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        ハッピー嬢

恋人から与えられる究極のギフト

本表紙 香山リカ 著

ピンクバラ恋人から与えられる究極のギフト

もしかするとこの幻想は、単なる社会的。文化的な“刷り込み”よりももっと根深いものなのではないでしょうか、と思うことがあります。
 前の章でも紹介した角田光代さんの短編集『太陽と毒グモ』(マガジンハウス、2004)に、「雨と爪」という作品が収載されています。主人公の男性が東京から長野の不便な場所にある本社に転勤を命ぜられたことをおそるおそる告げると、恋人は手放しに喜ぶのです。

「あたし、ずっとコンピュータのキーボード打つ仕事をしているでしょ、あたしあの仕事は全然きらいじゃないけど、ときどき、このままずーっと、一生ここにいるのかなって思うことあるの。この狭い窓のない部屋で、あたし、四十歳になっても五十歳になっても、ずうーっと文字を打ち込んでんのかなって。そう思うとね、なんかお尻のあたりがもぞーっとすんの。
 座ったまま一瞬にして年を取ってくるような。だからかな、なんか、今ミキちゃんの話を聞いて、他力本願みたいで嫌いだけど、すごくわくわくしちゃって、自分でもびっくりしちゃうぐらいのわくわくだよ」

 一方的に「長野で一緒に住む(たぶん結婚する)」という筋書きを描いて盛り上がる恋人を見ながら、男性は自分は自分の意志で何かを決めて日々を過ごしているのか、それとも「もう一つの世界で決定される何事かに従って、自分自身に決定権すら待たぬまま翻弄され生きているのか」とぼんやり考えます。

「ハルっぴが窓のない個室で打ち続けているものは、意味のない文章ではなく、もうひとつの世界の筋書きなんじゃないか」
 この女性は、自分の幸福は「ギフト」として恋人から与えられるものなのだ、と信じて疑っていなかったようで、そのチャンスがやって来ると迷うことなくそれに飛びつきます。

 そのときの決断にあまり迷いなかったので、男性は「待った」さえかけることができず、目の前で進んで行く結婚話をどこか他人事、ある意味ではやはり「ギフト」として、「人生とはそういうものなのだ」と受け入れようとしているのです。

 彼女はなぜ、「私の幸福は他人が与える」とこれほどまで無邪気にしんじているのでしょう。
 “負け犬”がこの作品を読んだらも「キーボードの仕事がそんなら嫌なら、そんなに長野に行きたいなら、自分で転職したり引っ越ししたりすればいいじゃない」と思うことでしょう。
 しかし、彼女は自分でもまさかそう言っているように、幸福は「他力本願」でしか与えられないもの、と最初から決めてかかっています。もし「自分で長野に行けば?」などと言ったら、「どうして? そんなの、少しも幸せじゃないよ」と首をひねるでしょう。

 もしかしたらこの先も長野で生活するうちにぶつぶつ文句を言うこともあるかも知れませんが、それでも自ら引っ越して「不便だ」と言うのと「ダンナの転勤でこんなところまで来ちゃった‥・」というのとでは、まるきり質が違う。そのことを彼女は、よく知っているのです。

 さらに注目するべきは、「他力本願」とは言いながら、その「ギフト」を手に入れためのプロセスは決して他力本願ではありません。それどころか、驚くべき積極性です。少しおかしな言い方ですが、「他力本願の幸福を自力で手に入れている」とでも言えるでしょうか。
 いったい彼女はいつ、そんな高度なテクニックを身につけたのでしょう。
 そんなテクニックや発想があるなら、そのエネルギーを好きな仕事に転職するために使えばいいように思ってしまうのですが。

 ここまで来ると、これはもはや社会的な通念とか教育の責任といった次元を超えた話のような気もします。
「幸福とは他力本願、とDNAに書き込まれている」などと言うのはあまりに非科学的なので、そうなると「無意識が深いレベルでそれを選択している」とでも言えるでしょうか。
つづく 第六章 恋愛不安の心理的メカニズム恋は楽しいはずなのに

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