”立派なこと”をいう人には隠された真実がある、精神的死から始まった私の幼少時代
 私は自分の少年時代や20代を振り返るとき、自分を最も苦しめたのは、悪い人たちでなく、絶えず”立派なこと”をいう人達であったという気がする。

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。トップ画像

自分づくりの法則

本表紙
早稲田大学教授  加藤諦三氏著 1984年8月初版発行

 ”今の自分”を見直す12の法則

 =どんな人間に育てられたか

 1、”立派なこと”をいう人には隠された真実がある
 精神的死から始まった私の幼少時代
 私は自分の少年時代や20代を振り返るとき、自分を最も苦しめたのは、悪い人たちでなく、絶えず”立派なこと”をいう人達であったという気がする。

 私の身辺には、口を開けば”立派なこと”をいう人がたくさんいた。正義、愛情、正直、教養、それらをさかんに口にした。

 そして、その人達に私はふりまわされ、こづき回され、自分を見失い、疲れ果てた。典型的な自意識過剰で、自己不在の人間になって、生きることに消耗していた。

 私の回りには、小さい頃から、抑圧の強い人がたくさんいたのである。つまり、心の底に不安を感じながら、自分が不安な人間であるということを認めない人達である。
彼らは生きることを恐れていた。しかし、自分が恐れていることを認めることを拒んでいた。臆病でありながら、自分が臆病であることを決して認めなかった。

 自分が臆病であることを心の底で知りながら、それを認めることを拒否した大人ほど、子供に大胆で勇敢であることを求める。自分が利己主義者であるという事実を認めることを拒んだ人ほど、他人に対して厳しく利己主義を禁じる。

 かくて私は、自分の幼少時代を精神的死をもって始めることになった。自分を見失い、生きることの無意味感に苦しみ、周囲への気疲れで生きた心地がしなかった。

 私ほどひどくなくても、ありのままの自分であることを否定され、実際の自分とは違った彼らの望む人間になることを期待され、実際の自分とは違った自分を演じることを強制され、それを演じた故に、周囲の友人から“愛された”人は多いのではないだろうか。

 多くの自己喪失者、多かれ少なかれ、実際の自分とは違った人間になることを周囲から期待され。しかも非現実的ほど高い倫理を強制された人達ではないだろうか。

 他人に対する抑圧された憎悪による心の葛藤は、”立派なこと”つまり「…・・すべきである」ことなどを主張することによって、一時的に解決される。

 口を開けば、「教養、教養」と騒ぐ人が、いかに心の底に周囲への憎しみを宿しているか。それは、その人達を観察すればわかることだろう・だからこそ、「あの人は教養がない」とそのような人達が他人を批判する時の眼は、憎しみに燃えているのである。

 自分の中にある感情だけれども、自分が認めたくないものもある。すると人は、その実際にある感情を意志の力で無意識の領域に追いやる。それを抑圧という。

 抑圧の強い人が"教養のない人”を罵倒するのは、憎しみにかられているからである。しかし、その憎しみは、罵倒する時、合理化される。

 抑圧が全般的に進化した人で、”立派なこと”をいう人は、たくさんいる。われわれは、その立派な話の内容に反論できず、その人達に支配されてしまうことがある。しかし、抑圧の強い人は"立派なこと”をいうが、その動機は周囲への憎悪であったり、劣等感であったりするのである。
本人には意識されないで、心の底に抑圧された種々の衝動は、たとえば憎悪となり、それが他人にむけられる。

抑圧の強い人ほど”立派なこと”を主張する。

憎しみにかられて、「教養」とか「…・べき」という規範を叫ぶ人ほど無教養な人はいないのである。ところが、「あの人は教養がない!」と断言する時、そのひとは、自分は教養がある、その瞬間は確信できる。 

 良心、教養、愛情…・・これらの”立派なこと”を声高らかに主張し、「お前には、それでも良心があるのか!」と他人を罵倒する人は、そのように罵倒することで、自分のうちに隠された憎しみを少しでも解消しようとしているのである。

もちろん、その人は、自分が憎しみにかられてそのように”立派なこと”を主張しているとは思っていない。自分こそ"良心のひと” ”教養の人” “愛情の人”と確信している。

しかし、確信している主体が空洞化しているので、他人に自分の確信を保証してもらう必要がある。そこで、それらの"良心のひと” ”教養の人” “愛情の人”は、同じ種類の人、つまり抑圧の強い人と一緒になって、他人を非難し始めるのである。

家族が一団となって、そのような集団を形成していることもあるし、宗教など狂信的な集団を形成する時もある。「お前は愛情がない!」と相手に向かって絶叫しつつ相手を罵倒する人ほど”愛情のない”人はいないであろう。

 そのようなコンプレックスを共有した家族からは精神異常者が出るし、狂信的な宗教集団からはさまざまな悲劇が生まれる。このような集団にあっては、すべて現実は歪曲して受け取られる。

 心に不安や憎しみを抑圧しながら"立派なこと"をいう人達に囲まれて生きてきた私に、わかったことがある。
 それは、人の話を聞くとき、その内容にばかり気をとられはいけないということである。
「なぜそのようなことをいうのか」という話す人の隠れたる動機に眼を向ける必要がある、ということである。

“立派なこと”をいう人の”隠れたる真の動機”に注目することができないで。病んでいった人は多い。
 私がラジオでやっている「テレフォン人生相談」に、ある人が電話してきた。50歳の父親である。彼は「子供が小さい頃から道徳はきちんと教えました」という。
よく聞いてみると、まさに、これでもか、これでもかという”べき”論なのである。そして、その子供達は犯罪に走ってしまい、奥さんは逃げられてしまった。

 50歳になる父親は、なぜこうなってしまったのかわからない。彼が妻子にむかって”立派なこと”を叫んだことの”隠れたる真の動機”に、父親は気づいていない。
気づいていないけども、周囲はたまらなかったのであろう。愛を主張した父親の”隠れたる真の動機”は憎しみだったのである。
 自分の主張しようとすることの内容の立派さに酔って、自分の隠れたる真の動機に気づいていない人は多い。

 この父親は、自分では子供の道徳的しつけについてはことさら注意を払ってきたのに、となげくが、実は子供のあら探しをして、それを見つけると、なじることで自分の心の中のうっぷんをはらしてきたのであろう。

自分の人格にしみこんだ憎しみ、恨みに、この父親は気づこうとせず、他人を追及することに、その発散を求めていたのである。その結果、ついに奥さんにも逃げられてしまったのである。

 ところで、相手があまりに”立派なこと”をいうので、反論できずに、ついつい不本意ながら相手に引きずられてしまうということがある、と前にもいった。
そんな時、相手の主張する内容に反論しても無理である。それよりも、「あなたは、その立派なことを主張することによって一体あなたの中の何を自分と他人に隠そうとしているのですか?」と質問することである。

“他人の眼”をそんなに怖れるな

本当に大切にしたものをもっているか

 抑圧の強い人には、人々は「さわやかさを」を感じない。立派な人であり、にこやかな人であるのだけれども、本気でつき合おうとすると、どうしてもどこかに心の冷たさを感じてしまうのである。

 にこやかに人に接しながら、最後のところで人から逃げている。
笑顔で接しながら、心の底で人を避けている。
「愛こそ人生」と説きながら、いざというとうちとけない。
温かい言葉をかけるのだが、どこか不自然さがある。

 実は、うちとけようにも、うちとけるべき自分がないのである。本当の自分を抑圧してしまった人は、「立派な自分」は残ったが、同時にそれは自分にさえ実在感のない自分なのである。うちとけようにも、どううち溶けて良いのかわからないのである。

 そこで、その人とつき合う人は、どうしても冷たい隙間風を感じてしまう。本当の自分を抑圧して、空洞となった人と面と向かっているのであるから、すきま風を感じて当たり前である。

笑顔があり、温かい言葉あり、立派な主張がありながら、その人は透明人間のようにすきとおっている。それは、抑圧のもたらした自己空洞化なのである。

 抑圧は拡大深化する。我執(がしゅう)の強い親によく思われようとして、親との関係で都合の悪い衝動を抑圧すると、それだけではおさまらない。
それ以外のいろいろな感情を抑圧する。
かくて、空洞化した人間が出来上がる。空洞化した人間が、温かい言葉をいっても、どこかに冷たさを感じ取る。

何かその温かい言葉が雰囲気にピッタリとこないのである。
 空洞化した人間と、言葉の議論をしても何も得ることころはない。空洞化した人間ほど他人の愛情不足を責める。責められた人間は、言葉の議論にまきこまれがちである。

 我執の人に育てられた人は空洞化する。しかし、我執の人というのもまた抑圧が拡大深化し、自己空洞化した人なのである。自己に執着しているが、その執着すべき自己は、実をいうと不在のである。

 本当に大切にしたいものを持っていれば、自己執着型の人間にはならない。空洞化した自己に執着しているのが、我執の人、自己執着型の人なのである。

だからこそ、他人が自分をどう見るか、ということを気にするのである。
自己が実在していれば、他人が自分をどう見るかで自分の評価を決める必要はない。
しかし実は、自己が空洞であるから、他人の眼によって自分を評価せざるを得なくなるのである。自分にとっては実体のある自分はないのである。
さまざまな感情を抑圧して無意識の方向へ追いやっているからである。

 自己執着型の人間が、他人が自分をどう見るかを気にするのは、このためである。自己執着型の人間は、他人の眼を中心にさまざまな悩みをもつ。
そして時に、他人なんかどう思うったって構わないと居直る。しかし、それだけで悩みは解決しない。

2、「他人の眼」を気にするのは自分のない人だ

 抑圧からの解放、これが自己執着型の人間の悩みの真の解決の第一歩であろう。真の自己を獲得した者は自己に執着しない。自己を忘れられないのは自己がないからである。集中する、ということは、自己を忘れるということである。

対象に向かって全力を集中する。失敗したらどうしよう、などと思わない。自己の実在する人は、ものごとに集中できる。

 実際の自己を抑圧してしまった人は、集中しよう、集中しようとしながら、集中できない。
なぜなら、集中すべき自己がないからである。集中すべき自己は抑圧されているのである。あるいは、ある抑圧によって抑圧が拡大深化し、自己喪失したといってもよい。
いずれにしても、集中すべき自己がないのに、集中しよう、集中しようとしても、それは徒労に終わるしかない。

 眠ろう、眠ろうとしながら、眠れないと嘆く不眠恐怖症も、眠るべき自己がないのに眠ろうとしているのである。そう考えると、うつ病者が不眠に悩まされているのが良くわかる気がする。自己の他者化が進んで自己不在なのであるから。

つまり、自分を他人の期待に合わせることで、自分がなくなってしまっているのである。――自意識過剰の自己不在。

 他意識過剰の他者不在という人もいる。他人がどうしたか、他人が何を言ったかと異常に気を遣(つか)う。他人のささいな言動に敏感に反応する。
ところが、他人への思いやりはゼロなのである。

 他意識過剰の他者不在の人に、人々が冷たさを感じるは当然であろう。
こちらのささいな動きから、他人が自分をどう思っているか、ということを推(お)しはかろうとのみしているのである。

その人の関心はそれ以外にないのである。こちらがどのような人間かということは、まったく関心がない。こちらが心の交流をしようとしても、他意識過剰の他者不在の人とうちとけようにも、むこうがわれわれの存在に関心がないから、うちとけられない。

 自意識過剰の自己不在の人も、他意識過剰の他者不在の人も、いわゆる冷たい人である。どんなに善人そうに振舞って「立派なこと」をいっても、うちとけあった友をもたない。心を開いて語り合う恋人も妻もいない。

 そう考えてくると、人間的温かさとは、何のことはない。自我が確立したことにほかならない。真の自己を獲得した人こそ、心の温かい人なのである。

 平凡なことであるが、これは大切なことである。このことがはっきりわかっていないからこそ、この世の中には悲惨な涙を流している人々がいるのである。

つまり、他人に対しは善人そうに振る舞い、立派なことをいっていながら、弱い者をいじめている心の冷たい人がいることである。

いじめられている人が、それを訴えようにも回りの人々は信じてくれない。
なぜなら、その人が立派な人と周囲の人々には思える場合もあるからである。

 立派そうな親に育てられた悲惨な子、そしてその子も歪んでいるが故に、また弱い立場の人間に加害者となっていく。
悲惨は繰り返される。いじめられっ子は、状況によっていじめっ子に変わる。殺され屋は、状況次第で殺し屋になる。

3、何を基準にして人を見たらよいのか

心の温かい人・心の冷たい人

 私は、心の温かい人と冷たい人を見分けるのに、その人の言葉をあまり基準にしない。今まで述べてきたことで、どんなに「立派なこと」をいっている人でも、心の冷たい人がいることがわかる。
憎悪にかられて「立派なこと」をいっている人だっている。こういうことは、その人のやっていることでもわからない。

 毎日おみやげを家に持って帰り、休みには家族旅行につれていくような立派な行動をする父親でも、中には心の冷たい父親もいる。
恩着せがましさで子供の心を息苦しくさせてしまう。父はそうとも知らずに子供の精神を殺している。

 慈善事業をしていても、それだけでは心の温かい人とは思わない。
もちろん慈善事業は「立派なこと」である。今はその点について話しているのではない。自分を立派に見せるために、慈善事業をする人もいるのである。

 私が温かい人と冷たい人を見分ける基準は、その人が胸襟を開いて語り合える他人をもっているかどうか、と言うことである。
それが友人であろうと、恋人であろうと、妻であろうといい。誰であっても、とにかく心を開いてうちとけ合える人をもっているかいないかが、心の冷たさと温かさを見分ける私の基準である。

「立派なこと」をいわなくても、またやっていることを見るとあまり立派であるとばかりいえなくても、心の温かい人はいる。良い子、良い生徒、善良な市民でも、心の冷たい人はいる。

 それは他人にはわからないだろう。もし、われわれが一日二十四時間その人を観察していれば、善良なる市民の行動の中にも頭をかしげることがあるかもしれない。しかし、われわれは他人を一日二十四時間見ているわけにはいかない。

 過ちを犯す人もいるし、犯さない人もいる。しかし、過ちを犯さない人が心の温かい人で、過ちを犯した人が心の冷たい人というのでもないであろう。

 我執の強い親に所有されて育った人がいる。自意識過剰で自己不在、他意識過剰で他者不在、親を怖れて幼児的依存心を40歳になっても持っている人がいる。
その人は親を怖れて幼児的依存心をもつ故に、親の社会的体面をけがすようなことは決してしない。つまり、社会的に過ちを犯さない。

 そして、過ちを犯している人を見ると、抑圧からくる怨念で凍るような冷たい眼で糾弾する。過ちを犯したか、犯さないか、ということと、心の温かさ、冷たさとは違う。
今述べた人などは、過ちをおかす自己すら不在だったのである。

自我が確立された人には魅力がある

私から見て心の温かい人と父親についての話をしていた時である。その人の父親は亡くなってから、もう30年以上もたっていた。私はその人に、亡くなった父親について聞いた。ぽつんと、
「憎しみしかないね」

 といった。それ以上は聞かなかったが、この父親も立派なことをいい、社会的体面を保っていたことが、私には想像できた。
 しかし、自分の亡くなった父親に、

「ひどいこともいっていたし、立派でないこともしてたけど、死んでみると懐かしいなあ」
 という気持を持つ人もいるであろう。心の温かい父親と心の冷たい父親の差なのである。肉親に限らず、別れてから懐かしさを感じるのは、その人の心の温かさ故でなかろうか。

『人間的魅力の研究』(伊藤肇著・日本経済新聞社刊)という本に、懐かしくない人間はダメである、と書いてあるが、その通りであろう。
孫引きで申し訳ないが、その本に「ある禅者の夜話」という本について書いてある。
それによると、本業の禅坊主というものはあっけからんとしているものだそうである。
毎日毎日きちんと座禅をやっているくせに、座禅など組んでいるようなことは一言も言わず飄々(ひょうひょう)としているらしい。
そういうお坊さんがホンモノなのだという。その通りだろう。ところが、反対に「自分が禅僧であることを意識して、いかにも豪放らしく振舞うのは、だいたいインチキと思って間違いない。

そんなのに限って、一見豪放にみえて、裏のほうでは小心翼々として俗世間のことばかり気にしているつまらぬ坊主である。」という。(同書より)

 いかにも豪放らしく振舞うのは、自意識過剰だからであろう。いかにも温かそうに振舞う人も、自意識過剰で心の冷たい人である場合が多い。

 温かさというも、人間的魅力というも、実は先に書いたように平凡なことではなかろうか。魅力とか温かさというと、何か特別のもののように感じるが、人格の統合性というか、自我の確立というか、自己発見というか、それだけのものであろう。
自我が確立された人は魅力があり、温かくもあるのであろう。
 ところが、この平凡なことが、実は大変難しいことでもある。
そこで、この正道を歩もうとせず、われわれは奇道によって心の温かさを得ようとするから、複雑になってしまうのである。あたりまえに生きていれば、心の温かい人間になれる。しかし、この当たり前に生きるほど難しいこともない。

 人間の魅力とか温かさというのは、いっていることや、やっていることが、その人の無意識の部分で納得されている時に出てくるものであろう。先に述べたように「隠れたる真の動機」のない人である。

4、心を開いて語り合える友がいる人は温かい

人格とは「温かさ」である

 人格、人格と人はよくいう。しかし、人格とは、いったい何であるのか?

 人格とは「温かさ」である、と私は思う。依存心の強い人は、どのように表面をとりつくろおうと「冷たい」。
依存心の強い人は、たとえどのように表面をとりつくろおうと、相手が自分に「役立つ」ことを求めている。相手が自分になすべきことは、「役に立つ」ことであると彼は信じている。
冷たい男というのがいる。上役や部下ばかりでなく、妻子まで利用しようとしている。
妻子まで自分に役立って、はじめて妻子と感じている。友達なども「役立つ」ことでしか、意味を持たない。

 依存心の強い人は、関係そのものを楽しめないから、相手が自分に「役立つ」ことを求めるのである。友達と酒を飲むこと自体が楽しければ、もはやそれ以上のことは友達に求めない。

家庭そのものが楽しければ、それ以上は妻子に求めない。しかし、家庭そのものを楽しめないから、妻や子供も自分の金もうけに役立つか、自分の社会的体面を維持するのに役立つかしなければ彼には妻子の意味がない。

 要するに、依存心の強い人は、友達も、妻子も、上役も、部下も、恋人も、ありのままに受け入れていてないのである。
そして同時に、受け入れられてもいない。彼は相手を所有する。従って相手は所有されているだけである。ここには相手を受け入れ、相手も受け入れ、相手も自分を受け入れるという関係は生じない。

 依存心にとって可能なことは、所有―被所有、支配―被支配の関係である。支配される人と服従する人の関係が、依存心にとっては心地よい関係なのである。
他人を所有しようとする人は、心の底に敵意と恐怖を宿している。
 依存心にとって居心地の悪いのが、愛とか尊敬とかいう関係である。
従って、対等の友人がなかなかできない。
上役に服従したり、子供を支配したり、という上下関係はできても、対等の同僚と親しい関係はできない。

 私はどんなに「立派なこと」をいっても、心を開いて語り合える友人のいない人をあまり信用していない。二言目には、「愛情」とか、「気持」とか、「やさしさ」とかいっていた父親がいる。

友達のいない人である。家庭には小さい女の子が三人いた。赤い羽根の募金運動の時である。映画館の前に、赤い羽根の募金のような顔させて三人の女の子をならべた。箱にお金を入れても、必ずしも赤い羽根を要求しない人がいる。

そこで、自分の子供に赤い羽根をいくつか渡し、映画館の前にならばせたのである。
歳末の寒い時期にも同じ方法をとらせた。寒い街に少女達は立った。娘をつかった詐欺である。中学生の娘に売春させていた母親がいるが、どちらがひどいか分からない。

 父親は、それでも自分は「愛情深い人間」と信じているのである。依存心が強いと、このような錯覚が可能になる。彼の心は氷のように冷たい。
大人としての人格が未発達なのである。彼は子供なしに生きていかれない。なぜなら、子供を「所有」しているからである。

 その幼児的依存心を、愛情と錯覚する。自分は子供なしには生きていかれないから、子供を「愛している」と信じているのである。
彼は子供が死んだ時、何週間も寝込んでしまった。そして、自分は人以上に子供を愛している愛情の人と信じた。彼は自分の所有物を失ったことによって悲しんでいるとは思えなかったのである。

 その証拠には、ある人がその人に死んだ子供の思い出を聞いた時、何も語ることがなかったことである。もし本当に愛していたら、「あの子は、あの木の下で、こんなふうに遊んでいた」「あの子は、こんな時、よくこういったものだ」など、いつまでも語ることはある筈であろう。
彼が死んだ子について語ったことは、「数学がよくできた」ということだけであった。
 依存心が強く、氷のように心の冷たい人がいる。そして自分より弱い立場にある人を「所有」し、「愛している」と錯覚する。
 大切なことは、人格とは「温かさ」であるという理解である。

人間も精神的脱皮を重ねて成長する――

『動物の親と子』(岡田要著・新潮社刊)という本を読んでいたら、動物の変態の話が出ていた。昆虫をはじめ多くの節足動物は、体の表面に固いキチン質の被膜がかぶっている。
これは防衛のためである。しかし、これが内部の軟体の自由な発育をいちじるしくさまたげている。脱皮はこの障害をのぞく手段である。

つまり、節足動物は脱皮ごとに飛躍的に成長する。そして、この本にはエビ類とかカニ類が脱皮によって、どのように姿かたちが変わるかという図が出ている。その図を見ていると、エビでもカニでも、われわれの見なれている型になるまで何回も脱皮して、かたちを変えているのだということがよくわかる。

 このエビやカニが、幼児期から脱皮して姿を変えていく図をみていると、われわれ人間の精神も、実は何回も幼児期から脱皮するべくできているのではないか、という気がしてくる。

 ところが、抑圧というキチン質の被膜がやはりわれわれの精神にある。エビやカニの場合には、自然の成長のなかで脱皮が行われるが、どうやら人間の場合には、抑圧が強すぎて脱皮がおこなわれない場合があるようである。

 そして、脱皮のおこなわれない精神の持ち主が弱い立場にあると、神経症になったりする。また、脱皮のおこなわれない精神の持ち主が強い立場にあると、「図々しさ」「狡猾さ」「厚かましさ」などをもつ、いわゆる冷たい人間になるのではなかろうか。

 図々しさ、狡猾さ、厚かましさは、対人恐怖の一つの現れ方なのである。普通に他人に接することが出来なくて、こうなるのである。厚かましく、図々しい人間が、時に知人に対して妙に気が引けていたりするのを観察できる。

5、「言葉」がそのまま人間性をあらわすとは限らない

誇張された表現には「真実」がない

 丸山真男氏(東大名誉教授)の『軍国支配者の精神形態』に、極東軍事裁判のことがかかれている。その中で判事が次のように述べる個所がある。

「われわれは行動というものに対して関心を持っているのであって言葉には関心がない。」
 実際の人間関係を考えるのには必ずしも裁判通りにいくものではないが、右の判事の関心のもち方は、人間関係を考える時、参考になる。

 われわれは、口ではどんなに立派なことでもいえる。
「俺は自分のことなんかどうでもいいんだ、皆さえよければ」
「私はあなたを愛している。あなたのためなら死んだっていい」

 これらの内容が立派とは思えないが、行動の伴わない人間は、この種のことを立派なことと錯覚してよくいうものである。立派でないというのは、これらの言葉は当の本人の依存心をあらわしているからである。

 ところで、内容の立派、立派でないは別にして、この種のことをいう人は、たいてい行動しない。
「俺は自分のことなんか、どうでもいい」

 といいながら、実際の行動は利己主義に徹している。「自分のことなんか、どうだっていい」なら、自分の財産を経済的に困っている身内に分けるかというと、決してそのようなことはしない。
実際の行動においては、他人を搾取していながら、「俺は自分のことなんか、どうだっていいんだ」というのである。従って、他人を判断する時、その言葉を判断してはいけない。

「俺は自分のことなんか、どうでもいいんだ」と言った人、現実に自分のあり余る財産を、経済的に困っている友人や親戚の人に分けてあげるのなら、信用してもいい。
しかし、このように極端なことをいう人は、たいてい普通の人以上に利己主義の我利我利(がりがり)亡者である。つまり、誇張された愛他主義の表現は、自分の中に愛他主義の精神が欠如していることをあらわしている。

他人のために何かすることができない人間が、自分のその欠点を自分から隠そうとする。その抑圧が誇張されて「自分はどうだっていいんだ」という表現になってあらわれるのである。

 従って、この種の表現を好んでする人の過去を調べてみればわかる。いっていることとは裏腹に、たいして勤勉に働いていないくせに、大財産を築いたりする。つまり、ずるく立ち回って、他人をごまかしながら財産を築いているのである。

 そして、始末の悪いことは、そういう本人が自分の言葉を「信じ」ていることである。もちろん心の底の一番底ではウソとわかっている。それだけに、余計、他人が自分の言葉を信じることを要求してくる。

「言葉」でだまされる側にも、それなりの弱点がある

 自分の愛人に向かって、「死ぬほど愛している」などとオーバーに愛の表現をする男は、女房と別れるという行動はしない。
自分の家庭生活には何の変化ももたせないまま、愛人との関係をうまくやろうと「無意識に」望んでいる男が、このようなオーバーな愛の表現をするである。

 ところが、始末の悪いことに、このようなオーバーな愛の表現を深刻ぶって苦渋に満ちた表情でする男は、自分では本当にそのつもりになっている。
彼はずるく、うまくやろうとは意識していない。うまくやろうとしているのは彼の「無意識の」部分なのである。

自分の「ずるざ」を抑圧しているから、このようなオーバーな表現になる。自分のずるさから眼をそらし、自分には「愛の人」と「確信」している男は、このような表現をする。

 女性にしてみれば、大切なのは先の判事の発言である。
「私はあなたの行動というものに対して関心をもっているであって、言葉には関心ありません」
 と女性はいうべきであろう。

 ところが、女性の側はあまりこうはいわない。おそらくこのようにいって自分が望むようには愛されていないのだ、ということが明らかになることを怖れているのであろう。
かくて、その場その場の情勢に引きずられて、ずるずるべったりの深みにはまっていく。男性の側にも女性の側にも、責任意識が希薄なのである。
 だいたいにおいて、オーバーな表現する人間は、自分の言葉に責任をもたない。
「俺はお前を死ぬほど愛している」
「ありがとう。ちょうど私、今ここに、毒薬をもっているの」
「・・・・」
「今、ここに、水もあるわ」
「・・・・」
「すべてがそろっているわ・さあ・・・今、ここで、のみましょう」
「・・・でも・・・」
「私から飲むわ」
「いや、待ってくれ、俺には子供がいるし、会社に対してもそんな無責任なことはできない」
 と、まあ別の責任によりかかって、相手の責任から逃げようとする。

 相手の女性との生活に対して、将来の見通しやきちんとした計画をもっている男性なら、こんなにやたら愛情を誇張して表現はしない。
女性に対して誇張した愛の表現をする男が第一に求めているのは、小市民としての安泰な生活である。

それに退屈した時に、自分の安泰な生活に空想的改革案をもつ。しかし、臆病で行動はできない。その矛盾を、誇張した表現で乗りきろうとしているのである。

 隠れたる真の動機が、憎しみや冷酷さでありながら、誇大な愛の表現をすることはできる。そして、その犠牲になる人もいる。

この時、悪いのは真の動機を自分にも相手にも隠して愛をささやく人間である。ただ、すべての人がこの種の愛の表現にだまされて苦しむわけではない。

 その種の愛の表現にまいってしまうのは、やはり、その人の心に弱点があるからである。弱点とは次のようなことである。他人に注目されたい、世話をされたい、愛されたい、しかも自分の自己愛的依存心を満足させられるような形で――。

 もし、その人がナルシシストでないならば、相手の愛の言動に、「何かウソがある」と感じとるものである。「隠れたる真の動機」というように言語化できなくても、年齢相応に情緒的成熟をしている人なら、何かウソを感じとるものである。

 ところが、ナルシシストは、自分をそのように誇大な表現でほめてくれる人がいるとまいってしまう。自分のナルシシズムを満足させたがっているというような弱点をもつ人間は、「隠れたる真の動機」の犠牲になってしまうことが多い。

6、人間のもっている”欲”を素直に認めよ

強欲を無欲と見せかけている心理

 まったくの無欲の顔をしている人間の中に、恐るべき強欲な人間がいる。
恐るべきほど強欲な人間でない限り、まったくの無欲な顔はしないものである。

そのような人間は、自分にさえ自分の驚くべき強欲を隠している。従って、自分でも自分が無欲のつもりでいる。自分にも他人にも無欲の「ふり」をする。

 普通の人間は、人間にとってのあたりまえの欲は認めて行動する。お互いに認め合って行動する。今のような世の中で、百%利害を無視して1日24時間行動し、しかもそれを生涯の終わりまで実行できるというようなことを普通の人はいわない。

 ごく普通の人は、利害も無視しないが、利害をはなれて愛情だけでも行動する。あるいは、一見、利害から出たと見える行動でも、その中に愛情もまた含まれている。また一見、愛情だけから出たと思われる行動の中にも利害を考えたところがある。そんなところではなかろうか。

 しかし、世の中には、親兄弟はもちろん、夫婦であろうが、友人であろうが、完璧なまでの不信を心の底にこびりつかせ、自分だけの利害のみ考えて行動していながら、「俺のように無欲な人間はいない」と言っている人もいる。

この人は、自分を極端までに強欲な人間であって、世界中の人間を誰も信じていない人間であるということを心の底では知っている。
しかし、そのあまりの強欲さを心の中で意識しないためには、自分は完璧に無欲な人間であるという、極端なイメージを必要とする。それでなければ、心の中のバランスが保てない。

 自分にも他人にも無欲な顔をして、自分の強欲を通そうとする人間と話し合うことはできない。よく政治家が強欲という。権力の亡者であるという。しかし、私は、このような人達のほうが、今述べてきた人達よりはるかによいと思う。お互いに、人間は欲で働くことを認め合って行動しているのであるからこそ、そこには欺瞞がない。

 商売は相対のだまし合いだ、ということを聞いたことがある。それはそれでよい。お互いに、そう覚悟して商売しているのである。しかし百%慈善事業のように、自分にも他人にも思わせながら金もうけをする人は、どうであろうか。

 俺もお金が欲しい、お前もお金が欲しい。でも、俺だってお前だって、それだけじゃ淋しい。俺だってお前だって、これはゼニ金の問題じゃないんだ、と心意気でやることもしたい。
お互いにこのように認め合い、許し合ったうえでなければ、友人として理解し合うことができないのではなかろうか。

 まったくの無欲のような顔を自分にも他人にもしているが、実は強欲な人とは心を開いて語り合うことも、理解し合うこともできない。
なぜなら、彼らは話し合いの中で、自分は強欲であるという事実に直面することを避けるからである。彼らにとって話し合いとは、そのことを避けるための話し合いなのである。

自分の中にもある「冷たさ」を認めること

彼らが欲しがっている友人とは、自分がいかに無欲であるか、ということを自分に向かって証明してくれる人である。さらには、自分以外の人間がいかに強欲であるかということを証明してくれる人間である。

孤独に苦しみながらも、心を開いた友人のいない人達は、このように自分の抑圧を助けてくれる人を求めている人である場合が多い。

 孤独な人の中に、心温かい人をことさら避ける人がいる。心温かい人は、自分に本当の自分を気づかせてしまう可能性があるからである。
孤独な人が、どうしてか心冷たい人に惹かれていく時がある。
いやむしろ、孤独な人は心の冷たい人との接触ばかり求める、といったほうがよいかも知れない。

それは、自分に関する事実で、どうしても自分が認めたくないことがあるからである。心の冷たい人を求めるのは、心の冷たい人いる時は、自分を騙し続けられるからである。

 自分は情だけで動いているような顔をしている人に、血も凍るような無情な人が多いのも同じことである。誇張は欠乏の証明。自分は血も涙もない人間ということを心の底では知っている。

 しかし、どうしてもそれを意識したくない。そのために、「俺くらい情だけの人間もいない」と絶えずいっていなければならない。
この人にとって最大の問題は、自分が血も涙もない人間であることの事実を、いかにして自分と他人に隠すか、ということである。

 話し合っているうちに、そのことを認めざるを得ない立場に追い込まれれば、激しく反発する。決して認めない。相手を激しく憎む。そして、相手を「実に嫌な奴だ」というようなことをいう。結果として、心を開く友人は一人もできない。

われわれは、強欲であろうが、無情だろうが、心を開く友人はつくれる。

自分が強欲である。自分が無情であることを認めさえすれば、友人はできる。心が冷たい人間だって、必ず友人はできる。

 なんで心が冷たくて友人ができるのか、という疑問も出てこよう。
しかし、人間の中で欲だけの人とか、完全に情の欠如した人などというのがいる筈がない。
自分の中にある冷たさを認めることを拒否することは、実は温かい情の働きを禁じてしまうことになるのである。

 他人と親しくなるのに、冷たいこと、利己主義なこと、欲張りなことなどが問題になるのではない。自分に関するそれらの事実を自分が認めないことが、他人と親しくなることに障害となるのである。

 ありのままの自分を受け入れられない人は、ありのままの他人を受け入れることはできない。自分で自分を拒否してしまった人は、他人をも拒否する。

7、「漠然たる不安」を感じる時、知っておきたいこと

 旅に出る時の不安は、どこからくるか

 誰であったか、業者の名前は忘れたが、旅について次のような体験談を書いていた。
 旅を企画する時は楽しいのであるが、その日が近づいてくるにつれて、次第に不安な暗い気持ちになる。というのである。

その理由は、自分の生存の基盤である家を出るということで、自分の生存の基盤にひび割れが起きるからだ、という。
 旅に出る時の心理については、私自身も同じ心理を味わっていた時があったので、よくそのことを覚えている。しかし、その理由については、どうも納得がいかなかった記憶がある。

 では、なぜ旅に出る時、不安な暗い気分になるのだろうか。
 ウォルマン(児童心理学の権威。ロングアイランド大学教授)が、『子どもの恐怖』(作田勉訳・誠信書房刊)の中で、広場恐怖について次のように説明している。

 親に寂しい気持ちがあり、自分の恐怖や不安を軽減するために、子供にそばにいてほしいと考えている時、子供が広場恐怖症になることがある、というのである。
ところが、親の側は自分がこのようにして子供の心を縛っているということに気が付いていない、という。親は子供にしがみつきながら、それを子供への愛情とさえ錯覚している場合が多い。

 父親がいつも不機嫌であったり、暴力的であったりすると、子供は母親を気遣う。男としても挫折した父親が、その不満を母親に向けて母親に辛くあたっていたりすると、子供は母親を一人残して外に出ることに罪悪感をおぼえる。

 ウォルマンは役割逆転という言葉を使っている。親の役割が子供を気遣うようことであるのに、逆に子供が親のことを気遣うようになってしまう。

 子供はそのような時、外に出るのを嫌がるようになり、本当の感情がどのようなものであるかわからないで、単に広々とした場所にいるのが恐ろしいと信じ込んでしまう。

 ウォルマンは、母親の死後、重篤な広場恐怖症におちいっていた少女を治療したことがある。その少女は、父親を一人でほっておくのが恐ろしかったという。
つまり、広場恐怖症の子供は、自分が家から出るのが恐ろしいといわずに、母親と一緒にいたかったという。ウォルマンによれば、広場恐怖症は、自分が家にいない間に何か恐ろしいことが起こるかもしれないという恐怖の置き換えであるという。

安心感がないから家を離れられなくなる

 旅に出る時、何か不安な暗い気持ちになるということについて、同じようなことなのではなかろうか。広場恐怖症ほどの重篤な情緒の歪みではないが、子供時代の家を離れる恐怖がその人の心の中に残っているのではなかろうか。

 家族が安心とやすらぎの場である子供は、家を出ることに不安はないであろう。しかし、父親が母親をいじめたり、母親が子供に当たり散らかしたりしているような家庭では、子供は外へ出る時不安であろう。

自分のいない間に、何か恐ろしいことが起こるかも知れないと心配になるのは当然である。
 広場恐怖症の場合、親が根本的に態度を変えることで驚くほどよくなるケースもしばしばあるという。母親が自信をもって行動するようになると、それまで母親を一人残しておくことを怖れていた少年が、広い広場に行くことを恐ろしがらなくなる場合もあると、ウォルマンはいう。

 大人が旅に出る時、何か気がすすまなくなるというのも、子供の頃の家庭の不安が残っているからではなかろうか。大人になっても、自分のいない間に何か恐ろしいことが起こるかも知れないという不安が、完全に脱けきれないのではなかろうか。

 親が不安や葛藤に苦しんでいると、子供の言動に、親の隠された不安や葛藤が反応してしまう。そのような親は、子供の何気ない言葉で急に怒り出したり、不機嫌に黙り込んでしまう。
それまで機嫌のよかった父親が、「○○ちゃんの家、今度、車買ったんだよ」といったとたん、仁王様のような顔になって黙ってしまったり、そういった子供をにらみつける。

 父親はその子供の一言で、車の買えない劣等感を刺激されたのである。いずれにしても、家の主権的人物の機嫌がまったく予期できず、コロコロ変わる家庭には、不安な雰囲気があろう。そんな家庭に心やさしい子供がいるとしたら、心配で家を出られないということは起きてくる。

 これが重篤な場合は、広場恐怖症にまでなることもあろうが、そこまでいかない場合もあろう。
子供の頃から家を安心してあけられない、そんな人が成長してから、旅に出る日が近づくにつれて不快な気持ちになるのではなかろうか。

8、親からの心理的離乳をチェックしてみよ

家庭に縛られていると罪悪感が生まれる

広場恐怖症が、広場に行くのが恐ろしいというよりも、家にいたいというのが本質のように、旅行不安も、旅行に出るのが恐ろしいというよりも、家にいたいということに本質があるのだろう。

旅行そのものに行くのが嫌というのではなく、旅行に行くために家を空けるのが不安なのである。
 小さい頃にできあがった感情は、なかなか消えるものではない。

小さい頃、母親を一人残して家を出ることに罪悪感を覚えた者は、大人になっても、仕事以外で外に出る時には罪悪感を覚えるのでなかろうか。

 心の優しい子供でなければ、親を気遣うというようなことはないだろう。役割逆転ということは、心の優しい子に起きることに違いない。

 父親の横暴に苦しんで、母親が子供にいつもこぼしていたらどうなるか。
優しい子供は母親を気遣うようになる。しかし、すべての子供そうなるわけではない。
「お母さん、そんなこと相談されても私には荷が重すぎる」という子もいるだろう。そのような例を私は知っているが、そういった子は大人になっても恐怖症にはならない。

 私は外に出てゆくのに罪悪感をおぼえるのは、このような場合だけではないと思っている。一般的には、親が情緒的に未成熟で子供にしがみついている時に起きてくるのではなかろうか。
ひとりぼっちの母親を一人残して家を空ける時には、もちろん子供に罪悪感がでるのであろうが、そうでなく家族が皆そろっている場合でも、外に出ていく子供に罪悪感が出てくる。

家族一点張りの息詰まるような家だって同じことであろう。

家族一点張りの息詰まる家庭というのは、どうしてできるのだろう。

おそらく家の主権者が外で挫折している時であろう。男として外の世界で挫折し、しかもその挫折を認められない父親が、仕事なんかくだらないと主張し、挫折した自分を守る価値観として家庭をもち出してくる時である。

 親は自分を防衛するために、家を必要としている。傷ついた自分の虚栄心を満足させるために、子供を必要としている。
親は葛藤と不安に苦しんでいる。

外の世界で挫折しているから、外の世界に心を開く友人がいない。
その孤独を家庭で癒(いや)そうと家にしがみつく。子供に心理的に依存(いぞん)してくる。

 そんな家で育った子供は、やはり一人で家を空けることに罪悪感をもつであろう。寂(さび)しい親は、自分の孤独を癒すてために、子供に常に家にいてほしいと願っている。子供は親のその期待を感じとる。親の期待に背く時、罪悪感は生まれる。

 大人になって、そのような感情には理由がないとわかっても、心の中に不安は残る。それが旅に出る日が近づくにつれて、心は息苦しくなるということではなかろうか。
その人は、大人になっても、また心理的には小さい頃の家庭に縛られているのである。
 
“親離れ”することで不安はなくなる
 ウォルマンは、広場恐怖症ではなく学校恐怖症についても、同じようなことを前掲書の中でいっている。つまり、そのような子は学校が怖いのでなく、母親と一緒に家にいたいということなである。

学校に行っている間に、何かが起こりはしないかと心配し、家から離れることを恐ろしがっているという。これが今の日本の登校拒否児にそのままあてはまるかどうかはわからない。

 不安定な親を見て、子供は親が分離を怖れており、自分が一緒にいる必要がある、との印象を抱く場合があるとウォルマンは、いうが、その通りであろう。もちろんこの場合も、親の真の気持を察して役割逆転するケースは、心の優しい子供について起こることだろう。

 親は、自分では家庭を大切にする立派な親だと思いながら、無意識に子供にしがみついている場合がある。子供は親の要求を感じとる。そして親のいる家を離れることに罪悪感をおぼえる。

 父親はいつも外の世界の現実での出来事についてなげいている。その世界の現実について耐えられるような男であるという印象を子供はもつ。
外の世界がいかにたいへんかと、泣き言ばかりいっている弱々しい父親と子供の間では役割逆転が起きる。

そしてそれは親子両方の情緒的成熟について障害になる。役割逆転した中で育った子供は、大人になって自分が家庭を持つようになっても、小さい頃の感情を残している。仕事以外のことで家を空けることに罪悪感をもつ。

 このような人には、「亭主は達者で留守が一番」などということは、思いもよらない。休日など狭い家にゴロゴロしていられるより、外に出ていてほしい、と奥さんがどんなに感じていても、ご主人は外に出るのが不安である。ゴルフに行くのを奥さんが喜んでも、その日が近づいてくるとご主人は重苦しい気分になる。

 奥さんは、昔の母親のように強い不安に悩まされ、家に一人でいることを恐ろしがっていなくても、ご主人は家に逃げ込もうとする。小さい頃、家を空けていると、自分のいない間に何か悪いことが起きるかもしれないという心配は、大人になってもついて回っている。

 確かに子供の頃は、快適で安全な雰囲気のない家庭だから、そう感じるのも無理ないかも知れない。ところが、成長して大人になって、異なった雰囲気の家庭ができても、何か悪いことが起きるかも知れないという心配はついて回る。

 それは、快適で安全な雰囲気の中で子供の自我は成長するのに、それを欠いたところで育ったからである。つまり、その人の情緒は十分に成熟していない。大人になっても、心理的には小さい頃の家庭に縛られているからである。

解決は、その人が、このように気が付くことがある。気づくためには親から心理的に離乳していなければならない。親から心理的に離乳していないと、自分の親をこのように意識化することができない。

9、「生きることを楽しめない…・・」原因

周囲の交渉を断った老人の例

 何か生きることを楽しめない、ということには、やはり何か原因があるに違いない。

 ウェインバーグ(アメリカの精神分析医)の書いた初期の作品『アクション・アプローチ』という本を読んでいたら、次のような老人の話が出てきた。

 その老人は、妻を失って六カ月後に、ウェインバーグに会いにきた、老人は妻のことをひっきりなしに考えてきたと話した。老人は人々から完全に引っ込んでしまった。娘が結婚していたが、その娘達に訪ねることもなかった。
老人はウェインバーグに、「何のために生きたらよいかと」とたずねた。

 彼は老人に「かつてはどんなことで楽しんだか」を聞いた。老人の関心の範囲は狭かった。家庭のこと、時たまの外食、年一回の休暇などあった。
 配偶者の一方がなくなった時、残された人生を楽しむ十分な能力を持っていないというのは、大きな問題がある。ウェインバーグは精神分析学者が注意を払うべき心理学的問題だと指摘している。

 妻を失ったあと、老人は何度も友人から電話をもらった。何年の間、同じ年配の何組かの夫婦と親しくしていた。妻の死後、彼らが夕食に誘ってくれるのである。老人はこれらすべての招待を、ふさぎこんで断ってしまった。そして、かかってくる電話もだんだん少なくなってきた。

「なぜ彼らに会わなくちゃいけないんです?」と老人はウェインバーグにたずねた。友人達が電話で妻のことを話そうが話すまいが、老人はいつも電話で亡妻のことを考えてしまうという。

そして電話を切ったあと、電話をもらわなかったとき以上ふさいだ気持ちになってしまうという。娘たちも、いつも亡妻の話をした。老人は妻がなくなってから、それぞれの娘たちを一回しか訪ねていない。それぞれ訪ねたときは妻の話が出て、老人は陰気になってしまう。

 老人は以前よく探偵小説を読んで楽しんでいたが、妻がなくなってからは一冊も読んでいない。妻が生きていた時、老人は休暇を取ったり、孫たちのところにプレゼントをもって遊びに行ったり、いろいろ楽しんでいた。しかし今ではまったくふさぎこんでしまった。

 老人は、「親しい友人が妻のことを話さんでくれたらいいのに」といった。そこでウェインバーグは、「あなたは、彼らの誰かに、しばらくは彼女の話をしないでくれと頼んだのですか?」と聞く。


すると、老人は蒼くなって怒りだした。そして「そんなことは絶対にせんぞ」といた。彼は一瞬、その老人が怒りでオフィスを飛び出すのではないか、と思ったほどであったという。

“楽しいことをする”のは不誠実になる――!?

老人は、とにかくそんなことを頼むぐらいなら、全然会わないほうがましだ、といった。そうして、老人の眼に涙が浮かんだ。
その一分後ぐらいに、「彼らの家をみただけで意気消沈してしまうのだ」といった。つづいて再び「妻のことを話さんでくれ、などと誰にも頼んだりできんよ」といってすすり泣いた。

 なぜそれが頼めないのか、とウェインバーグは老人にたずねる。「私たちはあなたがそれをできない理由を見つけなければいけないのです。その理由はおそらく重要です」
再び老人は怒る。「そんなことはせんぞ」と怒る。そしてそのあと次のように言う。
「私はあんなところに出かけて行って楽しく過ごしたいなどと望んでおらんのだ」――正確なニュアンスを伝えるために、原文を書いておこう。
I don’t even want to have a good time there.
つまり、楽しい時をすごすそうと望んでいないのである。なぜか? 何回かの面接で、いろいろのことがわかってくる。

妻の死後、生活を楽しむのは彼女の思い出を冒涜するものだ、という強い信念がひそんでいた。楽しむことは裏切ることに感じられていた。老人を支配していた原理は、妻がもはや自分と一緒に楽しめない以上、楽しむのは何か悪いことだ、というものであった。

 楽しいことはしてならないという原理に支配されて、その人は生活上のいろいろな選択をしていた。そしてそのように選択することによって、その原理の正しさをいよいよ確信していった。
やがて隠者のような生活になっていく。実のある生活は妻の想い出を追い払ってしまうという信念になる。

ウェインバーグは、その人に、妻をなつかしがることと、自分が生きていることを楽しみつづけることの間には、何の矛盾もないのだ、と感じさせることに成功していく。奥さんはその人が楽しむことを望んでいたのではないか、と思わせるのである。

さて、楽しいことに飛びつくのは不正実だという前提を、心のどこかに持っている人は案外多い。それが証拠に、いろいろな楽しいつき合いを、なんと多くの人が“仕事”といういい訳をしているだろうか。
そういう私自身、普通の人以上にこのような前提があったようである。

なぜか、楽しいというだけでは、そのことをしていることが許されないような気がしてくるのである。
実は酒を飲みたいし、飲むのが好きなのに、それを「つき合い」という。つき合いとして合理化しないと飲めない。
それらの人は、みな自分のやることを他人に認めてもらわないと不安なのである。そうした意味で依存心の強い人なのである。

10、どんな人間に育てられたかを点検せよ

不幸な人間は他人も不幸であることを望む

 私は結婚してからある時期まで、一人でどこか行くとき、心から楽しいという時はただの一度もなかったような気がする。
心の中はいつも重かった。それでは行かなければよいのだが、行かないとなぜか不満が残った。どこかに一人で出かけることかに両価的であった。今から考えると、自分でもいやになるほど幼稚であった。

 心の中には、家の者以外と一緒に楽しむことは罪だ、という前提があった。その前提は、小さい頃から、私の心の中にできあがっていた。

 それは、私の父が家庭一点張りで、家以外のことはすべて悪いことであるという考え方をしていたことにあるようだ。家庭以外の、いわゆる世間は、卑怯な人間がいろいろ楽しむところである。この世の中で神聖なところは家庭だけである。と言う考え方になっていた。

 父は、私が家庭以外のところで楽しむことをきわめて不愉快に感じていた。中学校の時、林間学校にいった翌日は、街に「お使い」にいくのさえ気がひけた。
家のお使いは、いつも私がしていた。その時は家の仕事で街に買い物に行くのさえ、気持ちが不安定になった。罪の気持ちをもたずに外出できるのは、家族旅行の時ぐらいであった。

 人間にはそれぞれ、子供時代に生き残るために選んだ方法がある。それぞれの環境の中で、自分が生き残る自分の策を採用する。その時、最も有効だと思う策を身につける。そして、その方法で生きていくうちに、それがすっかり血肉化してしまうのである。

 私の父は、私が父以外の人間と生きることを楽しむことに不快の感情を示した。私はこの最初の家族体験を通して、人生や世界を見るようになった。父との体験は私の心の傷あとになって、私の人生を支配しつづけた。

 その後、私を囲む人間関係は変わり、私の周囲にいる人は、私が生きることを楽しむことを望んだ。しかし、はじめのうち私は、どうしてもこれが理解できなかった。

 私の父は不幸であった。そして、その不幸な父に、私は忠誠を誓っていた。不幸な人間は、他人が自分と同じように不幸になることを望む。
私は罪悪感なしに楽しむこと、幸福であることは、できなくなっていた。不幸であること、苦しいことが、私にとって最も精神的には楽な時代があった。

それにしても、不幸な人に囲まれて生きてきた人は、いろいろと歪んだ前提を心の中にもってしまうものである。
 何かしら不幸で、生活に満足していないようでありながら、幸福になろうと望んでいないよう人が世の中には案外いる。この人達の中には、きっと間違った前提で生きている人がいるのではないか。

 ウェインバーグの患者さんのように、彼は望んでいないのである。He dosen’t even want have a good time.
きっと心のどこかで、そのほうが楽なのであろう。

 本気で幸せになろう。本気で生きることを楽しもうとすれば、人々はもっと幸せになれる機会があるのではなかろうか。私は世の中を見ていて、多くの人は他人の幸福を恨んでいるが、自分が、本気で幸せになろうとしていない、と感じている。

どんな人のもとで育ったかで、自分がわかる

若くして人生にくたびれて、退屈している人が多い。この人達の中にも、不幸な母親の犠牲になっている人もいるのではないだろうか。不幸な人の関係の中でできあがってきた前提に従って生きていると、いつかは絶望の淵に(ふち)なげこまれる。

 不幸な人は、他人が自分と同じように苦しむことを心の底では望む。他人が喜んでいることに腹を立てる。何をそんなに怒っているのかわからないけど、怒っている人がいる。それは他人の喜びに刺激されているのであろう。悲惨さは仲間を求める。

 シーベリー(アメリカの心理学者)の本の中に、次のような文が出てくる。
 Misery loves company.(惨めさはつき合いを喜ぶ)
 惨めな人は他人も惨めになることを好む。病理的な家庭で育ったひとは、どうしても暗い人生観をもちがちである。

本来はそれほど矛盾しない二つの感じ方や行動を、相いれないと信じてしまう。家族の者が家族の者以外と生きることを楽しんだとて、それは決して家族を否定することではない。ところが偏狭な人間には、このことが理解できない。

『狂気と家族』(レイン・エスターソン著・笠原嘉他訳・みすず書房刊)という本の中に、ブレアー家の話が出てくる。娘のルーシーが分裂病になるのだが、ブレアー氏と娘ルーシーの関係も同じである。ブレアー氏は、ルーシーが家族以外の人間と関係をもつことに耐えられない。

 ブレアー氏はバイオリンが弾(ひ)け、ルーシーはチェロが弾けた。ルーシーにいわせれば、父はルーシーが父以外の誰とも合奏しないことを非言語的に要求していた。そして、ルーシーはそれに気がつく。家にはいつもルーシーのいる場所があったかも知れない。しかし、それでは病んでいくであろう。

 ルーシーが父以外の人と合奏することは、父と合奏することの意味を否定するものではない。しかし、この二つの感じ方や行動が矛盾しているという勘違いの信念をうえつけられている人が多い。
この教えに従って行動すると、ルーシーのように分裂病という極端なところまでいかなくても、私達は人生における喜びを犠牲にすることになる。

 マスロー(自己実現について研究した代表的な心理学者)が自己実現的人間の特徴として、このように対立して物事を捉えないことをあげていることは正しい。

 自分が自己実現的人間のもとで育ったのか、それともシーベリーのいう不幸な人のもとで育ったか、一度反省してみることである。
そして、自分が不幸な人のもとで育ったと思ったら、一度自分の心の中の前提について反省してみることであろう。幸福をかち得た人に向かって矢を投げるよりも、自分の悩みの原因に向かって矢を投げることである。

11、自分に対する自分の誤解をなくせ

 一人の人間にたいしても見方はこんなにもある

 私が尊敬し、かつその姿勢から生き方を教わっている友人の田辺英蔵氏が、『キャビン夜話』という本を出版し、その中で次のように書いている。

 「日本人は、本当に、同じ日本人同士が人生を楽しむことを望んでいるのだろうか。内心は、他人が楽しむのを、何とか邪魔しようとしているのではないだろうか。
ロマン・ローランのあの比喩(ひゆ)のように、水たまりに落ちた豚が、泥の中を転げまわって、肌の最後の一部まで泥にまみれ、白いところが一カ所もなくなって初めて安心するのと同じように、みんなが平等に不幸になったのを確認して、初めて安心する国民性なのでは・・・・?」

 この本の出版されたのは1983年の日本、そしてこれと同じ内容のことが1950年のアメリカで出版された本に出ている。
 It is evident also that unhappy people want others to suffer as much as they themselves and are angered by the presence of joy

 このアメリカの心理学者の本は、この文の頁で、こんな状況を書いている。
 憂鬱(ゆううつ)な人間でいっぱいになった部屋に、たった一人の輝いた人間がいる。この輝いている人間にたいして、他の憂鬱な人達はどのような感情を持っているのだろうか? 彼らは友好的であろうか? そうして、次にそれぞれの反応を推測している。

「嫉妬」は何と言うか。彼はきっと私よりたくさんの金を持っているに違いない。そうでなければ彼はそんなに幸せではない。
「批判」は次のように言う。彼はまったくプロの楽天家だ。バカだ。
「皮肉」は次のように言う。カラ元気を出しているだけだ。カモフラージュだよ。

「憎しみ」は次のように言う。これは不公平だ。いったい彼は幸福になるにあたいするようなことを何かしたというのか。
「絶望」は、彼を見ていると気分が悪くなるといい、「無関心」は、彼のことを気にするのは止めようといい、「避難」は、彼は同情心がないといい、「運命」は、彼は幸せになるように生まれついているといい。

「否定」は、彼は悲しみを理解していないといい、「抵抗」は、彼の幸福は表面的なものだといい、「怠けた好奇心」は、彼はおかしな奴だという。

 これを読んでいると、なんとなく今の日本人の幸福な人へのコメントに似ている気がするのだが……。
 もし私達が、このたった一回の人生を思いきり生きて見たければ、この輝いている人間が、なぜ輝いているのか、本気で考えてみることであろう。

 この話は、シーベリーと言う人の書いた『Help Yourself to Happiness』 という本の中に出ているものである。

 私達は自分の人生の初期のバズルを解き、その解答を自分のものにしていかないと、いつの間にか「嫉妬」や「批判」や「皮肉」や「絶望」や「抵抗」や「否定」などと同じ見方をしてしまうようになる。

 自分の家族の成員がもっていた役割を、自分が会う人々にふり当ててはいけない。家の外であった楽しいことを話して嫌な顔をされた印象を、その後会う人々によって強めていってはならない。

今、自分の会っている人は、その人以外と自分が生きることを楽しむのを望んでいるのかもしれない。 
「空虚」はシーベリーの本には登場してこなかったが、空虚な人は「抵抗」や「否定」と同じように他人の喜びを蔑(さげす)む傾向がある。喜びを蔑ではいけない。喜ぶことに最悪感をおぼえることではない。

自分で自分をこんなふうに誤解していないか

 最悪の信念は二つある。最悪が二つとは言葉がおかしいかも知れないが、強調しただけである。

 ひとつは、今まで述べてきたように、自分と近い人は意外と自分が人生を楽しむことを望んでいないという信念がある。

 もうひとつは、いろいろなところで書いてきたことであるが、ほんとうのありのままの自分では誰も好いてくれない、という信念がある。

 第一は他者に対する誤解であり、第二は自分に対する誤解である。ところが、この第一と第二の間違った考え方と行動が一緒になるからたまらない。
出会う人々に好かれようと頑張る。自分を偽って包装紙でくるむ、そして、その出会った人を喜ばせようと頑張る言動が、また見当違いとなる。

 相手に好かれたい、重要と思ってもらいたいと、自分を偽ってまで頑張るのだが、相手は喜ばない。
自分を不幸にするために、必死になって頑張っていることになる。自分を不幸にするために、必死になっているエネルギーを使っている人は案外多い。正直のところ私自身がそうであった。

 逆に、自分が本当にやりたいことを思う存分にやりながら、皆に好かれている人もいる。
 ところで、それにしてもこの二つのタイプの人間は違いすぎる。片方はやりたいことをやって皆に尊敬されて愛される。他方は自分が心の底でやりたいと思うことを抑圧して、他人に好かれたいと不快な努力をし、あげくのはてに皆から軽く見られる。

 この二つのタイプの違いを生むものは何か、もう少し考えてみよう。
そのために、まずはじめの例に戻る。妻に亡くなられた夫の話である。

 間違った前提に立っていたことはわかった。しかし、なぜ? 実はこの人にとって、間違った前提は理解しやすかったのではないか。

 つまり、妻に心理的に依存していた。だから楽しむことに罪悪感を持っていたが、実は他方で妻なしでは楽しめなかったのではないだろうか。
ブレアー家のルーシーも、一方で父が父以外の誰とも合奏してほしくないという期待をルーシーにもっていることに不快感がありながらも、実は父に心理的に依存していて、父なしでは楽しめないという面もあったのではなかろうか。

 出会う人に対して心理的に依存してしまうから、この間違った前提に立ってしまうのではないかろか。自分が相手に心理的に依存しているから、ある行為が決して裏切りの行為ではないのに裏切ったような罪悪感をもってしまうのであろう。

 自分が出会ったひとに、両親の持っていた役割をふり当ててしまうのは、実は自分自身が病理的な家庭にいた時と決定的な変化をしていないから、という面があるのではなかろうか。

 人生のスタートが幸せでスムーズであった人は、そうした悪戦苦闘もなく自己形成を達成し、生きることを楽しめるようになる。ところが、人生で不幸なスタートをした人は、自己形成に悪戦苦闘する。しかも中には間違った方向へ悪戦苦闘している人も出てくる。

12 周囲の人達を、もう一度見直せ

二重の束縛で人は歪む

両立しない二つの矛盾した要求で相手を縛ることを、二重束縛という。二重束縛されると、何をやっても楽しくなくなる。
たとえば、親の本心は子供が家で遊んでいることである。外の人と楽しく遊ぶのは面白くない。親である自分と遊ぶことが何よりも面白く感じることを望む。

しかし、それが男の子ならば、成長していくにつれて男らしい男とはいえなくなる。そこで親は、言葉の上では男らしく外で遊ぶことを期待する。しかし、非言語には、女の子のように家の中にいることを望む。

言語的には、男らしく山や海で仲間と遊ぶこと、家のことなど忘れて仲間とラグビーや野球にうちこむことを、子供に望む。
しかし、本心は逆である。非言語的には、家の人と旅行にいったり、食事に行くことを望む。

子どもは親の非言語的な要求を感じ取って、仲間とスポーツに熱中したり、家を空けて仲間と山や海に行くことに、罪悪感を感じるようになる。しかし、言語的な要求としての男らしさがその子の規範ともなる。

男らしくあらねばと自分を内から励ましながら、そのことをすることに罪悪感を覚える。自分ではこうすべきだと思うことを、いざしようとすると、後ろめたさを感じてしまう。男らしさにあこがれながら、いざそのことをする段になると、どうも気がすすまなくなる。

言語的には自立を求められ、非言語的には依存を求められて育ってきた人間の悲劇である。

他人を二重束縛する人は、葛藤の強い人であろう。自分ひとりでは生きられないが、他人がいると不愉快なのである。
この本人の心の葛藤をある人を通じて解決しようとすると、そのある人を二重束縛することになる。

自分一人では生きられないにもかかわらず、他人と一緒に生きることが出来ない人間に絡みつかれたら、その人は進退きわまる。
普通の人は逃げ出すことができない。分裂病患者の母は、子供が分裂病になることを必要としたというのは、そういうことである。

自分ひとりで生きられないにもかかわらず。他人と一緒に生きることができない人間がいる。そのような人が生きる過程で他人とかかわり合う。その犠牲になったのが、分裂病の患者ということである。

分裂病にまではならなくても、何をするにも辛いという人間は多い。自立と依存を同時に求められているのだから、どちらに転んでも責められている気持ちになろう。男らしい行動をしてしまえば罪悪感に悩み、男らしい行動を気がすすまないので止めてしまえば、男らしさへの要求にそむくことになる。

その規範にそむいたことで、自分はダメな男だと感じてしまう。
 そのような人は、挫折すべく運命づけられているようなものである。この八方ふさがりの状況から脱するためには、どんなに罪悪感に苦しんでも、その親から心理的に離れる以外にない。

周囲の人にどんな要求されてきたか

理由のない不安というのがある。それについてよく語られるが、理由のない不安に比べると、理由のない罪悪感についてはあまり語られない。しかしこの理由のない罪悪感で人生を台無しにしている人は多いのである。

理由のない罪悪感に苦しむ人は、小さい頃、自分の周囲にいた人をもう一度深く観察してみることである。本当は立派でないのに立派そうな“ふり”をしていた人が多いのではなかろうか。
立派でないのに、他人に立派であるという印象を与えようとしていた人が多いのではなかろうか。内面が悪くて外面のよい人が多かったのではなかろうか。

このような人は、弱い立場の人間に言語的に要求することと全く矛盾なことを、非言語的に要求せざるを得ない。本当はあなたを拒否しているのに、表面的には癒着を求めていた人がいるのではなかろうか。

父子癒着にしろ母子癒着にしろ、本質は拒否である。だから子供は歪んでしまうのである。登校拒否になったり、家庭内暴力になったり、どうしても社会人になれなくて卒業をひかえて留年したり、自殺を企てたり、心が歪んでしまうのも、癒着の本質が拒否だからである。

そこまでいかない人が、何かをやろうとする時、理由のない罪責感に苦しむのではなかろうか。
自分が何か歪んでいると気がついた人は、自分は小さい頃からどんなことを非言語的に要求されてきたか、ということを反省してみることである。

うつ病にかかる人間の多くは、育った家庭の中で才能にめぐまれているという。フロム・ライヒマン(すぐれた女性の精神療法家)は患者を聖書物語のヨセフにたとえているほどである。

こんな家から躁うつ病者がでる

フロム・ライヒマンは「躁うつ病12例の内面的研究」という論文を書いている。その中に「家族的背景と性格構造」という項がある。

躁うつ病者を出す家庭の特徴については、どの著作もだいたい一致しているようであるが、今はライヒマンの論文を中心にして考えていきたい。(翻訳では、『人間関係の病理学』早坂泰次郎訳・誠信書房刊に入っている)
躁うつ病者を出す家庭は、どこかで周囲の環境から「異なった」ものとして遊離しているという。論文ではユダヤ人などのグループの成員の例を挙げているが、いろいろな例があろう。

私の育った家庭なども、こんな例のひとつであろうと考えている。まず、周囲の環境は農村であったが、私の家だけは教師をやっていた。親戚はみな実業家であったが、私の家は違っていた。
そして、私の父は心の底では政治家や実業家になることを憧れていたが、失敗を怖れて、そちらに挑戦することはできなかった。
祖父は政治家であった。

そうした周囲の環境の中で、私の育った家は、周囲とは異なったものとして遊離していた。周囲の環境から異なったものとして遊離するのには、経済的な要因もあろう。
前述べの論文には、父親が病気で家庭の経済的地位が低く、変わり者という社会的位置があった、などいう例がある。

いずれにしろ、周囲の環境とは異なったものとして遊離している。異なったものとして周囲から遊離しているだけに、その家庭内の結束はたいへん強い。

周囲に対して家族の威信を高めたいという願望を持つ。その願望のもとに相互にしがみつく。そのように家庭内の結束が強いといっても、そこに心の交流があるということではない。

不安からお互いにしがみついているということである。外に対しては自分達の威信を高めること、または、すでに威信があるなら、それを維持する努力する。そして、いつも自分達は一緒なのだ、という考え方をする。それ以外の考え方はできない。

私の家なども全くこの通りであった。祖父が貴族院議員であったので、その死後も、その威信を維持するのに腐心していた。
近所の人たちがどう考えているか、ということが大切であった。何かにつけて「みっともない」ということがいわれた。
自分達の経済的能力にあわせて生活するのでなく、まず「みっともない」か「みっともなくない」かが問題であった。

従って、家族の結束が第一であり、家庭の愛がすべてであり、皆が一緒なのだけれども、その家庭生活の内容は何もなかった。全て外に見せるための生活であって、生活は空洞化していた。

「異なった」家庭には共通の特徴がある

「我々は一緒なのだ」ということ以外考えることができない状況では、子供が一対一の関係で信頼をもつことはできない。
このライヒマンの指摘は見事である。なにかにつけて「われわれは一緒なのだ」けれども人間として一対一の関係における信頼はない。

むしろ、「われわれは一緒なのだ」けれども、その一対一の関係では不信しかない。いやむしろ、家庭内には人間としての不信があるからこそ、それを見ないためにことさら、われわれの「愛と信頼」が強調されるのだろう。

知らない人が、ちょっと外から見たら、理想的な家庭なのである。その中は腐っているからこそ、そこから患者が出てくるのであろう。ただ、ちょっと冷静に観察すれば、その人達の言動に、どことなく不自然さを感じることも確かである。

このような家庭は、外への対抗意識が強い。外の対抗から、なんとか家の威信を高めたいと願う。同時に嫉妬深い。他人の威信を認めることができない。

私の育った家庭でいうと、自分達より威信のある人々については、よく「あの人は教養がない」という言い方をした。教養と言う言葉は、用い方によってはたいへん都合のよい言葉である。

親戚の人々をはじめ、祖父の代からの付き合いのある実業家、政治家がいた。他にまた新しく自分たちの虚栄心をおびやかす人々がいた。その人の自分達に対する態度が気に入らなければ、「教養がない」という言い方をして処理した。

自分達より成功した人々、自分達を尊敬しない人々、それらは皆、「教養がない」ということになった。

教養というのは、眼に見えるものでもないし、数量化して測定できるものでもない。お金があるとか、ないとかいうことは、わりあいはっきりする。
しかし、教養はそうはいかない。研究業積などというのも、わりあいはっきりする。どのような論文があるか、どのような著書があるかをみればわかる。

ところが、教養だけは測りようがない。「われわれは一緒なのだ」と言っている人が皆で、「あの人は教養がない」と決めれば、それはそうなってしまう。自分達より成功している人達に対して嫉妬している者にとって、これほど都合のよいことはない。

教養がないと、という言い方と同じように、「人間ができていない」という言葉もよくつかわれた。これまた都合のよい言葉である。自分達より成功した人への嫉妬感情に苦しんでいる時、「あの人は人間ができていない」といえばよい。

「人間的には全然ダメだよ」というわけのわからないような言い回しで、他人の成功を否定することはできる。他人の昇進を喜ぶより、「まだまだあいつは人間的にはゼロなんだよ」といっているほうが、嫉妬に苦しんでいる人間にとっては易しい。

しかし、そのような態度は、自然と社会的な孤独を招くことになる。表面的にどうあれ、心を開いたつきあいはなくなる。

高い威信をもとめる家庭は、どうかすると嫉妬深くなる。望むほどの威信が得られないと、一方で威信を求めながら、他方で威信を否定することになる。
威信に対して価値的になる。自分達より威信のない人に対しては威信を評価し、自分達より威信があって自分達に好意的でない人々に対しては、威信を否定する。

“家族の期待”が重荷でなかったか

 自分が自分でなくなる家庭の構造

 躁うつ病者を出す家庭は、今まで述べてきたように、第一に近所がどう考えるか、ということに合わせる。つまり、社会的体面の維持に腐心し、第二に何か名誉ある地位を獲得したりしようとする。

 問題は、これらの社会的位置を上昇させようとする努力が、何によってなされるか、ということである。それは、子供によってなされるのである。近所の評判を気にするから、厳格で因襲的なしつけをする。人の見ている前での不作法は許されない。

 その結果、子供は「世間」というものを教え込まれる。子供は、第一に「世間」がどう思うかということで、自分の言動を決める。自分のことを自分の標準で評価できない。自分の標準というものを弱々しく感じる。

成績はこうだったが、自分としてはよく頑張った、というようなかたちでの満足ができなくなる。競争で期待したほどの結果が得られなくとも、自分としては良くできたのではないか、という感じ方ができなくなる。

 絶えず「世間」の基準、他人の基準で、自分を評価するようになる。自分の基準に従って自分を評価することに、何となしの頼りなさを感じる。

 子供を家庭的地位の道具に使うことが、躁うつ病者を出す家の特徴である。このような家庭で育てば、子供は自分の基準、自分の生きる姿勢というものができてこない。自分の内面に弱々しさを感じるようになるだけであろう。

それに、家庭の社会への受容性を高めるための威信獲得が、その家に必要である。子供は、さらに威信獲得の必要性をたたきこまれる。そのために、子供の中で最も才能のある者が選ばれる。その選ばれた子供は、威信獲得の重荷を背負って生きることになる。

 ここで子供は錯覚する。他人に受け入れてもらうためには威信が必要である――と。
 さらに、責任についても錯覚する。

 ライヒマンの論文にあがっている例で考えてみよう。ある患者は、生後十八カ月の時、母親が死亡した。ところが、姉妹たちは彼女の責任だといった。つまり、あなたが生まれなければ母は生きていた、というのである。

 この例は特異であろうが、いずれにしろ、ある子供は家庭のために、威信獲得の期待という重荷を背負わされる。その結果、あらゆる困難や失敗に責任があると感じるようになる。感じるようになる、というより感じるようにしむけられる。かくて成人すると、何かの困難や失敗に直面した場合、それを自分の欠点と結び付けて解釈するようになる。完全主義になる。

 望む就職ができないことは、不況の時期というとより自分の能力の欠如と感じる。取引が成功しなかったのは、双方が厳しい財政事情にあったからでなく、自分の能力の欠如のためと感じる。

ある会合で皆が楽しんでいないと、それすら自分の責任と感じてしまう。そのような感じ方は、その人の育った家族の中での特別の役割に由来するのであろう。その子の行動は一族全体の利益という観点から判断されたのである。

 このような悲劇の役割を背負った子供でなくても、親が情緒的に未成熟な場合には、同様のことが起きるであろう。親に大きな期待をかけられる。その期待をかなえられない時、罪悪感をおぼえる。親の大きな期待を内面化して、自分の自分に対する期待とする。
その大きな自分への期待から、劣等感を感じることになる。従って、劣等感の強い人は罪悪感も強いということになる。

“立派さ”を求めつづけられると悲劇になる

このような人達は、何か自分のことをするのは悪いことのように感じる。自分の幸せのための行動に、何か後ろめたさ感じる。何をやるにも、他人の承認を必要に感じてしまう。一人で喫茶店に入ってコーヒーを飲むことさえできない。何か悪いことをしているような気持になる。たえず他人のためになることをしていないといられない。

 他人に奉仕している時が、最も心安らかなのである。他人は別にその人が疲れて喫茶店に入り、コーヒーを飲むことを責めてはいない。悪いことなどしているなどと誰も思わない。しかし、本人は悪いことをしているような気になってしまう。

 それは、その人の行動がそれまで、絶えず家族全体の共同利益という観点から考えられているからである。共同の利益に奉仕しない自分一人の憩いなどは、どうしても罪悪感を感じてしまうのである。

小さい頃から家族のために頑張る習慣が身についている。その期待の重荷を背負って生きている結果、他人の期待に応えるべく努力している時以外は、心が落ち着かないのである。

 自分の身の回りで起きるあらゆる困難や失敗は、皆自分の責任に感じてしまう。それは小さい頃から、その子の責任でない困難や失敗に対して、責任を追及されてきたからである。その人は身の回りに起きるあらゆる困難や失敗に責任を感じさせられて生きてきたのである。

 このような患者の悲劇は、その行動が絶えず共同の利益の観点から評価されるのにもかかわらず、患者は孤独である、ということである。そこに「われわれはみんな一緒だ」という雰囲気の偽善がある。

「われわれはみんな一緒だ」として個人の自由を許さないのは、他の人々がその患者から搾取するためのものなのである。その有能な患者は、自分の才能を他人のためにのみつかうべく条件づけられる。自分の才能を自分のために発展させることなど、その人は考えられない。

 丸山真男氏は、政治について同じような危険を述べている。「人間と政治」(未来社刊)『現代政治の思想と行動』所収、354頁)という論文の中である。

「…・素朴な性善説やヒューマニズムの立場は、人間関係の中で現実的に行動する段になると、万人に内在すると信じられた『善』を押しつけることによって客観的に非常に残酷で非人間的な結果をもたらすことが少なくない」
 その子に立派さを求めるのは、自分達が不当な利益を得るためである。

13、“親からの強制”を義務と思っていなかった

強制がもたらす“心の病い”へのプロセス

 家族のために威信を獲得するという役割を負わされた子供は、その重荷を背負いながらも、親兄弟姉妹の攻撃にさらされる。ライヒマンが「こうした人々が成長すると、彼らは嫉妬と競争にきわめて感じやすい状態にとどまる」(前掲論文)と述べているが、その通りであろう。

 つまり、家族はその人に重荷を背負わせながらも、その人が面白くない。その人に嫉妬する。従って、その人は成長してからも他人の嫉妬には敏感になる。つまり、患者になる人は家族のためにつくしながら、その家族に嫉妬される。だからこそ、ライヒマンがいうように、児童期の初期から、彼らは極端に孤独なのである。

 他人のために奉仕しながら、他人からの攻撃を心の底で怖れている。そこで、人知れず自分一人で散歩することさえ、心安らかにはできなくなる。一人で散歩したり買い物したりするのは、他人への奉仕でなく、自分のために思えるからである。そんなことをすると、「われわれはみんな一緒だ」というその家族の論理に逆らうような気がするし、論理に逆らっていることで、家族に攻撃されることを怖れる。

 成長すれば、家族への気持ちは他人へと転位される。他人は絶えず自分の行動を監視していて、その人達の利益にかなうことをしていなければ、自分を攻撃するのではないかと恐れるようになる。そこで自分の行動について、いちいち了解をとろうとする。成長してから接する人々は。自分が育った家庭の人達とは全く違う人だということが、どうしても感じ取れない。
 
 従って、その人達にたいしても自分を安売りして、嫉妬を避けようとする。自分を安売りして他人の好意を得ようとする過程で、さらに自信を失う。
 次第にその人の回りには、昔のようにずるい人、利己主義者、卑怯者が集まる。

うつ病者は、その成長の過程からもわかる通り、他人と心から親しくなることができない。となると、どうしてもその人の回りには今述べた人達が集まる。昔と同じように、その人を利用しようとする人達である。

 つまり、うつ病者は幼児期から他人のために奉仕しながら、他人の攻撃を怖れ、嫉妬を避けようと自分を安売りし、その安売りにずるい人間が集まる。安売りに集まった人たちも、昔と同じように「われわれはみんな一緒だ」といって、その人を利用する。

情緒の成熟の機会はなく、ついに心の病いに倒れる。これがうつ病者の病に至るプロセスではなかろうか。

 小さい頃から一家の経済的負担を背負って働く孝行息子というものがよくいる。時にはあまりの大きな負担挫折することもある。
しかし、これは外からもよく見える。
小学校からアルバイトをし、中学校ではアル中の父親から母を守って働き、弟や妹を世話する。自分は働いて弟や妹を学校にやる。

こんな孝行息子の話はよく聞く。それは確かにたいへんなことである。しかしどちらかというと、人々はこのような経済的負担のかかる子供にのみ注意しがちである。

 ところが、経済的負担を背負った子供と同じように、あるいはそれ以上に辛い人生を歩んでいるのが、精神的負担を背負わされた子供である。

経済的負担を背負った子には惨(みじ)めなことも多いが、ほっと安らぐ時もあろう。しかし、精神的負担を背負わされた子は辛いことだけで、それ以外には何もない。あるのは惨めさだけである。

そして、惨めさだけであるにもかかわらず、家族内では惨めさを意識することは禁止されている。それよりも自分より幸せな子供はいないと感じさせるように強制されている。

人への対し方で、自分への強制が見えてくる

しかし、その子供は外では「なんていいお父さん、お母さんなんでしょう」といわれる。近所の評判を気にする家庭であるだけに、表面的には評判の良い家庭であったりする。

心の底は極端に孤独でありながら、表面は“みな一緒”という感情を強制されている。彼らが成長してからも親しい人ができてこないのは当然である。

 彼らは、自分の感じていることを感じることが禁じられている。人間には自分の感じていることを感じることができることで、自分はどういう人間か、相手はどういう人間か、がわかってくるのだろう。

 うつ病者の病前性格の特徴のひとつは、八方美人ということである。表面上は誰ともうまくやっているようである。社会的によく適応しているように見える。
しかし、表面上は誰ともうまくやっているように見えるということは、相手の人格、特性を無視しているということになろう。

うつ病者の病前性格について書かれている本は皆、他人の性格などを無視している、と述べている。そのとおりである。ただ、本人は決して無視しているつもりはない。この点が大切である。

 本人は無視しているつもりではない。その人にとって相手の性格や特性は全然理解できていない。ということである。

うつ病者の病前性格者にとって、実は他人は性格、特性、人格などについて、皆同じに見えている。ということであろう。彼らに見えているのは、相手の社会的な役割だけである。

 彼らにとって、そうした点について他人は皆同じに見えている。無視しいるわけでなくて、相違が感じられてない、ということである。それはそうであろう。

彼ら子供の頃、卑怯な人間、冷たい人間に囲まれて生きてきた。しかし、その心の冷たい人間を、愛情のある人間と認識するように強制されてきた。

彼らは、恐怖からその心の冷たい人間を、心の温かい人間と認識した。たとえば、その心の冷たい人間は、親であり、兄弟姉妹である。

 彼らは卑怯な人間を、勇敢な人間と認識するように強制された。他人の好意、他人の力に頼らならければ生きていけない時、彼らは恐怖からそのように認識した。

 このようにして大人になった彼らが、どうして他人をその真の特性において見ることができるであろうか。
どうして「ああ、あの人は卑怯なんだ」とか、「あの人は勇気がある人だ」とか感じることができるのだろうか。そのようにして育てば、最終的に心の冷たい人も心の温かい人も、同じに見えてくるのは当然ではなかろうか。

14、自分の“本当の感じ方”が許されていたか

相手に合わせるばかりでは自分ができてこない

「われわれはみんな一緒だ」と集団意識をもりあげながらも、それは実は、ある子供の健康な利己主義を封じ、自分達の利己主義を通すためのものである。

「お国のため」が、ある一定の人々の利益のためのように「家族のため」も家族の中の強い立場の者のためである。
しかも、ここで大切なことは、自分の利己主義を通すためにもち出してきた「家族のため」を、その利己主義者が信じているということである。

 ようするに、ウソ、ウソのウソだらけの世界で彼らは育ってきている。利己主義者自身が自分は利己主義であるという感じ方を抑圧し、自分は家族のために何かをやっていると思っている。
そして子供に、自分はそのように見えることを強制している。子供は恐怖から、親をそのように見る。

 このような環境で育った者が、どうして他人の人格を尊重したり、他人の性格を感じ取ったりすることができようか。彼らは長いこと、他人を正しく把握することを禁じてきたのである。

彼らは真実を知ることを固く禁じられて育った。彼らは他人と親しい感情を交流することを禁じられてきた。親しくなることが不可能な環境で生きてきた。

 親しくはないけれども、外見は親しくすることを強制されてきた。愛することも愛されることもできない親と、愛情深い親子を演出して生きてきた。

だから、成長してからも、友人との間に親しさの外見はあるが、友人たちとの間に親しいコミュニケーションはない。相手の特性や性格がわからなくて、親しい友情が芽生える筈がない。

 自分の本当の感じ方を禁止されて育った者は、親しい友達ができない。もし他人と親しくなりたいのなら、自分が感じていることを感じるしかない。

 怖れる者に友はない。自分の心の底で感じていることを意識できないのは、その心の底で感じていることが、自分が恐れている者の期待にそむいている。

 自分が恐れている者がいる。その人は、自分がこのように感じることを期待している。しかし、心の底では自分はそう感じてはいない。
そんな時、私達は自分の心の底の感じ方を、自分の意識から退ける。そして、自分が恐れいる人が自分に望んでいる感じ方をするように、自分に強制する。抑圧である。

 自分はAという人間を怖れている。Aという人間に心理的に依存している。Aと言う人間の好意を心理的に必要としている。

Aは自分に「Aは勇敢で強く心温かい人間である」と感じることを望んでいる。しかし、自分の心の底では、Aがずるくて、卑怯で、弱いと感じている。だが、それはAの望みにさからうから、この感じ方を抑圧する。

 このようにして育ち、このように感じていたら、どうなるか。成長して、他人の勇気とずるさを識別できるであろうか。抑圧が強いと、そのような感じ方そのものが鈍くなっている。

勇気のある人と卑怯な人との識別もできない。心の冷たい利己主義者と心の温かい人も識別できない。これで他人と心の交流ができる筈がない。
 親しい人を作りたければ、心の底にある感じ方を開放することである。自分にウソをつく人間は、親しい友達はできない。

自分を“他人まかせ”にするな

ライヒマンの前述の論文で、躁うつ病者についてもうひとつ適切な指摘がある。つまり、彼らは他人の性格を無視するが、同時に、他の人が自分をもてなし、或いはごまかすのに任せておくのが普通である、というのである。

 他人が自分を適当にあつかい、或いはごまかすのに任せておく、というのは、恐ろしいことである。恐ろしいことであるが、良く行われていることである。

ただ、彼らは他人が自分をごまかすのに任せておくとライヒマンはいっているが、本人は自分がごまかされているということに気がついていないのではなかろうか。

 彼らは、根は普通の人より真面目なのである。彼らは子供の頃から「われわれはみんな一緒だ」といわれながら育った。

しかし、他の兄弟姉妹は、それらのことを適当に利己主義的に処理した。家族の他のメンバーに本心を隠して、適当にうまくやった。ずるく立ち回った。

だから、心がおかしくならなかった。ところが、病んでしまった彼らだけは、このテーマに真剣に取り組んでしまったのである。

 権威主義者である親の言うことを、他の姉妹兄弟は適当に受け流した。
親がずるければ子供もずるかった。ところが、心病んだ彼だけは、家の中の権威主義者である親のいうことを、いちいち真剣に受けとり、真面目に対応した。

 家族の評判を高めるために、自分は親に適当に扱われている、親は自分をおだてて親の望むように自分を動かそうとしているなどということには気づいていない。
ほめられたとて本当にほめられているのではなく、おだてられているにすぎないとは気づいていない。
競争に勝ち、家族のために威信を獲得することは、親が自分に求める価値である。そのためにおだてられている。そんなことは気づいていない。

 親は自分の威信獲得の欲求をみたすために、子供を励ます。子供はそのおだてを真剣に受けとる。親は家の評判を高めるために、子供に高い行動基準を求める。近所の評判を高めるために、子供に高すぎる倫理基準を求める。

 そして、他の兄弟姉妹は、それらの要求を適当に扱う。親の見ていないところでは破る。適当にウラとオモテをつかいわける。しかし、心の病んだ人だけはウラオモテなく、その高すぎる倫理基準にあわせようとする。誠実に振る舞う。

 しかし、近所の評判を気にするこのような親の要求に完全にこたえることは、子供の本性からしてできない。けれども誠実な彼は応えようとする。彼は解決不可能な問題をかかえ、しかもこれを解決しようとする。

 マスローは有機体が解決不可能な問題をかかえ、しかもそれをうまく解決しなければならない時に病理的結果が出る、と述べている。

有機体に何かできないことを求めると病理的結果がでるというのは、あたりまえであるが、このようにハッキリと指摘されるとあらためて感心する。

 躁うつ病になる人は、要するに出来ないことをするように求められるのである。他の家族のメンバーは、そんなことは出来ないよ、と適当にあしらった。
しかし高い行動基準を要求する親の前では、いかにも努力しているふりをした。

 しかし、心の病んだ彼は、誠実にやろうとした。その結果、心は病んだのである。家族の中で最も重い荷物を背負わされ、その重すぎる荷物を誠実に背負い、そして病んだ。心の病んだ彼は、家族の中で特別な役割を押し付けられ、それを誠実に実行しようとしたのである。

15、家庭の“おきて”に縛られていなかったか

 誠実で真面目だからこそ犠牲者になる

 ライヒマン先の論文の中で、さらに次のようなことを指摘する。つまり、家族の中で重要な人物のイメージは、患者と他の兄弟の姉妹たちとでは異なっている、というのである。

患者が心に描いている親と、他の兄弟姉妹達が心に描いている親とは違うという。これまた見事な指摘といわねばなない。

 患者は、兄弟姉妹は皆、自分と同じように親を尊敬していると思っている。しかし実のところ、兄弟姉妹は患者ほど親を尊敬していないし、怖れてもいない。

 ライヒマンは、患者は家族の中で特別な役割を背負っているから、そうなるのだといっている。ひとつにはそうであろう。人間として患者は他の兄弟姉妹より誠実で真面目だったのである。他の兄弟姉妹より親のことを真剣に考えていた、ということであろう。

 ただ、このような環境のなかで、患者はいつになっても大人になれなかった、ということであろう。もし患者が、兄弟姉妹は自分と違って親を怖れも尊敬もしていないと、この一点に気づきさえすれば、新しい成長があったろう。

「われわれはみんな一緒だ」といいながら、本当にそう思おうとしていたのは患者だけだった、ということではなかろうか。患者は皆も自分と同じ気持ちでいると錯覚していたのである。

 先にも書いたように、ライヒマンは、患者は他人が自分をごまかすのに任せておくのがきわめて普通である、と述べている。それは、このような過去の生活の結果ではなかろうか。

 そこに、同じ家族のメンバーでありながら、ある人がうつ病になり、ある人がならないということの原因がわかろう。
このことは、うつ病に限らず心理的歪み一般についていえることであろう。

親の心理的歪みは、必ずしも家族全員平等に負担を押し付けられるものではない。ある一人の子に重点的にのしかかってくる、と言うことである。こんな時は、その親の心理的歪みがそれほどひどくなくても子供の心理は歪む。

 家族全員にとって、親は同じように映っているわけではない。このことは何度強調しても強調されすぎることはない。

心理的負担が大きすぎて心の病んだ子供が回復にむかう時など、このことを忘れてはならない。その子が、親が自分にとってどれだけ重圧でなったか、ということを他の兄弟姉妹に主張したところで、なかなか受け入れられない。

他の兄弟姉妹にとっては普通の親であっても、その子にとっては最低の親であり得るのだから。
 そして、他の兄弟姉妹は普通だと思っている自分の親を、その患者が悪くいえば面白くない。

親は自分の精神的荷物が背負いきれないとき、子供に持たせてしまう。その時、必ずしも平等に分けて子供に持たせるのではない。時として、ある子供に全部持たせて、他の子供にはいい顔をしてしまう。
などということはいくらでもある。心の病んだ子供は、極端に孤独である。

 情緒的に未成熟な親は、自分に取り込んでしまった子供にはきわめて不機嫌である。同じようなことは、夫婦についてもいえる。外面が良くて内面の悪い夫に苦しめられている奥さんの苦労は、近所の人にはなかなか理解できない。

自分が外にいい顔をするための手段が、奥さんなのである。
 同じように親も、自分に取り込んでしまった子供というのは、その子以外の外の世界にいい顔をするための道具を意味している。その子はひたすら親のために奉仕しながら、親に一番辛くあたられる。

“おきて”を守った者だけが“心の病”に倒れる皮肉

フロム・ライヒマンは、「片頭痛の心因論について」という論文がある。(『人間関係の病理学』早坂泰次郎訳に収められている)
 その中でライヒマンは、偏頭痛はいつでも最愛の人に対する深く抑圧された敵意の特殊な表現のひとつである。という印象を述べている。彼女によれば偏頭痛の患者の家族は全部、とくに強い連帯感をもち、高度のプライドをもっている。

当然のことながら、このような家族ではお互いの間の攻撃性はタブーである。もしそのようなことをしたら、家族の保護を失う。そしてそれは、人生の競争の中で捨てられることなのだ、とライヒマンはいう。

 私は、ライヒマンの患者の、次の言葉に注意をひかれた。患者の姉が、他の者と違った政党に投票したと両親に告げた。その時が自分の生涯の中で最も驚くべき時だった、というのである。

そのあとで、あたし達の一人が、他の人たちと違ったふうに考えたとしたら、地球は滅びるような感じだ、と述べたという。
 ここで注意しなければならないのは、この患者がどんなに驚いたとて、現実に他の人は違ったふうに考えていた、ということである。

つまり、この患者の家族は――ライヒマンがいうように――強い連帯感をもち、高いプライドをもっていたのだろう。しかし、その家族のあり方に、すべてのメンバーが同じように忠実であったのではない。相互の攻撃性は極端にタブーであった。

しかし、それらのタブーに皆が同じ恐れを感じていたのではない。患者は、そんなことをしたら地球が滅びるように感じているとはいえ、現実に姉は皆と違った政党に投票している。

 それらの人々は厳しい共通の掟(おきて)によって、一緒にそだっている。一緒に育っているけれど、実はその掟を誰よりも忠実に守ることを要求された人がいる。
その人が偏頭痛の患者であろう。抑圧しなければならなかった敵意の量は、その人が誰よりも多かった筈である。内に深く隠された敵意の量は、家族のメンバーで違っていた。内に深く隠された憎しみの量は、決して家族全員が同じではない。

 家族の権威者への愛の量も違っていた。従って、最愛の人への抑圧された憎しみの量も違っていた。

 片頭痛に苦しむ患者以外の人は、憎しみの自覚にそれほど良心の痛みを感じなかったかもしれない。片頭痛に苦しむ人は、敵意や憎しみを抑圧し損なえば、今度は罪悪感に耐えられない。

患者たちはこの両極性を片頭痛というかたちで解決しているのであろう。
 内科の医者にみてもらったが、これといった原因がないのに、どこか体の調子が悪いという人は、最愛と信じている者にたいする憎しみを自分は抑圧しているのでないか、と一応反省してみる必要があろう。精神的に解決出来ない問題は、肉体を通して現れる。

 いずれにしても、家族の固い団結などというのも、家族のメンバーにとって、それぞれ違って映っている。家族への愛ということの意味についても、メンバーはそれぞれ違って感じている。

逆に、それを自分のエゴに利用しているメンバーもある。適当にずるく立ち回って得をしているメンバーでもある。
 そして、注意しなければならないのは、「家族の固い団結」の中で、片頭痛に苦しんだり、うつ病に苦しんだりしないのは、このずるく立ち回る人達なのである。

 家族の権威者である親の心が病んでいる時、同じく心の病んでいる卑怯なものが助かる。この場合、心が病んでいるというのは、うつ病と言うような意味ではなく、極端な利己主義とでもいうような意味である。

 親がずるいと、ずるい子供だけが救われてしまう。そして、これまた何とも不思議なことなのであるが、このずるい親はずるい子供にいい顔をしようとして、その家の掟を忠実に守る子供に八つ当たりしていく。

 うつ病にしろ、片頭痛にしろ、それらの患者「強い連帯感をもった家族」から生まれるということに反論はない。
しかし、この強い連帯感というものが、実は今まで述べてきたような性質のものだ、ということは忘れてはなるまい。

 たとえ患者になった人は、親は立派な人と思っている。親の言いつけは守らなければならないと思っている。
 ところが、患者にならなかった人は、親をそれほど立派と思っていないし、親のいいつけを適当に破っている。

 そして親は、自分に最も忠実である子供に最も辛くあたり、あらゆる点で搾取し、他の子供にいい顔をする。つまり「家族の固い団結」は、患者を利用するための大義名分なのである。

16、家族の「いけにえ」になっていなかったか

「血まつり」「いけにえ」は今も行われている

 真の連帯感のあるところでしか健全な精神は育たない。片頭痛やうつ病を生み出す家族の「強い連帯感」とは、家族の誰かが犠牲にして、自分達の虚栄心を守るための“わな”でしかない。口で主張されている連帯は、他人を自分のエゴのために利用する“わな”である。

 ライヒマンの片頭痛についての論文に、次のような患者の話が出てくる。
 母の虚栄心のために、母はうちの家族はどんな時にも病気になるべきではないと望んでいた、という。

こんな家庭では、病気になった人間は罪の感情を当然もつ。しかし、家族の他のメンバーが同じように罪の感情をもつとは限らない。おそらく最も重く罪の感情もつ者が、片頭痛になるのだろう。

 そして、この母は家族のメンバーでない病人の世話は心から喜んでしたという。子供はその仕事の手伝いをしなければならなかった。

この母にてって、子供は自分が他人にいい顔をするための道具でしかないであろう。そして、この家族の中に母の手伝いを真剣にやった子と、いい加減にやった子がいるに違いない。

いい加減にやった子は、片頭痛に苦しむことはないに違いない。「家族の固い団結」という美名のもとに、このように子供は精神的に搾取される。

 分裂病の家族についての論文など読んでいると、「血まつり」と言う言葉が出てくる。これは、家族の他のメンバーは分裂病にならないのに、その子だけ分裂病になったのはなぜか、という問いに対しての答えである。

この「血まつり」は決して分裂病についてばかり言えることではないであろう。片頭痛やうつ病についても同じではなかろうか。

「家族の強い連携」といい、「われわれは皆一緒」といい、「我が家の掟(おきて)」といい、実はそれらはずるい人間が他人を利用して自分を守ろうとしているだけのことであろう。
そこにいるのは、皆エゴイストで卑怯者だけであった。片頭痛にしろ、うつ病にしろ、それらのエゴイスト達がうまくやっていくために「いけにえ」にされた人たちにすぎないのではないか。

「血まつり」や「いけにえ」とは、肉体的には昔のことである。
しかし、心理的には現代もなお、いろいろなところでおこなわれていることを決して忘れてはならない。

そして、肉体的な「血まつり」や「いけにえ」よりもさらに恐ろしいことは、自分のエゴの安泰のために子供や家族をいけにえにしながら、それらの人達は、自分たちは立派な人間と思っていることである。

 自分の子供や家族を肉体的にいけにえにした人は、そのことを知っている。しかし、精神的、心理的に他人をいけにえにした人は、そのことを意識していない。恐ろしいことである。ある意味で中世に流行したペストより恐ろしい。国民病といわれた結核より恐ろしい。

期待されたことを義務とカン違いするな

今、家庭内暴力がある。登校拒否がある。うつ病の増加がある。成熟拒否といわれる人々の群れがいる。現代の国民病として思春期挫折症候群をあげる人もいる。スチューデント・アパシーがある。

 それらのすべてを、今述べてきたような家族の病理と同じに説明できるとは、もちろん思わない。いろいろな他の条件もあろう。

しかし、現代人は病んでいる。しかもペストや結核のように対処していない。それはなぜか。愛の名のもとに実際に行われていることが何かを知らないからである。

ペストも結核も人間とって有害と誰も知っていた。誰も「あんな理想的なことが」とは言わなかった。

 しかし、家族の病理はどうであろうか。「われわれは一緒なのだ」ということは、いいことである。子供はこのような雰囲気の中で健全に育つ。強い家族の連帯があって、子供は安心して生きられよう。

 病気の人を助ける母親を誰が非難できよう。それを手伝う子供を見て、ああ立派な家庭と思ったとて、どこに不思議があろう。それらのことは、皆いいことである。それらのことは、社会の精神的な基礎であろう。

 問題は、そのような立派ないいことを前面に押し出しつつ、まったくそのことと逆のことが人間にはできるということなのだ。
ある一人の人間を搾取するための美名が「われわれはみんな一緒なのだ」ということである。

 うつ病に苦しむ人間、片頭痛に苦しむ人間は、「われわれは一緒なのだ」といわれながら、実は一人ぼっちだったのである。卑怯者たちは「家族の固い団結」をとなえながら、彼を家族の枠の中に縛りつけながら、利己主義者達は彼を仲間はずれにした。

 男性の性不能者がいる。女性の不感症がいる。思春期ヤセ症がいる。ストレス胃潰瘍になる人がいる。これらの人達を今述べたのと同じことで、すべて説明できるとは思わない。
しかし、現代人は病んでいる。

 それらの病んだ人たちの回りには、今述べてきたのと同じような偽善がどこかでも起きているのではないだろうか。
本人も周囲を意識していないことが、身の回りのどこかで起きている。いや、意識していないのでなく、意識できないというべきであろう。

 フロム・ライヒマンが、うつ病者の家族について述べてきたことは、今もなおくりかえし考えるに価する。
「われわれは一緒なのだ」という家族の中で成長しながら、うつ病患者は児童期の初期から極端に孤独であった。
それは、彼らに課せられた家族の中での特別の役割の結果である。

 しかし彼らには、その特別な役割を担わなければならない義務など、どこにもなかったのである。そのように皆に期待されたということだけでは義務にならない。しかし、彼らは義務と感じてしまったのであろう。

「われわれはみんな一緒だ」と声高に主張することで、ある人を極端な孤独に追いやる。このような欺瞞を見抜くことの中に、現代の心の病いを救う道が開けるのではなかろうか。病んだ人の回りにいたのは、尾のないキツネやタヌキばかりだったのである。

「われわれはみんな一緒だ」といって、一族全体の共同の利益の観点以外をメンバーに許さないことで、一番利益を得たのは誰だ。この点を見落としている限り、現代の心の病を救う道は開けない。

美名のもとでの精神的殺戮(さつりく)を拒否せよ

 現代で、誰が封建的因襲関係を大声で主張するだろうか。皆、愛を唱え、民主主義を唱えて、その実、封建的搾取をおこなうのではなかろうか。

ルネッサンス以来の経済的発展の特色である競争的個人主義は、人々を結合させることはできないという。その結果、いろいろの社会の病理が生じたことは確かである。

 人々を結合させるものは、共通目的への奉仕というきずなである。献身価値型の諸価値に対して優位する社会である。
しかし、このように人々を結合させる共通目的への奉仕というきずなこそ、欺瞞によって、より多くの人が病んでいったということも決して忘れてはならない。

 共同体の欠如は、心の病の原因である。しかし、共同体の大切さを説く欺瞞の中に、さらに多くの人を心の病に追い込む原因があることを忘れてはならない。
うつ病者を生み出す家庭などに、もともと人々の結合などなかった。もともと共同体は欠如していた。
だからこそ、「われわれはみんな一緒だ」といって集団意識を高揚させた。その共同体の幻想の中に心理的安全への渇きをいやそうとしたのが、うつ病者であった。

 ある人間をその幻想共同体に奉仕させることによって、別の人々は虚栄心の満足をはじめとして様々な利益を得ようとした。
親や家族の虚栄心の満足のために、ある人は奉仕させられ、ついには病に追い込まれた。
しかも、それが「愛と団結」のなのもとにおこなわれた。私が許し難いと思うのは、この点である。

 前にも引いた例だが、ある患者の生後十八カ月の時、母親が死んだ。それを患者の姉妹達は、あなたのせいだといって責めた。
「あなたがいなかったら、お母さんはまだここにいたのよ」といったという。こんなに幼くして、こんな責め方をされて、心がやまないということがあろうか。

 これは、戦時における殺人以上に罪でではなかろうか。愛と平和と自由の名のもとに人を殺すのは、戦争の時だけでない。
 今、平和な日本におこなわれている精神的殺戮(さつりく)は、戦時中の殺戮のように外から見えるものではなく、外からは見えない家族というような小集団の内部でおこなわれている。
しかも、「愛」という理想の鉄壁に守られて。
 

17、“個性”が真に生かされているか

こんな家庭はこわれたほうがよい

 家庭をこわさないでおく、ということは、形式的表面的に考えれば“よい”ことであるが、内容的実態的に考えると必ずしもそうではない。家族の情緒の成熟と安定のために、ある家族をこわさないことは善である。

しかし、一家の主権的人物が家族の成員を食い物にして生きている時、その家族はむしろこわれることが救いではなかろうか。

 その家族を壊さないでおくということは、そのまま家族内にいる主権的人物を中心とした盲従依存の関係を存続させるということである。

つまり、その家族の成員は、主権的人物の犠牲になりつづけるということである。

 男として挫折し、それを乗り越えることができなかった一家の主権的人物は、家庭の中で傷ついた自尊心を回復させようとする。典型的なのは、何度もいうように、家族の成員に対して、常時、賞賛を要求する。

本心は出世したいくせに、「出世はくだらない」と自らの挫折に眼をそらす。それ故に、「もっと、もっと」としつこく陰性に愛情を求めてくる。
もともと家庭の愛などというのを、彼は信じていない。従って、あくなき愛の要求にもかかわらず、彼は常に欲求不満である。

「もっとくれ、もっとくれ」とねちっこくせまられることで、家族は疲れ果てる。もともと家庭的でない人間が、家庭、家庭とさわぐから、欲求不満で神経が過敏になっている。

わずかなことでも過大に反応して怒る。その歪んだ敏感さに、家族はほとほと消耗する。

 もし母親が父親の陰性に対して敏感な神経から子供をかばおうとすれば、父親は暴力をふるって暴れる。
もっとも、こういう家庭が存続している場合は、母親も子供の心理については鈍感である場合が多い。
母親も同じく、子供が親の不機嫌に直接さらされ、ビクビクと脅えているなどと言うことについては全く気付いていない。

 母親もまた、子供を自分の延長と見なす傾向が強いため、子供の人生をおもちゃにしながらも、子供をかわいがっていると信じている。

子供の要求のうち自分の要求と合致したものだけは認知するが、子供が心理的に痛めつけられて、「助けてくれ!」と悲鳴をあげていることについては、
 不断の賞賛と注目を子供に要求する、陰性な暴君的父親の歪んだ過敏さに脅えて、子は従順な“良い子”になる。

しかし、子供は神経が張りつめて疲れ果て、「助けてくれ!」と心中で叫んでいる。それでも母親は、そのような叫びを認知できない。

 子供は、そのうっぷんを外で晴らす。家庭での良い子が、学校で暴力をふるったりする。ところが母親は、子供の心の傷が分からないので、「あの子は内弁慶でなく外弁慶で男らしい」などと、トンチンカンな判断をする。
このような家庭に限って、「私達の家庭は、どこよりも愛のある家庭だ」と得意になっていたりする。

“個性”を大騒ぎするのは没個性の証明

もともと挫折をのりこえられず、自信喪失しながらも、自尊心を維持するために“家庭”という価値を持ち出してきた人達である。
本心で家庭という価値を信じているわけではない。自分の傷ついた自尊心を防衛するために、「家庭だ、愛だ」と言い出しただけである。

家庭とか、愛とかいうものは、その人達にとって防衛的価値でしかない。つまり、その家族がまとまっているとすれば、防衛的価値を共有しているからにすぎない。

 防衛的価値を共有している家庭は、外見上固まっているようであるが、家族の成員の情緒的交流はきわめて薄い。すでに傷ついた自分達の自尊心を集団防衛しているにすぎない。

 従って、「家庭だ、愛だ」と大騒ぎするにもかかわらず、実体としての家庭生活はない。
たとえば、子供の成長を祝う家庭の心のこもったささやかな行事があるとか、その家特有のスープの味があるとか、食後のお菓子がその家独特のものであるとか、そういったことはまったくない。

そういった実体としての個性は皆無であるにもかかわらず、「自分達の家庭は個性的である」と信じている。

 個性、個性の大合唱にもかかわらず、父親以下全員同じ考え方をしている。皆が全く同じ“個性”という基準で、人を評価していたりする。

その“個性”というものもまた、その人達にとって防衛的価値にすぎないからである。没個性的人間が集合して、自分達の自尊心を守るために“個性、個性”と大合唱しているにすぎない。

 こういう家族は、集団でもって自分達の傷ついた自尊心を守っているだけであるので、実体として、あるいは情緒的には、一家離散なのである。
 こういう家庭の中で、精神的におかしくなる子供が出るとすれば、どういう子供であろうか。

それはむしろ、正常人に近い共感能力を持った子供である。正常人に近いとは、挫折した時にはその挫折を見つめて、乗り越えている人という意味である。
また挫折から逃げていないので、防衛的価値を信じようとしていない人である。
つまり、この子は家族の“血まつり」にされたのである。

 分裂病の家族に関する研究は、このことを明らかにしている。分裂病患者は、家庭の中で正常人に近い人なのである。兄弟姉妹はむしろ、この心の冷たい共感能力の欠如した親に似ている。

 名門の大学教授の家で、孫が東大名誉教授を殺すような事件が、次から次へと起きる。私から見ると、起きるべくして起きているのである。

 さて、ここまで考えてくると、どういうことがいえるだろうか。家庭は人間を豊かに成長させるが、同時に子供を歪めることもできる。

家庭とは両刃の剣なのである。子供を生かしもすれば殺しもする。しかし現在、家庭の子供を殺しもする側面にはまったく注意がはらわれていない。

V“新しい自分”に生まれ変わる12の法則

=どうして行動的になれないか

1、「耐える心」がどれだけできているか
 安心感から自我は形成されてくる
 欲求不満忍耐力は、受け入れられて育った人ほど高いのではなかろうか。
言葉の本当の意味で愛された人ほど、忍耐力ができてくるように思う。

すぐにカーッと来る人は、小さい頃、愛されなかった人であろう。親のペットであったか、ほったらかされ無視されたか、いずれであれ、ありのままのその人は、受け入れられなかったのである。

 幼児的依存心と忍耐心とは反比例する。幼児的依存心は人間の心の悪の源泉である。幼児的依存心のある者は、常にちやほやされることを求める。

そして、自分もちやほやしてくれない人間を憎む。ちやほやしてくれることを期待して、ある人に接する。しかし、その期待は裏切られる。すると、その人を憎む。

 幼児的依存心の強い大人は、自分を自分でコントロールできない。すぐにカーッとなって感情を爆発させたり、ささいな失敗ですぐに気落ちしてしまったりする。

 幼児期依存心の強い者は、心理的に親離れできていない。
大人になっても情緒的に未成熟な親に忠誠を誓っていることで、もともと感情に無理がある。だから、すぐにカーッとなったり、ガックリしたりするのである。

 本来の自分が曲げられて、素直に成長していないのである。
その人は情緒的に未成熟な親にとって都合のよい依存しかない。そのような存在であり続けことで精いっぱいなのである。

自分の感じ方を押し殺して親の望む感じ方をする。しかし、この感じ方には無理がある。いつも張りつめている。いつも感情的にギリギリなのである。そこで爆発できるところでは、すぐに爆発してしまう。

 しかし、身近な人と一緒にいて自分は受け入れられ、そのままで必要とされていると感じられれば、気持ちにゆとりができる。身近な人に対して身構える必要がない。
身近な人の言動を警戒する必要がない。そんな中で人間は自我が形成されてくる。
 自己の形成には、安心感が必要である。そして、自己のある人は、安心感を持っている。自己とは安心感、ゆとりの源泉である。従って、少々のことではカーッとなったり、絶望したりはしない。

 忍耐心の強い人は成熟している
 しかし、小さい頃、敵意のある人の中で育ったらどうか。
親は欲求不満で生きることに絶望し、周囲の人を憎んでいる。
子供はその親の敵意を感じとる。当然、親の敵意に対し身構える。親の敵意から自分を守ろうとする。親に迎合する。親の期待に圧迫を感じる。親の言葉を怖れる。

 親に迎合しようとして自分を隠す。親といる時には気楽さがない。
こんな中での自我の形成はありえない。身近な人に気に入られるために、無理をして演技をしながら生きる。周囲に対する警戒心で疲れ果てる。

 こんなようにして育った人に、どうして忍耐など期待できよう。身近な人の関係の維持で忍耐は限界にきているのである。
忍耐の強い人というのは、身近な人との関係で警戒心を持つ必要がなかった人なのである。自然に感じ、自然に振る舞いながら、自分を成長させた。

だから、困難に対しても粘り強く戦える。思うようにいかなくても、すぐにガッカリして立ち上がれなる、などということもない。

 自分のない人ほど、自己中心的になってしまう。太っ腹の人というのがいる。自分のある人なのである。怒りや悲しみをしまっておける場所がある。

しかし、情緒未成熟の人に忠誠を誓って生きてきてしまった者は、自分がいないから、怒りや悲しみをしまっておく場所がない。
従って、絶えず自分のことで気をもんでいなければならない。他人に対する思いやりをもつ、などというゆとりはない。他人の立場に立って考えるなどということは、とてもできない。

 情緒的に未成熟な身近な人との関係の維持で疲れているのである。いつも警戒心を持って生きてこなければならなかった。自分の身を守ることで精いっぱいだったのである。

2、他人への対抗意識を捨ててみろ

職業をあまり誇りすぎる心理の裏側

言い訳も、本人が言い訳をしていると知っている場合は、それほど問題でない。問題は、本人自身が自分の言い訳への自覚がなくなってしまう時である。本人が自分を説得してしまうところに問題がある。
 私はどちらかというと、イソップ物語の、“甘いレモンとすっぱいブドウ”で育てられてきた。

 私の父は大学教授であったが、今から考えると、どうも自分の職業を楽しんでいるようにも見えなかった。同僚との付き合いや、共同研究もあまりしていないようだったし、何よりそれらを楽しんでいた云う感じが全然ない。

学生の面倒見が良くて、いつも学生の結婚の仲人をしていたわけでもない。教授として社会的活動をして、いろいろの業績をあらわにしたわけでもない。

 だが私は、いかに大学教授がすばらしい職業であるかということを、耳にタコができるほど聞かされてきた。たとえば、休みがある、好きなことをやっていい、というようなことである。

しかし、今の私から考えると、このようないい方が、この職業が好きではなかったという証拠に見えてくる。

 大学教授に、本当は休みなどない。夏休みなどの休みこそ、それぞれ自分の研究や社会的活動で忙しい時である。どの職業にしろ、休みや暇がいいというのはその職業が好きでない、ということにほかならない。

 おそらく親父にとっては、大学教授というのはいやな辛い職業であったのだろう。すっぱいレモンであったに違いない。ところが、どうしてもこれを認めてやることができなかったようである。

 なぜ、すっぱいレモンをすっぱいと認めてやることができなかったのか。それは親類縁者を含めて、世間一般の他者に対する対抗意識からである。

他人に気持ちの上で負けていたからこそ、他人に負けるのがいやだった。
他人より自分のほうが素晴らしい人生を送っていると、どんなことがあっても、こう思い込まなければならなかったようである。
そうでなければ、自尊の感情が維持できなかったのに違いない。

他人への対抗意識が“現実”を見えなくする

私は、大学教授になってから、よく友人に「大学教授はいいなあ」といわれることがある。半分は社交辞令だけれども、半分は本心のようなひびきがある。

 ある銀行のエリート中のエリートと、夜、酒を飲みながら話し込んでいた。彼はウイスキーのグラスをかたむけながら、「女房が、あなたが仕事の上で、どんな汚いことをやっても、それはいいわ、って言ったんだよ」といった。

 彼はある都市銀行に勤めている。銀行も冬の時代に入り、死にもの狂いの生き残り競争をやっている。彼もまた自分の銀行が生き残るために、時に汚れた仕事もするのであろう。
しかし、それは彼の本意でない。できれば、汚れた仕事はやりたくない。彼が、どんなに重い気持ちに耐えて戦っているかが、わかるような会話だった。

 ロッキード事件の時、当時の丸紅の桧山社長は田中角栄に私邸で会う。
役員の大久保も同行する。大久保の裁判での証言によれば、桧山は田中との会談を終えた帰路の車中で、片手を広げた、つまり五億円の贈賄(ぞうわい)である。大久保は「心に重い金だった」といった。

 丸紅は当時、三井物産や三菱商事におくれをとっていた。どんなことがあっても、追いつかねばならない。そんな中で起きたロッキード事件である。
おそらく大久保の胸には、「こんなことをしてまで…・」という思いがこみ上げていたのであろう。できれば、こんな仕事はしたくない。
彼はそう思ったであろう。
社会の中心にコミットした男たちは、おそらくこの心に重い金に苦しんだに違いない。

 ある中小企業の経営者と飲んでいた時である。“心に重い”仕事の話になり、その経営者はこう述懐した。
「私もよく、月夜の晩ばかりじゃねえぞ、っていわれましたよ。
本当に、中小企業が生き残っていくためには、毎日、そんな修羅場(しゅらば)ですよ。
私も悪いことずいぶんやりましたよ。でも、従業員とその家族を食べさせていかなきゃならないですよ。こっちがやらなければ、やられるんですから」

 心に重い金の負担に耐えた男達は、いったんは社会で成功するなんてくだらない、と思ったようである。そんな話の後、彼らはよく「大学の先生はいいよ」ていった。「給料なんて安くたっていいじゃないか。うまいもの食ったって、それがどうというわけでもない…」

 私はそんな話を聞くたびに、「大学教授はいい、世間の職業はくだらない」と言う理由が、何と親父と違うことかと思った。
心に重い金に苦しんだ男達にしてみれば、職業の苦しみは、満員電車の通勤の苦しみなんてどうというものでもない。そんなのは苦しみのうちに入らないのだ。

ところが、親父は他の職業について、満員電車がどうのこうの、という表面的なことばかりを言っていた。

 おそらく本気で社会にコミットし、深く傷ついたことがないのであろう。
私から見ると、親父は不幸なように見えた。自分の不幸をいやすために、他人も不幸でなければならなかった。

 私は、どうも世の中に親父と同じような人が眼について仕方がないのである。他人への対抗意識が強くて、現実をありのままに見ることができない。
事実から眼をそらしてしまう。OLの嫉妬。主婦などの近所の悪口、サラリーマンの上司や同僚へのねたみ、他人の成功を素直に喜べない人達で、この日本の社会は満ちている。

 元首相・佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した。日本の新聞はそれをけなした。自国の首相がノーベル平和賞をもらって喜べない国民など、ほかのどこの国にいるだろう。――批判精神という名を借りた嫉妬。

 私の友人で精神分析の専門家が、ある葬式の後、「日本人にはすごいサディストが多いね」といつた。兄がなくなって悲しいでいる妹に向かって、いろいろと説教するのだが、他人の不幸を喜んでいるとしか思えない内容なのだという。

 誰であったか、人間は親友の不幸にさえ心のどこかでほっとする、といっていた。となれば、他人の成功は自分の不幸になる。
そうなれば、他人が実際にどうあれ、不幸であると思い込もうとする人が出てきても不思議ではない。

 それにしても、他人の不幸が自分の心の安らぎであるとは、何と情けないことか。
 私の同僚の教授は、学生にこう言った。一週間に一度でいいから他人のために涙を流せ、「そうしたら、いい顔になるぞ―っ」と。
 自分のためでなく、他人のために涙を流す、ここが大切なのである。

3、最初に自分をいつわると、すべて無駄になる

ヒステリー性格は幼児の延長

ヒステリー性格というのがある。実際の自分以上に自分を見せようとするが、病的なエゴイズムとか、打算的であるとかを特徴とする。

 もっとも、このヒステリー性格というのには、およそ人間の性格のうちで好ましくないものは何でも含まれてしまうから、何も説明していないともいえる。

 ヒステリー性格というものは、私の理解では幼児的依存心の大人の現れ方ということである。大人になって子供と同じ言動もできない。格好が悪い。だからといって、幼児期依存心は幼児ばかりが持っているものではない。

大人になっても、持っている人は多い。そこで、ヒステリー性格といわれているような内容をもった言動の形をとって現われるのであろう。

 ヒステリー性格の人など、どうしても甘いレモンを主張することになる。自分を実際以上に見せようとするのも、他人への対抗意識があるからであろう。そして、甘いレモンを主張することは、同時にすっぱいブドウを主張することにもなる。

 すっぱいブドウというのは、あくまでも他人が食べるブドウをすっぱいといっているのである。他人が食べるブドウがおいしいのでは口惜しいのである。口惜しいから甘いとは認めることができない。

 甘いレモンを主張することは、どうしてもすっぱいブドウを主張することになってくる。他人への対抗意識のために、自分の人生を台無しにしていく人は多い。
自分の食べているレモンはすっぱいなあ、あいつの食べているブドウは甘いなあ、と素直に認めることさえ出来さえすれば、あとは夜に朝がつづき朝に昼がつづくように、人生は自然と流れていく。

 これができないと、どんなに努力しても、どんなに忍耐しても、幸福になれないようである。土台でウソをついてしまうと、そのあとの努力は無駄になる。

 私の父なども、机の上に「忍耐」と書かれたものをよく飾っていた。おそらく忍耐していたのであろう。また努力もしていたのであろう。
しかし、外から見るといつも不快そうであった。外面はたいへんよかったので、他人にはなかなかわからなかったようである。

 そして、客観的環境としては、たいへん恵まれていた。経済的にも不安はなかった。財産はあった。娘夫婦と一緒に住んでもいた。それでも、晴れ晴れとはしていなかった。

 どちらが、自分に正直に生きたか――私の祖父と父の場合

 私の父方の祖父というのは政治家であった。被選挙権のできた二十五歳の若さで県会議長になり、それ以後四十年間は衆議院議員をして、最後は貴族議員であった。
その生涯は、じみな大学教授の人生とは異なり、たいへん華やかなものであった。

 それだけに、父は世俗的な華やかさに反発したようである。私は小さい頃から、いかに政治家というものがくだらない、卑しい職業であるかということを、これまた耳にタコができるほど聞いた。
カラスの鳴ない日はあっても、政治家の卑しさについて聞かない日はなかった。

 従って、私は、政治家というものは人間の中で最も卑しむべき人種であると思って成長した。わが家の倫理の基礎は、政治家への蔑視(べつし)であった。
これには多分にすっぱいブドウの要素があった。

 私がこの歪(ゆが)んだ価値観から抜け出したのは、大学を卒業して、自分が政治家とつき合い出してからである。小さい頃からたたきこまれた卑しむべき政治家ばかりでなく、政治家にも他の職業と同じように、立派な人もいればとんでもない人もいる、ただそれだけのことであった。

 親父が世間を蔑視したのは、世間に対する恐怖があったからであろう。世間を怖れる者は、世間を蔑視する必要が自分の中にある。

 私は、自分の父と祖父を考えると、どうしても祖父のほうが幸せであったように思えてならない。それは祖父のほうが、自分に正直に生きたからである。

 もちろん、父よりも祖父のほうが遠い存在であるから、どうしてもよく解釈しがちであろう。それに祖父のおこなったことについては、『加藤政之助回願録』などから考えるから、よく考えがちである。
こういう本には本人の悪いことは書かれていないのが常識である。

 それらのことを頭においても、祖父のほうが幸せであった、と思うのは、やはり祖父のほうが自分に正直に生きてきたとしか考えられないからである。

父のほうは、自分が幸せであるためには他人が不幸でなければならないというようなところがあった。従って、自分は大学教授だと、政治家や実業家は軽蔑されるべき存在になってしまう。
かといって大学教授の生活を楽しんだり、仲間との付き合いを楽しんでいるようでもない。逆に、祖父の代からの政治家や実業家との付き合いを得意になったりもしていた。

 祖父のほうは、自分が政治家であるからといって、学者を軽蔑するようなところは全然なかった。みていると、自分の目的にむかって行動を起こす時には、何ら逡巡(しゅんじゅん)することがない。

4、まず、一歩踏み出してみよ

ことにあたってためらう者は、人に牛耳られる

明治15年、大隈重信は改進党を組織しようとする。祖父は当時、大阪新報を主宰していた。福沢諭吉から電報を受け取る。
ただちに上京してしまう。新橋駅に降りると、大阪の参謀長、矢野文雄が待っている。二人は駅の待合室に行く。矢野は、大阪の政党組織を告げ、入党を要請する。言下に承諾する。

 常識から考えれば、「主旨には賛成ですが、少し考えさせてください」ということになるであろう。優柔不断というところが祖父にはまったくない。もっとも、本人も入党の決断を、後に次のようにいっている。

「今より顧(かえり)みれば、凡(およ)そ人の進退を決する場合慎重の上にも慎重を期すべきである。然(しか)るにも拘(かかわ)らず当時の余は、何等考慮することなく矢野氏の申し出に対し、言下に一諾を与えたのである」

 事に当たってためらう者は、人に牛耳られる。慎重と優柔不断は違う。熟慮と心配は違う。その違いを生むのは、心の不安や葛藤である。心に葛藤のある者は、慎重のつもりでも優柔不断にすぎない。

 堂々巡りのクヨクヨは、熟慮でなく心配である。自分の進退をめぐって、進もうか、とどまろうが、をいつまでも考えているのは、単に自分の将来の安全を求めて心配しているだけであって、熟慮しているのではないであろう。

 私の祖父の「事に当たって逡巡せず」という態度は、小さい頃からの生き方の結果でもあったように思う。十六歳にして父を失い、家政整理を一身に荷なうことになる。
この不測の難局を、とにかく粉骨砕身の努力でのりきり、一家の維持を確立するところまでこぎつける。すると、村民から熱心に懇請されて村長になる。

十六歳で村長になる。翌年から地粗の改正という難事業に取り組むことになり、何とかこれを成し遂げたようである。十八歳であった。

 そこで、江戸に出て学問をしようとして、村長をやめようとする。時の白根県令に辞表を提出したが、受理されなかった。
その時、受理しなければ村役場を閉鎖する、と強硬に出たので、県令も留任を求めるのをあきらめた。
村長を辞めて学徒時代にもどり勉学にはげむつもりでいると、再び白根県令から県庁に呼ばれ、学務課勤務を命ぜられた。

 さすがにこれは最後まで断れきれずに、県の役人になってしまった。この学務課には文部省よりいろいろ文書が来るが、中には英文があって読めない。

 そこでまた学への志(こころざし)止みがたく、再び辞職を申し出た。江戸へ出て英語の勉強をはじめ、いろいろ学びたいというのである。当時の学務課長心得は、後の清浦圭吾であった。清浦圭吾は納得してくれて、辞表は白根県令に届けられる。するとまた、県令次席は祖父を自宅に呼んで留任を求めた。

「…・・英語修学の事たるや決して容易なことでない。少なくとも今後三,四年の月日は必要とする。
君が若しこのまま留任するならば、一年に一等ずつ昇給するとしても、3.4年後には相当の地位に上がることは決定的といってよい。
自分はこの際安全なる道を選ぶことを切に勧告する。慎重に考慮してもらいたい」

 祖父はそれでも安全な道を選ばず、学の志しを選んだ。学もし成らずんば、再び戸田橋(埼玉県と東京都を結ぶ橋)は渡らぬ覚悟で、草鞋(わらじ)を履(は)いて上京した。
私はいつも車で戸田橋をわたるたびに、草鞋を履いて、学もし成らずんば死すとも帰らぬ覚悟で、戸田橋を渡った祖父を考える。どうにも出来の悪い孫なのである。

保護される安易さになれていないか

どうも、私達が安全を求めるという気持ちのうしろに、困難を避けたいという気持ちがあるような気がしてならない。

 十六才で一家を維持しなければならないという環境も、私達の多く経験するところではない。今の高校一年生をみて、村長が勤まるだろうか、と考えてしまう。しかし、おそらく今の高校一年生だって、鍛えられれば村長をつとめ、地粗の改正という難事業だってやりこなせる能力はあるはずなのだ。

 それが何とも頼りなく見えるは、あまりの過保護のためなのであろう。
私達は過保護の環境の中で、安全を求めてぬくぬくと生きている。
保護される安易さになれて。
いつまでも親から心理的に離乳できない。親から心理的離乳を遂げられないでいる者は、当然心に葛藤があり、事に当たって逡巡する。

 いずれにしても、この時、県庁の役人にとどまり将来の安全を選んでいたら、後の加藤正之助はなかったであろう。
社会的成功のことをいっているのではない。生涯を終えるにあたっての満足感を言っているである。

「・・・・この時から政党人としての生活が始まった。数えて五十有余年の歳月が流れた。春風秋雨その間幾多の沈殿返還があり、今鬢髪(びんばつ)漸く白きを加えたが、終始一貫今日までの生涯は、誰々憲政確立の為の精進と献身があるのみ、顧みて何ら悔ゆるところがない。」

 おそらく身の安全だけを求めて人生を送っていたら、顧みて何ら悔ゆるところがない、とはいかなかったであろう。齢(よわい)八十三歳にしての言葉である。

 他人と比べて自分のほうが幸せだったとか、不幸せだったとか、そんなくだらない次元の話ではない。
政治家という職業が立派だとか、学者という職業が価値がないとか、そんな次元の事ではない。ただ自分は一生懸命に生きてきた。自分の一生の念願は、わが国に健全な立憲帝政を確立することにあるといっているのだ。

「終始一貫、この念願を成就すべく活動を継続し、事荀(こといやし)くもこの目的を達するに便なりと信ずるものあれば、何ら逡巡することころなく、そのことに奔走した。」

 自分の一生はこれでいいのだ。これが幸せというものだ。と自分にいい聞かせる必要など、どこにもない。他人をけなす必要もない。他人の不幸を見て、心の底で安心するようなところはみじんもない。そんな生き方のようである。

5、“やりたいこと“をやってみることだ

ひたすら目的にむかって――祖父の生き方

私の友人のあるレジャー産業経営者が、こういったことがあった。
「日本人は本当に皆がレジャーを楽しむことを願っているだろうか? もしかすると、皆自分と同じように不幸になればいいと思っているのではないか。
そして全員が不幸になって初めて安心するのではないか」

 彼はそう言って、いろいろの証拠を上げた。たとえばヨット。彼は、これなど行政のやり方で楽しみたい人がどんどん楽しめる方法を説明した。
この本はそのための本ではないので、具体的な説明ははぶく。

 ところが、行政はまったくこの逆をやる。ヨットの碇(てい)泊地の規制にかかる。規制すればその施設は、当然値段がつり上がる。ほっておけば安いものを、わざわざ海を規制して施設の値段を上げ、安く楽しんでいたものを追い出す。

追い出したところで、ヨットは一部の金持ちのやることだといって税金をかける。いよいよ金持ちしかできなくなる。行政のヨット虐(いじ)めは眼にあまるという。

 皆が楽しめるようにするのではなく、皆が楽しめないようにして、文句をいう。
海に囲まれた日本においてである。海に囲まれていない国だって、入り江に日本などとは全く比較にならないほどのヨットのマストが林立している、という。

 狭い国土で、海を楽しむしかない国において、このありさまであるという。その他のいろいろと説明してくれて、どうしても皆がレジャーを楽しもうという前向きな積極的な姿勢がみられない、というのである。

 話は横道にそれたが、他人が不幸なのを見届けて安心する。
そんな生き方も確かにある。他人が実際不幸でないときは、不幸だと思いこむことで安心しようとする。

実は私なども、皆は不幸なのだ、不幸なのだといい聞かされて育った。
世の中の仕事なんて嫌なことばかりで、やらないですめばこれほど幸せなことはない、という主旨のことをいつも聞かされてきた。

それはおそらく、父が不幸であったから、他人が不幸であると思いこむことによって、自分を安心させよとしていたのであろう。 

 ところが、祖父を見ると、これがまったく逆なのである。他人が不幸であるとか、世の中はくだらないとか、そんなことは全く別に、とにかく自分はこれをやるんだ、それしかなかったようである。

 もっとも、はじめて衆議院議員選挙がおこなわれたあの明治の時代に選挙に出るということは、あのひとがどうだとか、こうだとか、そんなことをグチグチいっていられることと訳が違ったであろう。

 とにかくものすごかったようである。祖父は埼玉県から立候補したが、埼玉県だけでも殺人事件が数件あったという。

「警察官壮士は相たずさえて民党の選挙地をじゅうりんし、抜剣して有力者を襲い、土足のまま奥の間まで乱入するという狼藉(ろうぜき)ぶりを極めた。」
 とある。祖父は干渉された方だから、これはその立場から書かれたものである。

「これを目撃した自由党員、珠(たま)に少壮血の気の多い若者は黙視していない。至る処にて白刃は飛び鮮血はほとばしるという修羅場を現出した。
政府の干渉は警察官だけにとどまらず、憲兵を招集し、軍隊を動員するまでに至り、その非立憲は言語に絶した。

軍隊の動員、憲兵の出動は名は騒擾鎮圧(そじょうちんあつ)にあったが、実は民党圧迫の示威活動に外ならなかった。」

 白刃が飛び、鮮血ほとばしる中で、他人の不幸を確かめて自分が安心しようなどという心の働きはないであろう。ただひたすら、自分の目的に向かって進んでいく、それだけであろう。

 このようなことは、何もすさまじい選挙戦だけにあるのではない。それは何だってよいであろう。

青春を賭けてやりたいものがあるか

岡田まさみという人が、『女ひとりスペインに生きる」』という本を、サンケイ出版から出している。彼女もまた「私が青春を賭けてやりたいものは何であろうと考え込むことがあった」という。

昭和三十五年~六年頃、ぞくぞくとスペイン舞踊を見て、「これだ! と私は思った」という。「私がやりたいことはスペイン舞踊だ。年齢的には遅いかも知れないけど、私も体いっぱい人生を表現してみたい。」と岡田さんは書いている。

 ところが、どうしてスペインに行っていいかもわからず。いろいろの新聞社に飛び込んだ、という。しかし、どこでも軽くあしらわれてしまう。スペインの関係者に手あたり次第手紙を書いたという。しかし返事はこない。

「でも、私はどうしてもスペインに行きたいと思った。…・私がスペインで挫折しても何か得られるのではないかと思った。」

 このように自分の目的にむかって進む者に、他人の不幸をねがう気持ちなど、出てきようもないではないか。スペインに行った人に妬(ねた)ましい気持ちを覚えるだろうか。決してそんなことはあるまい。

「外人を見かけると、スペインの人ですか、と声をかけたくなるような衝動があった。スペインの修道院があると聞けば、電車賃だけ持って大阪へも神戸にも行った。四国へも行った。」

 スペインに行ったという人があれば、妬んだりすることなど想像もできないのではないか。そんなことを思う前に、とにかくどうしたら行けるか、情報を集めようとするに違いない。
彼女はスペインの私費留学生試験を受け、合格してスペインに行く。そしスペイン舞踊をやる。

「二年間の猛烈なレッスンの苦労や精神的な打撃を、本場で踊って叩きつけたような爽快さ、痛快さがあった、踊る阿保というけれど、踊り続けていなかったら、スペインで根なし草のような人間になっていただろう。
踊っていると、自分の体で人生が納得できるような気がして、自信がつく。」

 今、スペインまで行かずとも、なんと多くの人がこの日本で根なし草になっているであろうか。安全を求めて、保護を求めて、甘えて、与えられたものにしがみつく、社会的には安定して、精神的に根なし草になる。

そして、他人の不幸に心のどこかでほっとする。ああ、何と惨(みじ)めなこか。
「あのスペインの青空に、両手を広げて叫びたいほどのデビュー。」この心の中に他人の不幸にほっとするようなスペースなどあろう筈がない。

 尻尾(しっぽ)を巻いて逃げた犬の自己弁護から主張を聞きながら育った子供は、ついつい他人の不幸を願う。

 負け犬の遠吠えを、正義とか純心とか意味とか正当化していると、いつになっても「あのスペインの青空に、両手を広げて叫びたい」ような事件は起きてこない。
 自分の育つ過程で、どのような人間の主張を耳にしていたのか、それを反省することは大切である。

6「何をやったらよいか分からない」ことの原因

自分の汚い欲望を自分につきつけよ
 抑圧の強い者は集中できない。集中力は抑圧の強さと反比例する。抑圧とは、自分が本当に感じていることを自分に隠していることである。

 自分の心の底では、人生を無意識に感じ、毎日が楽しくない。
それなのに他人への競争意識や劣等感、親への幼稚な忠誠心などから、いかに人生を意味あるものに感じているかのように装ったりしているのが抑圧である。
自分で自分に、楽しい、楽しいといいつづけているような人が、このタイプである。

 心の底では勉強が嫌いだ。心の底ではテニスが好きでない。心の底ではゴルフもそんなにやりたくない。心の底では無気力である。心の底には人生に対する無意味感がべっとりとくっついている。

それなのに、いかにも意味あるものように意志の力で意識する。そんな生活をしている者が、どうしてあることに集中できようか。

 嫌いなことは嫌い。楽しくないことは楽しくない。それを自分に一度はっきりさせることであろう。自分の汚い欲望――あいつをなぐりたい、あの人をけとばしたい、あの人とセックスがしたい、お金がほしい――を、はっきりと自分に眼の前につきつけることである。

 うつ病になりやすい人は、規範意識が過剰である。自分の欲求からすべて眼をそらしている。
つまり、抑圧が強い。従って、何に対しても自分が一体となって感情を集中できない。このように仕事はすべきである、という意識から仕事にたずさわっているが、心の底はその意識と全く逆である。

集中するとは、無意識と意識とが同じであるとき生じるものであろう。
 抑圧の強い人は、この意識と無意識が完全に逆方向をむいているのだから、ものごとに集中できるわけがない。

 ウインブルドン(全英テニス選手権大会)5連勝という、テニスプレイヤーとして最高の名誉をボルグは得た。ボルグの集中力はすさまじいという。
百%の集中力という人もいる。そのボルグが、いかに自分に正直であったか。自分をいつわってしまった者は、集中できない。
集中しよう、集中しようと努力するだけで、決して集中することはできないであろう。

 よく「何か集中できるものが欲しい」という話を聞く。「ボルグがテニスに熱中し燃えたように、何かに燃えたい」という人に、自分のやりたいことをやればいい、といえば、そのやりたいことがわからないのだという。
そして、いったい自分は何をやりたいのだろうか、と自分を発見しようとする。

 その態度自体は立派なことだろう。しかし、いったい自分は何をしたいのか、自分の好きなことは何か、と自分に問うている人は不活動である場合が多い。そんなことをグズグズと他人に相談している間に、活発な人は何かを具体的にやり始めている。

自分をいつわらなければ、やりたいことは見つかる。

グチばかりでグズグスしている人は、だいたいが抑圧の強い人である。熱中するものがほしければ、まず第一に自分が実際の自分より立派なふりを自分と他人にしないことである。

第二に他人に迎合しないことである。第三に自分にとって、心理的に最も困難と思えることをやってみることである。
 この三つは同じ場合もあろう。

自分はどうしても、あの人の言うことにノーと言えない、という人は、まずノーと言うことである。あの人の言うことはおかしいと思っても、どうしてもノーと言えないままにしておいて、何かに熱中できるものがほしい、などといっても無理である。

 今まで他人に合わせるばかりで、自分を裏切りつづけてきたのである。それは、他人に合わせるために、本当の自分の感じ方を無意識の領域に追いやってしまった結果なのであるから・・・・。

 何も熱中できることがないのに、きれいごとばかりいっている人は、まず自分はそんなに立派な人間ではないと思ったほうがかしこい。
いつもきれいごとをいっているように本当に立派な人ならば、その人は何か立派なことに熱中できている筈である。

たとえば、何かの奉仕活動に熱中して幸せな人生を送っている筈である。本当の自分は欲の皮がつっぱっているのに、無欲のように振舞い、きれいごとを言っているから、熱中できるものがないのである。

 スポーツから学問まで人間の興味の範囲はひろい。奉仕活動から金もうけでまで、人間の活動の範囲はひろい。自分をいつわっていなければ熱中するものは見つかる。

 すべて身分相応である。内面の立派でない人間は、立派でないなりに生活することである。
立派でもないのに立派なふりをするから、内面が破綻してしまうのである。内面の破綻、つまり無気力、無関心。

 内面の立派でない者は、外面も立派でなく生きてみることである。すると、立派な人に対する素直な尊敬もわいてくる。やがて内面も本当に立派になってこよう。

 ありのままの自分を自分が認める。スタートはここである。そのスタートを間違えると、逆の方向を走って行ってしまう。この世の中に努力に努力をかさねながら、暗い顔つきをし、ねたみのとりこになっているような人がなんと多いことか。努力をし、不幸なわりには、内面は立派とは言い難いのである。

 私の教えた学生で、南米のボリビアで4年間生活した人がいる。日本に帰ってきて大学生なり、再び夏休みに南米まで行った。帰ってきて次のような作文を書いてくれた。

「去年の夏、中南米へ旅して驚いたことがある。それは何かというと、何と人々の眼の輝きが日本人の眼に比べて違うことか、ということである。私が毎日通学する電車の中で見る人々のまるで死んでいる魚のような目とは反対に輝いているのである。表情だって違う。生き生きとしている。

 日本にいる時、べつに忙しくしているとは思っていなかった私も、やはりゆったりとした気持ちになった。これこそが人間の生きるべき姿ではないかと、思ったのである。日本には心の安らぎがないと痛感したのである」。

7 “すきなことは何か”―よく自分に問いかけろ

“私達”という所属意識の重要さ

私は、少年時代、青年時代ともに、劣等感が強かったので、劣等感についての本はよく読んだ。アメリカにいる時も、大学の図書館をはじめとしていろいろなところで劣等感の本を読んだ。ただ、アメリカには日本にくらべて、この種の本は少ないような気がした。

 そして、それだけ読み漁った中で、これだけは劣等感についての指摘で忘れてはならないことだ、と感服したのは、ホルネイ(アメリカの女性精神分析学者)の次のような指摘である。

 もしその人が“私達”という所属感をもつことができれば、その人の劣等意識は深刻なハンデキャップにならない、というのである。

 ところが、親が神経症的であるとどうなるであろう。子供に対する親の態度は、親の神経症的な要求によって決定される。
簡単にいうと、親の支配的な態度であり、過保護であり、脅迫的言動であり、イライラすることであり、甘やかしすぎることであり、無関心であることである。

 つまり、親自身が自分の内面に心理的な問題をかかえていて、その解決に精いっぱいであって、とても子供の心を理解するなどという余裕がない、ということである。

この様な親の態度の結果として、子供は“私達”という感覚で育てることができない。その代わりに、深く漠然とした不安感を持ってしまう。世界の中で自分は孤立し無力である。という感じをもつ。無気力であるという感じ方は、誰も自分を助けてくれないという感じ方である。

 そして、子供の感じるプレッシャーは、子供が他人と自分を関係づけることを妨害する。何となく他人と自分を関係づけ、仲良くしたい、一緒に遊びたいという感じ方ではなく、その子は他人と張り合うようになってしまう。

このようになってしまうと、他人に比べて自分は劣っているのだという感じ方は、自分にとってはたいへんな脅威となることは十分理解できる。
そして、他人の上に自分を引き上げようという激しい欲求を自分の中に育ててしまう。つまり、他人より上に自分を引き上げることで、自分の安全を獲得しよう、ということである。

 そうなると、次のことが生じてくる。自分からの自分の疎外である。本当の自分が自分にもわからなくなってくる。最大の必要性は心理的安全である。

その必要性を自分の中でどんどん大きくくし、自分の感じ方、自分の考え方を、どんどん後退させてしまう。自分の感じ方は、もう自分にとって重要でなくなってしまう。

 ホルネイの原文をそのまま書くと、次のようである。
 It does not matter what he feels. if only he is safe.
私は小さい頃、空襲というのをよく経験した。アメリカの飛行機が爆弾を落としていく中を、防空壕に入ったり、逃げたりしたという経験がある。何をおいても身の安全が第一なのである。
おそらく心理的にも同じであろう。まず安全である。

自分の欲求“好きなこと”で動け

 自分の周囲の世界を敵意に満ちていると感じた子供に、自我の発達など望むべくもない。自分の感じ方、自分の望み、自分の考え方などが問題になるのは、温かい愛情に満ちた世界で育った子供である。そうして育った子供は、他人と一緒という“私達”という感じ方もできるだろう。

 ところがそうでない子供は、安全第一で、真の自分とは無縁に生き始めるだろう。彼は自分で自分を動かしているのではなく、他人に動かされている存在になる。

車を考えてみる。運転しているのは自分の欲求で、車は自分である。これが正常であろう。ところが、運転しているのは他者である。車は自分ということがある。劣等感が強いとこのようなことになる。

自分の欲求、つまり自分は何が好きか、本を読むのが好きか、外で遊びまわっているのが好きか、部屋の中で一人で音楽を聴いているのが好きか、皆とわいわい騒いでいるのが好きか、自分は学問が好きか、自分は政治が好きか、ということが大切なのである。

 自分の適性が運転席に座っている。それが自己実現した人である。
 いずれにしても、私達がはっきりと知らなければならないことは、私達が“私達”という感情、所属意識を育てられなかったところに劣等感の問題があるのだ、ということである。

 温かい雰囲気の中で愛され、叱られ、他人と共に成長してくれば、a feeling of belongingというものが出てくるであろう。
そして、このa feeling of “we”がまた、真の自分を表現させてくれることにもなろう。

 しかし、不幸にして神経症的なイライラした雰囲気、不機嫌な雰囲気の中で育ってしまった人は、この感情が育っていない。
そこで何よりもこの感情を自分の中で育てようとしなければならない。
この感情を育てることがどれほど難しいかは、劣等感の強かった私自身、わかっているつもりでいる。この感情を育てない限り、自分の劣等感の問題は解決しないのである。

 自分の安全は、決して優越することによって保たれるのではない。
このことが頭でも感情でもわかるまでには時間がかかる。まず世界は自分にとって今まで感じていたほど敵対的なものではないとわかることが必要である。

 自分が他人に受け入れられる理由は、社会的位置によってではなく、内面の豊かさによってだ――そう感じられると怖いものがなくなってくる。

「自分は成功しても、たとえ失敗しても受け入れてもらえるのだ」という感じ方が実際にできた時に、まず伸び伸びとした自信が生まれてくる。そして、その安心感が基礎となって「よ―し、やるぞー」という強烈な意欲がわいてくるのだ。

 しかし人が成功を望むとき、ともすると成功によって人々に受け入れてもらおうとする場合が多い。だからこそ、他人から拒否された時、人は時に激しく「権力を望む」「お金を望む」「出世したい」と願うものだ。

「出世するんだ― 地位を得るんだ― 金を握るんだ―」と叫ぶ人間は、たいていそのあとに、「そして復讐するのだ―」とつづくのではないだろうか。
侮辱された屈辱感なしに「俺はお金をもつんだ―地位を得るんだ―」と叫ぶ人は、いないのではなかろうか。

 侮辱されて、激しい屈辱感をもてば「俺はすべてを犠牲にしても地位と名誉をつかむ」となることもあろう。
“復讐のため”――こう言った時、その人には力がはいっている。だが、力をぬくというとは、すべての面において大切なのである。

8 面子(めんつ)を気にしていては、前進はない

“健康な摩擦”を歓迎せよ

『成熟拒否』(山田和夫著)という本に、ヤセ症の女性Aさんのことを書かれている。「例えば卒業後しばしば塾教師をしていたが、その準備に七転八倒して苦悩する。前日に日曜日の授業で想定される質問をすべて考え抜き、それに対して完璧に準備する。
一問でも的確に答えられなければ恥だ、バカにされる、生徒たちがついてこなくなる、などと真剣に考えている。小・中学生に対しても、力ずくで抑え込み勝たねば安定できない。」

 これほどひどくはないが、私自身、大学で教え始めたときは、やはりこんな錯覚をしていた。自分が優れていければ学生がついてこない、と考えていた時さえあった。
それらのことがまったくの錯覚であることが、やがてわかった。
勝つことで、優れていることで、相手を抑え込んで安定しようというのが、かえって反発をかうだけとわかって心理的に安定した。

 Aさんは、ホルネイの言葉を使えば、つねに an urgent need to lift himself above others(他人より自分を上に引き上げたいという差し迫った必要)を育てていたということになろう。
そして、この本によれば、Aさんは最後まで成熟の方向をとれないでいる。もちろんこの責任は、Aさんに一人にあるわけではない。

「ともかく、三人きょうだいの中でAだけは特別であった。前述のようにT大へと期待をかけたことも含めて、親の方も特別に扱ったし、Aの方も姉弟と違って妙に親との癒着があった。…・この父親癒着は一方的に父の側が取り込んだきらいがある。

…・・自分の思い通りにならぬ妻の代償を、父はAにのみ集中的に求めたようである。…・Aにだけは別居志向や、脱家族願望がおきなかったのは、この父・娘癒着に基づく力動が主にあるだろう。」

 このようにAさんが成熟できないのは、その家に原因があることは明らかである。殊にその父親に問題があろう。

 この本では「自分の思い通りにならぬ妻」の代償として、Aさんを自分の思い通りにしようとしたと書いてあるが、その通りに違いない。
そしておそらく、私の推測としては、この父が「自分の思い通りならぬ」のは妻だけではないだろう。
「世の中」もまた自分の思い通りにならなかったではなかろうか。父親は自分の自己中心性からくる不満を、このAさんにむけて集中的にぶっつけたに違いない。

 ここで注意しなければならないのは、“私達”という感情が生じてくる集団というのは、温かい雰囲気をもち、それぞれの成員が、自分の感情や考え方を自由に表現できる集団である。自分の感じ方をする自由があると成員が思っていることが重要なのである。

 それは時に衝突も起きる集団である。考え方が違う時があるのだから、自分の意志と他人の意志は違うのであるから衝突は起きる。
ホルネイはこのことを健康な摩擦(healthy friction)と呼んでいる。癒着にあっては、この「健康な摩擦」がない。もともと個人の自由な感じ方、考え方を許されないのであるから当然である。

見栄や面子にとらわれることの意味

このように愛と摩擦の中で、他人と共に成長していくならば、その人は真の自分とともに成長していく。とホルネイは述べている。必ずしも原文を引く必要はないかも知れないが、癒着との対比で大切なところなので、ホルネイの文をそのまま書くと、次のようである。

 Lf he can grow with others, in love and in friction, he will also grow in accordance with his real self
父親がAさんを自分の側にとりこみ、Aさんを自分の思い通りにするということは、Aさんにしてみれば、自分の感じ方、自分の考え方をする自由がないということである。

 まといつくことと愛情は違う。癒着というのは、まといつくということである。英語で男性にまといつく女性のことを a clinging vine (まといつくつた)というが、癒着とは、ツタのようにまといつくことである。まといつくほうが強い時、まといつかれたほうは枯れることになる。

 癒着からは“私達”という感情は生まれてこない。癒着というのは、病的な世界であり、その世界でいわれることは普通の世界で意味することと違うから、注意する必要がある。
その癒着という世界でいわれることは、どんなに言葉が立派でも、意味する内容は違うことに注意しなければならない。

 今述べたように、癒着の世界で「愛情」ということは「からみつく」ことであり、真の愛情の否定でしかない。「親孝行」ということは、親への「幼児的依存心」ということである。

 たとえば、Aさんの家族はどうであろうか。
 「万年青年、万年少女的父母が、同じ万年少女的なAを選んで、三人で自分達の閉ざした世界を作り、時間性を遮断して生きているような姿である。

相互に相補するものが一方にあるので、絶えず葛藤し、ばらばらのところがありながら、他方では、蜜に寄り添って生きているパラドキシカルな家庭である。そしてAが三十歳を越えても、このパターンは崩れることがない。」(前掲書)

 これはホルネイのいっていることとまったく逆の見事な例である。摩擦がありながらも“私達”という感情が育ってくる集団と、密に寄り添いながらもバラバラの集団とがある。

 私は「五十歳越えても、このパターンが崩れない」家庭を知っている。
このような家庭や、この成員というのは、ホルネイの主張からもわかるように劣等感が強い。つまり、防衛にばかりエネルギーをとられて、建設的なことにエネルギーがむかない。

 たとえば、自分達を他人の眼にとって偉大であると映るようにばかり努力して、その他のことにエネルギーがむかない。当然、友達ができない。家庭そのものが社会的に孤立してくる。劣等感が強いから、他人と付き合って軽く見られないか、ということばかり怖れる。

 人間は防衛的になることで、内面の強さを育成することのできなかった人も、年齢は三十歳になり四十歳になっていく。
すると、自分の内面の問題を癒着することで解決しようとするのである。
 母子癒着にしろ、父子癒着にしろ、癒着するものは癒着することで自分の内面の葛藤を解決しようとしているのである。従って、劣等感は遺伝することになる。

 防衛的になると、内面の強さは育成されない。衰えてしまう。ということは、もう少し詳しく述べると、次のようなことである。

 たとえば、面子を気にする、ことである。何かに挑戦しようとしても、もし失敗したら面目がなくなる。
そう怖れて挑戦しない。好きな人を何かに招待したい。しかし拒絶されると面子がつぶれる。傷つくことを怖れて何もしないでいる。

あるいは見栄を張って無理する。他人の眼に映る処に気を配る。自分の経済力ではちょっと買えない高級品でも、無理して買う。他人の眼に自分がビッグに映るための自己顕示である。

 このようなことが、防衛的に生きる。ということである。そしてこのように防衛的に生きることで、人間の内面の強さは衰え衰弱する。内面の活力が失われる。

 防衛的になると、活力のもとになるものが失われてしまう。そして、大人になり親になり、今度は、その内面の頼りなさを子供に癒着することで解決しようとする。
 誰かが、どこかで、この悪循環(あくじゅんかん)を断ち切らなくてはならないのである。

9 “一人立ち”できた人間は、ただ全力をつくす

〈自分に対する期待〉=〈意欲〉欠けていないか

不満を持ちながら体制には従わざるを得ない、という話をよく聞く。しかし、本当にそうだろうか。

ある人は、社会に物凄い不満をもっている。そして、どうしてもその不満を爆発させなければならない時には、グデングデンに酔って帰宅する。
ベッドに入り、会社の悪口を言いながら眠り、翌日また何のために出ていく。たまに、独り言のように「俺は会社を辞めさせられるのかな」と言ったりしている。

 同じことは学生にいえる。そしていうことは、不満でも体制に従っていかなければ生きていかれない、という。このような人は体制に従う、といういい方をしているが、小さい頃から、親の期待に従うことを、体制に従うことと勘違いしているのであろう。

 体制は、一方で従順な羊を要求していることも確かだが、他方ではバイタリティーのある人間を要求している。体制はささえられれば、あとの人間がどう生きようと無関心である。反体制の運動をしない限り、非体制的な生き方には無関心である。

 有名中学校から有名高校、有名企業に入り、出世コースを期待しているのは、親であって体制ではない。そして、今のような時代は、このコースをたどらなくたって食べていかれる。体裁をかまっているのはあなたやあなたの親であって、体制ではない。

 体制と錯覚している親の期待に一方で従い、他方で不満になる。内面化された親の期待に従いつつも、自分の生き方ができないことで不満になる。
どちらともつかない生き方となる。常に中途半端な思いをして生きている。同じ企業で働いていても、親から自立した人間が企業で働いているのと、まだ自立できないで企業に働いているのでは、満足が全然違う。

 他人の期待は重荷であるが、自分の期待は意欲である。会社の仕事であまりにもストレスがひどい人は、まだ他人の期待を内面化していて、自分の自分に対する期待を持っていない人である。

 自分の自分に対する期待を持った人は、ただ全力をつくす。怖れることなく全力をつくす。しかし、他人の期待にさらされている人は、当然、失敗を恐れる。
力が出し切れない。たとえ心の中は計画でいっぱいになっていたとしても、それを行動にうつすことができない。なんとなく満たされない毎日がつづく。不活発な日がつづく。

“いざ”という時の姿勢に精神の自律性があらわれる

 いろいろの人が競争意識について議論する。
今の受験教育は競争意識をうえつける、人間性を喪失させる、という人が一方にいれば、競争することで人間は向上すると弁護する人が他方にいる。

それを聞いて、人は両方とも納得する。そして結論は、いつも「過度」の競争意識はいけない、となる。
 しかし、この議論はおかしい。勝つことが他人の期待である時、競争意識は本人にとって害になるだけである。合格することが親の期待である時、競争意識は大いに結構である。

 それでその違いがどこまでわかるか。競争している人間のストレスの違いでわかる。いざという時、あがってしまうような人間は、他人の期待を内面化しているだけである。
いざという時、全力をあげてことにぶつかれ人間は、精神の自立性を獲得している。競争そのものが、良いか悪いかという議論は、そもそもおかしいのである。

 競争社会を否定する者は、今の若者が受験の中で競争故に友人ができにくいと主張する。勉強ができる者は、それを自慢する。

 妬(ねた)んだレ、僻(ひが)んだり、拗(す)ねり、ということの多い人は、親から自立できていないと考えてよい。そういう人の自分への期待は、まだ親の期待を内面化しただけで、真に自分の期待がまだできていない。

そういう人は、自分の自分に対する期待が抑圧されてしまっていて、意識されないでいる状態である。自分の自分に対する期待を感じ取り、それに従っている者は、ことがうまくいっても、まずくいっても、もっとサッパリしている。僻んだり、妬んだりということがない。全力をつくしてことにあたれるから、結果が良くても悪くてもサッパリしている。

10 いつまでも過去にとらわれているな

やってしまったことを悔やんでも仕方がない

優柔不断な人間というのは、欲深い人間だと思う。少しでも得するほう、少しでも楽なほう、少しでも有利なほう、そちらを選ぼうとして決断できないのであろう。

 少しでも損するのはいやだ、少しでも無駄をするのはいやだ、そんな気持ちが強すぎて、決断できないという面があるのではなかろうか。

 もうひとつある。優柔不断な人間は不幸なのではないか、ということである。
 昔、学生時代によく三木清の「人生論ノート」を読んだ。
いくつかの言葉が記憶に残っているが、その中のひとつは、幸福は力である、という言葉である。幸福な者は勇気もあるし、決断力もある。そのような気がしてならない。

 不幸な人間が幸福になるために、勇気や決断力が必要なのである。
ところが、人間とはまことに皮肉な存在で、幸福になる決断力が出てくる。不幸な人間が幸福になるために必要なのが、前向きの姿勢である。

それなのに、人間は幸福になると自然に前向きの姿勢になる。不幸になると、いつの間にか後ろ向きの姿勢になり、後悔ばかりしている。
 何かをすればしたで、「ああ、あんなことさえしなければ」といつまでも後悔している。
 Don,t saw sawdust ! (おがくずをのこぎりでひくな!)とカーネギーの本にある。

 いつまでも過去にとらわれている。前に進めない。あきらめの早い人というのがいる。やってしまったことは仕方がないとあきらめて、今、自分のできることをする人である。幸福な人なのだと思う。

 株に手を出してしまった主婦が、損をして立ち直れなかったりする。「ああ株さえしなければ…・」といつまでも悩んでいて、何も手がつかない。おそらくもともと不幸な主婦なのであろう。

 欲求不満忍耐度という言葉がある。人によって、欲求不満に耐えられる人もいれば、耐えられない人もいる。
望んだほど良い成績をとれなくとも、また元気で生活を始める中学生もいれば、悲観して自殺する中学生もいる。
また元気で生活を始める中学生の方が、基本的なところで幸福なのであろう。

 うつ病的人間の考え方の特徴は、自分に欠けているものを自分の幸福に不可欠と考えてしまうことである。これなどもうつ病者というものがいかに不幸であるか、ということであろう。
不幸であれば不幸であるほど、自分にないものに気をとられる。不幸であれば不幸であるほど、自分に欠けたものが大切なものに感じてくる。
 

幸福な人は自分に“ない”ものにこだわらない

私は以前よく、自分にないものではなく自分にあるものに気を向けろ、と書いた。私にはこれがない、あれがない、とないものばかり数え上げないで、私にはこれがある、あれがある、と考えろ、ということである。

 私にはお金がない、とお金のないことばかり考えて、不幸になる人がいるような気がした。そこで私は、私にはお金がないけれども健康がある、と考えたほうがいいと主張したのである。

私は美人じゃないけれど友達がいる、という具合である。
 確かにその通りだと思うが、今考えてみると、どうも幸福な人は、自分に欠けているものをあまり問題にしない、という面がある。
お金がないから不幸なのではなく、もともと不幸だからお金のことが気になる、という面があるのではないか。つまり、人間には両方の面があるのではないか、ということである。

 幸福は力である。幸福な人間は“ない”ということに耐えられるのである。お金がないといって朝から晩までブツブツと不平をいっている主婦もいるし、その中でなんとかやりくりして笑顔をたやさない主婦もいる。

われわれはそのような場合、よくできた主婦、といういい方をする。確かによくできているが、基本的なところで幸福なのであろう。小さい頃、親からありのままの姿を受け入れられた、結婚して夫に心から愛されている。こんな人が、といわれているのではないか。

 小さい頃、親から一方的な感情を押し付けられ、結婚してからも夫の人間不信に悩まされている人が、そんな、良くできた人になれるであろうか。
私はそんな神様のような人間がいるようには思えない。

夫婦仲よく幸せな妻のほうが、子供の幼児的依存心からくるわがままにも耐えられるのではなかろうか。子供の自然の成長を待てる母は、幸福な人であるに違いない。

私の友人で、借金を毎月返している人がいる。しかし彼は、借金のことはあまり考えない。逆に、毎月の返済が終わったら、今返している分のお金で何を買おうかと、買うものの事ばかり考えている。

11 自分の“ダメ部分”は根本から直すこと

“慣(な)れ親しんだもの”を捨てられるか

金田雄次氏は『事実と幻想』(講談社刊)という本の中で、次のように織田信長をほめている。1560年、織田信長は、桶狭間で今川義元を奇襲して敗死させた。世にいう桶狭間の戦である。今川の軍勢は4万5千であった。実際は2万5千であったという。

いずれにしろ、大軍である。織田信長は手許(たもと)に総動員して3千の兵力しかない。しかし、その尾張の兵は名うての弱兵であった。老臣は皆、籠城説をとるが、信長は正面奇襲作戦をとる。

 会田雄次氏によれば、成功したのは次のような条件がそろっていたからだという。
第一に、緒戦の戦勝を誇った今川義元が、悠々と昼の祝宴を張ったという油断がある。第2には、それを諜報作戦で知ったこと、またその先進性。第3には、それを知ったとき、すぐさま敵に打撃を与え得る近さまで信長軍が接近していたこと。第4には、襲撃直前に大雷雨があり。織田軍の姿を完全に隠すことができたこと。

 私は第2と第3のことに注目したい。諜報作戦というのは、当時としては珍しい先進性があったということである。
新しいものを採用するということには、情緒の成熟なくしては無理である。

人間はどうしても古いものにしがみつきがちである。特に自分が窮地に立てば立つほど、今まで慣れ親しんだものに頼って、窮地を脱出しようとする。

 4万と3千の兵力の差があり、降参は死を意味するような状況の中で、新しい戦略を採用する、ということは大変なことである。たいへん危険がともなう。

籠城が死を意味しても、今までの方法に頼ろうとするのが人間である。慣れ親しんだものにしがみつくことが死を意味しても、その慣れ親しんだものにしがみついて死んでいくのが、情緒未成塾の人間である。

 織田信長は、万に一つの可能性にかけた。危険を恐れなかった。
 危険を怖れたら何もできない。結婚もできない。離婚もできない。ある会社を選んで就職することもできないし、脱サラらもできない。どこまで計算したって、未来を完全に保証することなどできない。

いわんやベンチャービジネスなど始められない。ビジネスばかりでない、政治家にもなれない。どんなに支持があったって100%当選する、などということはない。

 ラジオで「テレフォン人生相談」をやっていて、つくづく感じるのは、不幸な人ほど不幸な現実にしがみつきがちである、ということである。不幸な結婚がある。暴力をふるう夫がいる。体中にアザができるような暴力に苦しんでいる。

 そこで離婚を進める。すると、新しい生活にふみだす不安を語る。離婚して新しい生活を始めるのには危険がともなう。不幸な主婦は、新しい希望のある生活にふみ出さないで、慣れた不幸な生活にしがみつく。

 基本的なところで幸福な人は、暴力をふるう夫とぱっと別れる。自分の結婚は間違っていた。そうとわかると、危険を冒して新しい生活に飛び込んでいく。

結果だけを変えようとしても、悩みは解決しない

 私は今、自分が過去に主張してきたことが間違っていたとは思わない。たとえば、「自分と他人を比較するな」「自分にないものに気をとられて、もっているものを忘れるな」というような主張である。

 しかし、私は大切なことを忘れていたと思う。自分と他人を比較するから劣等感をもつのでなく、劣等感があるから比較してしまうであろう。
不幸だから、ついつい自分のないものに気を取られてしまうのであって、幸福になれば、自分にないものに気を取られて持っているものを忘れることはないだろう。

 つまり、「比較する」とか「ないものに気を取られる」ということは、原因でなく結果なのである。原因は、劣等感であり不幸である。大切なのは、その原因からなおすことである。

 私は自分の過去を振り返って、どうもこの生活の根本を変革しないで、幸福になろうとあがいていた気がする。
だから、幸福になろう、幸福と思おう、と意識の操作ばかり先行した。
そして「俺は幸福なんだ」「自分は幸福なんだ」と自分にいいきかせつづけた。原因をとりのぞかないで、結果だけを拒否していた。

 つまり第一に、つき合う人を変えなかった。しかし思ってもみなかった人たちとつき合うことは、生活の根本を変え、視野が広げることになる。これは大切なことである。

 第二に、依存心の強い人達とうまくやっていくというようなことを、いつもやっていた。依存心の強い人達とうまくやっていくということは、結果として彼らに自分の人生を支配させることである。

 根本的な変革ということは、今までつき合ってきた人と対決を辞さないという態度である。対決の結果として、人間関係は全く変わる。もちろん悲劇も起こる。しかし、悲劇を避けようとしたら、生活の根は変わらない。

 昔、坂口安吾の「堕落論」を読んでいた時、彼の夏目漱石論が面白いと思った。夏目漱石は、家庭の不幸を、これでもかこれでもかと微にいり細をうがって書いているという。
しかし離婚という具体的な行動には出られない男だ、とたしかそんな主旨のことを書いていた。

 といっても、私は離婚を進めているわけではない。離婚のない幸福な結婚生活が最高であることは自明のことである。
ただ、どうしてもうまくいかないのにブツブ文句ばかりいって、離婚という行動に出られない人間はダメだ、といっているのである。

 私がいいたいのは、次のことである。20代に私はいろいろと本を書いて、その中で、「他人が自分を比較するな」とか、「自分にないものに気をとられるな」とか、「他人が自分をどう思うか気にするな」と書いていたが、それらは、あることの結果である、ということである。

 そして、その原因は、本人の依存心を基礎にしてはりめぐらされた人間関係である。さらに広く生活構造である。ということをいいたいのである。

 根本にある原因としての生活を変えないで、結果だけを変えようとすると、自分にウソをつくことになる。
もし、それらのことの根本が母子関係にあるなら、その母子関係を変えなければ、結果としての悩みはなくならないということである。
つまり、母を失うことによって、全世界を回復する以外には幸福になる方法はない。

 母子癒着をつづけながら、自分に「他人が自分をどうみるかなど気にするな」とか「他人のことをうらやましがるな」とか「もっと素直に他人の言うことを聞け」とか「イライラするな」とか「元気を出せ、積極的になれ」とか「神経質になるな」とか、いろいろ自分にいいきかせ、かつそうなろうと努力しても無駄である。そう努力すれば努力するほど、自分を偽ることになる。

 この人生で大切なことは、自分に正直ということである。私は、自分の20代を振り返って、自分に正直でなかったと思う。

12 自分に正直になれば、生まれ変われる

情緒と成熟と社会的成長は必ずしも一致しない

昇進うつ病という言葉がある。部長に出世したのはいいのだが、やがて心理的にまいっていく。眠れなくなる。何をやるにもおっくうになる。今までと違って食欲がなくなる、会社に行くのがゆううつでたまらない。

エリート・サラリーマンの自殺というのも、時々、新聞の記事になる。自殺までいかなくてもエリート・コースを驀進(ばくしん)してきたサラリーマンが、ちょっとした取引の失敗とか、会議での何でもない失言などで、おかしくなる時がある。

今までバリバリ仕事をしてきて辣腕(らつわん)課長などといわれてきたのが、急に自信を失って、部下に対してテキバキとした指示を与えられなくなる。

有名大学――有名企業、そしてさらにエリート・サラリーマンとしてのコースをまい進する。上役に見込まれてその娘と結婚し、将来は社長の可能性まで見えてきた部長が、ある日通勤の電車の中で、脂汗が流れ出して電車の中にいるが急に不安になり出す。

大学の成績がよくて教授に見込まれて大学院に残り、わき目もふらずに勉強して教授の気にいるような論文を書く。真面目だから語学の勉強もコツコツやり、アメリカの大学にも留学し帰国する。やがて助手から講師になり、助教授になる。
ところが、ある日、教室に講義に行くのが怖くなる。あれほど勉強してきたのに、自分の講義の内容に自信を失う。そして講義ができなくなる。
外を見ると、何ともため息が出るほど順風に帆をあげているようであるが、やがて挫折していく。社会的にはまれにみるほど順調なコースをたどり、ある一定の社会的地位をしめ、さらに人からこれからどうなるかと期待されている人間が、どういうわけか挫折していく。

ところで、疑似成長という言葉がある。幼児期から少年少女へ。さらに青年から壮年へと、人間の欲求は次から次に変化発展していく。そしてそれぞれの段階での欲求を満たされて、一層高次元の欲求段階へと成長していく。

親からの自立への願望が3歳の子供にあるわけではない。3歳の子供には3歳の子供の依存の欲求がある。40歳になれば、誰でも情緒的に成熟し精神的に独立しているかのように見える。
しかし、すべての40歳の大人がそれぞれの階段をきちんとふんで成長してきているわけではない。40歳になっても10歳の時の欲求が満たされず、その影響を受けている人もいる。本人は、満たされなかった欲求をやり過ごし、自分はもう立派に成長しているつもりでいる。
しかし満たされない幼い依存欲求は、絶えずその人の無意識下にあってその人をおびやかす。

高い処から落ちそうになる夢を見る人もいる。いずれにしろ、基礎ができていないまま5階、10階に、次に50階という高層ビルが出来上がってしまうのである。人間が情緒の成熟と社会的な階段とは関係ない。しかし関係あるように錯覚している人も多い。

本当の成長と疑似成長とを見分けるポイント

今述べた挫折したエリート・サラリーマンは、果たして自分の意志によって自分の職業を選んでいるのだろうか。
さらにそのような自由な選択をできる雰囲気が、その人の環境にあったのであろう。実際には、その人の育った家庭には歪んだ価値観が支配していて、その人のよいと感ずる職業を、卑しいとする空気があったのではないか。
 
結婚に際してはどうであったか。その人は、はっきりした自分の好みをもっていたか。つまり私はどうもあのような人には合わない、私にあのような人と話していると楽しくて自由だ、自分のそのような好みと意見とがはっきりしていたであろうか。

大学院に残り、大学の助教授になるまで研究やテーマは誰が決めていたのか。ひょっとして教授に気に入られるためのテーマ選びなどをしていなかったか。

大きな選択から小さな選択まで、自らの本性に従って決断していたかどうか。それよりも自分の本性に気づいていたかどうか。他人が気にいる人と結婚したか、自分が気にいる人と結婚したか、いろいろなことについて自らの本性に従った経験をつみかさねたのか、どうか。

おそらく挫折したエリート達は、自分の基準でなく、他人の基準によって生きてきてしまい、精神の働きに自律性がなかったのであろう。
部長とか教授とか議員とか、いろいろな肩書によって自分の内面の不安などないように生きてきたのでないだろうか。

ところが実は、その人達のやっていることや選択は、もとをたどれば心の不安からなされている。自分の本性の経験する喜びにたよって生きようとしたのでなく、周囲の人達から見捨てられる不安から、ものごとの選択をおこなって生きてきた。

安心感がなく生きたために、情緒も成熟せず、精神の主体性も獲得できなかった。しかし社会的には順風満帆であった。そのような人が挫折したエリートではなかったか。

この人生において、小さなアパートに住みながら情緒の熟成をしている人の方が、豪邸に住みながら疑似成長している人より、はるかに心理的には安全である。

自分が本当に成長しているのか、疑似成長であるのかは、自分の情緒の安定度を考えてみればわかる。かなりの年齢になって情緒が不安定なら、疑似成長と思ってもよいだろう。

もうひとつのバロメーターは、自分が今の社会的地位を失うことをどれほど怖れているか、あるいは自分の社会的地位がどれほど不満であるか、によってもわかる。

社会的地位が経済的問題に結びついている以上、誰だってその地位を失うことを怖れる。しかしここでいっているのは、もし経済的には今と同じであったとしても、ということである。

また不満についても同じである。経済的な不満をここでいっているのではない。つまり、自分の心理的な安定をどこまで社会的地位に頼って生きているか、の問題である。

疑似成長している人は、他人に認めてもらいたいという子供っぽい欲求を、子供のようにストレートに出すのでなく、社会的地位を通して実現しようとしているのである。
もし子供の時に十分満たされていれば、高い地位を得たからといって失うことをそれほど怖れていないし、望むだけの地位を得られないとしても、それほど不満にもならないだろう。

自分が疑似成長をしていると認めることは、子供っぽい欲求が残っていることを認めることでもある。まず、とにかくこのありのままの自分を認めるところから、健康なこれからの人生は約束されるであろう。

“自分に正直になる”ことが、人生の基礎である

まったく自分に正直になることは、人間のなし得るまさに最善の労作である。というフロイトの言葉がある。その通りであろう。

しかし、自分に正直になるという、この最善の労作は、あるひとにとってはいとも簡単にできることであり、ある人にとってはそれぐらいなら死んだ方がましだというほど困難なことである。

その人の生まれた環境の違いである。私のように、劣等感が服を着て歩いているような親父に、なめるようにして育てられた人間にとっては死ぬ苦しみであった。

しかし、精神的に健康な親に育てられた人は、殆ど何の努力もなしに自分に正直になっている。自分に正直であることが、いかに幸福に直結しているかを感じ取っているからであろう。

自分に正直なことはだいたいが愉快なことであり、自分に不正直であることはだいたいが不愉快なことである。何も好んで不愉快なことを選ぶ人はいない。それなのに、あえて不愉快な体験を選ぶということは、それなりの深い理由があるからであろう。自分に正直になる苦しみより、不愉快な方がまだいいのである。

私のように深刻な劣等感に悩み、低い自尊の感情しか持てなかった者にとっては、真実とは自分を破壊するほど危険なものなのである。

ありのままの自分を受け入れてもらえず、常にある感情を押し付けられ、自分が何を喜んでいるのかもわからないほど自己喪失した人間は、自分は立派な人間だと命がけで信じようとするものなのである。

子供にとって、親の拒否ほど恐ろしいものはない。親のお気に入りの良い子なることが受容の条件の時、どうして自分の本性などかまっていられようか。

拒否をぶら下げられれば、子供は、自分が親の望むような人間であると信じる。そこで、自分にウソをつく。自分に実際にある欲求も、ないものと思う。そして、親が望んでいるような感情をもつ。

不況の時、解雇をぶら下げられれば、組合は妥協する。食べていかなければならないからである。同じように子供は、拒否をちらつかせれば、親の身勝手な期待に妥協に妥協を重ね、自分が何を喜び、何を悲しむのかさえもわからなくなる。

他人に受け入れてもらおうと、必死になって自分はこんなに立派だと誇示する。必死で自分を守っている。こんな人間に、自分に正直になれなどといっても、なれるわけがない。自分の感じ方、望み、考え方、それら一切を偽って生きてきたのである。

それでもなお、自分に正直になることがこの人生の基礎である、と私は言いたいのである。自分の劣等感や俗悪性、それら一切を認めることが人生の基礎である。

まことに不思議なことに、これを認めることで、自分にとって劣等性はどうでもいいことになり、俗悪性も解決の方向に向かう。
しかし認めなければ、絶えず心の底からその人を突き上げてその人を不安にするし、何よりもこれなしに情緒の成熟、精神の発展はない。

そして、いったんこれを認めて、真の成熟にむかって歩みだせば、死ぬほど辛かったことまでが、何であんなことが自分にとって問題であったのだろうと、不可解にさえなる。他人に受け入れられようとして自分は立派だと主張し、他人の評判なんかが自分に大切だったのか、わからなくさえなる。その当時の気持ちを思い出そうにも思い出せなくなる。

自分に正直になり、それを許してくれる環境をさがすこと、あるいはつくること、高齢化社会のライフワークの基礎はこれである。天の恵みで知らぬ間にこのような基礎のできている人もいれば、50歳になっても60歳になってもこの基礎のできていない人もいる。

W “自分の世界”を大きくする10の法則

==よい人間関係がどうしてできないか

1 つき合いに疲れる人とつき合いを楽しむ人との差
 人間関係の中でストレスの強い人がいる。他人の前で話をする、他人と雑談をする、会議に出るなど、何らかの形で他人と接する時、ストレスを強く感じる人がいる。

他人との付き合いを楽しむ人がいる。他人とストレスなしにつき合う人がいる。そんな人がいるのに、なぜ他方では人とつき合うとストレスが高まる人がいるのであろうか。

ストレスが強い人は、当然、他人にこう思ってもらいたいという自分のイメージがある。親切な人と思ってもらいたい、有能な人と思ってもらいたい、利己主義者とは思われたくない、心の優しい人と思ってもらいたいなど、いろいろとあろう。

そして、自分がそのように思われないのではないか、と怖れる。
そのように思ってもらいという願望と、そのように思われないのではないかという怖れの中で、人との付き合いはストレスとなるのだろう。

 不親切な人と思われるのではないは、無能な人と思われるのではないか、利己主義者と思われるのではないか、ケチと思われるのではないか、心の冷たい人と思われるのではないか、そのような恐れを、なぜもつのであろうか。

 いや、そんな恐れは誰だって持っている、というなら、なぜある人々にそのような恐れが強いのであろうか。おそらく、それは当の本人が心の底で、自分は不正直である、自分には不親切である、自分は有能ではない、自分はずるい、自分はケチである、自分は利己主義者であるなどと感じているからではなかろうか。

 この自分に対する感じ方は不快である。従って、意識の領域から追い払おうとする。つまり、抑圧である。この人は本当の自分の感じ方を抑圧し、本当の自分に向き合うことを避ける。

 人間関係でストレスの強い人はこのよう人であろう。つまりある人々に会うと、その自分が抑圧している感情に何となく気づいてしまう。
ある人々は、自分が隠減しようとしている自分の感じ方を刺激する。
それは耐え難いからさらに隠減しようと努力する。
そのような努力が、さらに心の底で、自分は欲張りである、自分は優れていない、という自分の感じ方を強めてしまう。

人と会うと自分の抑圧している感情にむき合ってしまう。そのむき合うことからくる不安こそ、人間関係の中で人を疲れさすのではなかろうか。

 よく政治家というのは消耗しない人達だ、ということを聞く。私もそう思う。なぜだろうか。
 まず今の職業の中で、これほど抑圧の少ない職業はないのではなかろうか。彼らは攻撃性を抑圧する必要がない、政治家以外の殆どの職業においては、欲しいものを手に入れようとする時、攻撃性をエスカレートに表現することはできない。

 表も裏もない。政権を望んで、それを得ようと政治家は闘う。当選を望んで闘う。それを誰はばかれることなく公然と宣言できる。自分の望むものを手に入れるために、攻撃性を抑圧する必要などどこにもない。

彼らにとって、自分の望むものを手に入れようとして戦うのはあたりまえのことである。

 一方で権力を望み、他方で攻撃性を抑圧して自我の分裂に苦しむ必要などまったくない。人々が消耗するのは、世俗的な戦いそのものによってではなく、自我の分裂、緊張によってである。

 政治家は人と会ったって自分が抑圧している感情に向き合う不安があるわけではない。出世を求める、権力を求める、名声を求める、それは当たり前のことである。それらの感情が耐え難いからといって、隠減のための努力をする必要などどこにもない。自分の求めるものにむかって、自我の分裂を味わうことなく、一体化していかれる。

 人と会って疲れるという人は、相手に何かを隠そうとしているからである。相手が自分に自分が隠そうとしているものを気づかせるからである。
正確にいえば、決して人と会って疲れているのではない。人に会うことによって、本当の自分と会うことか疲れるのである。

自分は欲張りである、と心の底で感じている人がいる。政治家ならこの感じ方を抑圧する必要がない。しかしその他の職業の場合、この感じ方は不快である。そこでこの感じ方を隠滅しようとする。

 政治家は人と会って、相手から欲張りと思われないかと怖れる必要はない。他の人はどうか、相手から欲張りと思われないかと怖れる。それは実をいえば、自分が心の底で欲張りとかんじていて、その感じ方を隠滅しようとしているからである。

人とうまくいかない人は、自分ともうまくつき合えない

人間関係で疲れる人は、本当の自分と会うことを怖れている人である。
人と会ってビクビクしている人は、その相手にビクビクしているわけではない。本当の自分に直面しそうでビクビクしているだけである。その相手がことさらに本当の自分の感じ方を刺激するからである。

 他人の噂や評判を気にする人もいるし、あまり気にしない人もいる。気にする人は、その噂や評判が自分が隠滅しようする自分についての感じ方を刺激するからである。よい評判が嬉しいのは、その認めがたい感情の隠滅に力をかしてくれるからであり、悪い評判が苦になるのは、その認め難い感情の隠滅を難しくするからである。

 他人とうまくつき合えない、という人がいる。決してそんなことはあるまい。他人とうまくつき合えないという人は、自分ともうまくつき合えない人である。

自分が自分を拒否した人は、他人をも拒否する。自分が自分を拒否するというのは、自分の心の底での本当の感じ方を抑圧しているということである。

 人間は自分を受け入れる程度においてしか、他人を受け入れられない。
心の底で自分は卑怯だと感じている人がいる。その感じ方は不快であるから抑圧する。自分は卑怯でないと思い込もうとしている。これが自分で自分を受け入れていないということである。

 人間は誰だってそんなに立派なものではない。他人とつき合えない人は、自分を実際以上に立派に見せようとするからである。
立派になろうとするのはよいが、自分にも他人にも立派に見せようとするのはよくない。
自分とうまくつき合えない人は、他人ともうまくつき合えない。
 大人の甘えとは、実際の自分と違った人間であると他人が思うように求めることでもある。たとえば、実際の自分はケチである。
しかし、他人がおうような人間と自分を感じることを期待する。実際の自分は冷たい。しかし、心の温かい人間であると自分を感じるように他人に求める。

 甘えた人間は依存心が強いという。まさにその通りだと思う。だから、常に他人は自分をこう思ってくれという要求がある。甘えた人が他人に対して常にdemandingであるというのは、このことである。他人が自分の望むように自分をイメージすることで、自分を支えている人なのである。自分の満足が、他人が自分をどう思うかということに依存している。

 そして、自分の望むように自分をイメージしてくれる人に迎合し、取り入り、その人のそのイメージを失うまいと緊張する。その人の期待を先回りして実現しようとする。逆に、自分の望むように自分をイメージしてくれない人に対しては敵意をいだく。

2 相手の弱点をどこまで許せるか―恋人との付き合い方

「…・・でなれければならない」恋は辛い

弱点を許しあえる恋、そんな恋でないと長続きしないのではないでしょうか。肩ひじはって格好つけて自分の長所を誇示しなければならない恋、そんな疲れる恋は一定期間はよいが、やがて不快な終末を迎えるような気がする。

 自分の弱点が現れることに恐れのない恋、そんな恋が長く二人を結び付けるに違いない。自分の耳が少し遠いとすれば、相手の言うことを何度聞き返してもいい恋、気がねなく「えっ?」と聞き返せる恋、そんな恋が安らぎとなるのではないだろうか。

 自分は眼がいいのだ、耳がいいのだ、頭もいいのだ、たえずそんなことを証明していなければならない恋は、やはり地獄ではなかろうか。

 性的に不能な男性が、自分は不能であるということを安心していえ、安心して恋人のそばに寝ていられる恋、そんな恋が人々を人生のストレスから救うのではないだろうか。
自分が精力絶倫であることをたえず証明しなければならない恋は、やはり地獄であろう。そして実は、絶えずそのように証明しなければならない恋の中で、男性は不能になるのではなかろうか、逆に安心て不能でいられる恋の中では、能力を回復するのではなかろうか。
「…・でなければならない」恋ほど辛い恋はないだろう。

 その人の恋人でいるためには、頭が良く「なければならない」、体が丈夫で「なければならない」、立派な人格者で「なければならない」…・そんな「なければならない」ことで一杯の恋など、地獄でしかないであろう。
そして、そのような恋いほど相手の人間性の開花を遅らせるものはない。また相手の能力も萎縮させてしまう。

 たとえば、男性でもすべての女性に不能という男性は少ないという。ある特定の女性に対してだけ不能になる。
それは、その女性の前に来ると、男性が自分は精力絶倫で「なければならない」と感じてしまうからである。これは何も恋だけではない。

 札幌市の宮の森シャンツェなどで、七カ国から十九選手を招いた第五十四回宮様スキー国際大会が昨年の十二月十八日から行われた。その時、ジャンプで優勝したのが、オーストリアのヒルナーという十八歳の少年である、その少年が何といったか。二月十九日の読売新聞に次のように出ている。

「昨日の練習では僕の調子があまりよくなかったのに、日本選手はみんなよいジャンプをしていた。でも今日の日本の選手は一人でも、昨日のようなジャンプをしなかった」

 そして日本のコーチ陣は「練習では、いいジャンプをするのに、本番になるとどうもそれが出ない」と嘆いているという。それを報じる新聞の見出しも「本番に弱い日本勢」。よいジャンプを「しなければ」というストレスが結果として悪いジャンプになる。

 私は恋における「やさしさ」とは、恋人の弱点を受容することだと思う。
優しい恋人と一緒にいる「ねばらない」というストレスを感じないですむ。のびのびとしていられる。のびのびとしていられるから、自分の能力が十分に発揮できる。

 体が不自由である人が恋人にコートをかけてもらう。その時、負い目を感じないですむとすれば、その人の恋人はやさしいのであろう。体が不自由なために服が自由に着られないという自分の弱点がある。しかし、その恋人といると、その弱点が現れる機会が何も恐ろしくない。

「やさしさ」と「お世話」を思い違いするな

ところが、人々は優しさというものを勘違いしているようである。 山谷親平さんと私は、現在、ラジオ、「テレフォン人生相談」というのをやっている。山谷さんが月、水、金、私が火、木、土である。土曜は地域によってネットしているところとないところがある。

 山谷さんが、よくそのラジオで相談者にいう。「男の優しさほどあてにならないものはないんですよ」と。

 たしかにラジオでいつも人生相談をやっていると山谷さんのおっしゃる通りなのである。男の優しさほどあてにならないものはない。
というのは、電話をかけてくる相談者は「結婚前は優しかったんです」という。この主婦のいう「優しさ」とは、結婚前は自分のことをちやほやしてくれた、というにすぎない。
「今日の君は特に美しい」「君は化粧が上手(うま)い、僕は今まで化粧はあまり好きでなかったが、君のは別だ」…・・ペラペラとお世辞をいう。キザな男になると、「今日は君の中に誕生の美しさと滅びの美しさを同時に見るような気がする」などという。

 そして主婦は、そんな時の彼を思い出して「優しかったんですねえ」という。こうなれば、われわれとしては「男の優しさほどあてにならないものはない」といわざるを得ない。
この主婦達は、優しさとかお世辞の区別が出来ていないのである。
こんなのは優しさではない、お世辞である。優しさとは、誠意のないその場かぎりのお世辞をいうことではなく、相手の弱点を受容することである。

 優しい恋人といれば、恋人に自分をよく印象付けようというストレスを感じない。のびのびとして、自分がありのままの自分でいることが許されるような気持になる。
自分の弱点故に自分がダメな人間と感じないですむ。恋人の心に自分がどう映っているかが怖くない。
 私が今まで読んだ恋文で忘れ得ないもののひとつは、ハスケルという人がギブランという人に出した恋文である。

 You can’t disappoint me.(あなたは私を失望させることができない)
 ハスケルという女性こそが優しい女性なのである。この恋文をはじめて読んだのはドイツであった。デュセルドルフからハンブルクへむかうバスの中である。私は今でもその感動を忘れられない。

 自分をちやほやしてくれる男性を優しいと錯覚し、結婚しても、やがて相手は自分より若い女性を追いかけているということになるかも知れない。
 そして心の冷たい人は、人間の優しさを見ぬけない。心の優しい人だけが心の優しい人を見分けることができる。

3 受け身でいては人間関係はできない

自分から他人を評価したっていいのだ

怖れる者は愛することができない。愛する者は恐れを知らない。
怖れるということは、自分を守ろうとするから出てくる感情であろう。
そして、よく言われるように、それが本当に自分を守るために必要な場合と、そうでない場合がある。
毒蛇に会ったら、恐ろしいと思うことが身を守る。しかし、女性恐怖症の人がやさしい女性に会って恐ろしく感じたとすれば、これはその人の内面の問題である。

 一般的には、女性恐怖症という人も少ないであろう。ただそこまでいかなくても、他人を怖れている人は多い。
たとえば、男性の性不能。これは相手の女性を愛するというよりも、相手の女性から自分が評価されるのが怖いのであろう。
女性から低く評価されることが怖い。低く評価されるということは、相手の女性から見捨てられることになる。
基本的には、見捨てられることの恐怖から不能になるのであろう。「立派な大人」は今までの勉強とか、仕事とか、そのようなことが支えにならず、ぎりぎりの全人間的なことが問題になる瀬戸際で挫折する。

 大学生の卒業不安も同じであろう。社会に出て、今までの勉強などよりも、もっと人間的なことが問題にされるところで、他人に低く評価されることを怖れるのであろう。
そして、他人にそこで低く評価されることは、他人に見捨てられることだと感じてしまう。

 他人に評され続けて生きてきた人々の群。評価されることに疲れ果てた人々。高く評価されるために、自分を否定する努力を長く続けてきた人々。
それらの人々が、他人を怖れているのである。自分と関わりあう他人は、すべて自分を評価する人々になってしまう。逆にいえば、いつも自分は評価される立場にいる。

 家庭で学校で会社で、評価されつづけて生きてきた人々にとって、精神的休息はない。評価されつづけることで、受け身の姿勢が身についてしまったのである。

 絶えず相手の基準で評価されつづけるうちに、どこにいても、自分はどう評価されるのか気になる。そして、見捨てられるのではないかと不安な緊張に苦しむ。
 自分の方から相手を評価したっていいのだ、ということは頭の中でわかっていても、感情がいうことを聞かない。自我がそこまで成長していないから、自分の方から相手を切り捨てることができない。

つき合いで肝心なのは“人間的価値”である

 社会に出る時にしろ、性にしろ、同僚と友人になる時にしろ、そこで求められるのは、結局ははっきりとしない人間的価値である。
人間が深く他人と関係していく時、そこに求められるのは、定義の難しい人間的価値であろう。きわめて僕然とした基準である。“人間とした自信”が瀬戸際では問題になる。

 人間的価値とか、人間としての自信というのは、おそらく自分や他人に対する信頼感なのであろう。

 フロム・ライヒマンが、うつ病者の心理の特徴の第一に、“必要と虚無”というのをあげている。これが人間としての自信の対極にあるのではなかろうか。必要の感情というのを、どのようにライヒマンが考えているのが分からないが、おそらく次のようなことであろう。

 他人からの尊敬とか、他人からの受容とか、それらのことを本人が必要としているということである。
つまり、それなしには生きていかれない。他人から受け入れられることが、本人にとって生きていく上に必要なことである。

 他人から拒絶されたら生きていかれない。それにもかかわらず、他人がこのありのままの自分を受け入れてくれるかどうか自信が持てない。
その弱点のある自分は、他人に受け入れてもらうことを生きていく上に必要としていながらも、この自分が他人に受け入れられるに価する人間であるかどうか自信が持てない。

 そうした意味では、自分にも他人にも信頼感がない。そうした意味では、自分も他人も、自分が生きていく上では敵である。拒絶されれば生きていかれないのに、相手は自分を拒絶するかも知れないと感じているのである。

 心の底にあるこの不安から眼をそむけようとして、他人と自分に向かって自分の価値を証明しようと努力する。自分はこんなに社会的に成功しているのだから、自分は必ず他人に受け入れられると信じようとする。
必死の努力は心の底にある不安を意識の上に表面化させないためである。

 うつ病者は、社会的な役割関係の中に自分の存在を確認しようとする。うつ病者のアイデンティティーは、社会的役割によって形成される。
自分の価値をその社会的な役割関係の中に見つけようとする。自分の存在理由は、その社会な役割関係の中にある。

 その中で、自分は他人に受け入れられると確信しようとする。心の底の不安が強ければ強いほど、その声を抑圧しておくためには、より大きな役割が必要となる。

 うつ病者が社会的役割関係の中に自己の存在価値を確認しようとするのは、心の底が不安だからであろう。それでなければうつ病者になる筈がない。

 また他人から利用され、あるいはホルネイの言うように“乱用”すらされて、安心している人がいる。
それはなぜか、そのことによって、その人が他人の「気を引こうとしている」からであろう。他人に受け入れてもらう方法として、自ら進んで乱用されているといってもいい。

 たとえば小さい頃、親に受け入れられなかった者は、受け入れてもらうために、自分を簡単に傷つけてしまう。
「自分を大切にする」ということより、受け入れてもらう方が、その場の心理的安定につながる効果がある。いうなれば、短期的に心の安定に効果があるが、長期的に見ると心の安定を破壊する言動といった性質のものとなる。

 「嫌われたくなくて、嫌われたくなくて、みんなあなたにあげた馬鹿な私」――という歌謡曲があった。これなどはまさに、先に上げた好例であろう。自己評価が低いと、ついつい男性を引き留めておくために性的交渉を許してしまう、ということであろう。

4 人を信頼できないのには理由がある

前提としての自己信頼ができているか

うつ病の病前性格者がどんなに努力しても、他人と自分に対する信頼感が欠如している限り、心の不安が解消することはない。
しかし、他人に評価されよう、他人に受け入れられよう、とするより、他人を愛そうとすれば、その不安は解消に向かうであろう。

 だが、他人を怖れる者には、他人を愛するという能動的生き方が難しい。
愛されるためには自分の価値(社会的役割)を高めようとする努力は得意だが、自分から他人を愛するということがなかなかできない。
相手を喜ばせようとすることだけということができない。相手を喜ばすことによって、相手に気に入られようとすることになってしまう。

 相手を喜ばすのは、相手その人の為ではなく、相手に自分が気に入られる為なのである。そして、相手に気に入られることは、自分が生きていく為に必要なのである。となれば、どうしても相手を喜ばすことも必要なことになってしまう。

 そのような人は、小さい頃、親を喜ばす必要があったのであろう。
自分の存在が全面的に周囲の好意に依存しているのが幼児である。幼児から少年少女時代を経て、思春期になる。その過程で、周囲に気に入られなければ自分は見捨てられると感じたかどうかが決定的なことであろう。

 多くの親は、子供を見捨てることなどないと思っている。事実、そうであろう。まさか道路に子供を放り出してしまうということはない。
車に乗っていて、子供が言うことを聞かないと言って、子供をおろした親がいたとしても、本気でそのまま子供を捨てていこうと思っている親はいない。

 ただ問題は、親の気持ちあるのではない。子供がその親の言動をどう感じるかということに問題があるのだ。車か降ろされた子供は、その後、親の言うことを聞くかもしれない。
しかし、それは見捨てられることが怖かったからである。親が、そのまま三歳の子を放り出して逃げてしまうつもりはなかったといくら言っても、幼児の方がそう感じてしまえば、それだけの影響を与えてしまうのであろう。

 ウォルマンが『子どもの恐怖』(作田勉訳・誠信書房刊)の中で、「親の短気、いらだち、あるいは怒りを、しばしば子どもは、完全な拒絶と感じます。」と指摘しているが、その通りであろう。

 つまり、イライラしている親に、子供は安心して依存していられない。安心して依存していられない子供は、大人になって自己信頼ができない。

「幼児期から大人の道は、依存から自己信頼への道です。」 瀬戸際で挫折してしまう人間は、やはり幼児期の頃、安心して他者に依存していられなかったのであろう。
 うつ病者は、小さい頃から、成功の重圧感に苦しんでいたという。成功しなければ、親に受け入れられないと感じているのである。

素直な自己開示ができないと、人との信頼関係もできない

うつ病者の家庭では、親子の間に、保護と迎合が成立している。子供は親の期待に沿う限り保護される。保護と迎合という場合、この保護は、ありのままの子供を受け入れるという意味ではない、あくまでも、親の成功への期待を実現すべく努力している限りでの保護である。

 これではいかに保護されても、他者に依存する安心感はない。
この安心感がないから、自己信頼へと移行していくことができない。
保護と迎合の家では、自我形成の土壌がない。ということは、今述べたように自己信頼へと移行していかれないということであろう。

 自我が形成される、ということは、自分が信頼できるようになる、ということである。自己信頼のない人は、他人を愛するという能動性がない。
恐怖を打ち砕くのは愛だと分かっていても、愛することができない。
恐れるな ! と自分に言い聞かせるくらいが関の山である。
恐れるな ! という姿勢が、すでに受け身である。

 自我が未形成のまま肉体的社会的に大人になると、ある人にひかれながらもその人を怖れてしまう。ある人が好きである。しかし、好きというだけで終わらない。その好きな人から嫌われるのがこわいというのが、どうしてもついていってしまう。

 嫌われるのが怖いから、どうしても自己開示がない。自分を素直に表現できない。自己開示がないから、親密にはなれない。自分を素直に表現するということは、相手を信頼しているということである。そうすることは、相手もまた自分を信頼してくることにつながっていく。

 人々との間にあって神経を使っているのは馬鹿げているとわっても、自己信頼がないと、やはり神経を使ってしまう。それは、相手が好きだけど嫌われるのが怖いからであろう。

 相手が好きだったら、自分を開示できるというのが、自己信頼のできる人である。自分も相手も自分にとっては味方なのである。
見方だからこそ、弱点をあらわすことに不安がない。ところが、弱点をとがめられながら育つと、どうしても自らの弱点を隠そうとする。
そしてそのことが、自分と他人を敵にしてしまう、ということになる。

 自分を他人に向かって優れた者に見せようとすればするほど、自分と他人をいよいよ敵に回してしまうことになる。
相手が好きだからこそ、自分を実際よりも優れた者と見せようとしてしまう。それによって受け入れられようとしてしまうのである。それだから、不安な緊張にさいなまれることになる。

 保護と迎合という親子関係を、そのまま親以外の他人に移行させていく。これはあくまでも受け身の姿勢でしかない。

5 嫌われるのを怖れるより、まず好きになれ

「嫌われるのが怖い」人が知っておくべきだ

親に迎合しながら生きてきた者は、どうしても自分を受け入れ、他人を愛することができない。
他人に迎合することが、他人に受け入れられる方法であると錯覚する。実際の自分を開示することで親密になる、ということが、感情の上でどうしても理解できないのである。

 迎合するということは、ありのままの自分でなく、相手の望むような人間になる、ということである。その結果が、こうありたいと願う自分にとって、実際の自分が敵となってしまっていることがある。

その場合の「こうありたいという願い」は、自我の形成をあらわしているのではなく、未形成をあらわしている。幼児の頃安心して他人に依存していられなかった者には、他人がありのままの自分を好いてくれるということが、どうしてもわからないのである。

 しかし、怖れる者は、まず頭で理解することから出発しなければならないであろう。嫌われるのが怖い人間は、嫌われまいとする事より、その他者を愛そうとすることで、嫌われる恐怖がなくなることを、まず頭でハッキリと理解することである。

嫌われまい、嫌われまいと自分に注意するよりも、好きになろう、好きになろう、と自分の注意をむけることである。

 好きな相手から拒絶されることを怖れまいとするよりも、自分が相手を好きであるという感情を大切にとしょうと、まず頭でわかることである。
好きという感情と怖れの感情の中で、好きという感情に自己を没入させていこうと、まず頭で思うことである。
好かれようとするよりも、まず自己が好きだという点に注意を向けようとすることである。

 好かれようとすると、相手の自分に対する評価をあげようとし、自分の弱点を隠そうとし、結果として相手を敵の立場においやってしまう。それよりも、自分は相手を好きなんだ、という点に自分の注意を集中させようとすることである。

 もちろん、その点に集中させようとしたって集中できず、好かれよう、嫌われまいとしてしまうかも知れない。
しかし、まず頭でそう理解することから出発しなければならない。
そして、自分がこんなに嫌われることを怖れているのは、自分に価値がないからではなく、たまたま自分が安心できるような雰囲気の中で成長してこなかったからである、と頭でわかることである。

 親の人間不信が自分に影響を与えているから、自分と相手を信頼できないので、自分は自分と他人を信頼する能力があるのだと思うことである。相手を信じようとすれば、相手から疑われないかと不安にならないだろう。

 相手に好かれようとする行動はなるべく止めることである。それに対して、自分が相手を好きにだという感情は、なるべく表現しようとすることである。相手に会う時、嫌われやしないかと不安な緊張にかられるかもしれないが、相手は自分のことを好きだから会おうしているのである。

こんな余計な神経を使うのは馬鹿らしい

自分の感情の中に二つのものがある。その時、自己信頼のない人は、ほっておくとついつい嫌われるのが怖いという方に自分が傾いていってしまう。
そこでなるべく、自分は今あの人が好きだから会いに行こうとしているのだ、自分は今あの人に会いたいから会いに行くのだ、というもう一つの事実のほうに意識的に眼を向けようとすることである。

 そして、会って自分が楽しければ、相手を楽しませようとしなくても相手は楽しいのだ、とまず頭で理解することである。相手を楽しませようとして自分が犠牲をはらえば、逆に深い親密感は生まれてこない。

 こんなことを言ったら相手を傷つけてしまうのではないか、こんなことを言ったら喜んでくれるのではないか、などと神経を使うよりも、自分がこれだけ好きなのだから相手は自分の言葉を決して悪意に解釈しない、と思って自分の好意に注目することである。

 さっきあんなことを言ったから相手は内心怒っているのではないか、などと神経を使いだすと、ついついもう一つの事実である相手に対する自分の好意が無視されてきて、相手を潜在的な敵に追いやってしまう。

 この前あんなことをしたから相手は内心不快なのではなかろうか、などと神経をピリピリさせていると、やはり自分の相手に対する尊敬を忘れてしまい、相手を敵に追いやってしまう。

 自分の相手に対する好意という事実から眼をはなしてはいけない。
そして、相手が自分といることを楽しんでいるかどうかということは、相手の問題であってこちらの問題でない、ということに気づかなければならない。ところが他人を怖れている人は、ついつい他人のことまで自分の責任と錯覚する。

 これについて、先のウォルマンは同書で次のようなことを指摘している。
「故意に、あるいは知らず知らずに親の現実的不幸や想像上の不幸について、子どもに罪悪感を抱かせる親がいます。
敏感な八歳や九歳の子どもは、父親が期待していた昇進が得られなかったり、事業で損失を被(こうむ)ったりするとそれを自分のせいだと信じるようになるかも知れません。」

 いわんや恩着せがましい親などに育てられた敏感な子はたまらない。
そんな子は他人の感情の動きに責任を感じてしまう。そして他人が喜んでいるのを確かめて、ほっとしたりする。

 相手が自分といる時、自分の期待しているような感情を表さなかった時は、神経を使わないことである。この前言ったことをまだ気にしているのではないかとか、以前したことが気に障(さわ)ったのではないかとか、神経を使わないことである。

 たとえば、そう神経を使っても、頭の中では、自分はたまたま不安な親の押し付けがましい態度に苦しんで育ったから、ついつい今こう感じていることは決して事実ではないのだ、と自分に言い聞かせることである。

 このように頭でわかったからといって、いらぬ神経の使い方がなくなるわけではない。しかしだいぶ違うことは確かである。
 とにかく相手が好きなのに、嫌われることばかりに神経を使っているは馬鹿げている。

6 “井の中の蛙”では人とつき合えない

“大きな海”を知ることで、人間も大きくなれる

「井の中の蛙(かわず)大海をしらず」という。この格言だけだと、別に大海を知らなくたっていいじゃあないか、という議論も成り立つであろう。大海を知らなくたって井の中で蛙(かえる)が幸せにすごせるもなら、何の不都合があるか、ということである。

 しかし、やはり大海は知っていた方がよい、と私は思う。なぜならば、大海を知らない井の中の蛙というのは、自我防衛が強くて幸せになれないと思うからである。こんな大きな海があるのか、と知った時、蛙は自分の自尊心を傷つけまいとして虚勢を張るような愚を犯さなくなるのではなかろうか。

 大きな海を知らないので、自分の今いる世界にしがみついている人間がいる。しかし、よく見ていると、そのような人は、やはり神経症的自尊心が傷つくのを怖れて生きているようである。

 というのは、そのような人はよく外の世界をけなす。
あんなことはくだらないとか、馬鹿みたいだとか、他の世界をつとめてけなしているようである。つとめて軽蔑するのは、外の世界が自分の神経症的自尊心を傷つける可能性があるからだろう。井の中の蛙にとっては、やはり外の世界は脅威なのである。

 大海を知ることは厳しい。自分のくだらない神経症的自尊心をうちこわすからである。しかし、そんな知らないが故に守れる神経症的自尊心など、ないほうが結局は幸せなのである。もっと正確にいえば、すでにその神経症的自尊心は傷ついているのである。

傷ついている神経症的自尊心を認めることができなくて、傷ついていない“ふり”を自分や他人にするのが、虚勢を張るということであろう。

 井の中の蛙というのは、傷ついた神経症的自尊心の持ち主であることが多い。だからこそ、大海を知ることを拒否するのである。結局において、視野の狭い人間の神経症的自尊心は傷ついている。視野が広くなければ、傷つくような神経症的自尊心はもっていない。

 人はいろいろな職業を持ち、いろいろなところに住んでいる多くの職業の中で、自分の職業を客観的に見ることができ、多くの住宅地の中で、自分の住んでいるところの位置を客観的に見ることができる人というのは、どんな住宅地に住み、どんな職業についていても、自尊心など傷ついてなどいない。

 ところが、世の中には自分の職業の短所を指摘されると怒り出す人がいる。世の中には、お金はもうかるがあまり尊厳のない職業もあれば、尊厳はあるけれども給料の安い職業もある。
忙しいけど給料の高い職業もあるし、給料は安いがわりと自分の時間のもてる職業もある。そんな中で、自分の職業がすべてにわたって他の職業より優れていると言い張る人が世の中にはいる。
そして口を開けば他の職業をけなす人がいる。井の中の蛙でいようとして、他の職業の実態を知ることを拒否し、はじめから色眼鏡で他の職業を見る。

虚栄心の強い人は視野が狭くなる

住宅などについても同じである。良い悪いは別にして、東京の田園調布や成城のような高級住宅地がある。普通の人が真面目に働いても、とても一生かかっても買えるものではない。そこに、親から立派な住宅を相続して住んでいる人もいる。

 ところが、イソップの童話に出てくる、あのブドウはすっぱいといったキツネと同じように、「ああいう雰囲気のところはいやだねえ」と認めない人がいる。そして田園調布や成城の話は自分の自尊心を傷つけるのである。そして、そこの世界を知ることを拒否する人がいる。

 しかし、知らないからこそ、それが自分の自尊心にとって脅威となるということもある。実際、そこに親の力で住んでいる人に会ってみると、何ともその視野の狭さ、世界の狭さに驚くことがある。住んでいるところはうらやましいが、その人をあわれに感じることがある。

 そのような人達は、要するに、人を評価するモノサシがどんな住宅地に、どのような家をもっているか、ということだけではないか、という気さえしてくるのである。
このように視野の狭い人は、いろいろな種類の人間とつき合うことができない。社会への窓が小さい。
とにかく生き生きしていない人がそのような素晴らしい住宅地の素晴らしい住宅にいることがある。しかし他方には、高級住宅地といえないところに、立派といえない家を持っている人が、社会的に活躍し、生き生きとして生活していることもある。

 素晴らしい住宅地に素晴らしい住宅をもって、何か重苦しい生活をして生気のない人というのは、たいてい視野が狭い。つまり土地や家にとらわれている。そして、やはり怖れている。住宅にとらわれているのは、心の奥の底では、自分の自尊心を守るのはこの素晴らしい住宅しかないと、知っているからである。

 どんな立派な環境を与えても、井の中の蛙は幸せになれない。逆に、大海を知った蛙は傷つき難い。

 今、自尊心と書いたが、客観的には虚栄心と書くべきであろう。ただ、当の本人は自分のそれを虚栄心と自覚してはいない。
もともと自尊心は傷つくものではない。それにくらべ虚栄心は傷つきやすい。正確には低い自尊の感情しかもてない者が虚栄心を持ち、すぐに傷つくと理解すべきであろう。

 いずれにしろ、住宅地と住宅によって自分の虚栄心を守ろうとする人は、自分の人生を見る視野に住宅地と住宅しか入ってこないのである。
「あの人はどこに住んでいる」とか、「あの人の家の居間はどうだ」とか、そんなことにしか興味がない。

素晴らしい住宅地と素晴らしい住宅に住みながら、なんとも世界の狭い人である。また逆に、田園調布や成城に拒否反応を示す人も、住宅によって自分の虚栄心が傷つくことを守ろうとすることではないだろうか。

人生の新しい価値を見つける――視野を広げるということ

視野の広い人、世界の広い人、そうした人は、もっと淡々として生活しているような気がする。
 ところで、どうしてそんなに素晴らしい住宅に立派な家を持ちながら、低い自尊心と傷つきやすい虚栄心に苦しみ、生気のない生活を送る人が出てきてしまうのだろうか、それは一口でいえば、安易さを求めて生きてきてしまったからであろう。

 視野が広く愛情の深い人間の自尊心は、傷つき難い。正確には、高い自尊の感情を持っているといっていいだろう。
それにくらべて視野が狭く、愛情能力の欠如している人間は、低い自尊の感情を持ち、傷つきやすい虚栄心に苦しんでいる。

 自分自身の生活を求めないで、他人から良い評判を求つづけることは、自分を一個の人格として認めなかった人間に、生涯にわたって支配されつづけることである。

 われわれの心に幼い日、「恐れ」という木を大きくしてしまう可能性がある。そして、怖れに動機づけられつつ行動することは、その怖れをわれわれの心に植え付けた人間に、我々の人生の運命を決められたということであろう。

 自分で自分の人生を決める。それはまず、心の中に幼い日植えつけられた恐れがいかに根拠のないもの、客観性のないものであるとわかることが、視野を広げるということではなかろうか。

 視野を広げるということは、今まで軽蔑していたものの中に、価値を見つけられるようになるということである。
新たなる感動の体験をして、人生の新しい価値を見つける。
今まで狂言していたものの仮面を剥(は)ぎ、正体を暴露する。

今までにあることを価値として自分に教え込んでいて人間は、単にその人の自我防衛からそれを主張していたにすぎない。今まで愛と信じさせられてきたものは、単なる幼児期依存心にすぎない、とわかることではなかろうか。

7 本心をごまかしていると、人前で居心地がわるくなる

大企業のエリートでも“人生の貧しい”人がいる

恐れをもつ者の価値の構造には、本人の充足感が入っていない。
つまり、怖れもつ者は、無意味感に苦しんでいる。恐れとは、ヴァイオリンを弾いて、もし感動できなかったらどうしよう、というものではない。

ヴァイオリンを弾いて、失敗して嘲笑されたらどうしよう、ということである。有名企業に就職できなくて、皆に尊敬されなかったらどうしょうということである。
つまり、劣等感を基礎にした価値の構造である。自分の劣等感を癒(いや)す手っ取り早い薬は、権力であり、名声である。財産を得られるか得られないか、ということが、劣等感をもった人間にとって重大なのであって、音楽を聴いて感動できるかできないかが重要な問題なのではないということを、人生の貧しさと感じられるということが、価値に対する視野がひろがったということであろう。

大自然に接する機会がありながらも、その素晴らしさに感動できない人生を貧しいと感じられる。そういうことが、価値に対する視野がひろがる、ということであろう。

 しかし、大自然の素晴らしさに感動することも、音楽の美しさに感動することも、その人の社会的名声とは結びつかない。

 フランクル(実在分析の主唱者)は『精神医学的人間像』(宮本忠雄他訳・みすず書房刊)の中で、「この無意味感は、今日、神経症的疾患の病因となる点で、劣等感を凌駕(りょうが)しています。」と述べている。

しかし、これはどうもおかしい気がする。劣等感と無意味感は深く関係している。つまり、人は劣等感に動機づけられて行動するから、その結果として無意味感に苦しむのである。

 また、フランクルは同じ本の中で、心理療法として、患者の価値に対する視野をひろげさせることを説いている。
ところが、価値の視野の狭さをもたらしているものは、ほかならぬ劣等感なのではなかろうか。

 劣等感のある者は、大企業のエリート・サラリーマンの人生が貧しいこともある、と感じることはできないであろう。
有名大学を卒業して大企業のエリート・コースをばくしている者なら、音楽の美しさを無視していても、水の美しさに心をうばわれなくても、その人を思わず尊敬してしまうだろう。その人の人生が貧しいとは、劣等感があれば感じられない。

 価値に対する視野をひろげさせるということは、劣等感の解消であり、結果として人生にも意味を感じるようになるのではないだろうか。かつ、価値に対する視野をひろげることは、自分の心に怖れを植えつけた者の支配から、自分を解放することでもある。

 ここで、誤解のないようにいっておけば、大企業のエリート・コースをばく進している人の人生すべて貧しい、などといっているのではない。豊かな人生もあれば貧しい人生もある、ということをいいたいのである。

他人ばかりでなく、自分もごまかしていないか

 劣等感とは、多くのものの中のひとつのことを、唯一の絶対のことと錯覚することであるとよくいわれる。
 なぜ、多くの中のひとつのことを唯一のことと思って、感じてしまうのか ?

 それは、視野が狭いから、経験が偏っているから、つき合いの範囲が狭いから、要するに人生が貧しいから、であるといえよう。

 それでは、なぜ視野が狭いのか ? それは視野の狭い人に心理的に依存しているからである。この点は大切である。この心理的依存を脱出しない限り、自分の視野の狭さを克服することはできない。

たとえ多くの経験をしても、その経験は本来の豊かさを支えてくれることはない。ただある経験によって感動できれば、それが自分の今までの価値観をゆり動かし、自分が心理的に依存している人を新しい眼で見ることができる。

 また、劣等感をもつ人は自分への要求水準が高すぎる人だ、といわれる。その通りである。そこで、劣等感の克服について要求水準をさげることと書いてある本がある。しかし、さげようとしてさげられないから、人々は劣等感をもっているのであろう。

 では、なぜ要求水準をさげることができないのであろう。それは、自分に非現実的なほど高い期待する人に心理的に依存しているからであろう。

 ではさらに、他人に非現実的なほど高い期待をかける人は、どのような人であろうか。それは自分に失望した人である。

 よく劣等感は誰でも持っている、と本を書いてあったりする。しかし、そうであろうか。決してそんなことはない。依存心の強い人は誰でももっている、といいなおすべきであろう。自律心の強い人は、そんなものをもっていない。

 深刻な劣等感をもっている者は、その内面に何かごまかしがある。劣等感に悩む人は、他人の期待に応えようとして、ある程度こたえた。しかし、そのこたえ方にごまかしがあるのではないか。

 カンニングをして良い点を取るような、何らかのごまかしがあるに違いない。そのごまかしを、本人は心の底の底では知っている。従って、劣等感をもつ者は虚勢を張れても、堂々とした落ち着きがない。

 彼は何かを隠しているのである。その隠しているものを、他人に見つかりはしないかと緊張する。ストレスに疲れる。体力が弱いということを隠しているのかも知れないし、ずるいという性質を隠しているのかも知れない。隠しているものは人によって違うだろう。
しかし、何かを他人の眼から隠している。だから、見つかりはしないかと自分の言動に自意識が過剰になるのではなかろうか。

 自分と他人の眼から何かを隠そうとしているから、自然の流れに身を任せることができない。自然の流れに身を任せれば、隠しているのが見つかってしまうかも知れないとういう不安がある。見つからないように常に見張っている必要がある。それが不安な緊張であり、自意識過剰である。

 そもそも自分の本性に反して、他人の期待に応えようとしたことが間違っていたのである。自分の本性に反して他人の期待に応えようとすれば、ごまかしが出てくるのはあたりまえである。

 他人に親切にする、親孝行をする、他人をたてる、などいろいろのことをするのだけれども、そうすべきだという規範意識が先行して愛情がこめられていなかったり、そうしないと他人から嫌われるという恐怖心があって、肝心の気持ちがなかったりする。

そんな時、親切といっても適当な親切で、本人に分からなければ、これでやっちゃえというような表面を取り繕(つくろ)う親切になってしまう。要するに、ごまかしである。
 ながらく深刻な劣等感をもって生きてくると、ごまかしの上にごまかしを重ねるので、いよいよ心の落ち着きを失うことになるのだ。

8 自信が持てない人は、他との交流がうまくいかない

自分にとっての“重要人物”を信じられたか自分に自信がない、ということについていえば、ある点ではその人の責任ではないし、ある点でいえばその人の責任である。

 その人の責任でない、という点についていうと、こうである。ある人が自信をもつということは、同時に他人を信頼するということである。

 小さな子供は、母親がそこにいると安心感があると、暗い室でも探索しようとする。しかし、母親がいなくなると急に不安になって探索を止める。

『出会いについて』(小林司著・日本出版協会刊)に、この母親と子供の探索について書いてあるところがある。
 探索行動に活発に出かける子供の母親は、子供を受け入れ、子供を無視しないという。こういう母親をもつと子供は要求の多すぎる不幸な子供には育たない、という。

 これらの本は、いつも母親と子供の関係でこのようなことを論じているが、父親との関係についても同じであろうか。
一般的には、小さい頃、自分にとって重要な人間が自分を受け入れてくれたかどうか、ということである。そして受け入れてくれたということは、その人を信頼できた、ということである。

 自分にとって重要な人物を信頼できるかどうか、それは子供の安心感を決定する。自分にとって重要な人間との関係を保つのに、相手の気持ちを絶えずうかがっていなければならないというのでは、心は安定しない。また、絶えず拒否の脅威にさらされているのでは安心感はない。

 安心感を持つためには、自分にとって重要な人間の言動が予測できて、その人が自分に支持と勇気を与えてくれる、ということが必要である。

 ところが、すべての人が、このような人に囲まれて成長するわけでない。
いつも拒否される脅威にさらされている人もいる。こんな人は、他人を信頼することができない。安心感ももてないし、当然、自信ももてない。人間は自分にとって重要な人間を信頼できた時、自分に自信が持てるようになる。

 だとすれば、自分にとって重要な人間が、どんな人間であったかどうかということは、その人の自信に影響する。そして人間は、小さい頃、この自分の愛着対象を選べるわけではない。それは決められている。それはまさに運命である。

 小さい頃、自分に安心を与えてくれるような人、信頼できる愛着対象をもてたかどうかは、その人の責任ではない。そのような人が自分を信頼してくれたかどうかは運命である。

人間とは“こういうもの”などと決めつけるな

自分を信頼できない人は、他人を信頼できない。つまり、自分を信頼できない親は、自分の子供を信頼できない。子供の側からすれば、信頼できる人がいたかどうか、また自分が信頼されたかどうかは、まさに宿命としかいいようがない。

 依存心の強い親に気に入られるために、絶えず気を使って成長した人、つまり、絶えず拒絶の脅威にさらされて成長した人間は、他人を信頼する能力も、自分を信頼する能力もないまま、自信喪失した人になっていく。

 そうした点で、自信がないということは、自分の責任ではない。
 しかし他方で、その人の責任であるというのは、こうである。その人にとって小さい頃の重要な他者は信頼することのできない人間であったかも知れないが、その後の人生で出会った人々は、必ずしも信頼できない人たちばかりであったわけではない。
信頼できない人もいたが、同時に信頼できる人もいた筈である。

 ところが、その人は小さい頃自分の周囲にいた人間をモデルにして、人間とはこういうものであるというイメージをつくってしまっている。
そこで現実に信頼できる人に出会いながらも、昔の信頼できない人を移転してしまっている。

 これを、その人の責任というのは酷なところもある。それはその人の小さい頃の歪みの程度にもよる。依存心の塊のような親に育てられたら、成長後に自信が持てないのはその人の責任とは言い難い。

 ここで、その人に責任があるとかないとか、議論することはあまり意味がない。大切なのは、自信と信頼との関係であり、自分が転移をしないように注意することである。

9 “人を見る眼”は、つき合いの失敗の中で磨かれる

“過去の亡霊”から自分を解放せよ

 私は、たいへん疑い深い人間に育てられたので、成長の段階で必要な「信頼される」という体験を十分にもてなかった。
そのため成長してからも、自分は他人から信頼されていないという不快な感情をもっていた。

しかし、その後、いろいろな出会いや転機があって、そのように疑い深い人達から心理的に距離をおくことに成功した。
そして驚いたのは、実際には自分がこんなにも信頼されているのか、という事実であった。

 疑い深い人に育てられるとパロノイアになるというが、確かに私もパロノイア的な時代があった。他人が私に好意を持っていてくれるのに、悪意を持っているのではないかと怖れたりしていたこともあった。
 それに、周囲に不信感をもっていると、確かに信頼のおけない人達がその人の周囲には集まりがちである。
すると、いよいよ周囲への不信感を強めていってしまう、という悪環境になる。ひねくれたことをいっていると、周囲には嫉妬深い人が集まってくるのと同じである。

 そうしたことを考えると、過去の亡霊から解放されるということは、たいへんなことである。だが、自分は過去の亡霊に支配されている、そう気づいたら、その亡霊から解放される努力を始めるのは本人の責任ではなかろうか。

 先の『出会いについて』という本に、誰に頼るのが一番いいかということを探せる能力が人間には必要である、と書いてあるが、私も大賛成である。
ただ、ここで難しいのは、再び同じことが言えてしまうということである。つまり、自分を信頼できている人間が、誰が信頼できるかを最もよく見わけられる、ということである。

 自分が見えている者にしか、他人は見えない。自分が偽物だと他人の欺瞞が分からない。しかし、だからどうしようもない、というのではない。
よく骨董屋(こっとうや)の小僧は偽者をつかませられるたびに、見る眼ができてくるともいう。他人の欺瞞に苦しめられるたびに、人間全体に失望するのではなく、ああ、こんな人間が信頼できないのだ、ということを学んでいくことである。

 古美術店の店主から私はよく聞かされる。良いものを見ることで鑑識眼はできてくる、と。人間についても同じであろう。自信のない人は、不幸にして、自信のある人に比較して信頼できる人間にあまり出会っていなかったかも知れない。
そして、自信がなければないほど、信頼できない人を信頼していこうとする。
依存心の強い者にとって、自律性を獲得した人間がストレスになる時があるからである。自信が持てなくて、いつも内面がオドオドビクビクしている人は、自分のつき合っている人間は信頼のおけない人間であるのではないか、と、もう一度、その人達を見つめなおして見ることである。

失敗してもいい、多くの人に接してみろ


 そして、今までつき合いの範囲をこえて、多くの人と接することである。
その中には信頼できる人もいる。そして、そのような人達と接する中で、人間についての鑑識眼もできてくる。
つまり、人間に必要な誰に頼るのが一番いいかということを探せる能力がついてくる。 
                            
 頼りにできる人間を間違えると、人間に悲劇をもたらすことがよくある。人を利用して生きるような、自己中心的な人間を頼りにしても、一生を棒にふる人もいる。詐欺師の手口というのがある。
ちょっと相手にもうけさして、次々にお金を引き出していく。お金を出す方は、損を取り返そうとしてどんどん深みにはまっていく。やがて破産する。

 人生の詐欺師というのもいるだろう。どんどんと相手の視野を狭くしていく。自分を尊敬させておくためには、そのようなに視野の狭い人間の方が都合が良いからである。

 あらゆる点で周囲の自己中心的な人間に利用しつくされて、自信喪失している憐(あわ)れな人もこの世の中にはいる。そのような人は、つき合っている人の欺瞞を見抜くと同時に、自分の心にも問題があったのだ、という反省が必要であろう。

 依存心の強い者にとって、自律性を獲得した人間のものの見方はきついという時がある。それだけに依存心の強い者は、依存心の強い者に惹かれていってしまうことがよくある。

 自律性を獲得した人は、あからさまに現実を見ていこうとする。自分の虚栄心や弱点を隠したりするために、現実をゆがめて解釈したりはしない。
内心ほしいものを欲しくないと言ってみたり、立派な人間を卑しい人だと言ってみたりということはない。

それだけに依存心の強い者、つまり偽者にとって、自律性を獲得した者、つまり本物とのつき合いは、時に辛いこともある。

 しかし、自信喪失した自分を、本当に受け入れ、愛してくれるのは、そのような自律性を獲得した人間でしかない。偽者は結局、自分のために、自信喪失した人間を適当に利用しているにすぎないのである。
つまり、ここでいいたいのは、自分が偽物だから、ついつい偽者とのつき合いがその場は楽で深みにいってしまう、ということである。

 劣等感の強い者にとって、立派な人をほめることは脅威である。自分の価値を下げられるような錯覚をもつからである。
すると劣等感の強い者は、ついつい一緒になって立派な人をけなす人との付き合いを深めてしまう。
 劣等感の強烈な人は、同じような劣等感の強い人を集めてしまいがちである。こうした場合、つき合いの範囲をひろげようとするなら、次のことに注意しておくとよい。

 高すぎる道徳的基準や価値観は、劣等感や欲求不満の照り返しにすぎないことが多い、という点を理解することである。そうわかっていれば、他人から否定的に評価されたからといって、別段どうということはないであろう。

 ところで、他人の自分に対する評価それ自体が、毒蛇や崖のようにすべての人にとって危険というものではない。影響を受ける人もいるし、受けない人もいる。
否定的価値とは、当然ながら、他人の自分に対する否定的な評価に影響される人にとってのみ、危険なのである。
ちなみに、ローゼンベルグの調査によれば、他人が自分のことを低く評価していると知って悩まされるのは、自己評価の低い人の傾向である、という。

 結論をいうと――自分に対する否定的評価は直接自分の心に影響するわけでなく、その人が自分をどう感じているかという、自分についての感じを通して間接的に影響してくるものなのである。

10 よい人間関係のコツは“自然の変化”をしることだ

自然の流れに逆らうと、ストレスは増大する

自分を束縛することなしに、他人を束縛することはできない。つまり他人を束縛する者は、実は自分の精神をも委縮させているのである。

 恋愛をして恋人を独占欲から縛りつける人がいる。あれもしてはいけない、これもしてはいけない、あの人とも会ってもいけない、この人と会ってもいけない、と。しかし、こうして相手を束縛することで、この人は自分自身を束縛してしまうのである。
自分をどんどん受け身の人間にしていってしまう。そして、より嫉妬深くなり、体の調子も悪くなる。食欲もなくなり、運動したいという気にもならない。

 自分の関係者を自由にしてあげることで、実は自分が自由になっていくのである。恋愛だって、親子関係だって、同じである。子供を縛りつける親がいる。

子供が精神的に成長することを喜ばない親がいる。いつまでも子供が自分から離れないことを願っている。そして、いつまでも一人立ちできず、自分に従順であることを喜ぶ親がいる。

そのように他人を束縛することで、実は自分にストレスを課していることに、その人は気づかない。変化こそ自然なのである。その自然の流れに逆らうことで、ストレートが生まれる。
現在にしがみつくことで、ストレートは生まれる。現在の地位に、現在の財産に、現在つき合っている人に、現在得ている名声に、それらにしがみつくことで、ストレートは生まれる。

 現在の立場が自分にふさわしいなくなれば、その地位をしりぞくがよい。それが新しい立場を獲得する方法である。なんと多くの人が、現在の財産にしがみつくことで、多くのものを失ったことだろう。

 ゲバラは、キューバ工業相の地位をうち捨ててボリビアに渡って、ゲリラ活動を指揮したのであった。政府軍に囚われても、彼は確実な幸福を味わっていた、と私は信じている。

 人間の心理的安定にとって、変化は危険である。しかし、変化は自然の流れなのである。昨日のあなたは、今日のあなたではない。今日の私は、明日の私ではない。自分の変化、自分の回りの変化、それを押しとどめようとすればストレートが高まり、時には病気になる。何だか調子が悪いという時、自然の流れに逆らっているのである。

自分の回りのものを何もかも独占し、自分の都合のよいように動かそうとすれば、ストレスが高まるのは当然である。

 あるものを独占しようとする人は、そのものに憎しみと恐怖を抱いている場合が多い。自然の流れ、自然の変化に身を任せられないのは、自分の内面が憎しみと恐怖に独占されているからである。

 自分の内面が憎しみと恐怖に満ちている親は、時間の経過とともに親子関係が変わることを認められない。子供が10歳になっても、20歳になっても、3歳の時と同じ関係を保とうとする。
自然の変化に逆らうことで、ストレスが増し、それがさらに内面の憎しみと恐怖を増大させる。

他人からの刺激はどんどん吸収しろ

人間関係において、相手を所有しようとすることによって、相手との関係はこわれる。
つかもうとすれば逃げていくのは、手のひらの上の鳥だけではない。
人間も同じであろう。自分を束縛することなしに、他人を束縛することはできない。他人を束縛することで、自分もつまらない人間になっていく。

 このことは、いろいろのことについていえる。自分を大切にしない人は、相手も大切にできない。自分を尊敬できない人は、相手も尊敬できない。

 ライヒマンは、次のように言っている。精神医の自己尊敬は患者を治療していく上で大切なことだ、と。なぜなら、自分を尊敬できる精神医だけが、患者を尊敬できるからである。
このような人だけが、お互いに平等な人間という基礎に立てるからである。

 心理的に安定していない精神医は、患者に対して威信を作りたいと思いがちであるらしい。
このことは精神医と患者の間だけでなくて、親子、友人、恋人などすべての人間関係にあてはまるのではないだろうか。
心理的に不安定な人は、相手に良い印象を与えようと努力して、相手の心の問題に耳を傾けることはできない。

 会社でも同じであろう。
上司は部下に対して、もったいぶった態度をとる。
そのことで部下は余計不安になる。自分を自由にしたければ、他人も自由にしてあげることである。
そして、人間の自然の成長を受け入れることであろう。

 素直な人は、社会的に活躍している人に会うと、刺激になっていいと喜ぶ。しかし自尊心が傷つくことを怖れている人は、社会的に活躍することの無意味さを強調する。
このように自我防衛の強い人は、自分自らよい刺激からよい影響を受けないように頑張ってしまう。刺激がそこにあるのに、その刺激を受けないようにエネルギーをつかってしまうのである。

 劣等感があって、相手から何とか高い評価を得ようとするから、ストレスを感じて疲れるのである。相手への愛情から相手に気を使っても、ストレスで疲れることはない。しかし、相手から高い評価を得ようとして気をつかうと、ストレスで疲れる。

 たとえば、家にお客さんが来てくれたとしよう。この時、家に遊びに来てくれたことを心から喜ぶ気持ちがあれば、緊張する必要もないし、一緒にいて疲れることもない。
ところが、自分の家をよく印象づけようとすれば、緊張から疲れる。その場その場を取り繕おとする人は、ストレスを感じるであろう。本当の意味での誠意がないから、取り繕う必要が出てくるのではないか。

 相手と会うと、何か圧倒されるような緊張を感じるのは、何か生き方にごまかしがあるか、相手に対する気持ちにごまかしがあるからではないだろうか。そのごまかしを隠すのに、不安な緊張を感じるということではないだろうか。

 何かにあたって、たいへんだなあと圧倒されてしまうのは、そもそもその人がもともとおっくうがり屋だからである。
 同じことをやっていても、何も大変だなどと圧倒されたり、ストレスを感じたりしなくて、軽々に楽しんでいる人がいるのである。 おわり
 早稲田大学教授  加藤諦三 1984年8月初版発