エゴに支配された夫婦生活・性生活は倦怠感・性の不一致となる人が多い、新たな刺激・心地よさを付与し。避妊方法とし用いても優れた特許取得ソフトノーブルは夫婦生活での性の不一致を改善し、セックスレス及びセックスレス夫婦になるのを防いでくれますトップ写真

第一章 五つの傷と五つの仮面

本表紙 
リズ・ブルボー 著 浅岡夢二 訳

ピンクバラ第一章 五つの傷と五つの仮面

まず初めに言っておきたいのは、私たちは、全員が、魂の傷を持ってこの地上に生まれてきている。ということです。私たちは、その傷を受け容れることを学ばなければなりません。
 それらの傷は、数多くの転生輪廻の過程で形作られてきており、それらのいくつかは、ほかのものに比べて、より多くの苦しみを与えるでしょう。その苦しみは、人によって異なっており、私たちの大部分は、それが何処から来るかは、どうすればそれを止められるのか分かりません。

 分かっているのは、様々な人たちや状況が、私たちを〈反応〉させる、つまり苦しめるということです。したがって、私たちの苦しみの原因を突き止めるのは、実に興味深いことであるのです。
 
 それらの傷は、どうして〈魂の傷〉とよばれるのでしょうか? それは傷のせいで、私たちが人生の主導権をエゴに引き渡すとき、私たちの魂は非常に苦しみます。というのも、魂が転生してくるのは、真実の愛を生きるため、自分を完全に受容して生きるためだからです。その結果として、魂は、みずからの聖性に達することができるのです。

 どの傷が活性化されているかによって、私たちの魂は、違った苦しみ方をします。残念なのは。エゴの声に従いさえすれば私たちは苦しまずにすむ、と思い込むことなのです。実際には、まったく、その反対であるにもかかわらず。
エゴは、魂の苦しみを感じ取ることができません。

 エゴは、みずからのことしか考えないからです

 エゴがいちばん満足するのは、自分の正しさを証明する時なのです。
 傷によって生み出された苦しみを感じないための方法として、エゴが私たちに勧めるのは、傷が活性化されるたびに仮面をつけることなのです。仮面によって私たちを守ることができると、エゴは本気に思っているのですが、そうすることによって、実際のところ、私たちは傷を維持し、なおかつ私たちがより早く、より強く反応すれば、反応はますます反復されるだけなのです。

 こんにち、どうして、こんなにもたくさんの自殺があるのでしょうか? どうして、何百万もの人たちが、タバコ、甘いもの、賭け事、アルコール、クスリ、ドラッグなどに依存しているのでしょうか? それらに依存すれば、感覚がマヒし、本当の問題に気づくことが、ますますできなくなるというのに。医学がすばらしく発達を見せているのに、重篤な病気がますます増えているのは、いったいどうしてなのでしょうか? どうして、こんなに多くの別離ま

 そうです。魂の苦しみを否定すれば、苦しみはますますひどくなるばかりなのです。それは、肉体が負った傷と全く同じです。傷が大きく開き、感染がすでに始まっている時、それは、何か覆って見えないようにしたら、感染はますます進むでしょう。そして、傷はますます多くの痛みをあなたに与え、ついに、ある日、あなたは我慢できなくなるのです。

 その時、あなたは二つの選択肢か残されていません。そのために死ぬか、あるいはその傷を治すための行動を開始するか、そのどちらかです。現在、人類はそこまで追い込まれていると言えるでしょう。私たち全員が、みずから望む生き方を、今こそ開始しなければなりません。つまり、苦しみに満ちた生き方ではなく、幸福に満ちた生き方を選ぶ必要があるのです。

 これまで、無数と言っていいほどの状況を観察し、無数と言っていいほどの人たちから話を聞いた結果、私は次のことを確信するに至りました。すなわち、私たちは、自分の傷に関連した、ある振る舞いや態度を取る人たちを引き寄せる、ということです。

 そして、私たちは、少なくとも四つか五つの傷を持っている、ということを確認しました。私たちは、全員が、〈拒絶〉、〈見捨て〉、〈裏切り〉、〈不正〉の傷を持っているのです。〈侮辱〉の傷だけは、全員が持っているとは言えないようです。

 ほとんどの人が、右にあげた四つの傷のうち、少なくとも二つを持っていることを認めます。ただし、人生の節々で、ある傷がより目立つようになり、ある傷がより潜在化するように思われます。

 私自身は、きょうだいの多い家庭で育ちました。両親は、一一人の子どものたちのために、一生懸命働き、できる限りのことをしてくれたと思います。しかし、きょうだい全員のニーズには、どうしても応えられなかったはずです。私たちきょうだい全員の言うことを聞き注意深く聞き、全員をしっかりほめることは、とうてい不可能だったでしょう。

ですから、何人かは拒絶されたと感じ、何人かは見捨てられたり、裏切られたりしたと感じ、また、ほかの子たちは不正にさらされたと感じたはずです。現時点において、私は、両親のあり方や行動が、私たちきょうだいの傷の痛みを引き起こしたのではないもということを知っています。

そうでなくては、私たちきょうだいの、両親の態度に対する〈認知の仕方〉が問題だったのです。
事実をどのように認知するか、どのように解釈するか、
 私たちの苦しみを引き起こすのであって、
 誰が何をしたかは、まったく関係ありません。

 前著『五の傷』において、私は、〈裏切り〉の陰には〈見捨て〉が隠れており、〈不正〉の陰には〈拒絶〉が隠れており、しかも、それらの両方の傷の痛みを同じょうに感じるわけではない、と説明しました。

ここで、あなたが〈裏切り〉あるいは〈不正〉を感じた時のことを思い出してください。その際に、あなたが何をいちばん恐れたかといえば、〈見捨て〉られること、あるいは〈拒絶〉されることだったはずです。

 私の場合、自覚できるのは、常に〈裏切り〉と〈不正〉の傷でした。〈見捨て〉と〈拒絶〉の傷はないと思っていたのです。ところが、10年くらい前から、見捨てられる恐れと、拒絶される恐れが、自分の中にあることを自覚するようになったのです。

 ここで思い出していただきたいのは、誰かを拒否し、見捨て、裏切ることを恐れる、あるいは誰かにたいして不正であることを恐れるのと、誰かからそうされることを恐れるのは、同じくらいの程度である、ということです。

そして、それと同じくらい、あなたは自分自身を傷つけているのです。あなたは他者に対するのと同じ程度に、あなたは、自分自身を拒絶し、見捨て、侮辱し、裏切り、自分に対して不正であり、そのことによって苦しむのです。
 ETCの教えでは、その偉大な真実を、〈人生の三角形〉と呼んでいます。
 〈人生の三角形〉
   人生の三角形
〈人生の三角形〉は、他者とあなたの関係、あなたと他者の関係、
 あなたとあなた自身の関係が、まったく同じであることを示しています。
 それらの苦しみ、恐れ、不安は、同じレベルであるのです。

 ここで、簡単に、それぞれの傷と仮面について説明しておきましょう。
 自分または他人によって傷が活性化されると、自分を痛みから守るために、私たちは仮面をつけます。エゴは、巧みに、傷などないと私たちに思い込ませるのです。

傷を否定すれば、痛みが和らぐと信じ込んでいるからです。そのため、私たちは、できる限りのことをして、傷を無視し、傷を感じまいとするでしょう。しかも、そうすれば、他の人たちにも傷は見えないし、感じられないはずだと思い込むのです。

 以下に述べるそれぞれの仮面の性質は、前著『五つの傷』での説明とは少し違ったものとなっています。その後、私は数多くの観察と探究を通して、新たな知見を得たからです。
 つづく 〈拒絶〉による傷