リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳
エゴは比較することが大好き
あなたが自分を誰かと比較するとき、あるいは他人同士を比較するとき、いつもエゴの影響を受けています。たとえば、次のように考える時がそうです。
・【どうして私は、妹みたいにきれいではないのかしら? こんなの絶対おかしい】
・【私は、あの同僚ほどいい大学を出ていない。でも、恋愛に関しては、絶対に私の方が上だわ】
・【どうして彼は、私のアドバイスを聞かないのかしら? 私には、それらを実行するのがとても簡単に思えるのに】
・【私は、この会社でもう20年も働いている。なのに、どうして、みんなは、私より新人の言うことを重視するのかしら?】
あなたよりも知識があると思われる人たちと一緒に居るとき、あなたは、きっと、どう振る舞っていいか分からないでしょう。というのも、エゴが次のように囁くからです。【もしあなたが話せば、あなたは出しゃばることになる。または、皆に笑われる。もしあなたが話さなければ、みんなはあなたを馬鹿だと思うはず。あるいは、変な奴だと思うはず】
エゴは、自分がほかの人たちを幸せにできると思い込んでいる
次の事を知って、あなたは多分すごく驚くでしょう。すなわち、あなたが他の人たちのことを心配するとき、または、ほかの人たちがあなたに頼まないのに彼らを助けようとするとき、あなたはエゴの手中に落ちているということなのです。でも、エゴは、この秘密を明らかにすることを好みません。そして、あなたに次のように囁くでしょう。【リズの言うことをなんか信じちゃダメ。あなたが他の人のことを心配するのは、あなたが良い人である証拠よ。だって、あなたは彼らの幸せを願っているのだから】
私も、「ほかの人たちの幸せを願っているのだから、あなたは良い人である」、ということには賛成です。ただし、「あなたが使っている方法は良くない」、と言っているのです。あなたが、ほかの人たちのお節介を焼こうとした場合、彼らには肯定的に受け止められことは、ごくまれなのです。あなたに何も頼んでいないのに、関係ないことに貴方があれこれ口を出し、しかもあなた自身が、問題をたくさん抱え込んでいる。そのことに、彼らは恐らく不快感を抱くでしょう。
私の息子たちの一人に、発明家がいるのですが、私は、彼が縛らしい才能に恵まれている。と思っています。彼は、計画を立てている時は、本当に夢中になります。しかし、すぐに考えを変えてしまうのです。計画を具体化したり、発明品を商業化したりすることに関心がありません。
何かあらしいことを思いつくと、すぐにそちらに興味を移してしまうのです。そこでまた、ゼロからやり直すというわけです。
私は、組織を運営しておりますし、また計画を最後まで貫く人間ですので、息子のやり方を、非常にまずいと思いながら、ずっと見ていました。そして、心の中でこう考えていたのです。「いい年をして、未だにあんな風にしていて、一体どうやって食べていくつもりかしら? 形にしたものが全然なく、いつもゼロからやり直ししているじゃないの」
何年ものあいだ、私はこんなふうに彼を批判してきました。そして、彼が、その素晴らしいアイディアを使って成功するように、数多くの忠告を与えました。彼の会社のうち、二つに投資して、彼を支援しようとさえしました。しかしそれも、何の結果ももたらしませんでした。なぜなら、彼は、また新しい別の事を始めようとしたからです。
現在では、何が何でも彼に成功させようとしていたのは私のエゴだった、ということが分かっています。息子の成功を自慢したかっただけなのです。
ですから、彼を支援したのも、私のエゴを満足させるためだったのです。それが分かるまで、随分長い時間がかかりました。
そして、今この本を書いている時点で、私の息子は前と全く変わっておらず、同時に二つの違った計画に熱中しています。そして、今回、私はまた息子の仕事に投資することに決めました、というのも、自分の見栄からではなく、純粋に息子への愛からそうできるかどうかを確かめたいからです。
もし、私の願い通りに息子がそのお金を使わなかった場合、私は、自分が執着を手放しているかどうかを確認する機会を得ることが出来るでしょう。
ほかの人の心配をする時には、充分、注意深くなるようにしてください。頼まれもしないのに相手を助けようとするとき、それはあなたが自分に不安を感じているからなのです。そして、相手はあなたのアドバイスに従わないでしょう。その場合、あなたのエゴは不安を持っています。そして、あなたの忠告と支援のおかげで相手が成功することによって、自分の重要感を増したいと思っているのです。
相手が頼んできた場合でも、自分が無条件に支援しようとしているのか、あるいは相手の成功で自分の重要感を得ようとしているのかを、しっかりと確かめましょう。後者のやり方は、条件付きの支援であり、あなたのエゴを満足させるか、さらに増長させるだけでしょう。
慢心して傲慢になる人
エゴは決して満足しません。重要感を得れば得るほど、それを失うことを恐れ、さらに重要感を得ようとします。そして、ついに、慢心するに至るのです。〈慢心〉は、また、〈肥大したエゴ〉とも呼ばれます。慢心は、エゴの究極の姿だす。
慢心は、自分の評価を過大に感じている在り方です。自分自身を過度に評価し、ほかの人たちよりも自分をずっと上に置きます。慢心した人は、何をしても勝とうとし、また、自分の正しさを見せつけようとします。
私たちのエゴは、自分の評価体系を私たちに押し付けようとします
そして、さらに、それを他人に押し付けようとするとき。傲慢になるのです。
傲慢な人は、自分が非常に重要で有能であると思い込んでいるので、自分だけが真理を知っている。自分は誰よりも優れていると考えます。ほかの人たちが、自分と同じように考えることを強制します。要するに、みんなを支配したいのです。ほかの人たちが、自分を完全に信じて、自分と同じ振る舞いをすべきであると考えます。他者を低く見ることが当たり前になっているのです。
自分は絶対に正しいと考えており、したがって、間違っているのは常に他社だと思っています。以下に、慢心の例をいくつか挙げてみましょう。
・【あなたは、いつになったらタバコを止めるの? タバコが健康に悪いということぐらい、知っているでしょう? 私は、きっぱりやめたわ。あなたも、私にならってタバコをやめるべきよ】
・【夫は、私を見習って、私みたいに自己啓発のセミナーにでるべきなのよ。彼は今では、私よりもはるかにレベルが下だわこのまま夫婦でいられるか、私はとても心配している】
・【この子はどうして、私みたいに後片付けをできないのかしら? 後片付けができた方が、「知的」だということがわからないの?】
・【子供たちの教育がしっかりできていないことが、君には分からないのかな? 君は放任し過ぎなんだよ。僕のやり方を見習ってほしいものだね。その方が、絶対にうまくいくはずだ】
・【私が怒っているとしたら、それはあなたが悪いのよ。あなたが先に仕掛けたんだから】
慢心は、知的な形態、または霊的な形態をとって現れることもあります。知的に慢心した人は、知識を見せびらかして、自分を価値づけようとするでしょう。そして、その話しぶりからは、次のような思いが、手に取るように伝わってきます。【僕の言うことを聞きなさい。僕の方が、はるかに優れているんだから】
そういう人は、高い声で、なおかつ早口で話すでしょう。特に、ほかの人たちを説得するのが難しいと感じている時はそうです。
霊的に慢心した人は、〈在り方〉において他者よりも優れていると思い込んでいます。【私は君よりも心が穏やかだ】【私は君より忍耐強い】【私は君よりも悟っている】
実際にそうした言葉を使わなくとも、そう思っていることは一目瞭然です。
私たちが、ほかの人を、自分と同じく振る舞うように仕向ける例、また、自分に似た存在にしようとする例はいくらでもあるでしょう。あなたが、ほかの人たちのためになるように振舞っていると、エゴはあなたに思い込ませようとするのです。また、自分が重要性を増せば増すほど、ほかの人たちを恐れさせることが出来ると考えています。そうすれば、自分はその分だけ恐れなくなると思い込んでいるのです。この〈思い込み〉は、もちろん幻想です。
あなたも既に気づいたことがあると思いますが、傲慢さは、まずい結果しかもたしません。傲慢になればなるほど、相手の人は、より抵抗するようになるでしょう。というのも、自分が比較され、自分の価値を貶められると感じるからです。
傲慢な人は、自分を大きく見せようとします。それこそ、エゴが喜ぶことなのです。しかし、自分の価値を貶められる人は、心の奥底で、目の前にいる人が、愛とは正反対の振る舞いをしていると感じるでしょう。
傲慢な人は、心の奥に、拒絶される恐れ、愛されない恐れを抱え込んでいます
さらに、傲慢な振る舞いは、自信の欠如を示しているのです。だからこそ、他者と自分を比較して、優位に立とうとするのです。自分の価値が信じられないため、自分を褒めることが出来ず、自分を信じることができない。要するに、自分を愛することができないのです。そういうわけで、外部に比較を求めるのでしょう。こうして、外部に愛を探し、承認を探し、その結果として、幸せになろうとするわけです。
傲慢になる人は、また完璧主義者でもあるでしょう。そして、完璧主義は、現実主義の対極にあります。あなたが、何をしても容易に満足せず、やることなすことを完璧だと思いたいために、何度でもやり直す人であるなら、それは、あなたのエゴが、〈拒絶〉されることを恐れている、ということなのです。
完璧などというものは、この世には存在せず、霊的世界のみに存在するのですが、残念ながら、エゴはそのことを知りません。というのも、エゴはそもそも霊的世界の存在を知らないからです。
あまりにも完璧主義であると、自分を他人と比較して低く見積もり、自分を一切ほめないようになる場合もあります。エゴは、そうやってあなたが、〈謙虚〉な人である、と貴方を思い込ませようとするのです。しかし、注意してください。それもまた、エゴが優勢になっている証拠なのですから。
ここで例を挙げてみましょう。料理が下手だということで、たえず自分を貶めているアデルのことです。人を家に呼んだとき、彼女がまず始めに言うのは次のセリフです。「今日は、イタリア料理を作りましたが、みなさんみたいに上手にできたか、まったく自信がありません。それでも、どうぞ、召し上がって下さい」
こういうふうに言えば、お客さんたちが慰めの言葉をいってくれるのではないか、と期待しているわけです。しかし、残念なことに、たとえお客さんたちが誉め言葉を言ってくれたとしても、彼女はそれを信じることができず、また次には、同じょうに振る舞うでしょう。彼女は、自分の料理に決して合格点をあげません。というのも、彼女の理想が高すぎて〈非現実的〉だからです。
もし、すべての人が、同じ善。悪の基準を持ち、同じ態度、同じ振る舞いをするとしたら、世界はどのようになるでしょうか? おそらく、きわめて単調で退屈な世界が出現することでしょう。しかも私たちは、受け入れる能力を高め、真の愛のレベルに達する機会を、いっさい失ってしまうのです。
もしあなたが、自分の立場を守ろうとせず、しばしば相手に譲り、しかも、相手が傲慢だからこそ、そうするのだと思っているとしたら、あなたは、もっと自分の内面を見つめる必要があるでしょう。すぐ相手に譲り、簡単に相手に支配される人は、ほとんどの場合、自分の傲慢さを抑制しているのです。
内面では傲慢なことを考えながら、それを決して外側には表せません。【俺がこいつとやり合ったところで、何にもなりやしない。こいつは何一つ理解しないだろう。でも、正しいのは俺だということを、俺はよく知っているから、俺は、結局、俺の思い通りにしてやる】
この章で、たくさん例をあげましたので、それをよく読んで、あなたが自分のエゴからものすごく影響されていることに、ぜひ気づいてください。
もちろん、私は、あなたを落胆させるためにそうしたのではありません。あなたの〈意識化〉がいっそう進むことを期待してそうしたのです。
あなたが変えたいと思うそのことを〈意識化〉しないかぎり、
あなたは決して、それを変えることができません、なぜなら、それを〈意識化〉しない限り、それは、あなたにとって、存在していないことになるからです。
私たちが、エゴにどれほど力を譲り渡したかを知ることが、最近、ますます緊急かつ重要になってきています。もちろん、それは今世だけのことではなく、多くの過去世も含めての事です。
エゴは、久しい以前から、私たちが、〈傷つけられる恐れ〉を持ち続けるように仕組んできました。ですから、私たちは、そのことをしっかり〈意識化〉しなければなりません。それを意識化することが出来れば、私たちは、やがて、人生を支配する力――つまり、内面の力――取り戻し、自分の魂のニーズに耳を傾けることが出来るようになるでしょう。
この後に続く章においては、エゴの影響を脱して、自分の人生の主人になる方法を学ぶことにします。それぞれの〈傷〉と〈エゴが使う手口〉との関係を知れば、その結果として、あなたは自分自身を取り戻すことができるはずです。そして、自分を守るために仮面をつけるのを、辞めることが出来るでしょう。
つづく
第四章 エゴに感謝して受け入れる