〈マゾヒストの仮面〉を持つ人の肉体的特徴は、その〈丸さ〉にあると言えるでしょう。この人が太ると、ますますその丸さが目立つようになります。深刻な〈侮辱による傷〉を持っている人は、若い頃から、かなり太っています。こういう人たちは、自分が望むときに、自分に対して感受性が鋭いことを許している、と考えています。かなり挑発的で誘惑的に服装をしますし、たくさん食べますし、自分を愛している、自分の体重を受け入れている。セックスの面でもとても活発だと主張するのです。でも、心の奥底では、自分が物質面を愛し過ぎていることに罪悪感を持っており、特に、神に対して罪悪感を持っているはずです。
だかこそ、〈侮辱による傷〉は、自分との関係で活発化するのです。たとえば、誰かが、この傷を持つ人に対して、服装の面、食事の面、体重の面に関して、普通の人なら不愉快になるような指摘をしたとしましょう、その場合でも、この人は、相手を怨むということはしません。むしろ、相手の言うことを認めて、顔を赤らめたり、自分をさげすんだり、責めたりするのです。このようなに、自分に対して下す評価が、恥の感覚に基づいているのです。
もしこの人が、相手を責めたとしたら、それは、ほかの傷が同時に活性化されている場合です。〈不正による傷〉が活性化されれば、その人は、自己正当化を図って、相手が悪いと思うでしょう。でも、決してそれを相手には言いません。
活性化されたのが〈裏切りによる傷〉だった場合、この人は相手にこう言うでしょう。「なによ、それじゃあ、あなたは完璧だと言うの?」こうして、相手の不完全さを強調するのです。
〈見捨てによる傷〉が活性化した場合、その人は、泣いたり、心の中で嘆いたりするでしょう。
〈拒絶による傷〉が活性化すれば、自分は何も聞かなかった、何も影響を受けていない、という振りをするか、黙ってその場を離れるでしょう。
〈侮辱による傷〉を持つ人にとっていちばん重要なのは、至高の力を持つ神との関係です。こういう人は、本質的に霊的であり、自分が神に価すると人間であることを望むでしょう。神がいつも自分を監視していると感じています。何をしても、何を考えても、自分が常に見張られていると感じるのです。しかも、自分は充分に霊的でない、と感じています。
ここで指摘しておきますが、こうした神との関係は、宗教とは全く関係ありません。むしろ、宗教の実践者ではない人たちが多いのです。神の権威に対する恐れは、過去世において解決されなかった問題に由来しています。
もし、あなたがこうした特徴に当てはまるとしたら、あなたが〈霊的〉という言葉に与えられている定義を、ぜひとも変えるひつようがあるでしょう。常に、立派で、親切な人であろうとすると、いつのまにか傲慢な人になってしまいます。ですから、そうであろうとするのを止めた方がいいでしょう。
そして、他者にひたすら奉仕しようとすることは、必ずしも神に相応しい人間なるための道ではない、ということを悟るのです。なぜなら、神は、あなたの幸福しか願っていなからです。
あなたは〈マゾヒストの仮面〉をつけているので、他人のニーズにばかり目が入って、自分のニーズを感じ取ることが出来ないのです。自分のニーズを満たさない人は、決して幸福になることが出来ません。それが簡単なことでないことは、私もよく知っています。というのも、あなたは、奉仕した相手から賛辞に慣れ過ぎているからです。でも、奉仕された人たちは、あなたがいつ自分自身の面倒を見るのだろうと不思議に思っているはずです。
〈マゾヒストの仮面〉をつけた人は、まわりの人たちから賛辞を
たくさん受け取ります。そして、それらの賛辞を通して、
神が自分を祝福してくれている、誉めてくれていると感じるのです。
神に相応しい人間になる、というのは、エゴが仕掛けた罠です。神というのは、創造的エネルギーの別名であり、あなたを観察して、それは良い、それは悪い、と判定する〈人間〉ではありません。いわゆる善・悪の観念は人間が発明したものであって、神とは何の関係もないのです。実際には〈純粋な経験〉しかありません。あなたの〈内なる神〉は、あなたにとって必要なものを創り出す大いなる能力が、あなたに備わっているということと、また、あらわるものは神の表現であるということを、あなたに知ってもらいたいのです。
また、他の人たちにも最も必要なことを貴方が知っている、と思い込むことは、エゴを肥大させる結果にしかなりません。ほかの人を助けるのは、その人から助けてほしいと頼まれた場合だけにしましょう。そして、その場合、自分に対する愛、そして相手に対する愛から、相手を助けるようにしてください。自分のニーズを決してないがしろにしないようにしましょう。そして、その経験から学べることを大切にしてください。
つづく 〈マゾヒスト〉は自由になるのが怖いので他者に奉仕する