リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳
〈マゾヒスト〉がもつ〈自由〉への恐れ
〈マゾヒスト〉は、
感覚的、官能的な喜びを自由に与えようとするとき、あるいは与えたいと望むとき、大きな恐れを持つでしょう。
人の邪(よこしま)な欲望を恥ずかしいと感じ、みんなが、特に、神さまが、自分を裁いていると感じるのです。
そんな時、カンタは直ちにこう言うでしょう。「ほかの人たちのニーズを満たしなさい。あなた自身のニーズなど無視するのです。ほかの人たちの責任をすべて引き受けなさい」などなど。
こうして、〈マゾヒスト〉は、自分の自由を抑圧するのです。
あなたはこうした恐れを感じないかもしれません。と言うのも、ほかの人たちを助けるかどうかは、自分で自由に決めていると思い込んでいるからなのです。あなたは、それが本当かどうかを確かめもせずに、他人を助けるのは自分の喜びである、と考えています。身近な人たちには、あなたに、ほとんど自由がないことがよく見えています。というのも、あなたは、自分自身のニーズを聞かずに、他の人たちの事ばかり、かまけているからなのです。
〈侮辱による傷〉が癒されると、恐れに襲われて支配される代わりに、〈拒絶による傷〉のところで述べた段階を、素早く通過することが出来るようになるでしょう。
その結果、自分に対して、感覚的、可能的な喜びを許すことが出来るようになります。
〈操作する人〉がもつ〈分離〉への恐れ
別離、あるいは仲たがいの危険のある時に、〈操作する人〉は分離への恐れを持ちます。強い人間は、何か、または誰かを手放すべきではない、と考えているからです。〈操作する人〉は、異性のニーズをよく知っていると思っており、それらの人たちが、自分を正しいと認めないとしたら、それは、その人たちが自分を愛していないからだと考えるのです。
そのために、別離が引き起こされる可能性があります。そんな時、〈操作する人〉は、コントロールを失う恐れを感じるでしょう。
さらに、弱い人間だから裁かれるのではないかという恐れ、他人が自分に対する信頼をなくすのではないかという恐れを感じるのです。
そういう場合、カンタは、まず、「他者に対するコントロールを失わないために、とにかく何でもいいからできることをしなさい。もし可能なら嘘をついてもいいし、自分を守る為なら相手を攻撃してもいい」と、そそのかしてくるでしょう。
そして、「あなたは、短気であっていいし、権威的、懐疑的であってもいい、なぜなら、あなたの苦しみを引き起こしたのは相手なのだから」と言って、あなたを納得させるでしょう。そこで、あなたは、自分は何に対しても、また、誰に対しても恐れを持たない、自分は信頼できる人間である、という印象を相手に与えようと躍起になるのです。
あなたは、そうした恐れ持っていることを
意識化できません。あなたは、いちじるしく権威的、操作的であるために、
口論、ケンカの原因は常に相手にあり、だからこそ別離が生じるのだ、と思い込んでいます。
長期にわたる別離が起こりそうなとき、〈操作する人〉は、別離の恐れを感じないようにするために、最初に別離を望んだのは自分であるにもかかわらず
、相手がそう仕向けたように状況を持って行こうとするでしょう。
〈裏切りによる傷〉が癒されると、恐れに襲われて支配される代わりに、〈逃避する人〉のところで述べた段階を、素早く通過することが出来るようになるでしょう。通過することが出来るようになるでしょう。
そして、自分が傷つきやすいことを受け入れることが出来るようになるのです。
〈頑固な人〉がもつ〈冷たいと見られること〉への恐れ
〈頑固な人〉は、批判されたと感じた時、また、自分の欠点を同性の人から指摘されたとき、さらに、自分の欠点に自分で気づいたとき、冷酷さへの恐れを感じます。この時のカンタの最初の反応は次のようなものです。「あなたは不完全です。行動の仕方がまずかった。
こうすべきではなかった。ああすべきではなかった」などなと。
続いて、カンタは、あなたが、自分の行動を正当化するための言い訳を考えるのを手伝ってくれるでしょう。そして、将来、もそのように振る舞わない、とあなたに約束させるのです。
あなたは、他人の目に、完全で優しい人間である映るように、あらゆる努力をするでしょう。特に、自分の気持ちを隠すようにします。
〈頑固な人〉として、あなたは冷たさに対する恐れを持っていることを認めることが出来ないでしょう。なぜなら、あなたは自分を、温かく、愛想がよく、優しい人間だと考えているからです。さらに、あなたは自分を上手にコントロールし、自分の怒りをうまく隠しているので、他の人たちがあなたを冷たい人間だと考えることなどありえないと、と思っています。あなたが微笑むとき、また、すべてが上手く行っていると言うとき、あなたの目と身体があなたを裏切っていることに、あなたは気づきません。
自分が冷たいと思われること、他人に対して関心がないと思われることを、あなたがどれほど恐れているかを確かめるには、他者に対して優しくなかったときに、あなたがどれほど自分を責めるかを思い出すとき、その人に対して自分が充分に温かくなかったことを自覚すると、あなたは自分を責めて、相手から裁かれることを恐れるでしょう。
〈不正による傷〉が癒されると、恐れに襲われ、支配される代わりに、〈逃避する人〉のところで述べた段階を、素早く通過することが出来るでしょう。
そして、自分の感じやすさを相手に開示できるようになり、限界を持っていることを自分に許すことが出来るようになるでしょう。
それぞれの傷に関する主な〈恐れ〉についての説明を、そろそろ終わりにしたいと思いますが、ここで、もう一度、あなたに、〈人生の三角形〉を思い出していただきたいのです。
〈人生の三角形〉によれば、あなたが他者に対する自分の態度に恐れを抱く場合、あなたは、他者があなたに対してそういう態度を示すことを恐れています。また、自分自身に対してそういう態度を示すことを恐れているのです。
あなたがこのことを本当に理解して、自分がこれら三種類の恐れを持っていることを受け入れた時に、あなたは、その恐れが大いに緩和されることを自覚するでしょう。
つづく
あなたの〈本来の状態〉に戻る