第一部 あたたかい家族
のびのび子育て
――「テレビ寺子屋」お母さん講座
第一部 あたたかい家族
母親になって湧いてきた母への想い
静岡県の沼津市に住んでおられるAさんから頂いたお手紙です。
私は旅をしていて、国鉄の駅の中に、珍しい駅名を見つけ、放送の中で話をしたことがあります。北海道に「母恋」(ポコイ)という駅があるのです。「母恋し」という名です。
いい名前でしょう。これは室蘭の一って前の駅です。この駅では、五月の第二日曜日の「母の日に」に、記念特別切符(入場券)を売り出しているのです。
きれいな絵が印刷された切符です。なかなか好評で、たくさん売れるそうです。
私はこういう話をしたのです。そうしたら、Aさんは駅の方に申し込んで、この「母恋」の切符をお買いになったのです。そして、なぜその切符をお求めになったのか、わけを書いてくださったのです。
《母は、私が二歳二ヵ月のときに死にました。父は、五歳一カ月のとき世を去りました。父が死んだあとは、私は他人様の手で育てられました。でも、私は母がいないことで、よその方のお母様を見て、うらやましいと思ったことは一度もありませんでした。
というのは、私は母を知らなかったからです。なまじ母の愛を知って、母と死に別れた方は、多分母のぬくもりを知っていらっしゃるから、母恋しという気持ちがあるでしょう。
でも、私にはそれが全然なかったのです。ところが、自分が母親になったとき、はじめて母親というものがどういうものかとわかって、今まで何とも思っていなかった母親に対して、恋しい気持ちが心の中に湧いてきたのです。
そこで、今まではそんことはなかったのですが、自分の母親の写真をいつも持って歩くようになりました。先生の放送のお話を聞いて、「母恋」駅の切符が欲しくなりました。
さっそく駅に申し込んで、送っていただきました。私はいつも母親の写真とともに、「母恋」の切符を持っているのです》
こんなお手紙をいただきました。私までも嬉しくなりました・ほのぼのとした温かさを感じるのです。
手をかけない次男がのびのびした子どもに育った
次の手紙は岡山県に住んでいらっしゃるMさんから頂いた手紙です。この手紙をお読みになると、きっとあなたも「ああ、うちも同じだわ」と思われることでしょう。
《私は、二十歳で結婚しました。二十一歳で長男が生まれました。二十一歳といえば、まだまだ遊びたい盛りの年ですので、ともだちが「どうしてそんなに早く結婚したの」とよく言います。
でも、私は待望の子育てを早くしたいと思いましたので、早く結婚して意気込んでいたのです。
そして、まず二十一歳のとき長男が生まれました。それで、子育てを始めたのです。まず育児書を読みました。片っ端から読みました、育児書にしたがってやれば、必ず子どもがよくなるだろう思っていました。
だから、仰向けに寝かしたらいいか、うつ伏せに寝かせた方がいいか、それも研究してやりました。おしめは母の縫ってくれたゆかたよりは、真っ白いものがいいとか、色んなことをやりました。
その横で見ていて、母がしまいにはあきれてしまった「子どもを育てるのに、そんな事ではだめよ」と言うんですが「いやこの本にこう書いてあるから」と言って、私は一生懸命にやりました。今から考えますと、全くの新米のだめ母親だったと思います。
ところが、次に次男が生まれました。今考えますと、長男に取った態度と、次男に取った態度とでは、ものすごい変化が起きました。おかしな話ですが、鯉のぼり一つを考えても、長男のときには、毎日毎日天気をうかがっては、あげたりおろしたりしました。
次男のときは、もう忙しいし、鯉のぼりなんかあげなくても、元気になる子は元気になるんだわと言った具合で、鯉のぼりをあげなくなってしまいました。
必死になって育てた長男、はっきり言うと、ゆるんだ気持ちで育てた次男、その二人を今見てみますと、ずい分ちがっています。あまり手を加えなかった次男の方が最近は伸び伸びとしていて、素直なような気がするのです。》
そのほか、いろいろと書いていらっしゃるのですが「長男の場合は一生懸命に手をつくしたが、意外に自分の思うようにはならない。
それにくらべて、次男の方はのびのびとしているように思える。不思議で仕方がない」と書いておられるのを読ませていただいて、なるほどなぁ、とうなずきました。
どこの家庭ご家庭でも、長男の写真がすごく多くあるのに、次男、そしてあとの子どもになると、長男の写真ほど数多くないようです。
こんなところにも、初めての子どもと次の子どもでは違っているようです。
いろいろ気を使って、手を加えた初めの子どもの方が次の子どもよりよくなるかといえば、必ずしもそうではないようです。不思議なことだと私も思います。
子どもを抱きしめよう
次のお手紙は、愛知県のIさんのお手紙です。
《私の母は、明治四十五年生まれです。その母が三十八歳のとき、私を生みました。私は五番目の子どもでした。母は五十二歳でこの世を去りました。
思い起こすと、私の母は先生が話をなさるお母さんによく似ているように思います。
私にとって非常に優しい母でした。寒い冬に、しわだらけの、あったかい、大きな手で、私の手をいつも両側からつつんで温めてくれました。
私はそのたびに、お母ちゃんがこうしてくれることがいつまで続くかわからないから、私はこのぬくもりを覚えておこうと一生懸命にそう思いました。》
私はこのIさんの言葉を大事だなと思います。親と子のふれあい――からだを通して親の温かさを感じることは、子どもにとって一番大事なことなのです。
ある二年生の子どもの書いた作文に次のようなものがあります。
《 先生、
ぼくは、お母ちゃんのおちちを見たら、すぐにさわりとうなるんや。
ぼくがさわりにいったら、お母ちゃんがおこるねん。
なんじゃろな、このきもち。》
二年生の子どもでも、母親をさわりたいと思っているのです。お乳だけでなく、母親の背中にくらいついたり、母親の手を握ったりしたいのです。
ところが、母親の方は、
「あっちに行きなさい。そんなことをしたら、みんなに笑われるよ」
などと言って、子どもを追い払ってしまいます。
もしもお宅に、小学校六年生や中学生、高校生のお子さんがいらっしゃったら、一度試してみて下さい。そのお子さんに向かって、「いっぺん抱いてあげようか」
と、おっしゃってごらんなさい。それを聞いて子どもはどうするでしょうか。多分、
「いいよ。いらんよ」
と言って、あなたに抱かれようとはしないと思います。
あなたがお産みになった子どもですよ。あなたがかわいくて、かわいくて、しようがないお子さんですよ。長く育てきたお子さんですそれなのに、あなたが抱くというのに、「いらん」というのです。
子どもは産んで十年間だけ、母親に抱かれようとするのです。
それから後は抱かれようとはしないのです。ですから、十年間だけは子どもを抱いて、抱いて育てることが必要だと思います。
そのかわり、「抱かれたくない」という年になったら、親は子どもの後を追わないことです。これが「親離れ」であり、「子離れ」だと思います。
子どもを信じてゆったり構えよう
よく家庭で見ることでが、子どもが高校受験などで、よるおそくまで勉強していることがあります。そのようなとき、母親がお茶やお菓子をつくって、勉強しているところに持って行って、
「よう頑張ってるね、でも、わかっているの?」
などと、いらん事を言います。私はこうすることをするのが、親心だとは思わないのです。子供が夜遅くまで勉強している時、台所で、貴方も起きていて、編み物をしたり、本を読んだりしてほしいと思います。
勉強に疲れて子どもが台所に来て、
「あれ、お母さん、起きていたの」
「ああ、ちょっと読みたい本があったのよ」
「そう。冷たいもの、飲もうかな」
「ちょうど、冷蔵庫に入っているわ。それから、ケーキも入れてあるから、食べたら」
子どものためにちゃんと用意をしておいてやる心配り――これが親心であり、子どもとのふれあいだと思うのです。
Iさんのお手紙の続きです。
《そのような母が、たまに叱ったときは、口数が少ないのに、私の心の奥底にしみわたりました。今まで母親に叱られた数は少ないのですが、叱られたあの印象は消えません。
私は今でも思い出すのですが、母が死にかっているとき、母自身悲しい顔をしていました。あの顔は忘れられません。》
母親が叱りながら、悲しい顔をしていたということは、大事なことだと思うとともに、叱られていた子どもがそれを感じたかというのも大事なことです。
お母さんの叱り方にも、いろいろな叱り方があるようです。
ある子供の作文です。
《うちの母ちゃんは、きげんのわるい日は一日中、おこっています。
「靴を片づけなさい。誰の靴や」
「机の上がグチャグチャやないか」
「誰が本を出しっぱなしにしてるんや。いらんのか、もう買えへんで」「テレビばっかり見へと、勉強しい」
「けんかはやめなさ」
次から次へと、やかましく言います。
私もわるいと思うけど、あんなに言われたら、いやになります。》
また、ある子どもの作文です。
《私は、勉強の事でよく叱られます。
ゆっくり考えてしていったら、「早くしなさい」と言われます。しっかり考えて、ていねいに書いているのに、「何をのろのろしているんゃ」と言われます。そういうときには、勉強をやめたくなります。
考えてみると、私がお母さんにほめられるのは、週に一回ぐらいです。
おこられるのは五回ぐらいです。おこられる方が四回も多いのです。ですから、いつでもおこられているような気がします。》
子どもを叱るということを、お母さんは一度ゆっくり考えてみてほしいと思います。
Iさんの手紙の続きです。
《「早く寝なさい」、「体をだいじにしなさい」と言われたことはよくありますが、む「勉強しなさい」と言われたことは、ちょっと思い出せません。
でも、学校で、よい成績をもらって帰って来たとき、ほんとうに嬉しそうな顔をしてくれたことは、覚えています。そんな母を喜ばせたいために、私は勉強したのかもしれません。》
このIさんと同じような経験をもっている子どももそうだと思います。子どもはお母さんをじっと見ています。
子どもが見たお母さんについて、作文を通して考えていましょう。
《ぼくのお母さんの短所は、とことんおこることです。そして、しつこいです。あっさりしていません。
前の日にあったことでも、二、三日つづいて言います。きょうはきょうでわるいんだがから、きょうのことだけおこってくれればいいのに、きのうのことも、おとといのことも、なんべんもつけ加えて、おこるのです。
もう一つ、お母さんでいやなことは、ともだちのことです。
新しいともだちを家に連れて来たら、そのともだちが帰ったあとで、きっと、
「あの子、わるい子とちがうのか」と言います。
ぼくが、「わるいことなんかないよ」
と言いますと、
「そうかな、どうもわるいように見えるけど」と言います。
友だちのことを、あんなふうに言われると、ぼくは気分が悪くなります。友だちを信用していないことは、僕を信用しないことになると思うんです。》
お母さんに気をつけてほしいこと
お母さんにすれば、自分の子どもを信用するということは大事なことです。
六年生の子どもが書いた作文です。「お母さんの顔」という題です。
《おこっているときは、目がつりあがります。いつか見たお能の面のようです。
笑っているときは、目がたれさがります。えびす様のようです。
からだのちょうしがわるくなってくると、目がトロンとしてきます。まるでおたふくです。
お母さんは、その日その日で、顔が変わります。ですから、朝起きたとき、お母さんの顔を見ると、おこられるか、ほめられるかが、だいたいわかります。》
五年生の子どもの作文です。
《私のお母さんは、心の広い人です。
私が足がおそいので、なやんでいますと、
「ドベ(ビリッコ)も大切じゃ」
と言うてくれます。
「ドベがいるから、一番の子どももいるんじゃ」と言います。
勉強の成績がさがったとき、
「みんな、よくがんばったんやな、すごいじゃないの。来学期は、ミツコががんばる番じゃな」と言うてなぐさめてくれます。
だから、私は、お母さんを尊敬しています。
私は、お母ちゃんの子どもでよかったのなと思っています。》
ミツコちゃんのお母さんのような人に育てられると、子どもは心が安定すると思うのです。
お母さんはあんまり神経質にならないことが大事だと思うのです。
ミツコちゃんのお母さんのように、フワァーとしたところがあるのがいいのです。
岡山のMさんの手紙も同じようなことを教えてくださっていると思うのです。
つづく
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