3、お父さんの姿
私はこの頃、よく母親のことを思い出すことがあるのです。私の母は、私が小学校にはいる前に、死んでしまいました。四歳のときでした。ですから、母親のことははっきり覚えておりません。
あとで出てきた写真で、「これがお前のお母さんだよ」と言われて、はじめて母親の顔を知りました。
母との思い出もそんなに思い出せないのに、母親のことが浮かんでくるのです。母と比べると、父とのつきあい方が長かったにもかかわらず、母ほど父が私の頭に浮かんでこないのが、不思議に思います。
私の子どもの頃は、父親というものは遠くから見せているものでした。
たまに、父がそばに来ると、また叱られるんじゃないかと、こわい存在でした。
近頃の若いお母さんに、「あなたはお父さんをどういうふうに見ておられますか」とたずねますと、「そんなに怖い人ではなかった」と答えられる方が多いようです。今の子どもの殆どは「やさしいよ」と答えます。
「怖いお父さん」はなくなってしまったようです。
きょうは、お父さんのことについて考えてみたいと思います。
リラックスすると本音が出てくる
学校で子どもたちと一緒にいるとき、授業中は、私も子どもたちも、ある緊張感をもって接してします。ところが、休み時間や放課後、運動場に出て行って、いっしょに遊んだり、話をしている時には、私も子どもたちも、授業中の緊張感から解放されて、ずいぶんリラックスした気持ちになります。
そういうときに、本音の付き合いになります。子どもたちも、授業中には見られない姿を見せてくれます。本音の話を聞かせてくれます。
お母さんだって、子どもと達と同じだと思います。たとえば、今この会場で、しかも放送の録画中に私が、
「あなたはお子さん、何人いらっしゃいますか」
と、たずねますと、きっとお母さんはあらたまって、
「はい、二人でございます」
と、お答えになるでしょう。
「子どもさんに対して、あなたはどういう態度で接しておられますか」
「そうですね。子供というものは、大人と違って、知らないことも多いですからときにはきびしく、ときには・・・」
などと、緊張してお答えになるでしょう。
ところが、この録画がすんで、表に出られて、近所の人と一緒に帰られるとき、路を歩きながら、今のような調子ではお話にならないでしょう。
「暑いわね。こんなに暑いのって、はじめてね」
「ほんとよ。朝から汗が流れ来るのよ。いやになってくるわ」
といった調子でしょう。リラックスした気分でしょう。その時の方が、あなたの本音の姿が出るでしょう。
私はこどもの本音の声を聞きたいので、休み時間や放課後などは、進んで子どもたちの話を聞くようにしています。
トシオくんがお話してくれた“しわ”の話
休み時間、子どもたちと走り回っていて、すこし疲れたので、私は藤棚の下の木陰に腰を下ろしました。すると、いつのまにか、トシオくんが私の側に来て、同じように腰を下ろしました。そして、横から私の顔をじっと見つめています。
顔を見つめられるというのは、あまりいい気がしません。たとえ相手が子どもでも、じっと長く見つめられますと、はずかしくなってきます。
「どうしたの」
と、私が言いますと、トシオくんは何とも答えないで、立ち上がって、今度は私の正面に来てすわると、また私の顔を見つめるのです。
「ね、先生の顔ばかり見て、どうしたんだ」
と、私が言いますと、
「しわがたくさんあるね」
と、言います。
「えっ」
と、私は驚きました。思わぬ言葉だったからです。
「先生の顔も、しわが多いな」
と、くりかえします。
「どうしてなの」
と、たずねます。
私は「年を取ったからね」と答えるのは、少ししゃくだったものですから、
「あのね、人間はかしこくなると、一つしわができるの。かしこく、かしこくなるほど、しわがふえるんだよ」
と言いますと、
「そうかな‥‥」
と、トシオくんは納得いかない顔つきです。
「トシオくん、どうして顔のしわがきになるんだ」
と、たずねますと、
「あのね、ぼくのお父さんも、しわが増えてきているの」
と、話します。
「それは、お父さんも、かしこく、かしこくなられたからだよ」
「お母ちゃんは、そんなことは言わなかったよ」
「お母ちゃんは何と言われたの」
「ぼくや妹が、お父さんに苦労をかけるから、お父さんもお母さんのしわが増えるんだって言っていた」
「そう。トシオくんはどう思っているの」
「ぼくね、お母ちゃんの言う通り、ぼくらが苦労をかけているから、しわが増えるのかもしれないと思った」
「そうね。これから、あんまりお父さんやお母さんに心配かけないようにしないといけないね」
「うん…。先生も誰かに苦労をかけられているんだよ、きっと」
と言って、私の顔を見つめていました。
子どもの絵は子どものメッセージ
アキちゃんは優しい子どもです。
あるとき、私の側に来て、私の手を握ったり、なでたりしながら、
「先生の手、ゴッゴッしてないわね」
と、言います。
「そうかな。あんまりいい手じゃないけど」
「私のお父ちゃんね、先生の手よりもっとゴッゴッしている」アキちゃんのお父さんはサラリーマンではありません。
大工さんなのです。手でお仕事をなさっているのです。ものを作っておられるのです。ですから、きっと手がふしくれだって、ゴッゴッしているのでしょう。
「アキちゃんは、ゴッゴッした手はきらいなの」
と、たずねますと、
「ううん、きらいじゃない。お父さんの手、大好きよ」
と、答えました。
「お父さんね、休みの日には、お兄ちゃんや私や弟の遊び道具を作ってくれるの。この前の日曜日ね、庭で遊ぶとき使う机やイスを作ってくれたの」
と、嬉しそうに話してくれました。それで私が、
「そのときの楽しかった様子を絵に描いてくれないかな」
と、言いますと、
「うん、きょう家で描いて、明日持ってくる」
と、笑いながら言いました。
私は多分、アキちゃんは、お父さんが机やイスを作っていて、お兄ちゃんやアキちゃんがそれにペンキ塗っている。
お母さんと幼い弟さんがそれを嬉しそうに見ているような、暖かい雰囲気の絵を描いてきてくるのだろうと想像していました。
その翌日、アキちゃんが持ってきてくれた絵は、私が想像していた絵とはまるきりちがった絵でした。アキちゃんが描いてきて、見せてくれた絵は、お父さんだけが画面いっぱいに描いてありました。
鉢巻をなさっています。左手は顔や体につり合っているのですが、右手が驚くほど大きく描いてあります。顔と同じ位の太さで、手はグローブのように特別に大きいのです。そして、カナヅチを握っています。
私の想像とはあまりにもちがっていますので、私はアキちゃんに、「この絵はどういう絵なの」
と、たずねました。
すると、アキちゃんは嬉しそうに、ニコニコしながら、
「これは、お父ちゃんが私たちのために机やイスを作ってくれているところなの」
と話します。
「お父さん右手が大きいね」「うん。お父さんは右手で、ノコギリやカンナを使って作ってくれるの。カナヅチで、
今、釘をうっているところ、ホラ、汗がいっぱい出ているでしょう」
なるほど、よく見ると、お父さんの顔のあちこちに汗が出ています。
アキちゃんにとっては、お父さんの右手はすばらしい手なんです。
何でも作れる手なんです。その嬉しい気持ちが右手を特別大きく表現されているのだと思います。尊敬の気持ちをあらわれているのです。私は、これが子どもの絵だと思いました。
もしも、あなたのお子さんがこのアキちゃんの絵のように、アンバランスな絵を描いて、
「これ、お父さんよ」と持ってきたとき、なんとおっしゃいますか。
「この右の手だけ大きくて、変よ。左手と同じように描かないと、おかしいわ。あなたの絵はいつもちょっとおかしいわよ」
などとおっしゃるかもしれませんね。
子どもの絵は、上手下手で見てはだめだと思います、子どもの絵は、子どもからの手紙なのです。話したいこと、聞いてもらいたいことが描かれているものです。私たちはそれを忘れないで、子どもの絵を見たいと思います。
子どもにも素直にあやまれますか?
タケオくんはよく話を聞かせてくれます。男の二人の兄弟で、弟です。ものおじしない、活発な子どもです。あるとき、
「先生、おとなはだいたいずるいねえ」
と言うのです。私は何か自分のことを言われたような気がして、
「そんなことはないよ」
と、弁解がましく言いました。
「いや、ずるいよ」
「そうかな。おとなだって、ずるくない人もいるよ、タケオくんは誰がずるいと思うんだい」
「お父さんだよ」
「タケオくんのお父さんのこと?」
「うん」
「どうしてずるいの」
タケオくんの話によりますと、二、三日前のことだったのです。
夕ご飯の支度をするとき、おばあちゃんの誕生日だというので、お母さんが特別いろいろなご馳走を作ったのです。
それで奥の座敷で食事をするというので、お兄ちゃんも、タケオくんも、お父さんも、家族みんなで、お手伝いをしたのです。
ところが、タケオくんもいろいろ食器を運んでいたのですが、お母さんの手とぶっかって、お盆の上にあったコップが一つ、床の上に落ちたのです。
ガチャーンと大きな音をたてて割れてしまいました。そのとき、そばにいたお父さんが、
「気をつけんからや、ぼんやりしているからじゃ」
と、大きな声で??りつけました。
でも、タケオくんにしたら、あの時、お母さんの手にぶつかって、コップを落としてしまったのです。そんなにおこられるのは、いささか心外だったのでしょう。
ぼんやりしていたんではないというわけです。
食事がすんだ後始末も、みんなですることになりました。そのとき、台所で、
「しまった」
というお父さんの声がして、何かこわれる音がしました。
さっきはひどく叱られたものですから、こんどは自分でないので、走って台所へ行ってみました。そうすると、コップがわれていました。お父さんがわったのです。思わずタケオくんは、
「ぼんやりしているからや」
と言いました。すると、お父さんが、
「気をつけていても、失敗することもある。“弘法も筆の誤り”というやろ」
と言ったまま、部屋の方へ行ってしまったというのです。
「先生。な、ぼくのときはボロクソに怒っておいて、自分のときはうまいことごまかしたんや。おとなって、ずるいよ」
と、言いました。
私はタケオくんの話を聞いていて、私自身がはずかしくなりました。
というのは、これによく似た事が学校でもあるのです。私も失敗することがよくするんです。そのとき、これと、タケオくんのお父さんと同じように、ごまかそうとします。
「あっ、わるかった、わるかった」
と、子どもに素直に謝ることができるようにしたいと思います。
子どもは、お父さんのことも、よく見ているんだと思いました。
つづく
4、子どもの目