・私は決して デザートを食べない。
・あなたは、いつも遅れるね。
・僕は絶対に怖がらない。
・あなたは本当に何も理解していないのね、私はいつも同じことを繰り返さなければならない。
・私の息子は、いつも嘘をつく。
・残業をするのはいつも私なんだから。
・あなたは絶対、私に話しかけてくれない。仕事から帰ると、いつもテレビを見てばっかり。
あなたは、自分が〈所有すもの〉ではありません。財産、お金、才能、地位などは
あなたではないのです。また、あなたは、自分が〈すること〉ではありません。
つまり、あなたは、仕事、育児、家事、などではないのです。
数年前、私は、高級車を次から次へと買い替える男性を知っていました。レストランに行くと、ドアマンに多額のチップを渡し、自分の車を入口のすぐそばに停めさせました。一方で、より安いドッグフードやトイレットペーパーを買うために、わざわざ遠いスパーまで、その高級車を走らせるのでした。そうやって、ケチケチ小銭を節約するかと思うと、人目のつくところでは、驚くほどの使いぷりを披露するのです。
私は、ついにある日、彼が完全に自分と車を同一視していることに気づきました。「私が高級車に乗っているので、みんなは、私がお金持ちだと知るだろう。私はひとがどの人物なのだ」と考えていたのです。この男性は、数年の間は非常に豊かでしたが、その後、大きな借金を背負い、一文無しになりました。
この種の振る舞いによって、エゴは、自分が重要な人物で、かつ、本当に存在している、という実感を持つのです。エゴは、本当は、自分が一時的な、はかない存在であることを知っています。だからこそ、自分は存在する、自分が消えることは無いと、あらゆる手段を使って、自分に思い込ませようとするのです。
たとえば、ある人の会社が倒産し、持ち物すべて失ったとき、解決法として自殺を考えるとしたら、その人は、〈持つ〉ものと自分を同一視していたのです。
自分と仕事を同一視している人を見分けるのはとても簡単です。そういう人は、人に会うたびに、聞かれもしないのに、自分がどんな仕事をしているかを話し始めるのです。「私は実は医者なんですよ」「私はエンジニアです」、「私は物書きです」、「私はある大きな会社の社長をしております」などなど。
ほかの人が、認めてくれたり、誉めてくれたりすれば、もう本当に大喜びです。もし、自分の仕事や地位ゆえに、何らかの特権を得ることが出来たとしたら、幸福ではちきれそうになるでしょう。それは、まさしく、エゴが膨れ上がっている様子を示しているのです。
ある女性たちは、夫の仕事や家族のステータスに自己同一化しています。「私は、〇〇博士の妻でございます」、「このあいだのオリンピックで金メダルを取った水泳選手をご存知でしょうか? 私は、あの〇〇の姉なんですよ」
あなたや、あなたのまわりにいる人たちが、自分の財産や親族などについて語るとき、「私の〜」と言うことで、自分を偉く見せようとすることがよくあるでしょう。たとえば、次のような。
・【こんにちは、リズ。私の夫を紹介します】(この時、私は、心の中で笑いながら、男性に対して、「こんにちは、私の夫」と挨拶したのでした)
・【私のお金、私の宝石、私の口座‥‥】
・【私の新車にキズつけたのはいったい誰?】(この場合、私の車にキズをつけたのは誰、と言えばすむことです)
・あなたはバスを待っています。すると、誰かがあなたの前に割り込んできました。あなたは、多分こう言うでしょう。【そこは私の場所ですよ】
・あるご夫人が、自分の夫にぴったりと寄り添って歩いていますが、その視線は、まわりの女性たちにこう言っているのです。【ほら見て、これが私の夫よ、素敵な男性でしょう。私の愛する人を取らないでね! 私のものだから】(男性たちも、これと同じことをします)
エゴが〈嫉妬〉として現れることもあります。あなたの持っているものを奪おうとする人がいると、あなたは猛烈に嫉妬するのです。あなたは何を失うと思っているのです。その場合、あなたは完全にエゴに支配されていることを忘れてはなりません。
自分の〈する〉ことに自己同一化している人は、他人の批判をなかなか受け入れることが出来ません。その場合、自分の存在それ自体が批判されていると受け取ってしまうのです。相手が批判しているのは、その人の〈したこと〉にすぎないのに。
次に、エゴがどのように批判を受け取るかかという例をあげておきましよう。
・君が作ったこの新しい料理は、あまりおいしくないね。【ええ、どうせ私はだめな料理人ですよ!】
・あの子のお母さんは、あの子をあまり叱らない。【あ―あ、私は本当にだめな母親だわ】
・あの子の父親は、時間を作ってあの子とよく遊んでいる。【ああ、僕は父親として失格だな】
・君は、これで、同じ失敗を三度したね。いったい何度失敗したら、失敗しなくなるの?【まったく、私ってどうしょうもない人間なんだから】
私自身も、ETCの講師たちみ、講演会やセミナーのあとで、時々、ある種のコメントを受けとります。「あなたの講演は長すぎる」、「解決法が具体的に示されなかった」、「実践のための時間が短すぎる」、「尻切れトンボで、結論が分からない」、「質問したくて手を上げたのに、当ててくれなかった」などなど。
そして、これらの人々が批判しているのは、私たちの教え方のごく一部にすぎない、ということを忘れると、エゴが優勢になって次のように考えます。「私は講師として、全然ダメなんだわ」、「みんな嫌われた」、「もしかすると、職も失うかも・・‥」。
一方で、私たちは、受講者に、今度のセミナーを続けた方が良いところ、改めた方が良い所も尋ねます。そして、その結果を見ると、すべての人の期待に沿うことは、とうてい不可能であることがわかるのです。
これは、人生のあらゆる領域に当てはまるでしょう。批判されると。エゴは、私たちがやった良いことや、ほかの人から受けたほめ言葉を、すべて忘れさせてくるのです。
あなたのエゴが、どんな方法を使ってほめ言葉を得ようとしているのか、あなたは知っていますか?
エゴは、認められること、誉められることが大好きです。
それらを得るためだったら、どんな方法でも使うでしょう。そんなふうにしてエゴは、自分が存在する、自分は重要である、と感じたいのです。エゴは、自分が無敵だと思い込んでいます。
その例をいくつか挙げてみましよう。
・相手が求めもしないのに、自分が今日どんなことをしたのか、全部あらいざらい話す。
・みんなから注目されるために、化粧を入念に行行ない、洋服を注意深く選ぶ。
・相手を言い負かすために、あらゆる知識を得ようとする。相手より自分の方が物知りだと思いたがる。
・過去にやった「すごいこと」を自慢する。
・自分の弱さを口に出したり、自分を卑下したりして見せる。相手から、「いや、あなたは、自分が思っているよりもずっと素晴らしい人だし、ずっと素晴らしいことをしているよ」と言ってもらいたいためである。
・相手が聞こうともしないのに、自分の買ったものがどれくらい高かったかを言う。
・自分の子供や孫たちが、もっと頻繁に自分の所に来ることを求める。自分がしたことに対して、感謝を示してもらいたいからである。
・レストランで食事をすると、お金があまりないのに、みんなにおごりたがる。
・同じレストランや、同じホテルに繰り返し行きたがる。従業員に覚えてもらいたいからである。彼らからあなたを覚えていて、特別扱いをしてくれること、自尊心が大いにくすぐられる。
あなたは、ほめ言葉など欲しいと思ったことは無い、誉められるとかえって居心地が悪い、と思うかもしれません。実際、誰かからほめられると、自分は損な人間ではない、とあなたは言うかもしれません。たとえば次の会話のように。
「この計画を実行できたのは、あなたに行動力があったからですね?」
「いやいや、そんなことはないです。私が一人でやったわけではありませんから。みなさんに助けていただいたおかげです。それに、あなたが思うほど、私には行動力はありませんよ」
なぜこのような答え方をするかと言えば、それは、あなたがもっとほかの誉め言葉を望んでいるからなのです。あなたは、自分がそれに価すると思っているのです。
もしそうでないとしたら、あなたはただ、次のように答えるはずです。「ほめていただいて、ありがとうございます」