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Ⅰ人生80年型セックス・ライフ
心の絆を深めようおそらく人間の寿命がこんなに延びなかったら、更年期の悩みは不要のものだったろう。かつて人生はわずか五十年といわれた時代がたしかにあった。当時は更年期を迎えるとともに女性の人生は終わったのである。
ところが、いつの間にやら高齢化社会となってしまい。多くの女性が閉経後に、少なくとも三十年・四十年近くの歳月を生きなければならなくなった。
では、その事実にどう向かうのか、実のところ対策はまだ確立していないといってよい。
私はいまでもはっきりと記憶しているのだが、三十歳になったとき、自分の人生は終わったと感じた。悲しくて、泣きたいような気分だった。
なぜ悲しいのかといえば、自分の若さに別れを告げた「おばさん」の仲間入りをしてしまうと思ったからだ。その頃の私にとって、三十歳以上の女はひとくくりにして「おばさん」だった。したがって五十歳も六十歳もたいした変わりはなかった。
それがとんでもない勘違いだったと知ったのは、三十五歳くらいの時だった。ひょっとして女の命とは、私が想像するよりはるかに長いのではないか。私が「おばさん」と信じている人々は、若い娘に負けないほどカラフルな生活を送っているのではないか。
そうわかって、私は心配するのを止めた。それまでの私はびくびくと怯えてばかりいた。自分の女としてのマーケット・ヴァリューが下落したとき、何が起こるのかがひたすら不安だったからである。
しかし、実際には私のちっぽけな脳味噌で想像するより、はるかに多様なマーケットがこの世には存在していた。なにも「おばさん」になったからといって人生が終わるわけではない。いや、むしろ若い頃には想像もできなかった豊かな日々が目の前に広がっている。それを知ってとき心底からほっとした。
ところが、思いがけない落とし穴があった。
あれは私が四十八歳のときだった。旅先で身体の不調をおぼえて緊急入院した。検査をしてもらったところ子宮筋腫だといわれ、帰国後すぐに手術するということになった。その結果、子宮を全摘し、人工的に閉経した。
異変はその後にやってきた。とにかく原因不明の眩暈(めまい)、動悸、発汗、不眠、痺れ、倦怠感などがどっと押し寄せて、仕事も家事もできなくなった。初めはわけがわからず、自分は何か大変な病気になったのではないか疑った。何軒かの病院を訪ねたが、内科的には何の問題もないといわれた。そうなると思い当たるのは更年期障害しかなかった。
そんな状態が四年ほど続いたところで、なんとかトンネルの出口が見えてきた。まだ完璧とはいえないが、ほぼ普通の生活が送れるようになった。少し余裕ができた頃に周辺を見廻してみると、自分と同じ更年期世代の女性たちが、なんと多種多様な生き方をしていることに気づいた。
それぞれの女性たちが、他人には語れないような悩みや秘密を抱えて生きている。これは、現代社会だからこそ存在する現象だろうと思った。かつて若い日の私が「おばさん」と呼んだ女性たちは、その前に生々しく、一個の女だったのである。
なれば、彼女たちが直面している現実を書き残しておくのも私の仕事ではないだろうかと思った。幸い、同じくらいの年頃ということも手伝って、多くの世代の女性たちが快く取材に応じてくださり、胸襟を開いて、さまざまな問題について語ってくれた。
特に、性に関するテーマは、なかなか他人には話しにくいものである。だが、その反面、実にたくさんの女性たちが性と向き合って、真剣に人生を考えているのもたしかだった。性とのかかわりを抜きにしては更年期は語れないのだが、なぜ今まで、皆正面からこの問題に触れるのを避けてきたような節がある。
思い切って女性たちの胸中を赤裸々に綴る作業を通して、これまで封印されてきた、更年期の性の問題を深く掘り下げたいというのが、私の本書を書き始めた理由だ。
その途中で何度もたじろぎ、立ち止まった。医師や専門家に意見を求めながら、とにかく、少しでも真実に近づけたらと祈っていた。それでも、ときには自分の性の深淵に潜む謎を解く能力がまったくないのではないかと落ち込んだ。
いうまでもなく、ノンフィクションという仕事は多くの協力者がいなくては成立しない。だが、今回は性というはなはだ私的なテーマを扱ったため、取材協力者のプライバーを守ることに、とくに留意した。したがって、登場人物の多くは仮名にせざるを得なかった。職業なども変えてある。ただし、書かれている出来事はすべて本当に起きた事実である。
『快楽(けらく)』工藤美代子著 あとがき=から引用
「差し込み文書」 男のオーガズムは短時間であっても、射精すれば必ず得られるものであるが、女の悦楽(オーガズム)は複雑で誰かれでも素早く得られるものではないし、最初から女は全身痙攣を引き起こすほどのオーガズムは備わっていないのだ。性戯に長けた男によって僅か一握りの女だけが成熟した女になれる現象である。
夫の値が高ければ高いほど一般社会生活や、勤める会社なのでは上司とのコミュニケーションに腐心し神経をすり減らし、さらに多くの同僚とライバルとして熾烈な競争にさらされる。仕事での成果をあげるために長時間労働とサービス残業を強いられストレスを常に負いつづけることで、たいがいの妻たちは夫のセックスは不満足と答えていると言う。
値が高い夫にセックスを満足させる資質や技術があったとしても、セックスで強いられる肉体的労苦、会社などで強いられる労苦のふたつを同時に両立させる余裕がないというのが本音である、なぜかと言うと。
男が懸念するのは妻が悦楽(オーガズム)を一度でも覚えたらそれが日常の義務となることを大変怖れているのだ。夫は家庭ではリラックスし安息する場所、寝る場所であって家庭生活では必ずしもセックスそのものの内容が主体となるとは考えない夫たちが大多数であると思われる。
一般的に値の高い男たちの多くは、セックスは前戯も含め所要時間は十分前後で、挿入後数分程度であるという結果がすでに調査機関から発表されている。さらに、コンドーム着用すると性的感覚が鈍く、射精も遅くなり気持ちよさが半減することで使用しないというのも特徴的であると言う。
既存の避妊方法ついても、精神的あるいは費用についても大きな負担を強いられている人も多い。そして夫から悦楽(オーガズム)を得られる機会もあまりない。そして、或いは、全く知らないという人も少なからずいるという。男たちの貧しいセックスから女の不感症患者が多くいるという現象をどう受け止めるのか。
オーガズムとは本当はどんな感覚か、どうすれば得られるのか必見の
膣挿入温水洗浄」を使用することで誰かれでも得られ易い。当該避妊具を使い続けることで男女双方の性器へのエクササイズとして特殊効果を発揮する。
つまり、避妊用具を用いて性器へのエクササイズで男性器の逞しさ、持久力を獲得することで女を容易にオーガズムに達しさせられるという。
一方の女性も避妊用具を用いてエクササイズで下腹部(インナーマッスル)を自在に収縮・解放する能力を持つ筋肉を獲得することが可能である。
ある意味で女は男の射精を優位的にコントロールすることもできるということ。あるいは、性的快楽を自在に操れるというのは男の心も、女の心をもコントロールできる可能性を秘めていることなのだ。
そして自らのオーガズムも自在にコントロールできる可能性もある。オーガズムの定義サイトよりご覧ください。
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夫以外の男性と恋愛することは許されない。「結婚しても、妻でもあり母であるだけではなく、いつまでも女でいたい」欲求が募る。現代の四十代は、まだまだ現役可能である。ここ数十年で、日本人女性の肉体的若さは飛躍的に高まった
(SEXに限局された)エロティシズムで男に惹かれることなのである。くらたま(倉田真由美)の言葉でいえば、自然に女が惹かれる男の条件は、「セックスのテクが上手い」「持続力がある」「ち○こがでかい」というようなすこぶる即物的で露悪趣味なものになる。
性器の俗称を羞恥心なく語ることを、女性側からジェンダーを粉砕する戦略と考え、実験的にあらゆるセックスに挑戦することは、若い世代のフェミニストもやっている。
女性は結婚してからも、自分のフェチを外に追求する。芸能人の追っかけをして、夫からは生活費以外なにも求めないし、愛しているという気持すら要らないと言った主婦がいた。メシとカネの交換のみという割り切った夫婦生活で、家庭にエロスはない。結婚相手とフェチの対象への愛は両立するのだ。
男女の関係性の中では、男性が欲求を満たされる側で、女性がそれを満たす側という非対称性があって、女性はある年齢で、もう夫の欲求に応答するのはやーめた、という時期が来るのではないか。それが結婚生活に入ってから速いか遅いかの違いだけではないかという気がする。
セックスの欲望と人格を切り離すことは、それ自体で反・制度的なものである。たとえば、男が相手の合意なく人格を無視してやると強姦となって犯罪者となり、男が相手の人格を尊重していても欲望しないとEDとラベリングされてバイアグラを処方される。
すなわち法律と医学で対処されるが、女がこれをすると、強姦にはならないので法律で裁かれることがないかわり、「色き〇がい」とか、「壊れてる」とか言われて「非難」される。
日本では、学者フェミニスト(ネット接続業者「グーグル検索サイト、ヤフー検索サイト)は、セクシャリティをワイセツと断罪しタブーにしてきた。
法律を破ると国家が定めた「罰」がくだるが、公序良俗という名の規範(文章化されていない規則)を破ると「恥」を感じるように仕向けられる。
人は、「罰」より「恥」の方が恐ろしいため、多くの人は「恥」を内面化して「非難」を避けるように生きている。人が最も恐れるもの、「非難」なのだ。最終的にこれに対するには、自分が内面化している「恥」を捨てるしかないのだ。自分の中から「恥」を追い出して「恥知らず」になれば、頭を上げてちゃんと生きていける。
私は、最近の女性作家たちの表現に見られる、性器の俗称の連発は、「フェティッシュの交響楽」から、楽器を一つ抜き取って単独演奏する欲求、つまり「全体」としてのセックスへ回帰したいという欲望の現われだと思う。
フェティッシュとは本来、物質であり、次第に身体のパーツに向けられるようになった。感受性(理性や意志でコントロールできない「オーガズム」)の対象であり、頭が気づく前に身体が既に知っているものなのだ。女が男をフェチで選ぶのはセックスの全体性を崩壊させ、男を物質に還元することなのだ。
あれはたしか五、六年前のことだった。私は更年期に関する取材で、ある産婦人科の医師と話をしていた、「結局ね、更年期の問題って、つきつめていくと女性が何歳までセックスをするかっていうことなんですよ」
不意を衝かれたような気がした。
正直いうと、私はそれまで、女性は本人の意思さえあれば、死ぬまでセックスができるものだと思い込んでいた。だから更年期とセックスを結びつけて考えたことすらなかった。
「先生、それはどういう意味ですか?」
「つまりね、更年期におけるほかの症状はやがて時間が経過すれば必ず治るのです。ただ、セックスだけは、そのままにしておくとできなくなります。これはもう確実にそうなります」
確信のある声で医師は答えた。
今さら説明するまでもないが、女性の更年期は五十歳を中心に前後五年といわれている。一般的には、この間に女性は閉経する。それに伴ってホルモンのバランスが崩れるため、さまざまな症状が表れる。
不眠や不定愁訴、ホルモンフラッシュ、動悸、ドライ・アイなど、それこそ多種多様な障害がふりかかってくる。
もちろん個人差もあって、何事もなく更年期をやり過ごす人もいる。私の母などは「更年期障害っていのはつまりは、妊娠した時のつわりと同じよ。気の持ちようじゃないかしら。
あたしなんか、更年期のときは忙しくて、それどころじゃなかったから、考えている暇もなく通り過ぎていっちゃったわよ」とこともなげにいう。
そういう幸せな人がいる半面、日常生活に支障をきたすほど苦しむ人もいる。
私自身も、いわゆる不定愁訴に悩まされ、過去五年間ほど精神安定剤のお世話になっている。だが、セックスについてはそれまで一度も考えたことがなかった。
「いいですか、閉経すると女性の膣は縮んで硬くなり、男性の性器を受け入れるのが難しくなるのです。膣の潤いもなくなります。したがって、性交痛や出血が起きます。これは厳然たる事実です」
私がよほど困惑した顔をしていたのだろう。相手は「事実」というところを込めていった。
気が付いたら、私はもう一度椅子に座り直して、医師の言葉に耳を傾けていた。
「女性がずっとセックスを続けたいと思ったら。ホルモン補充療法しかありません。これをやれば、セックスは可能です。しかし、リスクもあります。ホルモン補充療法は子宮がんや乳がんになる確率が高いといわれているのはご存知ですね? だから女性はいろいろ悩むわけです」
日本はアメリカと違ってホルモン補充療法の歴史が浅いので、まだ十分なデータ出ていない。しかし、女性は何より癌を恐れているのは確かだと言ってから、医師は驚くべき実例を話してくれた。
彼の患者さんで、六十代の初めの女性がいる。ご主人が年下で、かなりアクティブな性生活を送っている。しかし、そのためにホルモン補充療法が欠かせない。
彼女の恐怖は、ホルモン投与を続けることによって子宮がんになるのではないかと言うことだった。そこで、癌になる前に子宮を摘出してしまえば、問題は解決すると考えた。
「セックスを続けるために、その人は先月、子宮摘出手術を受けました」といわれて、私は愕然とした。
医師は穏やかな声で言葉を続けた。
「工藤さん、セックスするかしないかは本人の選択です。しかし、女性の身体は、放っておくと間違いなくセックスができなくなります。
『快楽(けらく)』工藤美代子著より引用
阿川 女性にとって、特に40代、50代には、けっこう 重い問題のひとつが更年期障害ですが、大石さんはどうでした? 今もまだ続いていますか?
大石 私、40代半ばくらいからずっと女性ホルモン補充療法をしているの。
阿川 そんなに早くから? どうしてホルモン療法を始めたんですか?
大石 そのころ、なんだかよくわからない眩暈(めまい)がして、いつもないようなフワフワ感があるなって思っていたの。そしたら知り合いの編集者が「私、更年期の本をつくったんです」ってくれた本を読んでみたら、全部みごとに当てはまってた。ああこれが更年期障害なのかと。
阿川 まず、眩暈から始まったんですか?
大石 眩暈が一番ひどかった。あとは、やる気が出ない。気分の浮き沈みが激しい。急に鬱(うつ)っぽくなったり、ものすごくハイになったり。それで血液検査をしたのよ。
阿川 血液検査でホルモンの状態がわかるんですか?
大石 そうよ、知らなかった? 結果、「閉経後くらいから、女性ホルモン量が落ちています」って言われて。
阿川 え? でもまだ、月の訪れは・・・・・。
大石 先生に「生理はきちんときているんですけど」って言ったら、「それは無排卵月経です」って言われて、はらーってなった。それで「これだけ女性ホルモン量が落ちているんだったら」と、女性ホルモンを補完することを提案されたの。今でこそ、貼ったり塗ったりする薬があるけれど、20年くらい前は飲む薬しかなかったのね。で、のんでみたら、ピッと治ったのー あらゆる鬱陶しい感じがすべてなくなっちゃって、もうビックリ。
阿川 うー、果敢なかたですなあ。不安はありませんでした?
大石 乳がんや子宮がんになるリスクが高いとか血栓症になりやすいとか、いろいろ問題はあったわよ。でも「もうどうなっていい。今、心地よい方がいい」と思って腹をくくったの。それからずっと飲んでいます。年齢に応じて量は少なくなっているけど。
阿川 じゃあ、早期対応のおかげで、その後は更年期症状に苦しむこともなく?
大石 そうだったんだけど、女性ホルモン補充の薬を飲み始めてちょうど10年経った55歳のとき、血栓症になっちゃったのよ。血管外科の先生には、女性ホルモン補充療法の性じゃないかって言われ、仕方なく一時的に辞めたの。そしたら・・・・。
阿川 来ましたか・・・・。
大石 うん。ホットフラッシュが一気に。私、ずっと女性ホルモン剤で抑えていたんじゃない? 徐々に辞めればよかったんだけど、突然辞めたもんだから、もうひどくって。仕事には全然集中できないし、外で打ち合わせしていても、みんながダウンジャケットを着てるくらい寒いのに、私一人が汗びっしょりになっちゃったり。新幹線の中でも突然頭がグラッとして、ダーッと汗がしたたり落ちたり。もう本当に具合が悪すぎて、血栓症になろうとも乳がんになろうとも、とにかく薬を死ぬまで飲もう思ったの(笑)。 実際、薬を再開したら、ピタッと治ったし。
阿川 ホットフラッシュって、ほんとうに突然来るんですよね。私は、初めて来たのが40代の終わりくらいだったかな。取材の時間に遅れそうになりダッシュして、現場になんとか駆け込んで、「すいません、お待たせしました」って椅子に座ったら、汗が止まらないの。冬だったのに、首の後ろからずっと汗がタラタラタラって。しばらく汗を拭き拭き話をしていたら、今度は急に寒くなって来て。あとで、「もしかしたらあれが世に言うホットフラッシュ?」って思ったのが、初めてのホットフラッシュ体験でした。
大石 そう、暑い暑い暑いって思っていたら突然、寒い寒い寒いってなるのよね。
阿川 私の場合「暑い寒い」っていう現象は、年に1回か2回くる程度で、他には何も起こらなかったんですよ。ところが或る日突然、鼻血がドバーッと出て、それがけっこうな量でびっくりしちゃって。うち合わせている最中だったから、「すいません」って慌ててティシュを鼻に詰めたんだけど、ちっとも止まらなくて。打合せ後に「週刊文春」の対談があったんですが、移動のタクシーの中でも止まらない。カバンの中が真っ赤に染まったティシュでいっぱいになったのを覚えています。もう、何なのこれは? って思った。
大石 それ、下から出る分が鼻からってこと?
阿川 わかんないです。でも、もしかしたらこれが生理の打ち止めの合図か? とは思いました。「これが最後ですよー、打ち止めですよぉ、カンカンカンー」って鐘を鳴らしてるのかと。その頃、ひどい鼻血が2週間に1回くらいの割合で続いたんで、ちょっと怖かったですけどね。
大石 やっぱり、定期的に血は外に出さないとまずいのかしら。でもそんな状態で、お医者様に相談しなかったの?
阿川 うーん、何か忙しかったし、ま、しばらく様子を見ようかと。そこが、大石さんと違って行動力がないんです。病院に行った方がいいかなとおもっているうちに、なんとなく治まってた。で、1年間くらい断続的に大量出血を繰り返して、それからしばらくしたら。「あれ、もしかして閉経したのかな?」って感じでしたね。
大石 1年間も鼻血が続くって凄くない? 私だったらすぐ病院に駆け込んじゃう。
阿川 これは更年期障害と思えば、別に病気ではないしねえ、だいたい、同年代の友達の話を聞いていると、私は軽い方だなって自覚がありましたし。
大石 何時が始まりっていうのがわからないのよね、更年期障害って。閉経もはっきりしていないし。
阿川 そうですよね。3ヶ月くらい生理がこなくて、妊娠か? ってことはまずない、だとしたらついに閉経か? と思って納得し始めたら、1年後に再開するってことはありましたからね。結局、いつ閉経したのか、いまだによく分かっていない。一度、母に「何歳のとき、終わったの?」って聞いてみたんですよ。そしたら、「そうねえ。どうだったかしらね」なんて答えるから、恥じらっているのかなって思ったけど、今なら理解できる。わかりませんよね、いつ終わったかって聞かれても。
大石 ほんとにそうね。
阿川 でも、その大量鼻血と。年に数度のホットフラッシュぐらいで私の更年期障害はクリアしていると思っていたら、甘かったですね。53歳、54歳ぐらいになって。ふっと泣き出したらタ゜ム決壊かって思うくらい涙が止まらなくなって声を上げて泣き続けるとか、精神的に不安定になるとか、無性にイライラするとかね。なによりホットフラッシュの頻度がものすごく激しくなりました。酷い時は10分に一度くらいのペースで。
大石 それ、かなりひどいんじゃないの?
阿川 あるとき、テレビ局の楽屋でメーク中にアシスタントから電話がかかって来て、「原稿の締め切り、明日ですけど」って言われて。「え、来週まで延びるって話じゃなかったっけ?」「いえ、確認したら、明日が本当にギリギリだそうです」って言われた途端に、グワーッと体が熱くなって。そしたらヘア&メークさんが「阿川さん、阿川さん、今、どんどん頭が熱くなっているですけどっー 汗が滲み出てます。目玉焼きが焼けそうですっ」て実況中継してくれました。その日は、朝、シャンプーして髪をさらさらにしてたはずなのに、汗ですっかりびちゃびちゃ状態になっちゃって。
大石 わかる。洗ったばかりの髪が、あっという間にべったりするのよね。特に後頭部の下あたりが酷い。
阿川 私も後頭部の下側から汗が噴き出ました。その頃はまだ美容院に通ってたんですけど、担当の人に、「アガワさんの髪、後頭部の下のあたりの痛みが酷い。パサパサになっている」って言われましたもん。汗のせいだったみたい。
大石 あの時の汗は、尋常じゃない量よね。
阿川 夏の盛りに仕事に出かけなくちゃいけなくて、車を出そうと駐車場へ降りていったら、見知らぬ奥様に「今日は。暑いですねえ、辛いですねえ」って声をかけられたんですよ。そうしたら、たちまち涙が溢れてきて、その見知らぬ奥様の前でオイオイ泣き出して。「大丈夫ですか?」って心配されて、むちゃくちゃ恥ずかしかった。でもその日は私、だいぶ不安定だったのか、仕事場に行っても涙が止まらなくて、「具合悪かったら無理しなくていいよ」っていわれると、また申し訳なくて涙が流れるという具合で。これはやばいぞって自分でも怖くなったことがあります。
大石 わけもなく悲しくなるのよね、突然スィッチが入ったみたいに。
阿川 私、更年期障害って大したことはないし、まわりに比較してかなり軽症だなって思っていたんです。それなのに、途中からジワジワ強烈になってきて。あまりにも精神状態が不安定で、ちょっと仕事を調整した方がいいかと思ったほどです。ちょうどその頃、小説の連載をしていたんですけど、男性の編集者に正直に告白して、「辛くて、今月書けないかも」って言ったら、「じゃその心境を書いたらどうですか」と。
大石 さすが男性。女性だとそういう提案にならないかも。
阿川 毎回語りが変わる連作スタイルだったので、その回の主人公を50代ぐらいの女性に設定して、私のホットフラッシュの話をこと細かに書いたの。当時の私の口癖が「きたきたきたきたーっ」だったから、セリフにもそのまんま使って、それでその月の締め切りをなんとか乗り切っました。
大石 転んでもタダじゃ起きないわね(笑)。
阿川 薬を信用しない主義とかではないけど、我慢してりゃ何とかなると思ってたんです。それと、50歳になるちょっと前に、婦人科検診で「子宮筋腫がゴロゴロあります」っていわれたとき、同時に「ただ、子宮筋腫のエサは女性ホルモンですから、ゴロゴロあるっていうことはまだ女性度が高い証拠です。でも、だんだん女性ホルモンは減って行きますから、ゴロゴロは放っておけば自然になくなります」って先生がおっしゃったのね。だから、更年期障害が始まったときも、自然の流れに任せていればいつか終わるだろうって思っちゃった。私、料理は加工癖があるんだけれど、体に関することは、加工しないでなるべく自然にいきたいってタチかもしれません。
大石 私はずっと「女性はだいたいあるものなのに、珍しくあなたは子宮筋腫がない」って言われたの。でも、めまいや情緒不安定さを感じた40代半ばに薬を飲んだでしょう? ホルモン剤の影響か、その後やっぱり筋腫が育っちゃたらしい。だけど、それを止めるには女性ホルモン剤を辞めるしかない。でもやめると具合が悪くなる。ものすごく辛い。それを繰り返しているうちに「もう、子宮をとってしまおう」ってことになったの。
阿川 ええーっー 子宮そのものを!?
大石 卵巣は女性ホルモンを分泌するところだから取るのはまずいけれど、子宮はとっちゃってもいいかなと。48歳のときかな。
阿川 取っちゃったんですか?
大石 うん、取っちゃった。生理もこないし、さっぱりしたわ。
阿川 うさっぱりって、大胆だなあ。それ、外科手術したって事ですか?
大石 そうよ。ここ、お腹を切って。
阿川 ひえー。信じられない。病気でもないのに身体にメスを入れるなんて…‥。
大石 卵巣があれば大丈夫だし、子供を産まないなら子宮はいらないわけだし。逆に、子宮筋腫みたいに、そこにできているものがどんどん育って外の臓器を圧迫するくらいなら、取ったほうがいいという先生たちの意見もあって。「歯を抜くぐらいのものだから」と(笑)。
阿川 歯と同じかいー
大石 実際は、歯を抜くよりは100倍大変だったんだけどね。
阿川 そりゃそうでしょう。
大石 更年期障害は、始まりもややこしければ終わりもややこしいって言うけれど、私の場合、心置きなく女性ホルモンを飲み、最後は子宮を取ったから、始まりも終わりも楽。ただし、その10年後、子宮を取った時の手術が原因で腸閉塞になり、大変な目に遭いましたけど。
阿川 だから言わんこっちゃない。やっぱり歯を抜くのとは大違いじゃないですか。
大石 それにしても、更年期障害の度合いは本当に人それぞれよね。
阿川 私は今でも軽い方だと思ってましたけどね。ただ、あまりにも辛い状態が続いた時は、本気で仕事を辞めようかと思いました。誰にも会いたくないし、イライラするし、すぐに泣きたくなるし、汗はすごいし。
大石 そこまで思うのって、決して軽くはないとおもうわよ。
阿川 そう? それまでまた母に、「更年期障害が辛いんだけど、母さんどうだった?」って聞いたんです。そしたら、「どうだったかしら。大したことなかったような気がする」って言われてがっかり。相談相手にもならなりゃしない。親子なのにこんなに違うものなのかって驚きました。
大石 うちの母もそうよ。「まったく覚えていないわ」って。
阿川 それで、60代半ばぐらいの女性に「辛いんですよぉ」って訴えたら、「でもそれ、まだ10年は続くわよ」って言われてショックで。確かに今でもまだときどきホットフラッシュが来ますからね。最初のホットフラッシュから勘定すると10年以上経っているのに。
大石 そうなのよ、続くのよー だから私の担当医は「女性ホルモンの薬をサプリメントだと思って、生涯飲んでもいいと思う」って。リスクはあるけどね。ただし、保険がきくのは60歳までなのよ。以降は自費になる。結局、ある程度お金がないと女性ホルモンも補充できないのよね。
阿川 介護もそうだけど、医療って結局、お金があるかないかで対処できることが違ってくるんですね。あと、更年期障害って腰痛と同じで、見た目にはほとんど分からないし、そもそも病気って訳でもないから、他人に、特に男性にこの痛みやイライラを理解してもらおうと思っても、なかなか難しい。そこが、一番つらいところがだと思います。
大石 特に仕事をしている女性は辛いと思う。阿川佐和子の対談に阿川さんがいないわけにはいかないし、私の場合なら台本の打ち合わせにはいなくちゃ始まらない。死にたくなるような気持ちや、汗ダラダラのホットフラッシュを抱えていても、絶対的責任のもとに約束の時間、場所に行かなきゃいけない。その責任感と、どうにもできない辛さの間で”前線”で働く女はより一層、更年期障害のしんどさが増すんじゃないかな。
阿川 そうかもね。でも逆に、仕事があってよかったなって思う時もあります。テレビの収録中に突然、「きたきたきたーっ」てなるときは、さほど悪化せず治まることが多いんです。やっぱり気力っていうか集中力っていうか、そういう力が働くんですかね。
大石 阿川さんは更年期障害に関して、どんな対処をしたの?
阿川 積極的に薬を飲むことはしなかったアガワの対処法はですね、まず「自分が不快だと思う事はできるだけ排除」しました。たとえば、テレビの収録や写真撮影がある仕事は別として、打ち合わせやラジオの仕事のときは「お見苦しいでしょうが、しばらくスッピンでお許しください」とスタッフにお断りしました。だって、出かける支度して、顔にファンデーションを塗った瞬間から、ダーッと汗が流れ始めるから。塗っては扇風機の前でしばらく冷やし、またメークをしては冷やしって、普段の3倍ぐらいお化粧に時間がかかっちゃって、どうしようもないじゃない。
大石 わかる。化粧どころの騒ぎじゃないわよね。
阿川 それから、「ノースリーブをお許しください」と宣言しました。私、腕が太いから本当は見せたくないんですけど、恥ずかしいとか言っている場合じゃない。とにかく暑くてかなわんと。恥ずかしいと辛いと、どっちを取るか? と自問して、恥ずかしいに甘んじようと決めたんです。そんな風に、自分とって精神的に不安定、不快になる要因を一つずつ排除していったら、少し楽になりました。
大石 周囲に宣言するってこと、実は大切よね。
阿川 昔だったらこういう特有の身体のことは、秘め事として周囲には明かさないようにするのが女性のたしなみだったと思うんですけど、もうね。ちょっと男性諸氏にも理解してもらったほうがいい気がして。実際、私の男友達は、奥さんが更年期障害のせいで、まったく家から出かけられない、人とも会えない、料理も作ってくれないって状態になった時、最初のうちはオロオロするばかりだったけど、更年期障害のことを理解してから、ものすごく協力的になれたって言ってた。だから私も、仕事場やゴルフ場で鼻血が出たり、「きたきたっ」て急に暑くなったときなんか、「すいません。こういう年頃なんです。けっこう辛いんです。ご理解のほど」って。ケロッと周囲に言っていましたもの。
大石 私も男性プロデューサーに「ただ今私はこのような状況でして、薬を飲んでずいぶんと押さえてはいるけども、いろいろ大変なんです」ってはっきり言いました。「脳下垂体がこうなっていて、こういう反応が起こるんです」って図解つきで説明したり、「あなたの妻もいずれ、突然なくとか不安定になったり、めまいがするとか言うかもしれない。それはこういう仕組みだってこと、知識として覚えておくといいですよ」って、あらゆる男性に言ったな。
阿川 そういう理論的説明のできるところが、私とは全然違う、さすがだわ。
大石 だって、男性こそきちんと更年期障害について学んでおいた方がいいと思うもの。でも、いくら丁寧に説明したって、みんな全然しみてないわけ。「はあ・・・・?」みていな感じで。
阿川 若い女性もそうですよね。こればっかりは、実際に自分でなってみて、実感しないと分からないからねえ。体験している者同士だと、更年期障害ネタだけでわんわん泣きながらお酒を酌み交わしたりできるけどね(笑)。
子供たちも多少は知っておくといいと思う。なんでお母さんは最近、バカに機嫌が悪いんだ? なんであんなに暑がるんだ? ああ、そうか。そういう年頃なんだって、理解していれば、家族同士の余計な争いも減るでしょう。そうだ、対処と言えば、もう一つ、思いだしました。バッサリ髪を切った。
大石 それもご自分でカットしたの?
阿川 いや、さすがに美容院で。さっきのノーメーク宣言と一緒で、とにかく頭も髪も汗でびっちゃびちゃになるから、もうできるだけ短くしようと。特に煩わしい前髪を短くしました。あとは扇子とタオルハンカチを常に持ち歩く。冬でもね。
大石 そう、タオル地― ハンカチなんて気取ったものじゃ無理、あの汗は吸収できない。
阿川 アクセサリーもできるだけつけないようにした。ただでさえ暑くてカーッとなっているのに、アクセサリーがちょろちょろぶら下がっているだけでイライラするから。とにかく精神的に煩わしいと思うものを徹底的に排除しました。それでも少しずつ少しずつ、薄皮を剝がすように辛さが軽減していった気がします。でもまだ、終わっていないんだなあ。中には、何も問題なく更年期を終える人がいるみたいですね。体質ってあるのかな。継続して運動している人は比較的軽い、とか。
大石 あまり関係ないと思うな。だって、これまでずっと定期的に女性ホルモンを分泌していた卵巣がそれを出さなくてなって、そうするように命じていた脳下垂体が、なぜ出さないだー と卵巣に命令を出すわけでしょう。そのとき、脳下垂体は心臓の動きから何から全部に指示を出しているわけで、必死に卵巣に働きかけるあまり、いろんな機能にも影響を与えしまうわけ。汗を大量に出すとかね。それは、運動なんかで紛らわせられるものじゃないと思うり。
阿川 つくづく、人間の体にホルモンがどれほど影響を与えているかということを痛感しますね。体だけじゃなくて精神面にもね。悲しい気持ちを落ち着けたり、暑い寒いを感じたり。あらゆるバランスを取ってくれるわけだものね。いわば制御機能。血圧にもコレステロールにも、肌荒れや爪の具合まで、あらゆることに影響しているんですね、女性ホルモンって。そういえば最近、物覚えが悪くなったのも女性ホルモンが影響しているのかもしれない。
大石 本当に、ホルモンの偉大さに改めておどろくわね。元来、女性ホルモンは子供を産み、育て、守っていかなきゃいけない母の強さの源だと思う。生きるパワーにすごく関係しているのよね、きっと。
阿川 男性にも更年期障害があるんですってね。狩りに出たり、戦ったり、子孫を残したりするための男性ホルモンがなくっていけば、男性が女性化していく。だから歳を取った男性はなんとなくお婆ちゃんっぽい印象になるんですよね。女の人はお爺さいんになり、男の人はお婆さんになり、そして人類は一種類に昇華されていくのか。
大石 確かに。男性は、男性ホルモンの減少とともに、全体的に体つきも丸くなるし、顔も優しくなって、性格まで丸くなるわよね。
阿川 一方、女性は・・・・。
大石 私「なんだか最近やる気が出ない」ってかかりつけの医者に相談したら、「じゃ、男性ホルモン打ってみますかー」って言われたの。で、注射をピチッと打つと、その日バンバンにやる気になるよ。
阿川 ホントですか!? じゃ、あちらも?
大石 やあね、仕事よ、仕事― 仕事に意欲的になるの。ただね、男性ホルモンを注射すると、顔にニキビが出るのよ。
阿川 そのうち、胸毛やヒゲが生えてきそう。
大石 打ち続ければそうなるわね、きっと、どうしてもやる気になりたいときは、男性ホルモン注射はおすすめよ。
阿川 どうしてそう肉体改造したがるのかな(笑)。
大石 「今すぐ元気が欲しい」と思うと我慢できないの。出来ることがあれば即やっちゃう。
阿川 ナチュラルでは生きていけないんですか?
大石 ナチュラルな方がいいとは思うんだけど、元来の性格が短気なのよね。今、どうしても欲しい物は欲しい― と思った時の行動力は、自分でもすごいと思う。
阿川 私は、ちょっと1週間ほど様子を見て見ようかなとおもっているうちに、まあ1年先でもいっか、というタイプだからなぁ。下着も大石さんに倣って、上下色を揃えた方がいいだろうなと思いながら、きっとバラバラのまま死ぬな。
大石 私はとにかくすぐやってみるタイプだから、待ってみるって事が出来ないの。行動力があるというより、短気なのよ。
阿川 あら、私も短気ですけど。
大石 そう? 短気じゃなくてせっかちなだけじゃない?
阿川 短気とせっかちって違うんですか? せっかちとか短気も、更年期障害で加速されるのかしら。どんどん面倒なババアになっていく予感がする。
オンナの奥義 無敵のオバサンになるための33の扉=阿川佐和子・大石 静共著 対談より引用
男にとってセックスは自分の立場、男としての有能感を賭けた戦いの場。
それですべてがうまくいき、満足できればけっこうなことだが、“戦い”に敗れたときは悲惨である。失われた自信はそう簡単に回復できない。
まして、女性から「あなたヘタね」とテクニックを批判されたり、「もうイッちゃったの?」と早漏を指摘されたり、「けっこう小さいのね」とペニスの小ささを笑われたりすると、セックスすることがすっかり怖くなってしまつたりする。
そして男性最大の恐怖「インポテンツ(勃起不全)」になってしまうことすらあるのだ。
インポテンツになる原因は2種類ある。「一次性インポテンツ」は身体的な理由によるもので、肝臓が悪い、年齢による体の衰えといった理由で勃起しなくなることをいう。
「二次性インポテンツ」は心理的なストレスが原因となっておこる。
たとえば、「オレはセックスがうまくできないんじゃないか」という不安や恐怖感がストレスの素になる。
あるいは、たまたま酒を飲み過ぎて勃起しないことがあり、そこでもうダメなのではないかと恐怖を抱いてしまって、インポテンツになってしまったりすることもある。
男性はそれだけセックスに対する恐怖心を持っていて、その恐怖が原因となってしまう危うさがあるのだ。
更年期過ぎても男も女も、いくつになっても性的存在である
タブ-視されていた更年期後の性の実態に果敢に迫った保健師の大工原秀子さん(『老年期の性』『性ぬきには語れない』の著者、一九九二年没)の二回にわたる「老人の性の実態調査」によると、一九七三年の第一回調査では、《性的欲求》が「全くなし」と答えた男性は一一%です。一九八五年の第二回調査ではさらに減って九%です。《性行為の有無》については、「あり」は七三年調査で77%、八五年調査では九六%です。
高齢期の男性は、枯れてなどいないというわけです。
では女性はどうでしょう。七三年の第一回調査では、《性的欲求》の「全くなし」は六六%。第二回目が四一%です。《性行為の有無》では、「あり」が七三年では四六%。八五年ではなんと二倍の九二%。です。
性行為の数値で見る限り、男女の差はほとんどありません。高齢期の女性の九割が今もなお、性交の現役であるとは頼もしい限りです。
この結果を受けて、「女性の場合、性交『あり』の数値と、性的欲求の『全くなし』の数値との格差が気にかかる」として、「性的欲求がなくても性行為があるということは、俗にいう『おつとめ』としてのものなのでしょうか。結婚生活で豊かな性の享受を受けてこなかったことが、この数値から透いて見えるようで悲しくなります」と感想を述べている。しかしそれよりも、そもそも高齢女性の九二%に性生活がある、という結果が信頼のおけるものだとすれば、これまで紹介してきたいくつかの「高齢者白書」がその問題にまったく触れていないのは、明らかに問題の見落としといえるのではないだろうか。
男性のオーガズムは射精すれば性欲を満たしオーガズムは得られるものの、女性となるとそうはいかないのだ、性欲を満たしオーガズムに達する条件は、二人の間の愛情と、信頼関係と、さらにプラス精神安定の三つの条件が揃っていることが必要不可欠であり「膣そのものは女性のからだの中でも桁外れに鈍感で快感」を感じることができない性器であり、それを男性に提供するというマイナス条件下で行われる、愛情豊かな肌のふれあいを十二分におこない逡巡しつつ心からふたりが楽しむ環境へと埋没し膣挿入のち持続力に富んだ性交でなければ女性の性欲が満たされ「イク」ということはまず望み薄である。
しかし、中高年層は自らのペニスを膣挿入してからの持続力には限界があるしまず不可能といってもよい。当サイト商品「ノーブルウッシングC型」を用いて膣挿入しパートナーがオーガズムに達するようにピンポイントで責められることで、何回でもオーガズムへ誘うことが可能であり、強靭な体力も持続力も必要としない、翌日の仕事に影響を与えることが少ない、そしてパートナー(妻)を満足させられることで愛情表現のひとつとして信頼関係がさらに深まる。
セックスという行為で(オーガズム「イク」)達しなければ不感症のレッテル貼られ女の価値そのものを問われかねないしセックスレスの原因でもある。また、あるいは、男性もまた自信を失ったり落ち込む恐れがあるのだ
好きでもない男と寝て、その代償にお金を貰う。いけないことだと分かっていながら、彼女は彼についていった。
「いろんな人がいましたね。出会い系で知り合い、話をするだけでいいという人もいましたし、七十代の男性で、『アソコをずっとしゃぶっていてほしい』という人もいました。勃起しませんでしたけど、帰りに五万円もくれました。
誰も彼も寂しいんだなと思うと、私も生きていてもいいのかなという気持ちになったのを覚えています。もちろんやめたい思いはあったけど、人間、堕(お)ちてしまうと、その場所に慣れるものなんですよ」
危ない目にも遭ったことも、数知れずある。
「帰りに急にすごまれて、お金が貰えなかったこともあります。待ち合わせてホテルに行き、密室に入った途端、包丁を突き付けられたことも。縛るのが趣味という人に縛られたまま犯されたり、いきなりアナルセックスをされたり。多くの人はノーマルでしたけど‥‥。
ただ、どんなひどいセックスでも、時と場合によっては感じてしまうこともあって、それがとにかく哀しかった。女という性を憎みましたね。三年も続けているうちに、身も心もぼろぼろになってしまいました」
最近、「女として下降線をたどっている」という気持ちが強まるにつれ、妙に自意識が高まってきたような気がする。不安の裏返しなのだろうか。若く見られたいが若作りはしたくない。
物欲しそう、さもしく思われたくないのに、女として見られたい、誰かに愛されたいあまり、自意識過剰になって、結局、内にこもっていく。相反する気持ち、欲望と理性が常に心の中で戦っている状態だ。
乳母で教育係で家政婦
「身近な人間である夫に、『お前を女として見られないんだよ』と言われたときのショック、想像がつきますか?」
ケンカした勢いで、と言うことならまだわかるけど、淡々とした言い方だったので、よけい傷ついたんです。その一言があってから、夜の生活は一切なくなりました。
更年期“女の致命傷”に塩を塗られ
三年ほど前の真冬にある日、職場でひどいホットフラッシュに見舞われた。ついに来たか、とは思ったが、その時は何故か、夫への恨みが心の中に湧いてきた。
「更年期症状は誰にも現れるのかもしれないけど、夫が私を愛してくれないから、こんなひどい目に遭うんだと思ってしまったのです。もちろん冷静に考えてみればそんなことは関係ない。
だけど、十年以上セックスをしていない、男性に触れられていないということが、女の致命傷のような気がして‥‥。そこへ更年期がやってくると、私としては最後通牒を突き付けられているとしか思えなかった」
ホットフラッシュは今でも断続的にある。不眠もひどく、食欲のある時とないときが交互に訪れる。病院に行くつもりはなかったのだが、一年ほど前、パート仲間に勧められて更年期外来を訪ね、症状は少しずつ落ち着いてきているという。
「愛された」というのは、おそらく人間の根源的欲求なのだと思う。だが、大人になってからそれを重視しすぎると欲求や不満に陥る危険性が高いことを、私は今までの恋愛の失敗から学んだ。だから、「恋愛は愛されるより愛する方が重要だ」
と声高に叫んでもいた。それでも、心身ともに衰えを感じる日々の中、「愛されたい」と願う女性たちの気持ちが身に染みてわかるようになってきた。
「既婚者の恋愛っていろいろな意味で五分五分だと思っていたけど、やっぱりそうではありませんね。認めることが出来ないんです。だから苦しい」
そんな結婚生活の中で、真理さんは恋に落ちた。七年前のことだ。
この春のこと、ある日突然、左の乳房の奥に違和感を覚えた。浮遊物がときどき動くかのような、未知の感覚だ。ちょうど乳癌の検査を受けようと思っていたので、すぐにクリニックに予約を取った。
しかし、浮気癖のある男というのは、同じ場所、同じ女性に居着けないものだろうか。四年ほど経つと、夫婦生活も間遠くなっていく。
「私は一週間くらいセックスをしないと、イライラしてくるんです。でも、ちょうどそのころ夫が部署を異動して、ストレスもあったようだから私も我慢していました。
それでも限界を感じて、すり寄っていくと、彼は『疲れているんだよ』と背を向ける。『あなたが後悔しないといいけれど』という彼の奥さんからの手紙が思い出されました。
今から半年前、彼女に追い打ちをかけるようなできごとが起こった。夫の浮気が発覚したのだ。大ゲンカのあげく、彼は出て行ってしまう。
仕事と実益を兼ねて、「お見合いパーティー」潜入してみようかと思ったことがある。調べてみると、多くの年齢で区切られており、なぜか、女性の「四十七歳から五十四歳」がすっぽり抜け落ちていることに気づいた。
五十五歳からは「シニア部門」としてまた求められるようになる。いわゆる「更年期年齢」の女性だけが対象外なのだ。
年なんて気にする必要はないと世間では言われているが、実際にはこうやって差別しているのだから、更年期の年齢の私たちが落ち込むのもやむを得ないのではないだろうか。
「私も夫婦は他人だと、結婚生活の折々に感じさせられてきました。他人に気遣いせず、お互いに嫌なところばかり見せあってしまう。だからだんだん愛情も薄れてくる。私の場合は、もう夫には関心がありません。寂しいけど、それが正直な気持ちです」
何かも私に押し付けるな
二年後、今度は夫の父親が亡くなる。ひとりになった自分の母を、夫はすぐに引きとると宣言した。
かつて「人生五十年」と言われた時代があった。今は人生八十年。ひたすら老いに向かう残り三十年をどうやって過ごそうかと考えると、居ても立っても居られないような不安に駆られることがある。
更年期に入っても、それほどひどい症状には悩まされなかった。一年ほど肩こりと頭痛が辛かったくらい。生理もすっかり止まった。それでも決して枯れてしまったわけではない。
今も、誰かと一つのベッドで愛されたいという思いが募ることもあるという。
いくつになっても「意外なこと」はあるものだと思う。ある日突然、それまで嫌悪してきたことを目の前に突き付けられて「受け入れる以外、選択肢はない」と感じたり、自分には無理だと思っていたことができるようになってしまったり…。
嗜好(しこう)から信条に至るまで、さまざまな点で、人間は年齢も善悪も関係なく、時として変化することがあるようになった。
「私が受け入れないと、夫は浮気をし続ける。夫が浮気をしないようにするには、私は言うことを聞くしかないのです」
四十代になってから、夫との夜の生活は間遠くなっていた。せいぜい年に数回、それも夫が強引に誘ってきたときだけ。夫以外の男性を知らないためか、セックスの不満もなければ期待もなかった。「めくるめく快感」は、別の世界の出来事と思っていたし、憧れを抱いたこともないという。
二十代のころは、「後悔しないように生きたい」と考えていた。
だが、最近は「どう生きても後悔するものかもしれない」と思うようになっている。
恋愛、結婚、仕事、出産、離婚など、女性には人生を左右する出来事がたくさんあり、その選択も自由だ。先を見ずに、ただ「今さえよければ」と直感で選択するといつか後悔するかもしれない。
好きでもない男と寝て、その代償にお金を貰う。いけないことだと分かっていながら、彼女は彼についていった。
「いろんな人がいましたね。出会い系で知り合い、話をするだけでいいという人もいましたし、七十代の男性で、『アソコをずっとしゃぶっていてほしい』という人もいました。勃起しませんでしたけど、帰りに五万円もくれました。
誰も彼も寂しいんだなと思うと、私も生きていてもいいのかなという気持ちになったのを覚えています。もちろんやめたい思いはあったけど、人間、堕(お)ちてしまうと、その場所に慣れるものなんですよ」
危ない目にも遭ったことも、数知れずある。
「帰りに急にすごまれて、お金が貰えなかったこともあります。待ち合わせてホテルに行き、密室に入った途端、包丁を突き付けられたことも。縛るのが趣味という人に縛られたまま犯されたり、いきなりアナルセックスをされたり。多くの人はノーマルでしたけど‥‥。
ただ、どんなひどいセックスでも、時と場合によっては感じてしまうこともあって、それがとにかく哀しかった。女という性を憎みましたね。三年も続けているうちに、身も心もぼろぼろになってしまいました」
最近、「女として下降線をたどっている」という気持ちが強まるにつれ、妙に自意識が高まってきたような気がする。不安の裏返しなのだろうか。若く見られたいが若作りはしたくない。
物欲しそう、さもしく思われたくないのに、女として見られたい、誰かに愛されたいあまり、自意識過剰になって、結局、内にこもっていく。相反する気持ち、欲望と理性が常に心の中で戦っている状態だ。
乳母で教育係で家政婦
「身近な人間である夫に、『お前を女として見られないんだよ』と言われたときのショック、想像がつきますか?」
ケンカした勢いで、と言うことならまだわかるけど、淡々とした言い方だったので、よけい傷ついたんです。その一言があってから、夜の生活は一切なくなりました。
更年期“女の致命傷”に塩を塗られ
三年ほど前の真冬にある日、職場でひどいホットフラッシュに見舞われた。ついに来たか、とは思ったが、その時は何故か、夫への恨みが心の中に湧いてきた。
「更年期症状は誰にも現れるのかもしれないけど、夫が私を愛してくれないから、こんなひどい目に遭うんだと思ってしまったのです。もちろん冷静に考えてみればそんなことは関係ない。
だけど、十年以上セックスをしていない、男性に触れられていないということが、女の致命傷のような気がして‥‥。そこへ更年期がやってくると、私としては最後通牒を突き付けられているとしか思えなかった」
ホットフラッシュは今でも断続的にある。不眠もひどく、食欲のある時とないときが交互に訪れる。病院に行くつもりはなかったのだが、一年ほど前、パート仲間に勧められて更年期外来を訪ね、症状は少しずつ落ち着いてきているという。
「愛された」というのは、おそらく人間の根源的欲求なのだと思う。だが、大人になってからそれを重視しすぎると欲求や不満に陥る危険性が高いことを、私は今までの恋愛の失敗から学んだ。だから、「恋愛は愛されるより愛する方が重要だ」
と声高に叫んでもいた。それでも、心身ともに衰えを感じる日々の中、「愛されたい」と願う女性たちの気持ちが身に染みてわかるようになってきた。
「既婚者の恋愛っていろいろな意味で五分五分だと思っていたけど、やっぱりそうではありませんね。認めることが出来ないんです。だから苦しい」
そんな結婚生活の中で、真理さんは恋に落ちた。七年前のことだ。
この春のこと、ある日突然、左の乳房の奥に違和感を覚えた。浮遊物がときどき動くかのような、未知の感覚だ。ちょうど乳癌の検査を受けようと思っていたので、すぐにクリニックに予約を取った。
しかし、浮気癖のある男というのは、同じ場所、同じ女性に居着けないものだろうか。四年ほど経つと、夫婦生活も間遠くなっていく。
「私は一週間くらいセックスをしないと、イライラしてくるんです。でも、ちょうどそのころ夫が部署を異動して、ストレスもあったようだから私も我慢していました。
それでも限界を感じて、すり寄っていくと、彼は『疲れているんだよ』と背を向ける。『あなたが後悔しないといいけれど』という彼の奥さんからの手紙が思い出されました。
今から半年前、彼女に追い打ちをかけるようなできごとが起こった。夫の浮気が発覚したのだ。大ゲンカのあげく、彼は出て行ってしまう。
仕事と実益を兼ねて、「お見合いパーティー」潜入してみようかと思ったことがある。調べてみると、多くの年齢で区切られており、なぜか、女性の「四十七歳から五十四歳」がすっぽり抜け落ちていることに気づいた。
五十五歳からは「シニア部門」としてまた求められるようになる。いわゆる「更年期年齢」の女性だけが対象外なのだ。
年なんて気にする必要はないと世間では言われているが、実際にはこうやって差別しているのだから、更年期の年齢の私たちが落ち込むのもやむを得ないのではないだろうか。
「私も夫婦は他人だと、結婚生活の折々に感じさせられてきました。他人に気遣いせず、お互いに嫌なところばかり見せあってしまう。だからだんだん愛情も薄れてくる。私の場合は、もう夫には関心がありません。寂しいけど、それが正直な気持ちです」
何かも私に押し付けるな
二年後、今度は夫の父親が亡くなる。ひとりになった自分の母を、夫はすぐに引きとると宣言した。
かつて「人生五十年」と言われた時代があった。今は人生八十年。ひたすら老いに向かう残り三十年をどうやって過ごそうかと考えると、居ても立っても居られないような不安に駆られることがある。
更年期に入っても、それほどひどい症状には悩まされなかった。一年ほど肩こりと頭痛が辛かったくらい。生理もすっかり止まった。それでも決して枯れてしまったわけではない。
今も、誰かと一つのベッドで愛されたいという思いが募ることもあるという。
いくつになっても「意外なこと」はあるものだと思う。ある日突然、それまで嫌悪してきたことを目の前に突き付けられて「受け入れる以外、選択肢はない」と感じたり、自分には無理だと思っていたことができるようになってしまったり…。
嗜好(しこう)から信条に至るまで、さまざまな点で、人間は年齢も善悪も関係なく、時として変化することがあるようになった。
「私が受け入れないと、夫は浮気をし続ける。夫が浮気をしないようにするには、私は言うことを聞くしかないのです」
四十代になってから、夫との夜の生活は間遠くなっていた。せいぜい年に数回、それも夫が強引に誘ってきたときだけ。夫以外の男性を知らないためか、セックスの不満もなければ期待もなかった。「めくるめく快感」は、別の世界の出来事と思っていたし、憧れを抱いたこともないという。
二十代のころは、「後悔しないように生きたい」と考えていた。
だが、最近は「どう生きても後悔するものかもしれない」と思うようになっている。
恋愛、結婚、仕事、出産、離婚など、女性には人生を左右する出来事がたくさんあり、その選択も自由だ。先を見ずに、ただ「今さえよければ」と直感で選択するといつか後悔するかもしれない。
一般に男の離婚といえば、結婚したい女が別にいたという気なしが浮かぶ。離婚は男の得手勝手。古女房に飽きたので新しい女が欲しい。男の再婚には、そんな不義の匂いがある‥‥。しかし、彼の場合は違った。話題になった有責配偶者からの離婚請求ではなかった。
「その点はお互い誠実なものでしたよ。家内だってなかったと思います。彼女はぼくがパートナーでなきゃいい女房だったでしょう。社交的で明るくて、おしゃべりが好きで、八百屋のおかみさんにでもなっていたら、最高だったんじゃないかな」
八百屋さんは怒るかもしれないが、彼はそう言った。彼は若い頃、妻のお喋りがもとで社宅に居られなくなり、転職したこともあるという。亭主の足を引っ張ると、彼は何回もいった。恋愛結婚だったが、いいところだけ見て、悪いところを見なかった。以来、パートナーをも違えたと思い続けていたという。
「シャツのボタンを掛け違えてしまったという。その違和感はずっとありましたね」
掛け違えてしまったボタンをかけ直したい、それには全部一度外してしまおう、彼はじっくりと計画を練っていたのだった。
そこまでして手に入れた離婚。財産と引き換えの自由があったけれど、やっぱり離婚してみると、衝撃は大きかった。何もかも虚しくなって、生きる張りを失った。
血よりも濃い関係
“まま母”、この言葉ほど、私を傷つけた言葉はない。白雪姫にしろシンデレラにしろ、まま母は意地が悪く、最後に復讐される存在だ。なさぬ仲の母娘の関係を、これほどの偏見の目をもって、幼い子供の魂に焼き付け、差別を再生産していた童話ではないのだろうか。
後妻、後添え、まま母、これらの再婚関連の言葉は、その状況にある女を一段と貶(おとし)めるものとして、広く人々の口にのぼってきた、後妻。後添え、まま母は、世間では肩身が狭く、控え目に生きなければならなかった。
親に認められなかった結婚。五十四歳の娘の再婚におびえた七八歳の母。母親とは、いつもいつも愛を持って娘の幸せを願うとは限らないのだ。それを親のエゴイズムというのか、老いの無残というべきか、私は言葉にならない衝撃で沈黙する。
子供に縋らないで老いの自立を全うするには、何が必要なのだろう。親はどう生きればいいのだろう。親を愛しているがゆえに、男を愛してしまったゆえに、身も心も二つに分かれて、その結果の通い婚だった。
それにしても、彼女は自活できる十分な収入がありながら、それでもやっぱり結婚というこの煩わしさを伴う関係に入りたかったのだろうか。母親の反対を押し切ってまで。それが私の質問になった。
「再婚は確実に新しい時代を迎えたと思いましたよ。昔風なイメージでいえば、再婚は生きるために止むを得ないというような不幸の衣をまとっていた。そういう社会の目や世間の口があったと思うの。
ところが現在、再婚は不幸の衣どころか、ある種男の器量、女の器量を証明するものとして、再登場してきた。
再婚に対する意識や世間の目も、この半世紀ずいぶんと変わったように思います。夫婦生活六〇年時代は、若き日の決断を一生背負っていくことを難しくしました。結婚の意味や夫婦の向き合い方が、現代ほど問われている時代はないと思います
一九九一年四月、桜満開の日に。 沖藤 典子
聞く人がきけばお定まりの夫婦のいさかい、よくある話、と片付けられてしまうのかもしれない。テレビドラマで頻繫に描かれているテーマでもある。そしてうろたえなくなることが、あたかも成長の証のように称賛される。
ところで、彼女たちは果たしてそんな打撃を受けるほど夫を愛していたのだろうか。つまり、夫への愛に比例して苦痛を味わっているのだろうか。私にはそうは思えない。
彼女たちが苦しんでいるのは、プライドをズタズタにされたからである。契約違反をされ、信頼を裏切られたからである。一夫一妻制とは、他の異性より自分が最優先され、性的にも独占できることを公認されることだろう。その優先性、プライオリティーを疑いもなく信じる事で結婚した女性が、それを見事に夫によって否定される。それがプライドか、と言われれば実にささやかな誇りかも知れない。しかし、そんな、見ようによってはささやかなプライドによってしか支えられないのが妻の座というものなのだ。
男たちは悲嘆にくれる妻を見て「こんなに自分を愛していたのか」と自惚れるかもしれないが、それは違う。愛を失ったとして苦しんでいるのではなく、自分を支えてきた基盤が崩れ、信頼を裏切られ、人間としてのプライドが傷つけられて苦しんでいるのだ。それはそのまま、ロマンチックラブ・イデオロギーを信奉し、そして挫折したことである。
しかし私は、「男なんてそんなものよ。男の身勝手にいちいち反応しないでドンと構えなさい」とアドバイスされて泣き寝入りする女性に比べると、数段ましではないかと思う。そこまで信じ切ったことは、それに人生を賭けたこと、それこそがイデオロギーを生きるということだろう。あらゆるイデオロギーは、ある日簡単に捨ててしまうより、とことんそれに自分の人生を賭ける方が、ずっとずっと素晴らしい。少なくともそれが自分を大切にするということだ、と私は思う。
あまり表面に出てこなかった、セックスレスの問題が社会的に認知されようとしている。それは「ED(勃起不全)」などという言葉が登場し、それは病気として医療現場が関与すること、私はなんともグロテスクで哀れな事態と思っている。たとえばそのことと「ED」と「DV」と関係があるのかもしれないことだ。性的に女性を満足させられないということが、男が性的トラウマを抱え自らの性的欲求を妻(恋人又は愛人)とのセックスにおいてオガィズムを与えられない、男のアイデンティティーは深刻な危機に瀕し女性が満足しないとなればセックスレス化或いは仮性EDへそして暴力、ギャンブル、浮気、アルコール依存などへと発展し妻を苦しめるが、一方夫も妻「性拒否」に苦しめていると思い込んでいるケースも数多くある。
その中でも最も多い。男の疑似性セックスレスに引き起こされると思われるDVによる妻殺人、わが子どもへの虐待による殺人事件は大昔から現在に至るまで、新聞やニュースで報道されないもを含めるとおびただしい数であり、これらのニュースを見るたびいつも怒りに震えるのではないでしょうか。
今このサイトご覧なっているあなた、単にセックスレスと安易に思っていると大変なことになる。このような事件は私たち女には全く想像できない世界だと安心していても、
「妻や恋人の怪しい動きであったり、不倫・裏切りに至った場合」など。 いつだれだってわが身に降りかかってくる可能性はあるのです。
男は鈍感だから不倫・浮気は判らないと思っているあなた、大きな間違いだ。実は八十%近い男は本能的に何となく怪しいと感じ、妻や恋人の不審な行動に気づくものだ。
気づいても、知性・理性がある男は女ほど瞬間湯沸器みたいに騒がないのだ。今、すぐに別れるにはあまりにもリスク・ダメージが大きい場合は「見て見ぬふり・知らんふり」し男のプライドを保つ。そして、怪しい動きや不倫が終息するを待ち、復讐の機会を伺っている。
どうすれば裏切りを倍返しできるかを!そして一番相手が傷つく方法! そして他の新しい女性(妻)を娶ろうと奔走するのだ!
2019年1月24日千葉県野田市で栗原心愛(のあ)ちゃん10歳が父親に虐待され虐待死事件のように食事も与えない残虐な死は身震するほど悲しい。
不思議なことに父親である栗原加害者の外面は優しく丁寧な言葉づかい好印象を社会的には振りまいていたそうだ。と言うことは根っから暴力性や虐待常習者であったかどうかは少し疑問に私は思う。何処で歯車が狂ったのか、もしや「妻や恋人の怪しい動きであったり、不倫・裏切りに至った場合」なのかそれとも妻をコントロールできなかったのが引き金か!
いずれノンフィクション作家の手でこのことは明になるでしょう。
妻(恋人又は愛人)とのセックスにおいてオガィズムを与えられない、精神が壊れ男のアイデンティティーが喪失しかかっている事実が。妻(恋人)がわかっていれば、オガィズムに達した(イッタ)よと、優しく嘘をついてあげて、その脆い男のアイデンティティーを支えてあげることも夫婦として家庭生活を安全運転するにはいい方法だ。
その嘘をつくのも悲しい決断かもしれない。男として、女として最高のセックス・オガィズムを生涯知らずふたりが終わるのも! 悔しいではないか!
セックスに必要な刺激と興奮が失われようとしたら新たな刺激と興奮を得られる工夫をすれば。だれでも最高のセックス・オガィズムを得られ生涯を仲良く暮らせる方法もあることを申し上げたい。以下サイトを閲覧するとことで!性の問題は解消する可能性はたかい。