香山リカ 著 あとがき
「眠れない」「二年前から不安で落ち着かない」「うつ症状が出ているようです」
大学を卒業して研修医になったとき、先輩医師から言われたことがありました。
「昔から言われていることだけど、女性の患者さんが身体の不調を訴えて外来に来たら、まず妊娠を念頭に置いて調べたほうがいいよ」
そのときは自分も同じ女性として「なんて失礼な」といやな感じを受けましたが、そのあと実際に「微熱が下がらなくて」「なんだかお腹が張ってるんです」という訴えの原因が実は妊娠だった、というケースに何度か出会い、今では自分が後輩にその教訓を伝えるようになりました。
とはいっても、精神科の現場で妊娠反応のチェックまで行なうことは、そう多くありません。それよりも、最近、私はよく思うのです。
「女性の患者さんが心の不調を訴えて外来に来たら、まず恋愛の問題を疑え」。
精神科や心療内科のクリニックをはじめて訪れた人には、たいてい「問診票」という症状の自己申告メモみたいなものを書いてもらいます。
私は以前から自分で作成した問診表をお渡ししているのですが、そこには「今日はどんなご相談でいらっしゃいましたか?」「いつ頃からその問題でおこまりでしょうか?」といったごく一般的な質問が並んでいます。
問診表に「恋愛の問題で悩んでいます」と書く人は、まずいません。
「眠れない」「二年前から不安で落ち着かない」「うつ症状が出ているようです」などといった記載がほとんどです。
しかし、ご本人にお会いして問診表を見ながら具体的に質問を続けていくと、女性の場合、多くのケースで不調の背景には「結婚や恋愛のトラブル」が関係してることがわかります。
その割合は、ほぼ半数強。最近、私はより積極的に「失礼ですが、恋人はいますか」「ご結婚についてはどう考えですか」「ご主人との関係はいかがでしょう」と聞いてみるようになったので、その割合はさらに増えています。
ほとんどの患者さんは、「以前かかった内科では、この話はしていませんが」などと、これまで自分の不調と恋愛問題とは無関係と考え、医療機関では話をしていなかったと言います。家族や友人にも打ち明けておらず、そのため受診に同行した母親は「娘は働きすぎでこうなった」と思い込んでいる場合が多い。
いったん、「自分のこの不調は恋愛問題に関係しているんだ」と気づくと、彼女たちは堰(せき)を切ったように話し始めます。
恋人に裏切られた、愛しているのに信じられない、彼がなかなか結婚に踏み切らない、不倫の恋に悩んでいる・・‥。話は実に様々ですが、結局のところは「女」と「男」の関係の序列組み合わせですから、パターンはいくらかに限られています。
ところが、話を聞きながらしみじみ思ったのは、それがいくら「ああ、不倫。今、多いんですよね」と何らかのパターンに分類される話だったとしても、その本人にとっては「一生に一度の物語」であり、世界に自分と同じカップルが何百万組いるかといった事は一切関係ないのです。
私は悩んでいる、苦しんでいるのは外でもない私。それがすべて、ということです。
この強烈な当事者意識こそが、恋愛の素晴らしいものにも辛いものにもしているのだ、と私は数年、ようやく気付くようになりました。
とくに女性は男性に比べて「私が主人公」といった当事者意識を持ちやすい傾向があるため、「はじめに」でもお話ししたように、『世界の中心で、愛を叫ぶ』を読んだとしても、ストレートに“主人公の恋人”に自分を置き換えて、あたかも自分が不治の病に罹ったかのような気分になることでしょう。
どんな恋愛物語も、他人事として傍観することはできないのです。
だから、恋愛で苦しんでいる人に「ほら、ここにもあなたと同じょうに悩んでいる人がいる」と小説や映画を勧めても、「なんだ、私だけじゃないんだ」と気がラクになる、ということはほとんどないのではないでしょうか。
そこで「やっぱり私のように悩んで当然だ!」と逆に悲しみが激しくなり、号泣した結果、気分が一時的にすっきりすることはあるかも知れませんが。
また、恋愛問題は社会のせい、教育のせい、と“まわりのせい”にすることはできません。
せいぜい“親のせい”“恋人のせい”“恋人の奥様のせい”くらいには出来るかも知れませんが、それでも問題そのものは解決しない。
しかも、その解決とはただ一つも「私と彼の愛が実ること」であって、就職や受験のように「第一志望には落ちたけど、第二志望の学部にいって良かった」などといった多様な答えはありません。
よく考えれば、人生においてこれほどゴールがはっきり見えていて、これほど強く当事者意識を持てることなど。
他にはないかもしれません。だれもが恋愛の問題に心を奪われてしまうのも、当然だと言えます。
とはいえ、私は思うのです。精神科の外来で問診表を見ながら話すうちに、悩みの背景には恋愛問題が関係していると分かってくる、その女性たちは、みなさん一生懸命、仕事や生活をしているまじめで能力や魅力のある人たちです。
しかも、二十代、三十代など“人生花盛り”の人がほとんど。
その彼女たちが、なにもここまで恋愛に足を取られ、すべてをなげうってまで悩まなくてもいいのではないか、と。あるいは、おそらく恋愛のもう一人の当事者である男性はこれほど苦しんでいないのだから、女性だけがこんなに悩んで精神科の外来にまで来なければならないのは、なんとも損ではないか、と。
ときには医者という立場を忘れて、「そんなつまらない男の事でくよくよしていないで、せっかくの若い時代、もっと楽しんだほうがいいよ」「終わりかけた恋に執着しないで、次のことを始めたら?」と言いたくなることもあります。
繰り返しになりますが、恋愛は確かに人生においては特別な体験です。それにかわるものは、他にはないと言ってもいいかもしれません。
しかしも「恋愛は特別」と「恋愛はすべて」とは別です。
恋愛をしなければダメ、恋人に愛されない自分はダメ、結婚までたどり着けない私はダメ、と恋愛を通して自分の評価を下げたり、価値を否定したりする必要はないと思います。
「私もうつきあいたくない、だなんて、彼は人を見る眼がないのね! かわいそうな男!」とまで思わなくてもいいのです。
せめて恋愛がうまくいかなかったのは、「相性の問題」「タイミングの問題」くらいに考え、間違っても「私がダメ女だから」「これじゃだれとつきあってもうまくいかない」などと自分を全否定したり、ひとつの恋愛の失敗を拡大解釈したりしないでほしい。私はそう願っています。
おそらく、元気で努力家な現代の女性たちが恋愛問題でこうも苦しんでいるのは、いくら仕事などを身につけても社会の中ではまだ十分な主人公感覚、当事者意識を持つことができないからなのかもしれません。
私が相談を受けていたある女性は、会社でどんなに頑張っても上司へのレポートに記されるのは自分の名前でなく、ぺアを組んでいる男性社員の名前だけ、と話していました。
別の女性は、そのチームでもっとも重要な仕事を任されているにもかかわらず、一年ごとに契約社員という扱いのまま、と言っていました。そういう状況の中では、彼女たちが自分も堂々と主人公になれる恋愛に夢中になりたい、と思うのは無理もありません。
ただ、社会のシステムが女性をもっと尊重するようになれば恋愛の泥沼に足を取られる人が減るか、というば、どうもそうとは言い切れない。そういった事例は、これまでいくつか説明してきました。
ある女性は、成功した起業家として何度も雑誌に取り上げられているほどの活躍ぶりでしたが、長年の不倫の恋人が去って行ったことが原因で、うつ病に陥りました。
仕事で主人公感覚を味わえば味わうほど、逆に「ひとりの女性」としての自分を受け入れ、価値を認めてくれる相手が欲しくなる、と彼女は話していました。
そうなると、社会的に活躍してもいなくても、結局、女性は恋愛で幸福になれなければ満足できない、ということでしょうか。
私は、これは少し違うのではないか、と思うんです。
確かに、恋愛はしていないよりもしていた方がいいのかもしれません(もちろん、恋愛はあまり好きじゃない、という人もいると思いますし、それはそれでよいのです)ただ、女性が「仕事をしていてもしていなくても満たされないから、恋愛がした」という場合、その人たちがしたいのは「ひとりの男性と向き合って、相手を尊重しながら関係を築きたい」ということではなく、「とにかく私のすべてを無条件で受け入れて欲しい」ということが多いのではないでしょうか。
つまり、「恋愛がしたい!」とあせりを感じたり、恋愛をする中で「なんか違う!」とイライラしたりするとき、その人が求めたり行っていることは恋愛ではない、ということです。
今恋愛中、と思っている人に、「あなたがしている恋愛ではない」などと言うのはなんとも失礼な話かもしれませんが、おそらくその人たちが求めているのは「自己愛の充填(じゅうてん)」であって、「他者を愛すること」ではありません。
「私をわかって」「私を受け入れて」という欲求の見返りであるかのように、そういう人たちはよく「こんなに貴方を愛しているのに」と言いますが、それは「貴方は私を愛していいわよ、と思う程度にあなたが好き」といった意味の愛で、こちらから心を傾けて相手を理解したりするものとしての愛とは、かなり異なるものではないかと思うのです。
もちろん、私は「そういう身勝手な愛はいけない」と言いたいわけではありません。
「こちらから傾ける愛」とは言いましたが、世の中のどんな身勝手な愛でも、相手がそれを望んでいる場合もあるので、そのときは他人が「それは本当の愛ではない」などととやかく言う必要はありません。
ただ、自分が今の状況できちんと受け入れられてない、まっとうに扱われていない、これからどうなるか分からない、という不満や不安感が本当は問題の根底にあるのに、それを「これは愛の問題だわ」とカン違いしてしまい、「恋人とさえうまくいけばすべては解決するのに」と恋愛に執着するのは、なんとももったいない話と思うのです。
よく、不倫で何年も苦しんだ人が、相手が離婚して晴れて結婚したとたんに、相手への思いが冷めた、などという話を聞くことがあると思います。
この場合も、その女性が求めていたのは、相手との愛のある生活などではなく、「自分が真っ当に扱われること」だったのでしょう。長年、彼女が苦しんでいたのは、愛する彼が手に入らなかったのではなく、自分ともあろう人間が妻の座に就くこともできず、日陰の身にコソコソ振る舞わなければならない、というその理不尽さに怒っていたから、だったのです。
‥‥と言うように、いくら頭から冷や水かけられるようなことを言われても、私たちは「じゃ、もう一度、考え直して、恋愛に悩むのをやめておこう」と気持ちを切り替えることはできません。
私自身は、世にいう恋愛体質からはおよそかけ離れた人間ですが、それでも何度かは思い通りにいかない恋愛に苦しみ、メールのなかった時代には、一日何回もポストを開けて手紙が届いていないかどうか、チェックしたこともありました。
「やめときなよ」「苦しんむなんて損」といくら言われても、やめるわけにはいかないもの、それが恋愛。
とはいえ、恋愛で学校や仕事、家族や友人まで失ってしまい、心の調子まで崩して病院通いをしなければならない前に、もう一度だけ考えてほしいのです。
――私は本当に、彼のことをそんなに愛しているんだろうか? 私は、私の中にある不安や不満に向き合うのがこわくて、愛に夢中になっているフリをしているだけじゃないの?
それでも、「違う、私は本当に彼が好き」と言い切れる人には、もう何も言うことはありません。
恐れたり立ち止まったりすることなく、目の前の恋愛に突き進んでください。
もし、失敗したら?・・・・・大丈夫です。失恋は、目をそらさずに悲しみを受け入れ、そして時間が経つのを待てば、ちゃんと乗り越えられます。私たちの心には、愛する者を失ったときに「喪(も)の作業」というプログラムを作動させて、悲しみを乗り越えるための装置が備わっているのです。
悩み不安を全く伴わない恋愛はありませんが、悩みや不安だけの恋愛というのもありうません。あなたがしているのは「恋愛」ではなくて、「恋愛不安」なのではないか。
もしそうだとしたら、どうやってそこから脱出できるか。
本書が考えるきっかけとなって、あなたが不安や悩みをスパイス程度のハッピーな恋愛を楽しめるよう、祈っています。
最後に、ふたつだけ。
本書には、いくつかの事例が登場ましたが、これらは何人かのエピソードをひとつにまとめたものであったり、細かい部分を変えてあったりするもので、特定の誰かのお話ではないことをおお断りしておきます。
また、本本書は「講談社こころのライブラリー」の担当編集者、佐々木啓子さんの企画発案がなければ、誕生することのなかったものです。もともと仕事が遅いのに加え。パソコンのファイル添付機能がおかしくなるといつた取ってつけた言い訳のようなトラブルもあり、佐々木さんには最初から最後までご迷惑をかけることになりました、こんなセイシンカイは私だけで、ほかはみなさん勤勉で機械にも強い方たちだということをひとこと付け加えたうえで、心からの感謝を捧げたいと思います。
煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。
恋愛サーキュレーション図書室
2004年8月 香山(かやま)リカ
著者 1960年北海道に生まれる。東京医科大学卒業。精神科医。神戸芸術工科大学助教授を経て、現在は帝塚山学院大学教授。豊富な臨床経験を生かして、新聞、雑誌などのメディアで、社会批判、文化批判、書評などを発表。サブカルチャーらも詳しく、その幅広い活動と精神科医としての確かな発言で、圧倒的な支持を得ている。著書に『〈私〉の愛国心』(ちくま新書)、『「心とおなか」の相談室』(生活人新書)、『「こころの時代」解体新書〈2〉』(創出版)、『サヨナラ、あきらめきれない症候群』(大和書房)、『若者の法則』(岩波新書)、『〈じぶん〉を愛するということ』(講談社現代新書)、『就職がこわい』(講談社)などがある。