長続きさせてこそ恋愛の醍醐味がある。途中下車しない、させないためのメソッド。
どうしても途中で失速していく。なんとか長続きさせたい!

本表紙齋藤孝・倉田真由美

第二章 長続きさせてこそ恋愛の醍醐味がある

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  齋藤孝・倉田真由美 対談
齋藤 女性の場合、やはり一人の人と長くつきあう、が理想なんでしょうかね。
倉田 そうだと思いますよ。この人だと思えるような男性と、できるだけ長く付き合いたい、ほとんどの女のひとは思っている筈です。
齋藤 でも、多くの人にとって、恋愛は耐用年数のあるもののようですよね。少し前までは3年って言われていたの、聞いたことあるでしょう。
倉田 あります、あります。
齋藤 それが、いまは3ヶ月とも言われているらしいですね。それはちょっと、どうなんだろうと思いますが。
倉田 たしかに恋愛が長続きしない傾向、ありますよね。みんな飽きっぽいのかも知れない。とくに飽きっぽいのは男性の方だと思いますけど。
齋藤 新鮮さを求めるには、相手を変えるのがいちばん手っ取り早いですからね。僕自身はそういうことで変化を求めるより、一人の人と深く絡み合うほうが面白いと思いますが、一人の人と長く付き合うタイプと、短期間でどんどん相手を変えていく。極端なことを言えばひと晩に一人が、というタイプに分かれるのかもしれませんね。
倉田 そういう意味では恋愛を継続させるのは女の人にとっての大命題かな。
齋藤 男にとっても、恋愛は長続きした方が面白いはずです。僕は恋愛の初期段階の駆け引きにはほとんど興味がないんですよ。恋愛関係が成立してからのほうが好きですね。
倉田 それはどうしてですか。
齋藤 恋愛関係に入る前って、相手のクセなんて見えないでしょう。ある程度の間つきあったり、暮らしてみて初めて見えてくるものだから。僕はそういうお互いのクセを交錯させて味わい尽くすというところに恋愛の醍醐味を覚えるんですね。普通だったら飽きて次に行くのかもしれないけれど、そこから「飽きない」という循環に入っていく。
倉田 クセを味わうなんて、奥が深い!
齋藤 そうなんです。お互いのクセをすり合わすっていうか、生きていくクセっていうのを交錯させることができたら、簡単に飽きちゃったなんてことにはならないんですよ。いっしょに食事に行って、メニューを選ぶのが異常に遅い男っていうのがいたとします。中にはそれが耐えられないという女の人がいますよね。自分が食べたいものがはっきりある人は、「これがいい、これもいい。お金は心配ないし」みたいな感じでいくでしょうけれど、人によっては、なにかを決めるのが面倒くさい、でも金払いはいいってこともあるわけですよ。反対に決めるのはうるさいけれど、金払いが悪いっていう男だっているわけです。
 そういうときにクセがでるでしょう。食事しているときはとくに出やすい状況にありますよね。もちろんぴったり同じになる必要はないんです。ただ相手のクセを愛せる所で付き合うことは、長続きさせる秘訣ではないでしょうか。
倉田 クセということですが、当然、クセひとつにも齋藤さんの好みもあるでしょうね。
齋藤 ええ。僕にとって、飽きないクセというのがありますね。それは確かに付き合ってみないと分からないので厄介なんですが。だってエネルギーかけて、いざつきあったら全然クセが合わなかったとしましょう。もちろん自分と違うクセでもいいんですよ。
 違うクセでバトルがあるのも楽しいのですが、合わないと困る。だからだいたい初回で相手のクセがはっきりするような状況に持って行きますね。でも相手のクセや偏りというものまで愛せるようになると、エキサイティングだし、さらに次の一手が楽しみになることはたしかです。
倉田 そのとおりだと思いますけど、それにはやっぱり男の人と考え方を変えてもらわないとね。女性ばかり長続きさせようとやる気を出してパワフルになっても、男の人に元気がなければしょうがないじゃないですか。私の周囲を見ても、男の人とバランスをとるために、あえて自分のエネルギーに蓋をしている人、いますから。
齋藤 そうかあ。たしかにていま女の人のエネルギーにはすごいものがありますからね。男は太刀打ちできないかもしれない。
倉田 女の人がグイグイ押してくると鬱陶しいですか?
齋藤 そうですね。鬱陶しいって思う気持ちはわかります、「自分になにを求めているんだろう?」っていうビビリ感っていうかね。「いったいなにを契約させられるんだろう?」っていう契約への恐怖みたいなのがあるんじゃないですかね。なにかサインさせられるって言うのに対する恐怖のようなものに近いかな。よく勧誘で売ってくる人、ああいう人たちにグイグイ売って来ると、やっぱりそれだけで、「あ、これは危ないな」と思うのに似ている。サインさせられてしまうんじゃないかって言う、そういう恐怖でしょうかね。でも、僕はグイグイ来てくれない人は基本的に駄目なんです。ただし、その来る球が速すぎちゃうと、そうですね、ちょっと引いてしまうかな。
倉田 やっぱりガンガンくるとちょっととなるわけですか。
齋藤 でもいまは、男の人は女の人から来るのを待っている人が多いと思いますね。
倉田 ちょぅどいいさじ加減っていうのがわからない。人にも寄るでしょうし。
齋藤 倉田さんはグイグイ行くタイプなんですか?
倉田 昔はそうだったんですけど、今はそうでもないですね。女からグイグイ来られたらきっと相手は引くだろうってわかっているから。たとえば自分からは連絡しないとか、心がけてたりしています。
齋藤 恋の駆け引きが好きな人と、恋愛関係が成立した後が好きな人と、いますよね。ところが僕の場合は、「恋の駆け引き」っていうのにほとんど興味がないんです。相手の気持ちがどう揺らいでいるのなとか、少し傾いたかなとか、ちょっと逃げたかなとか。逃げていくのを追いかけていくほうが面白いとか、そういうような感性に欠けている。
倉田 欠けていますねえ!(笑)じやあ、なにが面白いわけですか?
齋藤 ハッハッハ〜。百人一首とかね、ああいうクネクネしているのを解説していると、自分には雅な駆け引き感覚が欠けているなと感じたりしますね。というのはさておいて、僕はさっきも言ったように、お互いのクセというものを交錯させて、味わい尽くすというところに醍醐味を求めているんですね。

倉田 で、そうだとすると、相手を選ばなくてもいいわけですか?
齋藤 それが、僕は好みの範囲、いわゆるストライクゾーンが狭いんです。狭いという意味は「自分にとっての飽きの来ないクセ」を持っている人でないと続かないですね。それも、かなり深く相手の本質に入り込んだと感じているようなのがいいですよね。相手が生涯逃れがたく持っているようなクセみたいなもの。だいたい女の人は、普通に話してるときは、クセっていうのは見せないですませていますよね。だけど深くかかわると、どうしてもやめがたいクセが出て来るんですよね。たとえばすごい美人だけど、笑顔が歪んでいるとかね。そうすると、「えっ、この人がこんな!」みたいな驚きがあって、惹かれますね。
倉田 男の人はそうなのかなあ?ドライですよね。女の人ってわりと、「こういう人がいい」って言うときは、「こういう人」像というのが、けっこう、ピンポイントであるんですよ。
齋藤 あ〜、 ツボみたいなものですかね。人って細かいことまでつかむのには時間がかかるから、あの人はだいたいこんな感じという認識をするわけだけど、そのときに隙を見せておくと、そこに吸い寄せられるみたいなことってあるのです。恋愛の場合も同じで、どういう隙を自分の中で作るかという技術は、大切かもしれませんね。隙は人によって違うでしょうけれど。
倉田 違いますね。たとえばおっぱいが大きくて、それを自覚して胸元がいつも開いている服を着ている人には、やっぱりそういう男が寄ってきますよね。それも隙ですよね?
齋藤 そう。それも隙です。
倉田 知り合いに暗い男とばっかり付き合っている女性がいますが、彼女は自分のキズを見せるのが好きなのね。キズって体の傷じゃないですよ。そういう暗い感じのキズに弱い男が、「オレが何とかしてあげなきゃ」みたいなことになって、雨の中ひと晩中待っていたりする。
齋藤 なるほど。そういうキズを、責任を越えて癒したくなっちゃうんですね。自分をポジティヴに売り出そうとしていて、自己セールスする手もあるんですけど、ネガティヴな面を上手に見せるというのもひとつのテクニックとしてありますよね。
倉田 ネガティヴに寄ってくる人ってどうなんですか?
齋藤 一本調子より意外な面があったほうが惹きつけやすい。表裏をクルクルっとひっくり返してみせたりすると、その変化に目が入って、心が動く。心が動いた分、振り幅が大きいわけです。その中で揺さぶられちゃうんですね。振り幅がある人はモテる。器が大きいっていうと、なにか優しいっていうイメージだけですけど、そうではなくて善と思っていたら悪だし、真面目かと思っていたら、こんなにも不真面目だなんて!という具合に一本調子ではない感じです。
倉田 そういう大きい人って言うのは、一般的に受けがいいのかなあ?
齋藤 そうですね、器の大きいタイプの人を好きになるべき、と言いたいですね。

11 ありあまったエネルギーの蓋を上手に開けてくれる人かどうか
 男の力量をチェックしておく。

女性は一人一人爆発的な力を秘めている――齋藤
 最近、講演会にいきますと、40代、50代の女性からすごいパワーを感じます。男の40代、50代が
700人集まっても、これほどのパワーは感じません。

 女性の40代、50代に匹敵するパワーというと、男は10代の血気盛んな年頃になるかもしれません。
中高一貫になった男子校でクラスに50人ぐらい詰め込められていると、若いパワーがビンビン伝わって、おっと感じるものがあります。それぐらいのパワーを女性は年を重ねても持ち続けているのに、男は10
代を頂点に下がり続ける一方です。

 まったくもって、女性のかかえているあの莫大なエネルギーというのはどこから来るのでしょう。彼女たちは
もちろん精神的には結婚生活にほどほど満足しているのかもしれないけれども、それだけでは埋まらないも
のがあるような、そんな気がするのです。

いま使っているよりももっと巨大なパワーを持って生まれたのに、それを上手く出しきれないままでいる。もっ
と引き出しがたくあるのに、その存在にさえ気づかないで、人生を終えていく、そんな気さえします。

男性の場合は、年々疲労が濃くなっていくのは誰の目にも明らかです。でも、女性は、機会がありさえすれ
ば、あるいは姿勢が違いさえすれば、いままでとは別の人生というのもありえるように思うのです。

 よく考えてみると、これまで日本の女の人はエネルギーの蓋を開かないように開かないようにさせられてきたのかもしれません。「女の人はそういう欲望を感じてはいけない。そもそも欲望なんて女は持ち合わせていないのだから」という一般良識に素直に従って生きてきた。だから蓋は開けられないまま、そして不完全燃焼になったままのエネルギーの存在を感じながらも、目をつぶって生きてきたとも言えます。

 だとしたら、急に蓋を開けるのは危険なことかもしれません。蓋を開けたためにエネルギーが過剰になったりしたら、いまの日本では、そうした女の人は生きていくのが難しいくなる可能性があるからです。過剰なエネルギーを具体的にはどこへ振り向けていいのか、女の人自身わからないし、それをがっちり受け止めるだけの器量のある男はなかなかいない。溢れ出たエネルギーを仕事に向けられるという保証でもあればいいけれど、誰もがそういう機会を手に入れるとは限りませんから。

 でも、一度蓋を開けてしまったら、「上手く行かないみたいなので、また蓋を閉じます」というような後戻りはできません。だから、みんな蓋が閉まったままだとなんとなく感じてはいるけれど、あえて蓋を開けない道を選択するようにしているのかも知れません。

ありあまるエネルギーをどうするか――――倉田
 たしかにエネルギーの蓋を開いた女性というのは、生きていくのが困難になるかもしれませんね。周りを見渡しても、蓋が開いたものの、エネルギーの振り向け先がわからず、生きていくのが大変そうだなと思う女性の例を見ますし、蓋が閉まったままならこんなことにならずにすんだと思う人もいますから。

私自身、蓋が開いてエネルギーが過剰なタイプだと思います。学生時代には、私もせっかくのエネルギーの使い方がよくわからず、その為に何だか周りから浮いてるなと居心地の悪い思いをしていました。でも、いまはその過剰なエネルギーが仕事のほうにうまく向けられていると自分では思っています。マンガを描くというのは、ある種の過剰さが評価される仕事、過剰さがないと回っていかない仕事ですからね。

 昔は過剰でないふりをするのに精力を使っていました。いまはそのふりをしなくてすむようになったぶん、楽になりました。ただ、もし仕事という手段がなかったら、私、どうしていたかなとぞっとすることもあります。

 そうじゃない女性は、たぶん、テレクラにはまったりとか、次々といろんな男をとっかえひっかえするようになったりとか、その過剰さを別のベクトルで埋めていこうと、訳も分からずもがいているような気がします。

 その過剰さを仕事以外のベクトルで埋めようとした。典型的な例が、「東電OL事件」だったんじゃないでしょうか。

 彼女もやはり蓋が開いていた女性で、エネルギーがあまりあまったのでしょう。それなのに職場ではそれを発揮できなかった。結果、街角に立たざるをえなかったのだと思います。過剰な女の悲劇的な末路、避けられたかもしれないのに、死という形で終止符をうつことになった過剰さは、ごく日本的な最悪のパターンと言ってもいいかもしれません。

 でも、東電OLに限らず、ありあまったエネルギーを処理しきれない、処理する術もわからない。あげく、それを性に振り向けざるをえないという人は、相当たくさんいると思いますね。たぶん、過剰でないタイプの女の人にとっては、「なぜあんなことをするんだろう」とまったく理解できないことでしょうけれど。

 私の知り合いで、20代後半から30代の結婚している人というのは、蓋が閉まっている女性がたくさんいます。
 ダンナさんはほとんどセックスをしないし、本人たちは、「もうそのことはいいの、女は終わりにしたから」という雰囲気です。残りの人生ずっと、蓋の8割は閉まったまま、子どもを育てたり、ネットオークションしたり、庭のハーブいじりしたり、そういうことで過ごしていくのでしょう。まるでもう余生を過ごしているみたい。

 外野から見ると、蓋を閉めるのがずいぶん早いなと残念に思いますが、それも受け止める相手の男次第なのでしょうね。女性が蓋をして閉めて置かないと、エネルギーの多くない男性とはうまくバランスがとれない。閉めてさえいれば、すべて問題なしで、いい夫婦、静かな家庭が維持できる。

 これがもし相手の男性が女性とほぼ同等か少しだけエネルギー不足という組み合わせなら、もう少し女性が態度を変えて上手くいくわけですよね。ほんのちょっと過剰ぶりを出してみるとか。ときどき蓋から外を覗いてみるとか。

 でも総じて蓋を開けることは、女の人によっては「寝た子を起こす」ような行為になるかもしれません。いまのままでいいと思っている人からは「せっかく蓋をしているんだからほっといてよ、余計なお世話」とさえ言われてしまうことかもしれません。

 蓋の開いた女はたしかに大変です。客観的に見て、「きつそうな人生だな」と感じる人もいます。でも、だからといって、開いた人は誰も後悔していなと思いますし、誰も閉じている人を羨ましいとも思っていないでしょう。

 なぜって、蓋が開くと生きていくのが格段に面白くなるからです。これも実際蓋を開いてみないとわからないことではありますが。

もっとツボを開いてみるといい恋愛ができる―齋藤
 結論として、エネルギーが過剰になって、生きていくのが難しくなっても、もとへ戻りたいと思わないのだったら、やっぱり蓋は開かれるべきなのでしょう。

 女性でなくても、蓋が開く感覚というのは味わえるものですし、これはなかなか心地良い体験です。
 たとえば、自分の能力の限界に挑戦するようなハードな仕事をすると、新たなツボが開いて行く感じがよくわかります。昔はここが限界、これがいっぱいいっぱいだと思っていたのに、いざとなると、火事場のバカ力で、別のツボが開いて未知のエネルギーが湧いてくる。これはそこそこの仕事では味わえません。余力を出しきったときに初めてわかる感覚です。この感覚を男でも女でも、もっとたくさんの人が味わってくれれば、一人一人のエネルギーが増し、結果として社会もかなり変わって来ると思いますよ。

じつは男には女性の蓋を開くという役目もあります。エネルギーの蓋が閉まっている女性に対しても男性がもっと「ツボを開きたい」と意欲を持てるといい。男性が、女性がパワーアップすることを歓迎し、エネルギーのぶつかり合いを楽しむ気概を持てば、女性も蓋を開けることを恐れなくなる。蓋を開いて一人で対応しきれなくなったら、複数で分担するとかね。

 蓋の開いた後のことを恐れず、むしろ「もっと蓋を開いてほしい」と思う女性が増えて、男も蓋を開くことに使命感を持つ。そうすれば、世の中だってもっと活性化するはずです。

 そうなると、エネルギーの祝祭空間とでも言いましょうか、仕事しろ、恋愛しろ、男と女のエネルギーがぶつかりあい、パチパチと火花が散って、電流が流れるようなダイナミックな流れが生まれて・・・・・。
 そういう社会は華やかでいい社会だと思いますね。男と女の在りようも変わります。

12 足腰が強いかどうかを見極める。
 腹(肚)が坐っている男は 邯鄲に気持ちを変えない。裏切らない。

へなちょこな男の子が多くなった理由!? ――齋藤
 いまの男性は、女性に比べて明らかにパワー不足。だから女の人はエネルギーの蓋を閉めたままにして置いたりするわけですが、最近の日本の男性の身体の弱さについては、僕は大きな危機感を持っています。

 もともと日本の男性の力の基本的は足腰の強さにあって、それが精力となってさまざまな文化を生み出してきました。江戸時代の爛熟(らんじゅく)した凄まじいまでの文化はその最たるものです。足が弱いと細道も歩けない、ところが、最近は身体全体、とくに足腰が弱くなり、それに伴って精力も衰えてきているのがひしひしと感じられます。

 とくに目につくのが、男の子のへなちょこぶりです。僕は主宰している塾などをとおして子どもに触れる機会が多いのですが、男の子の精力の低下には下げ止まりが効かないように思います。自分の身体の中にしっかりした中心を感じることのできない子どもの比率が高くなってきている。

 あまりにその数が増えたので、日本の女の子はそういう男の子を避けていたら男と付き合えないことになってしまうので、しょうがなく相手にしているだけなんだと僕は踏んでいます。こんなことでは、外国人の男性に対して、日本の男性はひとたまりもない。前述したようにあえて繰り返して言いますと、「性の開国」が本格的に行われたら、日本の男性が日本の女の子を手に入れることは難しくなる。

 とはいっても、外国人の男性にとっては言語という大きな障壁があります。言葉が通じないというのは大変なストレスなので、日本の女子もそうそう外国人の男性に流れません。言い換えれば、日本の男は日本語を使えるというメリットのおかげで、辛うじて日本の女の子をゲットできるに過ぎない。そう考えると、日本人の男性にとって、日本語ほどどれほどありがたいものか。その自覚はあまりないようですが。

 ところが、この頃は、頼みの日本語さえ満足に使えなくなってきています。
 主語があって、それから間にいろいろと修飾語が入って、最後にきちんと日本語らしく着地するという話し方ができる人はあまりいない。

 そういう長い文節の言葉が使えるようになるためには、ある程度訓練が必要なのです。
もっと言うと、本を読まないと長い文節の言葉は使いこなせるようにはならない。でも、最近の人は本を読まなくなりました。男も女もです。そのために日本語の「使えない」人が増えているのです。

 日本語を喋っているからと言って、日本語が「使える」わけではありません。長い文をきちんとした日本語で話せたり、抽象的な語彙(ごい)のゾーンを使えるかどうかが、その人の日本語力の指標です。

あの「スター・ウォーズ」が理解できないってほんと!?―――――倉田
 日本語力があるかないかということで思い出すのが、以前取材でよく行っていたホストクラブでの会話ですね。あまり長い文節の言葉を使っての会話をしたことがない。

 ホストクラブに行くタイプの女性が、日本語を「使える」男を必要としていないから、ということももちろんあるわけですかが。
 それにしても、友人に聞いた話には驚きました。彼女が気に入っているホストと真剣な話をしていて、「そういうことは建設的に考えて行かないと」と助言したのだそうです。そうしたら、そのホストが「いま真面目な話をしているのに、なぜいきなり建物の話をするの」とキョトンとしたのだそう。友人は、そのとき、いままで彼にしてきた話はわかってもらえていない、すべて無駄だったとわかって、腰が砕けたらしい。「建設的」を知らなかったんですね。ということからもわかるように、日本語が通じないことが多々あるんです。

 もうひとつ、抽象的な思考ができない例を挙げてみましょうか。
 宇宙ものの映画を見られないという人(ホスト)に会いました。なぜかというと、宇宙なんていうものは現実に見たことがないから、意味がチンブンカンプンだと。『あぶない刑事』や『踊る大捜査線』なら、日本人の刑事が出てきて、理解できる。でも、『スター・ウォーズ』はダメ。さらに『マトリックス』となると、何が起きているか想像もつかないし、ましてや意味なんて全然わからない。つまり、ほんの少しでも現実という地から足を放しただけで、理解できなくなるんですね。きっと『惑星ソラリス』や『2001年宇宙の旅』なんて問題外でしょうね。ホストにはたびたび驚かされましたが、このときは心底驚き、逆に感心する気持ちにすらなりました。

そこで文脈力を鍛えよう――――齋藤
 本を読まないと、本当の意味で日本語を使えるようにならないし、日本語が通じなくなります。「通じる」、「つながる」というのは本来非常な快感で、僕は頭がいいということはすなわちつながりを生む(文脈力)があるということだと考えています。ここで言う(文脈力)という単語は辞書を引いても出てきません。僕の創り出した言葉です。

 文脈力とは、話のつながりがわかる力です。話はあっちこっち飛ぶのが普通です。その分岐点がわかっていて、いつでも戻ろうと思えば、戻れる力。「なんで、いまこんな話をしてるんだっけ?」という人は文脈力が怪しいといえます。

 日常生活の中で誰かと話していて、「あ、この人はあたまがいいな」と感じた瞬間を思い出してみてください。それは「ちょっと説明しただけでパッと理解してくれた」「そう言えば、こう言う事もあるよと言う、別の発想の引き出しを開けて見せてくれた」などなど、話がうまくつながったときのはずです。

文脈力イコール快感だ、と言ってもいいでしょう。つながりがわかる、つまり「こちらのもとあちらのものがこうつながっていた」とか、「さっき言っていた事と今の話が繋がった」とわかることは、元来大変気持ちのいいことです。

 たとえば、会話はキャッチボールのようなもので、文脈力があって繋がっていく会話というのは、同じキャッチボールでも大リーグどうしのキャッチボールのような、かなりレベルの高い、すごく気持ちのいいキャッチボールです。

 卓球でもテニスでもそうでしょう。ラリーが続くから面白いわけで、下手な者同士ではボールを打ち合っても繋がらないから、面白いと思えるところまでいかない。これが上手な人と下手な人の組み合わせだと、少なくとも下手な人は面白いはずです。それは上手な人が、下手な人に合わせて、受け止めやすいボールを返してくれるからです。

 僕の友人にテニスの球出しが上手な男がいるのですが、彼は常に相手の打ちやすい一定のところに、珠を出す。○○さん相手だと、自分がすごく上手くなった気がする」ということで、彼は女性にとても人気がありました。

 人と人の関係も、文脈力のあるなしで随分変わりますね。文脈力があれば、相手の気持ちを推し量ったり、これはこうしたいサインなんだと気づくことができる。それがあるかないかによって、人間関係も変わってきますよね、恋愛もしかり。文脈力があれば、二人の関係をより長続きさせることが出来ると思います。

 文脈力があると、なにが面白いといって、二人の間の無数のやりとりを経験として積み重ねていく醍醐味が味わえる。
 文脈力がないというのは、繋げる力がないということですから、いま現在、目の前にいる相手と過去の人や事象をつなげてみることができない。ですから、その場その場、ひと晩きりの付き合いの方が常に新鮮味があって面白いと思えてしまうのです。ところが文脈力がある場合には、いまと過去を繋げ、さらにそれを未来に向かって複雑に織りなしていく力がありますから、自然と長い付き合いを楽しむことができるのです。

長い付き合いになれば、相手のクセも自分のクセもよく分かってきます。それによってさらに関係は複雑、密接に絡まり合って、次の一手がどんなふうに出るのか期待が高まるという事になっていく。そこから恋愛の真骨頂だと僕は思っています。

 普通だったら数ヶ月とか、数年とかで飽きが来て、新しい相手を求めていきがちなときに、「飽きない」という循環に入っていく。お互いのクセを交錯させてお互い味わい尽くすことで、長続きする恋愛が成立します。

 長続きすることの良さは、いろんな事柄がすでに共通理解、前提条件になっている点でしょう。ちょっと一言言っただけで、「ああ」とすぐにわかってもらえる。要するに、話が通じやすくなるわけです。

 友達同士の場合、多くはそれができている筈です。誰だって仲のいい友達とはずっと話し続けていられるでしょう。話し続ければ、さらに共通理解の事項が増えて、いよいよ話が合う。でも、男女の場合、まだそこまで達していないんですね。

 会話や恋愛もテニスの打ち合いと同じで、相手が上手でない段階では、まず一定の返しやすいとこに球を送り続けることが大事です。それが上手くできるように上達したら、次の段階として少し難しい球を送ってみればいい。というように、会話や関係を続けさせていくのが、文脈力なんです。

 社会の中では、文脈力のないほうがいい場合もあります。組み立て、繋げる力よりも、その場その場の勢いが強いほうが勝ち、というケースです。テレビのヴァラエティ番組などはその端的な例。僕がテレビのヴァラエティに出ないのも、その土俵が文脈力を無視する土俵だからです。

 負けていないのに、突っ込みの勢いとかのほうが評価されて、結果、負けてしまうというか、パッと見たときの印象が勝負なので、とりあえず言った者の勝ちという風潮が普通になっている。文脈力なんて関係ないよ、一発勝負だよと言わんばかりの、そういう場は、賛成しかねるわけです。これからもそういう場ばかりが脚光を浴び続けるようでは、文脈力は低下していく一方で、それはとてもまずいことだと思います。

 今のような状態のままだと、欧米の教養のあるカッコイイ男性には勝てない。なにしろ欧米の強さは、文脈力の強さと言ってもいいほどですから。

 日常的に彼らは長い文章を書きなれている。そのうえ、それはごく知的な文章になっている。それで長すぎて、主語がどこだったか、述語どこにあるのか、わからなくなるような文章です。あれを日常的に読みこなすことで鍛えられる力というのは相当なものです。

 僕は、文脈力を鍛えるには、以外と思われるかもしれませんが、硬い翻訳物を読むのが効果的だと思っているぐらいです。文章自体はぎこちないけれど、ただし、全体の構造はしっかりわかるように組み立てられた翻訳文を読むと、脳ミソのレベルが上がります。名訳と言われるような、こなれすぎた日本語だと、脳にかかる抵抗が少ないので、あまり練習にはなりませんね。

 とにかく、文脈力を鍛えましょう。文脈力を発揮できるようになれば、恋愛だって変わってきます。相手の反応が変化します。それだけ楽しさが増えます。
 それにしっかり文脈力で支えられたカップルというのは、ちょっとやそっとでは壊れなくなります。若さは絶対的な価値ではなくなるわけです。
 だから、やっぱり、恋の初期段階の駆け引きよりも、恋愛関係が成立した後にこそ、恋愛の面白味はある。

13 「偏愛マップ」を作って交換しよう。
 好きなものにこそその人の本心がある。相性を見極める有能なツール。

かたよりまで愛すつきあい――――倉田
 お互いのクセまで知り尽くし、相手のかたよった好み迄愛せるようになると、人と人との付き合いはますますエキサイティングで面白いものになります。その手がかりとなるのが、いま僕が提案している「偏愛マップ」です。

 やり方はごく簡単です。A4か、B4ぐらいの大きさの紙を用意して、そこにその人の「かたよるほど愛してやまないもの」を書いてもらいます。好きな食べ物、お店、本や映画などの固有名詞をどんどん書き出していくのです。書き方はまったく自由。いくつでも、どんなものでも、どんなふうに書き表してもらっても構いません。もちろんジャンルは問わない。

 条件はひとつだけ、そこに書き出すものは、あくまでも、止むにやまれないほど好きで、誰が止めても好きだと言うものであることです。完成したのを見ると、その人の好きなものを通じて、そのひとの考え方や行動原理や生活感覚などがひと目でわかります。

「この人はこんなものが好きだったのか」と意外な発見もあるだろうし、「すごく底の浅いものが好きなんだ」と密かに思う事もあるでしょう。「これが好きなら、この人とはフィットしそうだな」とある程度の予測もつきます。

「偏愛マップ」は、人とのコミュニケーションを取るうえで、シンプルだけれど、大変強力な手段なのです。性格をあれこれ説明されるより、短時間でその人のことが分かる。なぜならその人の世界というのは、好きな物事から成り立っているからです。ただ好きというのではなく、「偏愛」というところがミソかもしれません。

 たとえば、「これが好き」というものが、とてもマイナーなものだったとします。これは私自身で経験したことなんですが、たまたま同じものを書いていたりすると、いま出会ったばかりということが信じられないほど気が合って、一挙にその人との距離が縮まったりすることがありました。それがマイナーなものであればあるほどそうなりやすいというのも体験からわかっています。
 
 先日は大学のゼミナールで、大学生に「偏愛マップ」を書かせてみましたが、なかなか興味深いものになりました。
<偏愛マップ 凡例1>
【サッカー=フットサル、ジダン、ラウール、レアルマドリード、チャンピオンズリーグ】
【MTB=ダウンヒル、トレイルライド、トライアル、ジャンプ、Xゲーム】
【友達】
【車=ランエボ、ラリー、スピード、サーキット、ドリフト、首都高速、ドライブ】
【音楽=ドラム、バンド、生楽器、ソウル、ファンク、ポップス、ジャズ、ライブ】
【音楽=ビートルズ、ストーンズ、JB、スティービーワンダー、ダニーハサウェT】
【マンガ=ゴルゴ13、マスターキートン、沈黙の艦隊、仁、なにわ金融道、はじめの一歩】
【本=灰谷健次郎、兎の眼、天の瞳】
<偏愛マップ 凡例2>
【歌=キャロル・キング、ジャクソン・シスターズ、リンキンパーク、ブラックアイドルピース,みんなの歌、クイーン】
【におい=ベビーパウダー、アスファルト、新しい本、梅酒】
【動物=かば、象、きりん、はりねずみ、犬、猫、馬、うさぎ】
【テレビ=ディスカバーチャンネル、CNN、シンプソンズ、Xファイル、C.S.I】
【キャラ=ゴン太くんガチャピン、ムック、ダンボ】
三段目の空白地帯に=オーロラ、夜桜、虹、入道雲
【作家=夏目漱石、芥川龍之介、ナンシー関、宮部みゆき、中島らも、京極夏彦、パトリシア・コーンウェル】
【食べ物=ベーコンとブロッコリーのパスタ、まい泉のかつサンド、わかなのかっ、「すや」の栗きんとん、桜もち】
【マンガ=スラムダンワ、マスターキートン、銀が英雄伝説、レタスバーガープリンーズOK.OK】
4段目左下空白地帯に=ハンモックでする昼寝、寝ている猫を起こす、洗濯、猫の肉球を触る、本を読みながら眠りに落ちる
【旅行先=スウェーデン、カナダ、チェコ、エジプト】
【映画=チキチキバンバン、或る夜の出来事、ノッティングヒルの恋人、めぐり逢い、ダイヤルMをまわせ。宮崎駿監督作品】

A4=B4紙面「偏愛マップ」は携帯画面は入りきれないので上記の様に列記しました。
上述は=たとえば、「【】の記載位置」というのがかなり問題で、それが重要度にも繋がっているんですね。「この【】記載位置が真ん中に来るような人とは付き合えない」ということもあるし、あるいは、「これが【】片隅じゃなくて、もっと中央に書いてあれば」ということもあります。もちろん相手によって価値は変わります。
*註凡例1は上段は右に2列、【友達】中段3列、下段2列の配列です。
凡例2は上段は右に3列、2段目は3列、3段目は3列、4段目は3列

その中に、「犬」を書いた男子学生が二人いたのですが、犬好きの女子学生がいいと思ったのは一人だけで、同じ犬を書いていても、もう一人の男子には興味を示さなかったんですね。どうしてなのかと聞いてみたら、「こっちのマップは犬が真ん中に書いてあるから。それが大切なの」と言っていました。なかなか微妙なものです。

 この「偏愛マップ」を実施したのは授業ではありません。企業で試し、さらに合コンでもやりと、ここ10年、何千人という単位の人に実施してみました。どこでも間違いなく、ものすごく盛り上りをみせます。好きな事について話すのは楽しいのでしょう。

 授業では、まったく知らなかった同士が出会うのですが、二人きりになってマップを見せ合うと、「あ、これが好きなの」とすぐにうち解けることが出来ます。要は二人の間で話すことがあるというのが大事なんですね。中には第一印象の悪い男子学生もいます。無愛想というか、言葉が足りないというか、一瞬この人とはいっしょに組みたくないなあと、女子学生に思われてしまうようなタイプ。でも「偏愛マップ」を見せ合うと、たいてい「最初の印象と全然違った」という結果になります。コミュニケーションさえうまくとれれば、悪い第一印象を簡単に覆すこともできるという例なんですね。

 ただし見せびらかすような意識が働いた書き方をすると、女の子に嫌われる。女の人はなかなか観察眼が細かいし、頭がいいんですよ。記述があまりにも細かすぎると、「この人は全部出しきっている感じがして、なにかダメな気がする」んだそうです。逆に残された余白に含みを感じて「この人はまだ奥があるのに書いていない」という事が分かると、好感を持たれたりする。その辺りは微妙なところです。

 人気があったマップは、「マニアックに走る手前で抑制されていて、でも一般的な話もできる」、「幅が広いけど、細かい話も出来る」というタイプでしたね。

 でも、男性は概して素直です。こんなものを書くと嫌われるだろうな、と考えて書く男はあまりいません。ほんとうに好きなものは変なものでも正直に書いてしまう。それはこのマップが誰か他の人のために書いている物でないから、自分の世界を確かめるために書いているものだから、書いて行くうちにどんどん面白くなってのめり込んでしまう。それがどう見られるかなんて頭の中からすっ飛んでしまうわけです。

 合コンにはこの「偏愛マップ」は必携です。「合コン偏愛マップ」ならぬ、「合コン必勝マップ」と言ってもいいくらい。出会い頭に即盛り上がれますし、無理なく話が広がっていく、おまけに相手についてもよくわかります。

 会話の中で時間をかけて相手の世界を探る楽しさは確かにありますが、探り切れないまま、相手を知らないまま終わってしまったのではまずいでしょう。あるいは、相手のことを見込み違いしていて、結婚してしまってから、「えっ、この人、こんなものが好きだったの」と押し入れに貯めこんだ漫画週刊誌に愕然としたりするのは避けたいですからね。
「偏愛マップ」は、職場でも実施しても、ビックリするような結果を生んでいます。

 職場で長年一緒だった人たちが、お互い好きなものを知らなかったということはよくあることです。偏愛マップを作ることで「えっ、部長、浜崎あゆみが好きだったんですか」なんて、意外な面を発見で来たりするのです。

 先日、ある企業で、それまで一度もそんな話をしたことがなかったのに、「偏愛マップ」を交換したら、二人ともじつは伝書鳩好きだったことが発覚し、そのときの盛り上がりようといったらありませんでした。奇跡的とも言えるでしょうね。考えてみれば、職場であっていきなり「伝書鳩が好きなです」なんて言ったら、どこか場違いでしょう。

 言い出す機会を逸していた二人が、この偏愛マップによって、奥深く眠っていたものを表に出し、同じ嗜好の人と出会うことができた、その喜びといったら・・・・。二人は固く手を握り合って喜んでいましたね、あれはちょっと感動的シーンでした。

 また「偏愛マップ」には教育的効果もあります。「あの人が好きだと言うなら、ちょっと見てみようかな」とそれまで興味のなかったものごとに、新しく目を開かせてくれる、そういうメリットがあるのです。

 人がなにか新しいことを始めようというときは、だいたい人を介してその気になるものです。タレントさん誰かが本を勧めていた。そのタレントさんを好きだから、私もその本を読んで見ようというように。他の人が偏愛しているものなのですから、なにか魅力があるに違いない。そうやって世界を広げていくのは楽しいことでもあるはずです。

「偏愛マップ」を通じてわかったことは、世界が豊かな人ほど面白い人だということです。マップを通じて広がりのある話ができて、この人と話をしていると楽しいと思えるのは、やはりいろんなものに興味があり、いろいろなことが好きな人。好きが高じてマニアックすぎると話についていけないこともありますから、そこはほどほどになのですが、総じて幅広いことがらについて話せるようだと、楽しい会話になるようです。

 意中の人や憧れの人がいたら、思い切って「偏愛マップ」を交換してみてはどうでしょう。会話のきっかけを作るにはもってこいですし、短時間で一気に深く知り合うことが出来ますから、無駄がありません。だから自分のマップを常に用意しておいて、名刺がわりに交換してもいいですね。一瞬見てその内に何かがうっすらとでも記憶に残っていたら、次にあった時は飛躍的に話題が増えます。

「偏愛マップ」は一度作ったらそれきりではありません。めまぐるしく情報が入って来るなら、人によっては1週間で気持ちが変わることもありますし、1ヶ月の場合もある。その時々で自分で書き直しておくと、一種の成長の記録にもなります。小学校時代の「偏愛マップ」、中学時代の「偏愛マップ」、高校時代の「偏愛マップ」、それぞれの時代のそれぞれの「偏愛」がそこに残されているというわけです。後々過去のものを見返してもきっと楽しいですよ。

 このマップは実施するのが簡単だから誰にでもすぐできるし、雰囲気が悪くなったり、失敗ということは先ず起こりません。好きなものについて語り合っている時間は、本来人間にとって一番楽しい語らいのときです。そのポイントがわかれば、人と人とのつきあいもスムーズに、そして長く続くものになるはずです。いままで誰も言わなかったのが不思議なくらい。「偏愛マップ」は最強のコミュニケーションツールですね。

危険な男もこれでわかる? ―――――倉田
 偏愛マップは相手の情報を得るにはほんとうに素晴らしい手段だと思います。
 これはダメ男判別法にも使えますね。こんなものを愛しているなんて危険かもしれないとか、自分とは合わないだろうなとか、ある程度判断ができるのではないでしょうか。

 たとえば、マップの中に「ガンダム」と書いてあったら、「あれ、この人アニメ好きなのか」と私の中では警戒警報が鳴り始めるでしょうし、「フィギュア」とあればコレクターなのかと拒否反応さえ生まれるでしょう。

 これは大変個人的なことになりますが、私はなにかコレックション癖のある男性が苦手なのです。以前とてもいい感じで話していた知的な男性が、会話の途中で電車の模型を集めていることがわかり、途端にすっと冷めていくものを感じてしまったこともあります。

 この場合、コレクションの対象が問題というのではないのです。それがガンダムやフィギュアでなくても、パイプだろうと、アンティークの家具だろうと、ワインだろうと、コレクションしているという行為自体が、私には合わない感じがするのです。

 コレクションしているということは、何かに対して、偏執的な愛があるということで、私はその愛情のバランスの悪さのようなものが愛せないのだと思います。

 男の人でコレクションしている人は多いのもわかっています。でも、コレクションしている男の人は、私に向ける以上に愛情がその対象に注がれているような気がして、イヤなのです。男のコレクション癖を受け入れられるかどうかは人それぞれでしょうが、どうも私はそのことについては狭量みたいです。

というように、付き合い始める前に、いろいろ判断材料になってくれるという点でも「偏愛マップ」はすぐれものですね。

合わない部分だけをクローズアップしてはいけません―――――齋藤
 ひとつ女性にお願いしておきたいことがあります。それは偏愛マップをネガティヴな情報としてできるだけ捉えないでほしいということです。

 とくにマップの中に自分が嫌いなものがあったときです。「私のいちばん嫌いな○○があるからイヤ」と即座に切り捨てないでもらいたいのです。
 むしろ「○○も書いてあるけど、◇◇が好きだったらやっていけるかしら」という具合に、同じように好きなものに目を止めて、そこから入っていけるような、ポジティヴな情報だとして受け止めてもらえるといいですね。

 ダメ男判別法としても役立つかもしれませんが、それよりか普段は密かに隠されているその男性の魅力を発掘するための手段としてマップを眺め、その人の全体像を理解する役に立ててもらえたら、政策発案者としては嬉しく思います。

 書き方は自由ですが、次の点を参考にしてみてください。
1・何も書いていないA4がB4大の紙を用意する。
2・真ん中に名前を書いて、その周りにマップを作成していく。
3・制限時間はとくにナシ。自分の満足いくように心ゆくまで書いてください。
4・好きな食べ物、お店、CD、本、映画などと、自分の「かたよって愛しているもの」の固有名詞をどんどん書き込んでいきます。ただし文章では書きません。思いつく順に書いていく方法とは別に、もうひとつ、最初に思いついたものからどんどん連想していく方法もあります。これも思いついたものを次々と書いていくだけなので、大きな違いはありませんが、初心者にはこのほうが進めやすいかもしれません。
5・かたよって愛しているものなら、対象は人、物、場所などなんでもOK。ただしあまり漠然としないように。
6・なるべく紙いっぱいを使ってぎっしり書きましょう。
7・書き方は自由。ひとつひとつ箇条書きにしてもいいし、連想式に思い浮かぶものを結びながら書いていってもいい。
8・考えすぎずに、素直に思い浮かぶものを、好きな位置から好きな大きさで書き始めましょう。
9・書きあがったら、二人一組になり、マップを見せ合いながら話をしてみましょう。
10・5分経ったら、相手を変えて。また話をします。

14 束縛されるのが嫌いといいながら、相手を変えて束縛していませんか? 携帯チェックもマナー違反。

束縛したいけど、されるのはイヤ――――倉田
 恋愛が長続きしない、というのは多くの女性がかかえる悩みでしょう。男性は女性に比べると、飽きやすいというのは客観的事実だと思いますね。次から次へというのは極端でも、たいていの男性は、より新鮮なものを求める傾向があるのはたしかです。そういう飽きっぽい相手と、長く恋愛関係を継続していくにはどうしたらいいのか。これは女性にとって、いつだって大きな問題です。

 私が心掛けているのは、相手の男性に楽をさせることです。リリースしっぱなしでろくにキャッチもしない状態かもしれません。ある程度の距離さえ保っていれば、男性はそれ以上あえて離れて行かないものです。

 それができるのは、私の場合、他にも興味がある事がたくさんあって、男の人ばかりにかまけていられない、という事情が大きく関係しているかな。もちろん私も恋愛の優先順位は高いつもりですが、仕事を持っていれば、締め切りもある、取材はあるで、常に恋愛優先にはなりにくいのが現実ですね。

 でも、つきあっている男の人をあえてリリースしておくいちばんの理由は、やはり男性は束縛されるのが嫌いだということを経験から知っているからでしょう。うるさく干渉して嫌われるのは最悪だからです。

 と言っても、束縛したがる人は多い。これは女性の陥りやすいワナでもあるんですね。とくに恋愛至上主義で、他のことにあまり目がいかないタイプの女性は気をつけないといけないと思います。どんなに好きだからといって、してはいけないこと、言ってはいけないことがあります。

 たとえば、相手の携帯電話のチェックはしていけないことこのひとつ。よく「携帯チェックするのは当たり前のこと。私も携帯を見られてもかまわないんだから」という理屈で、チェックしている人を見かけます。それは男女を問わないんですが、基本的にはルール違反だと思います。見られた側は決して気分が良くないですからね。

 私自身も束縛されるのはイヤです。いっしょに住んでいる相手に電話を入れないまま夜遅くまで遊んでいたとしますね。帰ってから「どうしてたんだ」「電話ぐらい入れられるだろ」としっこく責められると、ほんとうに気分が悪くなります。なにか気になることがあったりした場合の対策として、自分から問いただすようなことはなにも言わず、相手のほうから言い出すのを待つのが理想的だと思います。だから、遅く帰った時も「お帰り、遅かったね」で終わり。それ以上聞くな、と言いたい。そうすれば「○○してて遅くなったの」とか、自然に説明する気になるというものでしょう。

 うるさく言わずにはいられない人というのは、きっと、会わないでいる間の相手の行動が気になってしょうがないんだと思います。だから「昨日なにしてたの?」「誰と会っていたの?」と根掘り葉掘り聞きたがる。それは愛情の深さからだと言いたいのかも知れません。でも、携帯を見られたり、会わないでいた間のことを逐一知りたがられると、男も女も鬱陶しいはず。相手は「自分は信用されていないんだな」と思います。それでは自らトラブルの種をまいているようなものです。

 相手にも、仕事なり趣味なり、自分といないときの時間の過ごし方、恋人とは別の世界というものがありますよね。大人ならそれを尊重しないといけません。それがひいては二人の関係を長持ちさせる秘訣でもあると思います。

 ただ私の場合、相手への負担が軽すぎて、男が易きに流れてしまい、恋愛以外のものまでだらだらしてしまう危険性がありますが。

嫉妬のエネルギー―――齋藤
 携帯チェックに限らず、自分といないときの相手の行動が気になってしょうがないということは多々ありますよね。厄介な感情です。

 それは、関係が二人だけの世界が閉じてしまっているからではないでしょうか。恋愛至上主義で彼のことしか目に入らなくなっていて、どうしても「彼と私、二人の世界」に閉じこもってしまうことになることから生まれる感情なんですね。携帯をチェックしたり、持ち物検査をしたり。そんなことをすれば、お互い追い詰め合って、煮詰まってしまうのは、冷静に考えれば分かり切ったことなのに。

 解決法は恋人どうしとしてつきあっていても、二人の関係に閉じこもらず、もっと開かれた関係にすること。つまり広い視野を持つ姿勢が大切だと思います。生きていく中で興味のあることはいろいろあるけれど、恋愛もそのひとつ、ぐらいに思える風通しもぐんと良くなると思うんです。

 社会というのは、たくさんの人との関係が入り組んだ網目のようなものです。その複雑な編み目の中に個人と個人の関係も繋がっている、そういう認識があれば、恋人との付き合い方も随分と違って来ると思うのです。

 相手が自分のもとから離れてなにかをしている。自分には入り込めない時間を過ごしている。そうなると心配やら、不安やら、あるいは疎外感まで持って、相手のやっていることを妄想していく。それは嫉妬の感情なのです。

 といっても嫉妬は人間につきもので、大なり小なり、経験したことのない人はいなくらい。だから常々思っているのは、この嫉妬のエネルギーをなにか別のことに転換できたら、大変なエネルギー源になるのではないだろうかということなんです。

 うまく転換ができないから、どうしようもなくなって、自分自身を壊してしまうことになる。それはすごく残念でもったいないことだと思いますね。

 嫉妬のパワーにも個人差があり、一概に言えないところがありますが、嫉妬の感情から抜け出して、その感情をうまくコントロールする術を知れば、相手との関係も一段階成熟させることができた、そう言えるのではないでしょうか。

15 惑わすような色気は必要なの? あるがままでは恋愛は成功しないの? 男の色気、女の色気合戦。

女性のどういうところに色気を感じるの? ――倉田
 女性の色気っていったい何なんでしょうね。男は女の人のどんなところに色気を感じてるんだろうって、最近よく考えるようになったのですが、それにしてもショックなきっかけがありました。

 その夜、女性の友人Aと二人、年上のなかなか素敵な男性と飲んでいた時、「私と友人の、どちらのほうに色気を感じるか」という話になったのです。その男性は、最初は「いや、二人ともいいよな」とのらりくらりかわしていたのですが、結局「Aちゃん、君は色気があるよ」とのたまった。ついには「くらたまは全然色気がないねえ」とまで言われてしまったのです。

 たしかに友人は美人だけれど、私から見ると、恋愛ゲームにあまり参加していない、やる気もなければ、色気もない人だと思っていたんです。

その日ね「私って、淡白なんですよ」なんて相変わらずやる気のない発言を延々としていたのに、一方私と言えば、昔、その男性に憧れていたことがあったことはちゃんとアピールしていたんです。なのに、なぜそうなるの!? その男性の選択が、すごくショックだったことを忘れません。

 私に色気があるとは言いませんけれど、なぜ、その男性にまるで関心のなさそうなAのほうが色気があると言われるのか。いったい男たちは、女のどこを見て、なにをどう感じているのか、まったくわからなくなった次第です。

あからさまにしすぎないこと――――齋藤
 女の人の色気ですか。この話題は立場上、ちょっと苦手ではありますが、一般的に言われているのは「隠す」というのが重要なポイントになってくるということです。僕もそう思います。もちろん「全部あからさまに見せられるより、ちょっと出した素足の部分が色気っぽい」というような、視覚的なこともありますよ。でも、ぼくが言いたいのはもっと精神的なことです。色気とは、肌がどれくらい露(あらわ)出しているかということよりも、精神の部分をどれくらい露にしているかという点にあるのではないかと考えます。

 結論から言うと、精神的にはあまりあからさまにしないほうが、断然色っぽいのです。精神的、言語的に、欲望のベクトルをあまりにもクリアに示しているのは、色気がないと見えます。

 あまりにオープンかつクリアに会話を展開する女性がいます。その女性は話し相手の男性に「この人は男の脳ミソの持ち主だな」と判断されるわけです。それよりも「私はそういう話はちょっと・・・・」と恥じらったり、伏し目がちになったりするほうが色っぽいなと男は思うものです。言ってみれば、演歌の世界かな。寒さに耐えて、弾けることのない日本海的な魅力とでも言いましょうかっ。言いたいことがあるけれど、耐えているイメージです。

 やる気満々の女性は、肉食系の、ガツガツと餌をむさぼるライオンみたいなイメージを持たれてしまうのではないでしようか。そういう女性は生き生きとした生命力と結びついた、ある種、性的なポテンシャルが高いというのはわかります。わかりますが、それはヴァイタリティであって、色気とは別ものなんです。

 色気というのはもうちょっと全体的にか弱いもの、ささやかなもの。薄紙を折り合わせていくような、そうやってできあがった人形のような、繊細なものだと思うのですが。具体的なことをいくつか挙げてみましょう。

 先ず喋り方から考えてみると、早口でガンガン喋るよりは、ゆっくり喋ったほうが色っぽい。あまりペラペラ喋るのもよくないですね。先ほどから説明しているように、あらゆることをクリアに説明してしまうと色気がないと思われてもしょうがない。逆に伝えたいことがあるけれど、それをあからさまに言わないので、ほのめかすような表現は、色っぽく感じられます。なにげない会話から雰囲気でそれを匂わせるような、小津安二郎の映画のような感じだと、かなり色っぽいのではないでしょうか。

 笑い方もガッハッハと声を立てて笑うより、微笑むぐらいがいいでしょうか。
 目はやはり伏し目がち。あんまりぎゅっと見つめられると、男にとっては、ライオンに狙われたシマウマのような心境になってしまいますから。

 なにを色っぽいと感じるか、その男性の好もありますから、これはあくまでも一般的な話ではありますけれど、参考になりますでしょうか。

言いたいのに理性でぐっと我慢できる女の人ってすごい――――倉田
 ほのめかす会話に色気があるという話を聞いて、そうだったのかと思うことはありますね。私は、そのとき話題になっていることについてはあますところなくクリアにするのが会話という作業だと思っていましたから。しかもぎゅっと見つめるクセもある。喋り方もガンガンの口ですよね。

 もちろん話題はそのときで場にあわせて選びます、いったん俎上(そじょう)にのせたことについては、「これだけは言わせてもらいます」と、言いたいことを全部話す。相手の話に対して、思うことが自分の中にたくさんあって、どうしても黙ってなんかいられなくなるんですね。そうやって、「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」と相手とやり取りして、クリアにしていくことが会話だと、今の今まで思っていました。

 喋り方にしてもゆっくり喋ろうと思っても、エキサイトしてくると、ついついそんなことは忘れて早口でまくしたててしまう。

 でも、言われてみるとたしかに、色気があると言われている女性はあまりしゃべらないかもしれませんね。「好きな男のタイプを教えて」と言われても、のらりくらりかわしたり、具体的な名前が出て来なかったり・・・・。「なにが言いたいの」と切り返したくなったりするんですけれど。

 私は女はみんな「こういう男が好きなの」って自分のことをしゃべりたいものだと思っています。私の友人などは「どんな男が好きなの」と訊かれると、「肌の質感がきれいで」とか、とても具体的に、「そこまで言うと、男の人が引くよ」というようなことまで全部いう。でも、タイプが明確にクリアになればなるほど、男とって「あ、オレはタイプじゃないんだ」と圏外の存在になってしまうものです。

 逆に喋らない女というのは、喋るのがイヤなわけではなくて、意志の力で気持をコントロールしていると思うんです。私にはとても真似ができないので、そういう自己演出ができる女性にはじつは密かに舌を巻いています。

 彼女たちは「それぐらい言っても別に構わないのに」と思う事さえ喋りません。そうすることで、自分自身のイメージ作りをしているんですね。男の人もそれにくらっとなる。そういう女性は過去の話もしませんから、男の方は「もしかしたら、彼女は男と付き合ったことがないんじゃないか、あんなにきれいなのに」とバカな幻想を抱いたりするわけです。しかし本命にばかりでなく、「そんな男性にどう思われてもいいでしょ」というような相手にも夢を持たせています。

 彼女みたいなタイプが気に入らないというよりも、なぜあんなに喋らないでいられるのか。私にはそれが不思議でたまりません。

場を盛り上げる女はいとおしい――――齋藤
 喋らない女性はたしかに色っぽいかもしれません。でも、その一方でみんなのいる場所では無理にでも明るく振る舞って場を盛り上げようと、一生懸命に喋る女の人も、僕はいいと思いますよ。合コンなどで、自分の身を捨ててでも場を盛り上げる人。いとおしいと思いますね。

 合コンでは人気がなくて損な役回りかもしれない。おいしいところは、自分の身には売らないで獲物に狙いをすましている、喋らないタイプの女の人に持っていかれるかもしれない。その人自体はなにも得るところがないのに、そうやって人を喜ばせたり、場を盛り上げたり、周りに対して責任感があるというか、自分の損得だけでは動かない、公共心のある人が僕は好きですね。

 誰か他の人が倒した自転車を起こす。あるいは順番待ちの人が並んでいるレストランでは、早めに食事を済ませて立つ。そういう公共心のある女性はいいなと思います。少数意見かもしれませんが、こういう好みの男性もいるということです。

喋らない男は色気がある? ―――――倉田
 女性の場合は喋り過ぎない方が色気があるのはわかってきました。それでは男性の場合はどうなんでしょうか。
 男性も、合コンのいちばんの盛り上げ役、いちばん喋るタイプの人は、女性ほどではないにしてもモテない気がします。

 だったら、無口な男、不機嫌な男が人気があるかといったら、決してそんなことはないと思うんです。中には不機嫌な男のセクシャリティを感じる人もいるかも知れません。そういう男はまわりに一種の緊張感を与えるので、それを魅力的と思う人がいても不思議ではありません。でも、一般には取っつきにくい印象を与えるし、対女性を考えると決していい戦略とは思えないですね。

 いまは喋る男のほうが間違いなくいい。ホストにしても、人気のある人は喋りが上手いですよ。たとえくだらない話でも、それを喜んで面白いと思う女がたくさんいるんですから。そう言えば、無口なホストってあまり見たことがないですね。

 喋べらない男性を形容するのに、よくニヒルという言葉を使いますが、ニヒルな人に色気を感じるかというと、話はまた違ってきます。これは魅力の話なんですね。で、ニヒルの場合には、それが許されるタイプと、許されないタイプがあるような気がします。

 そう考えると、自分の持っているものがなにかによって、戦略も変わってきますね。ハンサムな男はハンサム用の戦略、三枚目は三枚目の戦略。どんな戦略を採るにしても、まずは己を知ることかもしれません。

16 恋愛がすべてだと思っていませんか?
 その濃い思いが相手を遠ざけている。彼一途はやめよう。

 濃い過ぎる思いは男の気持ちを萎えさせる―――――齋藤
 色気のある女性について、一般的にはこうだろうということをいろいろ述べてきましたが、逆に男が引いてしまう女性というのもいるのです。

「この人は深みにはまると怖そうだな」そう思わせる女性。男にかける思いが濃すぎて、かかわると、こちらのほうにどーんと全体重をかけてきそうな人。これは男はなるべく避けたいのではないでしょうか。「あなたなしでは生きていけない」「ふられたら、私死んじゃう」などと電話口で泣き叫ぶ女の人は恐ろしいですから。

 そんな面倒を起こすような危険な女は、事前に嗅ぎ分けて拘わらないようにしたいと、大抵の男は思っている筈です。男に対する思いの濃さが身体からオーラのように漂っていて、こちらの目に見えれば問題ないけれど、そうはいきません。男はその辺りを嗅ぎ分ける嗅覚が鈍いので、けっこう苦労しています。

 女性の立場に立って言えば、つきあっても、男の人に依存し過ぎないことですね。仕事なり、趣味なり、彼以外に自分の世界を持っていれば、男性が鬱陶しがるような息苦しい関係にならないはず。それが結果として、恋愛を長続きさせることにも繋がると思います。

17 上手に隙を見せるのもワザのうち。
 こうだと思われているイメージをあっけなく裏切って見せる。

キズのある女に弱い男―――――倉田
 知り合いに、つきあうのは暗い男とばかり、という女性がいます。
 なぜそうなるかというと、彼女の方に原因があるんですね。彼女は自分のキズを相手に見せるのが好きなのです。ごく普通に考えたら、心のキズはその人の弱みですから、隠したいと思う所を、あえて見せてしまう。というより、彼女は自分のネガティヴな面を、むしろセールスポイントのようにしている気がします。

 そういう女に寄って来るは、キズに弱い男たちです。「オレが彼女を何とかしてあげなきゃ」と勝手に使命感に燃えるようなタイプ。たとえ雨の中でもひと晩中彼女を待っているような、そんな男なのです。そういうタイプはどちらかと言えば、やはり暗い人が多いと言うのが私の印象です。

 一見魅力にはなりえないと思うようなネガティヴな面が、まるで強力な磁石のように、ある種の男たちを惹きつけている。これは何故なのでしょうか。

振り幅の大きな人の方がモテる―――――齋藤
 武道ではわざと隙を作るというのがあります。
 上級者どうしの対戦だと、お互いあまり隙がありませんから、なかなか先に動き出せなくなる。そこでどちらかがわざと隙を作って、相手を誘い込むわけです。相手はそれが誘い込むワナだと知りつつ、つい打ち込んでしまう。撃ち込まれた方は準備万端、待ち構えているわけですから、結果は明白です。

 このわざと隙を見せるワザは、恋愛にも応用が利くのではないでしょうか。どういう隙を見せるかは人それぞれでしょうが、あえて心のキズを見せるのも、そのひとつかも知れません。他にも、たとえば涙を見せるとか、酒に酔うとか、あるいはバカのふりをするとか、いろいろ考えられることはあります。

 隙を作るということは、一見ネガティヴな面をいかに上手く相手にアピールするかでもあると思うんです。もちろん、自分をポジティヴに売り出そうと自己アピールする手もありますが、「私はこうだからこうで」の自己主張の一点張りでは通用しないこともあります。そうではなくて、もう少し欠点や弱みを見せてみる。キズになっている部分をちらっとのぞかせてみる。

 そうやって表裏をくるくるさせてみると、「あっ」と変化に目が行くでしょう。変化によって心が動いたぶんだけ。もう効果はあったとも言えるのです。

 僕は坂口安吾が好きなのですが、彼は非常に振り幅の大きい、言ってみれば、両極端の面を持った人でした。神経症を直すためにサンスクリット語を必死になって勉強していたかと思えば、酒を飲んだり、ヒロポンを打ったりしている。また、家の中に閉じこもって2ヶ月くらい仕事をしていたかと思うと、今度は女の人の所を転々として放浪して歩いたりする。真面目なのか、不真面目なのか。熱い人間なのか、それとも冷たい人なのかもわかりません。そういう極端な振り幅を持っている人は。モテると思いますね。

 人間の器量というものを幾何学的に考えて見たことがあります。たとえば、冷たさ温かさ、派手さ地味さなど、両極端な基準を立てたとします。冷たさも温かさもほどほど、という人は、一辺が短くなるわけで、かけあわせでできあがった容れものに入る水は少なくなる。逆に振り幅が大きい人というのは、一辺が長く、かけあわせた体積も大きくなる。そういうふうに、人間の器を見る事も出来ると思います。

 この考え方だと、人間の器が大きいといったとき、決していいことばかりではありません。その人は大きな欠点も持っているわけです。でもそのほうが、器の小さい人よりずっと魅力的に見える。

 恋愛でも、上手にネガティヴな面を演出できれば、それはその人の振り幅となって、魅力になりえます。要は見せ方次第といえましょう。

第三章 会話力が恋愛を成長させる

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