リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳
第四章 エゴに感謝して受け入れる
この章ではまず、私の著書から、その一部を引用しておきましょう。
「エゴの力を徐々に減少させるには、いったいどうすればいいのでしょうか? 先ず初めに、エゴをありのままに受け入れ、なおかつ、エゴを作り出したことを悔やまないことです。現在に至るまで、人類は、エゴこそが、苦しみから自分を守るための最良の手段であると信じてきたのです。エゴとは、ご主人様を自分の思い通りに動かす使用人のようなものです。主人が、使用人に力を与え、自分をあやつる許可を与えたからです。
こんにちでは、人類の意識化が進んできていますので、主人である私たちがさまざまな決定をしなければならない、ということが理解されつつあります。むしろ、使用人の方が、ご主人様のニーズに耳を貸さなければならないのです。私たちは、人生の主人公になる必要があるわけです。
私たちには、エゴを受け入れるべきなのです。エゴを非難すするべきではありません。むしろ、過去において、エゴがもたらしてくれた支援に感謝すべきでしょう。そうすれば、エゴは嬉しくなります。安心して使用人としての役割に戻るでしょう。その時、私たちは、本来の主人としての役割を取り戻すことが出来ます。
自分とエゴを同一視しないようにしましょう。私たちは、エゴではありません。私たちは、自らの〈聖なる本質〉を取り戻す必要があるのです。私たちは、もともと〈完全な存在〉であり、この地上において、物質でできた肉体に宿って、それを、物理的、感情的、精神的なレベルで使用しながら、存在しているだけなのです。そして、さまざまな経験を通して性質を取り戻し、ふたたび純粋な光に戻るべく予定されているのです。それなのに、不幸にして私たちはそれを忘れ果て、精神のエネルギーを使ってエゴを作り出し、『これで良し!』と思い込んでいるだけなのです。ですから、私たちの〈本質〉と、ふたたびつながらなければなりません」
もし、あなたが自分に対して正直であるならば、これまでも例にあげたさまざまなエゴの手口の中に、自分と同じやり方を見たはずです。とはいえ、エゴが、そのことを急いで否定し、「問題があるのは、ほかの人たちだ!」と言ったとき、ついついあなたはその言葉に乗せられてしまったのではないでしょうか。
というのも、それは、本当によく起こることだからです。実際、ETCのセミナーやワークショップで、私たち講師たちが、エゴや傲慢さについて語るとき、ほとんどの受講生が、私たちの言うことを聞こうとしません。また、たとえ聞いたとしても、聞いたことを自分の都合のいいように捻じ曲げてしまうのです。
身近な人に助けてもらう
エゴの影響を軽減するための最初の手段として、
第三章をもう一度読み直し、あなたのエゴの振る舞いとして思い当たる部分をメモして、リスト化することを勧めます。
エゴがあなたの人生において占める大きな場所を本当に認める準備ができたら、あなたをよく知っており、あなたに真実を言うことのできる人を探してください。そして、その人に、先ほどのリストを見せ、エゴが優勢になった時のあなたの態度と振る舞いについて、意見を求めてください。
ただし、その際に、との傷が活性化し、どの仮面をつけたかを、きちんと言うようにしましょう。
もし、あなたがした他の態度や振る舞いをその人が指摘し、しかも、あなたがそれを受け入れたくないときは、あなたのエゴが抵抗している、ということを〈意識化〉する必要があります。
でも、心配しないでください。あなたが受け入れたくないと思うのは、まったく当然なことなのです。というのも、エゴは、何であれ、あなたを害することをしている、という事実を絶対に認めようとしないからです。エゴは、あくまでも自分が正しいと考え、あなたを助けうと思っており、自分の影響力をあなたが自覚することを、ひどく嫌がっているのです。とはいえ、あなたがハートの声に耳を貸せば、あなたはきっとこのエクササイズをやり遂げることが出来るはずです。
このエクササイズをもっと深めたいのであれば、次のようにすればいいでしょう
すなわち、あなたが以下にあげるような表現使ったとき、先ほどの人か、それ以外の身近な人たちに、そのことを指摘してもらえばいいのです。
・私が○○。私の○○。
・それなら知っていますよ。それなら知っていました。
・それは確かだと思います。それは確かだと思っていました。
・ええ、でも・・・・・。いいえ、でも…。〈正当化しようとしている場合〉
・私の言うことを聞いてください。〈私が正しいのだから、あなたは私の言うことを聞くべきだ。と思っている場合〉
・私の言ったことが分かりましたか? 〈私が正しいことが分かりましたか、と言おうとしている〉
・私の方がすごい。
からだの不調を伝えるメッセージ
エゴがあなたを苦しめていることを教えるために、あなたの〈内なる神〉が、からだの不調を使うことがあります。実際、あらゆるからだの不調というのは、あなたが自分を愛していないときに、あなたの魂がどれほど苦しんでいるのか、その度合いを示しているのです。苦しみが大きければ大きいほど、あなたは自分への愛の欠如を自覚しなければなりません。しかも、人生のあらゆる領域において、愛の不足を調べる必要があるのです。
たとえば、あなたのからだか、こわばりや関節の硬化、動脈硬化、便秘など苦しんでいるとしましょう。この場合、それらの不調き、エゴが自分の正しさを強硬に主張していることを示しているのです。あなたは、傷つくことを非常に恐れているので、無意識のうちにエゴのコントロールを許しています。まずは、それをありのままに受け入れなければなりません。恐れを持つことは、良いことも悪い事でもないのです。人間である限り、当然のことであるのです。
ここで、まとめておきましょう。あなたが肉体的な不調や心理的な不調を自覚した時、それはあなたが〈悪い〉ということを意味しません。そうではなくて、それは、単に、あなたが態度や振る舞いを変えるべきだと教えているだけなのです。まず、不調を自覚できたことに感謝しましょう。そして、そうであることを、ありのままに受け入れるのです。なぜなら、あなたの心の最も深いところで、あなたは再び自分の人生の主人公になろうと決意しているのですから。
ある傷に関連した仮面をつける時、あなたのエゴが優勢になっている、ということを、あなたは、もう知っているはずです。ですから、それぞれの傷に関係のあるすべての態度や振る舞いを、もう一度見直すことをお奨めしましょう。それらは、
第一章において詳しく描写されています。
エゴを受け入れる
あなたの現在の人生において、エゴを受け入れれば、あなたが仮面をつけた時、そして、ハートの声を聞かない時、あなたはそのことをより容易に認めることが出来るでしょう。そのように受け入れることは、〈愛の証〉であり、そして、愛だけが、すべてを変容させることができるのです。
自分を愛するとは、現在、自分がそうであることを、ありのままに受け入れることです。
それこそが、内なる変容と、外なる変容を引き起こすための、唯一の手段なのです。
これを書いている今、私が経験したことを、あなたと分かち合いたいと思います。現在、私は、姉の一人と一緒に、世界一周の船旅をしています。そして、海の上での日々を、この本を書くのに当てているわけです。夫と私は、すでに何度もこの旅行会社の船旅をしており、したがって、私はいわば「五つ星」の客であって、数多くの「特権」を行使できる立場にあります。
私は、そのことに、とても満足していました。しかし、「特別なお客」であると思われることで、次のように考えて、いい気になっていたのです。
・【ディナーの招待を受けたけど、これは当然だわ。なんといつても、私は五つ星なのだから】
・【私は五つ星だから、船から降りるときは、列に並ばず一番に降りられる】
・【私は、一日じゅう無料でスパを利用できる。だって、私は五つ星なのだから】
などなど。そして、船員さんたちにそのことを確かめると、必ず次のような返事が返ってくるのです。「もちろんですとも、マダム・ご乗船いただいて、大変光栄です。マダムのようなお客様を拝見するのは、私どもの大きな喜びでございます」
それを聞いて、私のエゴは大喜びです。そして、自分が特別だと感じるのです。
ところが、数日して、私は、自分の部屋のカードキーに、五つ星の印が付いていることに気づきました。わざわざ、船員さんたちに自分が特権を受けられることを確認しなくても、そのカードを提示しさえすればよかったのです。
エゴが優勢になっていたことに気づいた私は、かといって、自分を批判もせず、裁きもしませんでした。そして、素直に自分のハートに従ったのです。私は、船舶会社の寛大さに素直に感謝してそれ以降は、「私は五つ星だから」と言うのを止めました。
エゴは、物質的な恩恵を与えられると、
それを使って自分を偉く見せようとします。
しかし、ハートは、みずからの聖なる力を自覚しており、
恩恵に対しては素直に感謝するだけです。
本当の謙虚さとは
あなたはたぶん、こう思うことでしょう。「だったら、自分の成功を誇りに思ってはいけないのかしら?」いいえ、私は、そんな事を言っているのではありません。自分を誇りに思うのは、といも大切なことです。というのも、私たちは、自分を更に尊重し、自分を更に信じることが出来るからです。
ただし、誇りはあくまでも心の中にとどめておくべきです。ほかの人から認められたい、誉められたいと思って、声高に言いふらす必要など全くないのです。
試練を乗り越えた、目的を達成した、困難を跳ね返した、心の内に潜む偉大な力を発見した、などの事が起こったとき、私たちは、ハートに従って行動したのです。ですから、それを他の人にたちに話す必要はありません。彼らは自然に気がついて、私たちを祝福してくれるでしょう。その時は、素直に、「ありがとう」と言えばいいのです。ただ、それだけです。
成功はほかの人と分かち合いたいと感じた場合、誉められよう、自分の価値を高めようと思ってそうしてはなりません。
ETCでは、私も講師たちって、よく次のようなことを言われます。「心から感謝しています。だって、あなたは、私を救ってくださったのですから」
そんな時こそ、私たちの〈謙虚さ〉が試される良い機会なのです。私たちは、一言だけ、「ありがとうございます」と言うでしょう。というのも、その人が人生を変えられたのは、私たちの教えを学んで、学んだことを実践に移したからだ、ということを私たちは知っているからなのです。
偉いのは、私たちではなく、その人自身なのです。
それに対して、私たちが、ほかの人に向かって、「私はAさんを救ったのですよ。Bさんを救ったのですよ」と言いふらしたとしたら、それは、自分の価値を高めたいからなのです。人と向き合って、人を助ける仕事には、真の謙虚さが必要となります。ところが、ある種の人々は、エゴの罠にはまっています。クライアントを治したのは自分だと信じてしまうのです。
他者のエゴをどう対応するか
ある状況に対したとき、あなたの心の中に抵抗が生じることがあるでしょう。たとえば、あなたが、妻に対して我慢できなくなり、こう考えたとします。【俺が悪いわけじゃない。お前が、でっかいエゴに基づいて振る舞うからいけないんだ。だから俺は、ついつい、反応してしまうんだ。まったく、こいつは、いつも自分が正しいと考えるんだからな。こいつにもっと思いやりがあって、俺に優しくしてくれれば、俺だって変われるのに】
確かに、時として、ついつい〈反応〉してしまうこともあるでしょう。コントロールを失って、失言してしまい、後悔することもあります。では、いつも自分が正しいと思い込んでいる人に対して、一体どのように振る舞えばいいのでしょう。
そんな場合は、すでに述べたように、自分のエゴを発見した時と同じやり方をすればいいのです。確かな結果を得るためには、相手の傲慢な振る舞いをそのまま全面的に受け入れることが最もよいでしょう。というのも、相手は、自分に関する恐れを持ち、自分は傷ついていると感じているからなのです。自分を充分に愛することができないので、あなたや周りの人たちに愛を求めているわけです。
相手の恐れを認めて、それをありのままに受け入れれば、あなたの気持ちはかなり落ち着くでしょう。あなたが反応しないで、相手の言葉を聞くだけで充分な場合もあるでしょう。
一方で、あなたのエゴが、自分の正しさを証明して、相手を言い負かしたいと思っている場合があります。その時は、自分の忍耐心を試すとても良い機会になるでしょう。最初のうちは、なかなかうまくいきませんが、練習すれば、少しずつできるようになります。そして、落ち着いて、相手にこう言えるでしょう、「お互いに、相手に同意できなくても、それでよしとしませんか?」
この方法はとてもよい結果をもたらすはずです。そして、あなたは、相手があなたを害そうとはしていないこと、あなたを愛していないと言いたいわけではないことが分かるようになるでしょう。相手は、単に、自分が正しいと思って、エゴを満足させたいだけなのです。そうすることだけが、自分に重要感を与える唯一のやり方だと信じ込んでいるからです。最後の章で、またこのテーマに触れたいと思います。
つづく
相手に利用されていると感じるとき