藤堂志津子 著
かげろう 藤堂志津子
雪江が白沢弘道と会ったのは、大学をでて二年目の二十四歳、美術館でアルバイトをしていた時だった。
ゆくゆくは学芸員の資格をとりたいというのが、雪江の当面の目標であり、そのためにさまざまな紹介者やつてを頼って、ようやっと手に入れたアルバイト先でもあったのである。
二十五歳上の白沢は、当時すでに名の売れたタレント文化人で、テレビから新聞、ラジオ、雑誌などのメディアに頻繫に登場していた。
「多才で、粋で、風流で」というキャッチフレーズがついてまわり、現在は独身、というのもそのイメージにプラスになってもマイナスにはならなかった。
白沢の本業は近代西欧美術史の研究ではあるものの、出版社のすすめで書いた画家ロートレックの伝記が、一躍ベストセラー入りをし、その名は広く知られことになった。伝記といても小学生にも読めるほどわかりやすく、コンパクトな新書サイズだったのが当たったらしい。十数年前のことである。
美術史の研究のみならず、白沢は日本の骨董品や書画への造詣も深く、音楽方面においてはバッハとモーツアルトを好んでとりあげ、さらに地球規模の食文化全般の情報提供者であるとともに、ファーストフードに代表される現代の食への警告も発しつづける識者というスタンスも、いつのまにかその肩書きにふくまれていた。
ただ彼が長年にわたって各メディアに重宝がられてきたのは、多才で物知りという理由からだけではなかった。
白沢は話術に長けていた。アナウンサーのように、よどみなく、なめらかに喋るのとは違い、むしろ、その反対に、ぼそぼそした印象を受ける語り口だけれど、気が付くと、彼の話に耳に傾けてしまっている、といった独得の魅力と説得力があった。どこの地方の訛りなのか不明だが、かすかな訛りもまじり、何処かとぼけたようなイントネーションに「おや?」と耳をそばだてているうちに、白沢の地だということである。
容姿は、五十代を目前にした男性の、いたって平均的なパーツで作られていた。とりわけハンサムでなく、長身でカッコいいというのでもない。しかし白沢が黙っていても発している、どこまでも明るい陽のオーラは、やはり、並みの人間には持ち合わせない不思議な輝きだった。
加えて、その年齢にして少しの衰えも見せていない豊かな頭髪も、白沢の外見を大きく特徴づけていた。幾分白髪が混じっているとはいえ、たっぷりとしたそれは、白沢から生活臭を払い落すのに見事に役立ち、ロマンを追い求める長髪の青年がそのまま年月をへていまにいたっている、とでもいうようなストーリーを、見る者の脳裏に喚起させるのだ。
雪江が学芸員の見習いともいうべきアルバイトをしていた美術館でおこなわれた会議に、白沢も出席者の一人として参加したのが、ふたりが知り合うきっかけとなった。
それは、美術館の今後のあり方や方針について、識者からの助言やアドバイス、提言をいただくという場で、二ヶ月に一回の割りで春から三回ひらかれた。
どの出席者も雪江からすると親ほどに年の離れた人々とで、緊張すると同時にけむったくもある存在だった。だいたいが案内役の小娘でしかない雪江には、笑顔ひとつむけようとしない嵩高(かさだか)い連中でもある。
そんななかで白沢弘道だけは例外で、屈託のない笑顔で、
「ごくろうさん」
と言われたという、ただそれだけのことなのに、雪江はたちまちに白沢のファンになった。
あとになって白沢は、そんなふうに雪江に声を掛けたのは「見るからにきみはガチガチに緊張していて、なんだか、可愛そうになったんだよ」と言っていたけれど、しかし、雪江は、本当に白沢はその時のことを覚えていなかったのだろうと直感した。そこで「覚えていない」と言わずに、相手に話をあわせてくるのが、白沢という人物のやさしさであり、悪い意味ではない世渡りのうまさであり、ひとの心を読むのに敏感な、少なくとも二十代の雪江よりは人生の達人であった。
「白沢弘道はすてき」といったファン心理は、二ヶ月後の会議で再会した際には、片ときも目が離せない気持にまで発酵していた。
それから二ヶ月たった三回目の会議の日、雪江は、白沢に会えた喜びと、会議はきょうで終わりだから、もう会うことはないのだ、という物淋しさを交互に味わいつつすごした。
おそらく雪江の眼差しは、その自覚もないままに、しつこく白沢を追い続けいたに違いない。
会議から十日ほどたった日、いつもどおりに館内の雑用をしていた雪江に電話がかかってきた。受話器の向こうで「白沢です」と名乗られても、すぐにはピンとこず、再度、先方が「白沢弘道です。覚えていますか」と言ってきたとたん、雪江は、そとに向かって発する絶叫が、体の内側を四方八方に光線のようにかけめぐる感覚にとらわれた。
「食事でもいかがでしよう」
と、白沢の誘いはストレートで、しかし、その物言いは、柔らかく、押しつけがましさのないものだった。
雪江に断られることも予期した含み笑いのニュアンスもこめられていた。
もちろん、雪江はその場で二つ返事でOKした。OKしたことは覚えているものの、自分は実際にどういったことばで承知したのかの記憶は抜けていた。
夢見心地の状態はそのまま数日後の約束の夜までつづき、白沢が指定してきたレストランに入ってからも、まるで醒めなかった。
雪江の目からすると、白沢は非の打ちどころの完璧な紳士であり、尊敬の思いもさらに強まった。
ワインや料理を運ぶときの、ソムリエやウェイターの顔をたてた、さらりと洗練されたやりとり、テーブルでの気取りのないマナー、豊富な話題といつ聞いても耳に快い、かすかな訛りのまじった声のトーン、場慣れしていない雪江に恥をかかせないよう、それとなくリードし教えてくれる思いやりにあふれた言動など、二十四歳の雪江が、男性はこうあってほしい、こうしてもらいたいと願うことごとくを、白沢は体現していた。
白沢もそこそこに雪江を気に入ってくれたようだった。
「基本的にぼくは、一本気なくらいまじめな性格の若い女性が好みでね。あまりにも垢抜けた、お洒落上手で遊び上手のタイプは苦手だなあ。そう、不良性のあるというか。若手男の子は、多少、不良性のあるほうが面白いとは思うけど、若い女性には必要ない。ぼくにとってね」
それは白沢一流の社交辞令かもしれないけれど、雪江をほっとさせるには十分だった。自分は決してきれいではなく、おしゃれのセンスがいいわけではなく、気の利いたセリフをとっさに言い返す機転のある性分でもないことは、わかっていたからだ。
しかし、そこそこに気に入りはしても、それ以上の関心はなかったらしく、レストランで食事をしたあと、白沢からの連絡は途絶えた。
ひと月が過ぎたころ、勇気を振り絞って雪江は白沢に電話した。
白沢は驚くでもなく、迷惑がるふうでもなく、つい数日前に会って別れたような気軽さで言ってきた。
「よかったら、またごはんでも食べようか」
「えっ、いいんですか」
白沢は苦笑いを漏らした。
「おかしな人だなあ。じゃあ、なんのためにぼくに電話してきたの」
「いえ、あのう、お元気でいらっしゃるかどうかと思って・・・・ただそれだけを聞きたくて」
「ハハハハ。いゃ、失礼。あんまりにもが不器用なんで、つい、おかしくなっちゃって」
そのことばも雪江を、たっぷり二週間は有頂天にさせつづけた。
白沢の交流関係は広く、二十五歳下の女性の友人など目新しくも珍しくもないことは、少しずつ雪江にも呑み込めてきた。三十も年下の女友だちもいれば、三十歳年上の友人もいたし、外国人の友人知人の名前も頻繫に話しの中に出てきた。そこには同性愛のカップルも数組ふくまれていた。
何回となく一緒に食事をしても、白沢は雪江をただの友人という位置から変えようとはせず、期待させるような素振りも見せなかった。
つまり白沢はベッドを共にするような踏み込んだ関係の相手には不自由していなということなのだろう。一年もそうした状態がつづいたころには、雪江もようやくその現実を認めた。自分に言い聞かせるための、しぶしぶながらの納得の仕方だった。白沢は恋愛感情を抜きにした年若い友だちのひとりとして自分をかまってくれているのだろう。そして、こうしたつきあいは、彼にしてみればごく日常的なものだろう、と。
おかしな期待や自惚れは持つまい、そう自分に繰り返し言い含めつつも、しかし雪江は白沢との交際をまったく断ち切ってしまう勇気も度胸もなかった。未練がありすぎた。
いったん白沢のような、あらゆる面において申し分ない男性を知ってしまうと、まわりにいる凡庸(ぼんよう)な男たちは、どれもこれも物足りなりなかった。特に雪江と同年代の二十代の男たちや三十そこそこの男たちは、若いがゆえに人間の厚味に欠けていたし、飢えたような目つきには浅ましく、その言動はおおむねせっかちで、粗野で貧しく、知性に欠けていた。
白沢に対抗できるほどの社会的な地位や肩書き、知力、教養、財力、さらにチャーミングな人柄にいたるまで、併せ持っている人物など、雪江は、白沢に出会う前も後も見たことがなかった。
白沢のたくさんいる女友だちのひとり、というポジションのまま二年がたち、三年がすぎていった。相変わらず色っぽさのまじらない無難なつきあいに終始していた。
学芸員の資格をとる。という初心は忘れたわけではないけれど、雪江は以前のような意欲は持てなくなっていた。
「将来的には正規の学芸員として美術館で働くのが夢」
となにげなく語ったとき、白沢があまり興味のなさそうな目で聞き流したのが、ずっと記憶に引っ掛かり、その擦り傷めいた箇所から熱意とか情熱といったものが少しずつ垂れ流されているようだった。
後日、あのときの彼は何かほかのことに気にとられていたのかもしれない、と思い直し、ふたたび学芸員の資格の話を持ち出してみた日も、白沢は、やはり、つまらなさそうに、短い相槌のほかにコメントしなかった。
雪江は、白沢がいつまでたっても自分を一人の女性として見てくれないのは、このことが原因ではなかろうか、と本気で考えもした。白沢の過去に、学芸員ということばは不快な思い出と結びついていて、それでそこに夢を託す雪江にまである一定の距離を置かせているのではないか。
しかし、この想像は白沢の前で口にしたことはなかった。
「そんなんじゃないよ」
と白沢に一笑されるのをおそれた。
「きみを女性と見られないのは、学芸員の資格云々が問題じゃない」
と言った返答が戻ってくるのが、とにかくこわかったのである。
ふたりが知り合って五度目の春を迎えた。
雪江は二十九歳、白沢は五十四になった。
白沢の海外出張などがあって、二月近く連絡が途絶えていた日の夜、雪江は白沢の自宅に電話してみた。ごくなんの気なしの電話だった。
在宅していた白沢はすぐに電話に出た。いつもどおりの明るく快活な声は、雪江にも元気のおすそわけをしてくれそうで、実際、白沢の声を耳にしているだけで、雪江は、冷たくなっていた手足の先が急速に温まって来るのを感じた。
しかし、次に白沢の言った内容は、快活な声音を裏切るものだった。
「いや、じつは、まわりに黙っていたんだが、あす、簡単な、ちょっとした手術をすることになってね。ま、たいしたことはない。入院じゃなく日帰りなわけだし」
「・・・・どこがお悪いのですか」
雪江はショックと心配のあまり軽いめまいを起こしつつたずねた。
「海外出張から帰って、どうも調子がいまいちなもので、知人のドクターに薬でも処方してもらうつもりだったのだが、むりやり検査にまわされてしまって、この有様だ」
「で、どこが?」
「よくある話さ。ポリープ。大腸にポリープができているそうだ。用心のために、撮った方がいいと言われてね。開腹手術じゃない。内視鏡を入れて切るらしい」
「どちらの病院ですか。あす、私も行きます」
「よしてくれよ。こういう大げさなことになるのがいやで、だから、だれにも言わないでいたのに」
「だれにも内緒でという気持ちはわかりますし、簡単な手術なのもわかります」
と雪江は、声に内心の狼狽と泣きだしそうな思いがにじまないように、必死に自制した。
「ただ、万が一に、もし万が一ですよ、手術中とか術後に容態が急変した場合、そばに付き添ってる者がいた方がいいのではと」
白沢は気弱く苦笑した。
「不吉な事は言わないでくれ」
「他言はしません。ですから、せめて病院を教えてください」
そして雪江は心の底からしぼりだすような声をだしていた。自分で自分の声にびっくりするぐらい、それは悲痛で、切迫していた。
「お願いです、先生。せめて病院名を」
白沢も一瞬、圧倒されたように押し黙り、やがて観念したのか、ぽつりとつぶやいた。
「T胃腸科病院・・・・」
翌日の午前、白沢の内視鏡手術はおこなわれた。
もちろん雪江は勤務先の美術館に連絡して休みをとり、T胃腸科病院におもむく、しかし、それとなくその姿を白沢にじかに体面するもなく、しかし、それとなくその姿を白沢に確認させ、あとは廊下のすみのベンチにすわって待った。
白沢が言っていた通り、手術は短時間で終わり、白沢の体力も大きく消耗するまでにはいたらなかった。
良性のポリープと医師から聞かされていたはずが、しかし、術後の細胞検査で、初期のガン細胞が見つかった。とはいえ、ポリープはすべて除去したのだから、おそらく心配する事態にはいたらない、という医師の説明だったという。
この話を、白沢は、ガラスの天井越しに初夏めいた陽射しがさんさんと降り注ぐ午後のティールームで雪江に打ち明けた。そこは都心のホテルの最上階にあるティールームで、白沢のお気に入りの空間だった。内視鏡手術から一ヶ月が経ってもいた。
「ついにぼくもそういう年齢になったか、と思ったな。友人のドクターは、ぼくを気遣って、心配はいらないと言ってくれたんだろう。が、しかし、ガンになりやすい体質なんだよ、うちの家系は。父も母もガンで死んでいる。遺伝的にガンの家系だ」
「・・・・でも、遺伝的にそうであっても、食生活の改善などで、体質を変えることもできるといいますけど。実際私の知りあいで、ご両親ともに糖尿病だったのが、そのひとは粗食、低カロリーの食事を心がけてたためか、いまだに糖尿病にならずにすんでいるそうです。その方も先生と同じ五十代ですけど」
「なるほど。そういうひともいるのか」
「ですから先生も食事をお肉よりも野菜中心にかえて、油分を少なめにして、ポリープの再発を予防してください」
「そうだね。心がけはするよ。しかし、これがぼくの寿命なら、それはそれでいいか、という気がしないでもない。だから、もう病院にはいかない。というか検査にはいかないよ」
「・・・・先生、それは・・・・」
「いろんな死生観がある。検査に検査をかさねて、その度に悪いところは全部なおして、そうやって長生きしたい人間と、ぼくみたいに、ある程度の年齢になったのなら、体のあちこちが不調なのは当然だとあるがままに受け入れて、それ以上のことはしない・・・・けど、痛いのは困るなあ、苦手だよ。激痛に見舞われたときは、多分、ペインクリニックにだけは行くと思う。これだけはいまから正直に白状しておくよ」
「・・・・先生・・・・」
「つまりだ。ぼくはきみより二十五も年上のおじさんなんだ」
「はい、知っています。でも、おじさんなんかじゃありません」
「若い気でいても、年齢は手加減なしにやってくるものだと今回分かった」
「私だって来年は三十の大台です」
「いやいや、ぼくから見ると、きみはまだまだ溌剌(はつらつ)として若い。だからね、ぼくみたいなジジイとつきあうよりは、もっと元気いっぱいの同年代の男たちに目を向けるようにすべきだよ。急にじゃなくても、少しずつそうしたらどうかな。ほら、なんなら、ぼくの取り巻きというか、弟子を自称しているようなユニークな若者たちもいることだし。いや、ユニークすぎるかな・・・・要は、きみの気持ち次第であるけれどもね」
そこまで言ってから、白沢は伏し目がちになって首を横にふった。
「いや、どうも説教じみたことは、まったくもって似合わないなあ。言っていても、自分でもこそばゆくなってくる」
その瞬間、ふだんは実年齢よりぐんと若く見える白沢が急に老け込み、まさしく老人しなって雪江の目に映った。
ふいに雪江は泣きそうになった。白沢がだれにも言わずにこっそりと隠し持っている孤独の正体を、この目で見たような、そんな錯覚にもとらわれた。
とっさに雪江は口にしていた。とっさの感情の高ぶりのようでいて、じつは、何年間も胸のうちで温めていたのだと自分で自分に納得するような、いたって落ち着きはもらった物言いだった。
「先生、私と結婚してくれませんか」
びっくりした眼差しで白沢を見返した。
「私、先生の秘書として、料理人として、家事担当として、そして、もちろん妻として、先生のお世話をしたいんです」
ひと呼吸置いたあと、白沢は視線を雪江からフローリングの床へと軽く落し、つぶやくように言った。
「それじゃあ、きみ自身の人生がなくなってしまう」
「かまいません。だれかに押し付けられたのではなく、私自身がそうしたいと望んだ生き方なら、私の人生がなくなったりはしません。そうすることが、私の人生そのものです」
「嬉しくもありがたい話だが、きみの足手まといにはなりたくない。二十五も年上のぼくは、確実にきみよりうんと早くよぼよぼのじいさんになってしまう。そのとき、きみはぼくを持て余すよ、きっと。そうはなりたくない。ささやかなぼくの美意識からしてもね」
「でも、そこに愛情があれば、持て余す気持ちにはなりません」
「しかし、うんざりするよ」
「うんざりするのは、そういうことにかぎってではないでしょう? 私はこの五年間、先生に一度も女として扱ってもらえませんでした。いえ、そういう目でさえみてもらえませんでした、五年間も。それがどんなにうんざりすることか、わかります?」
白沢はほがらかな笑い声をあげた。その声は例によって雪江の体のすみずみまで温水のように流れ込み、活気をもたらした。
こういう白沢だからこそ、雪江はどうあっても失いたくなかった。彼の雪江の活力の源でもあるのだ。
(あきらめるのはいつだってできる。だからこそ)と白沢の笑い声を光のようにあびつつ、雪江はあらためて奥歯を嚙みしめた。もうしばらく根気よく努力してみたい・・・・
白沢の女性関係がどうなっているのかは、さほど気にならなかった。
結婚を決意してくれたそのときは、そういったこともきれいに片づけてくれるに違いないと白沢を信じていた。ただ黙って手をこまねいているのではなく、タイミングを見計らって、ひと言しっかりと釘を刺しておかないという智恵も、雪江は年齢とともに、いつのまにか自然と身につけていた。
翌年、ふたりは結婚した。新郎五十五歳、新婦三十歳のカップルの誕生である。
新郎は再婚のうえ、ちょっとした著名人という立場もあり、あまりおおやけにしない地味な挙式と披露宴だった。披露宴というより近しいひとびとが少人数あつまってのレストランの食事会という趣で、かえって、それは好評だった。とりわけ好意的なコメントは新婦の雪江にむけられた。
夫・白沢弘道の縁の下の力持ち役に徹している、と見なされたのだ。しかも雪江は初婚である。なのに、過小評価と思えるほどに自分をわきまえているらしい控え目さは、けなげというより、いじらしい、と感動のあまり声をつまらせる年配者さえいた。
しかし雪江には我慢したり妥協している意識はさらさらなく、そうした思い込みの激しい解釈には戸惑うばかりだった。雪江にしてみれば、ついに勝った、という達成感しかない。五年ものあいだ憧れつづけ、しかも、せいぜい食事相手としか見てもらえなかった白沢と、ついに結婚できたのだから、これにまさる幸せなど思い浮かべられないぐらいなのだ。
白沢も、最初は二十五も年下の相手と再婚した自分自身に困惑する気配がうかがえたが、新婚生活がスタートし、日を重ねていくにつれ、これまでよりももっと吹っ切れた洒脱(しゃだつ)な明るさと快活さで、雪江を喜ばせ、安心させた。
とはいえ、若い妻をえた白沢は、年齢差がありすぎるといった、ただそれだけの理由で、同性からのやっかみと妬みを受けていた。
女性ファンからは、「やっぱり、あの白沢弘道でも、女は若ければ若いほどいいってクチなんだ、がっかりした」といった、ストレートできつい内容の手紙や投書が次々と送られてきた。
そうした世間の反応には雪江も心を痛めた。
結婚に関していえば、そう仕向けていくのは自分の方で。白沢は雪江にしつこく、何カ月もかけて口説かれ、ついに承知したといった経緯がある。ところが世間はまったく逆にみなしていた。その誤解が悔しい。白沢にすまないとも思うのだ。
しかし白沢は雪江のそうした苛立ちに耳を傾けつつも、教え諭すようになだめた。
「少しばかり世の中に名が知れるとはこういうことなんだよ。些細なことで、ここぞとばかりに叩かれる。向こうは叩くチャンスを狙っている。そのペースにあるのは、ジェラシーだったり、妬(ねた)み嫉(そね)みのたぐい。それが世間というものさ。だから、ほっとけばいい。
というか、こういう場合は、傷を大きくさせないためにも、ほっといて、相手にならない事だ。人間は飽きっぽくもあるからね、こっちが無視していれば、そうだなあ、三ヶ月、いや、へたをすると一ヶ月か二、三週間もすれば、忘れてくれる」
白沢の慰めどおり、三ヶ月がすぎるころは、白沢弘道の再婚話など、どのメディアもまったく関心を示さなくなった。ファンからの手紙や投書も、申し合わせたように途絶えた。
平穏な日々がようやく訪れた。
一緒にくらしてみて、雪江は、自分はなんてラッキーなんだろうと思うことが、たびたびあった。あらためて白沢を惚れ惚れと見直した。
離婚後、ほぼ二十年に及ぶ独身生活を送っていた白沢は、自分の身の回りことは、ほとんどなんでも自分でできた。特にアイロンかけは得意中の得意で、雪江がするより、よっぽど上手だった。料理も、これは絶対に彼には敵わないと雪江が舌を巻くものが吸う品だった。ポテトサラダ、鶏肉の香草マリネのグリル、そして魚の竜田揚げなどは魚を包丁で三枚におろすことからはじめる。
しかし白沢は白沢で、妻にこまごまと世話を焼いてもらう心地よさにほどなく慣れ、雪江を当てにすることが多くなった。とはいえ、全面的に寄りかかねるのは苦手らしく、その自立ともたれかかりが半々のバランスは、雪江にとっても理想的な夫婦関係だったし、こういう結婚生活こそが自分の思い描いていたものだったと、白沢の前で手放しに喜んでみせた。それは夫を褒め、夫に感謝することにもなった。
雪江はまたタレント文化人である夫の秘書の役まわりも、結婚と同時に受け持った。もともと物覚えがよく、呑み込みの早いほうだったため、秘書の仕事を難なくこなすようになるのに時間はかからなかった。またやりがいがあるその仕事をはじめてみると、美術館や博物館の学芸員の資格への夢は、あっけないほどあっさりと消えていった。
夫の売り込みにあるくようなことはしないけれど、きた仕事はできるだけ快く引き受けた。その際の、相手への、分け隔でてのない対応の感じのよさは、ひいては白沢弘道への好感度へとつながった。
夫の仕事の現場についていくとことはなく、雪江は裏方に徹した。
夫婦の公私にわたる二人三脚は十三年つづいた。
六十八歳になった白沢は、ふたたびガンの病いに倒れた。
結婚前の五十代なかばに、大腸の初期ガンの除去手術を受けた白沢は、もう検査などをしないとおのれの死生観を貫こうとしたけれど、結婚した後は雪江に対する責任からも、年に一度の健康診断を自分に義務づけていた。
しかし、その診断のすきまをかいくぐっての発病であり、肺に発見された時点で、すでに骨への移転がみられた。末期、と医師は伏し目がちに雪江に告げた。
白沢本人への告知はしないでもらった。
それは元気だったころに夫婦で話し合っていたことであったのだ。
自分の死期はきちんと知ってその準備をして死に望みたいといする雪江とは反対に、白沢は真顔で言った。
「ぼくは知りたくない。いや、知りたい気持もなくはないけれど、おそらく、それはこうして何事もなく元気でいる状態だから、そう言えるのであって、現実に余命何カ月とか告知されたなら、その瞬間から生きる屍(しかばね)も同然になってしまうと思う。思うだけじゃなく、断言できる。だからね、ぼくがそうなったときは、頼むからうそをつきとおしてくれ。見え透いた嘘でもいいんだ。ひとは自分の知りたいこと、聞きたいことにだけすがりつくものだからね。
ぼくも騙されているなと疑いつつも、きっと、きみの、だいじょうぶよ、ということばにしがみつく。そのひと言を心の支えにして、死ぬまでのあいだ、希望を捨てずにいられると思うんだ。人間を生かしめているのは、希望。いや、少なくとも、ぼくにとってはこれなんだよ。ごくちっぽけな希望であってもね。あすがあり、あさってもあり、しあさっても自分は生きていられると思うことが大事なんだ。それがぼくのいうところの希望だよ」
夫の約束は守った。
夫の病状については、夫の姉夫婦と自分の弟夫婦にだけは本当のことを話した。白沢の前では嘘をついてほしいという頼みを聞き入れ、そうしてくれる相手だからこそ打ち明けたのである。それ以外のひとびとには適当にことばを濁すだけにとどめた。
夫を先に見送るのは。結婚する前から覚悟はしていたことだった。
二十五も年の開きがあるのだから、それを考えない方が、どうかしているだろう。
結婚しても世間一般の夫婦のように長い年月は一緒にいられないのではないか、という思いは、だからこそ一緒にいられる今を大切にしよう、といった気持を引き出してきて、おだやかな生活が営まれていた。
子供はつくらなかった。
結婚前に白沢に念を押されていた。
「若いきみには残酷なことだが、ぼくはトシがトシだから、子供を持つつもりはない。それでもいいなら結婚しよう。前妻とのあいだにも子供はいなかった。といっても再婚後の彼女は次々と四人の子どもを産んだらしいが」
そのときは、白沢さえいれば、という思いから「子供はいらない」と即答したものの、十三年の結婚生活のなかで、雪江の気持が揺れたことは少なからずある。
それは夫を先に見送る覚悟を、何かの折りおりに自分ひとりの胸のうちで嚙みしめるのと一緒にわいてくる考えだった。
(夫の忘れ形見としての子どもが欲しい・・・・)
夫には百歳までも長生きしてもらいたいと願う一方では、夫はそう長生きできないかもしれないと根拠もなく予感することもあり、そうなると二十五の年齢差、雪江が若くして未亡人になる可能性だけを、かえって示していた。
白沢のいない人生など想像したくなかった。不安と淋しさと喪失感とで、生活は一挙に暗転するだろうという事だけは、確実に予測できた。
しかし、そのとき自分のそばに白沢の忘れ形見としての子供が一人でもいたなら、と雪江は思わずにはいられなかった。おそらく、その子は自分の心の有形無形の支えとなってくれるだろう。
繰り返し何回も想像した。想像するたびに明るい気持ちになった。白沢が言うところの「希望」をそこに感じた。
だが、結局、雪江は夫にその話を持ち出すチャンスを逸した。
白沢のガンの再発は、結婚十三年目の出来事とはいえ、彼の体調不調は数年前からさまざまな症状として現れていたのだ。雪江はそのたびに食事療法に心を砕いたり、よさそうなサプリメントの情報を集めて製造元まででかけたり、評判のいいマッサージや整体師にかかる夫に付き添っていったりと、白沢の健康状態にふりまわされる日々でもあった。子供が欲しい、とか、産みたい、などといった話題が持ち出せる状況ではなかったのだ。
そして、ついに白沢は肺がんと診断され、骨への転移も見つかり、余命わずかと告げられた。
雪江は一日として欠かさず入院中の夫の元に通った。こまごまと夫の世話や看病をして半日ほど過ごし、雑用の片付けと眠るために夜だけ自宅に帰る毎日を黙々とくりかえした。
その往復には、数年前に夫からプレゼントされたマイ・カーが、これまでにもまして役立った。
前方を見つめてハンドルを握りつつ、ふとわれに返ると、おびただしい涙に頬がぬれている、といったことが何回かあった。自覚しない気の弱りと、蓄積されている疲れを、そのつど認めざるをえなかったものの、いつの場合も実感は薄かった。
それよりも夫が恐れていたガンの苦痛を少しでもとりのぞいてくれるよう病院側の処置にチェックの目を光らせ、夫の最期をしっかりと見届けなくては、という一途でひたむきな決意だけで、雪江は日々を送っていた。
余命宣告をされてから二ヶ月になるころ、それまでごく限られた親族にしか伝えていなかった白沢の入院を、雪江なりの判断で、近しかった者たちだけに、それとなく連絡した。意識が混濁しないうちに、白沢が会っておきたいであろうひとびとだった。
そのなかには、ずっと以前から白沢のファンというか、心酔者というか、取り巻きというか、ふざけ半分に弟子を自称していた一群の若者たちもいた。
白沢はかれらを可愛がり、といっても白沢らしい「来る者は拒まず、去る者は追わず」の姿勢を保っていたため、若者たちの顔ぶれはしょっちゅう入れ替わった。だが、そうした彼らの気まぐれやむら気も、若さ特有のものとして白沢は面白がってもいた。
「こっちが飽きる前にメンバーがどんどん替わってくれるから、余計なことを言わずにすんで、ぼくとしては助かるんだ。飽きたから、きみはもう来るな、なんて言わずに済むからね」
それでも白沢がことのほか気に入って、いつになく長くつきあっていた者も何人かいた。
雪江と結婚してからの数年間も、まだそうした若者たちが白沢のまわりをうろついていて、かれらを自宅にまねいて手料理などをふるまったり、ちょっとしたパーティーを開くのも、妻である雪江の勤めの一つだった。若者たちは、白沢の大切な情報源でもあったからだ。
すでに五十代後半になっていた白沢は、そんなふうにして、さまざまな分野のファッションをかれらから仕入れ、自分の仕事に採り入れていた。今どきの若者のしゃべり方ひとつからしても、白沢からみれば、巷(ちまた)の情報になりえた。
しかし、ここ何年かは、白沢の健康が思わしくなく、また還暦を迎えた直後から急速に若者文化に興味や関心を失ったこともあって、若者たちとのつきあいは、ぱたりと途絶えた。
乙彦は、白沢がことのほか気にいっていたうちのひとりだった。
雪江が電話で白沢が入院中なのを告げると、乙彦は、多くを聴こうとせずに、すぐさま病院に駆けつけきた。妻の紅子を同伴していた。乙彦が結婚したという話は、数年前からなんとなく耳に言っていたけれど、妻の紅子に会うのは、そのときがはじめてだった。
雪江の記憶にある乙彦は、はたち前の、繊細で、あぶなげなところがその外見にもろにでている、青年というよりも少年と呼ぶにふさわしい若者だったが、その乙彦もすでに三十歳を迎えたと聞いて、雪江はあらためて年月のはやさを実感した。三十歳になっても乙彦の外見と雰囲気は昔のままなのも、かえって、懐かしかった。
紅子は、乙彦とは正反対の、いかにも地味で堅実でつましい、裏を返せば、どこにでもいる平凡なタイプなのは予想外だったものの、雪江はどこか自分と同類のにおいを感じ、ひそかに親しみを感じた。紅子は乙彦より三つ年上だという。
雪江の連絡から白沢の入院を知って見舞いに来てくれた、かつての取り巻きの若者たちは何人もいたけれど、おおむねそれは儀礼的な一回かぎりのものだった。
だが乙彦夫婦は違った。
ほとんど毎日のように様子を見に現れ、夫婦そろってのときもあれば、別々の場合もあるものの、病人はもとより雪江を疲れさせないための配慮として、三十分以上の長居はしないのは、多分夫婦で話し合っていたことなのだろう。
乙彦夫婦の日課のような見舞いを、やがて、雪江は心待ちにするようになっていった。
見舞いに来ても、多くを語るわけでもなく、気の利いた慰めや励ましを言うでもなかったけれど、一日一回は夫婦のどちらかが病院に顔を見せるという、ただそのことが雪江の気持ちを深いところで支えてくれていた。
いつ逝ってもおかしくないという余命宣告を受けて五カ月後に、白沢はついに他界した。享年六十八歳。雪江は四十三歳で未亡人になった。
白沢の最晩年の三ヶ月間を、雪江に寄り添うように見守り、無言の力となってくれた乙彦と紅子は、葬式後も何かと雪江に気遣ってくれた。様子伺いの電話は、ほとんど毎日かかってきた。紅子からのほうが多かった。
夫の死後、タレント文化人として活躍した白沢弘道についての手記を書かないかといつた企画がいくつか雪江のもとに持ち込まれた。
しかし、とてもそんな気持にはなれなかった。夫のいない人生、という現実をあるがままに受け入れるのに、いまは精一杯なのだ。夫の出会いのころまで遡って、さまざまな思い出をあらたに反芻(はんすう)し、しかも手記にするエネルギーなど、未亡人になりたての雪江には持ち得なかった。
誘いを断る雪江に向かって、
「手記を書くのが亡くなられた白沢さんのいちばんのご供養になると思いますけどもね。亡くなった方もそれをお望みでしょうに」
と、なぜか非難と脅しのニュアンスをちらつかせる相手もいて、それでなくても夫を亡くして弱り切っている雪江の神経を、さらに参らせた。
その辛さを口にできるのは、連日のように電話をかけてきて、元気かどうかとたずねてくれる紅子だったり乙彦だった。
「やりたくないことはやらなきゃいいんですよ」
と、ある日白沢の仏前に線香を上げに来てその話を聞いた乙彦はきっぱりそう言い切った。
「もちろん雪江さんが書いてみようかうかという気持ちがあるなら別ですよ。けど、やりたくないことを、周りから指図される必要はないでしょう? 無責任な言い放題の人間なんて世の中にはいっぱいいますからね」
乙彦の、どんな相談を持ち掛けても、迷いなく一刀両断に決断を出す小気味よさは心強いかぎりだった。ときには、あまりの迷いのなさに、雪江の方が、それでいいのかどうかと不安になるくらいだけれど、しかし、それにまさる乙彦の鋭利な決断の素早さは、不思議な魅力で雪江を納得させてしまうのだった。そして、昔から乙彦には、こういう面があり、そこを白沢はおもしろがっていたことも思い出されてきた。「あの子は一種の才人であるんだよ」
三十歳そこそこの若さで、大胆な断定癖を持つ夫の乙彦のあやうさを、それとなくフォローするのが紅子だった。
出しゃばらず、遠慮がちな物言いは、わざとらしさのない身についたもので、ときには謙虚さを通り越して卑屈な印象を与えたりもした。けれど、それは四十代の雪江が感じる「卑屈」で、もっと若いひとびとの目には「いいひと」とうつるかもしれない。だからある面ではそういうきわどさを秘めた謙虚さだった。
手記の件に関しても、紅子は、乙彦の発言にいっさいさからわないうなずきを小刻みに返したあと、痛ましい物を見るようなまなざしで、じっと雪江をみつめた。対等の目の高さではなく、心持ち下からすくい上げるように見上げる目の位置だ。
それは、自分が弱者であることを知っている者の眼付だ。弱者であるけれど、恨みのまじらない目でもあり、そういう役まわりの自分の運命を呪ってもいない澄んだ瞳だった。
その瞬間、雪江は、紅子の、おそらく持って生まれた善意の含有量の多い性格を見たように思った。善意溢れ、こまやかで思いやりにあふれた感性があり、ひとを愛することが自己犠牲の上に成り立っている。それが理屈や、まわりから教えられたことではなく、おのれの資質とぴったりあっているような・・・・それが紅子というひとだった。
乙彦の、優柔不断さのまったくない強気で、自信たっぷりの言動は「人生なんてこんな程度のもの」と、つかのま思わせる痛快さを雪江に与えてくれた。
その乙彦の強気が、つい取りこぼしてしまう人生の微細なニュアンスを、そばにいて両手でうけとめたり、拾いあげたりするのが紅子なのである。
「主」は乙彦であり、「従」は紅子、と傍目にもすぐわかるカップルだった。
亡くなった白沢と雪江のカップルは、二十五の年の差はあるにしろ、性格の強度ともろさはほぼ似通っていて、乙彦夫婦ほど正反対の組み合わせではなかった。立脚点も同じなら歩幅も同じといった、やはり二人三脚でやってきた十三年間といえた。
乙彦と紅子のそれなりに円満な夫娼婦髄ぶりをそばで見るたび、雪江もまた自分の夫には白沢こそが似合いだったのだ、と満ち足りた気持で過去を振り返ることができた。
乙彦の肩書きはシナリオライターである。
二、三年前に彼のオリジナルのシナリオが、ある高名なシナリオライターが手がけたラジオドラマのたたき台に採用されたのをきっかけに、それまで転々としていたパート仕事をいっさい辞め、シナリオライター業に専念することにしたという。ほぼ同時に紅子と入籍した。
紅子とは、それまで半同棲の状態ではあったけれど、入籍したほうが何かとついてまわるやっかいさがはぶけるために、そうしたという乙彦の説明だった。
紅子は、私立女子校の教師の職に、すでに十年ほどついていた。
教師の仕事は、好き嫌いでもなく、乙彦をかげで支えるには悪くはない職種、という程度でしかない。
むしろ、それよりも、夢をめざしてがんばる男に寄り添って、何くれとなく助け、励まし、そして、だれよりもいちばんの理解者であり、そのことを相手の男からも認められている、といった役どころに賭けるのが大好きであり生きがいだというのだった。
紅子が雪江とふたりきりのとき言っていたことがある。
「乙彦さんと出会う前にも、あるアート系の男性に憧れて、せっせと貢いだりしたんですけど、ぜんぜん相手にされませんでした。なのにお金だけは、ありがとう、なんて言われて、ちゃんと持ってかれてしまって。でもその彼に相手にされなかったから、乙彦さんと出会えたとも言えるし。私って、ほら、なんの取柄もない人間だから、それでクリエイティブなひとに惹かれるのかもしれません」
「取柄がないなんてこと、ないでしょう」
と雪江はやんわりと否定しつつ、自分が白沢に夢中になり、その気持ちが薄まることなくここまで来たのは、紅子と似た性分だからなのかもしれないとふと思った。
「乙彦さんにはほかの仕事はいっさい辞めて、シナリオの仕事だけに集中してもらったのは、むしろ、私の願いだったんです。働くのを私がやればいいことだし、パートなんかに追われて乙彦さんの才能が埋もれさせてしまうなんて、想像しただけでたまりませんもの。
そりゃあ、白沢先生みたいな有名人になってもらえたらうれしいけど、そうならなくてもいいんです、私は。やせ我慢なんかじゃなくて、どう言ったらいいのかなあ。男の人がロマンの実現のために努力している後ろ姿が好きっていうか、そういうひとが傍にいてくれるだけで、充実してくるんですよね、私の場合。安上がりな女でしょ?」
そう言って紅子は小さくクックックックと含み笑いをもらした。笑い方も控えめだった。
そういう紅子を、雪江が、いじらしくもかわいらしく感じるのは、やはり、そこに自分の分身のようなものを見ているためかもしれなかった。
ちょうど十歳下の紅子は、雪江の子供というには年が近すぎ、年の離れた妹といったところだろうか。
紅子に対しては、雪江は日を追うごとに、また打ち解け方が深まるほどに、親しみがましていっていた。
乙彦にも、もちろん親しみは感じているものの、やはり相手が異性ということもあってか、つねに一線を引き、それ以上に相手の側に踏み込まないと同時に、こちら側に踏み込むのをそれとなく拒む気持ちが雪江にはあった。
乙彦を見るとき、雪江はきまって白沢の目をかりて見ているような、そんな錯覚を覚えた。
白沢がかわいがり、才人だとほめ、その性格をおもしろがっていたこともた記憶がよみがえってきて、その白沢の遺志を妻である自分も引き継がなくてはならないような、いくらか義務感もまじった。
ここ数年は疎遠になったとはいえ、余命宣告をされた夫の元に、かつての取り巻きたちの誰よりも真っ先にかけつけ、しかも、ほぼ連日、見舞いに来てくれたのも、雪江にはわからない白沢と乙彦の心の結びつきがあったからのようにも思うのだ。
夫を亡くした哀しみと喪失感、それにともなう無気力感からは、半年がすぎても、なかなか立ち直れなかった。
見るものすべてが、夫との思い出を引き出し、辛さは日常のあらゆるところに潜んでいた。
気を紛らわせる方法などなかった。
むしろ、つらさと哀しみにどっぷりひたり、月日を頼りにつらさと哀しみに馴れてゆくなかでしか、回復はなさそうだった。
他人の月並みな慰撫(いぶ)のことばのかずかずも、ただしらじらしく耳にひびき、ときには腹が立ってくる。いっそ聞かないほうがよかった。
自宅マンションの部屋に引きこもる日々がつづいた。外出するのは、わずかな食材や日用品を買いに近くのスーパーマーケットまでいくときだけである。
そうした雪江を、乙彦と紅子は黙って見守り、電話をかけてきたり白沢の仏前に花を持って来てくれはしても、余計な励ましなどはいっさいしないのがありがたかった。無難な話し相手にはなってくれても、こうしたらいい、とか、ああすればどうか、などといった訳知り顔のお節介はひと言も口にしなかった。
夫の一回忌の法事を無事に終えたあと、ふたりがこの一年間ずっと自分の支えと力になってくれたことへの礼をあらためて述べると、即答の得意な乙彦がいつになく黙り込んだ。数秒間そうしていて、やがて言った。
「ぼくもおやじとおふくろを亡くしていますし、紅子の両親ももういないんです」
びっくりして雪江はふたりを見返した。はじめて聞く身の上だった。
紅子は伏し目がちに乙彦の横でかしこまっていた。
乙彦がつづけた。
「おたがいにうんと若い時期にふた親ともなくし、一人っ子だという共通点が、ぼくたちを近づけたんでしょうね」
「・・・・知らなかったわ。白沢からも何も・・・・」
「ええ、先生はご存知なかったんじゃないかな。相手のプライベートなことは、ご自分からたずねたりしない方でしたし、それに、ぼくも紅子も、そういう生い立ちを口にして、まわりの同情をかうのはいやなものですから」
「あなたたちはそういうタイプじゃないわ」
「ありがとうございます・・・・つまり何が言いたいかというと、先生に先立たれた雪江さんのまわりを、ぼくたち夫婦がこんなふうにうろついたのは、お子さんもなくひとりぽっちになられた心細さは、ぼくも紅子も、もしかすると、ほかの人間より多少は理解できるのじゃないかって」
「すいません、生意気言って」と、紅子が軽い会釈とともに、言い添えた。
「先生が雪江さんと結婚される前の、ぼくが十代の終わりのころ、金銭的なこともふくめて先生にはずいぶん助けてもらったんです」
「ですか乙彦さんは、ゆくゆく先生にどういったかたちであれ、恩返しをしたいって言ってました」
「なのにこんなに早く先生が逝ってしまうとは・・・・」
「ほんとうに」と紅子も深々と頷いた。
「雪江さんから電話をもらってすぐに病院に行って見たとき、ぼく、わかりました。先生は長くはないんだって」
「うちの父が病気で亡くなる直前の、そういうひと特有の何かが、先生の顔にもでていて」
「あの日はうちに帰ってから紅子と泣きました」
「私は先生とはお会いしたことがなかったのに、いつも乙彦さんから話を聞いていたせいか、とても身近に感じていて。乙彦さんにとっては、父親も同然の方でしたけ」
「ぼくたちにできることは、先生が大切にされていた雪江さんを、先生にかわって、と言っても先生の代わりにはとてもなれないけど、とにかく雪江さんをしっかりフォローし、守ることではないかと」
「ええもちろん、私たちふたりあわせても力不足で、とても先生には敵ないませんが、とにかくやってみようと思ったのです・・・・すいません、さっきから、私たち、ほんとに生意気なことばかり言っていて・・・・」
「いいえ、少しも生意気なんかじゃない」
そう答えたとたん、雪江の胸に一挙にこみ上げてくるものがあり、ことばはつづかなくなった。乙彦と紅子の思いやりといたわりに激しく心を揺さぶられていた。
この一年、ふたりが何くれとなく雪江のことを気遣ってくれたり、思いやってくれているのは感じていたものの、それを早くからふたりが話し合って決めていたと、あらためて打ち明けられて見ると、やはり新鮮な感動が胸のうちを走った。
夫を亡くして一年、まだ半分も立ち直っているとは思えない哀しみや心細さに弱りきっている心に、それは温もりの水脈のように沁み込んできた。
雪江の胸の奥にわずかな明かりが、その瞬間、灯った。
暮らし向の心配は、さしあたってはなかった。
自宅マンションのローンは払い終えていたし、生前の白沢は、自分が先立ったときの雪江の身の振り方が気がかりでならなかったらしい、多少無理しても高額の生命保険を払いつづけていた。三口に加入し、夫の死後、雪江に支払われた保険金は、相当額にのぼった。
四十三歳の雪江が、八十代なかばまで生きたとしても、そう贅沢をしなければ、この先働かずにいても自分ひとりは食べていけるくらいの金額である。
さらに白沢は元気だったうちから雪江に「自分が万が一のときに支払われる保険金については、たとえ親兄弟にも口外しないように」と、繰り返し言い聞かせていた。「それから欲張って投資なんてことも、考えないように。投資はリスクがつきものだよ」
雪江は亡夫の言いつけを守り、支払われた保険金のことは、だれにもいっさいもらさなかった。これまで通りに節約できるところは節約し、関心のなかった宝石や貴金属が急に好きになるといったこともない。大金を手にしても、一円二円にこだわる主婦感覚は抜けず、浮つくこともなく、だいいち、大金を手にした実感がないのだった。
しかし、やはり心のどこかで、とりのぼせる部分はあったのだろう。
それまで想像していなかったのに、雪江は自分がいまぽっくり死んだ場合に遺されるもの、すなわち資産について思いめぐらすようになった。
いま住んでいる都心の4LDKの自宅マンションと、雪江が一生暮らしていけるだけの預貯金が、資産のすべてである。億の額となる。
仮に急死したとき、これらの資産は法律上の分配として、雪江の兄弟やその子供たちに流れていく。それはそれで構わない、と思う反面、自分の気持ひとつで、自分が遺したい相手にそっくり譲り渡すことも可能なのだ、と考えたとき、雪江は奇妙な快感を覚えた。
とっさにひらめいたのが紅子と乙彦の夫婦だった。
さらに欲に溢れてきた。
あのふたりがずっと自分の傍にいてくれたら。自分が老いたときも、紅子に面倒を見てもらったり、一緒に楽しく暮らせたら。それに、紅子がこの先、乙彦の子を産んだとしたら、そうなった場合は、自分が果たせなかった子育ての手伝いもできるかもしれない。
それは、この上ない明るい楽しい、将来の展望だった。
夫を亡くして、すっぽりと穴の開いたようになっていた雪江の空虚さを、見事に塞いでくれる夢であり、希望というものの輝きだった。
乙彦夫婦を養子にする。
そして自分の死後は、自分が持っている資産のすべてを、ふたりに遺す。
乙彦と紅子にはすでに親はなく、きょうだいもいないといった境遇も、雪江のその願いに拍車をかけた。親きょうだいがいないぶん、養子縁組の話はなめらかにすすむのではあるまいか。
しかし雪江は慎重にかまえた。
もうしばらくこのまま様子を見てみよう。それからでも遅くはない。
白沢が何かあるたびに相談を持ち掛けていた弁護士の事務所を訪ね、それとなく養子縁組についてたずねたりもしてみた。乙彦夫婦の場合、問題は何もなさそうだった。
それでも雪江は自分のこのプランを誰にも言わずに胸に秘め、ただ、さまざまなシミュレーションをくりかえしつづけた。
白沢が他界してまる三年がすぎた。
自宅にこもりがちとみられているらしく、乙彦夫婦をのぞいたまわりのひとびとは、雪江に気分転換を兼ねてそとで働いてみてはどうかすすめたり、旅行プランのパンフレットを持って来ってくたり、はては再婚話まで持ち込んできた。
再婚など冗談にも考えたことはなかった。雪江はいまだに白沢を愛し、ほかの男性と再婚する気持ちはさらさらない。この先もないと、これはきっぱりと断言できた。
雪江なりの気分転換はいくつかあった。
いわゆる生け花ほど格式張ってもいなくて流派にもとらわれないフラワーアレンジメント教室に、週に一回通いだして、かれこれ一年になろうとしていた。白沢は家のあちこちに花が活けられているのが大好きで、その生前から、雪江は自宅に花を切らさないようにしていたけど、ここに来て、さらに花とかかわっていたくなったのである。
亡夫の共養のためというよりも、もっと亡夫の気配を身近に感じていたく、しかも、明るい気分でそうしていたいと考えたとき、フラワーアレンジメント教室が思い浮かんだのだ。
紅子にそれを話すと、手を打って賛成してくれた。ただし習い事は、教える者のセンスやキャリアが大きく影響してくるからと、事前にインターネットで検索するようにすすめてきた。いくつか候補をしぼり、見学させてくれるように頼み、それからどこの教室に決めるかといった手順をふむほうが、あとで後悔することが少ない、と。
雪江は紅子のアドバイスに耳を傾け、そのとおりの手順をふみ、そして通いはじめたフラワーアレンジメント教室だった。週一回のそれを、いまでは雪江は心持ちにし、そこで知り合った数名の仲間とは、食事にいったりするほどに親しさを深めていった。
週末を利用した一泊二日の小旅行にも、すでに何回かでかけた。つねに紅子とふたりである。
近場の温泉宿を訪ねたり、バス旅行であったりと、乙彦に言わせるとも「どれもこれも年寄りコースじゃないか」ということになるけれど、それが雪江と紅子にはちょうどいい気軽さの小旅行だった。
どちらも我を張ったり自分の好みを押し通したりする性分でないためか、女ふたりの小旅行はいたって快適で、なごやかで、行って帰ってくるたびに、その関係はいっそう密になった。いい思い出ばかり残った。
乙彦夫婦と養子縁組ができたらいいと願っている胸のうちを、はじめて紅子に打ち明けたのも、そうした女ふたりきりの週末旅行の夜である。
就寝前にふたたび温泉にゆったりとつかり、部屋にもどってきて冷たい飲み物で喉をうるおしていたとき、雪江はごくさりげなく切り出してみた。
紅子は最初はあまり本気には受け止めず、いわば雪江の夢のプランのように笑って聞き流していたのが、ようやく途中から真面目な話だと悟ったらしく、急に膝をただした。
「昨日今日思いついたことではないの。二年、いえ、かれこれ三年近く、折にふれては考えてきたことなの。紅子さん、あなたの感想をきかせて。いやならいやでいいのよ」
紅子は雪江を正視するのがまぶしいように、うつむきがちにしていた。
「・・・・ありがとうございます。私たちをそこまで信頼してくださったなんて・・・・」
そう言ってから紅子は涙ぐみ、しばらくことばをとぎらせた。
「養子縁組したからといって、同居を迫るとか、老後の面倒を見ろとかとうことじゃないの。そうしたことは、そのときどきで話し合って決めて行けばいいのだし。でもね、あなたたちが私の家族だって、そう思えることが、私に活力を与えてくれそうなの。生きる力というか、生きている希望というか・・・・」
「でも雪江さんはまだ四十六歳じゃありませんか。まだご自分ひとりの人生を楽しむことを考えてもいいのでは。これから先のパートナーとか。もちろん男性ですよ」
「四十六じゃなくて、じきに四十七になるわ。それにいつも言っているでしょ、パートナーは亡くなった白沢ひとりで十分なの。彼以上のひとなんて、私にとっては、いないのよ」
「雪江さんはずうっとそうおしゃってますものね」
「私は夫よりも家族が欲しいの」
「家族・・・・」
「家族ごっこ、かしらね、正確には。私ぐらいの年齢になると、早い人はもう孫がいたりするのよ。孫におばあちゃんと呼ばせたくないっていうひともいるけど、私は、むしろうらやましいくらい。そういうタイプなのね、私は」
「孫、ですか・・・・」
「そう。紅子さん、子供をつくるつもりはあるの?」
「はい、せめて、ひとりぐらいは欲しいんです、でも、乙彦さんは子供は嫌いだと言い続けていて」
「私、子育ての経験はないけど、子育てのお手伝いは少しはできると思うのよ」
「・・・・」
「あ、ごめんなさい。子供を産んでと言うのじゃなくて、仮に子供ができた場合はっていう話ょ。子供のことにかぎらず、ほら、二世帯同居の家を持つプランとかも考えたっていいわけでしょう?」
「家・・・・いいですよねえ」
「でしょう? いまの私はマンション暮らしで、紅子さんたちは賃貸に住んでいるけど、おたがいにちょっと頑張れば二世帯住宅の一軒家も夢じゃなくなる。一軒家にこだわらずに、
おたがいに行き来しやすいマンションに住むとか・・・・そういうことを、あれこれ考えるだけでも楽しくなるわ」
雪江の心のはずみが、ようやく伝わったのか、紅子の顔にも内側からしみだしてきた笑みが、ゆっくりと広がり始めた。
「そうですね、家とか、子供とか、これまでの生活にはなかったものが加わってきて、生活そのものが新しくなりますものね、養子縁組をして雪江さんと私たち夫婦が家族ということになれば」
紅子はその光景を思い描いているように、うっとりとした目になった。
「じつは、私にも必要なんです、生活を一新するのは」
「そうなの?」
「十一年になります、なんとなく一緒に暮らし始めて」
「あら、もうそんなに?」
「私は二十五、乙彦さん二十二でした、あのころの彼はまだ見るからに少年って感じで」
「私もうっすらと覚えているわ。白沢が可愛がっていた若いひとたちのなかで、いちばんあどけなくて、子どもっぽく見えたあの子が、多分、乙彦さんだったと思うのね」
「当時の乙彦さんは、私が三つ違いどころか、親子にまちがえられるくらい、とにかく幼く見えましたもの。今では信じられないことですけど」
「いまも彼はすきよ」
「私は昔の幼い乙彦さんのほうがいい・・・・雪江さん、養子の件は乙彦さんには?」
「まだよ。先ずは紅子さんに相談してからと思ったの」
ふっと紅子は伏し目がちに黙り込み、雪江から視線をそらしたその姿勢のまま言った。
「さしでがましいことですけど、この話、私から乙彦さんにちょっと打診してみてもいいでしょうか? 雪江さんから正式にお話をいただく前に」
「ええ、かまわないけど」
と答えつつ、雪江は何気なくたずねた。
「乙彦さんとはうまくいってるのでしょう?」
「はい」
と、やはり紅子は伏し目のまま返答し、それから急に雪江のほうをしっかりと見返し、笑いを含ませた声で快活に言い放った。
「ただ十一年も一緒にいると、乙彦さんはときどき若い女性に目移りしたりするみたいですけど」
笑い話めかした紅子の口調に、雪江もとっさにあわせた。いかにも軽い調子で返した。
「そういうのは、どこのご夫婦にもあるみたいよ。深刻に考えないで、ほっとくのがいいんですって」
「白沢先生にも、そういうの、ありました?」
雪江と結婚する前はともかく、結婚後の白沢からそういった心配や不安は与えられたことは、まったくといっていいほどなかった。もともと女癖が悪いほうではなかったのに加えて、すでに五十五歳になっていた白沢は、性的にも情緒面でも、むらのない落ち着いた心境に押し上げられていたのだろう。
しかし、まだ三十代前半の乙彦が、妻以外の女性に目が行ってしまうのは、もちろん感心することではないけれど、やむを得ないことでもあるかもしれない。そして、紅子がおもしろくないのも当然だった。当然だけれども、相手を追求して、いちいち事を荒立てていくと、おさまるものもおさまらなくなってしまうのではないのか。
そういったことを雪江が遠慮がちに喋ると、紅子は、そんなことはとっくに承知しているとばかりの若作りの老成した笑顔をみせた。
「これまで私が乙彦さんからされたことを、ぜんぶ正直に話したら、雪江さんはきっと卒倒しますね」
そう言った表情には、雪江が驚く反応を楽しんでいる余裕も見え隠れして、ようやく雪江をほっとさせた。
それから半年とたたないうちに、雪江と乙彦夫婦の養子縁組がなされた。
サングラスなどで顔の一部分をかくした紅子が、雪江のもとに金の無心をしに訪ねてくるようになったのは、それから数ヶ月たったころからである。
金額は数十万から上限は百万円までと、どういうわけなのかいつの日も額が決まっていて、それを何に使うかについては、ことばをにごしたり、はぐらかしたり、黙り込んだりと、そのつど対応を変えて理由は明らかにしなかった。
「使い道もきかずにおカネは貸せないわ。わかるでしょう?」
「すいません」
「乙彦さんに言われてきたの?」
「彼には関係ありません」
「だったら余計に貸すわけにはいかないの」
「雪江さんとは親子になったはずですけど」
「何が言いたいの」
「おカネのある親が、おカネに困っている子供を助けるのは、ある意味、あたりまえのことではないでしょうか」
「そのために養子縁組じゃなくて、みんなで仲良くやっていきたいからよ。そうでしょう? ね、紅子さん、どうしちゃったの、あなたらしくもない」
「すいません」
「とにかく、そのサングラス、外してちょうだい」
サングラスを外した紅子は、しかし、雪江が想像していたような乙彦に殴られたあとを隠しているのでも何でもなかった。眼帯のときもマスクのときも同様だった。歯が折れているのでもないのだ。
紅子は異常にしつこくて、雪江がカネを渡すまでリビングのソファに居座りつづけた。手元に現金がないと言うと、近くのATMのある所まで一緒にいこうとまで言いはじめる。
雪江のリビングに居座りといっても、それは決して暴力的でも威圧的でもなく、たとえて言うなら、さまよいつづけて疲れはて弱りきった野良猫や野良犬が、ここなら追い出されずにすむとばかりに体を丸めて休むような感じだった。しばし休息をえるための口実に、わざとダダをこねてカネを無心しているように思えなくともなかった。
実際、紅子は雪江宅のリビングのソファの上でうとうとと居眠りをしはじめたこともある。
紅子に帰ってもらうには、その要求額にみたないまでも、いくばかのカネをわたすしかなかった。
それが数回つづき、ふたたび紅子がマスクをして無心にやってきたとき、雪江は言ってみた。
「紅子さん、私が紹介するお医者さんに診てもらいにいかない? 私もご一緒するから」
「どうしてですか」
「あなたもわかっているでしょ。最近の紅子さん、少しへんよ。以前の紅子さんとは別人のよう。疲れがたまっているのじゃないかしら」
「いいえ、疲れてなんていません。それに人間は年月と共に変わってくものであって、私が以前の私と違っても、なんの不思議もありません。それより雪江さん、三十万円、工面してもらえないでしょうか」
三十万円ではなく財布にあった三万円をわたして紅子に帰ってもらった後、雪江は、乙彦の携帯電話に連絡して、はじめてここ一連の紅子の普通でない言動について語った。
紅子から、乙彦はカネの無心のことは知らないので黙っておいてほしいと頼まれてもいたのだ。雪江としても、いたずらに騒ぎ立てるのは避けたかったし、紅子を悪く言いたくもなかった。
話を聞き終えた乙彦は吐きだすように、
「まったくばかな女だ」
と言い、さらにそっけなく付け足した。
「あいつのことはほっといてください。相手にならないでください。あいつはこのところ少し頭がおかしくなっているんです。これまでも、たびたびそういうこと、あったんです。そういうたちの人間としか言いようがない。で、そうなったときは、とにかくほっとくしかないんですよ」
たとえ紅子の持病だとしても、乙彦の言いようは冷たすぎる、と雪江は紅子に同情した。持病とわかっているなら、なおのこと、治療の方法を探すなり、しかるべき病院に連れて行くなりしてやるべきではないのか。仮にも夫婦ではないか。
「じゃあ、乙彦さん、私が紅子さんを病院に連れて行きます」
「やめてください、おせっかいは」
「おせっかい? 紅子さんは病人だと思うわ」
「ほっとけば、自然と治るんですよ。あいつの持病は」
「彼女は赤の他人じゃなく、私の娘、養女でもあるんですよ」
「アハハハ」
と乙彦は、うつろで、あざけるような笑いをあげた。その一瞬、雪江は、乙彦がもはや以前の彼ではなくなっているのを直感した。亡夫・白沢の入院を知るなり、顔色を変えて駆け付けくれた乙彦は、この四年のあいだに、いつのまにかいなくなっていたらしい。
「養女、娘ですか。わかりました。雪江さんの気のすむようにしてもらってかまいません」
紅子をどう説得して医師の診察を受けさせたらいいのか、と雪江は考えあぐねた。
れといった智恵が思い浮かばないままに数日がたち、週が変り、十日が過ぎようとしていた。紅子がそろそろカネの無心にやってくるころだった。
しかし紅子は現れなかった。
自宅で首をつって死んでいるのを、乙彦が見つけた。
死に方が死に方だけに、紅子の葬儀はひっそりとおこなわれた。乙彦と雪江、あとは勤務先の高校の同僚たちぐらいで、高校の教え子たちの焼香も遠慮してもらった。
湯灌(ゆかん)のあとの紅子に着せてもらうために、雪江は自分の成人式のときに着た振り袖と帯など一式を用意した。かって紅子が、十代の自分に両親とも亡くしていて成人式などだれにも祝ってもらわなかった、まして振り袖など、と淋しそうに述懐していたことが、ずっと記憶に残っていたのである。
ショックと哀しみのまま、雪江は、紅子が寝かされている枕元から離れず、湯灌の際もそこに張り付いた。
葬儀社の人の手によって振り袖に着替えさせる際、つかのま紅子の裸が見えた。首から下があざだらけなのを、雪江は驚愕とともに目にとめた。
「乙彦さん」
と、とっさに小声で呼んでいた。
どうしました、とそばにやってきた乙彦は、雪江が目で示した方にちらりと視線を走らせ、それから雪江の耳もとに口を寄せて囁いた。
「これまでにも紅子は何回も自殺未遂をやっていまして、そのときの跡です。死亡診断書を書いてもらった医者にもそのように説明してあります」
うそだ、と雪江は胸のうちで激しく否定した。
あのあざは紅子が乙彦から受けた、さまざまな暴力の跡に違いない。でなければ、どうして体中に、あんなにも痣が散らばっているのだろうか。まるで燃えたつ紅葉のように、けたたましく夏を告げる青葉のように。
紅子が死んで一年がたとうとしていた。
雪江は、紅子の死とともに自分の魂まで持っていかれてしまったように毎日を、かろうじてやりすごしていた。
食欲もなく、眠れない日々がつづき、この一年のあいだにぐんと老け込んだ。たまに鏡の前に立つたびに、ぎょっとさせられた。
(いったい、この、白髪交じりのおばあさんはだれなのか)と。
紅子の死の直後は、ショックからの反動による興奮状態で妙にさわがしく動きまわったものだったが、紅子の不在がはっきり心に定着してくるにつれて、気持ちが急速に沈み、落ち込んでいった。いままでは無気力、無表情、無感動が日常化していた。
興奮状態でさわがしく動き回った日々のなかで、雪江は紅子が勤めていた高校の同僚たちに話を聞いた。紅子の自殺の原因を、自分なりに納得したという、ただそれだけの思いからである。
「いいひとでした」と、同僚たちは口をそろえてそう言った。
「でも亡くなる数ヶ月前ぐらいから精神的にバランスをくずしていたようです」
それは雪江のもとにカネの無心にきはじめたころとも重なった。
「プライベートなことは、あまりしゃべらないひとだったのに、どんどん自分から話すようになって」
「・・・・ご主人の女性関係に悩んでましたね。いまにはじまったことではないけれど、最近はご主人が女性の所に入り浸りで、家に帰ってこないとか」
「私は、ダンナさんの暴力の話を打ち明けられました。あんまり淡々と打ち明けてくるのが、なんか、ちょっとへんな感じはしました」
「前は、ご自慢だったんですよ。少し年下で、才能のある、とってもハンサムなご主人のことが」
「なんでもお金持ちの未亡人と養子縁組をなさってから、ダンナさんの態度が急変したとか。お前はじゃまだ、いなくなれって、ダンナさんが言うんだそうです」
「それで彼女は後悔しているとも言っていましたね。もっとよく考えてから養子縁組をすべきでなかったって」
「亡くなるちょっと前ぐらいは、その未亡人のことを恨んだようなことも言っていましたっけ。うまくまるめこまれた、騙された、あの話さえなければ、自分たち夫婦の仲はここまで壊れなかった、と」
「要するにご主人はその未亡人からおカネを引き出したがってたけど、それは彼女と別れて新しい女性と暮らすためのおカネだったみたいです」
「そういったことを、全部、彼女ひとりでかかえこんで、それで心のバランスを崩していたみたいな」
結局は、私が悪かったのか、雪江は頭をかかえた。
罪悪感は、それからというもの、ずっと引きずったままで、少しも薄まっては行かなかった。
しかし、くりかえし、くりかえし考えても、雪江は、自分がそれほど悪いことを、紅子にしたとは思えないのだ。
余命わずかの白沢のもとに通い続けてくれた乙彦と紅子に感謝と、白沢の死後も何かと力になってくれたふたりを心頼みにしたことが、はたして、それほどいけないことなのか。
親しみがますにつれて信頼はさらに深まり、それならばいっそ、と養子縁組を望んだことにしても、だれに非難されるほどに軽率な話なのか。
養子縁組の件が、夫婦仲を悪化させ、乙彦の女性問題にも影響し、挙句に紅子を追い詰めていく結果になったのか。
雪江がふたりのあいだに入り込まなければ、トラブルはあるにしろ、夫婦仲が決定的に破綻することはなかったということなのか。
そんなふうに過去をさかのぼっていくと、二十四歳で白沢と出会ったことそのものが、大きなまちがいだった、としか言えなくなってくるのだった。白沢に出会ったからこそ、その取り巻きのひとりだった乙彦と知り合い、乙彦の妻の紅子と出会い、そして、養子縁組による新しい家族を夢見てしまったのだ。
紅子が死んでかれこれ一年、たがいに連絡を取り合うこともなく、どちらかともなく会うのを避けていた乙彦と、やはり一度はきちんと話し合ってみるべきではないだろうか、と雪江は気持ちを奮い立たせた。
養子縁組を解消するにしても、弁護士に依頼するだけで、乙彦と会わないというのも、失礼な話かもしれないと、雪江はそう考えた。
事前に連絡し、乙彦が雪江の自宅マンションを訪ねてきた約束の日は、朝から雨がふりこめていた。乙彦がやってきた午後になっても雨は止まなかった。季節は梅雨の時期になろうとしていた。
リビングのソファに乙彦を座らせ、雪江は、テーブルがわりの低いカウンターで仕切っただけのオープン・キッチンに立ち、紅茶の用意をしたり、ロールケーキを切り分けたりした。テーブルを挟んで向かい合って話を切り出すよりも、このほうが気まずさを感じないですむ。果物もいくつか買ってある。
「ご無沙汰して、ごめんなさいね」
「いえ、ぼくのほうこそ」
「だいぶ落ち着きました?」
「ええ、じつは雪江さんから電話をもらう前に、ぼくからも連絡しようと思ってたところでした」
「あら、そうだったの」
「しばらくこの街を離れようとか、と」
「・・・・」
「いずれバレるから、いま言ってしまいますが、ぼく、再婚するつもりです。紅子が亡くなって、まだ一年ですけど、やり直すためにも大きく環境を変えたいんですよね」
今に始まったことではないものの、乙彦の割きりの早さ、迷いのなさに、雪江は呆気にとられた。
「・・・・そう、再婚ね・・・・」
と雪江は黙り込まないために、小さくつぶやきつつ、冷蔵庫からオレンジを三個とりだした。皮をむき、一口で食べられるようにナイフで果肉だけを切り取るつもりだった。
「で、雪江さんとの養子縁組ですけど、どうします?」
「どうするって、乙彦さんはどうしたいのかしら」
「ぼくはどっちでもかまいません。しばらく、このままにしておいてもいいし、縁組を解消してもいいし」
「解消してしまったら、もし私が死んでも、乙彦さんには一円も残らないことになるけど」
精一杯の皮肉のつもりだった。
しかし乙彦はあっさりと言い返して来た。
「ああ、いいです。もともと、そういうことは、ぼくとしてはどうでもよかったんですから」
「そうなの?」
「紅子に拝み倒されてOKしたことですよ。あいつは雪江さんと家族になることに、小娘みたいに喜んでましたから」
「私も望んでいたわ」
「そのへんが、ぼくにはわかりませんね。雪江さんも紅子も、こう言ってはなんですが、いいトシをして妙な夢を見て。人間関係なんて、そうそう簡単に行くものではないじゃないですか。まして養子縁組だなんて」
「乙彦さん、紅子さんに対して、そういう言い方はしないでほしいの」
果物ナイフの切れ具合が悪く、雪江は、ふだん使っている包丁にかえた。
「でも、ぼくからすると、少女趣味としか思えなかったけどなあ。養子縁組によって雪江さんは自分の味方に引き込んで、それで、ぼくとの関係を修復しようとしてたんですよ、紅子は。ぼくもいちいち面倒くさくなっていたんで適当に返事をしていたら、いつのまにか雪江さんの養子にされていた」
「あなたもあのときはちゃんと合意したでしょう」
「あのときとは状況が変わりましてね。ぼくのこんどの奥さんは資産家の娘なんです、紅子とは違ってね」
ふいに雪江の脳裏に紅子の顔が浮かんだ。紅子は雪江に笑いかけ、頷いた。陽炎(かげろ)のように、それは、たちまち、はかなく消えた。雪江はこみあげてくるものとともに、キッチンから、ゆらりと歩み出た。
「・・・・乙彦さん・・・」
雪江を見た乙彦の目に恐怖と驚きが走った。
「なんですかッ、 それって・・・・」
雪江は手にしていた包丁を持ち直し、刃先を上にし、そして体当りで乙彦の腹にむかっていった。刺すと同時に手首をねじった。
ありがとう、という紅子の声を、確かに聞いた。
あらくれ
キーワード マゾヒズムマゾヒズム、避妊手術、
親不孝ものッ。
ろくでなしッ。
おまえがこうして生きられているのは、私のお蔭じゃないか。
弱くて弱くて、医者にも、いつ死んでも仕方ないと見放されていたおまえを、私は必死になって、それこそ死にもの狂いになって育てた。お前の半身を抱きかかえるようにして、がむしゃらになって育ててきた。
小学校の六年間は、足の骨のもろいおまえを車椅子にのせて送り迎えをし、それどころか、おまえの身に何かあっては大変だと、一応は学校側のお許しをえて、授業中はずっと教室のすみに控えて、見守りつづけた。教師にいやみを言われても、我慢した。つっぱねた。おまえだけが心配でならなかったからだ。
小学、中学、高校と、私たちは一心同体だった。おまえを死なせたくない一念の私と、そんな私の気持ちを汲み取ってきれいな目で私に感謝してくれるおまえと。
あのころまで、いちばん幸せな時期だった。私たちの心はひとつだった。
高校を卒業したあとは、一流どころのモデルにさせようと、将来的なプランもできていた。モデル事務所の社長じきじきに、おまえを一流モデルにしたい、素質は十分にある、と言ったとき、私はどんなに誇らしかったことか。自分のこと以上にうれしかった。おまえを必死に苦労してここまで育て上げたかいがあったと、ほんとうに涙ぐんだものだ。
おまえはきれいな子だったよ、確かに。
すらりとして背が高く、顔は小さくて、脚は長い。赤ん坊の頃からのばしてきて、いっぺんも切ったことのない長い髪。くっきりと愛らしく整った目鼻立ち。
そうした外見は、母親の私ゆずりだと、モデル事務所のひとたちから、たとえお世辞にしろそう言われるたびに、その場では「とんでもない」と否定しても、やっぱり、うれしくてたまらなかった。
私がお前をどれだけ誇りに思っていたか、おまえにはわかっているのかね、
いいや、わかってない。わかろうとしない。だから、おんなひどい仕打ちができたんだよ、この私に。
高校を出て、モデルになるためのいろんなレッスンに通いはじめて半年、モデルにはなりたくないって、おまえは言い出した。
私は笑って相手にしなかった。いまさら何を言い出すのかと、まったく本気にとりあわなかった。当然だろ? モデルになりたくてもなれない女の子たちがごまんとといるのに、おまえは、事務所の社長が太鼓判をおしてくれるくらいに、すべての面で恵まれていたんだから。
なのに、おまえはモデルになりたくないと、それからずっと言いつづけた。
レッスン場や事務所での人間関係が大変で、意地悪されたりしてたことはうすうす知っていたけど、どこの社会でも人間関係のごたごたはある。だから、多少はもまれておくのも必要だろうって、私は見て見ぬふりをしてた。
そのうちおまえはシスターになるって言い出した。修道院に入りたいと。これもまあ、とっぴな話だった。
びっくりはしたものの、若い子にありがちな夢を口走ってるだけで、時間がたてば熱はさめると私は深刻には受けとめなかった。小学校から高校までカトリック系の女子校にいて、シスターを間近にみていて憧れていたようなところもあったからね。
そんなふうにとっぴで、とんでもないことを言い出すところのあるおまえだったけど、現実はまだ何ひとつ自分ではできない世間知らずだったから、私は大目に見てた。結局は、母親の私を頼りにするしかないのはわかっていた。
しかし、男だよ。
男がお前をそういう子を変えてしまった。
シスターになりたいという話を、しばらくしなくなったなと思っていたら、そのへんの雑魚みたいな男にいいようにダマされて、そいつと結婚すると言い出した。
男を頼りにするなと、ことあるごとに言い聞かせていたのに。女癖の悪い夫に、女房の私が、どれほど泣かされてきたことか、おまえだって知っているはずなのに。
けど、男とくっついちまった。さかりのついた猫みたいになったおまえは、もう、ぜんぜん、私の話しに耳をかさなかった。押しても、引いても、脅しても、だめだった。
私はね、四十歳で、おまえを産んだ。まわりの反対を押し切って、自分の命と引き換えてもいいってぐらいの決意で、ようやっとおまえを産んだ。その前に子供をふたり、かわい盛りのときに病気で死なせてて、だから、もう一度、子供を持って、ちゃんと大きくなるまで育てたかった。悲願だったんだよ。私の。
なのに、おまえは、男ができたとたん、あっさりと親の私を捨てた。育ててもらった恩のあるこの私をポロクズのように捨てた・・・・。
親不孝ものッ。
ぜったいに、おまえを許さないッ。
おまえの一生を、恨み、呪いつづけてやるッ。おぼえているがいいッ。
最悪の気分で滝子(たきこ)は目が覚めた。
いやな夢だった。
夢であるけれど、それは過去に実際にあった光景そのままで、だから、余計に重く、不快で、救いようがない。
とうの昔に死んだ母の伸江(のぶえ)が、こちらを指さし、目に怒気をたぎらせて叫んでいた。
悪夢の余韻を払いのけるようにして、枕元の目覚まし時計を引き寄せてみると、午前十時を五分ほど過ぎた、だいたいいつもと同じ起床時間だった。
枕から頭を上げないそのままの姿勢で手を伸ばして、携帯電話をつかみあげ、ボタンを押す。これは毎朝の、いわゆる業務連絡だった。
業務といっても滝子が店主である「ちどり」は、午前十一時半から午後二時半迄は定食屋に、夕方の五時以降は居酒屋になる。従業員は二十代から三十代の女ふたり、もう長いこと、この顔ぶれは変わらない。
電話をかけた相手はすぐに出た。かけてきたのが滝子だと、けっして待たせない。けなげすぎて卑屈なくらいの忠誠心だった。
「はい。ミヤです」
「どう、そっちは」
「はい。スタンバイOKです」
「フキコは?」
「はい。います」
「なにしてる? 店の掃除を」
「具合はいいんだろうか。体の調子、悪そうじゃないかい?」
「はい。ぜんぜん」
「わかった。あとで行くよ」
「はい。お気をつけて」
お気をつけても何も、滝子がひとり暮らしをしているこのアパートから「ちどり」までは、歩いて数分の近さだった。
携帯電話をきってからベッドをおり、コーヒーメーカーにコーヒー粉を水とセットした。コーヒーが出来るまでのあいだにシャワーを浴びる。これも決まりきった朝の日課である。
せまい風呂場で壁面に固定させたシャワーの下の腰掛け台にすわってシャンプーをし、体を洗う。若いころほどの長さではないけれど、美容室に行くのが面倒で、のばしっぱなしになっている髪は、ふだんはぐるぐるとダンゴ状にうしろでまとめていた。昔、母の伸江がしていたのと同じ髪型だけれど、滝子はそれには気づかないふりをしつづけている。まだ一本もない白髪も、おそらく伸江の髪質を受けついでいるからだろう。
亡き父はまだ若いうちから見事な銀髪となり、しかもふさふさと豊かな髪は、子ども心にも美しかった。もしかすると父が死の間際まで女たちにモテたのは、その銀髪を無視しては語れないことかもしれない。最晩年に入院した病院でも、女性患者と看護師の二股かけた色恋に生きがいを見出していた父だった。
洗った髪を両手でもむようにして水気をしぼり、うしろになでつける。正面の壁の、ひびの入った鏡に映る自分の顔と体を、滝子は、まじまじと見つめた。
朝方の夢の中で伸江が誇らしく、そして憎らしげに称賛していた顔立ちも体形は、もはや、とっくに失われていた。
小さかったはずの顔は二倍の大きさになり、体のいたるとこに贅肉がつき、太っているというほどはないにしても、スリムとか華奢(きゃしゃ)なということばは、どうがんばっても当てはまらない。身長があるぶん、がっしりと迫力のある体つきに変わっていた。十年ほど前からこの体つきになり、多少の体重の増減はあるものの、そこそこに安定して変動はない。
顔立ちは、おそらく昔の面影はとどめていないだろう。二十代のころの知人に出会っても、先方は滝子とは気づかないに違いない。体に肉がつきだすのと同時に、それは顔にも及び、いまでは細胞ひとつひとつがだらしなくふくらんで、十代二十代のころとは質が変わってしまったかのようだった。
鏡のなかに映っている自分を、滝子は、きれいだとも、チャーミングだとも、まったく思わない。
しかし、醜くもなかった。
そこにいるのは、ありふれた中年女、どこにいても目立たない、街の雑踏やゴミやホコリにまぎれてしまう四十代なかばの女だった。
母の伸江が死んで、本当によかったとしみじみ思うのは、こういうときだ。
もし、伸江がいきていたなら、現在のこの大柄体形に変貌してしまった滝子を許さなかっただろう。いや、赦すも許さないも、まず、こんなふうになる前に、こまかく、厳しいチェックを毎日、矢のように放ってきて、正面切って罵倒(ばとう)したに違いない。エステに行け、スポーツジムに通え、そのみっともなさをどうにかしろ、と口やかましく命じただろう。
しかし、滝子は、ありふれた、どこにでもいる中年女となったこの自分が好きだった。なぜか安心していられる。無理がない。
伸江は六十五歳で亡くなった。滝子が二十五のときである。父はとうの昔に他界していた。
けれど、滝子が母の死を知ったのは、それから一年後、母ともっと親しかった母の従妹の正子叔母は電話口で泣くとも叫ぶともつかない声を上げた。
「滝子ちゃん、いままでどこにいたのッ。なんで、連絡しなかったのよッ。伸江さん、亡くなった・・・・。口には出さなかったけど、どれだけ娘の滝子ちゃんに会いたがっていたか・・・・」
滝子はそれに対して何も言い返さなかったけれど、母が娘の自分に、はたして会いたがっていたかどうか、なんとも言いようがなかった。
そんな単純な母ではないはずなのだ。トシをとったから、死期が近づいたから、過去の愛憎はすべて帳消しにしたい、白紙に戻したい、というような月並みな心理にたどりつくようなひとではない。
その予感は的中した。
正子叔母が言うには、伸江は直筆の、法的にも有効と認められる遺言書を残し、自分名義の一軒家と敷地、さらにいくばかの預貯金は、滝子に遺すのではなく、檀家になっているだけでなく、日頃から懇意にしている寺に、すべてを寄進する、と明記してあったという。その寺には、伸江が生前、自分用にと買った墓がある。
正子叔母の話を聞いた滝子は、「まさか」という思いと、「やっぱり」という気持が、ほとんど同時に胸のうちを走り抜けた。
数日後、正子叔母のもとを訪ねた滝子は、母の遺言書を見せてもらった。正子叔母の話にはうそはなく、ただ彼女が滝子の心中を気遣って、電話ではわざと言い洩らしたであろう部分があった。
「私の遺産は、娘・滝子には一円たりとも与えない。このこと、しっかりと言い残す」
最後の最後まで伸江は自分の我を貫き通していた。それは滝子としては、いまいましくも子憎たらしいことではあるものの、反面、滝子のなかの第三者の目は、そこまで頑固に強情にありつづけた伸江を「それなりにあっぱれか・・・・」と感心する気持ちがないわけでもなかった。
滝子ががらりとかわったのは、このときだった。もっと正確に言うなら、伸江自筆の遺言書を、この目で見たときだ。
「私の遺産は、娘・滝子には一円たりとも与えない。このこと、しっかりと言い残す」
母の復讐だ、とそのとき二十六歳だった滝子はそう読んだ。母の言う事を聞かなくなった娘に対する、母の精一杯の仕返し。母の支配をがんとして拒否する娘への憎しみと恨み。そして、いちばんやっかいなのは、母の伸江は、娘に係わっていくそういう気持を娘への愛情の深さ、と信じて疑っていないことだったのだ。
つかのま打ちのめされたものの、滝子は、次には猛然とした母への怒りにとらわれた。どうして、ここまで母に恨まれなければならないのか。母の指し図に従わなかった、母の望むとおりにしなかった、いちいち母の意見を聞かなかった、というだけで、なぜに、ここまで憎まれる必要があるのか。理不尽そのものではないか。
母名義となっていた自宅とその敷地は、檀家となっている寺に寄進するようにと、母は書き残していたけれど、それから一週間後、滝子は誰にも断りもせずに、自分のうまれ育ったその家にゆらりと移り住んだ。そうすることが自分の当然の権利だと思ったし、法的にまちがっているのだの、法の取り決めを犯しているだのといった理屈は、この際、くそくらえだった。
母が滝子への復讐やいやがらせとして書き残した遺言書を、そのままうのみにすることは、母の復讐心に屈することになる。しかし、滝子は、それはどこまでも認めたくなかった。自分は間違ってはいない。だから遺言を無視してもかまわないのだ。
伸江が遺した家に住みついてしまった滝子のもとに、寺の住職に頼まれた代理人とやらが、ひんぱんに訪れては、説得にかかった。何をどう言われても滝子はひるまなかった。その依怙地(いこじ)さは亡き母への怒りに支えられていた。
その家で四年すごした。四年のあいだに、一緒に暮らしていた男は何人かかわり、しかし、いまとなっては男の顔と名前が一致しなかったり、忘れ去っていたりした。
さまざまな職場にパートで働きにでて、賃金の安さとか、労働時間のいいかげんさとか、それはそれなりの苦労はつきものだったけれど、滝子は一度もモデル事務所を辞めた過去には後悔しなかった。きらびやかな衣裳をまとって、気取って歩いて見せるより、黙々と体を動かして働くほうが、ずっと気持ちにしっくりした。
やがてうんと年上の、すでに妻帯者だった金道(かねみち)とパート先の食堂で出会った。金道はその店に雇われ料理人で、ラーメンからオムライスまで、とりあえずはひととおりのメニューをこなしていた。「おとうとちゃん」とふざけ半分に呼び、まとわりつき、そうしているうちに滝子は、金道のそばから離れたくないという思いを強くしていった。
棲みついたとき同様に、滝子は母の残した家をゆらりと捨て、そして、ふたりでこの港町に流れてきた。
せまい風呂場の鏡のなかの自分に、もう一度むきあう。
今朝がた見た夢は、母が死んでからずっとくりかえし現れる夢だった。最初のころはもっとしょっちゅう見ていて、そのたびに滝子は夢の中で疲れはて、目がさめてからも後味の悪さを、すくなくとも半日は引きずっていた。
けれど、ここ数年は年に一、二回に減った。減りはしたものの夢の内容はちっとも変わらない。
いつの場合も、伸江は怒りまくり、攻撃と非難は、まったく手加減なしのことばを、やつぎばやに滝子に叩きつけ、投げつけてくる。
やさしく、いたわるようなセリフなど、言われたためしがない。
それは生前の伸江そのままの姿で、幼いころは恐怖そのものだったのが、大人になりかけたある時期からの滝子が、反発と違和感と嫌悪と軽蔑なしでは受け止められなくなった母の側面だった。いや、側面ではなく、母の性格の根幹をなしていた部分だろう。だからこそ、滝子は余計に母の存在そのものが認められなかったのだ。
シャワーを終えてタオル地のバスローブを素肌にはおり、リビングにもどると、いれたてのコーヒーの香りが濃く漂っていて、滝子は思わず一瞬目をとじて、香りを深く吸い込んだ。
ほとんど毎朝コーヒーをいれ、だから、ほとんど毎朝コーヒーの香りが部屋中に満ちているというのに、滝子は、この香りに飽きなかった。いつまでたっても大好きで、シャワーからもどってくるたびに、つかのまうっとりと目をつむり、全身がひとかたまりの嗅覚器官になったかのような集中力で、香りに身をひたす。
コーヒーだけが滝子の贅沢だった。使っている上等なコーヒー粉は、遠く離れた大都会の老舗格の店から月に二回、宅配便で送ってもらっている。コーヒーをいれる水も、水道水ではなく、スーパーマーケットからペットボトル入りを買ってくる。
といっても、この贅沢は自宅に限ってのことだった。
「ちどり」でのコーヒーといえば、インスタントコーヒーのことを言い、ミヤとフキコが滝子をまねてガブガブ飲むのは、水道水をわかしていれたそれであり、客が注文したときも、わざわざ「インスタントです」の断りもなく、平気でポットからの湯をそそいで、かきまわし、だしていた。
文句を言う客もいない。ホンモノのうまいコーヒーの味など知っている者などもいなかったし、いたとしても、そういう客は「ちどり」にはこなかった。
店では滝子もインスタントコーヒーを、自分専用のマグカップで飲む。それはコーヒーではなく、インスタントコーヒーという名のまったく別の飲み物だと見なせば不満も生じない。
店で使っているマグとは比べものにならないくらいの高価で薄手なつくりのコーヒーカップでコーヒーを二杯、時間をかけて飲むと午前十一時をやや回っていた。
使ったコーヒーカップやコーヒーメーカーを手早くキッチンで洗った後、そのまま腰を下ろすことなく、鏡も見ないで。濡れた髪をブラシでうしろになでつけ、ゴムとピンでダンゴ状にまとめた。
化粧水と乳液を顔に塗り、整理ダンスから白のTシャツと、シ゛ーンス゛というより紺色のデニムのズボン、そして実用一点張りのワイヤーの入らないベージュ色のブラジャーと男物のトランクスそっくりなショーツを取り出して、すばやく身に着けた。
夏のあいだこれでおしまいだったけれど、十一月に入った今は、Tシャツの上に丈の長いカーディガンを重ねていた。いつ、どこで買ったのか思い出せないぐらいに着つづけている茶色の透かし網のニットである。あとは素足に鼻緒のついたゴム製のビーチサンダルをつっかける。ゴムの弾力もさることながら、特に鼻緒が滝子は気に入っていた。
足の親指と第二指のあいだの、鼻緒のほどよい食い込みが、安定感と同時に自在感もあり、はき心地は最高で、真冬のどんな悪天候でもビーチサンダルで通しつづけた。馴れてしまえば、これほど便利なものはない。
定食屋「ちどり」が開店する午前十一時半を、あと十分後に控え、滝子はアパート二階の自宅をでた。さびれた港町であり漁港だった。
十五年前に金道とこの町に流れ着くようにしてやってきて「ちどり」をオープンした。そのころから昼間は定食屋、夕方からは居酒屋と、金道と一緒に働き詰めに働いた。金道は古からの知り合いの初老の男がこの町に住んでいて、それで彼を頼ってやって来たのだ。
短く刈り込んだゴマ塩の初老の男は、滝子の前ではあれこれと問いかけはせず、しかし金道とはとっくに話がついている様子だった。この町に着いたその日のうちに、空き店舗に案内され、言われたのだ。
「まあ、とにかく、ふたりで力を合わせててやってみるがいいさ」
それが「ちどり」だった。
十五年前ですでにかなり古びた、のっぽの二階建ての店で、取り壊すにも費用がかかるのでほっておいたと初老の男は説明した。かといって、建物は彼の所有でもなさそうなのだ。「ちどり」と名づけたのは金道だった。中学を卒業して住み込みで初めて就職したのが「ちどり」という板前料理の店で、そこでの思い出は、けっしていいことばかりではないものの、いまとなっては、ただなつかしい、といったようなことを金道は、滝子相手に語った。
金道と滝子は二十歳ほど離れていた。「おとうちゃん」と滝子は金道を呼び、そのため親子にまちがえられることもたびたびだった。しかし、ふたりは敢えて訂正もしなかった。だから、いまでも金道と滝子が親子だったと信じこんでいるひとびとが、この町には少なからずいる。
「ちどり」をはじめて三年がすぎたころの深夜、金道が店の調理場で倒れた。滝子と後片付けをしている最中だった。
すぐに救急車で病院に担ぎ込まれたものの、翌日、金道はそのまま意識が戻ることなく亡くなった。脳内出血という診断がくだされた。
茫然自失の状態にありながらも、滝子は、ゴマ塩頭の初老の男に助けられつつ、金道の本妻と子供たちの住む家に電話をし、訃報を告げた。
金道の妻は、いたって冷静に滝子の話を受けとめ、ごく事務的な口調で言った。
「お葬式はそちらで済ませて下さい。日にちを教えてくれれば、あのひとの遺骨だけ息子たちに取りに行かせます」
そのことばどおり、飛行機と電車とバスを長時間のりついでやってきた、すでに社会人になっているふたりの息子に、金道の遺骨をおさめた白木の箱を手渡した。ただし、小さな骨片をひとつ、自分のために残しておくのは忘れなかった。
金道は、滝子にとって何人目の男で、正確に何人目だったか、もはや思い出せない。
ただ金道に死なれてみて、男がらみの人生はほとんどやりつくしたような、そんな心境になった。
ほかにも行くところもなく、金道を失ったショックと喪失感から立ち直ることもできず、ただ食べていくためにだけ惰性のように「ちどり」を切り盛りする長い日々がつづいた。
いまから五年前の夏にミヤが、その二カ月後にフキコが、働き口を探して「ちどり」にあらわれた。求人の張り紙を出していたのではなく、ミヤもフキコもころがりこんできたといった成りゆきだった。ミヤはともかく、フキコの場合は、無銭飲食で駐在所に突き出されても仕方なかったのを、滝子の気まぐれの温情でそのまま「ちどり」に預かることになったのである。
さらに年月はたった。
滝子がこの町に流れてきた男がらみのいきさつを知る唯一の人間だった、ごま塩頭の初老の男も病没した。
いまでは滝子は、この土地に数十年も前から棲みついているように町のひとびとは思い込み、また滝子も自分の過去は語らないという態度をつらぬきつづけ、この界隈では、よくも悪くも一目置かれる存在になっていた。
十一月の強い海風が昨夜から吹き荒れているなか、滝子は、アパートから歩いて数分の「ちどり」に出勤した。
「おはようございますッ」
と体育系のノリそのままに、声をあわせて絶叫するミヤとフキコにちらりと視線を走らせることもなく、滝子は無言で調理場に進む。
ガス台の上のダシ汁の鍋のふたをとって分量を確かめ、大型冷蔵庫とその横に並ぶ冷凍室の在庫をチェックし、野菜カゴのなかのひとつをとって鮮度を探検する。そうした一連のこれ見よがしのデモンストレーションをしてみせるのも、店主としての滝子の毎朝の日課だった。
ミヤとフキコは調理場の出入口のところで神妙な面持ちで佇(たたず)み、そんな滝子を逐一、目で追い、見守っている。
これもまたいつもながらの光景である。
一通りのチェックおえて、滝子は、
「ま、いいんじゃないか・・・・」
と、ぶっきらぼうに言う。
そのとたん呪文がとけたようにミヤは、ほっと表情を緩めた。
フキコは、下ろしてあった暖簾を店先にさげにいく。
四人かけテーブルが四つに、畳二枚ぶんほどのせまい小上がりのついた店内だった。
小上がりはほとんど使われることはない。
壁には「ちどり」が開店した十五年前からそのままになっている品書きの短冊がずらりと貼られているものの、それを見て注文すると客はなく、昼食の定食は、おおむね干し魚の焼いたのに、おひたし、みそ汁、それに生卵や納豆、佃煮などの単品メニューが別料金でつく。やってきた客は、まず、「きょうは何がある?」とミヤに聞き、ミヤが答える数品のメニューから食べたいものを選ぶ。定食のほかにも、うどんや丼物も、一応あることはあるのだ。
かつては滝子と金道が住んでいたこともある店の二階は、いまはミヤとフキコに寝泊りさせていた。
小上がりの入り口で腰かけた滝子に、ミヤがインスタントコーヒーを入れたマグを、お盆に乗せて持ってきた。
「ああ、ありがと・・・・寒くなってきたから豚汁定食を始めよか。ミヤ、材料の仕入れ、頼んだよ。なんせ、あんたの作る豚汁は、去年も、おととしも評判がいい」
ミヤはうれしそうに頬を緩めた。
「で、フキコの按配(あんばい)はどう? 相変わらず食べてばかりかい?」
「はい。お腹が減ると吐き気がするそうで」
「いつもそうだね、あの子。つわりのたびに、そうでなくとも食い意地がはってるのに、もっと大食いになる。しかし、それってほんとなのかね。ただ食べたくて、それで空腹だと吐き気するって言っているだけじゃないのかい」
「・・・・ほんとだと思いますけど」
「で、相手の男は多田か、名前も知らない旅行者の若僧のどっちかだ、と。フキコに聞いてもらちはあかないけど、ミヤはどう思う?」
「多田さんのことは、私は見ていませんけど、旅行中の若い男は、この二階でいちゃついていたのをこの目で目撃してますんで、おそらく・・・・」
「ミヤ、その若い男の件は忘れよう。フキコのお腹の子は父親は多田。多田だよ。ここを一致させないと、あとでもめるもとになる。いいね?」
「はい」
「いつもお世話になってる隣の町のK医院のK先生には、もう電話で話してあるから、昨日言ったように、ランチタイムが終わったら、フキコをそっちに連れてくよ。子供を始末してくる」
滝子とミヤがこそこそ話しているため、自分が仲間はずれになっているように思ったらしいフキコが、わざとふたりの前を歩いて見せ、不安そうな表情ながらも、おもねるように滝子に笑いかけてきた。
ぽっちゃりした体つきに、満月みたいなまるい顔立ちのフキコは、滝子が小学生の時分に何体か持っていたうちで、もっともお気に入りだったゴム製の人形によく似ていた。
ミヤは自称三十六歳で、それが本当かうそかは本人もわかっているはずだが、フキコの正確な年齢はだれも知らなかった。本人ですら不明なのだ。
ただ滝子とミヤがあれこれ質問したり、フキコが店の手伝いをしつつ歌っている鼻歌のアニメソングからして、どうやら二十七、八歳ぐらいではあるまいかと当たりをつけてはいたが、正直言って。滝子もミヤもその推測が当たっているかどうか自信はなかった。
自分の年齢のみならず、フキコは「ちどり」にくる前に、どこに住み、だれと暮らしていたのかの記憶もあいまいだった。「ばあちゃんといた」という日もあれば「兄ちゃんがいた」と突然に言い出すときもあり、日によって話はころころ変化した。
またフキコは一桁の数字の足し算と引き算は、時間をかけて十本の指を使えば、辛うじてできたけど、二桁となるとまったく歯が立たない様子で、掛け算、割り算になると、そんなことばは聞いたことがないといった顔をした。
しかしフキコを知的障害と言うのは、ちょっと違う気が、滝子はしないでもなかった。根をつめた難しい話や計算はまるで苦手なものの、フキコは店にやってくる男たち相手のお喋りは、とりあえず不自由しなかった。
もちろんテキパキとした客あしらいは望むべきもないけれど、ことばかず少なく。テンポのとろい、ゆったり、もったりとしたしゃべり方は、それなりにフキコの愛すべきキャラクターとなっていた。
「フキちゃんと話してると、なんか、ほっとするよ。エバらず、怒らず、バカにせず、いつだってこっちの話に黙って耳を傾けてくれる。うちのカカァとは大違いだ」
とフキコ相手に息抜きしにやってくる男もいたし、店にくるときは必ずフキコの喜びそうなさまざまなスナック菓子を持参する年寄りもいた。
また、客としゃべっているのを、そばで聞いていると、思いがけない瞬間に、予想外に気の利いたセリフを口にすることもあり、そんなときのフキコは、どう考えても知的障害であるはずがなかった。
おそらく、と滝子なりに、この五年間を見ていて、ひとつの結論に達していた。
おそらくフキコは、ほとんどまともな教育を受けさせてもらえなかったのではないか。それも小学校レベルのころから。もしかしすると、出生届けさえも提出されていない、そういう環境に生まれ、育ってきたことも考えられた。
フキコが「ちどり」で無銭飲食をしたことを駐在所に届出なかったと同じく、滝子はフキコの身元はもとより、失踪届けがだれかから出されているかどうかは、あえて調べないことにした。推定ではあっても、二十歳にはなっているようなのだから、万が一、捜索の手がおよんでも、あくまでも本人の意思を尊重した、という言い逃れができる。
それにフキコがそのまま「ちどり」に、ミヤや滝子と一緒に居たがったのも事実だった。
さらにフキコより二カ月先に「ちどり」に住み込みで働くようになっていたミヤが、フキコをかばった。
「女将さん、頼みます。どうか、この子を置いてやって下さい。私が面倒見ます。どうか、お願いします、どうか・・・・」
それまで口答えひとつせずに黙々と働いてきたミヤに、そこまで頼まれると、むげには拒否できなかった。自虐的なまでに自分を「無」にして働くミヤの、意外な一面に触れたようでもあり、滝子としては新鮮な発見でもあったのだ。
もちろん、そんな心中はおくびにも出さずに滝子は言った。
「まあ、ミヤにも妹分のひとりぐらいいたっていいだろうさ。ただし店の二階に寝泊りするのと食べる事はどうにでもなるけど、フキコの給料なんて、とても出せないよ」
とはいえ、結局、微々たる金額とはいえ、子供の小遣い程度のものはやっていた。ただし直接フキコにやるとも一日とたたずに使い切ってしまうため、ミヤに渡し、フキコはそのつどミヤからもらうようにさせた。
ミヤもフキコも、半年とたたずに「ちどり」からいなくなってしまうだろう。それも、ろくなあいさつも断りもなく、ふらりと行方を眩ましてしまうのがおちだ、と滝子は最初から覚悟していた。だから、ふたりの様子にぬかりなく目を光らせておこうという気持も、はなからなかった。
いやなら仕方ない。
でていけばいい。
ごたごたもめるよりも、黙って、そっと、でていってくれ。
ミヤとフキコには、何かが大きく欠落していた。「ちどり」に落ち葉みたいに吹き寄せられ、いつの間にか居座ってしまったことからしてもそうだった。
その欠落は、他人がそう簡単に埋められるものではなかった。どれだけの好意や、優しさや、善意をもってしても、無理なのだ。
欠落した精神の内側が、複雑に、しかも年季をかけてえぐられているだろうからだ。
本人にその自覚はない。
かといって、自覚があれば埋まるものでもない。
滝子自身の欠落を指摘したのは、二十歳前後で知り合った最初の男、九条だった。金道ほどではないにしろ、歳はかなり離れていた。
「きみは、あまりにもいい子すぎるね。不気味なくらいに。何かが大きく欠けてるからそうなるのじゃないかな。お母さんにとっては申し分なくいい子なんだろうけど、このままだと、あとあと、きみが苦しむよ。ほんとのおバカさんなら、気づきもしないだろうけども、きみの場合は、きっといつか気がついてしまう。
母親の支配力の凄まじさと、それへの怒りと憎しみ。お母さんに褒められようとするために、お母さんにとってのいい子でいるために、きみが我慢したり、自分に欺いたり、自分をごまかしたり、演じたりしてきたことが、あとになって、きみ自身に跳ね返ってくる。
きみを見ていると痛々しいね。うんと若い頃のぼくを見ているようだ。そう、ぼくも支配欲の強烈な母親にずっと苦しんできたから。もちろん、そういう母親を、小さい頃は大好きで、支配されていたことは、それだけ愛されていることと錯覚してた。ぼくよりもそう思い込んでいたのが母親だよ。すべてがぼくのため、というのが彼女の口癖だった。ほら、きみも思い当たる節があるだろう」
昔は結婚していたこともあるという九条は、当時は独身にもどっていた。
九条との交際は、母の伸江を激怒させた。
「よりによって、あんなトシのはなれた、女癖の悪い、しかも離婚を二回もしてるような男とッ」
九条はテレビ局のプロデューサーだった。離婚は二回というのは、伸江に言われるまで滝子は知らずにいた。一回とばかり思い込んでいたし、あとで考えると九条もそのへんは、ぼかした言い方をしていたようだ。
伸江を、いちばん激怒させたのは、しかし、そういったことではなく、おそらく滝子に与える彼の影響力の強さだろう。滝子に関するかぎり、伸江は驚くほど勘の良さを発揮した。
実際、ことばによる表現力にすぐれた九条は、ただそれだけでも滝子を魅了した。滝子は彼を崇拝してやまなかった。九条からすれば、滝子の若さと美しさと世俗にまみれてない性格は、もぎたての果物みたいに、いかにもみずみずしかったに違いない。
滝子は伸江に無断でモデル事務所を辞めた。九条に誘われるまま、ひとり暮らしの彼の住まいに転がり込んだ。
けれど夢のような生活は二年で終わった。滝子は九条に飽きられ、そんな滝子に同情し、密かに好意を寄せていた九条のずっと年下の友だちにひろわれた。
その男とも数年で別れ、三人目の男と同居していたときに、母の伸江が死んだ。
「ちどり」のランチタイムは午後二時半迄だったけれど、滝子はそれを待たずにフキコを連れて店を後にした。
九十分に一本、近くの停留所にとまるバスの時刻の都合があったからである。
表は相変わらず強風が吹き荒れていた。風にふくまれる潮が肌にべたつくようだった。
時間通りにやってきたバスは、がらがらすいていた。
中ほどの座席に並んで腰かける。
フキコは、だれに対してもそうだが、こちらから話しかけなければ、いつまでもしゃべらない。ただおとなしく、従順についてくる。フキコとふたりだけでいると、滝子は、いつも図体だけは大きい、気のいい、扱いやすいペットを飼っている気持ちになる。
唯一、その見境ない男問題だけは、滝子にもミヤにも、どうにも手に負えなかった。いくら言い聞かせても、男に誘われるとふらふらとついってしまうのだ。しかし、その代償が、ラーメン一杯であったり、五百円玉ひとつだったり、安物のTシャツ一枚であったりするのが、情けなかつた。
ついにはミヤでさえフキコに説教したものだ。
「フキちゃん、いい? せめて五千円だせって、男に言うんだよ。ほんとなら万札欲しい所だけど、そんな交渉もできないだろうから、せめて五千円。五千円って、覚えておくの。でもって。フキちゃんに声をかけてきて、いやらしいことをしようとする男には、必ずそう言うんだよ、わかった?」
わかった、というふうにフキコは頷いてみせたものの、その後はかばしい進歩はなかったようだ。ミヤからの報告もない。
しかし、フキコは口でうまく説明できないでいるにしても、誘われるままに次々と男たちと寝るのは、あるいはフキコの娯楽、という見方もできるわけで、そうなれば、そこに金銭のやり取りがなくて当然になる。そういう見方も、滝子のうちにはあるけれど、それは脇に押しやって、やはりここはフキコのやったことを、うまく利用しない手はないと思うのだ。
地理上は隣り町とはいえ、バスはぐるりと遠回りして走るため、到着まで二十分ほどかかる。そのあいだに四つの停留所にとまる。
整備されていないデコボコの砂利道をバスに揺られつつ、滝子はフキコの耳もとに口を寄せて言った。「昼飯は食べなかったろうね?」
こくりとフキコは頷いた。しかし、この素直さは、あてにならない。フキコにうそをつくつもりはないのはわかっている。どんどん忘れていくだけのことなのだ。
「病院で麻酔をかけるときに、胃の中に食べ物が残っていると、途中で吐くことがあるらしいんだよ。ミヤにも言われたろう? 食べるなって」
「・・・・食べてない・・・・」
小さな声だった。
「ほんとかい? ミヤにかくれて、なんかつまんだんじゃないのかい?」
「・・・・」
「フキコ、これから病院にいくのはわかってるね。何のためにいくのかも、あんた、ほんとはしっかりとわかっているだって、私はそう読んでるよ」
「・・・・」
「あのね、フキコ、今回のお腹の子供の父親は多田さんだからね。多田さん。このことは、しっかり頭に叩き込んでおいとくれ。いいね?」
「・・・・多田さん・・・・多田さん・・・・」
とつぶやきつつ、フキコの視線がバスの車窓の向こうへとさまよった。
しばらくしてフキコが小声で言った。
「多田さん、きらい、あのひと、私を殴るんだもん。なんにもしてないのに、殴る」
「殴る?」
滝子はびっくりして聞き返した。
性格がもともと穏やかで優しく生まれついたのか、フキコはめったに他人を悪くは言わないのだ。
「うん。殴る。おかみさん、ほんとうに私、なんにもしていないのに。だから、いやだ」
「そうか、わかった。そのこともふくめて、多田と話をつける。手術代とおわび料と、さらに少し色をつけて、ちょっとふっかけてみる。フキコ、あんただけが辛い目にはあわせないからね」
やがてバスは隣り町についた。
停留所にほど近いK産婦人科病院へと歩きながら、滝子はさらにフキコに言いふくめた。
「私は先に店に帰っているからね。フキコは麻酔がさめて調子がよくなるまで、ゆっくり休んどいて。で、病院の看護婦さんに頼んでおくから、帰りにそのひとに言ってタクシーを呼んでもらって、それに乗って店に戻っといで」
「・・・・うん」
「いい? 目が覚めたら、まず看護婦さんのところにいって、帰りますって言う。そしたら、看護婦さんがどうしたらいいのか、ちゃんと教えてくれるからね」
「はあい」
建物の外見の手入れや修繕など、もう何年もほったらかしされているような木造二階建てのK病院は、先代の老医師が亡くなったあと、どこからともなくまい戻ってきた、やはり医者の息子があとをついでいた。
かくされた前科やら、後ろ暗い過去を背中一杯に背負っていても不思議でないような人相の悪い五十がらみの人物だった。どう見ても医者には見えない、そういうタイプだ。ただその悪相には似合わない、妙にかわいらしい猫なで声の持ち主なのも、さらにうんくささを倍加させている。
その風貌があまりにも絵に描いたような悪役キャラクターで、かえって滝子は、警戒するよりも親近感を感じてしまうのだ。
待合室には人気もなく、滝子が受付の窓口で「昨日電話した者ですが・・・・」と名乗ると、ほどなく診察室のドアのむこうから野太い男の声で苗字を呼ばれた。大声を出すとき、医者は猫なで声でなくなる。
フキコと一緒に診察室に入った。
「・・・・フキコくんか、困ったひとだねえ」
医者はデスクの上のカルテを見ながら、ひとりごとのように言った。カルテを見るというよりも、だれとも目を合わさないために、そうしたポーズをとっているみたいだった。
「今年に入って二度目、この前は二月だったね」
「お恥ずかしい話でして」
と滝子は形ばかり恐縮したかっこうをつけた。内心ではなんとも思っていない。
「いやいや、おかみさんを責めているのじゃありませんよ。おかみさんは、よくやってる。十二分にフキコくんの面倒を見てるじゃないですか」
「はあ」
「仕方ないんでしょうな。フキコくんに悪さをする男どもがいるかぎりは」
「はあ」
「またフキコくんは可愛からね、男どもがほっとかない」
「前回もご提案しましたがね、おかみさん、この際、フキコくんに避妊手術を受けさせてはと思うのですよ。簡単な手術です。先々のことを考えると、体のためにもそれがいちばんでしょう。だって、あたしがおつきあいするようになったこの四年のあいだに六回、六回ですよ、子供をおろしたのは。このままだとフキコくんの体はボロボロになる」
四年のつきあいの医者は六回だろうけれど、五年フキコとかかわっている滝子は、そこにさらに二回つけ加えなければならない。
「フキコくん自身の気持が大事なのは言うまでもない。しかし、フキコくんに判断力なるものを、普通人のそれを期待していいのかどうか」
「そうでしょうか」
「このケースの場合は後見人のおかみさんがフキコくんの代理としてご判断しても、やむをえないのではないかと思いますけどもね」
フキコに避妊手術を受けさせては、という医者からの提案は、今回で三、四回目だった。
「でも先生、フキコがそのうち母親になりたいと言い出したときは・・・・」
「手術は卵管を結びます。妊娠を望むときはそれを元通りにすれば、また妊娠できなくもない。百パーセントの保証はできませんが」
「そんなにうまくいきましょうか・結んだものを元通りしても、どっかに傷が残ったりして・・・・麻酔による後遺症の話とか外科手術のこわさとか、いろいろと耳に入って来るもので・・・・」
滝子の父も腎臓の手術後、麻酔がさめないまま一週間生き、意識が戻ることなく他界した。
「でもね、おかみさん」
と、医者は、自分の言う事をまるごと聞きそうもない滝子を、どこかで面白がっているように、目元を緩ませた。
「フキコくんのケースは、後遺症しか手術ミスうんぬんを心配する以前に、彼女の身近にいるひとびとが、彼女になりかわり先々のことを考えてあげなくてはならないことだと思います。こんなに何回も中絶手術をして、体にいいわけがないでしょう」
同じ女ならわかるでしょう、ニュアンスをその言い方に嗅ぎ取った滝子は、ぶっきらぼうに答えた。
「先生、あいにくと、私は石女(うまずめ)なんです。このトシまでいっぺんも妊娠した試しがなくて、いえ、相手がどれだけかわっても」
医者はデスクの上のカルテの覗き込みつつ、にまにまと口許にいやらしい笑みを漂わせた。
これは前々から感じていたのだけれど、この医者は滝子に少なからず関心があるらしかった。どういった種類の関心なのかはともかく、とりあえずは引き寄せておくのが得策だろう。
「そのへんの話は、そのうち、じっくりと相談にのって下さいな、先生。うちの店は、居酒屋のほうは夕方五時からやっていますので」
そして、そばに佇(たたず)む初老の看護婦にも愛想をふりまくのを忘れなかった。
「看護婦さんもぜひ。おひとりでもいらっしても、私やフキコのほかにちょっと気の利いたミヤってコもいますので、気分転換にでもお顔を見せてください」
ほどなく滝子は、支払いをすませ、フキコを残してそこを後にした。ほかにもうひとりいる三十代の看護婦に、手術後のフキコをタクシーに乗せるなどの世話を頼み、そのためのチップもこっそり手渡した。
バスのやってくる時間を見計らって病院を後にし、停留所に向かった。
走り出したバスの中で、フキコの避妊手術の件を、頭のすみで、考えるというほどの熱心さではなく、結論を出す気もなく、ただ、なんとなく反芻(はんすう)した。
子供を産む権利をフキコから勝手に奪ってはならない、などと医者に言ったような立て前を、本気で思ってはいなかった。
いまのところフキコの人生は、滝子の気持ちひとつで、どうにでもなる完璧な支配下に置かれていた。それを思うとき、きまって母の伸江の顔が脳裏にちらつく。かつて伸江が滝子に対してやったのと同様のことを、いま自分はフキコにしていた。
しかし、犬や猫やウサギといった口の利けない小動物ではなく、同じ人間を、こうも自由に支配できるのは、なんという快感であり、全能感のあることか。
ペットとしてのフキコは申し分なく優秀であり上等だった。余計に口答えをせず、むやみと我も張らない。かといって滝子やミヤにべたべたと甘えはしないし、いつまでたっても、びくつくような遠慮を示すのも、滝子は気に入っていた。
そして、自分がけっしてフキコを縛りつけてもいないし、支配しているのでもないという口実と弁解と証明のためにも、フキコのやりたように、好きなように、男たちとつきあわせておくことが必要だった。そこが伸江とは違う。と滝子は自分に言いわけをする。母は娘の男関係にまで当然のように口を挟み、指し図をしたけれど、それがどれだけうっとうしく、いやだったか、二十数年たったいまでも思い出すと、怒りの余り頭に血が昇っていく。
時刻は四時に近かった。
バスの車窓のそとはいっこうに強風がおさまらず、しかも十一月のこの時間ともなると陽が落ちかけ、あたりは薄暗くなりはじめていた。
昔は、夕暮れどきのこの時間帯になるたびに、淋しさと人恋しさに、たまらないほど胸がうずいたり、あるいは、冷たい風が体のなかを走り抜けるような心もとなさを嚙みしめたものだった。
若くて未熟で、それなりに未来への夢や希望があり、だから、現実はこんなものだと認めることができなかったために淋しさと人恋しさでもあったのだろう。
しかし四十代後半にさしかかったいま、現実はこんなもの、だった。望みは叶えられず、ささやかな願いごとさえままならず、いつもは気づかないふりをしているものの振り返れば悔いだらけ、かといっていくら反省したって、どうにもならない。
やってしまった過去はとりもどせない。では、せめて反省を踏まえて、これから先に期待しよう、などと言うのはお伽噺(とぎばなし)のなかだけの、むなしいセリフだと、もはやみんなわかっている。失敗はくりかえされる。これでもか、これでもかと、失敗を命づけられている人生だってあるのだ。
滝子は母の伸江を思った。
手を取り合ってこの海沿いの町まで逃げてきた金道との思い出のあれこれに、つかのま浸った。
金道の死に顔も、ひるむことなくよみがえらせた。
五年前「ちどり」にやってきたミヤの、打ちひしがれた姿を、まるで貴重なもののように記憶のなかからそっと引き寄せてた。
その二カ月後「ちどり」で無銭飲食し、問い詰めると、「お金、ないもん」と子供みたいにあっけらかんと答えたフキコの、滝子が大事にしていたゴム人形そっくりな顔つきが、まるできのうのことのように胸に迫ってきた。
現在の生活を、どうにかしようとか、もっとましな暮らしを目指そうとかいった気持ちは、滝子にはさらさらなかった。
こままで、これといった不満もない。
ミヤとフキコをかまい、「ちどり」にくる客の話し相手をし、季節ごとのこの海を眺め、季節ごとの海風をあび、それで十分だった。
また、一度も口に出したことはないけれど、自分はミヤとフキコに助けられた、と滝子は密かにそう認めていた。
金道の死後、まったくやる気をなくし、壊れかけていた滝子を、ただそばにいる、というだけで支えてくれたのは、あのふたりだったのだ。慰めや励ましのことばを言うのではなく、ただ一緒にそばにいるということを通して、滝子を支えた。といってもフキコは当然のことながら、ミヤにはそんな自覚も自負もないに違いない・・・・。
バスは「ちどり」のそばの停留所にまで近づいてきていた。
やがて滝子は降りた。
降りた途端、携帯電話でその日何回かの同じ相手の番号を押した。
「あ、多田さん、私。いま病院から帰ってきたとこ。さっき言ったようにフキコのことで話があるから”まどか”にきて・・・・ん? ・・・・ああ、なるほど、わかった。だったら、あんたの女房に、この話をもっていくだけのことさ」
「まどか」は「ちどり」の近所のあるカラオケスナックで、午前十一時から深夜まで営業していた。
多田は四十代前後の、小太りで、つねにおどおどとした態度と、上目づかいにものを見る癖のある男だった。
祖父はこの町では名の知られた金貸し業を営み、父親はスーパーマーケットをはじめ車や小型船舶の修理工場、整骨院、仕出し屋と手広く商売をやり、そのうちのひとつである駅前の洋服店を息子の多田にやらせていた。
祖父、父親とくらべると、多田は、いかにも出来の悪い跡継ぎで、高校を卒業したあとは、とにかくどこかに入れそうな大学に進ませたいとまわりは望んでいたのだが、本人は勉強が嫌いだと言って、そのままこの町にとどまり、父親の事業を手伝っているというふれこみで、きょうにいたっていた。
祖父と父親にすすめられて結婚した、しっかり者の女房と、小学生の子供ふたりがいるものの、洋品店の切り盛りは、ほとんど女房に任せっぱなしだった。
夕方の四時半過ぎ、「まどか」の奥のボックス席で、滝子は呼びつけておいた多田を脅しつけた。
「というわけで、多田ちゃん、五十万、都合してもらいたいんだよ」
「五十万」
と、多田は目をむいた。
「おれ、そんな金ない・・・・」
「あんたもいっぱしの男なら、少しはフキコに対する誠意ってものを見せてもらいたいね」
「おかみさん、おれ、五十万なんて、とてもじゃないが・・・・」
「じゃ何かい、この四、五年、フキコをいいようにおもちゃにしておいて、それで一円の慰謝料もお詫び代もなしにしておこうっていうことかい?」
「四、五年だなんて」
「しらばっくれても無駄だ。私は全部知っている。きょうまで黙って見逃していただけだよ」
「見逃してたって?」あそうだよ。
「そりゃそうだよ。だって、多田ちゃんはうちの店のありがたい常連さんだもの。ちっとは大目に見なくちゃあね。持ちつ持たれつってこと」
あながち嘘じゃなかった。
多田は、フキコが「ちどり」を手伝うようになってからというもの、ひんぱんにやってくるようになった。最初はミヤとフキコの両方にちょっかいをだしていたけれど、ミヤは眼中になかったため、しぜんと多田の関心はフキコひとりにしぼられた。
これまでフキコが八回中絶手術をしたうち、相手は多田ではないか、と思われたときが二、三回あった。といってもフキコの相手の男はいつも複数で入り乱れているため、多田と特定はできない。多田ではないか、と滝子とミヤがそう当たりをつけたのは、いつの場合もいわゆる女の勘である。
しかし、そのたびに滝子は多田を候補からはずし、別の男に、手術代とか、おわび代とか小銭をゆすった。小銭しか持っていないような、そういう貧乏くさい男たちしかフキコにはちょっかいはださないのだ。ミヤにはそれらしい誘いをかけてくる男たちは、そういった貧乏くさいのよりは、もう少しランクが上になる。
多田は揺する相手としては上玉で、だからこれまで大事にとっておいたのだ。
しかし、さっき医者に言われるまでもなく、フキコの体のことを真剣に考えなくてはならない時期がきていた。このまま妊娠と中絶をくりかえしていいはずはなかった。避妊手術を受けさせるかどうかは、ピルはどうか、はたまたそれ以外の方法はあるのかどうか、といったことはさておき、先立つものは、まとまった金である。
「なあ、おかみさん、勘弁してくれよ。おれ、とっても五十万なんて金、用意できねえよ」
多田は、実際、半べそをかくような情ない顔つきで言った。
「うちの財布のひもは、女房がしっかり握ってるし、おれが勝手にできる金なんて一円もない」
「なに言ってるんだい、この町一番のお金持ちの跡取りが。おやじさんがいるだろう? じいさんだって、まだまだ元気じゃないか。いくらでも頼めるだろうが」
「おれ、ばか息子だもの、ぜんぜん信用がないって」
「これまでも女のことで、しくじったことあるのかい?」
「いや、それはないけどさ」
「じゃあ、だいじょうぶだ。とりあえず言ってごらんよ。男親って、息子の女問題には意外に寛大なものらしいから。ま、話によるけど」
「なんでよ?」
「息子がこれで一人前になったって、内心ではまんざらでもないらしいって話だよ。女問題のひとつやふたつ起こすぐらいに息子が大人になったことを喜ぶ親心とやらなんだろうね、きっと」
「・・・・そう言えば、じいちゃんが昔そんなこと、おれに言ったことがあったような・・・・」
「だろ? だからさ、この話、女房よりもじいさん相談してごらん」
とそそのかしたあと、滝子は一瞬考えて、つけたした。
「もしなんなら、じいさんに私の名前をだしてもかまわないよ。”ちどり”の滝子に脅された、と」
多田はびっくりした目で見返した。
「脅すなんて、おかみさんにそんなことされるなんて、おれ、ぜんぜん思っていないよ」
こういうところに多田の、ひとのいい坊ちゃん育ちの側面があらわれる。
「うれしいね。多田ちゃんがそういうふうにちゃんと話がわかってくれるひとで。やっぱり、多田ちゃんはうちの店でいちばんの大事な常連さんだね」
めったに笑顔を見せない滝子の笑顔を間近にして、多田は有頂天さもあらわに目を輝かせ、口元をだらしなくほころばせた。
「おかみさん、少し時間をもらってもいいかな?」
「ああ、別にいそぐ話じゃない」
「どうしにかして、じいちゃんに相談して、金を工面してもらう。五十万というのは無理かもしれないけど、できるだけ、おかみさんの言うとおりに・・・・」
ここは甘い顔は禁物だった。滝子はすばやく笑いを消し去り、しっかりと釘をさす。
「五十万だよ、きっちり五十万.一円たりともまけないからね。いいね、多田ちゃん。それから、こういうときは、四の五のと余計なことばを言うんじゃない。おぼえてときな」
「うん」
「うん、じゃないだろ」
「はい。わかりました」
脅しているのか、教育しているのか、滝子はふっと、こうしていることそのものが、ばかばかしくなってきた。
「とりあえず一週間後に返事をおくれ。じいさんにきちんと相談したうえでね」
「・・・・一週間後・・・・できるかなあ」
「できるもできないも、やらなきゃならないときがあるんだよ。それが人間としての信用ってもんなんだ」
「うん・・・・いや、はい」
数秒の間をおいて滝子は目から険しさを消し、顔中の筋肉をゆるませ、口調もおだやかに言った。
「いま私もずいぶんきついことを言わせてもらったけど、多田ちゃん。この件の片がついたら、フキコやミヤも入れて隣り町でパーッと飲みに行きましょうよ」
あらゆることに深く考えも疑いも持たない多田は、うれしそうに笑う。
「ね、多田ちゃん、今回の五十万の件は人助けなんだよ。フキコはあのとおりのコだからねえ、雇い主の私としては、出来るだけのことをしてやりたい。だれだって弱い者いじめはしたくないからね。多田ちゃんにしてもそうだろう? フキコはね、弱い立場の人間なんだ。わかるだろう?」
「ああ、わかる」
本当に理解しているかどうか、ただ彼は利口ぶりたくて、わかったと言っているのかもしれないけれど、あくまでも円満な話しあいと見せかけるのがポイントだった。
「だったらね、フキコを殴らないでおくれ。暴力をふるうなんて、男として最低だよ」
「・・・・」
「じゃあ、話はこれで」
滝子は椅子から腰を浮かせかけ、そして、ふたたび多田に屈託なく言った。
「あとで店に飲みにおいでよ。そのころにはフキコももどってると思うから」
カウンターの内側にいて客を相手にしていた「まどか」のオーナー夫婦に、「ありがとうさん」と、ていねいに礼を言い、多田を残して、滝子はそとへでた。
ミヤは働き者だった。
自称三十六歳の、小柄で、細身の体に、やはり肉の薄い小さな顔がのっている。彫りの浅い、ここでも運に見放されたような、あっさりとして自己主張に乏しい顔立ちだった。
一見したところ、年齢不詳の顔立ちと体つきで、二十代と称しても、はたまた、じつは四十代になっていると言っても、そんなものかとまわりは納得してしまいそうな雰囲気がある。
滝子に「拾われ、助けられた」と恩を感じているらしいミヤは、滝子には絶対服従で、この五年間、逆らったことは、滝子が記憶しているかぎり、いっぺんもなかった。また滝子の観察からすると、ミヤは絶対服従することが好きな、かなりマゾっけのあるタイプのようだった。
「ちどり」にきたのは三十一の年だけど、そのころから滝子はミヤが年齢のさばを読んでいるのではあるまいかと疑っていた。若くごまかしているのではない。その反対に四、五年多く言っているように、滝子は思うのだ。
根拠はこれといってものの、ミヤの肌は、そう手入れをしているはずもないのに、やたらと若い。張りがあって、きめがこまかく、妙に清潔感がある。
しかし、ミヤはずっと年齢のさばを読み通し、その理由も言わないから、滝子もだまされたふりをしつづけていた。
だれにでも口にしたくない事情がある。滝子にしても、自分のおいたちやら、この町に流れ着いた金道とのいきさつなど、だれにも語ったことはない。そのへんの呼吸は心得ているらしく、ミヤも何も聞かない。
ミヤが、
「おかみさん、すいません、折り入ってお願いがあるんですすけど」
と改まった口ぶりで言って来たのは、二年前のちょうどいまと同じ秋のころだった。
「なんだい?」
「はい。あのう、おかみさん、だめならだめで言ってください」
「だから、なんだい?」
「はい、すいません。じつは・・・・お金、貸してもらえないでしょうか」
「ふうん、金ねえ。ミヤもわかっているだろうけど、私は持っていないよ、まとまった金なんて」
「はい。ですよね。いえ、いいんです、一応、言うだけ言ってみよう、お願いしてみょうって感じなんだけで」
金が必要というミヤのことばでたらめではなさそうだった。それまでの三年間、ミヤは、ほとんど小遣い程度のアルバイト代しか滝子に貰っていなかったけれど、金を無心したり、アルバイト代を前借りをするといったことは、まったくなかったのだ。
「ミヤ、どうして金がいるんだい?」
「はい。すいません、おかみさん、今の話は聞かなかったことにしてください」
「そうはいかないよ。ミヤ、話してごらんか」
「・・・・はい。この前、何年かぶりに元気でいることだけ伝えようと実家に電話したら、父親が・・・・といっても、実の父じゃなく、母親の再婚相手が病人で入院したと。それも、もう二年近くも前に。電話口で母親が泣くのです。入院費も払えない。パートにでているけど、カツカツの暮らしで、どうにもならないと」
「確かに、病人がでると、家の中は大変になる。特に大黒柱が倒れちまうと」
「いえ、あの男がそのうち倒れるのは前々からわかっていたんです、私は。なんせ、アル中ですから、いずれ体はこわすだろうって。なのに、うちの母親ってひとは、そういう男でも、いないよりはましって女だもんで、ずっと女の現役をやっていたいってタイプで。私には、ああいう母親の女心ってやつ、まるで理解できませんけどね。色気ばかりで生きてるような」
ミヤが他人について辛辣(しんらつ)なセリフを言うのを、そのとき滝子は、はじめて耳にした。しかし、滝子は、黙って何も言わなかった。
「けど、そういう母親でも、泣きつかれると、むげにはできなくて」
「それで金の工面ってことになる、か」
「はい」
「いくらぐらいいるって聞くのも野暮な話だね」
「いえ、いくらでもいいんです。一万でも二万でも、多ければ多いほど助かりますけど」
あとになって滝子は、ミヤの借金の理由は本当に実家の窮乏がらみだったかどうか、彼女は嘘をついていたという気がしなくもなかった。母親とその再婚相手の男との確執はそのとおりなのかもしれない。そのことで、すったもんだが繰り返され、やがてミヤは家を出て、さまざまな辛酸をなめた末に「ちどり」に吹き寄せられるようにしてやってきたのだという。
けれど、ミヤが話したそうした一連の身の上話のことごとくがまったくのでたらめということだって、ありうるのだった。
あるいは、実家での親子間のトラブルは事実だとしても、決定的な原因はそれではなく、ミヤの男関係のしくじりと、そのとき犯した何か大きなミスのために、ミヤはそれから逃れるためにこの町にやってきて「ちどり」に身をひそめるようにして住み込んでいるとも考えられるのだ。そのミスは、もしかすると法に触れるような、警察に聞かれたら困るような、そういった類のものかもしれない。
さらに勘ぐるなら、金の工面にしても、母親に泣きつかれたのではなく、たれかに脅迫されてのことかもしれないのだった。
滝子は、しかし、想像は自分ひとりの胸にとめて口にはださずに、この二年間を過ごしてきた。義父が入院したために金が要り用だ、というミヤの説明をまるごと信じたふりを装いつづけた。
それ以来、この二年間で、ミヤが金を借りたたいと言って来たのは、いったい、どのくらいの回数にのぼるだろうか。
そして「ちどり」に住み込みつづけている生活も、相変わらず質素で、少しも金まわりがよさそうではなかった。
カラオケスナック「まどか」で多田と会った後、滝子はいったん自宅のアパートの部屋にもどった。
冷蔵庫のなかのありあわせの材料で、冷凍してあるごはんを使って、手早くチャーハンをこしらえた。きょうはじめての食事である。これはいつもの事で、食事はたいがい一日一回、あとはコーヒーをがぶがぶ飲んだり、「ちどり」でミヤのつくる料理の味見などをしてまにあわせていた。こうした食生活をしていても、別に痩せもしない。
テレビの夕方のニュース番組を観ながらチャーハンを食べ、食べ終えて、そのままごろりと体を横たえていると、瞬きをした一瞬のすきに睡魔に襲われたようだ。
かれこれ一時間後に目が覚めたら。
七時半になろうとしていた。
水でじゃぶじゃぶと顔を洗い、すっきりしたところで、アパートの部屋をでた。
日中吹き荒れていた風は、夜になっても勢いは衰えず、上空高くでは、鳥の叫びのような、仔猫の悲鳴にも似たうなりをあげていた。
「ちどり」にはフキコの姿があった。中年男の卑猥なからかいに、身をよじって笑っている。まったくもって丈夫なコだった。今日の午後に子供をおろしてきたとは思えない回復ぶりを見て、滝子はほっと安心し、同時にいくらかの嫌悪感をもって思わずフキコのぽっちゃりとした体を注視してしまっていた。
四つあるテーブルのひとつには順平がいて、いつものように壜ビールをちびちびとやっていた。壜ビール一本にコップ酒二杯が、七十五歳の彼の適量である。酒の肴に煮魚や焼き魚を一皿、ミヤがこしらえる日替りの野菜の煮物、あとは塩辛や焼き海苔といったものが並ぶ。
順平は週のうち四日、居酒屋「ちどり」にやってきて、そのつどきっちり現金払いで勘定をすませてくれている。常連のなかでも、とびきりの上客だった。下品なことも言わないし、酔ってからんだりもしない。長年、連れ添った妻と三年前に死別し、いまは自由気ままなひとり暮らしを送っていた。
順平のテーブルに近づき、滝子にしては最大級の愛想を振りまいた。
「いらっしゃい、順平さん、だいぶ前からきてたの?」
ふだん彼はまわりから「順平じいさん」と呼ばれていたが、「ちどり」では「じいさん」呼ばわりすることは、滝子がきつく禁じていた。
「おう、おう、おかみ。ようやっと顔を見せてくれたな。いや、わしもちょっと前にきたとこで」
壜ビールの中味の減り方からすると、なるほど、そうらしかった。
「おかみも何か好きなものをやりなさい。かまわんよ」
「いえ、私はまだ時間が早いので。じゃあミヤとフキコにジュース頂こうかな」
「ああ、どんどんやってとくれ」
滝子は別のテーブルで中年男の相手をしているフキコではなく、調理場にいるミヤに大声を張り上げた・
「ミヤッ、順平さんからジュース頂いたよッ。フキコのぶんも」
すかさずミヤが仕切り壁の陰から顔をのぞかせ、やはりり、テキパキと歯切れよく礼を述べた。
「ごちそうさまですッ、順平さんッ」
「なんの、なんの」
と口では言いつつも、こういったときの順平はじつにうれしそうだった。
「順平さんがきょうきてくれてほんとよかった」
と滝子は神妙に声のトーンを落した」
「いぇね、ほかでもないミヤのことなんだけどさ」
と、さらに声をひそめつつ、この前、順平に金の工面をしてもらったのは五月か六月、いや三月か四月の春ごろだろうかと、いそいで記憶をめぐらせた。
もちろん、そのときもミヤのための借金である。確か五万円だった。昨年の暮れの十二月にも八万円借りるのに成功している。
五万円も八万円も、ミヤに渡す前に、それぞれの仲介料として半分は滝子がせしめた。
それがけじめというものだし、ミヤの今日あるのはだれのおかげかということを、しっかりわからせておくためにも、仲介料は必要なのだ。
「またミヤの実家があのコに泣きついてね。このままだとアパートを追い出されるって言うんだよ」
「ミヤも苦労の多いやつだなあ」
「ごめんね、順平さん。いつもこういう相談ばっかり持ち掛けて。こんなこと頼めるのは順平さん以外にいなくて」
「おかみにそこまで見込まれると、わしも男冥利につきるな。それに、わしなら、なんの害もない年寄りだ。そのへんの若い衆なら、ミヤの弱味を逆手にとって、ろくでもない条件をふっかけてくるにきまってる」
「ミヤの実家が今回泣きついてきたのは六万円」
「六万か」
「毎回のことで、ほんと心苦しくて、すまないんだけど、順平さん、頼めるかい?」
「そうだなあ」
「あすの午後にでもミヤをお宅にいかせるから、掃除とか洗濯をやらせるといい。なんなら料理も。食べたいもの、ある?」
「そうよなあ。しばらく肉の煮たのを食べていないなあ。牛肉とタマネギを甘からくたいたのを」
「それ、ミヤにつくらせるよ」
「ボタンがとれた上着とかパジャマなんかも、何枚かためこんでいてな。そうそう布団もほさなきゃなあ」
「わかつた。それもミヤに言っとく」
自分は何の害もない年寄り、と順平は滝子の前ではさかんに言うけれど、順平の自宅に家事の手伝いにいって帰ってくるたびに、ミヤは「あのエロじじいッ
と、ひごろのミヤらしからぬ物言いで悪態をついた。
「で、六万は都合つけてくれる?」
「返事はあすミヤがきたときにするよ」
「すまないね。順平さん」
「しかし、金はいくらあってもじゃまにはならんもんだなあ」
順平の得意のセリフがでた。
「あっちからこっちから年金をもらって、わしはちょっとした年金長者よ。若い頃より、ずっとましなくらしをしとる。まあ、これだけ年金をもらって悠々自適な生活ができるのは、わしら世代でおしまいかもしれんけどもな。そのうち国の財政が破綻するだろうから」
順平は定年まで教師をしていたらしく、それで恵まれた年金生活を送っているという話だったが、教師生活はこの町で送ったのではなかったらしいし、私立だったのか公立だったのかは不明、また教えてくれたのは小学生なのか高校生なのかも、はっきりしなかった。
詳しい話になると、なぜか順平は、それとなくはぐらかしたり、ごまかした。ただ、金は持っているのは本当のようだ。いつもくたびれた服装で、とても金持ちには見えないけれど、小金を持っている年寄りは、たいがいこんなものだ、と滝子は思っている。金を使うのをもったながって、外見はおおむね、みすぼらしいのだ。
順平は、やがて壜ビールを一本を飲みほし、コップ酒を二杯、滝子を相手に心ゆくまで自慢話をしながらたいらげ、上機嫌に酔って、「さて、帰るとするか」と十時をすぎたころ、ようやく椅子から腰を上げた。
純平の住む、かなり老朽化した町営住宅がちまちまと建て並ぶ一区画まで、滝子が散歩がてら彼を送っていったものも、借金の件があるからだ。そうした特別扱いが純平をうれしがらせるのも、滝子の計算のうちである。
「じゃ、純平さん、おやすみなさい」
「ああ、おかみも気ィつけて」
その時刻になっても、風はまだ吹き荒れていた。
午前零時。
最後の客がフキコを連れて帰って行った後、ミヤは調理場にこもって後片付けや、あすの仕込みをはじめ、滝子は店のテーブルでひとりワインを飲みつづけた。近くの生産農家が製造している、フルーティーすぎるまで搾りたてのジュースみたいな白ワインだった。しかし、滝子はこれがお気に入って、ここ一年ほどずっとこればかり飲んでいた。なつかしさがあるのだった。遠い昔、これとそっくりな冷たい飲み物に舌鼓を打った夏の思い出があるような、ないような、そんな郷愁のからむワインの風味だ。
「ミヤッ」
と、ふと気がついて滝子は調理場へ声を放った。
「はいッ」
と、すかさずミヤが顔を出す。
「フキコが客とでていっちゃったよ。ミヤ、どうして止めなかったんだ」
「はい。すいません。ついうっかりしてて」
「きょう昼間、フキコは子供をおろして来たばっかりなんだよ。男とヤッて体にいわけない。なのにフキコは、そのへんがまったくだめなんだから、ミヤ、あんたがしっかり見張ってなきゃ、だめだろうが」
「はい。すいません」
「次からはもっとしっかりしておくれ」
「はい。わかりました」
と答えつつ、ことばとは裏腹にミヤは手を前掛けでふきながら調理場からでてきた。
「なんだい。私の話しはそれだけだよ」
「勘弁して下さい、フキちゃんのこと。私が至らなくて」
「だから、それはもういいよ」
「おかみさん、この際、私への不平不満、注文があるでしょうから、まとめて聞かせてください。お願いします」
面倒くさかった。そんな話はしたくない。いまはただお気に入りのワインを好きなだけ飲んでいたいのだ。それに、ミヤへの不満とか、あえて言いたいところなど、もはや、ひとつもない。ミヤはこの「ちどり」で十分すぎるほどよくやってくれている。
「おかみさん、お願いします」
かさねてそう言われても、滝子はとっさに言うべき言葉が見つからなかった。
しかし、ここは、むりやりでも言ってやらなくてはならないことも、滝子はわかっていた。プレイ(マゾヒズム)だった。ミヤの心のバランスを保つためには、このプレイが必要だった。他人から虐められ、ぼろかすのように言われ、お前はダメだダメ人間だ、と口汚く罵られてこそ。ミヤは心底からほっとし、本来の自分を取り戻し、そして滝子へのさらなる忠誠心を嚙みしめるのだった。
(面倒くさいなあ、いまはそんな気分じゃない)胸のうちで舌打ちしつつ、滝子はグラスのなかのワインをぐびぐびと飲んだ。酔いの勢いを借りようとした。
すると一瞬、頭の中かが明るくなった。昔、母の伸江の言う事に、ことごとくさからいだした滝子に、伸江が投げつけてきた罵倒のかずかずが、あざやかによみがえってきた。気がつくと滝子はそっくりそれらのセリフをミヤに向かってぶつけていた。
「・・・・生意気を言うんじゃないよ。一丁前の口をきいて。いまのお前があるのは、私のお蔭じゃないか。私はおまえをここまで育ててやったじゃないか。それをきれいに忘れた顔して。そういうのは人間じゃない、畜生ってもんだよ、わかっているのかい? ミヤ・・・・」
ミヤの表情にはほんのつかのま苦痛があらわれ、しかし次の瞬間には快感にひたる、うっとりとした顔つきに変わった。恍惚としたそれは、そのままミヤの顔にはりつき、ほどなくミヤは喘ぐような声を小さく洩らしたかと思うと、うつむいて表情をかくした。足もとがふらついた。
伸江の口調をまねて、ミヤに罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせつつ、滝子は例によって一点さめた心地で思わずにはいられなかった。
(このコはどんな境遇にうまれ、どんなふうにして育ってきたのだろう。生まれて真っ先にふれた人間、つまり親たちと、どんなふうにコミュニテートし、そこから何を、どのように覚えてきたのか・・・・)
滝子の小言とも。叱咤ともつかないことばの攻撃が十五分ほどつづき、やがてミヤはすっきりした表情になって顔を上げた。
「ありがとうございます、おかみさん。またきょうから気持ちを入れかえて、がんばります」
軽やかな足取りで調理場に戻っていくミヤと反対に、滝子は激しい疲労感をおぼえた。
「・・・・ミヤ、私帰る。戸締りと火の点検、頼むよ」
「はいッ、お疲れ様でしたッ」
自宅のあるアパートへと街灯のあかりの下を、滝子は安ワインの酔いに身をゆだねてふらふらと歩いて帰った。
風はようやくいくらか凪いで、夜の静けさが広がっていた。
滝子は酔ってとりとめもなくなった頭で思った。
いまどうして私はこの町にいるのだろう。
なぜこの道を歩いているのか。
私が生まれ育った所はどこだっただろう。
いったい、いつから私はこういう人間になり、こうした生活を送るようになったのか・・・・。
十二年前、金道が突然死したとき、残された滝子は、この世にもう怖ろしいものはひとつもないといった心境はいまもなお変わらずにつづいていた。
あとは、おそらくミヤとフキコをかまいながら生きていくのだろう。ふたりが姿を消してしまうその日まで。
それともミヤとフキコが「ちどり」からでていったなら、ふたりに替わる女のコを、どこから探すか、拾ってくるのだろうか。そのときにならなければ、自分で自分の気持ちはつかめなかった。
どうでもよかった、自分の気持ちなどは。
ただ、人生のしめくくり方、結着のつけ方がいまだにわからなかった。
みちゆき
里村からかれこれ数ヶ月ぶりに電話があり、会いたいと言って来た。
例によって遠慮がちの申し出で、その及び腰の口調に、やはり理由なくいらだったものの、可矢子(かやこ)は、そんな気持が相手に伝わる前に、すみやかにOKした。
「場所は?」
「Eホテルの一階ラウンジはどうかな。あそこは地下の駐車場がかなり広くて便利なんだ。きみも車を運転してくるだろう?」
「多分ね」
「あすの午後の二時はどう?」
「あした、か・・・・」
「都合が悪い?」
「いえ、そうじゃなくて。わかった。二時にEホテルね」
電話をきり、飲みさしのコーヒーの入ったマグを口に運びつつ、可矢子は、あすこそ里村にはっきりと告げよう、と考えた。
私たちの関係はもう白紙にもどしたい、と。
里村が二、三カ月置きに電話をかけてきて、きょうのように会いたいと言って来るたびに、なんとなくOKし、おしゃべりをしにでかけていた。
おしゃべりがしたいではなく、そのたびに里村ときちんと話を着けようという意気込みで会いにでかけるのだけれど、なぜか、いつの場合も、きりだせずに帰ってきてしまう。
里村にいくらかみれんがあるとか、彼を目の前にすると可哀想になって来るとか、こういう男がひとりぐらい身近にうろついているのも悪くはないといった虚栄心からではなかった。
別れる、別れない、という、やっかいなやりとりそのものを避けたい。
できるだけ、したくない。
それに里村との関係は、ここ四年ほどは性的なもののない友だちづきあいに変わってもいた。
逢えば、必ずホテルのベッドに直行した関係は、一年たらずで終わり、いまは文字通り茶飲み友だちでしかなかった。
ただ、ベッドをともにするのを拒み、茶飲み友だちへと強引に移行させていったのは、可矢子であり、里村はしぶしぶ承知したのは、もしそうしなければ可矢子を失ってしまう恐れがあったからだ。
里村は、ようやっと手に入れた可矢子を、どんなふうにも失いたくなくて、それで万事につけて可矢子の気持や考えを優先してしまう、という力関係が、ふたりの関係にはつきまとっていた。
茶飲み友だちのまま終わるのは不満らしい里村、数ヶ月ごとのデートの場に、きまってホテルのラウンジを指定した。万が一、可矢子の気が変わったならば、すみやかにホテルの部屋に移ろう、といった下心がみえみえの選択としか、可矢子には思えない。
ラウンジでお茶を飲みつつお喋りしているときも、とき折、里村の目が欲情でギラつくのも、可矢子は何回となく目撃していた。そのたびに気がつかないふりをした。
まったくの友だちづきあいの関係もようやく納得し、もう、むなしい期待は持たないでくれるだろうと、可矢子がそれなりの警戒心をといた昨年の暮れ、里村が「ふたりきりの忘年会ディナーはどうだろう」と連絡してきた。
イタリアンレストランのディナーは、料理もワインも店側の接客サービスも申し分なく、可矢子は上機嫌でワインに酔った。そうしようと思わなくても、やわらかな笑いが純白のテーブルクロスの上に、ひっきりなしにこぼれ落ちた。
そんな可矢子を前に、里村は、ここ何年も失墜しつづけきた男のプライドを、その場でたちまちに立て直したかのように、余裕に満ちた笑みで受け止めつづけた。
帰りは深夜になった。店で呼んでもらったタクシーに、ふたりは乗り込み、まず里村が可矢子を自宅マンションまで送ってくれることになり、可矢子はゆったりと座席シートに身をもたせかけた。
「ありがとう。おいしかった、楽しい忘年会だった・・・・」
「喜んでもらえて、ぼくもうれしいよ」
「あそこ、あなたの馴染みのお店?」
「いや、ぼくも知り合いに教えてもらってね。一度ランチを食べにいって、これはうまいと思ったもので、ぜひ、きみにも案内したいと」
「そう。おかげでいい夜をすごせたわ」
「きみがいっぱい笑ってくれたのが、ぼくは何よりだ」
「私、そんなに笑っていた? 酔ったのね」
そこで会話はとぎれ、しばらくして里村は正面を向いたまま言った。
「どこか静かな所にでもいこうか・・・・」
可矢子は少しの疑いもはさまずに応えていた。
「お茶? もう十二時よ。こんな遅い時間にやってるお店といったら、ファミレスぐいのものでしょう?」
それに対して里村はうんともすんとも言わず、やがて、タクシーの住むマンションに辿り着いた。
里村の言った「静かな所」というのは、じつはラブホテルのことだったのではないかと、可矢子が思いいたったのは、あくる日の夜である。そう考えれば、可矢子がとんちんかんな返事をしたあとの、里村の不自然な沈黙も理解できる。
しかし、可矢子からすれば、それはまったく心外な里村の発言で、自分にはそういう気持は皆無だということを折に触れて伝えつづけてきたこれまでは、いったい何だったのかといった怒りを覚えられずにはいられなかった。
それが昨年の暮れの出来事である。
その後、里村から二、三回電話があったけれど、適当な口実をつけて会うのは断り、そして、きょうの電話だった。
私たちの関係はもう白紙に戻したいと、あえて口に出すまでもなく里村なりにわかっている筈だと思う反面、暮れの件の記憶を甦らせると、はたして彼はどこまでわかっているのかと言うじれったさが湧いてくる。
決定的なことばは避けて、ふたりの関係をあいまいにしたままも「この先、もしかしたら」期待を踏みじらないでおいてやるのも、あるいは思いやりというものなのかもしれなかった。とりわけプライドが人一倍こだわるタイプの男たちにとってもつらいのは、自分が一ミリの身動きもできないほどに追い詰められることだろう。かれらに必要なのはすきまだった。そこでどうにか態勢を立て直せるぐらいの余白が。
とはいえ、ふたりの関係をあいまいなままにして置くには、可矢子自身のおさまりが、すこぶる悪かった。
気を持たせて里村をいいように翻弄しているような、相手の心を弄んでいるような、そしてそれは、人として決してやってはいけないことのような淡い内省的な気分まで引きだしてくる。
けれど、自分の生き方の美意識に余計な影を落す、そうした淡い罪悪感とは別に、可矢子が里村に素直にすまないと思うのは、ごくごくまれなことだった。それほど可矢子はお人好しではなく、やさしい性格でもない。
さらに言えば、こういう性格だからこそ、里村がまつわりついて離れないのだろう。可矢子からのやさしさを渇望しつつも、それが叶えられず、つねに飢えているような、その堂々めぐりが、男心に特有なある種の習性を刺激しつづけているに違いない。
ふたりはどちらも四十五歳になる。
高校のクラスメートだった。
四十歳を目前にして、はじめて体の関係が生じた夜、里村は涙ぐむようにして告白した。目が仔犬みたいに潤んでいた。
「高校の三年間も、大学にいってからも、ずっときみが好きだった。けど、きみは、他のやつが好きだってことを言ったんで、ぼくとしては打ち明けられなかった」
「へえ、そうだったんだ。私が隣りのクラスの内山くんのことが好きだって言ったら、あなたは伊藤マチ子さんが好きだって、その場で答えたのよ。おぼえていない?」
「おぼえてるさ。でもね、きみは内山のやつが好きだって言っているのに、ぼくがきみを好きだとは、とてもあの頃は言えなかったよ。だから、とっさに伊藤マチ子さんの名前を口走ってた」
「ふうん。なるほどね。伊藤マチ子さん、きれいなひとだったから、それだけで説得力があって、私、そうなのかって頭からそう信じていたわ、いまのいままで」
もちろん里村は妻帯者で、ふたりの子供の父でもある。いまでは子供たちは高校生と中学生になった。
可矢子に子供はいない。二十代で結婚した相手とは、数年後の三十代で別れ、以来ずっとひとり暮しをつづけていた。
翌日、約束の二時より一時間も早く可矢子は車で自宅マンションをあとにした。
Eホテルにいく途中に、スーパーマーケットやホームセンター、家電品店、書店などひとかたまりに並ぶショッピングモールがあり、そこに寄って、安売りで評判のティッシュやトイレとペーパーなど調達するためである。ベランダのプランタ―で育てている草花の栄養剤についても専門店のスタッフに聞きたいことがあったし、電池や洗剤類、掃除用の大小のスポンジなども、そろそろ補充しておきたかった。
六月も末の蒸し暑い日だった。
空は灰色の雲でおおわれ、夏の強い陽射しは雲にさえぎられて見えないものの、それでも暑さに変わりはない。湿度の高い不快感は、ねばりつく汗となって体中をべたつかせ、冷房のきく店内に一歩入ると、ほっとした思いがとっさに溜め息となって口からでてしまいそうになる。
天気予想では「夜から雨」ということだけど、できれば、さっさとひと降りして、大気中にどんよりと停滞する湿気を一気に洗い流してほしかった。
いったんショッピングモールに足を踏み入れると、ついつい目移りがして、予定の買い物以外のものもあれこれと買い込み、可矢子がふたたび広い屋外駐車場から車をスタートさせたのは、約束の二時ちょうどだった。
里村と会うときは、いつも遅刻する。普段は時間にルーズではないと自負しているのだが、里村とのデートにかぎっては、約束の時刻に間にあったためしがなかった。
到着が遅れているそのあいだに、里村がしびれを切らして帰ってくれまいか、というひそかな期待がある。
しかし、いずれにしても、それは、はっきりとした気持ではなく、だれかから非難されたとしたらなら、そくざに、
「遅刻しようとか根気をためそうとか、そんなこと、私、ぜんぜん思っても見なかった」
と、否定して、呆気からんと悪びれない態度を無理なくできそうな、ぼんやりとしたレベルでの無意識だった。
男に対するこの手の無意識は、十代二十代のころは、もっとひんぱんに表出していけど、さすがに四十代もなかばになると、何よりも自分自身をごまかせなかった。つかのま自分をごまかしたつもりでいても、どこか醒めた部分が必ず残っていて、それが気恥ずかしさを引き出してくるのだ。これが年齢とともに身に備わって来る、別名・良識というものなのだろう。
Eホテルの地階駐車場に車をとめ、エレベーターで一階にあがり、化粧室で化粧のくずれを直し、袖なしの白いコットンのシャツワンピースの前立てのボタンを三つはくずしていのを二つに減らし、セシルカットの短髪に両手をつっこんで空気を入れてふくらみを持たせ、マスカラの付き具合を確かめ、しめくくりに丹念に手を洗ったあと、可矢子はようやくラウンジに向かった。
約束より三十分がすぎていた。
窓際のテーブル席に里村の姿が見えた。いまか、いまかと可矢子が現れるのを待ちわびている里村は、いつも遠くから目にするところ、不安と心配でふさぎこんでいた。彼にしても、可矢子がいつ自分との約束をすっぽかすかもしれないと、つねに自信がないのだろう。
近づいてくる可矢子の気配を察知したらしく、暗くうつむきがちに足元を見つめていた里村が顔をあげた。
そのとたん、彼はすっぽりとおおっていた不透明な膜が縦に真っ二つに割れたかのように明るさがみなぎり、里村が手放しで相好をくずして可矢子を迎えた。
いつもこの瞬間、可矢子は、人生の皮肉としか言いようのない気持ちを味わう。
里村の顔立ちは、可矢子の本来の好みとは、まるで正反対なのだ。
目鼻立ちのひとつひとつを、太い黒のフェルトペンでくっきりなぞったようなその容貌は、しつこすぎた。思わず笑ってしまいそうなぐらいに、可矢子からすると、濃い。
だからこそ、高校のクラスメートだったころ、あんなにも気心の知れた親しい相手であったにもかかわらず、ついに彼を異性としてみることができなかったのである。
ただ、里村の顔立ちは好みでではないけれど、何を着てもよく似合うし着こなしてしまう、すらりとした体つきは申し分なくエレガントだった。顔さえみなければ。
そして、きょうの彼はコットンと麻の混紡らしい生成(きなり)色のジャケットを、さらりとラフに着こんでいた。その下は白のTシャツだ。
「ごめん、遅れちゃって」
まるで心のこもらない謝り方なのは、だれが聞いてもわかるだろうに、それを聞きなれている里村は気を悪くしたふうもなく、にっこりとほほえんだ。
「いや、ぼくも、出かけに野暮用が入って、ほんの少し前に来たばかりでね」
可矢子をかばい立てする里村の小さなうそも、いつものことだった。
ウェイターがやってきて注文をきいた。
可矢子はアイスティーを、里村はグラスの水のおかわりを頼む。
ウェイターが去ったあと、里村は、暮れのふたりきりの忘年会から半年がたっていることも、あの夜の帰りのタクシーで自分が言ったことも、きれいさっぱりと忘れているようなこだわりのなさで尋ねた。本当に忘れたかどうかは別にして、昔から記憶力のいい男ではなかった。
「どうしてた?」
「ええ、元気よ。いつもどおり」
「仕事は忙しい?」
「いえ、まるでひま」
可矢子はフリーのグラフィックデザイナーである。広告会社一社とデザイン事務所二社に勤めたあと、六年前の三十九歳でフリーになった。今後は自分の実力を試そうといった野心と自信にあふれた独立ではなく、当時勤めていたデザイン事務所の経営が怪しくなり、ならば倒産する前に辞めて、フリーの看板を掲げた方が聞こえはいいという消極的な判断からである。
仕事は、以前からのつてや人脈に頼って、どうにかひとりで食べていけるくらいの稼ぎはあるものの、毎月の収支はプラスマイナスゼロが、ずっとつづいていた。
里村は、祖父の代からの家業である建築業を、父が亡くなった十五年前に引き継ぎ、どうにか細々と持ちこたえているらしかった。数年前に二十名いた従業員を半分に、その後さらに半分に減らしたという。しかし、そのかわりには、里村の着ているものや持ち物は、以前と変わらないレベルを保ち、それでいて見栄を張っているようでもなさそうだった。
「もしなんなら」
と里村が注意深い口調で言った。
「ぼくの友人に印刷会社のやつがいるけど、紹介しようか。仕事が暇すぎるのも考えものだろうから」
「ありがとう。ほんとに困ったときはお願いするわ。でも、いまはだいじょうぶ。何とかなる」
「そう・・・・」
注文したアイスティーが運ばれてきた。里村の前のグラスにも水がつがれた。
可矢子はアイスティーのグラスにたっぷりの甘味料を加え、ストローで吸い上げた。若い時分はどちらかというと甘いのは苦手だったのに、四十歳を過ぎると、なぜか急に好きになりだした。そのせいか、一年に三ミリずつ体が膨張し、ダイエットしても、簡単には痩せなくなった。とはいえ、可矢子の服のサイズは、まだMサイズ、九号サイズを、辛うじて保っている。
ここに来る前にショッピングモールに寄り、広々としたフロアを歩きまわって疲れていたためか、甘ったるいアイスティーは、ことのほかおいしく感じられた。おもわず里村がいるのを忘れて、アイスティーに夢中になってしまっていた。
「・・・・この前、小野悠木さんの家の手直しを頼まれてね」
現実に引き戻されたかのように、里村のことばに顔をあげた。
小野悠木もまた高校のクラスメートのひとりである。
「元気だった? 悠木さん」
「うん、相変わらず猫たちと暮らしている」
「いま、猫は何匹いるの?」
「二匹」
「あら、ひところは十数匹いたって話を聞いたけど、そう、二匹になってしまったの」
「いや、それもつい最近、三匹いたうちの一匹が病気で死んでさ。悠木さんのお気に入りの猫だったらしい。そのショックから、なかなか立ち直れないので、ここは思いきって家の中を改築して気分転換をはかろうってことでね。死んだ猫がよく爪とぎしていた玄関そばの壁をかえたいと」
「壁? 柱じゃなくて?」
「そう。ついでにキッチンとか浴室の水回りにも手を入れるつもりだよ」
「いいなあ、お金のある人は。飼い猫が死んでオチこんでいるから自宅を改築するなんて。私もやってみたい」
可矢子が住んでいる自宅マンションは、中古物件だった。だからこそ購入できた。新築マンションなど、どう頑張っても手が届かない。
そんな可矢子の心中を気遣ってか、里村はさらに注意深い口ぶりで話をすすめた。
「悠木さんは夫を亡くしたときにも心機一転したいって改築しているし、そのあとにも一回、そして今回だからね。だから、ぼくとしては、この際、思いきって立て直してしまったらどうかと」
前二回の改築も里村に依頼されていた。そのため元クラスメートというのに加えて、依頼主と業者のつきあいも生じ、悠木のその折りおりの近況は里村から聞かされていた。
「いいわねえ、豪勢なこと」
「でもあんまり、お金がないって言うから・・・・」
「うそよ。彼女の亡くなったご両親は、あのあたり一帯の大地主さんだったんだもの。そこのひとりっ子よ、悠木さんは。手のかかる子供もいないしね」
「うん。それはみんな知っていることだけど、彼女自身が言うには、そんなお金はないと」
「利口なのよね、悠木さんは。ねたまれるようなことは、けっして言わない。高校のころから、そういうひとだったな。知的で、謙虚で、常に 冷静沈着そのもので、キレてカッとしたところなんて見たことなかった」
そういう小野悠木に可矢子は密かに憧れつづけた。一時期はたがいの自宅に行ったり来たりするほどに親しくもなった。もちろん可矢子が積極的に悠木に近づいたのである。
可矢子だけではなく、憧れとまではいかなくても悠木に一目置いていたクラスメートたちは少なくなかった。男子生徒たちにさえ、ある種の敬意を払われていたのだ。
だからといって、お高くとまっているような悠木ではなく、その人柄はあくまでも温かみがあった。しかも勉強もできる。浮ついたところは皆無ともいえた。
「それでね」
と里村がつづけた。
「ここしばらく改築のあれこれの打ち合わせやら、見積もりやらで、またまた悠木さんとこに通ってね」
「あら、いいじゃない」
「えっ?」
「猫たちがいるとはいえ、悠木さんもひとり暮らしだから、あなたがちょこちょこ顔を見せてもくれたら、話し相手ができていいんじゃないかしら」
「まあ、そうみたいだね」
「でしょう?」
「たまにケーキなんか買って行くと、彼女、ものすごく喜んでくれる。それも悠木さんとぼくのぶんの、たった二個なんだけど、ケーキ二個で、あんなに喜んでくれる女のひとを見るのは久しぶりだよ。昔々の若いころは、つきあう女のひとたちも若くて純情だったせいか、そういうシチュエーションもあったけど、四十をすぎてこういう場面にでくわすとは思わなかったなあ」
「彼女、そういうの大好きなはずよ」
「そういうのって?」
「だから、ケーキを食べながら、コーヒーなど飲んで、なごみながら。自分の話をじっくりと男に聞いてもらうのが。じっくりと男のひとにね。女が相手じゃなくて」
「ふうん。なるほど。よく考えてみると、それって、いかにも彼女らしいって気もするね」
「そう?」
「けど、どうして知っているの? そういう彼女の好みというか・・・・」
「あら、言っていなかったっけ。私たち、二十代半ばに街でばったり再会して、それから三十代半ばぐらいまで親しくつきあってたことがあるの。悠木さんがT市の大学をでて、むこうで少しのあいだ就職して、そのあと、こっちに戻ってきたころ」
「へえ、はじめて聞いたよ」
その再会が衝撃的だった。
とりあえずお茶でもということになって近くの喫茶店に入り、注文した飲み物がテーブルに運ばれてきたあと、悠木はいきなり聞いてきた。
「あなた、子供をおろしたことある?」
びっくりして可矢子はことばを失った。
問いかけの内容そのものがショッキングなうえに、数年ぶりに再会したばかりなのに、こういう質問をされることへの戸惑い、しかも、あの小野悠木の口から発せられているという度肝を抜く現象が一緒くたに襲ってきて、可矢子は絶句してしまったのである。
そしてテーブルをはさんで向かい合っている悠木は、流行にとらわれない、けれど上質な素材のすっきりした服装で、高校生のころと同じおだやかな雰囲気と知的なまなざしを持ち、その口調も、言っている内容のどきつさとは反対に、温かみのある、落ち着いたトーンそのものだった。白っぽいピンクのシャツにブラウスがよく似合っていた。
可矢子が、ただただあっけにとられて口ごもっていると、悠木はその話はそれできりあげ、T市から郷里のこの街にもどってきた理由を、やはり、淡々と語った。
「つきあってた彼氏にフラれちゃって、もう、T市にはいたくないと。妻子持ちだったけど、毎晩のように私のアパートに帰って、お酒のつまみとか作って彼氏をひたすら待ってたわ。彼氏の好きな焼酎を切らさないように、いつもいつも買っておいて。それだけ一生懸命つくしたのに、フラれちゃった。言うまでもないことだけど、おろした子は、その彼の子。それも一年に二回も、なのに、彼は私を捨てたのよ。ひどいでしょ」
話の内容よりも、そういった男女間のどろどろを体験してきた悠木、そして、それ平然と口にして恥じない彼女そのものが、可矢子には驚きだった。高校時代のイメージとあまりにも違い過ぎた。
その日をきっかけに、悠木との新しい親交が生まれた。
そして、わかったことは、再会のあの日、悠木は失恋の痛手から頭のねじが少しおかしくなって、あんな突拍子もない質問をしたわけではない、という事実である。
可矢子が知っている高校のころのクールで理知的な悠木も本当なら、傷ついてズタズタになるのを怖れずに、男との関係を全身全霊でのめりこんでいくのもまた悠木の嘘偽りのない一面だったのだ。
里村からひさしぶりに悠木の名前を聞いて、二十年前の再会の記憶が頭の中に蘇って来たものの。可矢子は、それは里村には言わなかった。というより、どうしてなのか、言いたくなかった。
グラスのなかのアイスティーの残りを、音を立てぬように慎重にストローで吸いきってから、可矢子はきいた。
「それで悠木さんのうちの改修はいつごろからはじまるの?」
「いや、だから、改築するか、立て直すにするか、彼女も迷ってるところでね。あるいは、ひとり暮らしのセキュリティーを考えると、管理のしっかりしたマンションに思いきって住み替えるのがいいかもしれないし」
「そうか。それは迷うところよね。私たちも四十五だし、この先も、だれかと同居する予定もないのなら、ひとりで一軒家に住みつづけるのは大変。セキュリティーだけじゃなく、メンテナンスの点でも」
「まあ、彼女としては、いまの家は、ご両親や夫の思い出がしみついているから、そう簡単には離れたくないし、家そのものもそっとしておきたいらしいけどね」
「わかるな、なんとなく」
「ぼくも相談にのってるけど、なかなか、こうしたらっていう結論は出せなくて。打ち合わせにいくたびに、ああでもない、こうでもないって、ふたりで話して、知恵を出し合うんだけどもね」
「ケーキを食べながら?」
「まあね」
「飲み物はコーヒー? それとも紅茶?」
からかうつもりもなく、からかう口ぶりになっていた。
「最近は、彼女が見つけてきたというおいしいハーブティーを出してくれてね、健康にもいいから、ぜひ飲むようにって」
里村は、いたって生真面目にそう言い、しかし、ひと呼吸あとのその顔は、しまりなくにやけ、頬がうっすらと紅潮していた。どうしても、しぜんと顔の筋肉が緩んでしまうといった風情だった。
可矢子は、そんな里村にぬかりなく観察眼を走らせ、しかし、口元には淡い微笑をそよかせて、彼の話に興味深く耳を傾けているポーズを保ちつづけた。
案の定、里村は上目づかいに可矢子の反応をうかがい、いまのところは何もしくじっていないのを確認すると、なぜか急に表情をあらためた。
「きみに言わなくちゃならないことがあってね」
その顔からは、さっきまでのにやつきは、あとかたもなく消えていた。
「なにかしら」
可矢子は、さらりとかわすようにそう言って、テーブルの上の水の入ったグラスを手に取り、口へ持っていく。里村が話をきりだしやすいように、目はあわせずに伏し目がちにした。
「じつはね・・・・」
「ええ」
「怒らないでほしいんだ」
「うん」
「きみとの六年間、ぼくにとってはすごく有意義だったと思ってる」
「あれ? 五年、いえ、四年目じゃなかったけ」
「いや、六年になる。まちがいないよ」
「あ、そう」
「きみのこと、ぼくはいまも好きだしね。これも本当だよ」
私もあなたが好きと言い返すのが、大人のマナーかもしれないものの、可矢子は、もう、そういったごまかしは疲れた。だから無言でその場をやりすごす。
「きみが好きなのは事実なんだけど、でも、ぼくって男は最低でね、きみというひとがいながら、つい悠木さんと関係してしまって・・・・」
「・・・・」
「聞いてる? ぼくと悠木さんがつまり、できちゃったってことで・・・・。いや、すまない。ほんとに申し訳ない。こんなこと言ってもきみを傷つけるだけなのに」
里村は深くうなだれ、謝罪のセリフを小声でくりかえしつぶやいた。
可矢子も、やはり彼と目を合わせまいとして、テーブルの上ばかり見つめていたけれど、それは目の中に喜びと安堵の色があふれでるのを相手に悟られるのは、さすがにまずいだろうという判断からだった。
胸のうちでは思い切っり、ばんざいを叫んでもいた。
(ああ、ようやっと一件落着した。ようやっと里村との仲が精算できた。よかった。本当によかった。久しぶりにせいせいした気分になれた)
里村にちょっかいを出してくれた悠木に心から感謝したいぐらいだった。
里村と悠木のどちらも知っている可矢子としては、事の始まりは悠木から仕掛けたに違いないと信じて疑わなかった。
「ほんとにごめん。いやな思いをさせて。いや、きみに不満があったとかじゃないし、今回のことにしても、悠木さんになんの責任もない。すべてぼくの不徳の致すところで・・・・」
喜びの表情を隠すために、うつむきがちの姿勢で、可矢子はつとめて声のトーンを低めて言った。そうしなければ声にも晴々としたいまの心境がでてしまいそうだったのだ。
「わかった。もう起きてしまったことを、ここでとやく言うつもりはないの・・・・そうね、相手が小野悠木さんなら、仕方ないかって、私自身、へんに納得しちゃってる。悠木さんのこと、私、嫌いじゃないから・・・・彼女を大切にしてあげて。奥さんとは別の意味でね。言いたいこと、わかるでしょ?」
「・・・・ありがとう、そんなふうに言ってくれて・・・・」
里村は声をつまらせた。
「・・・・悠木さんの言うとおりだった。へんにごまかしたり隠したりしないで正直に打ち明けた方が、話はストレートに伝わるって。特にきみみたいなひとにはって」
「・・・・あなた、彼女に私のこと喋ったの?」
「まずかったかな」
しかし、そう言い返した里村には、おどおどしたところは少しもなく、早くも新しい恋にのぼせきっている。どこか間の抜けた顔つきで、可矢子の気勢をそいだ。
「言ってしまったんだからいいけど。で、話はそれでおしまい? なら、私、帰る」
里村との関係を清算したからといって、可矢子の生活に変化はなかった。
だいたいがしょっちゅう会ったり電話しあったりするつきあい方ではなく、そうした取り決めを含めて、可矢子が主導権を握っていたため、いまさら里村のことで生活のリズムを乱されることはなかった。自宅マンションに誘ったためしもない。
とはいえ、ずっと頭の隅に引っかかっていた気がかりが取り払われた解放感は言うまでもなく、その後の一週間可矢子はボーイフレンドたちを次々と電話で呼び出し、お茶を飲んだり、夜景のきれいなバーにくりだしたりといった楽しみにあてた。
どのボーイフレンドとも、たがいに割り切った交際で、体の関係があるなしは、さほど重要ではなかった。気が向けば、そういうこともあったりもするけれど、それが目的で会う事はめったにない。
ボーイフレンドは三人いた。同世代の四十代と、五十代、六十代という顔ぶれで、先のふたりは妻帯者、六十代の初老の男は数年前に妻と死別し、それ以外にもさまざま人生を経験者のせいか、話し相手としては一番手ごたえがあり、教えられることも多かった。
三人の男たちは、可矢子がそうしているように、可矢子のほかにも食事をしたりする女友だちがいるらしい。けれど事実はつねにあいまいにぼかし、可矢子と一緒のときは可矢子が最高の女友だちであるかのようにふるまってくれていた。
かれらのそういった洗練され、垢抜けた大人のマナーも可矢子は申し分なく気に入っていた。
その三人に較べると里村は万事につけて物足りなく、彼にせがまれて会ったりするたびに、貴重なお時間を台無しにしているような、訳もなく足を引っ張られているような気持ちがぬぐえなかったものである。
ころから可矢子を想いつづけていたというのも、うれしいよりも、重く、うっとうしかった。
ボーイフレンドたちとのデートを楽しむ一週間がすぎ、次の週は久しぶりに大口の仕事の依頼がまいこみ、打ち合わせやらその下準備やらに追い立てられているうちに、またたくまに日々はすぎて六月は終わり、七月も中旬にさしかかっていた。
電話の向こうで、小野悠木です、と名乗られたときは、とっさに里村のことを思い出して、反射的に身構えたものの、数分後の可矢子は、すでに不必要な肩の力を抜いていた。
「可矢子ちゃん、お元気でした?」
「まあ、どうにかやっています。悠木さんは?」
「私もどうにかぼちぼちってとこかしら。でも、ほんと、久しぶりね。こうして可矢ちゃんとお話しするのは」
七月の平日の午後だった。朝から雨模様の天候で、この時期にしては妙に肌寒い。異変といっていいのかも知れなかった。
「おたがいに若いうちは何かとばたばたしてたものね」
「そうね。前しか見ていないような、つんのめるような、あわただしい毎日で」
「そうそう」
と相槌を打ちつつ、可矢子は目の前のパソコンの液晶パネルに描かれているデザイン案を見るとはなし見た。あのころはパソコンではなく、もっぱら手描き、手作業だったな、と忽然と思い出す。いまも手書きの部分はあるにしても、パソコンを使うことのほうがぐんと多い。
悠木との仲が疎遠になったのは、これといった理由も事情もなかった。仕事や男がらみの私生活に気を取られているうちに、いつのまにか月日がたち、おたがいに連絡が途絶えてしまっていたとしか言いようがない。
そして当時の悠木のがむしゃらな働きぶりも、なつかしく思い返された。
資産家の親を持ちながら、悠木は勤勉な働き者だった。T市の大学をでて就職し、やがて失恋の痛手から逃げるように郷里のこの街に戻ってきたあと、悠木は親に借金して麻雀屋をはじめ、女の子のアルバイトを雇ったりしながら、自分は調理師学校に通い、ほどなく調理師の資格を取得した。そして麻雀屋を営む一方で、立ち食いうどん屋に毛が生えたようなカウンターだけの小さなうどん屋をはじめた。
うどん屋はあまり流行らず二年たらずで店をたたんだあとは、テイクアウトもできるお好み焼きの店を、本番・広島県出身の若い男の職人を入れて、かなり本腰を入れて頑張ったにもかかわらず失敗し、結果もそこそこに常連もついていた麻雀屋さえも手放す羽目になった。
次はラーメン屋を始めた。うどん屋とお好み焼き屋は立地があまりよくなかったという反省をふまえて、繫華な表通りに出店したのだけれど、一年もたたないうちに、その地域一帯にぞくぞく新規参入のラーメン屋が出現し、結局のところ、悠木の店は競争に負けて撤退した。
両親を事故でいっぺんに失い、三十代になっていた悠木が再スタートをきったのは、一軒家の自宅の一部を改造して喫茶店を始めることだった。前庭を駐車場にあてた。
その一帯は、昔から閑静な住宅地だったが、時代の変化とともに、独身の会社員や学生の住むアパートが多く建ち並ぶようになっていた。そこに悠木は、かれらをターゲットにし、外観はしゃれた喫茶店、内実は気取らない定食屋といった経営にふみきった。
特に若い客の評判をとったのは、学生相手の低価格にして、その盛りのよさである。そのころ、可矢子も何回かその店に食べにいったりしたけれど、そのたびに、はたして儲けはあるのだろうかと心配するくらいな大盤振る舞いの大盛りで、残すのは悪いと思って、ようやっと平らげた。
だから食べ盛りの学生たちが喜ぶのは当然で、一回来た者は、二回、三回と通いつめてくれるし、しぜんと口コミで広がっていった。
メニューはかなり工夫されていたと可矢子は思う。当時まだ一般的でなかったキムチチャーハンをいち早く始めかと思えば、昔なつかしいケチャップ味のスパゲッティナポリタンとか、ざく切りの野菜をカレー粉と小麦粉で煮ただけのような「おふくろカレー」なども、メニューにのっていた。
さらに客の心をつかんだのは、街の甘味処などにひとりでいくには恥ずかしいといった甘党の男たちのために、チョコレートパフェだの、バナナサンデーだのといったメニューも用意され、しかも、やはり、男たちの胃を満足させる大盛りという気前のよさだった。もちろん男たちばかりでなく、女たちも大歓迎された。
喫茶店の店構えながら、実体は定食屋というその店の賄い場に、悠木は、率先してアルバイトの女の子たちとともに立ち働いた。土日は近くに住むサラリーマンたちでにぎわうため、定休日は平日に設けられていた。
夫となった小室と知り合い結婚したのも、この店での出来事なら、八年後に入院先で夫を看取ったときも、まだ営業していた。
夫の死後二、三年がすぎ、四十歳をすぎた悠木は、長年の立ち仕事が原因なのか、しつこい腰痛に悩まされ、それで店をたたんだという。
その後は猫にのめりこんだ。ペットショップで扱っているような高価な猫にはあまり興味はなく、保健所で行われる犬猫の里親探しに足しげく通ったり、近所をうろついていた野良の仔猫を家につれてきたりと、いっときは総数十数匹のときもあったようだ。
悠木の猫好きは子供の時分からだったけど、夫の小室が猫アレルギーだったため、ずっと我慢してきたということは、小室の死後にはじめて悠木が明かした・・・・。
こうしたことは、悠木と疎遠になったあともなんとなく可矢子の耳に入ってきていた。教えたのはだれだったか思い出せない、いわゆる”風の便り”というものである。
「じつは、ほかでもないだけど」
と電話口から悠木の折り目正しい、ゆったりと落ち着いた声が、可矢子の耳にふたたび心地よく伝わってきた。
つかのま過去の思い出にひたっていた可矢子は、あわてて目の焦点をあわせた。そこにはさっきと同じパソコンの液晶がパネルに作業途中のデザイン案が描かれていた。
「はい。何かしら」
「里村さんのこと」
「ええ」
「私と彼のこと、聞いたでしょ? 私も、あなたと彼のこと数年間のこと、彼から聞いたわ」
「あのね、悠木さん、私たちの関係って、そもそも最初からたいしたものじゃなかったのよ。男のプライドを傷つけたくないから、里村さんにはそういうことを言わなかっただけで。でも、悠木さんには、私、わかってもらいたい」
「そう・・・・つづけて」
「つまり私たちの関係は、悠木さんが気にするようなものじゃなかったってこと。だからジェラシーなんて持たないで。時間と気力のむだよ」
「でもね、里村さんが言うには、あなたとは真剣なおつきあいだったと。奥さんと別れることも考えたとか」
「まあ、むこうはそうだったかもしれないけど、でもね、男って、たいがい一回はそういうことを言って見たがるでしょ、自分の彼女に。奥さんとは別れることを考えているとかいないとか、その程度の気持」
「気の迷いというなら、恋愛も結婚も、いえ、ほとんどの男女関係は気の迷いだと、私は思うけど」
どこまでも冷静沈着な悠木だった。気取ってそうした態度や口調を保っているのではないのは、可矢子にはよくわかっていた。昔から悠木はこうなのだ。とり乱すということがない。
「確かに気の迷いではあるけど、ただ私の場合、気の迷いという以上に、もっとたちが悪かったなっていう自覚もある」
「ああ、思い出したわ。可矢ちゃんて、よくない女なのよね。同性に対してはそういうことはしないのに、男の人には、かなりひどいことを平気でできる。ほら、昔もそういうことあったじゃない。私覚えているだけでも、最低ふたりはあなたの被害をもろに受けてた」
「いまになって、ようやく気が付いたんだけどね、悠木さん。私、人間は好きだけど、『男は嫌い』なのかもしれない。男って生きものが」
「あら、そうだったの? 初耳ね」
「友だちづきあいならいいの。そこまでなら、嫌いでも何でもないの。いったん男女の関係になると、なぜか、その相手にふつふつと憎しみがわいてくる。どうしてなのか、自分でもわかないけど、たいがい、そうなっちゃうのよ」
「何が可矢ちゃんのトラウマなの?」
「知らない、そんなのは。でも、もう知らなくてもいいかなって。だって、四十五よ、私たち。知るには遅すぎるってことばっかりの年回りよ。手遅れなのよ」
「そんなことはないでしょう。まだ四十五とも言えるし。八十歳まで生きるとしても、あと三十五年もある」
「やだなあ。うんざり。長生きなんて」
「だから自分のトラウマを探しだせば、精神的にもっと楽に、あとの三十五年をすごせるかもしれない」
「はたしてそうなのかな。早し話、トラウマ探しって、すりかえごっこじゃない? 自分がこうなった原因は自分以外の、家族とかまわりの人間とか環境とか時代とかのせいにして、ほっとするって話でしょ」
「そのほっとすることが大事なんだと思う」
「なんで?」
「人生って、生きるって、辛いことよ、可矢ちゃん。そう思わない?」
「・・・・まあね」
「ほんとは、だれかのせいにもできないって、みんなわかってるのよ。でも、それだと、あんまり辛くて、しんどくて。だから、原因は自分以外にあったということにして、自分を慰める。もちろん、りっぱな人間のすることじゃないかもしれない。ただ、立派な人間なんていないかもしれないでしょ。りっぱな人間っていうのは、私たちの幻想だったのかもくれないし・・・・」
「昔はいたんじゃない? 立派な人は」
「昔って、いつのころ?」
「ええと、明治、かな・・・・」
「なぜ明治」
「信念というものを、疑いもなく持ってて、そのためには自己犠牲もいとわないひとたちが、明治にはたくさんいたんじゃない?」
「自己犠牲の、その心って、究極のマゾの快感のような気がするのよね、最近の私、ちょっとひねくれているから」
「うん。ひねくれているかもしれない。だって悠木さんから、自己犠牲は究極のマゾだなんてセリフ、聞くとは思わなかった。だいたい、そういうのは、この私が言いそうなセリフでしょうが」
「ほんとね。これは可矢ちゃんの昔からのお得意分野だったものね」
「ハツハッハッ」
と思わず笑ってしまった可矢子につられて、悠木もくすくす笑いで応じた。
そのあとも二十代にもどったようなやりとりがかわされ、そして、なごやかな雰囲気のままに電話をおえた。
電話をきってから可矢子は、自分と里村が個人的につきあいだしたきっかけを、悠木に語らずじまいだったことに思いが至ったものの、むしろ、言わないでよかった気持のほうが強かった。あまりにもくだらない成り行きで、だから、それを正直に打ち明けたなら、悠木を傷つけてしまいそうだった。
四十歳を目前にしたあのころ、ほとんど突然のように里村が可矢子の前に現れ、一気に旧交をあたためた。可矢子にしてみれば突然の出来事だったけれど、後日、里村の説明によると、そのしばらく前から「もう一度会ってみたい」という想いにとりつかれ、チャンスをうがいつづけていたという。
そして偶然を装って、街中でばったり可矢子と再会するのに成功した。
「いまがラスト・チャンスだと思ったんだ、この年齢がね。もっとあとになるとて、トシをとりすぎて、がっかりするかもしれないし。いや、おたがいにだよ」
ひととおりの思い出話で盛り上がり、しかし、語り尽くしてみると、それ以外に共通の話題もこれといってなく、可矢子は里村と一緒にいても退屈した。
そんな可矢子の心中を察するふうもなく、里村は可矢子の傍にいることそのものにとっぷりと満足している様子で、話が弾まないその場の空気をとりつくろうとこともしなかった。とにかく、微笑みつつも黙り込む里村なのだ。
何回会ってもそうだった。
ほどなく可矢子は会うのをしぶるようになったけれど、それについては敏感に察知したらしい里村は、なりふりかまわずに可矢子の身辺をうろつき、あるいは、まとわりついて可矢子の役に立ちたがった。用を言いつけてくれて言うのである。
里村のひたむきな熱意に負けて、可矢子は仕方なく郵便局や銀行の用事を頼んだり、いま必要でない日用品の買い物のメモを渡したり、車の運転役をしてもらったりと、むりやり仕事を探しだした。そのたびに里村は嬉々として走り回った。彼自身の、そう忙しくはない家業のあいまをぬって、可矢子のために動き回るのを、心から楽しんでいるらしいのが、その顔つきからも、いやというほど読み取れた。
本当に忠犬のようだった。
可矢子の前では緊張のあまり寡黙になる口数の少なさも犬を連想させた。
そんな、里村に対して、可矢子はどう自己暗示をかけても恋愛感情は持てなかった。そのくせ、そのことに密かな負い目を感じる自分が忌々しくてならないし、どれだけこき使っても文句ひとつ言わない里村にもむかっ腹を立てつづけていた。
そのうち、ふとひらめいた。
お駄賃。ごほうび。
そうすれば里村をただ働きさせたことにならないし、里村もしかるべき報酬をもらえれば、自分の働きぶりが評価されていった充足感が得られて、のちのち可矢子を逆恨みすることもないだろう・・・・。
そういう、お駄賃としての体の関係だったのである。
とはいえ、体の関係は一年たらずで、やはり可矢子のほうから終わりにした。物珍しさにどうにか助けられていた初期の数ヶ月をすぎると、里村とのセックスは、やはり無理があった。可矢子にとって里村は、まったくといっていいほどエロチックな対象でなく、彼とホテルに行くのを考えただけで憂鬱になったりもした。
二十代に舞い戻ったような気の置けないやりとりがかわされた電話をきっかけに、悠木がふたたび頻繫に電話をかけてくるようになった。
話の前半は、飼っている猫たちがどうしたとかこうしたとか、家の改築もしくは建て直しについての、そのつどでてくる問題点や検討事項、そしてそれら一連のことに対する悠木自身のいくつもの迷いといった決まりきった展開で、しかし、とどのつまりは里村とのことをしゃべりたいらしいのだ。
悠木の言い分をうのみにして信じるとするなら、ふたりの恋愛は真剣だった。
しかも、どちらかがより想いのテンションが高いのではなく、まったくの相思相愛で、その点では完璧なバランスが取れているのだという。
「これまでうかつにも気が付かなかったけれどもね」
と悠木は神妙な口ぶりで言うのである。
「もしかしたら里村さんは、私の理想のタイプに一番近いひとなのかもしれないの」
「へえェ」
と思わず可矢子は、はしたないほどの感嘆の声をもらしてしまった。もちろん、わざとではない。
「・・・・理想のタイプに近いとは・・・・凄いわね、それって」
「こういうもんなのね、人生って。ごくごく身近にいたひとが、自分にとってだれよりも大切なひとだった。ところが、それを知るまで三十年近くを必要とするなんて」
「悠木さんにとって、彼はそんなにいいんだ」
「多分、私が男のひとにこうあってほしいと願うすべてを備えていると思うのよ」
「ほうォ」
この感嘆も、やはりわざとではなかった。
「やさしくて、おもいやりがあって、じっくりと私の話しを聞いてくれて。がさつじゃなくて。それと、自分より頭がいいというか、理屈っぽくて、てきぱきした女はいやだって男の人は少ないけど、彼はその反対なのね。頭のいい女性が大好きなんだって。その頭のよさを見ているとうっとりするんだって」
「ああ、それは私も聞いたことがあったな・・・・」
しかし里村が目の前でそういうとき、とっさに可矢子が口走ったセリフは、悠木には伝えなかった。なんの悪意も他意もなく、可矢子は辛辣に言ってしまったのだ。
「それって、あなた自身はばかだから、やり手の賢い女に憧れるわけ?」
しかし、それにしても、悠木から手放しで里村ののろけを聞かされるたび、可矢子は、相性、というか、男女のめぐりあわせ、なるものを考えないわけにはいかなかった。捨てる神あれば拾う神あり。のフレーズも思い浮かぶ。
可矢子にとっては、その外見も性格も、少しも異性としての魅力を感じない里村だけれど、悠木からすれば、おそらく可矢子が不満に思うことすべてが。むしろ彼の大きな魅力になっているのだろう。
はっきり言って可矢子は里村を見下しているところがある。
ところが、可矢子よりも知力も判断力も行動力もあり、そして性格的バランスのよさからも、ことごとく可矢子がかなわないと一目置いている悠木が、可矢子の見下す里村を称賛してやまないのだ。
なぜに悠木ほどのひとが里村のような男を、という疑問は、しかし、可矢子はちらりとも持たなかった。
昔から悠木こういう男が好なのだ。
ただ年齢とともに多少はこのみが変わったのではあるまいかと思ったけれど、里村を選んだということは、すなわち、昔から男このみは、あまり変わっていないとう何よりの証拠といえた。
妻子ある男に失恋してT市から帰ってきた悠木がやりだした麻雀屋も、並行してオープンした小さなうどん屋も、テイクアウトできるが売りのひとつだったお好み焼き屋も、その次のラーメン屋も、どれもこれも男がらみだった。
その折おりにつきあっている男が、うどん屋をやりたいだのラーメン屋やってみたいなどと言い出し、悠木がそれを全面的にバックアップかつサポートするというのがお決まりのパターンである。資金の工面から、店舗プランの発注、メニューの決定、そして調理場を取り仕切るのも、結局、悠木の肩にかかってくる。
そして内情を悠木から聞かされるたび、可矢子は悠木の男への尽くし方が半端でないのに感心しつつも、何もしようとしない相手の男に飽きれたものだった。
「で、彼はどこを担当してるの?」
「どこって、すべてよ」
「でも、いまの話しじゃあ、悠木さんが全部やっているように聞こえたけど」
「だからね、彼が私の相談相手をしてくれてるの。ほら、あれこれ決めかねたり迷ったときは、誰かに話すことで気持の整理がついたり、解決のヒントが見えたりすることつてこと、あるじゃない。彼はね、そういう役割りなの。私の話し相手になってくれるのが」
「・・・・」
判然としないまま、やがて悠木の彼に紹介される機会がやってくる。
実現されなかった店も二、三あり、それらに絡んだ男も含めると、可矢子は、そのつど悠木の付き合っていた男たちとほぼ全員と会ったことになるだろう。年上、年下がいりまじって五、六人はいた。
そして、どの男も紹介されたときも、可矢子は内心たじろいだ。
どの男も、ろくに満足な挨拶ができない、そういう男たちだったからである。
可矢子と目を合わせるのもイヤらしく、うつむきがちに黙っている。何かたずねても、助けを求めるように悠木を振り返り、けっして自分で答えたりはしない。
内気で、おとなしいのは、どの男にも共通していた。狂暴さはみじんもなく、悠木の言いなりである。
はじめて悠木の彼に引き合わされた時、可矢子は目の前の現実が全く呑み込めなかった。
とても一人前の大人の男とは思えなかったのだ。図体だけ大きくなったコドモ、としか言いようがない。
さらに驚いたのは、そういう男に対し、少しの疑問も持っていないらしい悠木の態度だった。
悠木に言わせると彼は、
「ひどいはにかみ屋さんの恥ずかしがり屋さんで無口なひと」
という説明であっさりと片付けられておしまいなのだ。
(もしかしたら並以下の知能では?)
といった疑いはいっさい持たないらしかった。
可矢子が悠木に紹介された五、六人は、一様にこのタイプで、三人目の彼に引き合わせられたとき、可矢子は確信した。
悠木さんは相手の男の知能レベルはわかっているに違いない。わかっていて、それでも、こういうタイプの男が好きなのだろう。自分のいいなりになっている、まるで自分のコドモみたいな手のかかる、世話のしがいのある男たちが。
五、六人の男たちは、そこまで悠木につくされ、面倒を見てもらいながら、そのことに少しでも感謝しているふうでもないところも同じなら、一年たつかたたないうちに、ふらりとどこかにいってしまって消息不明になってしまう結果も、申し合わせたように一致していた。
悠木そのひとと、彼女とかかわる男とのアンバランスな組み合わせに首をひねるのは可矢子だけではなかった。
悠木の店でアルバイトをする若いスタッフの女の子たちは、しょっちゅう顔をだす可矢子と親しくなってくると必ず言ったものである。
「面接のとき、悠木さんを見て、なんてクールで知的でステキなひとなんだって憧れました。話していても楽しくて、物知りで、教わることがいっぱい。こういうひとの下で働けたらラッキーだなって。で、マスターって呼ばれてる男性が悠木さんの彼氏って知ったときはショックでした。いえ、だいたいがマスターって呼ばれるのもへんだなあと思ったんですけど。だって、あのう、どう見ても、あのマスター、ふつうじゃないですよね。しかも悠木さんの彼氏? こんな話、信じられませんよォ」
悠木と八年暮らした夫の小室は、そういった男たちとくらべると、知的レベルにかぎっていえば、比較にならないぐらいまともだった。
当時、小室は、悠木が切り盛りする喫茶店の近くのアパートにひとり住まいをしている無職の男だった。同い年である。
おそらく小室が、喫茶店のオーナーで独身の悠木にねらいをつけ、積極的に口説いたのだろう。
悠木がうれしそうに可矢子に報告したことがあった。
「常連で小室さんっていうひとがいるんだけどね、やさしいの。お店の定休日に、わざわざケーキを買ってきてくれたりして、私と一緒に食べたかったんだって。いいひとよ。ケーキを食べながらいろいろ話しをしたの。あんなにくつろいだのは、久しぶりだった。私が男のひとに求めるのはこういうことなんだって、あらためて思ったわ。小室さんが甘党なのもとってもいい」
それからほどなくふたりは結婚した。
小室はヒモだった、「持病」を口実に喫茶店の調理場に立つのは悠木にまかせ、せいぜいやることといったらカウンターの内側に立ってサイフォンでコーヒーを入れることぐらいで、それも気が向かなければしない。
あとは店の中でぶらぶらして、常連を相手の「接客とおしゃべり」が小室の仕事だった。それは悠木も納得ずくの役割り分担らしく、可矢子はそのころの彼女から文句ひとつ聞かされたことはない。というより、悠木なりに幸せを嚙みしめていたようだ。
「いつも小室さんと一緒で息がつまらない?」
とたまに店に立ち寄った可矢子が尋ねたとき、悠木は洗いものの手を休めずに生真面目な口ぶりで答えた。
「ちっとも。だって夫が側に入れば安心だもの。私にかくれて何をやっているのかって、やきもきしないですむもの。ほら、働くのを私がすればいいんだし。夫はね、その私を精神的に支えてくれさえすれば十分なの。あとは休みの日に一緒においしいケーキを食べながらお茶して、おしゃべりして。そういうことをこまめにしてくれる男のひととって、意外といそうでいないのよね、女の話をじっくり耳を傾けてくれる男のひとって」
結婚生活は八年弱で終わりを告げた。小室の急逝は、彼の「持病」と無関係ではなかったようだ。
そして悠木は小室が「持病」のめに、あるいはそう長くは生きられないかもしれないのを承知のうえで、結婚にふみきったといういきさつを、可矢子は、葬儀の席で、だれかから聞かされた。
悠木らしい話とも言えた。もしかすると、小室が長生きできないからこそ、悠木は結婚を決意したかもしれないという気もした。
夫の死から数年後も悠木は腰痛が悪化したために廃業した。もちろん、腰痛も大きな理由だろうけど、小室の急逝や、長年つっ走りつづけきた気持の疲れ、また、だれのためにこんなにも働く必要があるのだろうといった疑問が、悠木からやる気を失わせたのではあるまいか。可矢子はそう思われても仕方なかった。
一日中、家にいるようになった悠木は猫を飼いはじめ、その世話にあけくれる日々を送っていた。
いっとき十数匹いた猫たちも老衰やら病気とやらで数がへり、ついに二匹になり、そこに里村が自宅の改築の件で呼ばれ、結局、里村は猫たちの仲間入りをした、ということなのか・・・・。
しかし、どういったいきさつであれ、相手であれ、悠木が昔のような元気と明るさを取り戻したことは、可矢子にとっても喜ばしかった。ついでに里村との腐れ縁も清算できたのだから、まったく願ってもない話だった。
悠木から可矢子にかかってくる電話は、それからも週に一回ぐらいのわりあいでつづいた。
悠木から冷静沈着に語られるも一見それとはわからない里村ののろけを聞かされるたび、可矢子は自分がかかわっていたあの里村と同一人物なのかとも何回となく、つかのま頭のなかが混乱した。
そのぐらい悠木が語る里村は、すばらしい魅力的で、やさしく、誠実でうそやごまかしのない人物だった。里村が変わったのではない。悠木の彼に寄せる愛情が、すべてをマイナスからプラスに転じさせ、輝かせてみせるのだ。
ただ悠木が、
「彼は、これまで私がつきあった男のひとたちのなかで、いちばん頭がいいみたい」
と感心するように言ったときに、
「そりゃそうよ。悠木さんの過去の男たちはひどすぎたもの。あのひとたちと里村さんにくらべるのは、彼に気の毒」
と言いそうになり、あわてて口をつぐんだりもした。
可矢子と里村のかっての関係も、ふたりはしばしばオープンに話題にしているようで、それを悠木から聞かされたとき、気にかけていなかったはずなのに、ほっとする気持ちになり、可矢子は自分で自分にたじろいだ。ほっとしたのは悠木に対してなのか、里村への一抹の申し訳なさからなのか、そこまではわからない。
「彼がね、くれぐれも可矢ちゃんによろしくって。こうやって私たちがしょっちゅう電話で喋ってること、彼も知っているの」
夏には始まった悠木と里村の仲は、秋口には、さらに密度を濃くしていった。
仕事がら外回りの多い里村は、仕事を口実に、ほとんど毎日、悠木の家に入り浸っているらしいことは、悠木の電話からも、それとなく知れた。
里村のことを話したくてかけてくる、しかし、決してはしゃいだりはしない悠木からの電話は、相変わらずつづいていた。
里村に別居や離婚を迫ることなく大人の関係は保たれ、それなりの安定期を迎えたようだった。悠木の話はそうだった。
そのうち可矢子の仕事が忙しさに見舞われ留守がちな毎日がばたばたとすぎていった。
そういえばこのところ悠木からの電話がないな、とようやく仕事が一段落して日常のくさぐさに目がいく余裕を持てたのは、十二月も中旬をすぎてからである。
けれど、またすぐに忘年会などの年末ならではの気忙しさに追われて忘れていった。
年があらたまった。
やはり、あわただしく一月がすぎ、カレンダーが二月に入り、義理チョコくばりも仕事の一環と心得ているバレンタインデーも無事におわったころ、高校のクラスメートのひとりと都心でばったり会った。
路上の立ち話にいっとき盛りあがり、クラスメートたちの消息をあれこれ教えてもらったそのしめくくりに、相手は言った。
「おい、そういえば里村と小野悠木さんのこと、聞いたか?」
「いえ、何も。どうしたの?」
と可矢子はしばらっくれた。自分と里村のこと、社会人となってから悠木と親しかった一時期があったことなどは、元クラスメートたちにはしられていないはずだった。自分から言うつもりはない。おもしろおかしい噂のたねを提供するだけになる。
「あのふたりな」
といまは銀行の支店長代理だという相手は、そこで声をひそめた。
「年の暮れに駆け落ちしたんだぞ」
「駆け落ち?」
可矢子は耳を疑った。そんなことするはずがない。する必要もない。これだから、噂はおそろしい。無責任きわまりない。
「悠木さんは飼っていた猫二匹も一緒にな」
「でも。かけおちなんて、そんな・・・・」
「いや、ちゃんと置手紙があったらしい。きれいに身辺整理もして、里村なんか家業の建設会社のいろんな書類上の手続きも、できるだけ済ませてあったんだとか。カミさんと子供たちの今後の保証するためにな」
「・・・・それがほんとなら・・・・」
おそらく悠木がアドバイスして、里村にそうさせたのだろう。行き届いたそうしたことを思いつくのは悠木であって里村ではなかった。
「離婚届け用紙にもサイン、捺印してあったらしい。だったら、なにも駆け落ちすることないだろうな、離婚してしまえば。いゃ、それもそうだけど、里村と悠木さんっていう、この組み合わせが意外というか。おれたちはみんな、びっくりしてのけぞったよ。ま、このトシになると、世の中なんでもありってことがわかってくるけどな。それにしても、あの里村と、あの悠木さんとは、信じられんよなあ」
彼と別れた後、可矢子は驚きでしばらくその場から動けなかった。
(どうして駆け落ちする必要がある? 私と疎遠になった数ヶ月のあいだに、離婚問題が浮上してもめていたのかもしれないけど、しかし、それにしても、駆け落ちはないだろう。四十五になるいい大人が)
気が付くと、その場に立ち尽くしたまま、可矢子は空を見上げていた。
二月も半ばを過ぎた、早春の陽射しをそこここに宿している空だった。空の、儚くも淡い青さは、空というより、山林のなかでひっそりといとなまれている小川のせせらぎを連想させた。
一瞬、二十年前の悠木の生真面目な、それでいてどこか得意げな響きがなくもない問いかけが耳の奥によみがえってきた。
「あなた、子供をおろしたことがある?」
そのとたん可矢子はひらめくように、ふたりの駆け落ちの理由がすとんと納得できたような気がした。
悠木は、彼女なりに人生最後になるかもしれない恋愛を、ドラマチックに締めくくりたかったのではないか。女としてのラスト・チャンスを。世間のしがらみをすてて、男と手と手を取って旅立つみちゆきを、ぜひともやりたかったのではあるまいか。
とことん自分の話に耳を傾け、言いなりになってくれ、そして家業や家庭といった、悠木のために捨てるべきものを持つ里村は、うってつけの相手だったろう。
可矢子は大きく深呼吸して、もう一度、空に目をやった。
はかなく淡い色のあいの青い空をスクリーンにして、悠木と里村、二匹の猫たちが、和やかに、むつまじく暮らしている光景が、ゆっくりと流れていく雲の形に重なって見えたような気がした。
後日、悠木から可矢子あてに手紙が送られてきた。エアーメールだった。
「いろいろとご心配をおかけして、ごめんなさい。
今、彼と二匹の猫たちとハワイに遊びに来ています。
幸せです。ここはパラダイスです。
このまま美しい海に、ふたりで手を取り合って沈んでしまおうか、と彼と語りあってたりもしている毎日です。
本当にそれも本望かもしれません。
いずれにしろ、私たちは幸せにやっています。
だから私たちを探さないでください。
四十五にもなって、こういうことができたことに、自分でも驚き、あきれ、そして苦笑しています。生きていてよかったと、しみじみ思います。
こういうことをするために、これまでの私の人生があったのかもしれない、過去のあれこれはみんなこれらのリハーサルだったかもしれないとさえ思います。
だって、彼のこと、一緒に入ればいるほど愛情が深まってくなんて、自分でも信じられないくらいです。
あなたもあきらめないで。
この先どんな出会いがあるか分からないでしょう?
じゃあ、お元気で。
さようなら。
追伸 まわりのひとびとを傷つけてしまったけれど、でも、仕方ない、と自分を正当化するのにではなくそう思います。生きる事は、だれかを傷つけてしまうことでもあるし・・・・こういう言い方をする私って、イヤな人間ですね。でも、彼に言わせると、私のそういうところがいいんですって」
初出『オール讀物』2005-6年五月号連載 藤堂志津子 引用された
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