離婚歴のある彼女は、「チャンスがあれば私もまた恋をしたい」とふだんは絶対に口にしないような言葉を、真面目な顔でつぶやくのでした。これまではそうではなかったかもしれないけど、恋愛の大切さがやっとわかった、今度は真剣に恋愛をしたい、と思っている トップ写真赤バラ煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

目次 恋愛不安 香山リカ=著=

本表紙 香山 リカ 著

ピンバラ「大人になりきれない心」が欲しがるのも「恋愛不安」

彼女は言います。
「私も今じゃ、女性だということも忘れて仕事に打ち込んでいるけれど、『冬のソナタ』を見ていて、恋愛に胸をときめかしていた少女時代があった、ということを思い出したの。
 ヨン様は、私にもそんな純粋な部分があったことを気づかせてくれた救世主」
 そして離婚歴のある彼女は、「チャンスがあれば私もまた恋をしたい」とふだんは絶対に口にしないような言葉を、真面目な顔でつぶやくのでした。これまではそうではなかったかもしれないけど、恋愛の大切さがやっとわかった、今度は真剣に恋愛をしたい、と思っているのは、若者たちだけではなさそうです。

ピンバラ第一章 だれとも出会えない理由

先ほど私は、80年代に“アメリカ式”の恋愛観が急激に日本社会に広まったと言いましたが、お気づきのように、ここで私たちに植え付けられた新しい恋愛観はなんとも中途半端なものでした。つまり、「恋人はいた方がいい」という“思考編”だけが広まり、「なんとしても見つけるべき」という“実践編”は置き去りにされたのです。
 おそらく、「アメリカでは相手がいない男女は自分の新聞広告を出してまで、パートナーをゲットするらしいけれど、そこまではちょっと…・」というためらいが私たちの中にまだ残っているため、“輸入”はなんとも半端な形になったのでしょう。

ピンバラ第二章 恋は人生の万能薬?

仕事と恋は別、のはずが…・
『アリー・マイ・ラブ』や『ER』などのアメリカ人気テレビドラマを見ていると、弁護士や看護婦といった専門職を持っている女性たちが、あまりにも恋愛に熱心なことに驚かされます。『THE RULES――理想の男性と結婚するための35の法則』(ワニ文庫2000)「ハーバード式、夫探し必勝法」といった恋愛や結婚のためのマニュアル本や記事も繰り返し出版されたり、雑誌の特集になったりし、知的な女性たちによく読まれているとか・・・

ピンバラ「ランクの高い男」か「だれでもいい」か

恋をしていないと自分の価値がなくなったようで不安、という人の中にも、さらにふたつのタイプがあります。
「誰でもいいから自分を求めてくれている恋人がいれば、それでとりあえずは安心」と言う人、
「つきあう恋人のレベルによって自分の価値も変わるから、なるべくランクの高い男性を恋人にしたい」と言う人です。より病理性が高いのは、実は前者のほうです。

ピンバラ彼がいるのに満たされない

「女の問い、それは『女であると何だ』である」と言ったのは、その著作が難解なことで知られるフランスの精神分析家ジャック・ラカンです。ラカンは“男性中心主義”と女性運動家たちから激しく批判された精神分析哲学者フロイトの忠実な後継者、とも言われる分析家で、
「男は自分が男であることに疑問をもたないのに、女は自分が女だということを問い続ける」といったその理論は、やはり「女性を男性に比べて劣ったものと見なしている」と一時期は批判されました。

ピンバラ第三章 それほど好きでもないのに「彼次第」

一日120通のメール
 クリニックの診察室で、私と向き合いながらも携帯電話を握りしめている人が増えました。
 そこまでなくても、診察中にバッグの中でメール着信音が鳴ったりすると、はっとなって顔色が変わり、「ちょっとすいません」と慌ててチェックする・・‥、そういう光景は日常茶飯事です。
 もちろんメールより診察を優先しろ、と言いたいわけではありませんが、リモンコンで操作されているロボットのように携帯に振り回されなくとも、と思ってしまいます。

ピンバラ仕事も友だちもほっぽらかし

2003年に刊行された角田光代さんの『愛がなんだ』(メディアファクトリーは、“待つ女・追う女”と化している人たちに静かな衝撃を与えました。
 主人公は、会社でコンピュータ入力の仕事をする28歳のテルちゃん。それなりに同僚とも仲良くやっていたテルちゃんの生活は、友人宅の飲み会でマモちゃんという男性に出会ってから一変。テルちゃんは言います

ピンバラノーと言われるくらいなら

誰かを好きになるとたいていの場合は、相手に対して「私のことも好きになって欲しい」と望むようになります。
「たいていの場合」と言ったのは、中には「秘するが花」などと自分の気持ちを絶対に相手に知られたくない、と思う人もいるからです。
 しかし、それはいろいろな事情でその恋愛が許されない場合や、極端にシャイで自分の気持ちを伝える自信がない場合などに限られているようです。

ピンバラ執着しているのは「自分」

こういう“彼次第”の恋愛をしている女性たちは、大きな間違いをふたつも犯しています。
 一つは、そもそも恋愛のみを通して自信を回復したり、自己信頼感を獲得したりしようとするのが間違いだということ。
それからもうひとつは、恋愛に執着するあまり、“彼次第”の生活になっていけばいくほど、自己信頼感は高まるどころかますます目減りする一方だということです。
 テルちゃんの場合も、いつでも彼からの呼び出しに応じられるように、と正社員の職を捨ててパートの仕事に移りましたが、自分では「これでいいんだ」と思い込んでいるつもりでも、そこで自己信頼感は大きく傷ついたと思われます。

ピンバラ第四章、恋と病は紙一重

理想と現実 。不倫の恋は期待が大きい
 恋することより、世界が一変し、今まで自分とは無関係だった人や景色も、すべてこの恋愛物語を盛り上げるためのキャストや舞台装置に見えてくる。恋愛を経験した人ならだれもが知っている感覚でしょう。恋愛は人を「物語の主役」にしてくれます。

ピンバラ「運命の恋」が「一人芝居」に

それにしても、能力が高くて真面目なハルカさんがどうしてここまで不倫にハマってしまったのでしょう。
 彼女の場合、この「仕事ができて真面目」というところが逆に仇となったと考えられます。同じ世代の男性はハルカさんをライバルと見なし、悔しさのあまり「女のくせに」といったセクハラ発言で男性である自分の優位を示そうとする。ハルカさんの方もそうされると、よけいに「負けたくない」という思いが強くなります。

ピンバラ暴力男に愛される満足感

1996年に出版された業田良家さんのマンガ『自虐の詩』(竹書房)がいまだに売れ続けている、という記事が、最近の週刊誌に載っていました。
 元ヤクザで今は無職のイサオに尽くし続けている幸江さんが主人公のこのマンガ集には、「日本一泣ける四コママンガ」と書かれた帯がついています。
 雑誌連載時にはイサオと幸枝意外の人たちの話も出てくるオムニバス形式のマンガだったのですが、このカップルの人気があまりにも高かったため、単行本ではふたりの話だけを集めたとのこと。

ピンバラ「私を捨てた彼に復讐してやる」

アルコール中毒のなど依存症のカウンセリングを長年、行ってきた臨床心理士ピア・メロディは、恋愛においても依存症が起こると発見し、それを
『恋愛依存症の心理分析』(大和書房、2001)で報告しました。メロディによれば恋愛依存症は、依存症的に性質を持った人と恋愛依存症者の行動特徴

ピンバラ「ホストクラブ通い」という病

一時期ほどの勢いはないようですが、ホストクラブの人気は相変わらずのようです。ホストクラブに行ったことのない人は、「相手は商売でチヤホヤしてくれるだけなのに、どうしてそんなものにハマるの? バカみたいと思うでしょう。第二章でも触れたように、女性の場合、いくら“追っかけ”でも心のどこかではそれが本当の恋愛になる可能性を否定していない。男性の中には「じゃ、ひとときの楽しみを」と割り切ってクラブやキャバレーに出かけ、時間限定、空間限定の“疑似恋愛”をエンジョイする人もいるようですが、女性がホストクラブに出かけるときは、そこまで割り切れてはいないと思います。

ピンバラ第五章 結婚できれば、それで「勝ち」

負け犬はなぜ「負け」なのか
 2003年から04年の春にかけて、女性たちの話題を独占した本と言えば、なんといっても酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』(講談社、2003)でしょう。
 酒井さんは、「未婚、子ナシ、三十代以上の女性」のことを「負け犬」だと、この本の冒頭で明確に定義しています。これは、「結婚しているか、していないかに関係なく、自分らしく生きることこそが大切!」 などと言われ続けてきた今の二十代から四十代の女性にとっては、金づちで頭を殴られたような大きなショックでした。

ピンバラ恋人から与えられる究極のギフト

もしかするとこの幻想は、単なる社会的。文化的な“刷り込み”よりももっと根深いものなのではないでしょうか、と思うことがあります。
 前の章でも紹介した角田光代さんの短編集『太陽と毒グモ』(マガジンハウス、2004)に、「雨と爪」という作品が収載されています。主人公の男性が東京から長野の不便な場所にある本社に転勤を命ぜられたことをおそるおそる告げると、恋人は手放しに喜ぶのです。

ピンバラ母親から送られる矛盾したメッセージ

そういった“深い話”に進む前に、もう少し別の“刷り込み”論をみてみましょう。社会学者の上野千鶴子さんは、『結婚帝国 女の岐(わか)れ道』(講談社、2004)の中でこう言います。

ピンバラ第六章 恋愛不安の心理的メカニズム

恋は楽しいはずなのに
正しい愛か、病んだ愛か
 次の休暇のあいだ、むずかしい勉強をするのとめくるめくような恋愛をするのと、あなたはどちらを選びますか。
 勉強と恋愛を比べることはできないかもしれませんが、こう聞かれたら多くの人が「むずかしい勉強をするよりは恋愛でときめいていたほうがいいかな」と答えるのではないでしょうか。勉強や仕事は辛いけど、恋愛は楽しい。一般的にはこう思われています。

ピンバラ愛とは成長すること?

フロムはいったい「正しい愛」とはなんだ、と考えていのでしょう。フロムの言葉を紹介しておきましょう。
「二人の人間が自分たちの存在の中心と中心で意志を通じうとき、すなわちそれぞれが自分の存在の中心において自分自身を経験するとき、はじめて愛が生まれる。
(中略)そうした経験に基づき愛は、たえまない挑戦である。
それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業である。

ピンバラ「あなたじゃなければ」

彼らの色々な意見の中で共通しているのは、「激しい恋愛」や「ロマンティックな恋愛」の否定です。それは、ウソであり人間を堕落(だらく)させる危険な感情だ。どの専門家もまずそれを主張しています。

ピンバラ自己愛はゆがむもの

それでは、なぜ人はフロムや森田のような恋愛ができないほど、自分のかけがえのなさを見失い、それを一気に恋愛で埋めようとするようになったのでしょうか。
 この「かけがえのなさを実感できない」という状態を、精神分析学者のカーンバーグは「自己愛が病的になった状態」と考えました。病的自己愛というと、自分が好きで好きでたまらない…といった自惚れ状態を想像いますが、実はそうではなく自分で自分を正当と評価し、支えることができなくなっている場合が多いのです。
 病的な自己愛の特徴としては、次のようなものが考えられています。

ピンバラ第七章 不安に襲われたときの乗り越え方

今の恋愛世代に欠けているもの
 精神医学の先人たちが恋愛をあまり正面から論じてこなかったり、フロイトのように病的な愛と正常な愛には区別がない、つまりいわば恋愛のすべてが病的だと考えたり、かと思うとフロムや森田のように、“恋愛に溺れる”ことを悪と見なし、ひたすら「成長せよ、努力せよ」と勧めたりしているのは、一言でいえばなんとも不自然です。

ピンバラ心の発達が一歳レベル

現代の恋愛が、そこまでの時点で達成されるべきなのに、心の発達が十分でないと、成人になってから他者と健全な関係が作れず、さまざまな感情的トラブルを起こすと考えたのです。そのクラインの説は、現代に多く見られる恋愛のトラブルともよく一致しています。いくつかをあげてみましょう。

ピンバラ不安から抜け出すための11の処方箋

連想ゲームをやめ、問題を「一日ひとつだけ」に限定する
 最初は恋人が口にした一言にカチンと来ただけだったのに、「そういえばこのあいだもこんなこと、言われたし」「そもそも私ってすぐ他人にバカにされるんだ」と問題を広げすぎることはありませんか。
 恋愛にまつわる感情は、自分の心の奥底と直接つながっているため・・・

ピンバラあとがき

 大学を卒業して研修医になったとき、先輩医師から言われたことがありました。
「昔から言われていることだけど、女性の患者さんが身体の不調を訴えて外来に来たら、まず妊娠を念頭に置いて調べたほうがいいよ」
 そのときは自分も同じ女性として「なんて失礼な」といやな感じを受けましたが、そのあと実際に「微熱が下がらなくて」「なんだかお腹が張ってるんです」という訴えの原因が実は妊娠だった、というケースに何度か出会い、今では自分が後輩にその教訓を伝えるようになりました。