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異床同夢型の夫婦スタイルを認める女

本表紙

ピンクバラ異床同夢型の夫婦スタイルを認める女

「夫婦は一心同体」が、これまでのよい夫婦のあり方といわれてきましたが、これからは次のスタイルをもつのがニュータイプの夫婦と言えるでしょう。

C夫婦は”二心二体”と考える
 いまダブルベッドの人気が底をついています。新婚家庭においても、売れるのはツインかシングルベッドを二つという場合が多い。これは、夫婦が同衾(どうきん)する時代が終わりを告げていることを示しています。
 つまり、すでに夫婦は一心同体ではなくなっている。

夫婦といえども別々のふとんに寝て、別々の人格で別々の人生を生きる。こうした体も二つ、心も二つの”二心二体”の夫婦形態を許す、あるいは、それを当然と受け入れられる女性が新あげまんの素質を有しているといえます。

 私は夜型人間で、夜中から明け方にかけて仕事をします。家内はしかし世間様と同じく、夜はしっかり寝たいほうです。そこで十一時以降はどんな用事もいいつけないという契約を家内との間に結んでいます。

 だから私は、夜食を食べたくなっても家内を起こさず、自分で台所に立ちます。寝室は別、ベッドももちろん別、寝る時間も異なる二心二体"の夫婦スタイルを実践しているのです。
 しかし、たとえば来客があった場合はこのかぎりではありません。外部から人がやってきた場合、それは桜井家という家単位で社会と相対することになります。

 したがって家内は、私との間の夫婦単位の契約からいっとき離れて、深夜であっても一生懸命お客をもてなしてくれます。
 夫婦間では二心だが、夫婦がペアで外に対するときは一心になる――これはわれながらいい契約事項だと思っていますが、こうした夫婦のあり方や夫婦間の距離の使い分けが大切になってくるでしょう。

 最近では、夫の家の墓へ入るのはイヤだからと、自分単独のお墓を用意している奥さんも増えてきているようです。わりかごから墓場まで夫婦は別人格、別人生なのです。
 この二心二体説を寂しい、味気ないととらえている人もいるかもしれません。しかし互いに相手に依存や従属をせず、一個の独立した人間として互いを尊重し、切磋琢磨(せつさたくま)していく。
そうした適切な距離を夫婦の間にとる方法としては非常に有効なはずです。
 同床異夢より異床同夢のほうがこれからの夫婦形態としてのぞましい。それを容認できる、いや積極的に推進できる女が「今様あげまんの資格あり」といえます。

 夫の文化教養を広く浅くサポートする
 今様あげまん五か条の最後が、

D文化程度がある程度高い
 という条件です。コンピュータ技術者の寿命は十年がせいぜいといわれています。日進月歩どころか時進日歩のスピードで進歩するデジタル世界では、いまの先端技術・知識があすにはもう陳腐化してしまう。

 そこで働く技術者はどんなに優れた人でも、十年もすると新技術についていくのが困難になってしまうのです。

 東京大学学長でも卒業生に対して「東大卒のブランド寿命は五年」といっていましたが、こういうサイクルのきわめて短い社会では、専門性にのみ特化した人間、悪い言葉で言えば専門バカは通用しなくなりますが、夫を専門バカにしないためには、文化教養面からの妻のサポートが必要になってきます。

 文化教養といっても、それこそ専門的でむずかしい知識は必要ありません。仕事一筋で小さな井戸をたてに掘るような視野狭窄(しやきょうさく)におちいりがちな夫の興味や視野を、浅くてもいいから広くしてやれるような雑学知識。そういうものにいつも目配りをし、夫に提供してやることが、これからのあげまん女性の大切な役割となってくるのです。

 いまは昔と違って、女性の学歴も教養もレベルアップしています。なかには同じ大学で、ノートを貸してやった男子学生と一緒になった女性もいます。

 まして文化や風俗、流行については、亭主よりも奥さんの方がずっと視野が広ければ造詣(ぞうけい)も深い。ワイドショーの芸能ネタから音楽やファッション、映画、コンサート、グルメに至るまで、雑多な情報に関するアンテナは女のほうがよほどワイドかつ鋭敏です。

男が「くだらない」と避けがちな――そのため男は専門バカへの坂道をすべり落ちていくのですが――こうした雑学教養を女が補ってやることで、男は仕事における「たてに深い」知識に加え、世間を横に広く見る目を養えるようになるのです。

 実は、私の出身大学である東京外国語大学をはじめ東京芸術大学、東京医科歯科大学、東京工業大学、一橋大学の五つの国立大学が、それぞれ教養課程を相互乗り入れにしょうとする動きがあります。

 これらはみんな専門分野に分かれた単科大学、つまりカレッジです。
 したがって、それぞれが単独で学生を教えているかぎり、外国語に詳しくても芸術や経済には無知という専門バカを生み出しかねない。そこで学生がどこの大学でも授業を自由に受けられるようにし、専門性だけでなく幅広い教養も身に付けられるように、五大学全体で総合大学=ユニバーシティー化しようというこころみです。

 これは、専門性を高度にするだけでは、もう新しい社会の人材要求にはこたえきれないという大学側の危機感に支えられており、要するに、スペシャリストの専門性にゼネラリスト的教養も付加した「T字型人材」の育成が最大の眼目なのです。

 男は放っておくとスペシャリスト的視野狭窄に陥ってしまう傾向がある。そこで女の側からゼネラルな知識教養をもたらすことで、男の視野をワイドにし、その能力をT字型にする。それがニュータイプあげまんの必要条件であり、したがって、これからの女性は夫や恋人をサポートできる程度の文化教養を、みずからのなかに蓄積する努力をしなくてはならないのです。

 小渕恵三前首相と森前首相は同じ早稲田大学の雄弁会の仲間でしたが、この二人が根本的に違うところは、森首相は文化に比較的無関心な典型的な視野狭窄型のところです。これを智恵子夫人のあげまん性を前面に押し出さねばなりません。それができるかどうかに、森首相の将来はかっているといっていいでしょう。

ピンクバラ外向的、拡大型の女はあげまん度が高くなる

これは考えてみれば当然のことで、人間の営みのうちでもっとも鋭敏で、繊細な男と女の関係のありように時代の流れが反映しないはずがないのです。
さて、家内抑制型から社会開放型へと向かう今様あげまんのもう一つの特徴として、「拡大志向」があげられます。家事をつかさどり家内を守るという内向な役目から、家外をたえず意識して、外に向けて家族や自分をアピールすることに女の美点や役割の重点が移っていくのです。

ガーデニングが大ブームになっていますが、これは、私のような女性学を専門とする者にとってはたいへん重要な問題をふくんでいます。というのも日本人は縮み志向が国民的特質で、生け花にしてもお茶にしても、自然を縮小して屋内に取り入れ、それを愛(め)でることを好んできました。家庭園芸にしても家族だけが楽しむのが目的でした。

しかし、昨今のガーデニングブームは明らかに「外」を意識しています。庭にハーブを植えるにしても、ベランダに鉢植えを飾るにしても、外から見られることを十分に意識し、その目を楽しませたり、アピールすることが目的の半分以上を占めているのです。ちょうど自分とだけ向かい合っていた「美」をぐるりと反転させて外に向けた感じで、縮みの内向志向から、外へ向けて広がっていこうとする拡大志向へと、私たちの生活様式や美意識が変わりつつあることの一つの例証と言えるのではないでしょうか。

クリスマスシーズンの繁華街のイルミネーションは、もはや季節の風物詩となっていますが、近ごろでは住宅街でも外を通る人へ向けて電飾のクリスマスツリーを飾る家が増えてきました。あれなどもこれまでの日本人にはついぞ見られなかった発想で、社会へ向けて「家内を開放する」という拡大志向に裏打ちされているように思われます。

私の家の近所にも、このような家が一軒あるのですが、噂すずめの話では「すてきな奥さんよ」と、くわしく内情をしらないのに、その家の奥さんはいつのまにかあげまんに昇格してしまっています。このように今後は、家内を守るだけでなく家外へ向けてのアピールが上手な女性、外向的で社会と家とのつながりを重視する女性が、今様あげまんの主流をなしていくに違いはありません。

 日本人は世界一の赤面人種で、初対面の人と会ったときに、百人中六十人が顔を赤くするというデータがあります。同じアジアの台湾では百人中五十五人、多くの人種が集まるアメリカは同四十二人、世界中に分散しているユダヤ人(アメリカ系)にいたっては同二十四人。日本人は世界でもっとも内向的な人種といえるわけですが、最近の女性を見ると、そうとも言えなくなりました。恥じらいとかつつましさといった内向型の女らしさは今後、一歩も二歩も後退していき、かわって外交志向型の特質があげまんの条件になっていくはずです。

水泳の千葉すず選手は、その奔放な性格が災いして、シドニーオリンピックから外されてしまいましたが、この外向的性格がイヤがった選考委員の男たちは、時代の動きを読む目を誤ったと私は思います。

急増するシゾフレ女はさげまん予備軍

ところが、この外向拡大型のコミュニケーション能力を阻害するような事態が、とくに若い男と女の間で進行しているから困ったもんだ。人間関係がヘタで自己愛が強く、そのぶん他人には無関心で冷淡。そんな傾向をもった「シゾフレ人間」がいま、若者の間に繁殖中なのです。

 シゾフレとはスキゾ・フレニアを縮めた言葉、精神病理学分野で分裂症を意味する言葉です。経済心理学学者の和田秀樹氏が、この分裂気質をもった人間をシゾフレ人間と命名しました。(それ以前に、慶應大学の小比木啓吾教授が「シゾイド人間」という造語で同様の指摘をしていました)。

 分裂気質とは、敏感(過敏)と鈍感(冷淡)のいりまじった二面的な性格で、自分に対しては敏感だが、他人には鈍感で冷淡という特徴をもっています。病理学者・クレッチマーの分類によれば、上品で繊細、激情家で、音楽や芸術にのめりこむ一面を持つ一方、人間関係においては無味乾燥で鈍感、他人の痛みをわかろうとしないと定義されています。
 和田氏は、若者にこの種の人間が増加していることが、いわゆる”メガヒット現象”を生んでいると鋭い分析をしている。

 宇多田ヒカルのCDだけが断トッでバカ売れしたり、GLAYのコンサートに十代、二十代の男女の若者が殺到したり、とくに音楽業界で、人気がある一点に集中して広く分散しない傾向が強まっています。ファッションでも、ユニクロのフリースがこの傾向を示しましたが、この独占的メガヒットを支えているのがシゾフレ人間で、彼らは自己中心のわりには、他人が自分をどう見ているのかに敏感であり、自分の思考やセンスに確固たる自信がもてないでいるのです。

 そこで、みんなが買ったから、とり残される不安を解消するたにジブも買うという消費性向を見せる。価値の多様化とは程遠い働きで、あまりいい傾向とはいえません。
 思うにこのシゾフレ型人間が増えてきた原因は、一つには、ひとりっ子の増大があげられます。兄弟姉妹がいないから、自己中心性を是正したり、他人への思いやりを養う機会がないまま成人してしまう。また、ダイエットブームでやせた若者が増えているのもその一因でしょう。もともと気質は肥満型、筋肉質、やせ型の三分類されますが、分裂気質はやせ型に属しているのです。

 あげまん、さげまんの分類でいえば、シゾフレ女はあきらかに後者に属します。自分だけがかわいくて、亭主のことには無関心なのでは、あげまんかさげまんという議論以前に、すでに夫婦としての前提が成り立ちません。シゾフレ人間が若者の間に増えているということはしたがって、さげまんの予備軍が増加しているということであり、これまた歓迎できない傾向です。

 さらにシゾフレ人間は常に崇拝者を必要とする性質をもっています。つまり神がいないといられない。この神はべつに宗教上の神でなくてもかまいません。みずからを熱狂させてくれるものであれば、GLAYであろうが路上の無名のシンガーであろうが、またタレントの優香であろうが、神として崇拝する。
 要するにカリスマ志向がきわめて強いのです。そう考えと、なぜいま美容師から服飾店員に至るまで、カリスマブームが起こっているのかがよく理解できると思います。

 だから、かりにあなたがシゾフレ女のなんらかの崇拝の対象になれば、その女はあなたにとって強力なあげまんになる可能性もあります。でも、シゾフレ人間は分裂的で極端に飽きっぽい性質を有していますから、すぐにまた別のカリスマに心を移しもそのときはさげまんに変身してしまう。

 このように、シゾフレ型女性はかなり気質の振幅が激しいため、浮気相手としてはふさわしくても、結婚の相手としては避けたほうが賢明です。短期あげまんには適していても、長期あげまんとしては失格なのです。

愛人という契約社員もあげまんになる

男の人生に女が入ってくることはすばらしいが、出ていくのはもっとすばらしい。そんな巧みな皮肉をいった先哲がいますが、あなたの人生に突然姿をあらわし、災厄をもたらして去っていく。あまりタチのよくない相手と浮気をしたりすると、そんな結果にもなりかねません。

 しかし同じ不倫相手のなかにも、短期間であっても、男の人生に入ってきて幸運を授けていく女性もいます。いっときの不倫相手であっても、そこにはあげまん、さげまんが存在するのです。男と女の関係が多様化したことで、以前よりはるかに大きくなっています。

 ある男性テレビタレントの話ですが、若い女性と不倫関係に陥り、最初は外で会っていたが、やがて相手の女性のマンションにときおり通うようになった。部屋に行くようになってはじめて知ったのですが、その女性は男が出演した番組をほとんどビデオに録画編集していました。

 好きになった男の姿や仕事ぶりを保存しておきたいという思いからです。タレント氏はそれもうれしかったが、録画ビデオがあると演技のチェックもできて、非常に仕事に役立つ。彼の奥さんはそういうことをしてくれる女性ではないので、当初はいっときの遊びのつもりだったのが、不倫相手とはいえ、いまではなくてはならない女になったと、タレント氏は述懐していました。

 この女性はたぶん、昔で言えばお妾型で、陰で男を支えることで男の隆運に導く不倫あげまんのタイプなのでしょう。したがってタレント氏が奥さんと離婚し、この女性を本妻にしたとしても、うまくいかない可能性のほうが高い。男にとって都合のいい女ではありますが、女自身も日陰の身に甘んじること、一種の自足感をもっている面もあります。

 しかし、昔のお妾さんと異なるのは、単に日陰で支えるだけなのでなく、男の仕事に直接役立つ情報やパワーを提供している点です。おそらくタレントの有能な秘書、有益な相談相手にもなっているはずで、愛人という仮の立場でありながら、男に積極的に運気をもたらす新タイプのあげまんともといえます。

 こういう不倫関係におけるあげまん、言葉を変えれば、新しい不倫関係の在り方もやはり、社会の変化と無縁ではありません。

 たとえばビジネスの世界では今、アウトソーシングという動きが急です。アウトソーシングとは人材を外部に求めることで、受付や事務業務などを外部の契約社員に委託することです。それによって作業や経費効率がアップすれば、会社にとっては、契約社員という仮の立場の人間があげまんになってくれたということになります。

 私が所属する出版界とかテレビ局では、すでに以前からこうした外注率が高く、製作は実質ほとんどフリーランスの人間が手掛けていたり、中心になっているのは正社員よりも優秀な契約社員である場合が多い。

 これを家庭におきかえれば、正社員である正妻だけでなくフリーランスの不倫相手、契約社員的立場の愛人なども、男の人生の隆盛や昇運のカギを握るキーパーソンになっていくということになります。

いつの世も不変のあげまんはやわらかな女

不易理想のあげまん、時代や社会の変化にもかかわらず、昔もいまも変わらなぬ、古くて新しいスタンダードタイプのあげまんの典型として、前著で私は「温かい女」を挙げました。

 温さは安心感に直結していて、体も心もほんのりと温かい女は母親のふところのように男のかみしもをほどき、肩の力を抜き、癒(いや)しと安らぎを与えて、あすへの英気と意欲を養います。これはいまでも変わらない条件で、「母性の温度」をもっている女性は時代を超え、洋の東西を問わず、あげまん度の最高位にランクされます。

そこで、温かい女に続く普遍型あげまんの不変条件を以下に紹介していきましょう。
●やわらかい女
●簡単な料理のできる女
●男を立てるかしこさがある女
●一つ年上の女房
この四つですが、まずは「やわらかい女」をみていきます。
 先の温かさは熱さや太さにも通じ、やせた女よりは小太りの女、肉づきの薄い手の女よりはぽっちゃりと肉厚の手をした女のほうに、あげまん度の軍配は上がります。この温かさはまだ、「やわらかさ」にも通じます。

 やわらかさ。京都でいう「はんなり」の語感を体現したようなやわらかさを持った女は、時代の制約や社会の変化の影響をうけない、いまも昔も共通した普遍型あげまんの最有力条件といえます。

 このやわらかさはいろいろな意味に解釈できますが、一つはカドがなくて、だれにでも合わせられる柔軟性をさします。しかしながら、どこかの国の前総理みたいに真空なのでなく、芯にきちんと自分の意見や主張をもった内剛外柔の女性です。

 しかも適度に明るく、適度に華やかである。べらぼうにあでやかで、けばけばしいほどに派手であるといのでなく、春の野の花みたいな節度ある「華」をもっている。やわらかな女とは、いわばそんな女です。わかりやすくいうと、歌手の藤あや子、女優の黒木瞳、高島礼子などが思い浮かびます。

 では、このやわらかさどこからかもし出されるのか。それは水です。水気の多い女はまず間違いなく、このやわらかさに恵まれているものです。
 もともと男と女の水分含有量というのは異なっています。女の体には60~70%の水分が含まれているのに対して、男は50~60%。最大で20%もの差があり、この水気の多さが女の体と心のやわらかさのもとになっていると考えられるのです。

 水気はまた母性の象徴であり、母親の胎内にたっぷりした羊水がないと赤ちゃんは生命をつなぐことはできません。水気に富んだ女性はしたがって母性豊かであり、やわらかくてやさしい。水気は濡れたような色気にも通じ、女らしさの源ともなります。
 さらに水はどんな器にも自在に形を合わせ、みずからは清くして他の汚れを洗い、みずから動かす力を秘めています。柔軟性、清潔感、静的なパワー、こうした水の特質がやわらかさの母体となっている。だから、水気に富んだやわらかな女は永遠不変の第一級のあげまんといえます。

 ただし、最近の女性はこの水気が減る傾向にあります。体内含有量も60%前後と男並みまでに減少しているといわれ、水分に乏しく母性や色気ややわらかさに欠ける、男っぽい女、筋肉質の女、がさつな女が増えているのです。そこで、いつもペットボトルを携行している若い女が多くなっています。
 水気が乏しくなれば体も心も乾いて、このところの地球環境のように砂漠化していきます。心身ともにパサパサに乾いた女性が果たしてあげまんになれるか――これは考えてみるまでもなく答えは明らかでしょう。

いま、水不足の乾いた女が増えている

 水分が足りないと社会的な柔軟性も欠き、人間関係においてもなにかと摩擦を起こしやすい。水気減少とともに、人づきあい客あしらいがヘタな女性もまた増加しています。
 先日、後輩にあたる編集者と雑談していたおり、「最近の編集者は作家の家を知らない」とボヤキ半分こぼしていました。
 私が現役のころは、原稿をとりにいくにしても、新作の打ち合わせをするにしても、編集者は作家の自宅を訪ねるのがふつうで、当然、作家の奥さんとも親しくしていただいた。
 ところがこのごろでは電話、ファクシミリ、Eメール、インターネットなどで用が済んでしまうのに加えて、作家を訪ねるにしても、家の近くや駅前の喫茶店で待ち合わせるようなことが多いといいます。訪ねて行っても自宅までたどり着かない。したがって作家の家を見たこともなければ、奥さんの顔も知らない編集者が増えているというのです。
 なぜ家に呼びたがらないのか。その理由を聞くと果たして、作家自身よりも、奥さんのほうが来客を面倒くさがっているからということでした。物書きの奥さんにとって編集者は重要な取引先の担当者であり、収入源の窓口でもあります。その相手の来訪を面倒くさがり、粗略にあつかうのは感心しません。

 作家の奥さんにかぎった話ではありませんが、これも水気が不足してやわらかさに欠け、人間関係における社交性や柔軟性に乏しい、非あげまん型の女性が増えていることの一例といえるかもしれません。

 現代の日本女性はほっそり細く、背丈も高くなりました。これはしかし、腰の位置が高くなり、骨盤が小さくなることを意味していて、出産に適した体型ではありません。つまり、羊水をはじめ水気の減少を促進させるような体型なのです。
 昔ながらの胴長短足の女性のほうが重心が低く、水がたまりやすい保水型の体型をしていたといえます。ここから、背の高い女にあげまん少なしという原則も導き出せますが、ともあれ、「水」のもつやわらかさ、柔軟性を欠いた女性はあげまん要素に乏しいといえるでしょう。

 ちなみに、温かい女が最高と書きましたが、近ごろ手の冷たい女性が多いという声を聞きます。俗説のように、心の温かい女が増えているからでしょう。残念ながらそうではありません・理由は簡単で、水を使わないからです。
 水道をひねればガスで沸かしたお湯が出るから、洗い物なんかもみんなお湯で済ませられる。快適は快適ですが、お湯を使えばあとで手は冷たくなってしまう。反対に、冷たい水で家事をすれば、あとで手はポカポカと温かくなるのです。

 こんな意味からも、水不足の乾いた女が増えているので要注意です。水気とか、温かさや肌をくらべたとき、日本女性が韓国女性にかなわないのは、一説にはキムチにあるそうです。あちらではキムチを漬ける習慣が各家庭に続いている。これこそ温かい手、きれいな肌を保つ民族性だというのですが、説得力があります。
 つづく 聡明なあげまん女は簡単料理がうまい