しばらく前に『「あげまん」の法則』という一冊を出したところ、思いがけぬ反響を呼びました。大勢の読者から”自分流あげまん”の考え方をいただいたのです。
世の中にはこんなに多くの人が”あげまん”に興味をもつだけでなく、期待もしていたのかと、むしろ筆者のほうが驚いた、というのが正直な感想です。
また女性読者の多さも、うれしい驚きでした。
しかし、なかにはよほど女運に恵まれなかったのか「いまどき、あげまん女などいない」と、手厳しい論旨の手紙を寄せられる方もあり、賛否両論、侃々諤々(かんかんがくがく)というありさまでした。そこで再び「では新しいあげまんはどういうことなのか?」を考えてみたのが本書です。
というのも、男性諸氏のなかには、昔風の貞淑(ていしゅく)な妻を、あげまんと規定している方が少なくありません。夫に黙ってついてくる、それで文句はいわない――たしかに男には都合がいいでしょうが、あまりにも女性の考え方に遠すぎます。
離婚経験とはつまり社会経験のことであり、男性経験のことでもあります。社会や男性についての経験や情報を豊富にもっている女性のほうが、それに関して白紙の女性よりもあげまん度が高い。ありとあらゆる情報が流通、蔓延(まんえん)している現在のような情報社会では、その傾向はさらに強まっています。
「夫婦は一心同体」が、これまでのよい夫婦のあり方といわれてきましたが、これからは次のスタイルをもつのがニュータイプの夫婦と言えるでしょう。
夫婦は”二心二体”と考える
いまダブルベッドの人気が底をついています。新婚家庭においても、売れるのはツインかシングルベッドを二つという場合が多い。これは、夫婦が同衾(どうきん)する時代が終わりを告げていることを示しています。つまり、すでに夫婦は一心同体ではなくなっている。夫婦といえども別々のふとんに寝て、別々の人格で別々の人生を生きる。こうした体も二つ、心も二つの”二心二体”の夫婦形態を許す、あるいは、それを当然と受け入れられる女性が新あげまんの素質を有しているといえます。
時代をこえて存在する普遍あげまんのやわらかい女に続く条件の二番目は、「簡単な料理がうまい女」です。
相変わらずの料理グルメブームですが、以前とは、すこし位相がかわっていることにお気づきでしょうか。フランス料理などの上級グルメからB級グルメへ、家庭料理も手の込んだ本格的なものから、手早くつくれる簡単料理へと人気の重心が移っているのです。
私たちが人生で出会う運命的な人間、自分の人生に決定的な影響を与える赤い糸で結ばれた異性。そういう人はこの世にたった一人しかいないと思いがちですが、私の考えでは、最低でも五人います。
一人目は自分を性的に大人にしてくれた相手。つまり童貞や処女を与えた相手に、だれでもまず運命の結びつきを感じる。近ごろでは、中学生くらいでこの第一の運命の人に巡り合うことも珍しくないわけです。
二人目は精神的に自分を成熟させてくれる人。たとえば大学時代に、学問をふくめてさまざまなことを教え、導いてくれた恩師とか、OL時代にものの考え方を教えてくれた上司など、恋愛をふくめて巡りあった尊敬できる人間。
三人目が結婚相手。人生でももっとも長く自らの伴走者となる相手。
四人目は妻(夫)以外に心をひかれた人間。浮気のような一時的な相手でなく、いまの伴侶と別れてでも生活をともにすることが真剣に検討の対象となる人です。もちろん実際に、この第四の運命の人といっしょになるため、現在の配偶者と離別する人もいます。
五人目は年を取って伴侶に死に別れたのちに巡りあった、第二の人生を託したい、託してもいいと思える相手です。
前著で、男を一つの商品と見立てて、その品質や価値を高め、市場での競争力を強化してくれる女性は、ビジネス感覚に優れたあげまんだと書きました。
そこで今回はその逆、会社や社会における男の能力や評価を下げてしまう女性、つまり、夫の商品価値を低下させてしまう女性にはどんな特徴や傾向があるか。それについて考えてみましょう。いわば男の仕事運、出世運に暗雲を漂わせるさげまん女の言動です。
まず、ほとんどの男性にも心当たりがあり、その誰もがうんざりする女の小さな頼みごとの一つ、「仕事中の夫に電話かけてきて、夕食の材料の買い物を頼む」というパターンです
「人づきあいの知恵がない」ような女性。たとえば狭い近所づきあいに見栄を張るような女性も、夫の運気を低迷させるといえます。 子供のケンカ、子供のつきあいに親が出るのが最近の風潮で、小さな子供の親同士のつきあいに見栄を張り、血道を上げた結果、憎い親の子供を殺してしまった事件もありました。あれなどは、人との距離をつきあいの親疎に応じて適度にとるという、昔なら当たり前にできたことが、今の若い母親には知恵も経験も不足していることの証です。
世に運の悪い男はいるもので、私の昔の知人に、夏休みに会社の保養所へ遊びに行き地方の夜の無聊(ぶりょう)を解消しょうと人から誘われるままにストリップを見にいった男がいます。酒も手伝って、踊り子にステージに上げられるなど、日ごろまじめな彼もその夜は大いに羽目をはずした。
二、三日して、彼の目におおぶりのイチゴみたいに腫れ上がった。あわてて医者にかけこむと、なんと目に淋病の菌が入っていたといいます。謹厳実直な人がたった
まだ世の中に携帯電話というものが存在しないころのエピソードです。ある男性がやっとのことで好きになった女性とのデートの約束をとりつけ、週末に渋谷で会おうということになりました。
男性は渋谷にはあまり明るくなくて、待ち合わせ場所といえばハチ公前くらいしか知らない。女性が指定してきた"東急会館”前もうろ覚えにしか見当がつきません。しかし彼女によれば、広いバス停をはさんで駅の前だというから、それなら苦も無くわかるだろうと、当日、銀行からお金を多めに引き出し、念のため下着も新しいのに取り換えて出かけました。
待ち合わせ場所もすぐわかり、彼は映画館のたくさん入った東急文化会館ビルの前で待った。しかし約束の時間を三十分過ぎても一時間過ぎても彼女はやってこない。心配になってアパートに電話したが誰も出てきません。二時間待ってとうとうあきらめ、彼はむなしく家路につきました。
貧しい真実より華麗な偽り――と渇望した作家がいますが、ウソは人間心理の豊富な貯水池で、そこには作家好みの実に多彩な心理のあや、感情の動きが心の襞(ひだ)に隠されているものです。真理は一本道ですが、ウソは紆余曲折の多いくねくね道なのです。
たとえば、ウソの三八(さんぱち)、ホントの四六(しろく)という言葉があります。その正確な出所を私は知らないのですが、嘘八百とか三百代言といわれるように、人が「数字でウソをつく」場合、四や六は避けて三や八を使うことが多いものです。
男の実(じつ)をためす。このほかにも、女のウソの出所はたくさんあります。たとえば「男をおだてるとき」。いいわ、上手ね、最高よ、こんなのは初めて・・・・とくに行為の最中や事後の女のセリフにはウソが多い。ものすごく多いといっていいでしょう。
「自分かをうぶに見せたいとき」。やめて、そんなつもりじゃないの。そんなつもりのときでもとりあえずそう拒否してみる。「男の同情を誘いたいとき」「男からお金を引き出したいとき」。あるいは「生い立ちを隠したいとき」。野村サッチーなんかはこの部類かもしれません。
そこへいくと男のウソはもっとストレートでわかりやすいが、男女の関係を深めるような微妙なニュアンスにはとぼしいものです。
女をだます、女から逃げる、そんなマイナス局面で使用されていることが少なくなく、それだけにウソの内容も打算的であったりします。
妻子ある男性と不倫関係にあった三十代の女性。二人は、男性が自宅以外に借りているマンションの一室で過ごすことが多かった。男性は女房とはうまくいっていない、この一年くらい自宅にはほとんど帰っていないんだと、しょっちゅう口ににし、彼女もその言葉を信じていた。
男のウソでもう一つ好感がもて、女性からも好かれるのが、ホラ話に近い邪気や湿気のない明るいウソです。
生前、ジャイアント馬場を空港のロビーで見かけたことがあってね。彼は読書家でも有名だっただろう、そのときもやっぱり熱心に文庫本じゃなく週刊誌だったんだな――こんな話はとりわけ飲み屋やバーで喜ばれるはずです。
以前、テレビで見たのですが、テレクラに電話をかけてきた女性をデートに誘いだすテクニックとして、実に巧妙にウソを利用していた男の例がありました。
この人生共創型の結婚形態においては、女性には対外的に柔軟なコミュニケーション能力がより求められるようになります。家族を上手に運営する内治能力から、家の外の世間ともうまくつきあっていく外交能力がより大切になってくるのです。
内助の功が女の中心的役割だったひと昔前の時代の家庭では、家庭内における女性の会話量というのも、その役割に見合うように非常に少ないものでした。亭主がポツポツと話しかけるのに対し、はい、いいえ、そうかしら、そういたしましょう、などと言葉少なに妻が答える。そういう受け答え型の寡黙なトークが多かったのです。
環境適応型あげまんについて述べましたが、多くの場合、人は新しい環境や状況に適応できないのでなく、適応しようとしてないだけです。適応条件にしても、汗腺の数のように先天的に決まっているものと、性格や生き方のように後天的に変えられる部分がある。
したがって本人の努力しだいで、いくらでも不適応を適応型に変えていくか、それが無理なら適応の擬態だけでも見せることです。擬態、とまり「そのふり」(フェイク)をすることです。カメレオンが保護色をまとうように、周囲の条件や状況に合わせる努力やそのふりだけでもしてみるのです。つまりフェイク女こそあげまんなのです。
あげまん「になる」いくつかの方法を紹介しましたが、くり返すように、あげまんには「である」素質の部分もあります。どんな女性も多かれ少なかれ、あげまん素質を持って生まれてきており、それを開花させられるかどうかは女自身の努力に加え、「にする」男のサポートも必要です。つまり先天的資質と後天的開発の両面からあげまんは成り立っているのです。
外見や人相、体つきからあげまん素質を見る方法は前著で詳しく書きましたが、ここでいくつかその補足をしておきましょう。一つはあげまんの簡単な姓名判断、もう一つは性に関する鑑別法です。
まずここでいう姓名判断というのは、女性の名前に使われている字や音から、その女性の性格やあげまん傾向を判断する方法です。
性器の位置だけでなく、その形状や温度からもあげまん、さげまんの判別が可能です。
古い文献を読むと、シャレ好きの江戸っ子は女のあそこをことを地名にひっかけて“下谷(したや)”などと呼んでいたといいます。下にある谷間。
「あいつは下谷の広小路だとよ…・」
なんて品定めした。下についていて広いという悪口でしょう。
またタコ壺とか火消し壺など、壺にもたとえていて、これは形状からきています。タコ壺は吸いつくような名器だが、それより大きい火消し壺は駄器。もっともいまや火消し壺を知る人は少ないでしょうが、炭やまきの燃えさしを入れて密閉することで火を消す壺です。ここから男の火を消してしまうような粗品というシャレでもあったようです。
こうした女性の「である」部分をさらに開花させて、女性をほんとうのあげまん「にする」テクニック、つまり男性によるあげまん素質の開発法を最後に述べておきましょう。
うちのは料理がヘタでねえ。たまにロールキャベツなんかつくった日にゃ、キムチを煮込んだみたいになっちまうし、ピザは雑巾を食ってるみたいだし…・こういうグチをこぼす男性は少なくありませんが、その半分は男にも責任があるのです。
料理の才はたしかに先天的な部分によるところが大きいものですが、自分好みのメニューや自分好みの味をそれとなく女に教え、それをつくらせように仕向けることで、女の料理の腕を後天的に養っていく。そうした努力が男の側に全般的に不足しているのです。
つまり恋愛状態はもちろんのこと、妻子ある男との不倫関係や愛人、セックスフレンド、さらには籍を入れずに老後をともに暮らすご老人同士など、結婚という決まった形をとらない、さまざまな男と女の幸せ関係も考えられるのです。
そして、たとえ不倫関係にあろうが、そこにそれなりの期待感や満足感を感じることができるのなら――社会的規範とは別に――それは男と女に幸福感をもたらす「いい関係」であるといえます。したがって当然、不倫関係においてもあげまん、さげまんの別が生まれてくることになります。
結婚することで男の運気を上げる潮に導く正統派タイプのあげまんに対して、結婚という形をとらないほうがあげまん度が高い「非婚あげまん」もいれば、愛人向きあげまんや未婚の母あげまん、あるいは結婚したとしても、子供のいないほうが運気に恵まれるノーキッズ型のあげまんもいる。
性の話が出たついでに、男と女のセックスの相性について簡単にふれておきましょう。結婚している、していないは別にして、こんな点で二人のセックス相性が合えば、その関係は互いに性的幸福感を味わえるという、性にまつわるあげまん、あげちん相性です。 まず、性器のそのものの相性があります。しかし、それ以上に大事なのが回数の相性です。互いの「したい」という頻度がまったく合致しないのはどちらにとっても不幸です。お互いその差を縮める努力が必要。片方はヘタな鉄砲でいいから数をこなしたい、片方は少数集中でいきたい、こういう食い違いもなくしたほうがいい。
では具体的に、どういう思考法や行動スタイルがとれる女性に不倫あげまんの素質があるのか。女の行動学から見た、桜井流の不倫あげまんの条件を考えてみましょう。
一、男が帰るときに未練の糸を引かない
男に好都合なことを言うようですが、女のこのあたりの行動から男はその関係が鼻につきはじめ、ほころびを感じはじめるものです。「どうしても帰んなきゃいけないの。やっぱり私の手料理より、奥さんのお茶漬けのほうがおいしってわけね」
夫婦のように二十四時間いっしょにいられる関係でない。そのことは互いにわかってはじめた関係なのだから、男が帰るのを未練たっぷりに引き止めるのはルール違反といえます。
次に、女性にとってあなたは不倫あげまん向きか結婚あげまん向きか。すなわち愛人向きか、それとも妻や恋人向きかという適性検査をしてみましょう。
質問事項は全部で二十あります。それぞれの設問につき三通りの項目が用意されていますが、あなたの選んだ記号が、Aの項目に該当する場合は結婚・奥さん派、Cの項目に該当する場合は不倫・愛人派、Bの項目の場合は、そのどちらでもない(あるいはどちらの要素もある)非婚・恋人派となります。
どの項目に答えがよりたくさん集中しているかで、自分(または彼女)のタイプを判断してみてください。