正面を向いて
ブルーナさんという方をご存知ですか。どこかで聞いたお名前だと思われるでしょう。
子どもの大好きな絵本で、正面を向いた、かわいいウサギの絵本をご存知でしょう。
ウサコちゃんの絵本を描かれた方がオランダのブルーナさんです。
私はご縁あって、こんど“ブルーナさんの絵本と子ども”の事を書いた『楽しくそしてあたたかく』(インパクト出版)という本を書かせてもらいました。
ブルーナさんと話をするために、オランダを二回訪問しました。ブルーナさんとお会いして話を伺っているうちに、その穏やかなであたたかいお心に触れ、いっぺんに好きになりました。
また、ブルーナさんのお考えに共鳴してしまいました。
ブルーナさんのお話された言葉の中で、ぜひお母さんに伝えたいことがあるのです。
今日はそれを聞いていただきたいと思います。
話をするときは子どもの顔を見て
ブルーナさんの描かれた絵本をごらんになって、あなたもすぐに気がつかれると思うのですが、どの絵の人物も、動物も全部正面を向いています。
当然横向きもあるべきときでも、人物や動物の顔は、正面を向いています。
私もこのことが気になっていましたので、さっそく、ブルーナさんに尋ねてみたのです。
「ブルーナさん、あなたの描かれる絵は、全部正面を向いていますが、これには何かわけがあるのですか」
とたずねますと、眼鏡を通して、やさしい眼で、
「吉岡さん、あなたは人と話をなさるとき、どこを見ておられますか」と、逆に質問されました。
「相手の顔を見て、話をしたり、聞いたりしています」
「そうでしょう。相手の顔を見て話されるでしょう。お互いに顔を見合わせて、話をしますね。それと同じなのです。
私の描いた絵本を子どもが見るときに、子どもは私の絵本の人物や動物と話をするのです。ですから、子どもと向き合っていなければ、話ができません。
子どもと話し合うために、いつでも正面を向いているのです。そうすると、この絵本を見た子供はいつも、絵本の絵と話ができるのです」
と、話されました。
この「正面を向いている」ということは、何でもないようなことですが、実はすごく大事なことなのです。
子どもを育ていくときも、お母さんはいつも子どもの顔を見ることです。
あなたは、いかがですか。
よく見かけることですが、お母さんはときどき子どもの顔を見ないで教育をなさっていることがあります。たとえば、お母さんが炊事場で、晩御飯の用意をしていらっしゃるとき、子どもが表から帰ってきました。
「お母さん、お母さん」
その子どもの声には驚きと喜びの気持ちが表れています。きっと何か見て、驚いたのでしょう。新しい発見をして喜んでいるのかも知れません。
「お母さん、あのね‥‥」
と、子どもが話しかけてきました。
「大きな声を出して、なにょ」
と、お母さんは後ろを向いたまま、子どもを見ないで返事をなさいます。
「お母さん、ぼくな、そこで、大きなカマキリとな、蛾と、ケンカをしているのを見つけたんだ」
子どもは一生懸命に話します。
「ふうん、そう、よかったね」
と、仕事をしながら、子どもを見ないまま、から返事をしているお母さん。
よくあることだと思うのです。
先生にも、これによく似たことが時々あるのです。
こういうことが何度もあると、子どもは一生懸命に話しても、ほんとうに聞いてくれないと思って、だんだん話をすることを辞めるようになってしまいます。
正面を向いて、話をする、子ども顔を見て、子どもの話を聞くということが、大事と思います。
幼児が表から泣いて帰ってきました。心の優しいお母さんは、頭から「泣きなさんな」と、大きな声で叱かりつけるようなことはなさらないでしょう。
泣いている子の前に行って、自分もすわって、子どもの顔と同じ高さに顔を持っていって、子どもの涙をだまって拭かれると思います。
また、幼児と話をするときも、お母さんが子どもと同じ高さにまでかがみこんで、子どもの顔と自分の顔とを向き合って、話をしたり、聞いたりなさると、子どもは喜んで話をし、またお母さんの話を聞くことが出来るのです。
「正面を向いて」――ブルーナさんの絵のように、これはほんとうに大事なことです。
子どもたちが昔話を好きなわけ
ブルーナさんの絵の特色の二つ目は、非常に単純であるということです。
むだなものが一つも描かれていません。
例えば、兄弟二人が飛行機に乗って、空を飛んでいます。それを下から、お母さんが見上げています。そういう状況を、ブルーナさんが描かれるとき、飛行機に乗った兄弟と、見上げるお母さんのほかにはただ地平線だけが描かれてあるだけです。
森があり、野原があり、花が咲いて、牛がいたり、川が流れていて、アヒルが泳いでいたり、いろんな物が描かれています。それに比べると、ブルーナさんの絵は実に単純です。
これ以上省略できないというギリギリのところまで省略してしまっています。
「どうして、こんな単純な絵になさるんですか」
と、私はブルーナさんに訊ねてみました。
「そうですね、私の絵は単純です。子どもが絵本を見たとき、単純であればあるほど、子どもは。いろんな事を考えると思うんです」
と、答えられました。
この「単純」ということで、思い出したことがあるのです。それは、昔話です。ちょっと聞いてみて下さい。
「昔、昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」
これが昔話のはじめですが、これを聞いた人が、頭の中に描く情景を考えてみましょう。
昔、昔――聞いた人がそれぞれ自分で、思いつく昔でいいのです。
ある人は、明治の初め頃を思い浮かべます。またある人は、江戸時代、またある人はもっと前の時代を思い浮かべられるでしょう。
いつの時代でなければならないというはないのです。それぞれの人が自由に、自分、自分で考えればいいのです。
あるところに――あなたはどんなところを頭の中に描かれましたか。
ある人は山がまわりにあって、小さな村で、村の真ん中を川が流れている盆地を描かれるでしょう。
またある人は、山がそばにあるが、前はうみであって、遠くに島が二つ浮かんでいるところを描くかもしれません。これもまた自由に描けばいいのです。
おじいさんとおばあさん――近所の大好きなおじいちゃんおばあちゃんを思い出される人、自分の家の祖父母を思う人、ひげがあって白髪のおじいさんを描く人もあれば、腰が曲がって杖をついているおじいさんを描く人もあるわけです。これもまた自由です。
子どもが昔話を好きなわけの一つがここにあるのです。
いつの時代を思い出せないと、間違っている。場所も決まっている。
そこ以外の場所ではいけない。人物も決まってしまっているという事になると、子どもは疲れてしまいます。
学科の勉強では、答えが決まっていますから、答えが合わないと、自分はだめだと言われます。でも、昔話を聞いているときは、いつの時代に、しようと、どんな場所を考えようと、人物をどんな人間にしょうと、誰からもとやかく言われないのです。
自分の頭の中に、自分の好きなように、自由に世界を描いていけるのです。ですから、どの子どもも昔話は好きなのです。
これは、表現されているものが単純であるからです。
ブルーナさんの絵にはそれが表現されているのです。ですから、子どもがブルーナさんの絵本を見ると、自由に自分の思いのままに想像する喜びに浸ることが出来るのです。
やたらに複雑で、いろんな物が描いてあるほど、子どもは想像する力をうばわれてしまって、ほんとうの喜びを感じなくなってしまうのです。
「やってみよう」という意欲こそ大事
ここで、人間の頭の事を考えてみましょう。
頭脳の前の方と後ろの方では、仕事が違います。
お母さんが子どもに言い聞かせているとき、
「うん、わかっる」
と、子どもが言いますが、このときは、頭の後ろの方が働いているのです。
子どもが授業を受けているとき、先生が説明されたあとで、
「わかったか」
と、たずねられます。子どもが、
「よくわかった」
と、答えます。このときも、子どもの頭は、後ろの方が活動しているのです。
ものを覚えたり、理解したりするのは、脳の後ろの方なのです。ですから、学業の成績は、脳の後ろの方の活動の状況によって、よくなったり、わるくなったりします。
では、脳の前に方の仕事というのは――
「私はこんなふうに思った」
「ぼくはこう考えた」
「こういうように感じた」
などというのは、すべて前の方の働きです。
想像するのも前の働きです。「ものをつくる」のも前の働きであり、「自分でやろう」とするのも前の働きです。
この前の働きは学校の成績には表れていません。つまり、点で表れないのです。ところが、この脳の前の部分の働きが、人間にとって、最も大事なことなのです。この前の働きが、人間を大きく伸ばしていくのです。
ブルーナさんが「子どもに自由に連想させたい」とおっしゃるのは、この大事な脳を子どものときから働かせることなのです。
自分で想像し、自分で感じ、自分で考え、自分で作っていく喜びを、絵本を通して経験させたいと願っておられるのです。その願いの元に、ブルーナさんは独特の、すばらしい絵本を描き続けておられるのです。
脳の事で、お母さんの場合を考えてみましょう
放送や講演をみたり、聞いたりなさった後で、
「よくわかったわ」
「なるほど、そういうことだったの。参考になったわ」
などとおっしゃる場合は、ご自分の頭の方で話を聞かれたのです。
「よかったわ」
「私も同じ考えだわ」
「お話を聞いていて、勇気が湧いてきたわ」
「もういっぺん、うちの子どもを見直してみよう」
「そうだわ、諦めないで、私もやらなくちゃ」
というようなことを感じられた場合は、ご自分の頭の前で、話を聞かれたのです。
話の聞き方としては頭の前の部分で聞かれることが大事なのです。
後ろの方で聞かれたときは、ただ単に「わかった」ですんでしまうのです。
ところが、前の方で聞かれた場合には、今後の自分の行動につながるのです。感動し、共鳴することによって、人間は「自分もやってみよう」という意欲が働くのです。
今、子どものかしこさを学校の成績の良し悪しによって決めてしまう傾向が強いのですが、これは頭の後ろの方の活動だけで決めてしまっているのです。
人間にとって、ほんとうに大事なのは、頭の前の働きなのです。テストに表れてこないところです。
このことをお母さんも、真剣に考えてほしいと思います。
「子どもに感動を与えること」――本当の教育はここにあるのです。
つづく 5 大事な一言