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男を上手に袖にする巧妙な女のウソ

本表紙

ピンクバラ男を上手に袖にする巧妙な女のウソ

 男性は渋谷にはあまり明るくなくて、待ち合わせ場所といえばハチ公前くらいしか知らない。女性が指定してきた"東急会館”前もうろ覚えにしか見当がつきません。

 しかし彼女によれば、広いバス停をはさんで駅の前だというから、それなら苦も無くわかるだろうと、当日、銀行からお金を多めに引き出し、念のため下着も新しいのに取り換えて出かけました。

 待ち合わせ場所もすぐわかり、彼は映画館のたくさん入った東急文化会館ビルの前で待った。しかし約束の時間を三十分過ぎても一時間過ぎても彼女はやってこない。心配になってアパートに電話したが誰も出てきません。二時間待ってとうとうあきらめ、彼はむなしく家路につきました。

 すると夜遅くなってから、彼女のほうから電話が来た。彼が受話器をとるや彼女は、「ねえ、どうしてこなかったの」
と、こちらのいいたいセリフを先にいいます。

 どうしてった、キミこそどうしてすっぽかしたんだ、ボクはずっと待ってたんだぜと腹立ちまじりに返すと、
「私もよ…・ねえ、どこで待っていたの」

「どこでって、キミにいわれたとおり東急文化会館の前さ」
「えっ? 私がいたのは反対側の東急プラザ会館のことよ」

 彼と彼女は駅を挟んで、互いに来ぬ相手をそれぞれむなしく待っていた――気の毒というかほほえましいような図でもあります。渋谷を知っている人ならさもありそうなとうなずくかもしれません。その二つビルは名前も似ているうえ、たしかに同じ広いバス停をはさんで駅の前にあるからです。

 しかし、この話には額面どおりには受け取れないというところがあります。彼女の言動にどうも作為(さくい)めいたものが感じられる。
 つまり彼女は、実はどちらの場所にも来ていないふしがあるのです。約束はしたものの気乗りしないデートで、すっぽかすつもりでいた。だが、そう正面から断ってしまうのは男を傷つける結果にもなる。

 そこでまず、わざと間違えやすい待ち合わせ場所を、しかも曖昧に指定することで、行ったがあえなかったというシチュエーションをつくった。

 ただ、それを曖昧にしたことによって、男がどちらの場所に現れるかわからない。そこであとで電話をかけた際に、女のほうからどうしてこなかったのと先制パンチをくりだし、どこで待ってたのと先回りして聞いたのです。

 男がAで待っていたといえば私はBで待っていたといい、男がBといえばAというつもりだったのでしょう。

 この二人は、この事件をきっかけに気まずくなり、初デートもままならないまま別れてしまいましたから真相はヤブの中です。しかしどうも私の推測が正しい気がする。女というのは男に対して、こうした手の込んだウソをつく動物だからです。

虚実の駆け引きこそ男女の仲の本質

このウソのポイントは、女がそのように仕向けて、待っていた場所を男に先に言わせるところにあります。こうした巧みな詐術は女の専売特許といっていいもので、男のウソはこれほど巧妙でも、周到でも、鉄壁でもありません。

 立場を逆にしてみても、男が考えるのはせいぜい間違えやすい待つ合わせ場所を設定する程度。相手のほうから場所を言わせるなどという高等戦術を男は使えません。

 男のウソはたいていその場しのぎのたわいのないものが多い。それなりに台本を練っても、ウソをつくときに妙に説明的になったり、ふだん言わないようなことを言ったり、聞かれもしない余分なことまでつけ加えたりする。
 ウソの糊塗(こと)しょうとするあまりにかえって馬脚をあらわすことが多いものです。

 一泊の浮気旅行をもくろんだが、女房には仙台へ主張だといいつくろう。ただそれだけでいいものを、なまじそのウソにリアリティーをもたそうとして、
「今回はCくんも一緒なんだ」
 とつい、いわでもがなの部下の名前なんかを口走るが、
「あら、Cさんは春に名古屋に転勤になったんじゃなかったの」

 とするどく突っ込まれて、あわてふためく。なにげなさの演出がかえって裏目に出てしまうのです。本人は手が込んだウソのつもりでも、女の目にはたわいなく見抜かれてしまう。このことは男なら、だれにでも心当たりがあることでしょう。

女のウソ・男のウソのいいウソのつき方

 こんな男にくらべて、女のウソは少数精鋭というのが私の実感です。男は下手なウソを性懲(しょうこ)りもなく繰り返すが、女は一生に一度の絶妙なウソをつく。

 敗戦直後のある日ある時、妻から突然、あなたはほんとうに勝つと思っていましたかと静かに問われた夫がたじろぐ。たしかにそんな歌がありましたが、女のウソにはこうしたすごみがある。

定年退職の日を期して、実は、とうに愛想を尽かしていましたと離婚を申し渡される――たった一つで、男のたくさんのウソと拮抗(きっこう)するのが女のウソといえます。

「女は愛しはじめた男にウソをいい、男は愛さなくなった女にウソをいう」 そんな格言もあります。

男女の仲の入り口でウソをつくのが女、出口でウソをつくのが男、これもうなずける男女のウソの比較論でしょう。

 いずれにしても、もともと男と女の関係の本質は虚実の駆け引きであり、それはウソとマコトの境界で行われるシーソーゲームのようなものです。
 ホントことしか言えない男が女にとって魅力薄なように、女のウソをウソと知りつつだまされてやる度量のない男も味気ないものです。

 男と女は「実」をたて糸に、「虚」を横糸にして縫われた1枚の布のようなもの。どちらを抜いても体(てい)をなさないものなのです。といって、女の不実を見抜けない男はさげまんをつかむ恐れがある。

 だまされたふりはいいが、女のウソにほんとうにだまされたのでは男の価値も権威も地に落ちてしまいます。

 つまり女のウソには、許せるウソと許せないウソがあって、それはあげまん、さげまんの区別にもほぼ一致する。だからその二つの見分ける知恵をつけ、また、みずからも、うまいウソ、たくみなウソをつくことで女をコントロールし、あげまんに仕立てていく必要が男にはあるのです。

 そこでこの章では、男と女のウソについてあれこれ考察してみることにしましょう。ウソ冒頭のエピソードのように男女の仲を引き裂きもしますが、半面、男と女の関係をより深めもする有力な潤滑油や触媒となりうるものです。

 有害なばかりでなく、男女や人間関係プラスに作用する有効有益なウソ、あるいは人を楽しませたり、助けたりする「いいウソ」も存在する。
 つづく 数字にウソとホントがあらわれやすい