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3、子どもは楽しい

本表紙

子どもは楽しい

私がある会場で、講演をしているときでした。話が終わりに近づいてきたとき、三、四歳ぐらいの女の子のお母さんと一緒に来ていて、初めはお母さんの横に座っていたのですが、だんだん動き出して、あちこちを歩いていました。

その子どもが、話をしている私のそばに寄って来ました。
そして、私のズボンを引っ張るのです。しばらくそのままにして、私は話し続けました。が、その子は一生懸命、私のズボンを引っ張り続けるのです。それで、私は会場のお母さん方に、
「このお子さんが私に何か用事があるようですので、ちょっと待っていてください」
 とことわって、
「何か用事なの」
 と、その子どもにたずねてみました。すると、その子どもはかわいい顔で、
「お話、まだすまないの」
 と言うのです。
「えッ」
 と、私は一瞬びっくりしました。思いがけない言葉でした。
「そうだね。もうじきすむよ」
 と言いますと、
「早く終わってね」
 と言います。
「早く終わった方がいいの」
 とたずねますと、
「うん、私ね、お話がすむまでおとなしくしていたら、お母さんが帰りにお菓子を買ってくれるの」
 と言って、ニコッと笑います。

「そうなの」
 と、私はうなずきました。会場のお母さんたちは笑っておられます。
「いいよ。もう終わるからね」
 というと、その子どもは、
「ありがとう」
 と、大きな声で言うと、お母さんの席の方に戻っていきました。
会場のお母さんたちはあかるい笑い声を立てられました。
 子どもってほんとうに楽しいものだと思いました。

「少し変だな」と感じること

 私は幼児教育の問題を勉強している関係で、よく幼稚園や保育所を訪ねるのです。
幼稚園や保育所の先生は毎日同じ園で、同じ子どもたちと一緒に暮らしておられるので、自分たちのしておられることに対して、考えられることが意外に少なくなってくるようです。

 当然のこととして、何の不思議も、疑いも感じられなくなってきます。
つまり、マンネリズムになってしまって、これでいいんだと思い込んでおられることがよくあります。
たまに訪れた私の方が、「少し変だな」と感じることがあるのです。

 例えば、卒園式のときに、卒園していく子どもの名前を呼びあげられますが、きまったように男の子から呼ばれます。毎朝の出席しらべにしてもそうですが、先に男の子を呼んで、すんだあとに女の子を呼ばれます。
どうしてでしょう。私はおかしいなと思うんです。

何日もかかって練習させるのです。卒園証書をもらうときは、
「名前を呼ばれたら、大きな声で“ハイ”と返事をして、園長先生のところへ、しずかにゆっくり歩いて行きます。おじぎをして、三歩前に出て、証書をもらって、三歩後ろに下がっておじぎをして、しずかに席にかえります」

 などと教えるわけです。そして、何度も練習させるのです。神経質な子どもや神経質な親になりますと、家でも練習させたりするのです。

 小学校や中学校の卒業式なら、それでもいいでしょうが、幼稚園や保育所では、こんな形式的なことをやかましく言うよりは、楽しく、そして子どもたちを心から祝い、励ますことを考えてやってほしいのです。

 例えば、子どもを一人一人園長の前に呼び出すのではなく、子どもは自分の席に座ったままで、そこへ園長が行って、先生が賞状を持ってついて行くのです。そして、園長が一人一人の前に立って、
「アキちゃん、おめでとう。一年生になるんですね、一生懸命にやりましょうね、アキちゃんの挨拶は、いつも明るくて、気持ちが良かったわ。

先生、アキちゃんの挨拶を聞くと、体がすっきりしたのよ、ありがとう。」
 と、声をかけて、証書を渡してあげる方がずっといいと思うのです。
子どもにとっても印象深い思い出になるのではないでしょうか。
 子どものため、子どもの卒園式をめざして考えていくようにしたいのです。

突然の大合唱

私は、心から「快哉(かいさい)」を叫びたいような事に出会いました。
それはある幼稚園の創立記念日の式に招待されたときのことです。
 来賓控室にすわっていますと、先生が、
「どうぞ式場の方へおいでください」
 と言って、案内してくださいました。
会場に入ると、幼児たち(四、五歳児)がきちんと式場(広い遊戯室)のまん中にすわっていました。正面に向かって右側には先生やPTAの役員、子どもの席の後ろはお母さん方、左側は来賓の席で、いろんな来客の方、年寄りの方が多いようです。

 あとで聞くと、一番はじめに式場にすわったのは子どもで、そのあとがお母さん方、そして先生と役員、一番後に来賓が入ってきたのです。
考えてみると、一番忍耐力が少なくて、長く緊張させられない幼児を一番初めに入れるという自体がおかしいと思います。幼児を一番後にしてもいいのです。

 でも、子どもたちは先生からやかましく言われているのでしょう。緊張した顔で、じっとすわっていました。
 主任の先生の開会の言葉ではじまりました。

「大変お待たせいたしました。ただ今より。当○○幼稚園の創立三十週年の記念式典を挙行いたします」
 子どもたちにはわからない言葉の連続です。それでも、子ども達は一言一言うなずいていました。
 音楽が鳴り始めました。
 その音楽に合わせて、正面の幕が真ん中からわれて、両側に静かにあきはじめました。

 舞台の飾り付け少しずつ見えています。
 そのときです、じっと静かに座らされていた子どもたちの中から、
「先生、がんばりや」
 という、大きな声がしました。

 突然雷が落ちたかのような感じです。みんな、ドキンとしました。
「ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり」
 と、その子どもが言い出しました。それに合わせて、幕が開いていくのです。

 はじめはその子だけでしたが、だんだんひろがって何人かの子どもたちが、
「ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり」
 と声を合わせて、唱えだしました。そはて、最後には、全員で、「ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり」
 と、大合唱です。

 その嬉しそうな子どもたちの顔と声。で、私も嬉しくなりました。子どもの世界をみました。
 幕が全部あきました。
 とたんに子どもたちは声をそろえて、
「はい、よくできました」
 と言ったのです。

 先生たちはまっ赤な顔をして、下を向いています。PTAの役員はにが虫をかんだような顔。
来賓はどうしたものかと、戸惑った顔です。
お母さんたちは笑っている人もいるし、にらみつけるような顔をしている人もいるし、様々でした。

 私は嬉しくて、今日来て良かったと思いました。楽しい子どもの世界をみせてもらったのです。でも、式のあと、あの子供たちがどういうことになるのか、それが心配でした。

 あの子供たちは、いけない子じゃないんです。むしろいい子だと思います。というのは、考えてみて下さい。四、五歳の子どもを毎日式の練習ですよといって、遊戯室に入れて、
「大事な式ですよ。色んな人が来られるんだから、行儀よくしないとだめですよ。はい真っ直ぐに並んで…・はい、しっかり前を向いて…・ガタガタ動かないよう…・」など注意ばかりして、子どもたちを締め付けたわけです。

 そして、子どもたちの前で、先生たちも自分たちがする事の練習をするわけです。
「じゃ、幕をあけるところをやりますからね、音楽スタート」
 園長や主任がさしずをしながら始めます。そして、
「だめだめ、もう一度、音楽をよく聞いて。幕の開け始めのときを間違わないようにね」
「ちょっと、音楽に合ってなわ」
「早すぎる、もっとゆっくり、ゆっくり」

 などと、練習をくりかえします。それを子どもたちは見ていたわけです。
何回もやり直しをするのを見ていて、心配しているのです。”先生、うまくやったね”と思っているのです。

 そして、今日はいよいよ本番。今日はやりそこなってはいけないのです。
子どもたちもドキドキしながら見ていたのです。
 音楽が鳴って、幕があきはじめました。
 思わず、子どもの一人が、
「先生、がんばりや」
 と、声を出したのです。いや、声を出したというよりも、声が自然に出たのだと、私は思うんです。

 もうそのあとは、子どもは一生懸命です。まわりのことなど忘れてしまって、ひたすら先生のことを考え、先生を応援しているのです。ほかの子どもも同じ心です。

 そして、無事にうまく幕が開いた瞬間、よかったと思うと同時に、いつも自分たちがうまくいったとき、先生に言われている言葉が思わず口をついて、
「はい、よくできました」
 と、なったわけです。

 この子どもたちの心を、先生や親はわかってあげてほしいと思いました。
 でも、おとなのつまらない形式主義を自然に打ち破ってしまう子どもたちの世界は楽しいし、これが本物だと思います。

子どもって、ほんとに楽しい

私の学級にトクヨちゃんという女の子がいました。楽しい子どもでした。
「先生、私ね、二対一よ」
 と言うのです。
「えッ、二対一?」
「うん、二対一よ、損なの」
 トクヨちゃんの言っていることがよく分かりません。
「何が二対一で、何が損なの」
 と、たずねますと、彼女は三人姉妹で、トクヨちゃんはまん中なのです。家の中で、姉さんと妹とがいつも一緒になって手を結ぶことが多く、自分は一人だというのです。

「姉ちゃんったら、いつも偉そうにするから、私が腹が立って、ケンカをするでしょう。そしたら、きっと妹が姉ちゃんにつくのよ。
二対一でしょう。負けるのは私なの。まん中は損よ。妹とケンカしたら、姉ちゃんがすぐ妹ついて、二人でかかってくるんだもん」
「そうか」
「それに、ややこしいお使いに、いつも私が行かされるんょ。”姉ちゃんに行ってもらって”と言ったら、”姉ちゃんは今勉強してる”と言うの。私が、”私も勉強してるんや”と言うたら、”あなたは勉強してるって言うて遊んでいると一緒や”って言うの。先生、まん中は損よ」
 と話します。

 でも、トクヨちゃんって子どもは、私の目から見ると、しっかりしていて、明るいのです。いろんなことで本人は損だと言いますが、いろんなトレーニングを姉や妹よりもよくしています。
いろんな経験をふんでいます。それが彼女にとっては、プラスになっていると思うのです。
 トクヨちゃんの事で、楽しいエピソードがあります。

 それは遠足に行ったときです。遠足に行った場所で、学級ごとに記念に写真を撮ってもらいました。
写真を撮る時には、気がつかなかったのですが、写真ができ上がってきて、それを見て、驚きました。
というのは、このトクヨちゃんは学級でも、背の高さが低く、低い方からいうと、一、二番ぐらいなのです。

ですから、写真を写したときは、一番前の列にいるのです。ところで、この遠足の写真だけ、一番後ろの背の高い子どもたちの列の真ん中にいるのです。しかも、背の高い子の頭と同じ高さに立っていて、笑っているのです。
「これ、どうなっているの」

 と、私がトクヨちゃんにたずねますと、トクヨちゃんは笑いながら、
「先生、教えてあげよか。このときね、近くにレンガがたくさん転がっていたから、レンガを拾ってきてね、三つ積んで、その上に乗って写したの。
私ね、いっぺん後ろの背の高い子と並んで写しかったの」
 と話してくれました。
 また、ある時の事です。

 その日、校長も教頭も出張社員で学校におられないので、その次にであった私が、朝礼の時、壇上に立って挨拶をし、話をすることになったのです。
朝礼台にあがった私を見て、私の学級の子どもたちはいろんな反応を示しました。
 真面目そのもので、いつもよりはもっと緊張している子ども。
 私が立ったのが、恥ずかしいのか、照れくさのか、うつむいたまま顔をあげない子ども。
 ニコニコ笑っている子ども。
 私の方にちょっと手を振って、合図をする子供。
 いろんな子どもがいました。
 朝礼が終わって、教室に行ったとき、子どもたちがみんな嬉しそうに笑っていました。

 そのとき、トクヨちゃんが、
「先生、台の上に立って、気持ちよかったやろ。よかったなあ。ほんとうによかったなあ」
 と言いました。
 何がよかったか、私にはわかりませんが、トクヨちゃんの方が、私よりもずっと「よかった」という顔をしていました。
 子どもって、ほんとうに楽しいなと思いました。

あとがき

テレビ静岡のローカルワイドショーのコーナーとして誕生した「テレビ寺子屋」は昭和五十二年四月、三十分番組として独立し、以来十年、五百回を迎えることになりました。

 五百回にもわたって、それも全国放送(二十五局ネット)を続けられたことは、「教育番組ということを考え合わせると、大きな成果だったと言えるでしょう。

 しかし、番組の成功は、何にもまして吉岡たすく先生をはじめ、毎回独自の教育論を展開していただいた各界を代表する豊富な講師陣のおかげでした。

 特に、スタート時からのレギュラー講師・吉岡たすく先生は、番組の半数以上にあたる二百八十回もご出演いただき、文字通り番組の大黒柱として全力で取り組んでいただきました。

 制作スタッフが吉岡先生のもとをお訪ねしたのは、先生が四十年間の教員生活を退かれて間もない頃でした。

 しかし、その後の二百八十回に及ぶ番組出演は、いくら豊富な教師経験があったとしても、決してその体験だけではなし得なかったに違いありません。
 今も毎週、複数の幼稚園の招きで園を訪れ、直接幼児に接し、教師から悩みを聞いて指導にあたられます。

 また、月十回以上の全国に及ぶ講演旅行では、講演のみならず、地方に埋もれている童話や民話を発掘し、多くの新しい人と人の出会いを生んで来られました。

 さらに、駅スタンプ、切手、お地蔵さんの写真などのコレクション、推理小説、映画鑑賞と、趣味の域を超えているそれらすべてが「テレビ寺子屋」に生かされてきました。
 若い人からお年寄りまで、聞く人の心を魅了するのは、吉岡先生のお話が通り一遍の教育論ではなく、こうした大変幅広い人生体験に基づくからに外なりません。

 吉岡先生のお話の世界は、どこまでも子どもの優しさが込められています。教師時代そのままに子どもを思い、お母さんに問い掛けられます。
 本書は、吉岡先生の十年にわたる「テレビ寺子屋」講演集から、出色の作品ばかり十五編を厳選し、自ら書き下ろしていただい「テレビ寺子屋」総編集とも言うべきものです。
本書を通して、一人でも多くのお母さんが、子供について、また子育てについて、何かを得ていただけたとすれば、たいへん幸せでございます。
 テレビ静岡編成局制作部長 角田裕勝 1986年11月25日発行