○1 対人関係以外の活動に熱中して、対人関係における激しい感情を避ける。
○2 相手に追い詰められ、支配されことから自分を守るために、相手に自分のことを知られないようにする。
○3 さまざまな手法を用いて相手との親密な接触を避ける。
そして、この恋愛依存症者と回避依存症者は同時に惹かれ合って恋愛が始まるものの、次第に回避依存症者は「恋愛依存症者のそばにいてすべての問題を解決しなければ」という思いがプレッシャーになって相手に反発を覚えるようになり、恋愛依存症者は自分の苦痛、恐れ、怒りなどが子どもの頃に見捨てられたときの感情と結びついて強烈な不快感となり、それを相手にぶっけるようになり、最終的には関係は上手くいかないようになります。
しかし、恋愛依存症者は「この関係はダメみたいだね」と諦められるはずはなく、恋人が去った苦痛を和らげるために相手をとり戻したり、あるいは報復するための妄想を持つようになり、遂にはそれを実行します。
それくらい「この恋は終わった」と認めるのは耐えがたく「この苦痛に直面するなら、罪になると分かっていても復讐したほうがマシ」と思ってしまうのです。
暴力に至らなくても、無言電話をする、相手を待ち伏せして様子をうかがう、といったストーカー行為が実行されることもあります。
以前、クリニックで「どうしても自分を捨てた彼への復讐計画をやめられない」という相談を受けたことがありました。
その女性は大学院の博士課程で勉強する優秀な人だったのですが、遠距離恋愛をしていた恋人が「同じ会社に好きな人ができた。
別れて欲しい」と言ってきたのがどうしても許せず、それから復讐を考えるようになったということでした。
優秀な人だけに復讐計画はたいへんに緻密なまのですが、万に一、それが実行されれば犯罪として彼女は逮捕されることは間違いありません。計画実行後の隠蔽工作などはまったく考えられていなかったのです。
「最終的にはやるもやらないも貴方の自由としか言えないけれど、そんなこと本当にやったら、逮捕されて大学院どころじゃなくなっちゃいますね。
これまでやってきた勉強も水の泡なんですよ。復讐すればすっきりするとは言っても、そんなの一瞬でしょう。その一瞬のために人生がめちゃくちゃになる。友だちや家族も失ってしまう。なんてあんたにとっても損だと思うけど」
そう言っても、「この復讐計画を立てることが今の私の支えなんです」と繰り返すばかりでした。
しかし、カウンセリングの中で復讐計画を詳細に語ってもらううちに「考えるだけで半分くらいは気が済んだ」と思えるようになり、恋愛の成り行きとは関係なく指導教官や友だちに、家族など自分を思ってくれる人がいることにも目を向けられるようになりました。
そして、「彼への怒りはまだ収まらないけど、周りの人たちを悲しませたくないから今回は止めておきます」と心を決めたのです。
もともとは理性的で知性的、激情にかられるタイプではないことを考えれば、彼女を復讐に駆り立てたのも恋愛依存症だったと言えると思います。
ピア・メロディは、恋愛依存症に堕ち入ている人たちに対して、次のような「関係からの離脱の三大原則」を勧めています。
○1 相手におぶさるのを止める
相手のことばかり見つめているのを止める。相手のしていること、していないことに関心を払うのを止めて、それは自分とは関係ない問題と考える。
○2 相手の邪魔をしない
パートナーの人生に介入したり、それを観察・評価することを止める。助けになりそうなアドバイスや相手が破壊的に状況に向かわないように助けることも止める。
○3 自分の人生を生きる
まず自己管理を覚え、大人として自分を保護し、他人にその役割を期待することを止める。自己評価を高め、境界線の設定方法を学び、自分の現実を認識する。
つまり、「世界は自分と恋人とでできている」と考えずに、「私は私、相手は相手」とひとまず考えた上で、「世界は、自分や恋人や家族や友だちや‥‥・その他、いろいろなものでできている」ととらえ直すこと。それが恋愛依存症からの脱却の第一歩、ストーカー犯罪を起こさないための必要条件だとピア・メロディは言っているのです。
これは非常にシンプルですが、難しくそして重要な原則です。
よしもとばななの『デッドエンドの思い出』(文芸春秋、2002)の主人公ミミも、遠距離恋愛の婚約者・高梨君が赴任先で恋人と同棲を始めたことを知り、その町におしかけていきます。ミミは恋愛依存症というほどの状態ではありませんが、それでも高梨君が住んでいる町を去れず、しばらくそこに滞在することになります。
そして、下宿先である家の一階でやっている店で働く青年の優しさになどに触れるうち、「人間はそうやって、大勢の力を出し合ってどうにかして人を殺したりしないで生きていけるような仕組みを作り出したんだ」と気づきます。
「そうしたら、高梨君がすごく遠い人間に思えてきて、はじめて、私は私の手を温かくつなぐもう一つの理想を手としてではなく、自分とは全然考えが違う赤の他人として彼を捉えることができた。
だいたい私だったら、他に好きな人ができた時点で、もしそれが本気だったら、しらせるだろう。
そうでなくずるずると今の事態まで来てしまった彼は、私とは全く気が合わないのだ、そうとさえ思えた」
別れのショックや悲しみの中では、「私にはこの人しかいないんだ。別れるくらいなら殺したほうがいい」などと追い詰められた気持ちになりがちですが、実は相手は自分とは考えが違う「赤の他人」で、「気が合わない相手」だったのかもしれない。
「彼は理想的な運命の相手」などとうのは、こちらの思い込みで作り上げたイメージを見ていただけかも知れない。
そう思えるようになれば恋愛依存症やストーカーの危険も無くなるはずですが、そのためには、ミミがそうであったように「世界は恋愛だけでできているんじゃない」と気づく必要があるでしょう。
つづく 「ホストクラブ通い」という病