにガムテープを貼り付けていた。そして、玄関の隅に置いてあったホーキと塵取りを取り出して玄関の窓を開け放った。
「旦那が子供を連れて田舎に行っちゃって。だから私にも来いってことじゃないかなって」
玄関の掃き掃除をしながら、彼女は呟くように言った。事実関係以外のことをあまり話さない彼女には珍しいことだった。
「それでも店の運営はしなくちゃいけない。ちょっとこの頃店が上手くいっていなくて、その穴埋めのために私、ヘルスやソープにも働きに行ってんだ。雇った女の子を急に辞めさせるわけにはいかないから。でも、もう限界で」
彼女は手を止めずに話し続けた。AVでも拒んでいた「本番」を、彼女は始めていた。それは雇っている女の子たちのため、そして自分のために。
「全てのことに冷めてたんだよね。父親が死んで、母親もろくに話ができないし。だから。唯一の支えだった男に依存しちゃつて」
その旦那は。彼女の母親が倒れたときも一緒に居てくれなかった。趣味の博打と、浮気に忙しかった。支えてほしい時に側にいてくれなかった。私は自分がなぜ、彼女のことが、折に触れて気にかかるのかが分かった。私と同じ男環境にいたからだ。
「なんで私だけこんなって何度も思った。両親もそうだけど、付き合う男もそうだし。自殺? そんな考える余裕はなかった。お酒飲めないし、ストレスを発散するのが仕事しかなかった。宗教にもハマったよ。楽になりたくて三百万ぐらい払った。でも、全然楽にならなくて。で、それも限界」
この瞬間を残さなくちゃいけない。
私は得体の知れない使命感に駆られて、別の取材のために持ってきていたテープレコーダーで彼女の話を録音させてもらった。衝動的手が動いていた。
「なんか、今、やっと後ろを振り向く余裕ができたって感じなの。仕事しか頼る物がなかったから粋がってたのかもしれない。寂しさ? そうかもしれない。でも、寂しさって気持ちを作ったのは自分だから、自分で拭うしか解決しないでしょう。他人に埋めてもらっているままなら、いつまでも繰り返しでしかないから」
私は自分のことを言われたような気がした。
「自分の気持ちを素直に出せばよかったんですよ。仕事にしがみついてる自分が常にいて。そう思えたのは、ソープに行ってから。私、ソープだけは絶対にできないと思っていた。それだけは好きな人というか、感情が入っていないと無理だって。でも、案外すんなりいけた自分にビックリしてね。それで思ったの。ここまでできるんだから自分はコンビニで働いたり、なんでもやれるって」
わたしは彼女が自分の一線を越えた強さと哀しさを、同時に感じた。
「もう、十年間も体を張る仕事をしてきたからこの辺でいいかなって。普通の人が経験できないことをしてきたし。いくら身体を張っても、稼いだ金はすぐなくなっちゃうし。家族ができれば仕事に執着しなくてすむからって考えたの。幸せなことに、旦那の家族も受け入れてくれるって言うし。今でも不安ですよ。これからどうなるか分からない。なんでもやれるって意気込みだけはあるけど、何の資格も昼の仕事の経験もないから」
洪水のように喋り続ける彼女を見ていて、もう彼女と会えなくなるかもしれないと思った。私は目の前が熱くなっていくのが分かった。それを止めるのに必死だった。口を固く閉じ、話を聞き続けた。
「もうこの業界には二度と戻らないと思う。もう母親も子供もいるし、旦那もいるし、裸になりたくない。やっぱり」
彼女は旦那の田舎がある四国に行ってしまった。
何度目かの年賀状が届いたころ、同時に結婚式の招待状が届いた。私の頭の中に「?」がいくつも出てきた。彼女から全く何も聞いていなかったからだ。それでも私は、自分を覚えていてくれて、しかも結婚式に呼んでもらった嬉しさで出席に丸をつけ、すぐに投函した。
二度目の結婚式だった。案内された席には当然のごとく知り合いは一人もいなかった。私は風俗の空気を放出しないように、周りに気を配りながら、次々と運ばれてくる料理を口に運ぶのに懸命だった。久しぶりに見た彼女は相変わらずきれいで、涙をためて終始うつむいていた。
「幸せになります」
彼女は湿り気を帯びた声でそう言った。
私は周りの人たちと合うように拍手をした。歓談中、誰彼となく話をし始めた。私は口にものを運びながら全神経を耳に集中させ、その人たちの話を聞きかじり、頭の中でまとめようとしていた。つまり、今の旦那さんは母親の介護をしていた人で、それが縁で結婚に至ったのだということ。ああ、普通の人と結婚したのか。
式の最後、彼女は一人で私を見送ってくれた。階段を下りながら、私は聞いた。
「前の旦那とはなぜ?」
彼女は下を向いたまま答えた。
「お前だけ貯金できていいなって言われた」
彼女は田舎に帰っても、時々都内でAVの仕事をしていた。そのお金を生活費に回し、一部、自分の貯金にしていた。
「将来のために、自分でもお金を持っておきたかっただけなのに。自分のため、母親のため。やっぱり辛かった。立ち直るのに一年はかかった」
私は頷くことしかできなかった。彼女の顔を見られなかった。彼女も見てほしくなかったに違いない。
「でも、今度の人はすごくいいひとなの。初めてずっと一緒にいたいって思えた人なんだ」
なんとなく、彼女がまた遠くなった気がした。
「それに‥‥」
彼女は一瞬、言葉に詰まった。
「東京にいると意地で生きてきた部分があったの。生まれ育った地元なのに、おかしいけどね。田舎に住んでみてそれが分かったの。意地張って生きるのって疲れるなぁって」
東京を離れるのを怖がっている私にその言葉を残し、彼女は旦那の実家がある九州に行った。
それから七年間、年賀状のみで連絡を取らなかった。
私は彼女に再会する機会に恵まれた。私が付き合っている彼との初めての旅行を兼ねて、会いに行くことにした。
彼女と会う約束の前日に現地に着き、彼と観光を楽しんだ。楽しむようにした。私の心の中は複雑だった。かつて十二年間付き合っていた前の彼が、この土地にいるのだ。
物書きを辞めて、その男と喫茶店をしながら暮らしていこうとした土地でもあった。だから、ある程度、風景は見覚えがあった。たかだか四年前のことだった。今の彼にはそのことを話していた。私の胸中を察していたのか、運転席でハンドルを握る彼は、いつもより饒舌だった。
今は何をしているのだろうか。あの女性と幸せに暮らしているれのだろうか。
そう思い、目を強くつぶり、頭を左右にふってその思いを払った。
隣にいる彼の子供のころに親と旅行で来たというホテルは様相が変わっていたらしい。「あれ~?」と驚いていた。しかし、ウッド調の落ち着けるホテルだった。
明日の取材のために、二人で早く床に就いた。泊っていたホテルから指定してくれた中心部にある取材場所まで、車で一時間かかる。彼が、車でその場所まで私を送りがてら、観光を楽しむ予定だった。
しかし、私は夜中に何度も起こされた。眠れないのだという。彼は持病の薬を持ってくるのを忘れたため、寝付けなかった。でも、この地方出張の時間を入れるためにタイトなスケジュールで仕事をこなしてきた私は、身体が言うことをきかなかった。彼の助けにも応じられず、眠りこけてしまったのだった。
朝五時。何度目かの彼の揺さぶりで私は起きた。途切れ途切れの睡眠の中、目をやっと開けると、真っ青な彼の顔が見えた。飛び起きた。
すぐにフロントに電話した。スタッフが来てくれて、即、病院に行くことにした。しかし、あまりにも辺鄙なところにあるため、緊急病院は近くに無かった。スタッフが事情を理解して、受け入れる個人病院を探し出してくれた。幸い、彼はまだ歩けた。
急性アルコール中毒。
点滴を打ち始めると、彼の顔色が戻ってきた。話を聞いてみると、眠れないので、お風呂に何度も入っては、焦って部屋の冷蔵庫にあったアルコール度数が高い酒をのんでいたという。そう話し終えると、かれは眠りに落ちた。
地方に行くと、何かが起こる。
それでも、私はいくら身体が辛かろうと、引き摺ってでも取材場所に行く。今、会っておかないと、二度と会えない人かもしれないからだ。体調など気にしておられない。この、今という時間にしか、私には与えられていない。
私は病院の外に出て、財布が入ったバッグから煙草を取り出し、一息ついた。今回の取材前のトラブルが女がらみでなくてよかった。私は以前の北海道取材でのいざこざを思い出して、苦笑いした。
部屋に戻っても、彼の容態はあまりよくなかった。やむにやまれず、彩子にワガママを言い、ホテルまで来てもらった。ホテルの部屋のベランダで話を聞くことにした。
彼女の美しさは増していた。
「ねぇ、今も介護の仕事を続けているの?」
急遽の予定変更と、足を運んでもらったことに何度も詫び、挨拶程度にそう聞いた。
「う‥‥ん。時々、やってるよ」
珍しく歯切れが悪かった。
「今、ソープで働いているんだ。介護士だけだとお金にならなくて。それに、今離婚を考えているから。う‥‥ん。別居中。多分、近いうちに別れるかもしれない」
地方に住むと人は変わる。東京にいた時の気概やプライドが、もろくなるのだ。
七年前の時には、
「十年間この業界にいて、いろんな人に出会えて嬉しかったし、お客さんに人間として言っちゃいけない言葉を散々言われたし、勘違いしている人もたくさん見てきた。だから、いっぱい傷ついた。その傷の代償がお金だったけど、それもすぐになくなる。なのに、心の傷はずっと残っている。でも、自分の鏡じゃないけど、人を通して自分の内面を見られた気がする。だけど、もう風俗には戻らないと思う。もう、散々やったし、知っちゃったから。できないよね。お客さんに触られた身体で子供を触りたくない」
そう彩子は確かに言っていた。私の次の言葉が出なくなってしまった。
とはいえ、それぞれの事情があるのだから、私が責めるものでもないし、なんの権利もない。彼女が望むものを与えられる人間でもない。そして、私も彼女同様、あの世界にいつ戻るかわからないのだから。
「よくよく考えたら風俗で悪い思いはしていないんだ。自分の思い込みで嫌いになっただけだった。だから戻ったの。個々にある店ってのんびりしていいんだよ。女の子も私を含めて三人しかいなくて。指名もとらなくていいし」
話を聞いていくと、彼女が風俗を再開したのは別居する一ヶ月前ほどの前のことだった。介護の仕事があまり金にならず、自分の好きなものが買えなかった。そんなある日、その仕事で知り合った男性を好きになってしまい、それまでの歯止めが取れてしまったのだった。風俗で働いていた過去を知っていた旦那は、それを禁じていた。だから、内緒で働いていた。
しかし、自然と金使いが荒くなってしまった。旦那にバレそうになり、友達にアリバイ作りを頼んだ。窮地を逃れたが、すぐに旦那は、彼女を尾行し、働いていた店を知られてしまった。
「とにかく今は頭を冷やせ」
旦那はそう言って。別居を許してくれた。
「旦那はすっごくいい人よ。どこに行くでも一緒についてきてくれるし、ネギ買ってきてと言えば本当に買ってきちゃうような人。でも、ふと思ったのね。男の人は一緒に居てくれるよりも、まず仕事だろうって。旦那へのストレスで体重が激増したの」
彼女は最近発売されたばかりの煙草の封を開けた。彼女のために用意したお弁当もお菓子も飲み物にも手を付けようとはしなかった。話しを続ける。
「多分、私は別れちゃうと思うの。まだわからないけど、その好きになった人のところに行っちゃうような気がするの」
私は目をしばたかせながら、聞いた。
「え? 子供はどうするの?」
「多分、旦那の元に置いてくる。その方が幸せになると思うから」
一人目の子供も、旦那のところに置いてきた。
「う…‥ん。私、自分でも驚くほど、他人に自分の世界に入ってこられたくない人なのよ。ある一定の境界線を越えてきてもらいたくないのよね。それが親であっても旦那であっても子供でもあっても」
私は彼女が言っている意味がよく分からなかった。彼女が手を付けていないのに、私は朝からごたごたで一食もしていなかったことに気づき、話を聞きながらお弁当をほおばっていた。さすがに箸をとめた。
「家のことをするのが苦じゃないし、不満はないけし、幸せなんだよ。でも‥‥何かが満たされない。何でだろう? 刺激が欲しいのかな」
「幸せに飽きちゃうの?」
「飽きるのは違うと思う。満たされないの。欲求不満なのかなぁ。とはいえ、自分がどうやったら満たされるのかも分からないんだよね」
頬をつぼめて、彼女は思いっきり煙草を吸い込んだ。
彼女がそうなのは、破滅願望のせいなのだろうか。
風俗など裸業界を上がって、普通の生活をしていると、なぜかその生活を壊したくなる衝動に駆られる子が多い。
「今の生活はまやかしだ。自分の本当にいていたいのは、あの世界の中だけ。普通の世界は知った。やっぱり偽物だった。だから、あの世界にもう一度戻りたい。それが破滅でも、かまわない」
そう思ってしまいがちなのだ。それは、その時の自分を恥じることであり、誇ることでもある。頑張っていた、がむしゃらに生きていた時の自分を思い出す作業でもある。そして、一度そういう世界に自分の身を置いてしまったために、自分は普通の世界でも生きられるのかどうなのか、という不安からでもある。
もっとも、昨今はその逆の場合が多い。普通の世界に飽きたから、目立ちたいから業界入りをする女性も少なくない。
私が言ったことを彼女は否定した。
「多分、私は違うと思う。むしろ、疎外感からかな。なんかね、普通の生活って楽しいし、落ち着くんだけど、私の昔を知っている友達の方が一緒居て楽なの。普通の主婦とかOLさんって自分の世界を持っている人が少ないんだよね。それが大袈裟で、自分を殺し過ぎてる。なんでも旦那主体、子供主体で。私は逆なんだ。私、自分が主体なの。価値観の違いかなぁ」
私から見たら、旦那も子供もいて満たされているように見えている彼女。なのに、違うという。何をすれば彼女は満たされるのだろうか。確かに、普通の世界で生きていれば全ての人が幸せなのかと言えば違うと思う。
彼女のお母さんの現況を聞いた。今でも状況は変わらず、彼女の家の近くにある施設で暮らしている。この頃歳のせいか、痴呆が出てきてしまったという。
「それでもお母さん、分かるんだろうね。私が精神的に参っているときに顔を出すと、手を握って離さないのよ。なんにも話さないのに、なんでだろうね。だから、お母さんのところに行く時はなるべく精神状態がいい時にしているの」
そう言って、彼女は笑った。
帰りに彼女に頼んで一緒に写真を撮った。知り合って初めてのことだった。なぜか、そうしたかった。
写真を撮りながら聞いた。風俗の世界にいってしまう自分のことを。
「店で働いているは『イヴ』っていう一つのキャラクターなの。だから、ぜんぜん苦じゃない。体を売っているのは「イヴ」という女。私、彩子ではないから」
サンリオのキャラクター物に埋め尽くされている自家用車に乗って彼女は去っていった。私は車が見えなくなるまで見送った。
彼女のように身体を張って生き続けることを選択する女性がいても、おかしくはない。それが満たされて育ってきた贅沢病のせいだと思う人がいたとしても。
私は裸業界を、
「さっさとお金を貯めて、さっさとあがる」
という昔から根強く残っている鉄則が、正しいのか間違っているのか分からなくなっていた。
つづく
第三 マドカ<身長・フリーサイズT165 B85 W58 H87>37歳
東京都出身。弟1人。高校在学中から、プロのスノーボーダーとして活動。卒業後、大会出場費捻出のために乱交クラブへ。その後、ヘルス嬢に転身。客の男性と結婚3児の母。
稼いだ金は結局あぶく銭。私はそれをしたいことに使ってのこさなかったから、よかったと思っている。