リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳
仮面に支配されることなく傷を観察するには
私たちは、いつか、まったく傷を持たなくなる時がくるのでしょうか? 私は、傷を一つも持っていない人を見たことはありません。人生において、拒絶、見捨て、侮辱、裏切り、そして不正を経験するのは、きわめて当たり前、かつ人間的なことです。ある傷が治ったということは、あなたが感じる痛みが人生を支配しなくなった、と言うことを意味するだけです。
たとえば、相手の言葉があなたに拒絶を感じさせ、なおかつ、あなたが、これはきわめて人間的なことなのだ、と思いながら、〈拒絶による傷〉を観察できるようになるかもしれません。いつか、あなたが自分を無条件に受け入れて、愛することが出来るようになれば、他の人たちから傷つけられたと感じることは無くなるでしょう。あなたが、状況や他人をどう認知するか、ということが変わったのです。
ここで、次のような疑問が心に浮かんだかもしれません。「傷ついたことを静かに観察しながら、なおかつ、その傷によって苦しまない、ということがやがてかのうになるのだろうか?」
第四章において、私は、完全な受容が、傷を癒すための最も重要な、最初のステップになるのだろう、と述べました。ただし、自分自身を受け入れる前に、エゴの良き意図と、ほとんど恒常的なエゴの割り込みを、そのまま受け入れなければなりません。特に、私たち自身がエゴの口出しを許していることを認める必要があるのです。
受容は、従って、私たちが自分の責任を引き受けたときに、初めて可能となります。あらゆる本でそうしているように、この本でも、私は〈責任〉の定義を繰り返し言っておきましょう。というのも、エゴは、常に、この霊的な定義を拒絶するからです。あなたは、何度も読み、何度も聞かないと、その定義を自分の内に統合することが出来ないでしょう。
責任を取るとは、私たちが自分自身の人生を絶えず創っており、
私たちの決心、行動、反応が引き起こすあらゆる結果を、私たちは引き受けなければならない、ということです。さらに、身近な人たちにあっても、それは同様であり、従って、その人たちの決心、行動、反応が引き起こす結果を、私たちが引き受ける必要はない、ということです。
前の章に置いて述べられている三つの段階を、どの傷が活性化されているかに気づくために、あなたが実践するとき、あなたは責任を取っているのです。そのようにして、あなたは、苦しみを作り出しているのは、状況や相手ではなく、それらに対するエゴの解釈と反応なのである、ということを理解するでしょう。エゴが、あなたのために持つ恐れが、あなたの認知、反応を歪めている、ということを認めるのです。次のことを確認しておきましょう。
・ある傷が活性化すると、私たちは苦しみを感じる。
・すると、私たちは、ただちに仮面をつける。そうすれば、傷の痛みが少なくなると思うからである。
・そのような仮面をつけるという反応的な振る舞いが、私たちの内に、また私たちの周りに、多くの不快を作り出す、ということがエゴには分からない。
・癒しのスイッチを入れるには、そんな時、私たちは自分自身ではなくなっている、ということに気づかなければならない。
・次に、傷を持っているのは自然かつ人間的なことである、と自覚しながら、活性化された傷を静かに観察することが大切である。
・それから、カンタに話しかけ、私たちを助けてくれたことに感謝し、これからは自分のやりたようにするつもりだ、告げる。
・私たちは、反応的な振る舞いをきっぱりやめ、ハートが平和に満たされるのを感じる。
この、〈観察の段階〉に達するには、完全な自己受容と、責任の引き受けが必要となります。そのときに、カンタに話しかけることが容易になり、自分の傷を冷静に観察することが出来るようになるでしょう。ここで、あらためて確認しておきますが、カンタという言葉を読むたびに、それを、あなたが自分のエゴにつけた名前に置き換えてください。
ここまで本書を読んできて、自分が実にしばしばエゴに支配されていること、次から次へと仮面を付け替えていることを意識化できたと思います。とはいえ、それぞれの傷の活性化の程度は、まったく同じということではありません。
裁きと非難が強ければ強いほど、苦しみと恐れもそれだけ強くなる。
ある状況、またはある人が、あなたの心をひどく乱したとき、そして、あなたが、苦しむことなく傷を観察したいと願うとき、あなたが必要とするのは、〈真の許し〉です。それをこの章では説明しましょう。カンタにどのように話をすべきかを説明する前に、これまで取り上げてきたことをいくつかの例を再び見ておきましょう。
・彼女、凄く太ったよね。家に鏡がないのかしらね? 【私は絶対、あんなふうにはならない。私は彼女より意志が強いから】
・彼女はしゃべってばかりいる。まるで独演会だわ。ほかの人たちも喋りたいのが分らないのかしら?【私はもっと控えめだし、ほかの人たちの気持ちを大切にするわ】
・なんだ、前の車は? 強引に割り込んできやがって。免許を持っているのか。【俺の方がはるかに運転はうまい。俺は絶対に割り込みはしないしな】
・かわいそうに、彼女は問題を抱え込んで、しかも標的にされてばかり。【私は思うままに人生を生きている。しかも私は、彼女みたいに、「自分」の問題で人の関心を引く必要はない。世田氏は彼女のように、他人を利用しないわ】
あなたがもし、これと似たような反応をしているとしたら、あなたは、批判している相手のようになるまいとして、自分をコントロールしているのです。あなた自身が、自分を受け入れず、自分を卑販しています。次に、他の人たちからの非難の例をあげましょう。
・君が作ったこの新しい料理は、あまりおいしくないね。【ええ、どうせ私はダメな料理人ですよ!】
・あの子のお母さんは、あの子をあまり叱らない。【あ―あ、私は本当にダメな母親だわ】
・あの子の父親は、時間を作ってあの子とよく遊んでいる。【ああ、僕は父親として失格だな】
・君は、これで、同じ失敗を三度したね、いったい何度失敗したら、失敗しなくなるの? 【まったく、私って、どうしようもない人間なんだから】
では、最後に、自分自身に対する批判の例をあげてみましょう。
・【私はまた、子どもたちに対して苛立ってしまった! いったい、いつになったら、私は寛大になれるのだろう?】
・【私は、ケーキを二つも食べるべきではなかった! いつたい、いつになったら、私は意志の強い人間になれるんだろう?】
・【どうして私は、妹みたいにきれいではないのかしら? こんなのは絶対におかしい】
あげた例と似た状況において、もし、非難や裁きがそれほど長く続かないようなら、また、あなたがそれらをすぐ忘れるようなら、傷はそれほど活性化されていないということです。その場合には、カンタに対して次のように言えばいいでしょう。
「おや、また来たね、カンタ。あなたなりのやり方で、私を助けようとしてくれているんだよね。私がすべてにおいて完全であることを、あなたは望んでいるのは知っています。私が完全でない場合、私が苦しむのを何とか避けさせようとするのも知っています。でもね、いま、私は、たとえどんな結果であれ、それを引き受ける用意が出来ているの、強さも弱さも共に持っている人間であることを認めてあげたいの。これまで助けてくれて本当に感謝しています。でも、もう休んでいいわ。休暇を上げます。これからは、決定は私自身が行うから、あなたは静かにみていてね」
数週間のあいだ、こうしたことを実践し続ければ、カンタは徐々にあなたのやることを受け入れて、それほどしつこくやって来なくなるでしょう。介入してくる時間も短くなるはずです。
カンタとの会話で最も大切なのは、あなたがカンタを受け入れることを、カンタにしっかり感じ取れるようにすることです。カンタがあなたに恐れを抱かせても大丈夫なのです。また。カンタがあなたのニーズを理解しなくても気にしないことです。あなたが、カンタの〈良き意図〉を本当に評価していることが大事なのです。
つづく
許しのための七つのステップ
エゴに支配された夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致となる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与し。避妊方法とし用いても優れた特許取得ソフトノーブルは夫婦生活での性の不一致を改善し、セックスレス及びセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。