問題を「一日ひとつだけ」に限定する
最初は恋人が口にした一言にカチンと来ただけだったのに、「そういえばこのあいだもこんなこと、言われたし」「そもそも私ってすぐ他人にバカにされるんだ」と問題を広げすぎることはありませんか。
恋愛にまつわる感情は、自分の心の奥底と直接つながっているため、最初は目の前の恋愛について考えていたはずなのに、知らないうちに過去にさかのぼってしまったり、他の人のことまであれこれと思い出してしまったりして、不安や怒り増大することもよくあるのです。
恋愛についてネガティブな問題を考えるときは、連想ゲームのように「そういえば」「あのときも」とならないよう、あくまで「一日ひとつ」に絞りましょう。もし、他の問題が残っていたとしても、それは翌日に回すのです。
という犯人捜しはやめて、ひと息つく
恋愛不安が起こると、「これって私が悪いの? 彼が悪いの?」と犯人捜しをしたくなります。しかし、恋愛不安の原因は複雑で、考えても答えが出ない場合がほとんど。それに、もし犯人らしき人が見つかったとしても、自分で自分を責めたり、恋人を責めたりしても、何の解決にもなりません、不安を不安のままにしておくのは落ち着かないかもしれませんが、まずは問題をほっといて、お茶を飲む、テレビをつけるなどほかの事をしてみましょう。
研究者の気分で自分を観察してみる
いったん恋愛不安に襲われると、それまでの落ち着いた気分や楽しい気分までが一気に失われます。
外から見ると「彼のことが心配なのはわかるけど、それはそれとして友達との旅行のあいだぐらい楽しめばいいのに」と思うようなときも、本人とっては“最悪の状況”と感じられてしまうのです。
そういうときは「私だけどうしてこんなに悲しいの?」とどっぷり不安に浸かる前に、「状況はそれほど最悪かな? こんな不安になるほど、重大な事が起きているんだろうか?」
と自分で自分の研究者か探偵になったつもりで、クールに状況を観察してみるのも意外に効果的です。
「探偵さん、私、もうダメなんです」「まあ、あわてないで、お嬢さん。一体そもそも何に対してそこまで不安になっているのか、私と一緒に考えてみましょう」。自作自演めいて見えるかも知れませんが、「ジキルとハイド」のように自分の中に二役を作ってみるのです。
恋愛不安は、たいてい自分の気持ちを恋人がわかってくれないときに起きます。
「好きなら分かってくれるはずなのに」というのは、「お母さんは何も言わなくても分ってくれるはず」という子ども時代の気持ちの再燃です。
親だって実は子どもの気持ちをすべてわかるわけではありません。まして恋人は親ではなく他人なのですから、気持ちが伝わらなかったり全く分かってくれなかったりするのは当然です。
「わかってもらえない」というのと、「好かれていない」と言うのは別。「わかってくれない。分かって欲しい」と思うなら、冷静に言葉で分かって欲しい内容を伝えるべきで、「これは愛されていない証拠だ」と感情の有無の問題にすぐ結びつけないようにしましょう。
「もうきらわれた」「見捨てられたんじゃないか」。恋愛不安にとりつかれた人がすぐいうセリフです。
でも人は、一度、親しくなった相手を簡単に捨てたり見放したりしません、「きらう」「見捨てる」は、だれにとっても最終の決断です。連絡がつかないときいきなり最終決断にまで思考をジャンプさせないで、「忙しいのかも」「一人になりたいときもあるし」とまず現実的な理由を考えましょう。
ひとは簡単には親しい相手を見捨てないのは確かですが、だからといって相手が無条件に自分を永遠に愛してくれる、などと言うことはありません。
もちろん生涯を愛情深く添い遂げる夫婦、親子以上の愛情で結ばれているカップルはいますが、そのためにはいつも相手に思いやりを持ち、ときには自分の感情をコントロールすることも大切。
自分が労力ゼロ、我慢ゼロで手に入れる永遠の愛など存在しません。
「私を見捨てない?」「見捨てないよ」「じゃ、永遠に愛してくれるのね。私が何をしても」というのは、ルール違反。キリスト教には「神はいつでも愛してくださる」というおしえがありますが、恋人は神ではない、あなたと同じように、感情をもつ人間なのです。
恋愛と言えば「純白の愛情」「ダークな気持ち」など、色で言えば「白か黒か」といったイメージがありますが、恋愛に関する思考や感情も「白か黒」になりがちです。
恋人がちょっと優しくしてくれると途端に「怖いものはない」と世界がバラ色になり、「明日? 飲み会だから会えないよ」と少しでも自分の気持ちに水を差すようなことを言えばいきなり「この恋愛、もうダメなのね」と世界が真っ暗闇になる。
相手への評価も「100点の理想の彼」と「0点の最悪な男」との間を行ったり来たりする場合も少なくありません。
こういった白黒思考は現代人が陥り易い思考パターンの代表と言われていますが、振り子が右から左に振れるようにたいへんなエネルギーを消費するだけで、生産的な結果をもたらさないことがほとんどです。
簡単には割り切れず、理性だけでは片付かない恋愛だからこそ“どっちつかずの状態”が起きたり“長所短所を平均すると60点くらいの人”と仲良くなったりもする。
曖昧なのは良くない、と思うのは、間違いです。
恋愛だからこその灰色思考、曖昧状態を味わい、楽しんでみましょう。
「恋愛で個々の発達をやり直す!」と無意識のうちに恋愛に期待するものが大きくなると、目の前にいる恋人候補が目に入らなくなったり、せっかく付き合っている相手がつまらない人間に見えたりします。
恋愛は、自分の心の発達のためだけでするのではなく、相手と一緒に楽しむため、相手にも安心感や心地よさを味わってもらうためにするのです。
それを忘れて、「もっと安らぎを与えてくれてもいいのに」「もっと話を聞いてほしい」と相手に望むものが多くなっていませんか。「もっともっと」と思うなら、それと同じ分量だけ相手に与えなければならないという原則を思い出してください。
自分の世界を変えてくれるような相手に出会い、新しく生まれ変わりたい。
恋愛に過剰に期待する人はそう願い、相手がそれにこたえてくれないと不満を感じ、不安に陥ります。
しかし、何度も言うように、一歳のときに母親がやり残したことを今目の前の恋人に望むのは無理な話です。しかも相手だって、自分と同じょうに一歳のまま、心の成長の一部が止まっているかもしれません。
「お母さんのかわり、お父さんのかわり、きょうだいのかわりをお願いします」と美容室のシャンプー台に寝そべるように“すべておまかせ”をできる人を探すのではなくて、「これ、面白いね」「おいしいね、なかなか」と無理なく話ができる人ならまず第一条件クリアー、くらいに考えてみてはどうでしょう。
人間は変わります。相当頑固な人でも何歳になっても、人格は変化したり成長したりします。ただ、一方的に「変わってよ」と要求しても、人は変わらない。自分だけ勝手に変わって「私も変わったのだから、さあ、あなたも変わって」でもダメ。
あくまで相手との関係の中で、いつもは「え――、ひど――い」と不機嫌になるところを「そうかぁ、残念。でも次はこうしたいな」などと思いやったことばで返す、など自分の変化を見せていかなければなりません。
「今度の人? ダメ、ダメ」と結論を出す前に、自分も成長しながら相手の成長を促して待つ、という時間を取ってみてください。
いくらこれらの方法を試してみても、恋愛がうまくいかないこともあります。あるいは、好きな相手に家庭があったり距離が離れすぎていたりして、思いが届かない場合もあるでしょう。自分の努力ではどうにでもなるはずのない受験や仕事だってうまくいかないこともあるのですから、相手のある恋愛が思い通りにならないことがあるのは当然。
「この恋で自分を育て直そう」と思ってしまった人は、その恋愛に運命を感じ、なかなかそこから離れません。
しかし、そこで感じている運命と目の前の彼への愛情の大きさは実は同じでない、という話は前にもしました。そもそも、恋愛を通して心の成長のやり直しをしょう、と言うのが欲張り過ぎなのですから、恋が上手くいかなときは「な――んだ、やっぱりダメか」と思うくらいでよいはずです。
実際にはそこまであっさり諦められないでしょうが、少なくとも「この恋を失しなったら次はない」とは思わないほうがいい。ひととおり涙を流したら、どこが失敗だったかをクールに研究、分析して「よし、次」と前を見て下さい。
それから、新しい恋人ができても前の恋愛を引きずっている人がいますが、「前の人はよかったな」と懐かしむ気持ちと「やっぱり本当に好きなのは前の人なんだ」という愛情とは違う、ということを頭に入れておくべきです。
恋愛は現在進行形で、目の前にいる具体的な相手との間でだけ、行われるもの。空想の中や回想の中の憧れや思いは、どんなに強くてもそれは恋愛感情ではありません。
空想の中の恋愛をひととき楽しんだら、次の恋愛に踏み出すこと。行動しなければ、恋は始まりません。
でも忘れてはいけないのは、「恋していないときも、しているときも、私は私」ということなのです。
つづく あとがき
大学を卒業して研修医になったとき、先輩医師から言われたことがありました。