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 ピンクバラエゴは大げさな言葉を使う

本表紙
リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳

あなたが大げさな言葉を使うときには、エゴがもっと認められたいと思っている時です。エゴは誇張された大げさな言葉を使うのが大好きです。「いつも」とか「決して」、「絶対」など、あらゆる形の誇張表現を使うのです。それらを以下にあげてみましょう。

・私は決して デザートを食べない。

・あなたは、いつも遅れるね。

・僕は絶対に怖がらない。

・あなたは本当に何も理解していないのね、私はいつも同じことを繰り返さなければならない。

・私の息子は、いつも嘘をつく。

・残業をするのはいつも私なんだから。

・あなたは絶対、私に話しかけてくれない。仕事から帰ると、いつもテレビを見てばっかり。

あなたは、自分が〈所有すもの〉ではありません。財産、お金、才能、地位などは
 あなたではないのです。また、あなたは、自分が〈すること〉ではありません。
 つまり、あなたは、仕事、育児、家事、などではないのです。

 数年前、私は、高級車を次から次へと買い替える男性を知っていました。レストランに行くと、ドアマンに多額のチップを渡し、自分の車を入口のすぐそばに停めさせました。一方で、より安いドッグフードやトイレットペーパーを買うために、わざわざ遠いスパーまで、その高級車を走らせるのでした。そうやって、ケチケチ小銭を節約するかと思うと、人目のつくところでは、驚くほどの使いぷりを披露するのです。

 私は、ついにある日、彼が完全に自分と車を同一視していることに気づきました。「私が高級車に乗っているので、みんなは、私がお金持ちだと知るだろう。私はひとがどの人物なのだ」と考えていたのです。この男性は、数年の間は非常に豊かでしたが、その後、大きな借金を背負い、一文無しになりました。

 この種の振る舞いによって、エゴは、自分が重要な人物で、かつ、本当に存在している、という実感を持つのです。エゴは、本当は、自分が一時的な、はかない存在であることを知っています。だからこそ、自分は存在する、自分が消えることは無いと、あらゆる手段を使って、自分に思い込ませようとするのです。

 たとえば、ある人の会社が倒産し、持ち物すべて失ったとき、解決法として自殺を考えるとしたら、その人は、〈持つ〉ものと自分を同一視していたのです。
 自分と仕事を同一視している人を見分けるのはとても簡単です。そういう人は、人に会うたびに、聞かれもしないのに、自分がどんな仕事をしているかを話し始めるのです。「私は実は医者なんですよ」「私はエンジニアです」、「私は物書きです」、「私はある大きな会社の社長をしております」などなど。

 ほかの人が、認めてくれたり、誉めてくれたりすれば、もう本当に大喜びです。もし、自分の仕事や地位ゆえに、何らかの特権を得ることが出来たとしたら、幸福ではちきれそうになるでしょう。それは、まさしく、エゴが膨れ上がっている様子を示しているのです。

 ある女性たちは、夫の仕事や家族のステータスに自己同一化しています。「私は、〇〇博士の妻でございます」、「このあいだのオリンピックで金メダルを取った水泳選手をご存知でしょうか? 私は、あの〇〇の姉なんですよ」
 あなたや、あなたのまわりにいる人たちが、自分の財産や親族などについて語るとき、「私の〜」と言うことで、自分を偉く見せようとすることがよくあるでしょう。たとえば、次のような。

・【こんにちは、リズ。私の夫を紹介します】(この時、私は、心の中で笑いながら、男性に対して、「こんにちは、私の夫」と挨拶したのでした)

・【私のお金、私の宝石、私の口座‥‥】

・【私の新車にキズつけたのはいったい誰?】(この場合、私の車にキズをつけたのは誰、と言えばすむことです)

・あなたはバスを待っています。すると、誰かがあなたの前に割り込んできました。あなたは、多分こう言うでしょう。【そこは私の場所ですよ】

・あるご夫人が、自分の夫にぴったりと寄り添って歩いていますが、その視線は、まわりの女性たちにこう言っているのです。【ほら見て、これが私の夫よ、素敵な男性でしょう。私の愛する人を取らないでね! 私のものだから】(男性たちも、これと同じことをします)

 エゴが〈嫉妬〉として現れることもあります。あなたの持っているものを奪おうとする人がいると、あなたは猛烈に嫉妬するのです。あなたは何を失うと思っているのです。その場合、あなたは完全にエゴに支配されていることを忘れてはなりません。

 自分の〈する〉ことに自己同一化している人は、他人の批判をなかなか受け入れることが出来ません。その場合、自分の存在それ自体が批判されていると受け取ってしまうのです。相手が批判しているのは、その人の〈したこと〉にすぎないのに。
 次に、エゴがどのように批判を受け取るかかという例をあげておきましよう。

・君が作ったこの新しい料理は、あまりおいしくないね。【ええ、どうせ私はだめな料理人ですよ!】

・あの子のお母さんは、あの子をあまり叱らない。【あ―あ、私は本当にだめな母親だわ】

・あの子の父親は、時間を作ってあの子とよく遊んでいる。【ああ、僕は父親として失格だな】

・君は、これで、同じ失敗を三度したね。いったい何度失敗したら、失敗しなくなるの?【まったく、私ってどうしょうもない人間なんだから】

 私自身も、ETCの講師たちみ、講演会やセミナーのあとで、時々、ある種のコメントを受けとります。「あなたの講演は長すぎる」、「解決法が具体的に示されなかった」、「実践のための時間が短すぎる」、「尻切れトンボで、結論が分からない」、「質問したくて手を上げたのに、当ててくれなかった」などなど。

 そして、これらの人々が批判しているのは、私たちの教え方のごく一部にすぎない、ということを忘れると、エゴが優勢になって次のように考えます。「私は講師として、全然ダメなんだわ」、「みんな嫌われた」、「もしかすると、職も失うかも・・‥」。

 一方で、私たちは、受講者に、今度のセミナーを続けた方が良いところ、改めた方が良い所も尋ねます。そして、その結果を見ると、すべての人の期待に沿うことは、とうてい不可能であることがわかるのです。

 これは、人生のあらゆる領域に当てはまるでしょう。批判されると。エゴは、私たちがやった良いことや、ほかの人から受けたほめ言葉を、すべて忘れさせてくるのです。

エゴは誉め言葉が大好き

あなたのエゴが、どんな方法を使ってほめ言葉を得ようとしているのか、あなたは知っていますか?
エゴは、認められること、誉められることが大好きです。
 それらを得るためだったら、どんな方法でも使うでしょう。そんなふうにしてエゴは、自分が存在する、自分は重要である、と感じたいのです。エゴは、自分が無敵だと思い込んでいます。

 その例をいくつか挙げてみましよう。
・相手が求めもしないのに、自分が今日どんなことをしたのか、全部あらいざらい話す。

・みんなから注目されるために、化粧を入念に行行ない、洋服を注意深く選ぶ。

・相手を言い負かすために、あらゆる知識を得ようとする。相手より自分の方が物知りだと思いたがる。

・過去にやった「すごいこと」を自慢する。

・自分の弱さを口に出したり、自分を卑下したりして見せる。相手から、「いや、あなたは、自分が思っているよりもずっと素晴らしい人だし、ずっと素晴らしいことをしているよ」と言ってもらいたいためである。

・相手が聞こうともしないのに、自分の買ったものがどれくらい高かったかを言う。

・自分の子供や孫たちが、もっと頻繁に自分の所に来ることを求める。自分がしたことに対して、感謝を示してもらいたいからである。

・レストランで食事をすると、お金があまりないのに、みんなにおごりたがる。

・同じレストランや、同じホテルに繰り返し行きたがる。従業員に覚えてもらいたいからである。彼らからあなたを覚えていて、特別扱いをしてくれること、自尊心が大いにくすぐられる。

 あなたは、ほめ言葉など欲しいと思ったことは無い、誉められるとかえって居心地が悪い、と思うかもしれません。実際、誰かからほめられると、自分は損な人間ではない、とあなたは言うかもしれません。たとえば次の会話のように。

「この計画を実行できたのは、あなたに行動力があったからですね?」
「いやいや、そんなことはないです。私が一人でやったわけではありませんから。みなさんに助けていただいたおかげです。それに、あなたが思うほど、私には行動力はありませんよ」
 なぜこのような答え方をするかと言えば、それは、あなたがもっとほかの誉め言葉を望んでいるからなのです。あなたは、自分がそれに価すると思っているのです。
 もしそうでないとしたら、あなたはただ、次のように答えるはずです。「ほめていただいて、ありがとうございます」

エゴは人の話を聞かない

エゴのもう一つの特徴を示す例を次にあげておきましよう。そう、エゴは人の話を聞こうとしないのです。エゴは、相手を無視して一気に結論に飛んだり、誰かがほかの人に話している時にその話を取ったり、相手の話を遮って自分の事を話し始めたりします。

・誰かが、あなたの妹に、何時間くらい寝るとか尋ねる。妹が答えようとすると、あなたはその話を取って、こう言う。【私は七時間くらい寝るわよ】

・友人があなたに自分の問題について話している。友人は、ただそれを、あなたに聞いてもらいたいだけなのに、あなたは相手がアドバイスを求めていると思い込んで、ああしなさい、こうしなさいと忠告する。【私には、あなたがどうすればいいか分かります。あなたはこうすべき、ああすべきなんです。ぜひ私の忠告通りに実行してごらんなさい。私には確信があるけれど、そうすれば絶対うまくいきますよ】

・あるいは、右の場合、相手の話を遮ってこう言う。【ああ、それなら、私にも去年、同じことが起こりましたよ、そこで、私はこうしました、ああしました。それで私はうまくいったのですから、あなたも私と同じようにすればうまくいきますよ】

・ETCでの講師たちの会議で、ある講師が、手を上げて、ワークショップ中に思いついた新しいアイディアを紹介し始める。すると、別の講師が、その話を取って、次のように話し始める。【私はそれを別なやり方で、すでにやっています。そっちの方が上手くいくと私は思いますよ】そして、どんな風にそれをやっているかを、微に入り細にわたった説明し始める。

エゴは自己正当化や自己防衛をよく行う

 私たちは、不利な状況に置かれたとき、90%の割合で自己防衛を行います。
エゴは、あらゆることに対し、また、あらゆる人に対して、
 自己防衛を行わなければならないと考えています。
 悪いのはいつも他人なのです。
 エゴは、自分以外の〈犯人〉を必ず探し出します。

・私は、外国の空港で、税関を通過するための列に並んでいる。30分ほど待っているとき、自分が間違って「居住者」の列に並んでいることに気づく。【なんてことでしょう! どうして私がこんな目にあうの? 表示がしっかりしていれば、私はこんな列に並ばなくてすんだのに!】

・遅刻しそうになった時、あなたは着く前から、自己正当化の理由を考えるはずである。自分は悪くないと主張するために、?の理由を考え出すかもしれない。どの嘘もエゴからきており、その背後には無意識の恐れが潜んでいる。

・あなたは、自国の経済状況について、友人たちと議論している。あなたの意見に賛成しない。そこであなたは、あれこれ理由をあげて、自分の意見が正しいことを説明しようとする。だが、あなた自身は、あなたの〈意見〉ではない。そう思っているのは、エゴにほかならない。

・【私はもう、男性が信じられない。三回結婚したけど、私は三回とも裏切られた。私がまた、一人きりになったのは、絶対に彼らのせいなのよ】

・【両親が私をしっかり教育してくれていれば、現在のように、私が山のような問題を抱え込むことはなかったのに】

・【もし、お前に魅力があって、お前ともっとセックスしたいと思わせてくれれば、俺は絶対に浮気なんかしなかったんだ】

 批判された時、欠点を指摘された時、意見を疑問視された時、忠告された時などにも、私たちは自己防衛に走ります。本当はそうではないのに、私たちは〈攻撃された〉と思い込むのです。

・私は、スーパーに買い物に行ってくれるよう、夫に頼む。夫が買い物から帰って来ると、私は次のように言う。「しまった! リストに玉ねぎを加えるのを忘れたわ」すると、とたんに夫のエゴが優勢になり、私の言ったことをちゃんと聞かずに、こう答える、【僕が悪いんじゃないからな。君が玉ねぎを欲しがっているなんて、僕は思いもよらなかったんだ】

・夫婦が友人宅での夕食から帰る。夫が妻に、今日の夕食はとてもよかった、特にデザートに出たリンゴのタルトはおいしかった、と言う。すると、妻は〈反応〉してこう答える。【何よ、彼女の方が私よりタルトを作るのが上手だって言うの!?】

・あなたは夫と映画館から出てきたところである。この映画を一緒に観ようとあなたはが言ったので見たのだが、夫は「面白くなかった」と言う。【なんで私と違う意見を言うの? わざと私と違うことを言っているみたい。私には、この映画は面白かったわよ。あなたの趣味が悪いんだわ】

エゴは「いまここ」にいることができない
 過去のことを後悔し、それについて考えたり話したりする時、あるいは、今よりも将来の方がよくなるだろうと考える時、または、将来のことを心配する時、あなたは、「いまここ」にはいません。つまり、あなたのハートの中にいないのです。エゴは、過去に起こったこと、または未来に起こるであろうことによって、自分を価値付けようとします。たとえば次の例のように。

・【若い時の俺のようにエネルギーに溢れていれば、もっと俺の人生はよいものになっただろう?】

・【俺が失業さえしていなければ、俺の人生は今とは全く違っていただろう】

・【僕が医者の資格を取るまで待ってくれないかな。そうすれば、僕はお金も稼げるし、僕たちの人生は、きっと素晴らしいものになろう】

・【バカンスさえ取れれば、私は休めるのに、私がゆっくり休めさえすれば、そのあと、私の仕事だってきっと上手くいくはず】

・【年とともに自信を失うのは、なんて残念なことだろう! 僕がもっと若ければ、何ものも僕を止めることはできなかっただろうに。なにしろ、僕は、自信と勇気に満ち溢れていたのだから】

・【私が理想の体重になれば、絶対に、私は未来の伴侶を得られるはず】

・【ああ、退職したいわ。そうすれば、私のニーズを聞いてあげられる】
 エゴは、過去に生きており、私たちを苦しめた過去の出来事を、私たちに忘れさせないようにします。

私たちの傷の原因となった出来事を、エゴは後生大事に抱え込んでいます。
 それらの出来事が重みを増せば増すほど、自分が確かに存在ると思えるからです。

 エゴによれば、私たちの苦しみは、いつも他者によって引き起こされることになっています。そして、エゴは、私たちがそれらの辛い出来事を何時までも忘れないように仕向けるのです。しかし、それは〈エゴの見方〉でしかありません。
 エゴは、常に、私たちを〈犠牲者〉に仕立て上げます。しかし、過去の映画を頭の中で上映し続ければ、私たちはそれらの出来事によって、ますます傷つくことになるのです。どれほど多くの人たちが、事故や戦争によって、過酷な体験をしていることでしょう。でも、中には、より力強く、より勇敢になって、それらから抜け出した人たちもいるはずです。そういう人たちによれば、あらゆる経験は、自分が創りだしたものであり、自分で引き寄せたものなのです。こうした〈責任〉の考え方については、のちほど、もう一度触れるつもりでいます。

エゴは〈善・悪〉の考え方によって自分を存続させる

「これは〈善〉か〈悪〉か?」と考えるたびに、あなたはエゴの罠にはまっています。エゴによれば、あなたが過去に学んだ基準によって〈善〉を行なう時に、エゴは重要感を得て、自分が確かに存在すると思えるのです。

 エゴが〈悪〉だと考えることをあなたがするたびに、エゴは重要感を失い、したがって、その存在価値を失います。エゴが最善だと思っていることをあなたが無視すると、エゴは自分が重要であると感じることが出来ません。エゴが信じているのとは別のことを、あなたが必要とするのは、エゴにとって、とうてい受け入れがたいことなのです。だからこそ、私たちは、全員が、〈罪悪感〉の中で生き続けているわけです。

罪悪感を持てば持つほど、あなたは
 エゴの手中に落ちていることになります。

 自分のセンターにいる時、あなたは〈善〉か〈悪〉かということをまったく気にしていません。あなたは経験をただ経験として十全に生きているだけなのです。あなたは学ぶためにその経験をしているのですが、エゴがそれを理解することができません。しかし、センターにいる時、価値判断はなく、あなたはただ〈観察〉しているだけです。
 それでは、以下に、善・悪の判断を含む例を挙げてみましょう。

・【私はまた、子どもたちに対して苛立ってしまった! いったい、いつになったら、私は寛大になれるのだろう?】

・【私は、ケーキを二つも食べるべきではなかった! いったい、いつになったら、私は意志の強い人間になれるのだろう?】

・【私はまだ洗濯を終えていない。私の夫がそのことに気づかないといいのだけれど、そもそも、夫は、私にどれくらいたくさんやるべきことがあるのか。全然分かっていないのよ。私に何も言わない時でも、夫は、私を怠け者と見ている。この家では、私がだめだから、何もかもが完全ではない、と夫は考えているのだわ】
 つづく エゴは比較することが大好き