リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳
相手に利用されていると感じるとき
さまざまな場面で、相手に利用されていると感じることがあるでしょう。たとえば、私たちの多くにとって、自分のアイディアを横取りされるのは、とても耐えがたいことです。あなたにも、そんなことは色々あったはずです。たとえば、私は次のような話をよく聞きます。「私の義理の姉がリンゴのタルトを作って、持ってきてくれたのです。そして、いいレシピを発見できて、とても嬉しいと言いました。でもそれは、以前に、私が彼女に教えたレシピなのです。しかし彼女は、そのことを受け入れようとはしませんでした」
私にも、似たような経験があります。以前、私はセールスの仕事をしていたのです、その際に、ものすごく不当なことをされた経験があります。私は、人生において、常に新しいことに挑戦するのが好きなのですが、それは私の職業においても同じでした。
あるとき、私は、商品の良さをアピールする新しい方法を思いつきました。実際にやってみると、非常に効果的だったので、私は嬉しくなって、女性の上司にその内容を話しました。翌週になり、全体会議の時、彼女は、私が教えた新しい販売方法をみんなに披露して、ぜひそれを全員で実践するようにと言いました。私は、それを聞きながら、次のように考えていました。【彼女は、私からそれを聞いたと皆に言うはずだわ。そして、私に感謝するに違いない】しかし、彼女は私の名前をついに出しませんでした。
私がどれほど怒ったか、想像できるでしょうか。すぐに私は勇気を奮い起こし、いま述べた方法を彼女に教えたのは私なのに、どうして私の名前を出さなかったのか、と尋ねました。すると、彼女は、私からそれを聞いたことを否定したのです。私は、あっけにとられて、開いた口がふさがりませんでした。
同じようなことが、何度も起こりました。そして、そのたびに、私は上司を怨み、もう二度と上司に新しいアイディアを教えまい、と心に誓うのでした。しかし、そうはいきませんでした。私は仕事を改良することに情熱を燃やしていたので、新しいやり方を発見するたびに、もう話すまいと誓ったことを忘れて、上司にそれを教えてしまったのです。
私は、ほかの人たちに、私の方法を使ってほしくなかったわけでありません。ただ、彼女たちに認めてもらいたかつたのです。私のエゴがそう望んでいたのでしょう。しかし、当時、自分を充分に愛していれば、私はみんなから認められなくても、心の中で誇りに思っていたはずです。とはいえ、そのうち私の中で、徐々に、ほかの人に認められたいという思う気持ちがなくなっていきました。
それは、ETCの教えに関しても同じです。何千人もの人たちがETCの教えに学び、それを実践して幸せになっています。彼らが知っていようがいまいが、そんなことは重要ではありません。もう、私の考えを横取りされたとは考えなくなっているのです。
私は、過去に読んだり聞いたりしたことを覚えていて、情報源がどれだったかを確認せずに、それを使うことがしばしばあります。もしかすると、情報源だった人は、私が勝手にその人の考えを横取りしたと思うかもしれません。しかし、私の意図は純粋で、ただ単に、多くの人にそれを伝えて、その人を救いたいというものなのです。おそらく、ほかのセラピストたちも、そのように考えているだろうと思います。
ほかの人が、あなたを利用するわけではありません。あなたが、ただ、そう考えるだけなのです。あなたが他者を非難するとき、あなたのエゴが優勢になっていることを知って下さい。
自分のエゴに名前をつける
ここで、エゴと、より容易にコンタクトを取り、エゴの影響力から脱するために、エゴに名前を付けることを勧めましょう。この技法を発見して以来、その素晴らしい効果を確かめてきたので、私はどうしても本書でそれを紹介したいと思いました。
わたしのエゴには、「ムシェット」という名前をつけました。〈訳者注:フランス語で、ムシェットとは「小さな虫」という意味〉。どうして、そんな名前をつけたのでしょうか?
それはずいぶん前のことで、私がカリフォルニアで、あるセミナーに参加していた時のことでした。
ある日の午後、自由時間を与えられた私は、自然の中を散歩していました。ノートと鉛筆をもって、将来のいくつかの計画について瞑想したことをメモしていました。すると、突然、小さな虫が私の周りを飛び回っていることに気づきました。ぶんぶんと大きな音を立てています。手を振って、あるいはノートを使って、その虫を追い払おうとしましたが、虫はしつこく私の周りを飛んでいます。
最後は、虫に向かって、「静かにしてよ!」と叫ぶ始末です。良い天気も、まわりの美しい自然も、すっかり台無しになってしまいました。その後、数分経ってから、私は、この虫には何か意味があるに違いないと考えました。
それからすぐ後に、答えがやって来ました。その虫は、私が歩きながら思い浮かべていた有害な雑念の象徴だったのです。私は、ああしたら、こうしたら、きっとこんな悪いことが起きるに違いない、というような事ばかり考えていました。さらに、最近起こったある状況に対する怒りを何度も反芻(はんすう)していたのです。それらの考えと、その虫は、まったく同じものだということを、私の〈内なる神〉が虫を使って教えてくれていた、ということに気づきました。私は、ハートの声に従っていなかったのです。
それに気づいた途たんに、虫はどこかに飛んで行ってしまいました((笑))
そういうわけで、私は、自分のエゴに「ムシェット(小さな虫さん)」と言う名前を付けることにしたのです。私のエゴが優勢になっていろいろなことを言いだすと、私は、頭の中で虫がぶんぶん飛んでいると感じるようになりました。
本書で、これ以降、私のエゴについて語るとき、私はムシェットという名前を使うことにします。また、一般的なエゴについて語るときには、「カンタ」という名前を使うことにしましょう。ですから、これ以降は、右の二つの名前が出てきたら、あなたが自分のエゴにつけた名前と取り替えてみてください。そうすれば、徐々に、あなたのエゴと対話できるようになっていくでしょう。
ここで、豪華客船での船旅の話に戻ります。ムシェットが優勢になり、私の注意を引こうとし始めたら、私は次のように言いました。「分かったわ。ムシェット。あなたは、そんな風にして、私の関心を引こうとしているのね、あなたがそういうやり方で、私を助けようとしていることを感謝します。だから、もうあっちに行って、休んでいいわ」
エゴとの対話
どうしてエゴとは話をするのでしょうか? それは、エゴが感謝を求めているからです。エゴは、感謝されることが大好きです。「でも、これ以上エゴに感謝されたら、エゴはさらに増長するのでは?」とあなたは思ったかもしれません。でも、あなたがエゴを受け入れたて感謝すれば、それとは正反対の事が起こるのです。
エゴを受容した上で、あなたを助けようとしてくれたことを、
心からエゴに感謝すれば、エゴは本当に嬉しくなるでしょう。
しかも、あなたがエゴを受容したことによって、エゴの力が弱まったことに、
エゴは気づいていません。
実際、エゴは、〈受け入れる〉とはどういうことなのか、知ることが出来ません。精神的な次元のことなら、エゴは理解できます。一方、〈無条件の受容〉はハートからきていますから、霊的な次元のことがらであり、エゴにはまったく理解できないのです。
どの本でも、どのワークショップでも、どの講演でもそうしているように、私はここで、もう一度、〈受容〉の定義をしておきましょう。もしそれを貴方がすでに読んだり、聞いたりしていたとしても、おそらくエゴは、それを貴方に忘れさせるために、あらゆる策略を試みたに違いありません。それは、あなたが人間であれば、ごく当然の事なのです。あなたの人生において、エゴの力が弱まれば弱まるほど、あなたは〈受け入れる〉ことの重要性を意識するようになるでしょう。
受け入れるとは、いま起こっていることを、善・悪の判断抜きに、
観察し、認め、「イエス」と言うことなのです。
私たちの〈思い込み〉によって、または、過去に学んだことが原因で、
私たちが、それに同意しなくても、それを理解できなくとも、
はんだんせずに、ただひたすら、それを観察することなのです。
この箇所を読みながら、たぶんあなたは次のようなことを考えた事でしょう。
・【私が同意しないのに、どうして私は、受け入れる必要があるのだろうか?】
・【でも、私は、すべてを受け入れることはできないわ。人生には、どうしても受け入れられないこともあるもの】
・【私がそんなふうにしたら、私は利用されるに決まっている。私は弱い人間、卸(ぎよ)しやすい人間と見なされて、相手から好きなようにされるだけだわ】
もしそうだったら、すぐ、次のように、エゴとの対話を始めてください。「ねえ、カンタ、いま私が読んだ〈受容〉の定義に、あなたが同意しないことは分かっているわ。あなたが、私を助けようとしていることも知っています。でも、いまは、私にこの箇所をじっくり読ませてほしいの。心配しないでね、大丈夫だから。何を受け入れる前に、その結果がどうなるか、それを渡しが引き受けられるかどうかを、しっかり考えます。私に、そうさせてくれることに感謝します。
そろそろ、あなたの助けを借りなくともやっていけそうだと思っているの」
エゴと話をするときには、必ず、エゴの良き意図を認め、あなたを助けようとしてくれていることに感謝してください。自分が介入しないとあなたは生き延びられないはずだ、というエゴの恐れを、しっかりと〈感じる〉ようにしましょう。
あなたが、また心の傷のどれかで苦しむのでないか、その苦しみ耐えられないのではないか、とエゴは絶えず心配しているのです。だからこそ、あなたは、自分の決意の結果に関して、常にエゴを安心させる必要があるのです。
あなたが現実を無条件に受け入れて、あなたのハートの道に従い始めれば、その瞬間に、あなたの表情が明るくなるでしょう。あなたのハートが光を放ち始めるからです。
あなたの傷を消そうとしてはなりません。
むしろ、傷に光を当てるようにしましょう。
すなわち、〈受容〉によって傷を癒すのです。
受容が素晴らしいのは、あなたがハートに従って生きるようになり、その結果、あなたの本来の力を取り戻せる、ということです。あなたが、エゴにエネルギーを与えなくなるので、エゴは徐々に力を失っていくでしょう。しかし、自分を受け入れてもらって、ものすごく幸せなので、エゴは、自分が力を失いつつあることを気づきません。しかも、エゴが力を失うにしたがって、あなたは本来の自分自身に戻れる、ということなのです。そのようにして、初めて、あなたは、肉体的な、そして精神的な、あらゆる苦痛から解放されるのです。
役立つ信念だけを持ち、あとは直観に従う
エゴについて語るとき、私が、役に立たない信念、知的でない思い込みを指していることに気づいたと思います。善・悪の観念と結びついていない信念だけが、私たちにとって役立つのです。また、信念は、それよりも良いものが見つかったら、すぐにそれを変える用意があなたにある場合にのみ、良いものだと言えるでしょう。
たとえば、私は転生輪廻の理論を信じており、私たちは何年も地上に生まれ変わって来ると考えています。しかし、それ以外の理論で、神の正義をもっとよく説明するものが出てくれば、私は、直ちにそれらを採用するでしょう。
何かを盲目的に信じ込むのではなく、エゴの支配から離れ、本来の自分自身に戻り、傷によって苦しまなくなれば、私たちは、自分にとって何が本当に役立つかを知ることになるでしょう。間違った信念を手放せば、私たちはより多くの人を知ることになるのです。
本来の自分自身になることは、たとえほかの人が私たちの選択を認めなくても、
自分にとって役立つことを感じ取り、自分が何を望んでいるかを知ることができる、
ということなのです。
私たちは、直観によって、必要なことを知ります。そして、自分のセンターにいる時に、直観を受け取るのです。一方で、エゴは、直観を妨げます。あなたは、カンタの声と直観を区別するのが困難だと感じるときがあるでしょう。両者とも、非常に精妙です。最もよい方法は、それらを受け取ったとき、あなたがどう感じるかを確かめることです。
話を分かりやすくするために、私が経験した例をあげましょう。ある晩、そろそろ寝ようと思ってベッドに横になったとき、執筆中のこの本に関する新しい着想を、直観の形で得ました。ほとんど眠りかけていたので、起き上がってメモを取るのが面倒でした。私は、それが直観から来ていることを知っていました。というのも、私は、不安も恐れも感じていなかったからです。ですから、それを忘れてはならないと思っていました。
すると、突然、私は、自分の着想を頭の中で繰り返していることに気づきました。そう、ムシェットが登場したのです。ムシェットは、私がそれを忘れることを恐れていたのです。そして、私が完璧であることを望んでいました。そこで、私はこう言ったのです。
「ありがとう、ムシェット。私を助けようとしてくれているのね、でも、私はいま、どうしても眠る必要があるの。明日になれば、きっと着想を思い出すわ。だって、もう、あなたが四度も繰り返してくれたから。それにしても、それを忘れたとしたら、それはもともと、そんなに大切なものじゃなかったということ、決してあなたを非難しないわ。だから、安心して、あなたも休んでちょうだい」
こう言うと、私の「虫さん」は、どこかに飛んで行ってしまいました。そこで私は。ぐっすり眠ったというわけです。
このように、エゴが介入してきた瞬間を知るというのは、とても大事なことなのです。その時、あなたは、ふたたびセンターにいることが出来るでしょう。そうすることによって、あなたは傷に、心地よい香りのする妙薬を塗ることが出来るだけじゃなく、あなたの直観と再びつながって、あなたの魂のニーズに従って人生を生きることが可能となるのです。そうすれば、あなたは本来の人生計画を全うできるようになるでしょう。
つづく
第五章 〈拒絶〉による傷と〈不正〉による傷を癒す
エゴに支配された夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致となる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与し。避妊方法とし用いても優れた特許取得ソフトノーブルは夫婦生活での性の不一致を改善し、セックスレスになるのを防いでくれます。