ウソの三八(さんぱち)、ホントの四六(しろく)という言葉があります。その正確な出所を私は知らないのですが、嘘八百とか三百代言といわれるように、人が「数字でウソをつく」場合、四や六は避けて三や八を使うことが多いものです。 トップ画像

数字にウソとホントがあらわれやすい

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ピンクバラ数字にウソとホントがあらわれやすい

貧しい真実より華麗な偽り――と渇望した作家がいますが、ウソは人間心理の豊富な貯水池で、そこには作家好みの実に多彩な心理のあや、感情の動きが心の襞(ひだ)に隠されているものです。真理は一本道ですが、ウソは紆余曲折の多いくねくね道なのです。

たとえば、ウソの三八(さんぱち)、ホントの四六(しろく)という言葉があります。その正確な出所を私は知らないのですが、嘘八百とか三百代言といわれるように、人が「数字でウソをつく」場合、四や六は避けて三や八を使うことが多いものです。

 いま手元に白紙でもらった領収証があるとして、あなたならどんな架空の金額を記入するか。こういうとき一四六00円と書くよりも、一三八〇〇円と書く人のほうが明らかに多いのです。後者のほうにウソをウソと感じさせない信憑性(しんぴょうせい)を人間心理は感じるものだからです。

一五〇〇〇円といったキリのいい数字を避けるのはわかります。半端がないのはもうそれたけでウソくさいからです。だが、その半端数字になぜ、四や六でなく三や八を選ぶのか。四や六はウソの数字としてはウソくさく、三や八はウソ数字としてホントらしく思えるからか…・わかるようでわかりません。

しかし人間の心理には確実にそういう傾向があるものなのです。これもウソにだけあらわれる人間の心理の真実といえるでしょう。
女はウソに数字を混ぜることは極めて少ないのですが、ウソに数字を必ず混ぜるタイプの男もいます。

ごめん、少し遅れるとだけ言えばいいところを、すまん、あと十分待ってくれよと言う。といって、十分で行ける時間的目算が彼にあるわけではない。

ただ話に具体性(真実性)をもたせようとして、なかば無意識のうちに、十分経ったら必ず行くからなどといつているだけなのです。こういう男は無自覚なだけに、すでにウソが体質化してしまっているといえます。

「あと一年、待ってくれ。その間に必ず女房と別れるから」
「二十三日までには必ず返す。確実な当てがあるんだ」

 そのように数字で期限をはっきり区切る男にかぎって、別れもしないし、借金も返さない可能性が高いので要注意です。
もっとも、これはだれにも多少は心当たりのあることでしょう。
私なども原稿の締め切りを編集者からせかされて、どう考えても二週間はかかるところを、つい、あと一週間から十日くらいで仕上がりますなんて答えてしまう。

 相手を失望させたくないがためのその場しのぎで――そのわりには十日が二週間に延びても、まあウソをついたことにはならないだろうと内心で計算していたりする――結局、自分で自分の首を絞めてしまうことになるのです。

 こうした場合には、あえて当てにならない数字を出してしまったことに後ろめたさを感じるのが普通です。しかし、ウソ体質の人間にはこのやましさの自覚がほとんどありません。約束の二十三日だよと催促されても平然と、あと三日待ってくれといまた数字まじりで再延長を申し出るのです。

 数字というのは具体的かつ無機質ですから、そこにウソをまぜやすい。約束の文言に数字をしょっちゅう混入してくる男はあまり信用しないほうがいい。とくに女性にとって、彼は”さげちん”の可能性が大きい男といえます。

ウソをつくときの心理状態はどうなのか

ウソの心理学をもう少し敷衍(ふえん)してみましょう。つまり人はどんな時にウソをつくのか。その理由を心理的に分析をしてみると、

@予防線を張る

――適当な理由をつけて人との約束を断る。気の進まない相手、予想されるトラブルをあらかじめ避けようとするウソ

Aその場逃れ

―― 一時しのぎとわかっていながらとっさにつくウソ

B罪隠し

――自分の悪事を隠そうとするウソ

C見栄

――実際より高学歴をいつわったりする。自分をよくみせようとするウソ。借金の額を問われて、実際より少なく言うのもこのたぐいのウソといえる

D思いやり

――本当のことを言うと相手が傷つくような場合、それを避けるためにつくウソ
 ほかにも、自分の行為をあとで正当化する合理的ノウソや、自分という人間をわかってもらいたいがためにつく甘えのウソは@とAといわれています。予防線とその場逃れ。冒頭の待ち合わせの例などはまさに@の事例にぴったりで、その予防線の張り方がとても素人とは思えない感じです。またそういう巧妙なウソをつく一方で、Aのその場逃れの表面的なウソもつく。

 いわく電車が遅れた、突然、母が田舎から上京してきた、お腹が痛くなった、出がけに長電話が入った・・・・ただ、こうした小さなウソのつき方が女は男より堂に入っているのが特徴です。目に動揺の色も見せずにシレッという。  あるいは、いったそばから舌を出して自分から笑いだしたりする。男にはなかなかできない芸当です。

 それに対し、男は@の予防線に加えて、意外にもCの見栄とDの思いやりのウソが多いのが特徴です。見栄を張って、自分を大きく、よく見せようとする半面、相手が傷つくようなことを直載にいえず、遠回しにウソをつく気のよさ、というより気の弱さが男にはあるものです。

心的飽和

 また男女を問わず、ウソをつきやすい心理、体質の人というのがいます。
 ヘレン・フィッシャーという文化人学者の説ですが、「心的飽和(ほうわ)状態」に耐えられないタイプの人間は、その飽和状態を、ウソを突破口にして破ろうとする傾向が強いとしています。

 心的飽和とは、たとえば単純作業をずっと続けていた場合、その単調さに長くガマンできるか、すぐに飽きてしまうか。その耐性をさします。だから心的飽和状態とガマンの利かない人は、単調な仕事に飽きると、
「桜井さんが誘ってくれたから」
 と積極的にウソをついてまで、ゴルフに出かけたりするのです。
 好き合って結婚しても、十年もすれば男女は倦怠期(けんたいき)に入ります。たいていの人はそれをじっとガマンしますが、その飽和状態にどうしても耐えられない人もいる。そういう人はウソをついて不倫に走ったり、ウソを重ねたあげくについに離婚に至ったりするわけです。

 フィッシャー女史によれば、この心理的飽和状態に耐えられない人の傾向として、

@屋外スポーツを好むような活動タイプ
A 衛的なライフスタイルを好み、変化を求めるタイプ
B ハメを外しやすいタイプ
C先々の生活まで決まりきっているようなマンネリや安定を疎(うと)んじるタイプ

この四つをあげています。新奇性を好み、それがないとみずから演出してまで、刺激や新しさを求める。そういう人がウソをつきやすい心理や体質を有しているわけです。

「できちゃったの」とウソをつく女の心理

 わが身と組織を守るための弁明、こせまかし、言い逃れ――お役人や警察が不祥事を起こしたときなどに、私たちはイヤというほど、そんな自己防衛のためのウソを聞かされました。新聞紙上を賑わした例もまだ記憶に新しいところです。

 もっているものを失いたくないがためにつく自己防衛のウソは、男であれば仕事や収入に関して、女であればやはり恋愛や男性に関してつくことが多いようです。

 仕事上のミスを責められて保身のために虚偽のデータを提出する。こんなのは男に圧倒的に多いウソです。いまの恋人の関心をつなぎとめておきたいために実家が資産家だとウソをつく、あるいは男の気を引くためにブリッこする、つまり純情を装う。こんなウソは時代は変わっても、まだまだ女性に多い。

 男のウソは出世、女のウソは愛情が出所といわれるゆえんです。たとえば女性は、「子供ができちゃったの」
 とニセの告白をして、男の愛情の真偽(しんぎ)を確かめることがあります。心当たりのある男性も多いことでしょう。そう告げられた途端、たいていの男は顔色も言葉も失う。
 すぐに堕ろしてしれともいえないし、よかったな、じょうぶな子供を産んでくれとはなおさらいえない。

 さて、どう対処したものかと思案するさまを、女はそっと上目づかいに観察しています。男の自分に対する愛情レベルを、その後の男の態度と出方で試す気持ちなのです。
 これで思い出すのが、テレビドラマの原作や歌謡曲の作詞でも大ヒットを飛ばしことがある作家の例です。私が編集長をしていた雑誌に小説を連載してもらったことがあって、ずいぶん親しくてもらったのですが、その作家があるとき、銀座のバーのホステスから、「先生のお子さんを身ごもっているんです」と告白されたことがあります。

 しかし、刺鹿先生はまったくあわてずさわがず、そう、よかったじゃないか、キミの好きなようにしなさい、責任はボクがもつと平然といいはなったのです。むろん、二人には子供ができるような関係があったのだろうし、作家には妻がいました。さて、どうなることかと思っていると、意外なかたちで決着がつきました。

 作家の弟子にあたる人がひそかに彼女にこう告げたのです。先生はパイプカットをしている。だから、おなかの子供はせ先生の子供じゃないよ――彼女はほんとうに妊娠していたにせよ、そうでないにせよ、彼女のウソがここでばれてしまいました。少なくとも作家の子供でないことだけは確かです。

 その女性は私も知っている店のホステスでしたが、この後とった行動はいたましくも、いさぎよいものでした。なんと彼女はもウソをついて作家をだまそうとしたことを恥じて、身投げ自殺をしてしまったのです。

 男をためすウソの代償としてはあまりに大きいものでしたが、これも男と女の虚実の被膜で生きるホステス業のブロ根性といえるかもしれません。あるいは女の純情、女の意地の究極の表現ともいえる。

 作家もそれを哀れに思い、またみずからの態度に反省するところもあったのか、この女性の墓を建ててやり、毎年の墓参りも欠かしませんでした。

 できちゃったみたいなの――男が妻以外の女性からいわれるセリフのなかで、これは恐ろしさの最高位ランクされるものでしょう。しかし、それにもウソとホントがあることも男は知るべきなのです。
 つづく  女のウソは生きていくための知恵 

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。