老いてこそ夫婦の絆
第一章 夫婦ゲンカは、勝ってはいけない
〆夫婦ゲンカは復讐がコワイ
〆 女はつくられる。男もつくられる!
〆 男の子は強くなければならない
〆男の甲斐性は美女に惚れられること、だった
〆男の生きる道は二つに一つ
第二章 男は体力、女は器用さ
〆男は衣食住の素材を提供してきた
〆主食の発見が集団の定住につながった
〆こうして男性優位の世界は造られた。
〆男は家族にとっての城壁、家族を守る兵士
〆建て前上の支配者と、本当に力を握る者
〆子供ができると家庭の実権は妻の手へ
第三章 夫の威厳の保ち方
〆専業主婦が働きに出る日
〆夫の定年後、経済的に存在感を増す妻
〆男は女性の用心棒にすぎない?
〆結婚後、夫の動向がアヤシクなるのはなぜ?
恋人同士なら、女性の方からホテルに誘う事はまず有り得ない。男性がそれとなく誘っても、女性は拒否的になる。男性は強引に、ほとんど暴力的に彼女をホテルに連れ込む形になる。
これが誤解の元なのである。あくまでも女性はホテルなど行きたくないフリをしている。芝居をしているだけなのだ。いや、本心はホテルに行きたいと思っている、とまでいうのは言い過ぎであろう。ただ、彼が自分を愛していること、自分の女性としての魅力にとらわれているとことを実感したいだけなのかもしれない。だから、愛されていることを実感するために結婚するのだ。
結婚当初は、確かに夫は自分の肉体に熱狂して、夜も日も開けない状態で、ちょっとスカートの裾が乱れたくらいで目の色が変わる。それが面白かった。たとえばスターになったような気分さえ味わえた。愛情も実感することができた。思い通りにならないこともあっても、ちょっと拗ねてみせると、あわてて、ご機嫌をとってくれた。
しかしそれも二、三年である。湯上りで半ばヌードになっているというのに、彼は僅かな晩酌に酔って、妻の体に関心を寄せるどころか、居眠りをしている。
〆男がいちばんカッコよく見えるのは家庭の外
〆妻に主導権を譲り渡そう
結婚当初は、確かに男が主導権を持っている。新妻に月給を袋ごと渡すと、
「こんな大金、手にしたのははじめて」
などと感激してくれる。ひとり暮らしのOL時代や、実家にいて親から小遣いをもらっていたころからすれば、結婚した男の給料は段違いに多いだろう。
夫にとっては、そういう妻とセックスするのも、スリルがある。性体験の豊富な妻でも、相手が夫の場合は、そういった過去は隠そうとするから、主導権は夫にある。心の中ではヘタクソと思っても、その下手さ加減が可愛い、ということもいえる。まして、男性との経験の乏しい妻なら、嵐のような夫の情熱に圧倒されて、主導権は夫に奪われたままである。
夫から、料理が下手だなあ、と笑われると、新妻は身が縮むような思いだが、夫がそういうまずい料理でも楽しげに食べてくれるのは嬉しい。今度はもっと上手に作ろう。などとしおらしい気持ちになれるだけでも、家庭生活の主導権は夫にある。
しかし数年たった今では、料理も格段にうまくなっている筈なのに、夫はまるで味のない物を食べているように、無言で食事をするし、目はテレビの、それも、脚のきれいなCMの女の子に釘付けである。
妻のほうも、子供が生まれるころから、セックスより子供という感じになる。夫もそういう妻を性の対象というよりは、子供の母親に変容したかのような態度になってゆく。
ここに至って、妻は悟るのである。もう、自分は夫にとって、新鮮な異性ではない。溜まった欲望のはけ口でしかない。家計だって子供が生まれると、育児や何やかや出費がかさむし、生活は苦しくなるばかりである。食事を一生懸命に作っても、夫は有り難そうな顔もしない。
第四章 男と女は、「男類」と「女類」ほどに違う?
〆私は「耳女性体験者」だった。
〆生物は「男類」と「女類」に分けられる?
〆女が男に求めるのは、さまざまな「力」
〆男はペットの雄に共感し、女は雌に感情移入する
〆男の優先順位と女性の優先順位は、次元が違う
〆旧約聖書にみる長男の自立と末子(ばっし)相続
〆一夫多妻は男の天国? それとも地獄?
第五章 男は生産的、女は消費的?
〆女性の役割は消費、男性の役割は生産?
〆どんな活動にも生産と消費、両方の要素がある。
〆日本では女性的な消費思想が支配的
十九世紀の半ば、欧米列強が日本に開国を迫った時、それを拒否すれば、中国や朝鮮半島のように、植民地化することは目に見えていた。ただ、日本は千年以上にわたって、白村江の戦(六六三)、遣唐使、元寇(げんこう)(一二七四年、一二八一年)のような形で、異国を意識することはあったが、異民族に征服されたことも、民族と文化の存立を守るために多大の犠牲を払うといった経験も無かった。
そしてそれらの歴史的事件を通じて、異国の存在を「唐・天竺(てんじく)」という形で意識してきたことが、日本人のアイデンティティを育てるのには役立った。
一方、中国は他国の存在を無視した。だから大英帝国の使臣が北京に来た時も、朝貢(ちょうこ)国の使者のように、皇帝の前に跪(ひざまず)き。床に額をすりつけて礼をすることを要求したのである。
朝鮮に至っては、国とは中国のことであり、自らの存在をその属国と自覚していた。だから北京からの使者を都の外の迎恩門(中国からの恩をお迎えするところ)まで朝鮮王が出迎えたのだし、使者が滞在するのは慕華館(中国を慕う館)であり、接待の責任者は皇太子であった。そして日本を朝鮮以下の国と見なしていた。
何の本だったか忘れたが、韓国の芸術家が、「日本の竜の爪は三本であるのに対して、朝鮮半島の竜の爪は四本であり、中国は五本である。それが三つの国の序列を示す」と言っているのを読んで、なるほど、韓国人が日本人を嫌うのは当然だと思った。軽蔑している民族、劣っている筈の国が、自国より繁栄していることは許せない、と言う訳である。
多分、日本人で竜の爪の数など意識した人はいなかったであろう。それくらい日本人は内向きになっていた。朝鮮半島ともに中国大陸とも隔たった存在、日本列島の中は身内という意識を、千年以上の歴史を通じて育ててきた。
だから十九世紀半ば、西欧の列強に対して一致して反応したのだし、大震災に際しても、助けあえた。つまり日本の国民意識というのは、家族意識の延長にある。
〆アメリカ型社会では、生産者の論理がはびこる
〆男性社会にとって、女性は異分子だった!
〆成績優秀な女子学生、発想が面白い男子学生
〆人間としての資質、生産性に目覚めた女性たち
第六章 家長(男)の権威、主婦(女)の実力
〆「父親の権威」の実態を知る家族
しかし戦争が激しくなると、それどころではなくなった。朝鮮半島では「強制労働」と言っているようだが、「徴用令」という法律ができて、一定の年齢の者は家庭婦人を除き、全員が働かねばならなくなった。
学生も工場に行った。女子も例外ではなかった。曽野綾子なども、工場に動員されて作業をしたという。
確かに、植民地から連れてこられた者はともかく、捕虜は日本国民ではないのだから、強制的に働かせるのは問題があっただろう。しかし彼らと同じ世代の日本の若者は戦場に出て、生死をかけて戦っているのだ。徴兵令の対象でない植民地の若者は、軍隊よりはよかろうというので、炭鉱のような、危険度の高い職場に割り当てられた。
〆奮闘する家長を尻目に、主婦の才覚
〆男性作家と五分に渡りあう女流作家
〆小説から見える「生産者・男」の実体
〆文学部の落伍者から作家が出る?
〆文学出に生産者への道はなかった?
本当の結婚がはじまる時
第七章 女は変わった。男も変わろう
〆伝統的女性「シトヤカ」で「ツツマシヤカ」だった。
〆落語の女房のやりくり感覚と、現代の主婦の経済感覚
〆「敵情」を知って、合理的に対処しよう
〆古いタイプの男たち、それでは本意が伝わらない
〆夫も創作料理で妻に貢献しよう
〆妻を立ててこそ、夫婦は五分五分
第八章 結婚は人生の墓場か
〆男女交際と性の関係は変わったか
〆戦前は見合い結婚が常識だった。
〆昔風「男の器量」か、今風イケメンか
〆現代の「モテ男」は女の愛玩用?
〆きっかけは、一人暮らしに飽きたころ訪れる
〆こうして結婚という罠に落ちる
第九章 夫婦は「異性」から「親」になる
〆「友愛」関係から「同志結婚」へ
〆やっと一緒になれたのに。こんなはずではなかった
とにかく昔は二人きりになれた、それだけで無条件で嬉しかった。あのころは都合の悪いことがいろいろあったのが、やっと一緒になれたというのに、結婚すると何かというと、相手は不機嫌な顔をする。結婚前とは反対ではないか。こんなはずではなかった、と誰しもおもうのだが、結婚の実体とはそんなものなのである。
〆父親のことを「えらいえらいとだれもほめない」
〆負い目はなくとも「ごめん、ごめん」と言いたくなる
見事な弦楽器のような曲線を描いていれば新妻の体も、結婚して十年も経てば、ただのズタブクロになる。ほかの男の目は誤魔化されても、夫にして、妻がどんなに着飾っても、その実体、というかその肉体は見え見えなのである。
男の場合も同様で、かつての逞しい肉体も、ダンディズムも、結婚十年で見る影も無くなってくる。
私の場合、二十七歳で結婚して、五年ほどたった時に着替えをしていたら、妻が言うのである。
「あら、あなた、おなかが出てきた」
言われてみると、今まで見たことのない我がヘソが見える。つまり腹が出てきたのである。もともと、私はレスラーのような逞しい肉体の持ち主ではなかったから、腹が出てきたからといって、肉体が醜くなった、というほどではなかった。それでも結婚五年目で、もう肉体の衰えが始まったのである。
〆子供が生まれると、女は母に、男は父になってゆく
何年か前に電車の中でOLが交わしていた会話で、今でも忘れられないものがある。一人が言う。
「○○ちゃんとこの赤ん坊が生まれて、半年かな。あんた、行って見たんだって? どうだった?」
「うん、赤ン坊は可愛かったわよ。瞳なんか真っ黒でくりくりしているし、ぷりぷりと肥っていてね。でもね、○○チャンがすっかりブスっぽくなっちゃって」
ブスっぽくという言い方に、私は笑いをこらえるのに苦労した。
言うことはわかる気がした。○○ちゃんは結婚当初までは、ともかく女性としての魅力を失うまいと努めていたのだろう。それが女から母になるにつれて、昔の仲間から見ると、彼女は女性として魅力的であろうとする努力をやめて、母になったのだ。
そのことは父親である夫にしても同じことだ。とにかく妻子を養うために働くのだ。無理しても、仕事に精を出す。もう、女性としての魅力を失った妻と二人だけの時間を楽しむユトリは消え、父親になってゆく。
第十章 配偶者は生活の伴侶
〆男性と女性の間にある、いくつもり極
〆男はなぜ、女の体に触れたがるのか
〆人間もケダモノの一種である
〆男性の女性選びは、有能な子孫を残せるかどうか
〆女性の顔と服装には、知性や教養が現れる
〆子供を産み育てても、老いて頼れるのは伴侶だけ
現在の夫婦が友愛的情愛で結ばれているとするなら、子供があろうとなかろうと、晩年になると、いよいよ友愛的な面が強くなる。とにかくある年齢にいたると、夫が妻を抱くことはあっても、それは自分の欲望を満たすのに、もっとも手数も金もかからないから、といったことにすぎない。妻は結婚後数年で、異性ではなくなる。
妻にとって、結婚した相手は男性でなく、夫なのだし、男にとって、配偶者は女性でなく、妻という名の生活の伴侶なのである。
〈終わりに〉
最後に残るのは配偶者
〆最後まで一夫一妻制を保てるのは、高級な生物の証
〆老夫婦のケンカのタネは、夫婦の築いた生活の愛情から
〆夫婦の遺骨は墓の中に並んでおかれる
二〇一一年 秋 三浦朱門