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恋愛中の心理について

 本表紙

 煌きを失った夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致と なる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与でき避妊方 法とし用いても優れた特許取得避妊用具は既存避妊方 法の嫌な疲れを解消し、夫婦生活の性の不一致を改善 しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

赤バラ恋愛中の心理について

 一度恋をしてしまうと、人はみなスタンダールが恋愛論の中で言っているように結晶作用が始まり、目にふれ耳にするあらゆることから相手を美化し続けますが、またその裏返しで自分をつまらない者だと矮小化してしまうので、すばらしい相手に愛される喜びも大きいけれど、また本当に自分のようなつまらぬ者を愛してくれるのだろうかという心配も大きくなるものです。

 いっしょにいればよいのですが、離れるとすぐ不安になるといった喜びと悩みの繰り返しが恋愛だと言えるでしょう。そこで若い恋人たちの中には、ついキスや性交をすることで、“愛の確証を得たい”と思ったり、「愛しているのなら許してもよいだろう」と強要したりする者が出てきます。

 初めて性交をした動機をみると、重複チェックですが「相手に愛情を感じていた」が九十六%であったほかに、「相手を独占したい」が三十五%もあることや「相手に強要された」が三十%もあるということは、相手の愛をつなぎ止めるためにその要求を受け入れる女性の多いことを示しています。

 しかし性的な関係が出来れば、それで二人の愛が「本物になる」とか「永続する」ものでないことは、マスコミを賑わす芸能界などの有名人の例をみても明らかでしょう。
ハッピー嬢 思春期の性交例で二人が永続的に愛し合う関係を続け得た頻度は極めて低く、データ追跡された例では七二例中の十一例、十五%しか親密な関係を保った者はない(80年九月号=金子書房)という。それから37年経った現在はもっと進んでいることから、安易になすがままに不慮の妊娠だけは、産まれてくる子どももそうであるように女性の人生を台無しにしてしまうのですから、幼い時からの性教育は必要とされるゆえんです。 

・何歳になったら恋をしていいの

 よく中学生や、時には小学生からも「いくつになったら恋をしていいのですか」ときかれます。そうした時私は、「そんな決まりはありません。私は小学校入学した時、同級の可愛らしい女の子が好きになり、どうしても隣り合った席にすわりたくて担任の先生に頼みに行きました。

 さしてその願いがかなえられた時の嬉しさといったらありませんでした。遠足などで校外に出るときは並んでる二人は手をつなぐのですが、これが何ともいえず楽しいことでした。

 彼女が喜ぶ顔が見たいばかりに、買ってもらったばかりの鉛筆や消しゴムをよくプレゼントしては、うちに帰って母に“またなくしたのか”と叱られたものでした。おとなしい彼女をやんちゃ坊主どものいたずらから守るために、ナイト気取りでよくけんかもしました。二年生になる時に、私は転校してしまったので、ただそれだけのことですが、それでもこれは“六歳の恋”と言えるでしょう。

 だから十歳でも十五歳でも恋する年齢に決まりはないのです。七十歳、八十歳になってからの恋だっていくつも例があります。恋は何歳になったらよい、何歳まではいけないということはありません。

 しかし思春期の人たちが気を付けなくてはいけないのは、人を恋するのでなく、“恋”ということばに恋する傾向があるということです。
 あなたぐらいになると、たいていの人が「自分もそのうちにすばらしい恋をしたいと思うようになり、理想の恋人というのを心の中に描くようになります。

 しかし中には、理想的な“”恋人が欲しい“いつかはこんな理想の人が自分の前に現れてくる”という期待が強くなりすぎ、自分に本当にふさわしい人にめぐり会うために必要な、自分を高め充実させる努力や勉強を忘れてしまい、最初に“あなたが好きです”と接触してきた相手に夢中になってしまう人も少なくありません。
 つまり“恋をしたい、恋人が欲しい”という思いが昂じてくると相手を正しく見る眼がくもってしまうのですが、これを“恋に恋する”と言うのです。

 そしてスタンダールというフランスの大作家が“恋愛の結晶作用”と言ったように、相手をどんどん美化していって、実はそれ程もない人を、まるで理想の人のように思い込んでしまうのです。これでは困りますね。

 夢中になっているうちは良いけれど、時がたって次第に熱が冷めてきた眼でみると、理想とは程遠いつまらない人だったということが少なくないのです。

 よく初恋は実らないことが多いと言われるのはこのためです。そこで、こんなことにならないように相手を美化しすぎたり、それに溺れてしまわないように、相手を正しく見極める力を養うことが大切です。
 それには学校の勉強だけでなく、よい小説やエッセイを読むこと、優れた芝居や映画を観ることなども含めた幅広い勉強が必要です。

 自分がそうした勉強中であるという自覚があれば、自分の現在の考えが絶対で、一生かわらないものだといった固い考えも出てこないと思うのです。

・中学生はセックスをしていけない

 前の「何歳になったら恋をしていいの」と同じように「中学生がセックスをするのが悪いことですか」という質問もよく受けます。そんな時、あなたはどう答えられるでしょう。
 私はそうした質問に対して「セックスは中学生だから、高校生だからしてはいけない、大人はしてもよいというものでもありません。

 たとえば強姦であるとか売春、幼児姦、あるいは自分の性欲を満足させるために相手をだまして行うようなセックスは大人であっても許されるものでもありません。
 また相手の人格を認め合い尊重し合っている者が愛情の表現として、また人間関係を深めていくために行うセックスを、ただ年齢の多少によって、よいとか悪いとかは言えないものです。

 しかし、よい悪いではなくて、あなた方の人生にとって賢明なことであるかどうかは言えます。」 と言って、先に述べた「 思春期の性交例で二人が永続的に愛し合う関係を続け得た頻度は極めて低く、データ追跡された例では七二例中の十一例、十五%しか親密な関係を保った者はない(80年九月号=金子書房)という。

 それから37年経った現在はもっと進んでいることから、安易になすがままに不慮の妊娠だけは、産まれてくる子どももそうであるように女性の人生を台無しにしてしまうのですから、幼い時からの性教育は必要とされるゆえんです。」望まない妊娠は避けなければならないこと、一○○%確実な避妊方法は手術以外にはないこと、妊娠中絶の危険性とその後遺症の恐ろしさについて話します。

 そしてさらに続けて、それでは産めばよいかと言えば、現在の我が国の福祉制度の貧しさの中で、十代の両親が子どもを育て生活していくことの困難さ、若年妊娠が母体および胎児に及ぼす影響などをデータをあげて詳しく話したうえで、少なくとも高校を卒業する年齢の十八歳ぐらいまでは、社会的・経済的な自立の条件がまだ十分に整っていないから、性交をするということは決して賢明なことではないと話すのですが、そうすると「中学生でも高校生でもセックスをすることが悪いとは思わないけれども、ボクは、(私は)それをしようとは思いません」といって納得しています。
赤バラ  母親大会の性教育分科会で「婚前性交は是か非か」という話題が出てきたことがありますが、年配のお母さん方の「婚約中ならば」とか「結婚を前提にするならば」といった発言に対して、一人の若い女性が「婚前性交、婚前性交と、なぜ性交にいちいち婚という字がつかなければいけないのですか。

 セックスは結婚しなければしてはいけないものですか」と発言し、年配者をたじたじさせたことがあります。性交は結婚生活の中だけでするものだという考え方は、性交は生殖、つまり子孫を残すための営みという考えに由来したものです。たしかに生殖ということは人類の連続性という点から、最も大切なことには相違ありません。

 しかし、すべての性交が生殖だけを目的として行われているとし、そうでなければならないという議論が成り立たないことも明らかです。もしそうだとしたら、計画的に子どもを産み終えた夫婦が避妊措置を講じたうえで行うものも、あるいは妻が閉経期を過ぎた夫婦の性生活などは説明が出来なくなるでしょう。

 しかも性交には生殖のほかに快楽というか楽しむという、もう一つの大切な要素があるのです。だからこそ、それを行う二人のコミュニケーションを深め、愛情を高めていくことができるのですが、そうなってくると性交は、結婚以外の場で行ってはならないといは言えなくなるでしょう。

 もともと日本の庶民社会では、性交はおおらかに考えられていて、明治時代の初期までは、いわゆる婚前交渉などごく当たり前のことで、誰も目くじらを立てたりはしなかったのです。

 それが明治維新後、それまで武家や大商人の間に信奉されていた儒教道徳が、一般庶民にも強制されるようになり、それまで子どもの生み手であり、同時に生産者であり、働き手として実質的には男性と対等な力を持っていた庶民階級の女性に対し、支配階級の女性たちと同様に、子どもを産む道具としての扱いが強調されるようになってしまったのです。

 そして一方では、男性には「男の甲斐性で何をやってもいい」という倫理の二重構造的な自由がさらに公然と拡大されていったのに、女性に対しては結婚前の純潔が厳しく要求されるようになったのであって、結婚生活以外の場での性交を悪いこと、あるまじきことする議論はもともと成り立たたないものであるし、また若い人々への説得力もないものなのです。
 つづく ヤクザのこわさを知らない少女たち