リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳
食生活と体重に隠されたもの
ここで食生活にふれておきましょう。〈拒絶による傷〉を持っている人は、体重を増やさないようにする傾向があります。一般に、ネガティブな感情を多く体験する人は、食事の量が多くなりがちですが、〈逃避する人〉は例外なのです。
自分に対して強い憎しみをいだいているとき、〈逃避する人〉は食べ物をそれほど取りません。自分は、食べ物を摂取するに値しない、と考えるからです。
空腹を感じることが出来ず、多くの場合、ほんの少ししか食べません。まれに食べ過ぎることがありますが、そんな場合は、アルコールと同じ作用を及ぼす――つまり、想像の世界に逃避することを容易にする――甘いものをたくさんとります。
時に食べ過ぎを許すとしても、〈逃避する人〉は太ることを禁じています。消えてしまいたいと考えているため、自分の身体を目立つようにすることはできないのです。そのため、〈拒絶による傷〉とともに〈不正による傷〉を持っている人は、食べ過ぎたときには、食べたものを吐き戻して、絶対に太らないようにするのです。
〈不正による傷〉が疼き出すと、〈頑固な人〉は自分が悪いと感じます。というのも、エゴが、「愛されるためには、美しい肉体を持っていなければならない」と言うのからです。ダイエットする人は、必ず〈不正による傷〉の影響を受けています。この傷のあると、人生のあらゆる面で、自分をコントロールしようとするのです。これらの二つの傷があると、しばしば食欲不振となり、また、いくつかの理由で吐き戻しをするようになるでしょう。
〈不正による傷〉が食生活に影響を及ぼすとき〈頑固な人〉は、自分をコントロールできなくなると、そのことが原因で必ず罪悪感を持つのです。そして、罪悪感ゆえに、かえって過食に走るわけです。しかし、体重が増えた場合でも、完璧な体を持ちたいという強い思いから、ふたたびダイエットを始めるはずです。
体重の問題に関しては、『〈からだ〉に聞いて食べなさい』の中で詳しく説明していますので、さらに興味のある方は、そちらも参照してください。
傷は必ず三つの形で活性化される
すべての傷は。三種類のやり方で活性化されることを思い出してください。第一章で説明した〈人生の三角形〉を参照すれば、あなたは次の事が理解できるでしょう。すなわち、あなたが他の人たちを拒絶するのと同じ程度に、そして、自分がほかの人から拒絶されたと感じるのと同じ程度に、あなたは自分自身を拒絶している、と言うことです。これは、五つの傷のすべてについて、等しく適用されるのです。
あなたは、たぶん、この箇所を読んでいて、心にある種の抵抗を感じたことでしょう。
というのも、ほとんどの人は、三種類の在り方のうち、一つの在り方しか自覚できないからです。それ以外の二つの在り方については、感じ取ることが難しいのです。
私は、しばしば、セミナーやワークショップの際に、次のようなコメントを耳にします、
私が自分自身を拒絶する:
「私の場合、私が他の人を拒絶するよりも、はるかに多く、自分自身を拒絶していると思います。私は、存在感がほとんどないため、ほかの人たちが私から拒絶されたと感じることは無いはずなのです。また、私が他の人から拒絶されたと感じることもほとんどありません。逆に、ほかの人たちは、私に愛を示すためにたくさんの事をしてくれていると感じています。ただ、私がそれを受け入れられないだけなのです」
ほかの人たちが私を拒絶する:
「私の場合には、ほかの人たちから拒絶されることはがほとんどです。そして、その発端は、私がまだ幼い時に、母親からひどく拒絶されるという経験をしたことでした。私は、母のように意地悪な振る舞いをしたことはありません。むしろ、まったく逆です。私は、ほかの人たちに、私がどれほど彼らを愛しているかを、常に示そうとしてきました。私が、自分自身を拒絶することもたまにありますが、母やほかの女性たちが私を拒絶してきたことに比べれば、まったく問題にならないでしょう」
私が他の人を拒絶する:
「私に関して言うと、自分自身を拒絶するよりはるかに多く、ほかの人を拒絶しています。そして、ほかの人たちはそれほど私を拒絶しません。ほかの人たちが私に気を引こうとすればするほど、私は彼らを嫌になるように思われます。自分ではどうしようもないのです。私は、まず第一に自分の事を考え、それかほかの人たちを傷つけるかどうかなんて、全然気にならないのです。それこそが、自分を愛することだと思います。とはいえ、私が人間関係をうまく築けないのは事実です。私は、自己中心的な人間として通っているからです」
エゴの影響を受けて、以上のように確信していることは、人間的であり、また、きわめて当然の事でもあります。しかし、私たちが意識的になればなるほど、どれほどエゴが私たちに影響を振るっているかが分かるでしょう。もし、あなたが、右の三つの例のどれかに当てはまるとしたら、一つの傷は必ず三つの在り方で活性化される、という事実を受け入れてください。たとえそれに同意できなくても、それを受け入れることによって、傷が活性化された時に、より早く、あなたはそのことに気づけるようになるでしょう。
〈拒絶による傷〉と〈不正による傷〉が活性化されたときはどうなるか
それでは、〈拒絶による傷〉と〈不正による傷〉が活性化された時にどうなるか、という例を見てみましょう。その際に、仮面をつけた人がどう振る舞うか、ということもかくにんしておきます。この二つの傷は、どんな人によっても活性化されます。
〈拒絶による傷〉が活性化されると、あなたは自分自身を何の役にも立たない無能な人間だと見なすでしょう。そして、非常に大きな不安に襲われるのです。怒りとともに、自分自身、あるいは自分と同性の他人を責めるときは、〈不正の傷〉が活性化されています。その際に、本能的に仮面をつけることをせず、痛みを痛みとして認めて、ありのままに感じることが出来れば、癒しの効果の高い素晴らしい妙薬を、あなたは傷に塗ったことになるでしょう。
〈不正の傷〉が活性化されたとき、〈頑固な人の仮面〉は二種類の違った仕方を表現されます。
一つは穏やかな表現、もう一つは反抗的な表現です。
穏やかな表現では、あなたの体が強ばり、目が冷たくなり、相手を厳しく見つめます。あなたは何も言いませんが、あなたが怒りを感じて、それを押し殺していることがよく分かるでしょう。あなたは、心の内に積極的に表現しません、こうした態度は、〈逃避する人〉の仮面と〈頑固な人〉の仮面の中間形態と見なすことが出来るでしょう。ある種の人たちは、一生の間に、こうした穏やかな表現に終始します。
反抗的な表現では、大声で叫んだり、怒りをあらわにしたりして、自分を守ろうとします。同性の親にも、ただちに刃向かうでしょう。また、それ以外のどんな人に対しても攻撃を仕掛けます。
これからあげる例において、私が「カンタ」と言って時は、それを、あなたが自分のエゴにつけた名前と置き換えてみてください。あなたのエゴは、二種類の仕方で表現されます、一つ目は、心の中でされるエゴの演説をあなたが聞く、という形で、二つ目は、あなたが発する言葉を通してエゴが表現される、という形で。
傷の痛みが大きければ大きいほど、あなたは自己コントロールを失うでしょう。私たちは、次のような言葉を、これまで何度も聞いたことがあります。「ごめんなさい。そんなこと言うつもりはなかったです。でもどうしても抑えられなくて」
私たちがエゴに乗っ取られると、エゴは、私たちの体を使って自己表現します。場合によっては、暴力を使うこともあるでしょう。
まず、〈拒絶による傷〉の例を見ることにします。
いま、あなたが、ある集まりに参加しているとしましょう。すると、突然、誰かがあなたに意見を求めてきました。あなたは心の準備ができておらず、とても居心地が悪く感じます。あなたは、皆から注目されるのが好きでないのです。あなたの言うことが、みんなの興味を引かないかもしれないし、もしかすると、それは間違っていると思われるかもしれないからです。
あなたは、他の誰かにみんなの関心が向けばいいと思いながら、曖昧な受け答えをします。あるいは、言い訳をしながら、トイレに行ったりするかもしれません。
実際には、そうしているのはあなたではなく、あなたのエゴなのです。エゴは、たとえば、あなたにこう言うでしょう。「何も言っちゃダメ。あなたは最低の人間なので、あなたが言うことは誰も興味を引かない。あるいは、みんなから間違っていると思われる。そうなったら、馬鹿を見るだけよ。何も言わなければ、苦しい思いをしないわ。小さいころ、みんなに笑われたり、無視されたしたことがあったじゃないの」
このエゴの言うことを信じて、あなたは〈逃避する人〉の仮面をつけるでしょう。それこそ、あなたの〈反応〉的な振る舞いなのです。
一方、同じ状況で、あなたは、素早く自分のセンターに入って、冷静な観察者になることも可能です。そして、カンタがあれこれ囁き始めたとき、あなたは深呼吸を二〜三回して、もし可能なら水を飲み、カンタと次のような会話をすることが出来ます。
「ねえ、カンタ、あなたが私を助けようとしてくれているのは知っているわ。たしかに、私の意見が受け入れられない可能性もある。あなたは、私を苦しみから守ってくれようとしているんだよね。
でも、私は、いつか、しっかり自分を愛して、自分の居場所をもっと確保できるようにするつもりでいるの。
そして、ほかの人たちが同意してくれなくても、また、私が口ごもったり、間違えたりしても、それでイヤな気分にならないようにしたい。それに、私がうろたえうまく答えられなかったとしても、それは、私がどうしょうもない人間だからではなくて、その時に、うまく考えがまとまらなかっただけ、と考えられるようになりたいの。
あなたが私のことを思ってくれているのは、よく分かっているわ。そんなふうにして、私を助けようとしているんだよね。でも、本当は、それでは、私を助けることにはならないの、私は、前よりもずっと強くなったと感じているし、言いたいことをいった結果は、自分が引き受ける覚悟ができているわ。私を助けようしてくれて、どうもありがとう。あなたは、もう、休んでちょうだい。そして、私のすることを黙って見ていて欲しいの」
こんなふうにして、あなたは、センターに入り、〈拒絶による傷〉の活性化を冷静に観察できるようになるでしょう。このやり方を使えば、傷によって引き起こされた恐れと苦しみは、徐々に和らぎ、やがて消えて行きます。あなたは、仮面の罠にはまらず、避難せずにすむでしょう。その時、あなたは自分の居場所をしっかりと確保出来るはずです。
こうした状況において、もし、あなたが自分の意見を述べず、会話に加わらなかった場合。そのことによって、あなたは拒絶されたと感じる人たちもいることでしょう。そして、その人たちは、あなたに話しかけず、あなたを見もしない可能性もあります。そうすると、今度は、あなたが、その人たちに拒絶されたと感じるはずです。まさしく、この状況において、あなたは自分を拒絶し、他の人たちも拒絶し、そして、その人たちから拒絶されていると感じるのです。
その時に、カンタがまたしゃしゃり出て、こう付け加えるでしょう。「ほらごらん。みんなは、あなたがそこにいないかのように振る舞っている。きっと、心の中で、こいつは本当にどうしようもない奴だ、と考えているに違いない。なるべく、みんなの関心を引かないようにすること、あなたは、何か言い訳をして、この場を離れた方がいいかもしれない。みんなにとって、しょせん、あなたなんかどうでもいい人間だから」
こういうカンタの演説を信じ続けるか、それとも、さっきより強い口調でカンタを説得するか、それはまったくあなたの自由なのです。
では、次に、〈不正による傷〉の例をあげてみましょう。
あなたが女性だとします。お母さんは、数年前に離婚して一人暮らしていますが、そのことを受け入れていません。彼女は、病気になったり、問題を引き起こしたりして、犠牲者の役割を演じ、あなたの関心を引こうとするでしょう。彼女は、あらゆること――体の不調、天気、隣人、彼女を捨てた前の夫、お金が足りない事、彼女に会いに来ない子どもたち――に関して不満を並べたてます。
女の子はあなた一人だけで、二人の兄弟はいろいろ口実を作って、母親に会いに行きません。あなたは母親がかわいそうだとおもい、しばしば電話をかけ、また、週に一度は会いに行くようにしています。彼女が不平を言いだすと、あなたはどうしょうもなくなって、ついつい彼女の面倒を見るようになってしまうのです。
とはいえ、彼女は、あなたの言うことを聞く耳を持ちません。あなたは、すぐ、イライラし始めます。あなたの努力を認めない母親をあなたは不当だと感じるでしょう。あなたは、時には、ぶっきらぼうに振る舞い、なるべく早く帰ろうとすることもあります。
こうして、母親を訪問することは、あなたにとって苦役となり、帰る時はいつもネガティブな感情で満たされるのです。しかし、そんなふうに振る舞うのは、実は、あなたがカンタに支配されているからです。
あなたが、母親を不当だし感じて、会いに行くのを止めようとするたびに、カンタが次のように囁くでしょう。「お母さんに会いに行かねば駄目じゃないの。あなたが、たった一人の娘なんだから。彼女にイライラするのは、あなたに忍耐がないからだわ。彼女の身にもなってごらんなさい。同じ風にされたら、あなただってイヤでしょう。彼女に同情しないのは、あなたが意地悪だからよ」
母親があなたに対して不当である、と貴方が感じるなら、カンタの演説は次のようになるでしょう。「彼女は何て不当なの! あなたが、彼女に電話したり、愛に行ったりするために、多くの時間を使っているのが分からないのかしら? 年と共にますます自己中心的になってきている。あなたの言うことをぜんぜん聞かないじゃないの、あなたの話を遮ってばかり、あなたの忠告を聞いてさえいれば、彼女の人生はもっとずっと快適になっていたはずなのに」
この状況において、あなたの母親も、あなたを不当だと感じて苦しんでいるのを、あなたは知っているでしょうか? あなたが母親を不当だと感じているのと同じ程度に、あなたの母親もあなたを不当だと感じているのです。
こうした状況において、〈不当による傷〉とともに〈拒絶による傷〉が活性化された場合、カンタは、電話或いは訪問の後で、あなたこう言うでしょう。「あなたは、本当にどうしょうもない娘だね。母親に優しくすることさえできない。どうして、口をつぐんで、母親の不満をじっくりと聞いてやれないの? もし、母親の面倒を見るのを止めたら、あなたは一生のあいだ後悔するはずよ。母親は、あなたを愛さなくなるでしょう。前に、三ヶ月のあいだ母親がふてくされて、あなたに何も話さなくなった時、あなたはどれほど苦しんだか思い出すのよ」
以上が、典型的なカンタの会話でしょう。しかし、もっと意識的になることで、あなたはカンタの言葉を見抜けるようになるはずです。自分の振る舞いは、すべて自分から出ていると思っているのかもしれませんが、実際にはそうではないのです。
何かを変えようと思うのなら、たとえば、カンタに次のように言えばいいでしょう。「またやって来たわね、カンタ。私を放っておいてくれないのね。あなたそんなふうに私に話しかけ、あなたの信じていることを私に信じさせようとするのは、善い意図に基づいているのよね。あなたは、それが私の役に立っていると思っているけど、、でも、実際にはそうじゃないの。ときにはイライラするし、母に会いたくないと思うこともあるんだけど、それに私は、ありのままに認めたいと思う。
私が苦しむことをあなたは恐れているのね。だけど、私はいま、自分の思い通りに生きて、その結果は、きちんと引き受けたいと考えているの。たとえば、母が私に会いたくないと言っても、それはそれでいい。もうこれ以上、コントロールを失うのではないかという恐れによって、コントロールされたくないと思うの、だから、もうあっちに行って休んでちょうだい。私は、これから、自分で人生の舵を取り、その結果を、いさぎよく引き受けるから」
エゴの影響を受けていることに気づき、ふたたび自分のセンターに入るようにしていると、だんだん、自分のハートに従うことが容易になるでしょう。あくまでも、状況を冷静に観察するようにしてください。傷によって引き起こされる苦しみを感じたら、ゆっくりと深呼吸をして、次のように考えましょう。「この状況、またはこの人が、いま、私の〈拒絶による傷〉ないしは〈不正による傷〉を活性化した。
まだ治すべき傷があること、つまり人間的であることを、私は自分に許します。いまは、拒絶されたこと、また、不当に扱われたことを、静かに感じるようにします。やがてまた、似たような状況に至ったとしても、私は苦しまないようになるでしょう」
こんなふうに傷に対応できるようになれば、あなたの経験が、良いものでも、悪いものでもないことが分かるようになるはずです。それは、ただ、〈人間的〉であるだけなのです。自分を裁き、批判し、人を裁くのではなく、あなたも、他の人すべての人たちと同様に傷を持っていることを、ありのままに認めて、許してあげましょう。
次の章に進む前に、これからの数日のあいだ、〈拒絶による傷〉や〈不正による傷〉が活性化されて、あなたが、〈逃避する人〉や〈頑固な人〉の仮面をつけるたびに、それらをすべてノートに書き出してください。そうすれば、エゴの言うことを、ますます意識化することが出来るようになるでしょう。そのとき、あなたがエゴにどう答えたかも、ノートに書いてください。
その実践を続けることで、あなたは、より素早くカンタに対応できるようになるでしょう。特に、カンタに話す前、そして、カンタと話してカンタに感謝した後でどう感じたかを、じっくり比較してください。そうすれば、センターに入れたことが、どれほど幸せであるかが分かるでしょう。
つづく
第六章 〈見捨て〉による傷と〈裏切り〉による傷を癒す
エゴに支配された夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致となる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与し。避妊方法とし用いても優れた特許取得ソフトノーブルは夫婦生活での性の不一致を改善し、セックスレス及びセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。